ボリビア多民族国
Plurinational State of Bolivia

<地理>

内陸国
Landlocked country)とは、陸の国境に囲まれ、海がない国である。世界には48の内陸国がある。国連海洋法条約では、内陸国に、通行税を課されずに他国を通過して海に連絡する権利が与えられている。国際連合には、発展途上の内陸国を援助するための行動プログラムがある。


■アンデス山脈地域
国土面積の約29%に及ぶチチカカ湖から国土を南に貫くアンデス山脈の地域で、標高3000m以上の年中寒冷な気候を持つ。標高3000m以上の年中寒冷な気候を持つ。ラパス市・オルロ市にかけて標高4000mくらいの広大な平らな土地が広がり、この地域はアルティプラーノと呼ばれる。アンデス地域にはオクシデンタル山脈とオリエンタル山脈の二つの山脈がある。
■アマゾン熱帯地域
国土の北東側から東側は国土の約62%を占めるアマゾンの熱帯地域であり、リャノ (llano)またはオリエンテ (oriente)と呼ばれる。リャノはさらに、熱帯雨林(いわゆるジャングル)が広がる北側と、乾燥しているグランチャコ地方(パラグアイ国境近く)とに分かれる。
■バジェ (valle) 地域
国土の約9%を占めるコチャバンバ県やラパス県ユンガス地方などの、アンデス地帯とアマゾン地帯の中間に位置する場所はバジェ (valle) 地域と呼ばれ、温暖で果樹栽培などに適した気候である。


アンデス山脈
主に南アメリカ大陸の西側に沿って、北緯10度から南緯50度まで南北7500km、幅750kmにわたる世界最大の褶曲山脈。山脈はベネズエラ、コロンビア、エクアドル、ペルー、ボリビア、アルゼンチン、チリの7カ国にまたがる。高度3500mから4500mあたりに広大で平坦な高原であるアルティプラーノ(海抜約4,000m)が広がっている。そこにはチチカカ湖やポーポー湖などの湖が広がり、ボリビアの首都ラパスやインカ帝国の首都だったクスコなどの大都市があって、ボリビアの人口の大半はこの高原部に集中している。

イリマニ
IllimaniまたはNevado Del Illimaniは南米ボリビアのアンデス山脈レアル山群(Cordillera Real)にある山である。ボリビア中央部のラパス県にあり、レアル山群を含むアンデス山脈の東山脈(Cordillera Oriental)の最高峰である。4つの鋭峰を持ち、最も高い南峰は標高6,439m。標高4,500m以上は万年雪に覆われている。


チチカカ湖
チチカカ湖(ティティカカ湖、Lago Titicaca)は、アンデス山中のペルー南部とボリビア西部にまたがる淡水湖。アルティプラーノの北部に位置する。湖の中央は、南緯約16度、西経約69度で、標高は3810mほどである(Kolata 1996:24)。湖面の60%がペルー領で40%がボリビア領となっている。「汽船などが航行可能な湖として世界最高所」と言われる。数少ない古代湖の一つとしても知られる。


アタカマ砂漠
Desierto de Atacamaはチリのアンデス山脈と太平洋の間にある砂漠である。全体の平均標高は約2,000mにも達し、その過酷さからアタカマ砂漠への道は「死への道」と恐れられた。砂漠内にはオアシスがあり、東西交易の拠点としてアンデス山脈と沿岸を結んでいる。

アマゾン盆地
Bacia do rio Amazonasは、アマゾン川流域に広がる盆地であり、全体の40%がブラジル、その他ボリビア、エクアドル、ペルーにある。アマゾン盆地は熱帯雨林が密集し、総面積は8,235,430km2である。

アマゾン川
Rio Orellanaは南米のブラジルとその周辺国の熱帯雨林(アマゾン熱帯雨林)を流れ、大西洋に注ぐ世界最大の河川である。数多くの巨大な支流を持ち、アマゾン川という名称はそれらの総称として用いられている。河口は大きく広がっており、どこからどこまでを河口と考えるかにより大きく異なるが、その幅は東京から名古屋・大阪までの距離に匹敵する 300 km とも 500 km ともされる。一般的には、九州より僅かに広い面積を持つマラジョ島は中洲島と考えられている。

ワイナ・ポトシ
ボリビア・アンデスのレアル山群(Cordillera Real)にある山である。標高6,088m。ボリビアの事実上の首都ラパスの真北、約20kmに位置する。しかし、ラパスの中心街は谷底であるため、斜面の陰に入ってしまい、直接に見ることはできない。

チャカルタヤ
(Cerro Chacaltaya)は、ボリビアアンデスのレアル山群(Cordillera Real)にある山である。標高5,395m。ボリビアの事実上の首都ラパスの真北、約15kmに位置する。山頂直下の海抜約5,300m付近まで自動車道(未舗装)が開通しており、スキー場[1]と、宇宙線研究所がある。

アルティプラーノ
altiplanoは、現在のペルー南部からボリビア、チリなどにかけて広がる高原地帯。アンデス山脈は、西山系と東山系という2列に山脈が平行して走っている。しかし、およそ南緯14度付近から、このアンデス山脈の間が広がり始め、標高およそ4000m前後で広大な高原地帯が広がりはじめる。この高原地帯をアルティプラーノと呼ぶ。その北部にチチカカ湖、南部にポオポ湖が存在する。

ポオポ湖
ボリビア中西部のアルティプラーノにある塩湖。標高約3,700m、長く広い(90km×32km)湖で、ボリビア中西部のオルロ県東南部に位置する。年間を通しての水域はおよそ1,000km2。ポオポ湖とチチカカ湖をつなぐデスアグアデロ川からの流入が主な水源である。流出する河川を持たず、平均水深は3m以下であり、その湖水面積は大きく変動する。

サハマ
(Sajama)は、南米ボリビアにある山である。ボリビア西部のオルロ県にあり、ボリビアの最高峰である。また、サハマ山を含む一帯の国立公園の名前でもある。チリ国境から20km程度のところにある。活火山とされているが最後に噴火したのがいつであるかは定かではない。

ユンガスの道
Norte Carretera de Los Yungasは、ボリビアの首都、ラパス市から北東方向のユンガス地方に延びている長さ約80kmの山岳道路。切り立った断崖に取り付けられた部分が長く、頻繁に転落事故が起こっていたため死の道路(El camino de la muerte)として知られている。


トリニダ
トリニダは南米ボリビアの北東部にある都市。ベニ県の行政府所在地である。アマゾン川の支流の一つであるマモレ川 (Rio Mamoré羽の岸にある。ボリビア東部の平原地帯にあり、人口約8万人。観光としては、マモレ川のジャングル・クルーズが行われており、ワニや河イルカなどの観察が行われている。トリニダ日系人協会


