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2003
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「ゴミ、時代、デザイン、環境」

2003/10/18
市場を歩くおばあさんもお母さんもみんな腕に買い物かごを下げています。「市場かご」です。かごからは長ネギやキャベツがのぞいています。「絹さん、今日はよそで買ったんかい」八百屋の大将が気楽に声をかけます。「あんたとこ高いやんか」「まあまあ・・そう言わんとうちでもこうてや」笑いながら大将は大根を一本かごにつっこみます。「サービス、サービス」今から40年前の大阪の市場での当たり前の風景です。商品は大抵は裸か新聞紙一枚でくるまれていて、家でかごからだしてもゴミはほとんどありません。環境先進国のドイツ人が当時の日本を見れば絶賛するはずです。過剰包装はゴミを量産するだけでなく人の心も包んでしまいます。

当時の町にはデザイン的な要素が乏しくチョコレートのきれいな包装やクッキーの缶の豪華さは子供心にとてもうれしいものでした。包装紙や缶があまりにきれいなので開けて食べることさえ躊躇するような時代でした。デザインには夢を運ぶ使命と値打ちがありました。そしてそんな時代は包装紙はきれいにたたんで大切にしましたし、缶などは何十年も大切に使いました。だから結果的にゴミはあまり出なかったのです。

時代は進み街は華やかです。目にする物はきれいにデザインされた物ばかりで、デザインの夢を包装紙や缶に頼る事はありません。そこで思うのですがこんな時代だからこそもう商品の過剰包装は要らないのではないかと。クッキーやチョコレートも光や空気に対して防げる工夫だけがしてある袋に入れて売ればいいと思うのです。どうしても中身を表現したいのなら袋の横に小さなポップをおくだけで充分でしょう。結局食べて美味しければいいのですから。箱を開けて中からまた袋が出てきて袋を開けるとまた小さな袋に小分けされていて・・・・変です。

どんな小さなゴミでもそれを作るためにはエネルギーを使います。そして処理するためにもまたエネルギーを使います。エネルギーの消費はそのまま環境の悪化につながります。一人一人の出すゴミは集まればとてつもない量です。それは無意味と無神経の集積のようなものです。そしてそれらは確実に地球を蝕みます。見た目は悪くても中身の商品が良かったらそれでいいこと、そんな賢い消費者が増えて、逆に環境を考えないような企業の商品は買わないよって言うようになれば世の中かなりすっきりします。買い物かごに裸の野菜を入れてさっそうと歩く女性。僕はスーパーの袋を下げて歩くより恰好いいと思うのですがどうでしょうか?

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真の理由

2003/09/20
今、世界で難民が2000万人以上いると言われています。その多くは大国の思惑や施政者のエゴから起こった紛争や戦争で祖国を追われた人達です。彼らはただ普通に平和に暮らしたいだけの人々です。戦争の爪痕は必ず弱者に残ります。先日ニュースでアフガンの難民が荒れ果てて復興の進まない祖国へ帰って瓦礫の中で暮らすシーンが写っていました。彼らの一人がインタビューに答えて言っていました。

「ここでは、難民キャンプよりひどい生活です」「またキャンプに帰るつもりです」絶望に満ちたその目と声は理不尽な現状を語りつくしていました。アフガニスタンでの戦争、イラクでの戦争、アメリカの唱える戦争への大義は疑わしいものばかりです。もし仮にそれが正しかったとしても、流された血はあまりにも多く、残された悲しみはあまりにも酷いものです。

アフガンの子供達、イラクの子供達の悲しみに満ちた目をアメリカやその同盟国の指導者はまともに見れるでしょうか?アメリカがいくらテロとの戦いの正当性を唱えても、今現実のアフガンやイラクの惨状、そして何よりもテロがより増幅されている現状を見れば、戦争は間違った選択肢であることは明らかです。それでも戦争をするのには、表向きとは違う理由があると考えなければなりません。

石油の利権やアラブ世界の弱体化、イスラエルの擁護など様々な裏の理由は思い浮かびますがどれも非人間的な理由です。もともと何故テロが起こるのかと言う理由や原因に何故スポットを当てないのでしょうか?それはとても複雑な問題ですが、だからこそ見つめなければならないと思うのです。無差別に人を殺すテロには正当性はないですが、何故そんな行為が起こるのかをもっとつきつめて考えなければ、真の平和への答えは出ないはずです。

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愛すること

2003/05/30
人は恋をすると感性が鋭敏になります。何気ない日常の景色の中に日頃気づかない様々な発見をします。人を愛する気持ちが心をやさしくするからでしょうか。梢にぽつんと止まる雀を見たら「ねえ、君は独りぼっちなのかい?」と声をかけます。立ち枯れた街路樹を見ると「排気ガスでこんなに空気を汚してしまって、ごめんね」と謝ります。木陰で野良猫が気持ちよさそうに寝ている姿や表情を見るだけで自分も幸せになります。

「気持ち良さそうだね、どんな夢を見てるの?」時々ヒゲをぴくっとさせる様子を見ながら猫の夢まで詮索します。好奇心が旺盛になるのです。人に対しても動物にたいしても見過ごせなくなります。それは暖かい心です。好奇心のない心は冷たくてさみしいものです。「愛と好奇心」ふたつはよく似ています。

