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2004
 

■あの世の母に■この世の内に■小泉政権の三年■ニュースステーション■銃向■懐かしのガンマン■美しい父娘


 

 

あの世の母に

2004/10/25  お母さん、とうとう行ってしまいましたね。病気とのたたかいはお母さんらしい見事なものでした。病院での看護婦さんやお医者さんへの配慮も死の直前までさすがでした。この一年間僕なりに全力投球したつもりですが、まだまだいたらない部分があったことと思います。許して下さい。考えてみれば僕の人生は母という大きな船にいつも見守られてのものでした。そうそう何回か母船に避難したこともありましたね。無敵のマザーシップは自身ぼろぼろに傷ついた時でも僕の小さな船が回復するまでやさしく収納してくれました。もしあなたがいなければ今頃は宇宙の藻屑となっていたかも知れません。今こうやって小さな飛行を続けていられるのは紛れもなくあなたのおかげです。

お母さん、これからは飛行には充分注意しますから安心して下さい。もう身を休める場所はないですから・・・お葬式の時、棺の板を通してあなたの姿がはっきり見えました。まだ心配そうな顔をしていましたね。僕はもう大丈夫だから、今こそお母さんが羽を休めて下さい。200年ぐらいはゆっくりして下さいね。と言ってもあなたの事だからどんな世界でもまた頑張るに違いありませんが、せめてこの世での半分ぐらいにしておいて下さい。今度は僕が見ていますからね。約束ですよ。

お母さん、長い間本当にありがとう。あなたはどんな学校よりもどんな書物よりも多くのことを学ばせてくれました。愛することの大切さ。愛することの難しさ。勇気。我慢。創造。運命。出会い。ふれあい。心。友情・・・きりがないですね。あなたはこうも言ってましたね「心の中にいつも神様を下宿させてあげなさい」「神様はきれい好きだからいつも心の掃除を忘れないようにね」「一度出ていくと神様はなかなか戻ってこないから、くれぐれもね」宗教や信仰にあまり興味を示さなかったあなたからこの言葉を聞いたとき少し不思議な感じがしたのですが、今なら少し理解出来ます。それからあの美味しかった料理の数々、それを忘れちゃいけませんね。僕はいい母に巡り会えて本当に幸せでした。ありがとう。今は何も考えずゆっくり休んで下さいよ。約束ですよ・・・
P.S あの世では好きだったグレゴリーペックとデートして下さい。ね。

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この世の内に

2004/10/20  お母さん、僕はあなたを自分の母としてよりも一人の人間として尊敬しています。あなたは自分の心も体も、子供達のためそして人のためにぼろぼろになるまで頑張った人です。人の子を我が子のように育て、身よりのないお年寄りを自分の母のように大切にした人です。野良猫や野良犬達もあなたにめぐり会えてどれだけ嬉しかったことか。多くの命と多くの心を育んだあなたのような生き方は、どんな小説でも伝記でも、映画でも見たことも聞いたこともありません。

あなたはただ運命をありのままに受け入れただけだと言うけれど、僕にはあなたの計り知れないやさしさの底にはどんな強さがあるのだろうと考えずにはいられません。働き詰めで好きだった絵を描くことも書を書くこともほとんど出来なかったと思いますが、あなたの人生はどんな作品より素晴らしいものです。父が存命の時も突然事故で亡くなってからも生活が楽なときはほとんどなかったけれど、心の貧しさを感じたことは一度もありません。

今考えると、あなたの大きな心とやさしさは、いつも僕たち兄弟を超えて外へ外へと拡がっていたように思います。末期癌の苦痛に耐えながら、それでも世話をする看護婦さんや僕たち回りのものへの気遣いは、さすがお母さんと、見ている僕はただ絶句です。あなたのように生きるのはとうてい無理ですが、一人の尊敬する人間として一つの目標にはしています。ありがとう、おかあさん。いつまでもいつまでもありがとう。