オルロ
オルロ(オルーロ、スペイン語: Ciudad de Oruro)は、ボリビアのアンデス地方にある都市。オルロ県の行政府所在地。かつては鉱山で栄えたが、第二次世界大戦後は主な産物である錫の需要が落ち、寂れた雰囲気の街になってしまった。近年、希少金属であるリチウムがあることがわかり、今後の開拓が期待されている。オルロで毎年2月末頃に行なわれるカーニバルは、リオデジャネイロのカーニバル、クスコのインティ・ライミ祭りと並んで、南米三大祭りの一つと言われている。

サンタクルス
Santa Cruzは、ボリビア第2の都市。正式名称はサンタ・クルス・デ・ラ・シエラ(Santa Cruz de la Sierra)。 アマゾンの熱帯地方に環状に広がる。その街の形状から、指輪の都市 (La ciudad de anillo)などと呼ばれることもある。サンタ・クルスは一般的にはボリビア第2の都市と言われるが、近年人口が急激に増加しており、面積が狭く既に人口が飽和状態にあるラ・パスよりもはるかに多い人口を持つ都市に発展している。

ウユニ
Uyuniはボリビアの西側にある小さな町である。ウユニ塩原から車で1時間のところにあり、塩原観光の拠点となっている。ボリビア中央部のオルロ市から週に5便の鉄道が出ているほか、観光シーズンにはラパス市からの航空便が出ることもある。ウユニ塩原(スペイン語:Salar de Uyuni)はボリビア中央西部のアルティプラーノにある塩の大地。標高約3,700mにある南北約100km、東西約250km、面積約12,000km2の広大な塩の固まり。塩原の中央付近で回りを見渡すと視界の限り真っ白の平地であり寒冷な気候もあって、雪原の直中にいるような錯覚をおこす。

ケチュア
Quichuaは、かつてインカ帝国(タワンティンスーユ)を興したことで知られるインディオ。また、この民族が用いている言語。現在では、ボリビア、ペルー、エクアドル、チリ北部、コロンビア南部など、主に南米大陸各国で1300万人が使用している。ボリビアとペルーでは公用語の一つになっている。過去にはインカ帝国において公用語であった。

ティワナク
ティワナク(Tiwanaku)またはティアワナコ(Tiahuanaco)は、南米のボリビア多民族国にあるプレ・インカ期の遺跡名、およびその管区と村の地名。また、その時代の社会や文化をさす言葉としても用いられる。この文化の起源は、紀元前にまでさかのぼるとされるがまだはっきりとはわかっていない。ティワナク独自の文化が形成されてくるのは、紀元前1-2世紀ころからであるが、その文化が広範囲に広がり始めるのは紀元後400年頃からである。

スリキ島
(Isla Sriqui)とは、チチカカ湖のボリビア領にある島の名称。ワタハタやプエルト・ペレスから行くことができる。島には、伝統的な葦船の造船技術が継承されており、現在も製作されている。生業は、農業と漁業が主であるが、観光も行われている。また、暖かい気候のため、トウモロコシ栽培も可能であり、アルティプラーノ周辺の貴重な栽培地帯となっている。


アンデス文明
1532年のスペイン人(白人)によるインカ帝国征服以前に、現在の南米大陸、ペルーを中心とする太平洋沿岸地帯およびペルーからボリビアへつながるアンデス中央高地に存在した文明。その担い手は、今から1万2千年前にベーリング海峡を渡ってアジアから移動してきたモンゴロイド(黄色人種)の中で分類される古モンゴロイドであるとされている。


ボリビアの考古学的研究はほとんどなされておらず、紀元前1500年ごろにチチカカ湖南東岸に出現したチリパ文化以前の詳しい歴史についてはわかっていない。しかし周辺国の考古学調査や一部遺跡から出土した尖頭器などから、ヴュルム氷期の末には既に人類がなんらかの形でチチカカ湖周辺に定着していたであろうと考えられている。

ボリビアの歴史
アンデスの高地とその東の亜熱帯、熱帯地方の低地から成るボリビアは、チチカカ湖畔を中心に先史文明が栄えた。15世紀に入るとインカ帝国の領土となり、スペインの侵攻後はアルト・ペルーと呼ばれポトシ銀山を中心とした鉱業が発展した。ボリビアの考古学的研究はほとんどなされておらず、紀元前1500年ごろにチチカカ湖南東岸に出現したチリパ文化以前の詳しい歴史についてはわかっていない。紀元前200年に入るとチチカカ湖東岸のティワナク遺跡を中心としたティワナク文化が出現する。


アドベ
アドベ(スペイン語:Adobe)またはアドービとは、砂、砂質粘土とわらまたは他の有機素材で構成された天然建材である。これらの有機素材を木製の型枠を使って日なたで干すことでレンガの形にして使われ、ヨーロッパのコブ(Cob)や日干しレンガによく似ている。アドベの構築物は非常に耐久性に富み、地球上に現存している最古の建築物によく使われている。アドベ建築物は熱を吸収してから非常にゆっくりと放出するため、建築物の内部は涼しいままに保たれ、暑くて乾いた気候に適している。


インカ帝国
Imperio Inca、は、南アメリカのペルー、ボリビア(チチカカ湖周辺)、エクアドルを中心にケチュア族が作った国。前身となるクスコ王国は13世紀に成立し、1438年のパチャクテク即位による国家としての再編を経て、1533年にスペイン人のコンキスタドールに滅ぼされるまで続いた。


カリャワヤ
(kallawaya、カヤワヤとも)は、南米アンデス地方の山間部に暮らす、呪術師である。ボリビアのラパス県のチャラサニ郡パンパブランカがその中心地として有名である。ここはチチカカ湖の北東側にあたり、インディヘナの習俗を強く残している地域である。ここは、ケチュア族が多くすむ地域である。カリャワヤは呪術師にして医師であり哲学者でもある。独特の世界観を持ち、人間の心と体、大地、動植物の関係について知見を持つとされる。カリャワヤは全ての自然物(山や木や湖や動物たちなど)を、人間と同じように家族や住む家を持ち名前を持った生命体であると考える。このため、人間が健康であるためには、山や木にも「食事を与える」必要があるとする。

ウィファラ
南米アンデス地方の先住民、アイマラ族の旗。赤、橙、黄、白、緑、青、紫の7色の正方形を並べたシンプルでカラフルな正方形の旗である。これらの色は虹の色と考えられ、また、それぞれ次の意味があるとされる。赤: 大地を示す。宇宙の英知を示すともされる。橙: 文化や地域社会を示す。黄: エネルギーと力を示す。白: 時間と論理を示す。科学技術や芸術も示す。緑: 農産物、豊穣を示す。青: 宇宙を示す。無限や世界の創造原理を示す。紫: 政治や思想を示す。

パチャママ
(Pachamama、ケチュア語・アイマラ語で「母なる大地」を意味する) とは、アンデスの古い神話にあらわれる代表的な女神。先コロンブス期に、先住民たちによって信仰されていた。豊穣を司る大地の神であり、全てのものの母親とされる。パチャママは山や川など大地のすべてを表すものとされ、特定の姿や地域で示されることはない。