愛する人へ向かう気持ちは噴水の波紋のように次から次へと周囲に拡がります。空を泳ぐ雲の一つ一つに表情を見つけます。蒸発して消え去ろうとしている雲には「またねっ」と声をかけます。空の青さは心の中に染み渡り、風は繊細なシルクのように頬をなでます。全てが心地よく全てが感動的です。「どんな薬もどんな食べ物も命をこんなに元気にしてくれはしない」「どんな書物もどんな音楽も心をこんなに豊かにしてはくれない」言い過ぎかも知れませんが、愛は人の魂そのもののような気がします。

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命あるもの

2003/05/29
相次いで友人を失いました。一人は長く会ってなかった友達。一人はしょっちゅう会っていた友達。会ってなかった友達にはこんな事になるのなら思った時にさっと会いに行っておけばよかったと後悔。学生時代に二人で山に登ってタバコ好きの彼が山中でタバコを切らして、来た道を引き返して何本かのしけもくを嬉しそうに拾って帰ってきたときの笑顔。その後たまたま東京で出会って、嬉しくて語り明かした夜のこと。結婚してすっかり落ち着いてしまったけど、人の良さそうな笑顔は相変わらずだったあの日。

あれから10年近く会わなかったけれど、まさか死んでしまうとは思いもしなかった。一緒に酒を飲んで近況を語り合いたかったです。それから毎週のように会っていたもう一人の友人。最後に別れたときはあんなに元気だったのに、風邪ひきからあっと言う間に病状が悪化して亡くなってしまった。まるでキツネにつままれたようです。しょっちゅう会ってたけれど、未解決な話題をたくさん残してしまいました。今まで知人や親戚、父親など何回もの死と向き合って来ましたが、こんなに心にぽっかりと穴が空いたような気持ちになったのは初めてです。

きっと同時代にたまたま気があったからこそ共有することが出来た思い出があり、生きる上で共感できる価値観を持つ数少ない人間だったからでしょうか。彼らともっともっと友情を育てて行きたかった。そしてお互いに子供を持つ父親として、一社会人として若い時代からお互いを見つめてきた目で励ましあったり、意見しあったりすることをまだまだ続けて行きたかった。そう思う僕の気持ちは悲しみではなく自分の一部が無くなってしまったような感じです。

人は生きている限り数え切れないほどの死を感じたり向き合ったりしなければなりません。世界中から毎日伝えられる痛ましい事件による死もあれば、身近な交通事故や病気による死。直接、間接に関わらず無数と言ってもいいほどの死を意識しながら生きています。道路上で無惨にひき殺された犬や猫の死骸。時々にショックを受けながらも、自分が生きるために黙殺しなければならない事が多いのも事実です。

ただ人は出来る限り命に対して生かす事を考え努力しなければならないと思います。殺すことではなく生かすこと。それは一輪の花でも一つの山でも動物でも人間でも、全て生ある物への基本的なエチケットです。二人の友人が相次いで亡くなってしまったこと、それは僕に命の大切さかけがえのなさをあらためて認識させる出来事でした。

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かけがえのないものとそうでないもの

 

2003/05/22
命、心、自然、遺跡、美術品、どれも皆かけがえのないものばかりです。この宇宙の神秘と時の流れの中で必然的に育まれそして生きているものです。それに引き換えそれらかけがえのないものを破壊する戦争の目的は何でしょうか?石油等の資源への利権や民族、宗教、主義へのこだわりと保守です。それらはどれもかけがえのないものではありません。知恵と歩み寄りがあれば何とかなるものです。最近特に思うのですが、馬鹿げたダム工事や、海岸の埋め立て工事など目先の利潤と利権だけを求めるだけの計画が多すぎます。もともと多くの命を育む自然環境とそれらの計画は同じ秤にかけれるようなものではありません。

まさにかけがえのないものと何とでもなるものを同じ秤に載せているようなものです。国のこの無意識はとても重大な事です。何故ならその無意識は蔓延するからです。人に保険金をかけて殺人をする行為も、命とお金を同じ天秤に載せています。矢で鳥や猫を射る行為も紙の的と命を同じ天秤に載せています。信じられない事ですがそんな行為をしてしまう彼らには紙の的がいくらでも貼り替えれる事実と鳥や猫の命がもとに戻らないという明白な差が分からないのです。かけがえのないものとそうではないものの明確な区別は人間が人間らしくあるためのもっとも重要な意識だと思います。

高級車に歩いているお年寄りが当たって、運転手がお年寄りの安否は気にかけずに真っ先に車に傷がついていないかどうか確かめたと言う恐ろしい話を聞いたことがありますが、人の命でさえ車の傷と天秤にかけるような人間がいるのです。物は物です。それは物を大切にすると言う心とかけ離れた行為です。命や心を大切に生きてる人は当然のごとく物も大切にします。何故ならその人達は物にも心があることが分かるからです。先ほどの運転手のような人間は車と言う物を大事にしてるわけではなく、高級車と言うお金を大事にしてるのです。

かけがえのないものとそうでないものを区別する意識。それは人間教育上もっとも大切で、そして簡単な事です。呆れるほど簡単なこの真理を家庭でそして教育の現場ではたして教えているでしょうか?昨今の悲しく恐ろしい犯罪事件を見ていると全ての根っこはそこにあるような気がしてなりません。

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イラク戦争について今、書いておかねばならぬこと

 