P.S そんな母が晩年近所の主婦の人や娘さんによく言ってた言葉があります。「何も結婚や同棲だけが愛じゃないよ」「どんな形でもいいから全力で相手を愛すこと」それから「自分を犠牲にしてもいいと思うほど愛してるならいいけど、疑問や反問があるなら勇気を持ってNOと言うこと」「人は、特にこれからの女性は勇気を持って自分のために生きなくてはいけないよ」私は運命を全て受け入れたけど、時には運命と戦うぐらいの気持ちがなくちゃ一回きりの人生もったいないじゃないか・・・

それもまた母の本心だと思います。

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小泉政権

2004/04/26  小泉政権になって三年。当時自民党の長年に渡った政治の歪みや政治家の腐敗の有り様が社会に露出しだして、心ない政治家や権力者の実体が明らかになりそうになっていた時でした。僕は傲慢な物言いとその薄情そうな外見で偏見的に小泉さんは嫌いでしたが、世論はこぞって声援していました。公共の場では小泉さんの悪口を言うことさえはばかるような雰囲気が日本全体にありました。その時の僕の予感はこれでせっかく明るみに出そうになっていた腐敗した政治家が結果的に覆い隠されて守られてしまうのではないかという不安でした。この三年間そんな思いで、世の中の動向を僕なりに注視してきましたが、嫌な予感が当たってしまって、公約のように言っていた「自民党をぶっこわす」と言う言葉は言葉だけに終わり、逆に放っておけば自滅したはずの政治家までもが守られてしまいました。

 

この三年間日本の社会は、特に心の面において急速に荒廃したように思えます。どこか日本の魂自体がひからびてしまったような気がするのです。大企業の多くに外資が入り多くの中小企業は倒産に追い込まれました。倒産で失業したり、路上に追われたりした人のことはほとんどマスコミでも取り上げられず、日産を始めとする華やかな企業再生が大々的に報じられました。でも多くの人は分かっているはずです。決して日本経済が回復してはいないことを。拉致問題や先日のイラクでの誘拐事件を見ても分かるとおり、今の政府は弱者に対してあまりにも無慈悲です。

二言目にはテロや世界協調を口にしますが、日本は決してアメリカのように歩んできたわけではありません。強引な経済至上主義で弱者を痛めつけ必然的にテロリストを生み出したのはアメリカの間違った帝国主義とでも呼べるような政策です。敗戦国日本はアメリカの援助と民主主義の恩恵にあずかったのは否定できない事実ですが、反面アメリカの悪い部分も受け入れてしまいました。世界に誇れる日本独自の文化や考え方をあまりにもないがしろにしてきたような気がします。日本はアメリカと違い、情緒や人情を大切にする国でした。

 

今世界中がきな臭く、近代世界の唯一の目的と言って過言ではない人命と人権の尊厳の実現に大きな影を落としています。アメリカのブッシュ政権を動かしている不気味な力。そしてそのブッシュ政権に操られる小泉政権。アメリカにしても日本にしても決して国民の大多数が手放しで賛成しているわけではありません。反対の人も多くいるはずです。もし、アメリカでも政府側に都合のいい情報操作がなく真実が国民全てに分かる状態だとしたら、今の現実は一転するでしょう。

ほとんどのアメリカ人がアフガンやイラク戦争の真実を知らされていないのは事実です。あの雨あられのような爆弾の下で死んでいるイラクの人達の残酷過ぎる真実を知ったら、誰もがこの戦争に反対するのは当たり前の事です。何故ならその多くは一般市民、老人や女性やいたいけのない子供たちだからです。小泉政権になって三年目の今日、小泉首相や福田官房長官の高慢で冷たい感じのする顔は、今までも不安でしたが、この先の日本の不安をよりいっそう感じさせます。

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ニュースステーション

2004/03/28  17年も続いた番組、ニュースステーションが幕を閉じました。最初この番組がテレビに登場したときはとても斬新なニュース番組だと思ったことを今でも覚えています。当時ニュース番組と言えば各局みな同じような内容で、アナウンサーが用意された原稿を読むだけの画一的なものでした。当然視聴率も低く、ニュースは番組と番組の間のつなぎの役割だったような記憶があります。ニュースステーションの登場は画期的でした。久米宏さんの軽妙で回転の速い語り口とあか抜けのした番組進行で、ニュース離れしていた人々の関心をも引きました。