<世界遺産>
ポトシ市街
ボリビアの首都ラパスから南東に約 440 km に位置する。アンデス山脈中の盆地にあり、標高約 4,000 m。人が住む都市としては、世界最高地点である。

チキトスのイエズス会伝道施設
聖堂などの建築物が今なお維持されているおかげで、1990年に、チキトス地方のイエズス会伝道所は、ユネスコの世界遺産に登録された。

古都スクレ
1538年9月29日にスペイン人コンキスタドールのフランシスコ・ピサロの指示によってペドロ・デ・アンスレス (Pedro de Anzures)が設立した。スクレの化石:1996年、フランスのセメント会社が工場を造ろうとしたところ、恐竜の足跡の化石が発見された。後の調査で、獣脚類や竜脚類のものとわかった。1mもある足跡も多数発見され、足跡の化石群としては世界最大といわれている。

サマイパタの砦
砦と呼ばれるが、実際には軍事拠点ではなく、コロンブス到達以前の宗教的な遺跡である。おそらくはインカ人たちによって建てられた。
■ノエル・ケンプ・メルカード国立公園

ティワナク:ティワナク文化の宗教的・政治的中心地
ティワナク(Tiwanaku)またはティアワナコ(Tiahuanaco)は、南米のボリビア多民族国にあるプレ・インカ期の遺跡名、およびその管区と村の地名。全体的に、ティワナクでは、遺跡の石材は豆腐状に長方形に切り出されたものが多く、その面は見事に平らである。いずれにせよ、今から千年以上前にこれほどの石材の切り出し加工技術が存在し、かつ鉄を利用せずに加工されていることには驚かされる。

■民族
民族構成はケチュア人が約30%、メスティーソが約30%、アイマラ人が約25%、ヨーロッパ系が約15%、アフリカ系ボリビア人が約0.5%であると見られるが、正式な統計は取られていない。先住民としては南東部のチャコ地方にはグアラニー族も若干居住しており、数を示すとケチュア人が250万人、アイマラ人が200万人、チキタノ人が18万人、グアラニー人が12万5000人程になる。

ティンク
Tinku)とは、ボリビアのアンデス地域の祭りやカーニバル (カルナバル) で踊られる踊りの一つである。ポトシ県の北部(ノルテ・ポトシ)が発祥の地であるといわれる。5月3日の聖十字祭にMacha で行われるものが特に有名である。男性は牛の皮で作った白く硬いヘルメットをかぶり、シャツの上にベストのような衣装を着る。足は裸足かサンダルを履く。これは昔のケチュア族やアイマラ族の戦闘の格好である。

チョリータ
(cholita)又はチョラ(chola)とは、主にボリビアやペルーで、先住民(インディオ)の血を引く人々のうち、女性を指す言葉。あるいはその民族衣装を身にまとった女性を指す言葉である。チョラ及びチョリータを特徴づけるポイントは日本の和服同様に民族衣装で、帽子と髪型と服装である。帽子は、いわゆる山高帽で、出身地によって色や形などが少しずつ異なる。髪型は、長い三つ編みである。腰までの長さの三つ編みを2本下げていることが多い。


オルロのカーニバル (Carnaval de Oruro)
オルロで毎年2月末頃に行なわれるカーニバルは、リオデジャネイロのカーニバル、クスコのインティ・ライミ祭りと並んで、南米三大祭りの一つと言われている。オルロ市中心部のソカボン広場を終点とする市内数カ所の道路が会場となる。 リオのカーニバルと比較すると、先住民の文化やスペイン植民地時代の記憶に基づく伝統的な踊りが多く、踊りや音楽の種類ははるかに多い。


アイマラ
Aymaraは、南アメリカのボリビア、ペルーやチリのアンデス地域に住む先住民族、インディオの一部族。ボリビア、ペルーのチチカカ湖周辺、およびチリやアルゼンチンの一部に住む。人口はおよそ300万人といわれている。アイマラ語を話す。アイマラ族の歴史については、さまざまな説がある。一説では、アルティプラーノの代表的な遺跡であるティワナク遺跡(紀元前後頃から紀元後12世紀頃)の主な担い手だったという説があり、他方で、紀元12世紀頃にティワナク社会が崩壊したあと、チリやペルー南部の海岸部から北上してきたという説もあり、やがて彼らが現在のペルー領にルパカ王国 (Lupaqa) を、ボリビア領にパカヘ王国 (Paqaje) などのアイマラ諸王国を築いたという説がある。

■鉱業
植民地時代から19世紀末までは金と銀が、20世紀以降は錫がボリビア経済の主軸であった。 石油の輸出も盛んであり、1930年代に東部で油田が発見されたことがチャコ戦争の一因ともなった。 2001年に世界最大規模の天然ガス田が発見され、ボリビア経済再生の頼み綱となっている。


■農業
1952年のボリビア革命以来、サンタクルスを中心とした東部の低地地帯で開墾、農業開発が進み、近年大豆、サトウキビ、綿花、コーヒー、バナナなどの大規模な輸出用農業が盛んになっており、北部の熱帯地域ではカカオなどが産出する。一方で、西部のアルティプラーノではインカ帝国以来の零細小農業やコカ栽培などが行われている。

キャッサバ
Manihot esculenta)は、トウダイグサ目トウダイグサ科イモノキ属の熱帯低木。芋はタピオカの原料であり、世界中の熱帯にて栽培される。現在栽培されているキャッサバの原型となったことが分かっているM. e. flabellifolia亜種の分布は中央ブラジル西部を中心としており、ここで少なくとも1万年前には栽培が始まった。キャッサバが栽培されている地域では、甘味種は根菜として扱われている。調理法は蒸す、茹でる、揚げるなど。薄くスライスしたキャッサバを揚げて、キャッサバチップスも作られる。

アーモンド
(英名:Almond、学名: Prunus dulcis、シノニム:Amygdalus dulcis)は、バラ科サクラ属の落葉高木。およびそれから採ったナッツのこと。原産はアジア西南部。現在では南ヨーロッパ、アメリカ合衆国、オーストラリアなどで栽培されており、アメリカ合衆国のカリフォルニア州が最大の産地である。樹高は約5メートルになる。

コカ
(学名:Erythroxylum coca)は、コカノキ科コカ属の常緑低木樹。高さは2-3mになる。葉は楕円形で両端が尖り、裏の葉脈の両側に2条の縦条が入る。花は5弁で黄白色、果実は熟せば赤くなる。南アメリカ原産の樹木。コカの葉からコカイン(局所麻酔薬、麻薬)を抽出できる。一部の国(主に南米)では葉を茶として飲用するなど、一種の嗜好品や薬用として伝統的に利用されている。コカの葉自体は、コカイン濃度が薄いため依存性や精神作用は非常に弱い。しかし、コカを抽出精製して作られるコカインには、中枢神経を刺激して精神を興奮させる作用がある。