2003/05/02 
今回のイラク戦争で戦争の恐ろしさと残虐さをかいま見ました。実際の戦争を知らない僕にとって、アメリカの厳しい報道管制と情報操作の中からの映像がほとんどでしたが、それでも戦争の悲惨さを実感するには充分でした。逆にかいま見れる真実から、実際はもっと残虐で恐ろしいことがいっぱいあるのだと恐怖しました。アフガニスタンへの攻撃の時もそうでしたが至上目的だったはずのビンラディン氏の補足とテロ事件の真実の追求は途中からどこかへ消えてしまいました。今回のイラク攻撃でも大義とする目的は大量破壊兵器の発見とフセインの逮捕もしくは追放だったはずですが、結果どちらも曖昧のままです。代わりに多くの子供達や民間人が戦争の犠牲となり、新たな憎しみの種をばらまいただけです。

今回の戦争の激しい空爆の映像を見てると、これはもう人間の神経ではないなと思わざる得ません。目標の建物に人がいようがいまいが、ミサイルを撃ち込み、爆弾を投下する。この恐ろしい戦争を企てた者達はそれを広島での原爆の効果になぞらえてShock and Aweとか呼んでいるそうですが、その発想自体がもう人間性を逸脱しています。そんな効果を受けた小さな子供達の心にどんな傷が残るのか考えないのでしょうか?イラク戦争の取材に当たった日本の報道各社の特派員達が帰国して口を揃えて言ってた言葉があります。「被弾して体がばらばらになった子供や泣き叫ぶ家族の声は表現も出来ないほど残酷で悲しいことですが」「あの激しい爆音を部屋の片隅で恐怖におびえ、震えながら聞いていた子供達の心は将来どうなるのだろう?」現地で取材したカメラマンやレポーターは自分自身の恐怖を交えてこう語っていました。

今回の戦争はどこから見てもおかしな戦争です。もともとビンラディンもフセインもアメリカが擁護し育ててきた人物です。お互いの利害のために利用しあったと言うのが実際でしょうが、アフガン攻撃の時も今回のイラク攻撃もビンラディンやフセインと言う「悪玉」を仕立て上げなければこんな非人道的で強引な戦争を仕掛けられたでしょうか?そこに大きな疑問を感じます。

今、戦争がひとまず終結して(本当の戦争はこれからかも知れませんが)アメリカが言うイラク戦争の大義はほとんど実感出来ませんでした。代わりに誰にでも分かる理由が浮き彫りとなってきました。始めから言われているように第一はイラクの石油に関する利権です。第二にイスラエルの擁護。第三に反米的な感情の強いイスラム教を信仰する国々への干渉基盤を作ることです。第二と第三は結果としては同じように感じますが、小国イスラエルは経済や政治で大国アメリカを動かす力を持っていると言う意味で第二の理由優先されるはずです。他にも複雑な理由はあると思いますが、明らかに見えるのはこの三つだと思います。アメリカが言っている大量破壊兵器やフセイン政権の打倒、そしてアラブの民主化などは二義的、三つの目的を達するための口実と言っても過言ではないかも知れません。

アメリカが今回徹底的に国内のマスコミを操作し、この戦争が決して間違っていないし、この戦争が必要だと国民を洗脳にかかったのは、戦争の悲惨な真実が明るみに出ると、反戦の中からわき起こる戦争への関心が、戦争の真実にまで飛び火して、こうした下心がばれてしまうからだと思います。それはとてもヒューマニズムの国、アメリカらしからぬ考えだからです。それにしても今回のアメリカのメディアへの規制は徹底していたようです。アメリカの都合のいいシーンしかテレビには流されなかったようです。アメリカの兵士がイラクの子供を助けて抱き抱え、フセインの銅像が倒されてイラク国民が喜んでいるシーン。そんな光景が繰り返し茶の間に流されて、実際のイラク国民の怒りや悲しさ、幼い子供達の無惨な死体や泣き叫ぶ家族・・・それは完全と言っていいほどシャットアウトされたようです。

インターネットが発達しこれだけの情報社会であっても、テレビ、新聞、ラジオ等の身近なメディアが自由を奪われると、世論は簡単に権力者に操作されてしまうという見本です。日本のメディアもアメリカほどではありませんが、今回の戦争に関してはかなりの規制や圧力がかかっているようです。現地で取材していたレポーターやニュース番組のキャスターなども真実が報道できないための歯がゆそうな面もちを何度も見せていました。私達一人一人は、どんな世界でも言論の自由がないところには暴力がはびこり、暴力が制するところには自由がなくなると言う当たり前のようですが怖い真実をいつも考えねばなりません。

イラク戦争の是非が世界で論じられている頃から、アメリカのマスコミが自由に真実を報道していれば、今回の戦争は防げたかも知れません。だってアメリカ人がこの戦争の正体を知ればよほどの軍国主義者か変な思想の持ち主以外全員反対するに違いありませんから。自由を愛するアメリカ国民ならきっとそうするはずです。

そしてあの忌まわしい9.11のテロ事件の事も、テロが悪で撲滅しなければならないと言う視点からだけではなく、何故アメリカがアラブの人達に命を賭してまで憎まれるのかと言う、その原点を考えて欲しいと思います。今世界で絶対的な大国であるアメリカの国民の多くがそんな視点や考え方を持ったとき、始めてテロや戦争のない平和でやさしい世界が築かれるのではないでしょうか?

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そこに子供が!