おそらくニュースキャスターとして色々な事件に関して、報道にかぶせてキャスター自身の意見や感情を出すような形が当時までなかったのだと思います。当時個人的には久米宏さんのキャラクターは好きではなかったのですが、ついつい番組を見てしまっていたのは、それだけ魅力があったのだと思います。何事に対しても見たり聞いたりしたことを鵜呑みにするのではなく、自分なりに考え、判断する事の大切さをニュースステーションと言う番組は主張していました

 

あれから17年。本来ならばテレビ番組は飛躍的に質があがり、ニュース報道も自由度がもっとましているはずなのに、現実は全く逆行で、多くの番組はただ目先の視聴率のために低俗化し、ニュース番組はここ数年徐々に言論の自由が制約されて来ているように見えます。先述の久米宏さんも近年特に、のどまで出かかった言葉をこれ以上番組では言えないので、ぐっと噛み殺して番組を進行していたように見受けられました。ニュースステーションがなくなった今、良い意味でマスメディアに対して共闘していたMBSの筑紫哲也さんの孤軍奮闘になるかと思うと、メディアに対して大きな不安がよぎりますが、これを機に一人一人の視聴者が報道された事柄に対して決して鵜呑みにすることなく自分自身の判断がなされるようなそんな社会になればいいと思わずにはいられません。幸い今はインターネットがあり、個人でもある程度の情報を得ることが出来る時代です。テレビや新聞のニュース報道を一つの見方として、他の角度からも見る癖をつけることがとても大切な時代だと思います。

2004/03/20 銃向
地球上の貧困や差別をなくそうと思えばなくせるほどの科学技術を得た21世紀の世界。しかし現実は逆行するように悲惨なテロや戦争が蔓延して、弱者はより過酷な運命に遭遇しています。中立報道をむねとし総力をあげて世界平和への推進を担わなければならないマスメディアも資本主義の権力の前に真実の一部しか報道出来ないのが現実です。そんな中「THE BIG ISSUE 」と言うホームレスの自立支援を目的とした雑誌に心打たれる記事が掲載されていました。

フォトジャーナリストの広河隆一さんが多くの悲惨な戦場を目の当たりにした経験から書かれた記事です。その中にメディアに対して、まさにその通りと共感した言葉がありますので、そのまま引用させていただきます。「銃を向ける側に立って、あたかも“撃つ人”と“撃たれる人”の両方に人間性を見出すような記事には抵抗があります。例えば原爆を投下したエノラゲイの兵士が戦争を嫌い、胸ポケットに家族の写真を忍ばせていたからといって、その下で焼き殺された数十万人の人々の人権とを対等に比べられるものでしょうか。そうした“撃つ側”に立った報道は”“撃たれる側”の悲劇をも隠すことになるんです」

この言葉を読んで、これは決して国際社会の問題だけでなく国内や身近な事柄に関しても多く当てはまる事だと思いました。連日のように起こる殺人事件や事故。ダム建設や干潟の埋め立て工事などの環境問題に関しても、“撃つ側”と“撃たれる側”を対等に取り上げている場合が多いからです。工事の是非の前に干潟や河川に生きる多くの動植物の命をどれだけ大切に思ってるのでしょうか。世界中のメディアが権力に負けず真実をちゃんと伝えなければ、そして弱者の心の声を聞き届けなければこれからも悲劇は増幅して起こっていくに違いありません。