■観光
主な観光地としてはティワナクの遺跡や、チチカカ湖、ウユニ塩原、ポトシの鉱山、チェ・ゲバラの戦死したイゲラなどがあり、南米諸国の中でも特に物価が低いため、ヨーロッパや、カナダ、アメリカ合衆国、日本、イスラエルといった先進国に加えて、韓国や南米諸国のアルゼンチン、ブラジル、チリなどからも多くの観光客がボリビアを訪れている。


■文化
プレ・インカ期やインカ帝国の文明圏ではケチュアがアイマラを支配する形で一体化は進み、スペイン統治下のペルー副王領やリオ・デ・ラ・プラタ副王領の勢力圏などでもアルト・ペルーと呼ばれ、ペルーとボリビアはほぼひとまとまりの地域として扱われてきたため、現在でも両国は文化的に近い関係にある。

ボリビア文学
先コロンブス期に現在のボリビアに相当する地域を支配していたティワナク文明やタワンティンスーユ(インカ帝国)は無文字社会だったが、ケチュア語やアイマラ語による口承文学が存在した。独立の時代には『回想録』(1830)を残したインディオのビセンテ・パソス・カンキや、同じくインディオであり、ケチュア語のみで詩を書いたフアン・ワルパリマチが活動した。20世紀に入ると、『バタ・バラ』(1904)や『青銅の種族』(1919)で容赦なく弾圧されるインディオを描いたアルシデス・アルゲダスが、この地域のインディヘニスモ文学の新たな始祖となった。


■映画
ボリビアにおいて初めて長編映画『ワラ・ワラ』を撮影したのはホセ・マリア・ベラスコ・マイダーナであり、1930年のことだった。その後1953年にボリビア映画協会が設立され、ホルヘ・ルイスらが活躍した。


ボリビア料理
その食文化は地域ごとに大きく三つ(アンデス高地、ユンガス、オリエンテ)に分類され、それぞれの特色を兼ね備えている。首都ラパスを中心に人口の半数以上が居住するアンデス高地の地域では、チキンやマトン、ビーフなどを用いた煮込み料理が知られる。

ピスコ
(Pisco) は、ペルー原産のブドウ果汁を原料とした蒸留酒。色は無色透明、あるいは淡い琥珀色でアルコール度数は約42度。

シンガニ
(Singani)はボリビアで作られているアルコール飲料。ブドウから作った蒸留酒である。マスカット・オブ・アレキサンドリアで作ったワインを蒸留して作られるものが主流であるが、ブラック・マスカットなどから作られることもある。シンガニを炭酸飲料と混ぜたものはチュフライ (chuflay)と呼ばれる。

サイセ
(saise)とは、南米ボリビアの家庭料理の一つ。ボリビアでは牛肉が最も安く、最も多く食べられている肉であるが、日本の牛肉と比べると格段に筋張っていてボソボソした肉質のものが多く、牛肉の塊をそのまま煮込んでも固くておいしくない。そのため、調理前に叩き潰すなどの加工が必要となる。

リャマ
(Lama glama)は、哺乳類ウシ目(偶蹄目)ラクダ科の動物である。体高約1.2m、体重70〜140kg。南アメリカのアンデス地方に多く住む。姿はラクダと似ているが、背中にコブはなく、全身が毛で覆われている。白い毛のものと茶色の毛のもの、白と茶色がまだらになったものがいる。ボリビアやペルーの山岳地方では古くから家畜として多く飼われており、荷物の運搬用に用いられたり、毛や皮を衣類に用いたりしている。

ボリビア北部でM6.2の地震 震源地はベニ
2011/11/22  ボリビア北部で22日午後(日本時間23日午前)、地震が発生し、米地質調査所(USGS)によると、マグニチュード(M)は6.2。AFP通信などによると、震源地はベニ県で、震源の深さは約540キロ。死傷者は出ていないという。 


アンドレス・デ・サンタ・クルス
1792年12月5日 - 1865年9月5日)は、ボリビアの政治家、軍人。
スペイン人を父にインカ王族の血を引く先住民を母としてアルト・ペルー(現在のボリビア)のラパスで生まれた。軍人となりスペイン領アメリカの独立戦争が勃発すると当初はスペイン副王軍に従軍してと独立派と戦ったが破れ降伏した。1821年からはシモン・ボリーバルの配下となり独立派に身を投じ、セピタの戦いでその軍事的な才能を遺憾なく発揮した。

トゥパク・カタリ
(Tupac Katari : 1750年 - 1781年11月15日)は、アルト・ペルー(現ボリビア)においてスペイン統治政権に反旗を翻したアイマラ先住民族(インディオ)の指導者である。アイリュの一つであるチャヤンタのクラカ(curaca : 首長)であったトマス・カタリは、ある時植民地統治政権からその地位を罷免された。彼の闘争は、彼を承認したブエノスアイレスの副王領本部まで伝えられるが、地方行政官は彼の権利復帰を邪魔する工作を図り、トマス・カタリは投獄されてしまった。そして彼の支持者たちが救出に向かった時、彼は殺害されてしまう。これにより全アルト・ペルーが抗議の声を上げ始めた。

チェ・ゲバラ
エルネスト・ラファエル・ゲバラ・デ・ラ・セルナ(Ernesto Rafael Guevara de la Serna、1928年6月14日 - 1967年10月9日)は、アルゼンチン生まれの政治家、革命家で、キューバのゲリラ指導者。1928年にアルゼンチン第二の都市ロサリオでバスク系アルゼンチン人とアイルランド系アルゼンチン人の両親のもとに誕生する。両親はカトリック国であるアルゼンチンの保守的な慣習にとらわれない比較的リベラルな思想の持ち主であった(母のセリアは無神論者でもあった)。幼い頃は痙攣を伴う喘息の発作で生命の危機に陥ることがあり、その度に酸素吸入器を使用して回復するという状態であった。しかしラグビーなど激しいスポーツを愛好し、プレイ中に発作を起こしては酸素吸入器を使用し、また試合にもどっていた。ブエノスアイレス大学で医学を学ぶ。在学中の1951年に年上の友人のアルベルト・グラナードとともにオートバイで南アメリカをまわる放浪旅行を経験した。旅の過程で、チリの最下層の鉱山労働者やペルーのハンセン病患者らとの出会いなど、当時比較的裕福であったアルゼンチン以外の南米各地の状況を見聞するほか、ホセ・カルロス・マリアテギの著書に影響を受けマルクス主義に共感を示すようになった

フランスの作家レジス・ドブレは、革命軍に帯同した際のゲバラの印象を「好感は持てないが、驚嘆に値する人物」と評した。他にもジャン=ポール・サルトルから「20世紀で最も完璧な人間」、ジョン・レノンには「世界で一番格好良い男」、カストロには「道徳の巨人」「堅固な意志と不断の実行力を備えた真の革命家」と評された。一方でアメリカ寄りの国々・人々の間では評価されていない。