 

2003/04/11
13歳のシャルロット・アルデブロンさんのスピーチをインターネットで読んで、これが真実なんだと涙があふれてきました。ブッシュさん、ブレアーさん、ラムズフェルトさん、そして日本の小泉さん、あなた達がどんなに言葉巧みに自由や正義を叫ぼうが、あなたたちが行っている行為、支持している行為の真実は、シャルロットさんが全て語り尽くしています。あなたたちにもお子さんがいるはずです。

愛する人がいるはずです。どんな理屈をこじつけられようが、あなたたちの子供や愛する人がスマート爆弾で殺されたらどうしますか?どう感じますか?そこには怒りを越えた悲しみがあります。あなたたちはそんな残虐を意志を持ってやっている。この戦争の正当性や戦後の処理を冷静に語るあなたたちのこころには一体何が宿っているのですか?恐ろし過ぎます。バンカーバスターの下に誰がいるか本当に分かっているのですか?あなたたちの行為は現実の殺戮とともに、未来まで殺しています。

 

シャルロットさんのスピーチの中に、こんな文章があります。

「これは冒険映画でも、空想物語でも、テレビゲームでもありません。これが、イラクの子どもたちの現実なのです。最近、国際的な研究者の一団がイラクに行って、戦争が近づいていることが、向こうの子どもたちにどう影響しているかを調査してきました。」

「彼らが話した子どもたちの半分が、これ以上何のために生きるのか分からないと語っていました。本当に小さい子どもたちでさえ、戦争のことを知っていて、心配していました。5歳のアセムは「銃や爆弾がいっぱい来て、お空が冷たくなったり熱くなったりして、みんないっぱい焼けちゃうんだよ」と言いました。10歳のアエサルは、ブッシュ大統領に「たくさんのイラクの子どもたちが死にます。それをテレビで見たらきっと後悔する」と知ってほしい、と言っていました。」

後悔ではすまないでしょう。なのにブッシュ大統領は平然と自分の正しさを訴えています。あらゆるメディアを操作して、この戦争は正しい戦争だと訴えています。どれだけ上手に演出しようがみんなわかっています。正しい戦争なんてないと言う事を。

 

シャルロットさんのスピーチの次の言葉を涙と怒りを覚えずに読めますか。僕はこの四行の文章がこころに届かない人間なんて人間じゃないと思うだけです。

 

幼い彼女はイラクの子供達の身になってこう書いています。

「私たちは、明日も生きられるか分からないと考えるとこわいです。

殺されたり、傷つけられたり、将来を盗まれると思うと悔しいです。

いつもそばにいてくれるお父さんとお母さんがほしいだけなんです。

そして、最後に。私たち、何か悪いことをしたでしょうか。わけが分からなくなってるんです。」

米国メーン州プレスクアイルに住む13歳のシャルロット・アルデブロン(Charlotte Aldebron)さんのスピーチの記事http://www2.asahi.com/special/iraqattack/TKY200303270225.html

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なんのために?

 

2003/04/08 
アメリカは大きな過ちを犯しました。圧倒的な軍事力を持つアメリカは決して他国を先制攻撃してはならないはずです。自国の防衛、他国の防衛にその強大な軍事力を平和への抑止力として誇示し続けることが唯一の国際平和を維持する方法のはずでした。ビンラディンやフセインを悪玉に仕立てて、武力行使をしたいだけの今のアメリカ政府は完全に狂っています。世界の多くの人はその矛盾と不合理性に気がついています。これだけ多くの人を殺してまで実現したいものとは何か?このイラク戦争の結果、中東のみならず世界はもっと不安定になり、今までおきなかったようなテロも誘発してしまうだろうこの戦争をどうしてもやりたい理由は一体何なのか?

理由は幾つかあると思います。石油の利権、宗教の問題、民族の問題、そしてあまりにも強大になりすぎたアメリカ自体の問題。自分たちの正義が世界の正義だと勘違いするほど強大になった軍事力に振り回されるアメリカ。ローマ帝国の侵略や圧政、あの恐ろしいヒトラーのナチでさえ最初は彼らなりの正義でした。正義と言うものがあるとしたらそれは明確な悪に対してのみ始動するものです。アフガンやイラクで行っているのはどう考えても一方的な殺戮です。手も足も出ない相手に対して、ミサイルや空爆を雨あられと降らすような行為に正義のかけらも感じることが出来ません。その行為は人の命に対してあまりに軽薄です。正義の国が後々、小型の地雷のように残ってしまうクラスター爆弾や放射能の後遺症を残す劣化ウラン弾を平気で使えるでしょうか?

今アメリカ軍に殺戮されている兵士の中にはフセインのためではなくイラクのために戦っている人も多いはずです。イラクを解放するとか言ってるアメリカがそのイラク人を殺してどうするんですか。空爆で死んでいるほとんどの人はなんの罪もない人々です。フセイン政権を倒すためにこんな恐ろしい方法しか思いつかないなんてあり得ない。フセイン政権や大量破壊兵器のことはだれがどう考えても、こじつけとしか思えない。そして今のアメリカには真実が露呈しても構わないというような気風さえ見えるんです。アメリカの心有る国民自体がこの恐ろしい指導者達をセーブしなければ、世界中が戦火に見舞われることになりはしないか、今世界中の多くの人が同じ危惧を抱いているはずです。