広河隆一さんのホームーページです。
http://www.hiropress.net/contents/

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「懐かしいガンマン」

2004/03/01  子供の頃、あまり物を欲しがらなかった僕が唯一ねだって買って貰ったのはコルクの弾が飛び出る拳銃でした。アランラッド主演の名作映画「シェーン」にぞっこんあこがれてのことでした。映画の中でシェーンをあこがれの目で見つめる少年は僕自身で、あの酒場での決闘シーンはよほど強烈な印象だったのだと思います。父に買って貰ったブリキ製の拳銃は僕にとっては紛れもなく本物で、一緒に買って貰ったガンベルトに拳銃をさした僕は正義の味方でした。映画では最後まで銃を抜かなかったシェーンでしたが、現実の偽シェーンは近所の大人を片っ端から撃ち殺す凶暴なカウボーイでした。

拳銃の先端に差し込んだコルクの弾にはなくならないように短い紐がついていて、そのリアル感のなさに子供心にかなり不満はあったのですが、それでも想像力で補ったものです。当時の大人はみんな心に余裕があったのか僕が近づいて「パーン」と声をはりあげて銃を撃つと百発百中、「うぅっ!」とか「やられた〜」とか言って倒れるのです。時に演技が上手すぎて心配になった僕が近寄ると、おじさんはつむっていた片目を少し開けて「弾は脇腹をかすっただけで、助かった」「もう撃たないで」とどこまでも演技を続けます。僕は得意満面で「そうか、じゃあ許してあげる」と銃を腰のベルトに戻すのです。20人ぐらいの大人をやっつけるとさすがのシェーンも疲れはててひょこひょこと家に帰るのですが、どろんこになった衣装を無理矢理母に脱がされるときが辛かったものです。

母は僕が外でどれだけ強いか知らないから仕方ありませんが、もう少し尊敬してもよさそうなものでした。それにしても当時の近所の大人達は暇と言うか子供が好きと言うか僕のようなヒーローは残念ながら他にもいたので、もう撃たれたり斬られたり(竹の刀を持った偽剣士もいたのです)一日の多くの時間をやられ役で過ごしていました。そんなおじさん達が子供達も大好きだったのです。今考えれば、大人の人は全部おじさんで自分の親だとか友達の親だとか言う感覚はありませんでした。おじさん全部対子供達と言う構図がそこにはあったような気がします。そして、そのかわり、もちろんなんですが、子供が悪いことをしたら今度はどのおじさんにも叱られると言うありがたくない構図もあったのは言うまでもありません。

素敵な大人と子供の関係。それは社会の原点だと思うのです。

 

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「美しい父娘」

2004/02/18  お天気の良い日曜日でした。京都三条から鴨川の河原を上流に向かって歩いていると橋げたで暮らしてるおじさんがいました。橋の下にはベニヤ板で囲った住まいがあって回りにはどこかで拾ってきたような生活用品がきちんと並べられていました。今のように路上生活者と言うような言葉がなかった時代です。僕は少し離れた河原に座っておじさんを見ていました。「橋の下で暮らすなんて大変だろうな」そう思って眺めていると、おじさんは古びたロッキングチェアーに腰掛けて本を読み始めました。その姿や表情には険しさや悲しさが微塵もありませんでした。僕はどことなくフランスの下町の景色を連想しました。パリの屋根の下です。

「でも一人だとさみしいだろうな」そう思ってなおしばらくおじさんを見てると、橋の向こうからきれいな声がしました。「お父さん、そろそろお昼の支度して」僕は驚いて目を凝らしました。今まで全然気づかなかったのですが、川縁で少女が洗濯をしていたのです。12才ぐらいの可愛い少女です。「2人で暮らしてるんだ!」少女は河原に絞って置いた洗濯物を一枚づつロープに干しています。とても慣れた手つきです。きっと長くこの橋の下で暮らしてるに違いありません。でも少女もおじさんもやつれた感じは全然なく、それどころか輝いて見えます。

社会から外れて生きるおじさんはとても人間らしい感じですし、少女はとても上品で賢そうです。その時僕は思いました。「人間っていいな・・・」「親子っていいな・・・」どんな環境でも素敵な人は素敵。20数年経った今でもあの時の情景は僕の心に鮮明に残っているのです。そして今の僕が路上生活をされている人達に対して偏見を持たずに接することが出来るのも、あの父娘の美しい残像があるからだと思うのです。

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