ペドロ・ドミンゴ・ムリーリョ
(1757年〜1810年), アルト・ペルーの愛国者であり、ボリビア独立の先駆者としても知られる。1757年9月17日ラパス生まれ。ラパスの資産家の生まれで、彼の父親は神学生で彼が生まれた後に神父となったフアン・シリアコ・ムリーリョ、母親はマリー・アセンシア・カラスコというクリオーリョ女性だった。1809年の愛国運動を記念した催し物が行われる。この催し物は殉職者の家にある自由のトーチに火を灯すことからはじめられ、その後、ラパス市内中心部をパレードする。パレードに参加する市民は、手にペドロ・ドミンゴ・ムリーリョを象徴するトーチを持ちつことから、このパレードは「トーチのパレード」と呼ばれる。

ペドロ・シモセ
(Pedro Shimose Kawamura、1940年3月30日 - )は、現代ボリビアにおける国民的詩人であり、ジャーナリスト、作詞家。少年時代は主にリベラルタで教育を受けた。19歳でボリビアの中心部ラパスにある名門サン・アンドレス大学に入学する。 しかしその後中退してヨーロッパへ留学するため旅立つ。彼の詩は政治的な非常にひらめきのある言葉で有名であった。その詩はボリビア国民にナショナル・アイデンティティを植え付け、かつ人々を社会的抑圧から解放した。

ウゴ・バンセル・スアレス
1926年5月10日 - 2002年5月5日は、ボリビアの軍人、独裁者。2度ボリビア大統領を務めている。1度目は1971年8月22日から1978年7月21日までの間クーデターにより着任、2度目は1997年8月6日から2001年8月7日までの間公式に選出されて着任。バンセルはドイツ移民の子孫として生まれ、ボリビア・アルゼンチン・ブラジル・アメリカ合衆国の軍学校に通った。合衆国ではテキサス州のフォートウッドにある装甲騎兵隊学校や、パナマ運河(当時、現在は米ジョージア州に所在)のスクール・オブ・ジ・アメリカス(米軍が南米の軍人に、「反乱の鎮圧」として、拷問や殺害の技術を教え訓練する悪名高い施設)に通っていた。

フリオ・セサール・バルディビエソ
(Julio Cesar Baldivieso Rico、1971年12月2日 - )はボリビア出身の元サッカー選手、サッカー指導者。現役時のポジションはミッドフィールダー。1994年のFIFAワールドカップアメリカ大会出場に司令塔として貢献、ボリビアのワールドカップ出場は44年ぶりだった。本大会でも2試合に出場した。

カルロス・ボルハ
(Carlos Fernando Borja Bolivar、1960年12月25日 - )は、ボリビア・コチャバンバ出身の元サッカー選手。ボリビア代表である。ポジションはMF。クラブはクラブ・ボリバル一筋で、1977年から1997年までの20年間に532試合に出場して129得点を挙げた。その間に3度の得点王に輝いた。129得点は歴代11位の記録(2009年5月時点)である。

フレディ・マエムラ
Ernesto Freddy Maymura、1941年10月18日 トリニダード - 1967年8月31日 サンタクルス県)は、日系ボリビア人の医師、革命家。1941年10月18日、父Junkichi Maemura (1894年、鹿児島生まれ)の元に三男としてボリビアで誕生。1962年、キューバへ奨学生として留学。1967年、チェ・ゲバラに参軍し、ボリビア反政府ゲリラに拠る。『ゲバラ日記』にはエルネスト、エル・メディコ(医師)と言及される。1967年8月31日、政府軍により銃殺。享年25。

マリアーノ・メルガレホ
(Manuel Mariano Melgarejo Valencia,1820年4月13日 - 1871年11月23日)は、ボリビアの政治家、軍人。「野蛮カウディージョ」の異名を持つ奇行と蛮行で有名な同国史上最も悪名高い独裁者である。メスティーソの非嫡出子としてコチャバンバで生まれ、17歳で軍隊に入りラ・パスの軍司令官となった。1864年にそれまで影で権力を握っていた前大統領マヌエル・イシドロ・ベルスを暗殺し政権についた。

ホルヘ・ウィルステルマン
(Jorge Wilstermann Camacho、1910年4月23日 - 1936年1月17日)は、ボリビア人初の民間人パイロット。1910年4月23日に、コチャバンバの近くのプナタに生まれる。父親は、ドイツ系の子孫でLAB航空の技術者であった。コチャバンバにある国際空港のホルヘ・ウィルステルマン国際空港にその名が残る。

ロルヒオ・アルバレス
(Lorgio Alvarez Roca, 1978年6月29日 - )は、ボリビア・サンタクルス出身のサッカー選手。クラブ・ボリバル所属。ボリビア代表である。ポジションはディフェンダー。2001年、2004年、2007年の3回のコパ・アメリカに出場した。ペルーで開催された2004年大会では驚くべきゴールを決めた。

ビクトル・ウーゴ・アンテロ
(VIctor Hugo Antelo、1964年11月2日 - )は、ボリビア出身の元サッカー選手。ボリビアリーグ通算350得点は同リーグの歴代最多記録である。ボリビアリーグ得点王のタイトルを7回獲得、1998年には12試合連続得点を記録しリーグ通算得点歴代2位のファン・カルロス・サンチェスの連続得点記録を破った。

マルコ・エチェベリ
(Marco Antonio Etcheverry Vargas, 1970年9月26日 - )は、ボリビア出身の元同国代表サッカー選手。ポジションはMF。ボリビア国内の選手養成機関タウイチ・アカデミーでサッカーを学び、ボリビアのボリバルやチリのコロコロでプレーした後、1995年に誕生して間もないアメリカのMLSに所属するD.C. ユナイテッドへ移籍する。

ボリビア Bolivia
南アメリカの共和制国家。国の面積はアメリカ大陸では8番目に、世界的には27番目に大きい国である。かつてはもっと大きかったが、周辺国との戦争に負け続けたために現在では最大時の半分ほどになってしまった。北と東をブラジル、南をアルゼンチン、南東をパラグアイ、南西をチリ、北西をペルーに囲まれた内陸国である。憲法上の首都はスクレだが、議会をはじめとした政府主要機関はラパスにある。

スクレ
スクレ(Sucre)はボリビア共和国の憲法上の首都(事実上の首都はラパス)である。ボリビア独立時の調印が行なわれた場所で、今も16世紀に建造されて以来蓄積されてきたコロニアル様式の古い町並みが残っている。白く美しい建物が多いため、「白の街」と呼ばれることもある。1538年9月29日にスペイン人コンキスタドールのフランシスコ・ピサロの指示によってペドロ・デ・アンスレス (Pedro de Anzures)が設立した。当初の名前はCiudad de la Plata de la Nueva Toledo(新トレドの銀の街の意)であった。後にこの地はチュキサカまたはチャルカス(Charcas)と呼ばれるようになった。(チュキサカは現在はスクレ市を中心とする県の名前になっている。)