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ある町のスケッチ1

2003/04/02
ここはとある労働者の町。空腹に絶えきれず食堂とも喫茶店ともおぼつかない店に飛び込む。カレーライスを注文してがつがつと食べる。しばらくすると作業服を着たやさしそうなお父さんが二人の娘を連れて隣のテーブルに座る。6才と8才ぐらいだろうか。お父さんは親子丼を、娘達はオムライスを頼んで座っている。二人向かい合わせに座って静かに目と目をあわせてにこにこ笑っている。感じがいい。しばらくしてオムライスが先に来た。お父さんが「お食べ」と言っても二人は食べない。親子丼が来た。二人は合掌してスプーンを走らせる。気高い娘達だなと思った。感謝もせずに食べた自分が恥ずかしくなる。店を出るとき心の中で素敵な姉妹に手を合わせた。ありがとう。

人に対する尊敬や思いやりから出た行為は気高さに満ちています。心が洗われると言うのでしょうか、見ているだけで自分の中の品性に刺激が走ります。それが幼い子供の行為ならなおさらです。この子達は素敵な親、それとも素敵な大人達と出会って生きてきたんだなと想像します。子供は大人達の背中を見て育ち、大人は子供達の無限の可能性からまた人生を学び直します。

人類だけが持つ魅力的な循環システムです。人類の素晴らしさは、子供達の笑顔と子供達の何気ない振る舞いの中に全て凝縮されているような気さえします。成長した人類(大人)がともすれば忘れがちになるものの中に、人が人として存在する理由が全てあります。

やさしさ、思いやり、好奇心。ちゃんと育った子供達が必然的に身につけている習性。それはとても気高いものです。そしてとても美しいものです。昔見た「わんぱくフリッパー」と言う映画の中で、少年とイルカが出会った瞬間に心を通わすシーンがありましたが、それこそがまぎれもなく命の気高さだと思うのです。

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フセインとブッシュ

 

2003/03/27
とうとう始まってしまったイラクへの攻撃。連日のように報道されるニュースを見てるだけで、心がすっかり疲れてしまいます。アメリカにとって都合の悪い部分はあまり報道されていないように思いますが、それでも正視出来ないようなシーンが撮し出されています。まるで爆弾の見本市のように新型爆弾が投下され、その性能の優秀ぶりをモニターで説明するアメリカの報道官を見ていると、この人達の心は一体どうなってるんだろう?と思わずにはいられません。昨日もバクダットの民家にミサイルが撃ち込まれました。軍人だけでなくもうかなりの民間人が亡くなっています。あんな爆弾の直撃を受けたら遺体すら見つからないだろうと思います。まつげの長いくりくりした目を持つ子供達の表情が、あまりに可愛く、そして悲哀に満ちて見えます。どんな理由があっても戦争はいけない。戦争とは結局無差別な殺戮でしかありません。

そして、もっとも忌まわしい環境破壊でもあります。アラーを悪用するフセインと正義を悪用するブッシュ。残忍な行為に神も正義もあるはずがないと言うことを多くの人は分かっています。国際的な圧力と査察でイラクの武装解除とフセイン政権の修正は確実に出来ていたのに、こんな事になるなんて残念でなりません。アメリカの言い方で世界を見るなら、大量破壊兵器を持って危険な国は他にもあるはずです。イラク戦争のこの現実を見て、世界中がアメリカを引き留めないと、アメリカはこれからも軍事介入と攻撃を仕掛けて行くのではないかと、恐ろしい不安がよぎります。世界中が疑心暗鬼になり、アメリカのように先制攻撃を仕掛けるようになったら、それはもう世界戦争になります。

日本人としてはそれぞれが反戦への意識と、それぞれのレベルでのささやかな行動しか出来ませんが、一番大切なのはこの戦争、この現実から目をそらさない事だと思います。恐ろしい爆撃が行われ、その下にはイラクの人がいること。激しい銃撃戦の双方には若いイラクやアメリカの青年が悲惨にも横たわっていること。そして、戦争を仕掛けている張本人達はフセインにしろブッシュにしろラムズフェルト長官にせよ安全な所にいること、それを忘れてはいけないと思います。アメリカがいくら友好国でも、もし小泉首相や自民党幹部が戦場に行かなければならないのだったら、彼らはこの戦争を絶対に阻止しようとするはずです。アメリカ支援何てとんでもないと言うに違いありません。僕にはアメリカの若い兵隊にせよフセインの軍隊にせよ、騙されているとしか見えないのです。偏った愛国心や正義感を植え付けられ、そのためだったら敵を殺してもそれは正しいことだとする考え方。一体敵って何?そう問いただしたいです。

 

大量破壊兵器の排除を目的に始められたこの戦争。今アメリカがしていることは大量破壊そのものではないでしょうか?とても許せない矛盾です。精密誘導爆弾だから一般市民を傷つけない?とんでもない嘘です。現にもう市場へ落ちてるじゃないですか。戦争は無差別殺戮です。テロとなんの変わりもありません。だから結局また憎しみを生むのです。憎しみの連鎖が長く続いてきた人類の歴史を見ればそれははっきりしています。今の時代に求められているのはその過去の連鎖をいかにしてやわらげ、そして少しずつ消していくかを考えることです。新たな憎しみを増やしてどうするんですか。

第二世界大戦後やっと出来た世界平和への組織、国際連合での決議をちゃんと守って進めるしか平和への方法はないのに、こんな形で破ってしまうなんて、アメリカの犯した間違いは大きいと思います。そしてオウム返しのような日本政府の行動も一国の代表である組織の反応としては、とても恥ずかしいものです。自分の意見が言えないこと、それは個人レベルでも国家レベルでも、もうそこには自由がないと言うことです。意志がないと言うことです。今からでも遅くないから、一日でも早い戦争の中止を求めて欲しい。戦争が終わってからの事ではなく、今そこにある現実に反応して欲しいと思うのです。あの可愛いイラクの子供達を一人でも死なせたり悲しませたりしたくない、人間ならだれでもそう思うはずです。

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戦争?