ラパス
1548年10月20日にスペイン人アロンソ・メンドーサ(Alonso Mendoza)により設立された。設立当時の名称は「我らが平和の母の街」と呼ばれ、現在のラパス市の西隣にあるラハ(Laja)という場所が中心であった。その後、現在の谷底に中心が移された。中心街の標高は3600m強で、すり鉢状の地形を持つ。その高さから雲の上の町と呼ばれる。 おおざっぱに言うと、すり鉢の底の部分に高所得者が、縁の部分に低所得者が住んでいる。現在に至るまで人口は増え続けており、すり鉢の内側はほぼ飽和したために隣のエル・アルト(El Alto)に市街地が拡大している。そのため、市街地の上と下で、700mほどの標高差があると言われる。

コチャバンバ
Ciudad de Cochabambaはボリビアで3番目の規模の都市。コチャバンバ県の行政府所在地であり、県西部に位置する。アンデス山脈中の東西に伸びた盆地内にあり、標高約2,600m。気候は比較的温暖であり、果樹栽培などに適したバジェ (valle,渓谷)地方に属する。キリスト像と植物園が観光名所である。キリスト像は市内を見下ろす市内東部のコンコルディア (Concordia)の丘に建てられた。1987年7月に建設が開始され、1994年11月に完成した。手を左右に広げた立像で、高さは約34mあり、台座も含めると約40mになる。鉄及びコンクリート製で重量は2,200トンに及ぶという。

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外務省:ボリビア多民族国家
在ボリビア日本国大使館


サン・アンドレス大学
Universidad Mayor de San Andresは、ボリビアの大学。略称はUMSA(ウムサ)。事実上の首都ラパス市にあり、国内最高学府とされる。創立からラパス市の商業、政治および社会生活に重要な影響を与えている。1830年10月25日、国の最高法令によって創立された。本部は市内中心やや南寄りのビジャソン通り (calle Villazon)にある。茶色の真四角な高層ビルで、モノブロック (monoblock)と俗称されている。本部のある敷地に数学科や情報学科などがある他、市内の数カ所に工学部、経済学部などが点在する。また、チャカルタヤに宇宙線研究施設を持つ。

トマス・フリーアス自治大学
(Universidad Autonoma "Tomas Frias"、UATF)はボリビアポトシ県ポトシに本部を置くボリビアの公立大学である。1892年に設置された。


エル・アルト
El Alto:スペイン語で「高地」の意)は、ボリビアのラパス県の都市である。実質上の首都ラパス(憲法上の首都はスクレ)に隣接し、ラパス都市圏の一部を形成する。ラパス市街は峡谷の地形に構築されたが、エル・アルトはその南西に位置するアルティプラーノ(Altiplano)と呼ばれる高原平地にあり、標高4,150mで世界で最も標高が高い都市の一つである。

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エル・アルト国際空港
El Alto International Airportは、ボリビアの中心都市ラパス(憲法上の首都はスクレ)近郊のエル・アルトにある国際空港。1925年に新設空軍のための基地として建設されたもので、現在もボリビア空軍が運営し軍民共用となっている。世界最高標高の国際空港。標高4,000メートルを越す位置にあり、酸素濃度が薄くエンジンの燃焼効率、翼の揚力発生能力が低下するため、大型機でも離陸時に充分な加速が得られ、着陸時も安全な速度が維持できるようボリビア国内で唯一4,000メートルの滑走路を有している。

ホルヘ・ウィルステルマン国際空港
ホルヘ・ウィルステルマン国際空港は、ボリビアのコチャバンバにある国際空港。空港の名前は、ボリビア初の民間人パイロットのホルヘ・ウィルステルマンから。

ビルビル国際空港
ViruViru International Airportは、ボリビアのサンタクルスにある国際空港。Viru Viruはグアラニー語で平野の意味。その名の通り、サンタクルスの中心から北に15kmの平野のなかにある。


エルナンド・シレス競技場
(Estadio Hernando Siles)は、ボリビア最大の総合競技場である。45,000の観客が着席して観戦できる。この名称はボリビア第31代大統領、エルナンド・シレス・レイェス(1926年-1930年在任)にちなんで命名された。海抜は3,577m、世界一高い場所にある公的な競技場である。


チュキサカ県
(Chuquisaca)、とは、ボリビアの中央南部に位置する県である。北側がコチャバンバ県、南側がタリハ県、西側がポトシ県、東側がサンタクルス県とパラグアイ国境になっている。10個の郡で構成されている。県の北西部はアンデス山脈東側にあたり標高も3,000mを超えるが、南東部はグランチャコの一部でパラグアイ川流域につながる低地帯であり、標高も500m以下である。

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コチャバンバ県
Departamento de Cochabamba)は、ボリビアのほぼ中央にある県。行政府所在地はコチャバンバ。他の主な町としてはサカバやトトラなどがある。県土の中央から西部にかけては、アンデス山脈中にあり、バジェ (valle,渓谷)地域に分類される。乾燥した温暖な気候であり、コチャバンバの平均気温は18度、年間降水量は約500mm。山地の標高は4,000mを越えている。

ラパス県
Departamento de La Paz)はボリビアのアンデス地方にある県。事実上の首都ラパス市、チチカカ湖、ユンガス地方などを含む。チチカカ湖からラパス市方向の南側一帯は、標高4000mくらいの広大な平地になっている。この一帯はアルティプラーノと呼ばれる。

オルロ県
Departamento de Oruro)は、ボリビア中西部にある県。行政府所在地は県北東部にあるオルロ。アンデス山脈中の標高約3,700mの高地(アルティプラーノ)にあり、東縁は4,000m級と西縁は5,000m級の山岳地帯であるが、県央部は平原が広がっている。

パンド県
(Departamento de Pando)は、ボリビア北部の県。中心都市はコビハ。人口は約60.995人。熱帯性気候で県土の大部分は森林や川で埋め尽くされている。低い土地は水害が多いことが特徴で、何ヶ月も水が引かないこともある。現在コビハの最も大きな経済活動は鉱業とアーモンド生産で、その大部分がブラジルに輸出されている。鉱業では金、リチウム、朱、チタン鉄鉱、ボーキサイト、宝石などが見つかっている。

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ポトシ県
Departamento de Potosi)は、ボリビアの南西部の県。行政府所在地は北東部にあるポトシ。県土はアンデス山脈中に位置し、東部は標高4,000m以上の山脈地帯である。ノルテ・ポトシ (Norte Potosí) とは、ポトシ県の北部のこと。先住民はケチュア系が占める。この地方は、土地がやせていて、さらに水も少ないため、ボリビア国内でも最も貧しい地域のひとつとされている。また、この地のフォルクローレは、ボリビア国内でも特徴的なものである。小型の弦楽器チャランゴは、この地に起源があるのではないかと推測されている。

サンタクルス県
Departamento de Santa Cruz)は、ボリビアのアマゾン地方に広がる県。ボリビアで最大の面積を持つ県である。ブラジルとパラグアイとの国境を持つ。温暖な気候を持ち、農業が盛んである。ユネスコの世界遺産に1990年に登録されたチキトスのイエズス会伝道所、1998年に登録されたサマイパタの砦、2000年に登録されたノエル・ケンプ・メルカード国立公園はいずれもサンタ・クルス県内にある。

ベニ県
Departamento del Beni)は、ボリビア北西部の県。8つの郡で構成されている。行政府所在地はトリニダ。主な町としては、リベラルタやマグダレナなど。県の南西端にアンデス山脈東縁がかかり、標高約1,500mほどの山地となっているほかは、アマゾン川上流地域にあたり、標高400m以下の低平な地帯が県土の大部分を占める。

タリハ県
Departamento de Tarija)は、ボリビアの県の一。ボリビア最南部に位置し、北側がチュキサカ県、西側がポトシ県と接し、南側がアルゼンチン国境、東側がパラグアイ国境になっている。気温は20度から30度の温暖な気候で、適度な雨が降り作物がよく育つ。大麦、トウモロコシ、サトウキビや、多種の果物がとれる。ボリビア国内では良質のブドウの産地として有名で、ワインやシンガニ(ブドウから作る蒸留酒)の名産地である。

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タラブコ
(Tarabuco)とは、ボリビアのチュキサカ県にあるちいさな町。 スクレからバスで約2時間のところにある、山間の町である。伝統的な衣装を身につけた人々と、特徴的な祭りで有名。 ケチュア語が多く話されているが、スペイン語もほぼ通じる。以前はチチカカ湖周辺に住んでいた人たちがインカ帝国に追われてこの地にやってきたと言われている。

タリハ
(Tarija)は、ボリビアにある市。タリハ県の行政府所在地であり、最大の都市である。県の西部に位置し、クアダルキビル川が形成した盆地の中にある。市街地の南東部にはキャピタン・オリエル・リー・プラザ空港が位置している。高等教育機関としてはプリビダ・ドミンゴ・サビオ大学がある。

コビハ
Cobijaは、ボリビアのパンド県の都市である。首都のラパスから北に約600kmの距離に位置する。アマゾン盆地に位置し、ブラジルと国境を接する。アマゾン川の支流であるアクレ川沿いに位置し、対岸にはブラジルの都市Brasilaiaがある。


ユンガス地方
Los Yungas)は、ボリビアの首都ラパス市の北東にあるラパス県の一地域であり、アンデス山脈の北東山麓にあたる。この温暖なユンガス地方では、コカ、コーヒー、サトウキビ、バナナ、パパイヤ、lacayotes(カボチャの一種)、lúcumas(熱帯産フルーツの一種)、アマランサス、achupallas や bromelias(パイナップル科の植物で帽子 (西: Chupalla) の材料)、トウモロコシ等が台地や段々畑で栽培されている。

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オキナワ移住区
Colonia Okinawa)は、ボリビアのサンタクルス県内にある日本人入植地である。1954年にアメリカ統治下であった沖縄県から入植したのが始まりである。この入植はボリビア政府の認可のもと、琉球政府と琉球列島米国民政府が共同で募集した計画的集団移民である。1969年以降は日本政府に移譲され、国際協力機構(旧国際協力事業団、JICA)が援助を続けている。

サンフアン・デ・ヤパカニ移住区
(San Juan de Yapacaní)は、ボリビアのサンタクルス県内の市。1950年代から日本人移住者が住み、ボリビア国内にあって日本語が通じる町を作っている。現在は、日本からの移住者の子供や孫(いわゆる日系2世、3世)が中心となってきている。第二次世界大戦後に主に九州地方から移り住んだ人とその子孫が多く暮らしている。


イゲラ
La Higuera、スペイン語で「イチジクの木」の意)は、ボリビアの小さな村。サンタクルス県にあり、サンタクルス市から南西に150kmほど離れた場所にある。チェ・ゲバラが殺害された村として有名である。1967年10月8日、アルゼンチン生まれの革命家であるチェ・ゲバラがボリビア軍によりふくらはぎを打ち抜かれ、捕縛されたのが、この村のすぐ近くのチュロ渓谷 (Quebrada del Churo)であった。チェ・ゲバラは学校に連れ込まれ、翌日殺害された。遺体はバジェグランデに運ばれ、しばらく晒しものにされた後、密かに滑走路に埋められた。1997年に、ゲバラの遺骨が掘り返され、キューバに返還された。

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リベラルタ
(Riberalta)は、ボリビアのベニ県の北部にある町である。アマゾン川の流域にあり、ブラジル国境にごく近い。人口8万人ほど。1908年頃、ペルーから日本人が50〜150人程度の規模で移住してきた。当時、天然ゴムの需要が高く、日本人移住者の多くはゴム採集またはゴム工場建設の労働に就いた。最盛期では千人以上の日本人がリベラルタとその周辺に居住していたとされる。近年は、国際協力機構(旧国際協力事業団, JICA)の援助も多く入り、青年海外協力隊や日系社会シニアボランティアなどが日本語教育などの活動を行なっている。


■国名
公式の英語表記は Plurinational State of Bolivia。通称は Bolivia となっている。独立前はアルト・ペルー(上ペルー、高地ペルー)と呼ばれていたが、独立に際してラテンアメリカの解放者として知られるシモン・ボリバル将軍と、アントニオ・ホセ・デ・スクレ将軍に解放されたことを称えて、国名をボリビア、首都名をスクレ(旧チャルカス)と定めた。

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1.面積:110万平方キロメートル(日本の約3倍)
2.人口:1,043万人(2010年 国家統計局)
3.首都:ラパス(憲法上の首都はスクレ)
4.民族:先住民55%、混血32%、欧州系13%
5.言語:スペイン語(他にケチュア語、アイマラ語)
6.宗教:国民の大多数(95%以上)はカトリック教

1825年 スペインより独立
1964年〜1982年 軍事政権
1982年〜1985年 シーレス・スアソ大統領(民政移管)
1985年〜1989年 パス・エステンソロ大統領
1989年〜1993年 パス・サモラ大統領
1993年〜1997年 サンチェス・デ・ロサダ大統領
1997年〜2001年8月 バンセル大統領
2001年〜2002年 キロガ大統領
2002年8月〜2003年10月 サンチェス・デ・ロサダ大統領
2003年10月〜2005年6月 メサ大統領
2005年6月〜2006年1月 ロドリゲス大統領
2006年1月〜現在 モラレス大統領