 

2003/03/19
明日の朝にはブッシュ大統領が宣戦布告の演説をするという切迫した夜です。昨年からテレビで報道されるイラク関連のニュースや番組はたくさん見てきました。各国での平和運動の盛り上がりや、フランスやドイツなどの国連での武力行使反対の意志が鮮明に現れてきて、もしかしたら査察の継続で平和的解決が出来るのではないかという期待が僕自身の中でも高まっていました。しかし土壇場に来てのアメリカの単独行動。数カ国が追随してるもののそれはアメリカの圧力によるものです。我が日本も残念ながらその中の一国です。もし、このまま戦争に突入したなら、アメリカは最初から武力行使を決めていた事になります。国連はまったく意味をなさない組織として形骸化してしまいます。

アメリカは攻撃するための名目と、タイミングを計るためだけに国連を利用していただけに見えてしまうのです。誰が考えても現在のイラクが世界の脅威になるとは思えません。大量破壊兵器やテロとの関連の確固たる証拠もなく、やみくもにフセイン政権打倒を唱え続けるアメリカの本音は、とんでもないところにあるのかも知れません。ある報道によると1998年以来、フセインは影武者を使って表面上には出ていないとの話もあります。もしフセインを倒すためだったら、大規模な軍事作戦は果たして意味があるでしょうか?本物のフセインはもうイラクにいないかも知れない。

代わりに罪もない多くの子供達が真っ先に犠牲になります。湾岸戦争での劣化ウラン弾の後遺症や経済制裁ですでにかなりの子供達が日々、幼い命を落としていると報道されています。このままアメリカの一国主義を放置しておけば世界は必ず悪い方向へと流れます。アメリカの強力な軍事力に対抗するには、悲惨なテロしかありません。アメリカの一時の勝利は世界に混乱と不安をまき散らす結果となります。暴力による民主化なんてあり得ないことです。暴力は憎しみの連鎖を必ず作ります。

戦争を目前に控えて、イラクやクウェートから戦火を逃れるために国外に脱出する人がいます。その中には戦後復興を睨んで株をたくさん買い占めてる人もいるそうです。でも、貧しい人達は避難する事も出来ません。爆弾が落ちてくるかも知れない場所に祈りながらじっとしてるしかないのです。いつでも貧しい人達や子供達が真っ先に犠牲になる戦争。それが戦争の真実です。アメリカではもう戦後のビジネスが活発に動いています。ひどい話です。利益のためにかけがえのない命を軽視する人達。

戦争はそんな人間がいる限りなくなりません。そして人の命をも軽視するような人達に、この地球の自然環境を守る事などに意識が向かうはずがありません。彼らは心をなくした人達なのです。戦争は人命を奪います。人の心に恐怖と憎しみの種を植え付けます。そしてどんな戦争でもそれは、環境破壊へそのままつながっています。平和を愛するこことはそのまま地球を愛する心です。そしてその心を持つことが人類が生き続るための唯一無二の義務でもあり、人類の存在理由だと思うのです。

 

 

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イルカのように

2003/03/14
青い海を気持ちよさそうにイルカが泳ぐビデオを見ていると、生き物って何て美しいんだろと雑念を忘れて見入ってしまいます。しなやかな姿態と豊かな表情が生命の尊さを無言のうちに伝わってくるようで、心が洗われます。その姿からは人間より遥か昔から自分たちの営みを変えずに生きてきた誇りのようなものさえ感じます。この地球の生態系のリズムに合わせて、自由にそして自然に生きてきた種族なんだと直感します。

ふと僕は思うのです。人類もひょっとしたらヨーロッパ諸国が、マヤやインカの人々やネイティブアメリカンの人々を侵略しなかったら彼らもこのイルカと同じように崇高に生きていたんではないだろうか?スペインやイギリス、フランスの強国がアフリカを侵略しなかったら彼らはもっと平和に暮らしていたのではないか?疑問は次々湧いてきます。現在の先進国は自分たちを正当化するために侵略や植民地政策についてあらゆる弁明をします。先住民が未開であったからとか、キリスト教の布教のためだとか、歴史を常に歪曲してきました。

でもどんなに正当化しても、事実を隠す事は出来ません。時代がたつにつれて彼らが野蛮だとか未開だとか言っていた民族の歴史が明らかになるにつれて、彼らが現在の文化にも匹敵するほど優れた技術や芸術性を持っていたことが徐々に分かってきました。野蛮で未開だったのは当時のヨーロッパの強国だったのです。彼らはその低次元な欲望とエゴを満たすために暴力を用いてかけがえのない幾つもの文明を滅ぼして来たのです。そして今、またしても現代の強国であるアメリカが同じ過ちを繰り返そうとしています。8000年の歴史を持つイラクに、あの千夜一夜の舞台になったバクダッドに爆弾を落とそうとしています。

もし攻撃が始まれば、かけがえのない罪のない人の命と貴重な文化遺産がどれだけ失われるか分かりません。それは人類が繰り返し行ってきた取り返しのつかない暴挙です。もう一度、あの青い海に泳ぐイルカの姿を見て欲しい。彼らからのメッセージに耳を傾けて欲しい。戦争は自然の生態系の中での食物連鎖とはまったく意味の違うものです。肉食のライオンやサメでもきっとこう言います。「あなた達が行っているのはそれは単なる殺戮です」「今すぐやめなさい」と。ましてや大人しく海草を食べるマナティーならきっとこう言うはずです。「あなた達には心があるのですか?」と・・・同じ地球の住人として恥ずかしい行為はもう止めなくてはいけません。それが地球に暮らす生命の義務だと思うからです。

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人生の宝物

2003/03/13
誰にでもある、そしてあった宝物。子供の頃ビー玉遊びに夢中になったことがあります。最初のビー玉は緑色をしたガラス玉でした。球形の半透明のビー玉は子供を惹きつける力がありました。ある時、空き缶にいっぱいたまったビー玉を眺めていたときの事です。それまで全部同じ色だと思っていたビー玉に、よく見たら色合いの違うものがあるのです。一つ一つ手にとって太陽の光に透かして見ると、濃い緑のものや薄いもの、そして中には青みがかったものもあるのです。空き缶にたまったビー玉を一つ一つ取り出しては陽にかざしてみる。

それはビー玉の中にそれぞれの宇宙を見るような思いでした。最初にきれいな青色をしたビー玉を見つけたとき、まるで宝石を見つけたように嬉しくなりました。その一個だけが明らかに他の色とは違っていたのです。それは僕の宝物でした。友達とビー玉を賭けた遊びをしても、その青いビー玉だけは賭けません。一度手放したら二度と巡り会えないような気がしたからです。その後、透明なビー玉の中に鮮やかな色のガラスを、色々な形で閉じこめたビー玉や、ミルキー玉と僕らは呼んでいた乳白色のビー玉など、子供にとっては魅力いっぱいのビー玉が出来て来ました。

最初の緑のビー玉は人気がなくなってしまいましたが、僕はあの青いビー玉を一番大切にしていました。その時は何故そのビー玉がそんなに好きなのか分からなかったのですが、それはたぶん人工的に作られた色ではなく、たまたま偶然に出来たような、大げさに言うと奇跡のように思っていたからでしょう。他にない唯一のものと、思いこんでいたのです。それは自分だけの価値観でした。友達に「どうだい、きれいだろう」と言ってポケットから大事そうにそのビー玉を出しても、「そんなのどこにでもあるじゃないか」と一蹴されるようなものでした。でも僕にはその青みがかったビー玉が大切な宝物だったのです。

他にも貝殻や、べったん、コマ等の中にもこれは特別と言うような宝物がありました。そういえば、その頃集めていたビンの王冠や牛乳ビンの紙の蓋の中にも宝物がありました。夢と遊び心がいっぱいの子供には、捨ててしまうゴミの中にも宝物がいっぱいあるのです。それは人間本来の純粋で、それこそ「価値のある価値観」のような気がするのです。ビンの王冠にも色々な色やデザインがあって、その中から自分なりに「これはいい」と思ったものを選んでいたのです。僕の記憶では、友達もそれぞれ自分なりの宝物を見つけていたような記憶があります。

その大切にしていた宝物もいつのまにかなくなってしまいました。中学までは持っていたような気がしますが、思い出せません。ただ、今はもうないけれど、その青いビー玉の事は鮮明に覚えているのです。見つけたときの気持ち、ポケットの中で握りしめていた事を覚えているのです。きっと誰でも思い出せる宝物があるのではないでしょうか?そして人間にとって、その時の気持ちこそが「人生の宝」に違いありません。

 

 

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平和のための団結

2003/03/12
同時多発テロの時、もっともアメリカに同情していたドイツの人達が、今回のイラクへの攻撃には激しく反対しています。日本と同じく戦争の悲惨さを嫌と言うほど体験したドイツの人達は、あらゆる暴力に対して心の底からのアレルギーがあるんだと思います。最初ドイツ国民が賛同したナチが暴力をもって人間性を蹂躙する様を嫌と言うほど見せつけられ、戦後も東西に分断された国の悲哀を見続けてきた国民として、暴力への恐怖と嫌悪には深い深いものがあるのでしょう。日本もその思いは同じはずです。世界で唯一の大量破壊兵器による悲惨さ、まるで地獄絵図のような体験を唯一持つ国家です。ドイツと並んで世界のどの国よりも暴力(戦争)による紛争解決の凄惨さを国民全体が唱えなければならない国です。

アメリカがどんな大義をかざそうが、暴力による問題の解決には最後まで反対しなければならない国なのです。確かに北朝鮮の暴発を恐れる日本としては同盟国アメリカとの強い絆を保つことはゆるがせに出来ないことかも知れません。しかし、だからといって不本意にアメリカの意図に組みするのは間違っています。イラク問題も北朝鮮の問題も世界の国が一致団結して圧力をかけ、話し合いを維持すれば、必ず平和的に解決出来るはずです。どんな独裁者も世界全部の国の反対や世界の意志を無視することなど出来るはずもありません。今回のイラク問題の流れを見ていると、アメリカは最初から平和的解決を望んでいないような印象を受けます。フセインが速やかな完全武装解除などするはずがないと最初から読んで攻撃へのシナリオを作っているように思われるのです。

国連安保理で無条件査察への満場一致の採決がおりた以上、例え時間がかかってもイラクは大量破壊兵器の廃絶を選択しなければならなくなるはずです。世界が一致して圧力をかけるわけですからそうせざるを得ないはずです。ところが武力攻撃と言う異なった選択肢をアメリカが強行に進めようとする中で、世界の国々の足並みは揃わなくなってしまいました。フランスやロシア、ドイツ、中国とアメリカ、イギリス、スペインなどの国が、真っ向から対立してしまえば、本来の査察さえ遂行することが出来なくなります。

もしアメリカが国連決議なしで戦争を始めれば、イラク国民にとっても悲劇ですし、アメリカにとっても悲劇だと思うのです。世界中の世論が反戦を唱えている中での暴走は、この先、大きな世界不安を作り上げるに違いありません。これを書いている今、まだ平和的解決への望みは残されています。アメリカが抜いた刀を鞘に収め、そのかわり武力攻撃に反対していた国々がアメリカと力を合わせてイラクへの圧力をもっと強めること、武力だけでなくイラクへの世界の世論をもっと増大させれば必ず戦争を起こさずに大量破壊兵器の撤廃は実現出来ると思うのです。

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不思議なシナリオ 

2003/02/24
人との出会い、様々な命との出会い、喜びや悲しみとの出会い、人生は生きるに値するよう、そして生きることに飽きないように多くの出会いを用意してくれています。「こんなすてきな人がいるんだ」とか「こんな場所があったんだ」とか「こんな食べ物があったんだ」とか幾つになっても新鮮な出会いは無限に現れてくれます。始めて出会う美しい景色に接したとき、「生きていてよかった」と思います。

食べたことのない美味しい料理に出会ったときも幸せを感じます。ましてや自分が経験したことのない魅力的な人間に出会って、会話が出来たり、気持ちが通じたりした時は、それはもう歓喜です。人生という超ロングランの興業で、人は舞台の上に立ったり、客席に座ったりしながら新たなシーンに胸をときめかせながら、ストーリーのない芝居を演じ続け見続けているのだと思います。

たとえ予期せぬ悲しいシーンを演じなくてはいけないときも、客席からそんなシーンを目撃しなくてはならなかったとしても、それは次のシーンへのプロローグにすぎません。次はどんな楽しいシーンが用意されているか分からないからです。逃げることもキャンセルする事も出来るかも知れませんが、たとえ逃げたとしても、逃げるシーンを演じただけです。

たとえ客席にいて目と耳を塞いでも、それはそんな観客を演じただけだと思うのです。誰が脚本を書いてるのかは知らないけど、この予測できない、でも生きている限りシナリオが用意されている人生の場で、僕は出来るだけ自然体で役にはまろうと思うのです。だってこの演劇だけは「全ての人が主役」と言う摩訶不思議なシナリオなんですから。

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こんな言葉

 

2003/02/22
こんな言葉を聞いたことがありませんか?「人生はやり直しがきかないんだから」「後悔しないように」・・僕は過去にこの言葉を何度か聞いたことがあります。高校の受験の時、先生からこの言葉を幾度となく聞かされました。まだ子供だった僕にはこの言葉は脅迫めいた力がありました。放任主義の母が「好きにしたらいいよ」と言ってくれたのにも関わらず、当時の僕には学校で言われる「後悔しないように」とか「人生やり直しきかないんだから」の言葉の方が強く、それなりに勉強して志望校に入ることが出来ました。

高校に入ると学校の授業にあまり魅力を感じなくなり、授業をさぼって映画や街をぶらぶらする、今で言うと落ちこぼれの学生生活を続けました。そんな生活をしているとまたもや先輩や教師から前述の二つの言葉を聞かされました。そして同じようにでもちょっとニュアンスを違えて母は僕にこう言いました。「人生は一回きりしかないんだから、自分の好きに生きたらいいんだよ」この言葉を聞いて僕ははっとしました。学校へ行くのは義務でもないし、さぼることも権利でもない。自分の中で勝手に自由や不自由を作り出していたのかも知れない。そう思ったのです。それから僕は少し変わりました。好きな時に、好きな科目の授業には出るようにしたのです。

そしていざ自分の意志で関わって授業を聞いていると、興味も湧くし面白いのです。まるで授業が自分一人のために用意されたように錯覚したこともあります。それでも嫌な授業は受けずに街をぶらぶら・・・そんな流れで立派な劣等生として卒業して社会へ出ました。

この事について今の僕なりの考え方を書きますと「人生は何度でもやり直しがきくから」「後悔を恐れるのではなく」「本当に好きなことをする」と言うことです。一度失敗したらもうダメだと言う考え方はナンセンスです。例えば学校のことなら一度社会に出て、それで何かを学ぶためにどうしても学校へ行くことが必要なら年いってからでも学校には入れます。

最近の目的を失ったように見える若い人達を見ていると(あくまで僕が見聞する一部の事ですが)最初に書いた「人生はやり直しがきかないから」とか「後悔しないように」とかの呪文を家庭や学校で植え付けられて、「失敗した自分を」才能がないと思ったり「後悔してる自分を」もういいや見たいな諦めにも似た感情が支配しているのではないでしょうか?

「失敗は成功の母」ですし、「後悔は成長の父」だと僕は思うんです。50、60才になっても「もう一度やり直し」と考えて新たなる事にチャレンジされてる人もいるぐらいですから、20代30代の人なら、いつでもニュートラルに戻して一からやり直せるはずです。もちろん40代50代の人もです。ですから「本当にやり直しのきかない」こと、「死を選ぶ事」は、ちょっと待って欲しいのです。最近の自殺者のニュースを見る度に思う事です。

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