■主要産業:鉱業(亜鉛、錫、鉛)、農業(大豆、木材、砂糖)

■主要貿易品目(2009年国家統計局)(1)輸出 天然ガス、亜鉛、鉛、銀、大豆、錫(2)輸入 自動車、鉄鋼製品、ゴム製品


ボリビアーノ
(boliviano) は、南米・ボリビアの通貨単位。複数形はボリビアーノス(bolivianos)。 略称Bs(単数形複数形とも)。在ボリビアの日本人は「ボリ」と略して呼ぶことが多い。ボリビア人の日常会話では、1986年まで使用されていた"ペソ"と呼ばれることも多い。1, 2, 5ボリビアーノスは硬貨で、10, 20, 50, 100, 200ボリビアーノスは紙幣である。


■政治
大統領を元首とする共和制国家であり、国家元首である大統領は、行政府の長として実権を有する。任期5年。選挙は、大統領候補と副大統領候補がそれぞれペアとなり立候補し、国民は直接選挙により数組の中から1組を選出する。建国以来政治的に非常に不安定なため、クーデターが起こりやすい政治文化があり、過去百回以上のクーデターが起きている。

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民族革命運動党
(Movimiento Nacionalista Revolucionario : MNR)はボリビアの政党。20世紀のボリビアの歴史で最も重要な役割を果たした政党。略称のMNR(エメエネエレ)と呼ばれる事が多い(本稿も以降MNRと表記する)。


ボリビアガス紛争
ボリビアの膨大な天然ガス資源にまつわる国内紛争である。元は天然ガスの輸出計画に対する反対行動であったが、政府のコカ廃絶政策に対する反発や、ストライキに対する武装鎮圧部隊の強硬な措置などが絡み合って激化してゆき、2003年10月にピークに達した。先住民や労働者団体によるストライキや道路封鎖が頻発し、国政が行き詰まりをみせ、武装部隊による鎮圧行動は70人に及ぶ死者を出すに至った。


ペルー・ボリビア連合
(Peru-Bolivian Confederation)は、南アメリカに1836年から1839年の短期間存在した国家連合。ペルーとボリビアを版図とし、首都はタクナに置かれた。1836年に ボリビア大統領のアンドレス・デ・サンタ・クルスは、ペルーの支配者アグスティン・ガマーラを破ってペルーを南ペルー共和国と北ペルー共和国に分けてボリビアと統合した。10月にペルー・ボリビア連合の成立を宣言し自らは終身・世襲の連合護民官になった。首都は南ペルー共和国のタクナに置かれコビハ、アリカ、カヤオ、パイタの計4港を自由港としその他の港から輸入される物品の課税率を引き上げて国内産品を保護した。

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ボリビア革命
ボリビア革命は南アメリカ大陸中部の国家ボリビアにおいて政権を奪取した民族革命運動党(MNR)が1952年から1964年にかけて実施した社会改革および経済改革を指す呼称。1942年12月、軍によるカタビ鉱山労働者虐殺事件を契機としてMNRはスズ鉱山労働者の組織化に注力し、労働者層の支持を取り付け急速に勢力を拡大した。1951年5月6日の選挙で勝利を収めた後、これを認めない軍部に対してMNRは鉱山労働者や国家警察部隊と結託してラパスにて武装蜂起し、パスとシレスがそれぞれ正・副大統領に就任した。

コチャバンバ水紛争
ボリビアのコチャバンバで2000年1月から4月にかけて発生した一連の抗議行動。コチャバンバでは、1967年より水道事業を担っていた SEMAPA(市営上下水道サービス公社)が世界銀行の主導によって民営化され、民間会社であるロンドン国際水供給会社(International Waters Limited of London : IWL)が上下水道事業の40年間のコンセッション契約を受注した。IWL社は米ベクテル社(Bechtel Corporation)の完全子会社で、コチャバンバでは「トゥナリ水供給会社(Aguas del Tunari)」と称した。

チャコ戦争
Guerra del Chaco)とは、1932年から1938年にかけてボリビアとパラグアイの間で行なわれた戦争。両国の未確定国境地帯であったグラン・チャコに石油の埋蔵があるという仮説を受けて、その地域の国境を確定させ、また国土拡大の為にボリビアの先制攻撃で始まったが、戦闘はパラグアイが優勢となった。周辺国とアメリカの仲介によるブエノスアイレス講和条約で戦争は終結した。


■セロ・リコ銀山
1545年、スペイン人により発見された銀山。セロ・リコ (Cerro Rico) とはスペイン語で豊かな丘という意味である。以後、スペイン統治下で中南米三大銀山に数えられるまでになる。しかし銀の掘削は、生き残った場合は高額の賃金が支払われるものの、強制的に集められたインディオの奴隷により行われた。一説には、800万人が犠牲になったといわれ、人を食う山として恐れられた。

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■言語
言語はスペイン語、ケチュア語、アイマラ語、グアラニー語が公用語である。田舎ではケチュア語、アイマラ語、グアラニー語が用いられているが、スペイン語を全く解さない人は近年少なくなってきている。都市部ではスペイン語以外の言葉を話せない人の方が多い。

グアラニー語
Guaraniは、トゥピ語族のトゥピ・グアラニー語族に属する南アメリカ先住民の言語である。ボリビアでは他の先住民言語とともに公用語のひとつとして、アルゼンチンのコリエンテス州ではスペイン語に次ぐ第二公用語に指定されている。

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■音楽
ボリビアの音楽は土着の音楽が発達したアウトクトナ音楽と、ヨーロッパから持ち込まれた音楽を基盤に都市で発達クリオージャ音楽に大きく分けられるが、どちらもフォルクローレと呼ばれる。ボリビア全体がフォルクローレの里と呼ばれるが、特にオルロとポトシが有名である。オルロでは年に一度、世界遺産にも指定されているカルナバル(カーニバル)が行なわれるが、これはクスコ、リオデジャネイロと並んで南米三大祭りの一つといわれる。主なリズムとしてはワイニョ、クエッカ(クエッカ・ボリビアーナ)、バイレシートなど。


コンドルは飛んでいく
El Condor Pasa)とはアンデスのフォルクローレの代表的な曲である。1970年にアメリカ合衆国の歌手コンビ、サイモン&ガーファンクルによってカバーされ日本やその他の国々に広く知られるようになった。この曲は1913年にペルー人作曲家であり民俗音楽研究家であったダニエル・アロミア=ロブレスが、自身で採譜した伝承曲のメロディをモチーフにして書いたオペレッタの序曲として発表された。


ケーナ
ケーナ(quena)は、南米ペルー、ボリビアなどが発祥の縦笛(気鳴管楽器)である。縦笛で、表側に数孔と裏面1孔。表側の穴は、古くは3〜4孔だったが、現在は西洋音階に対応するため、6孔が標準である。リードがなく、上部にあるU字またはV字型の切り込みが歌口で、そこに息を吹き付けることで音が出る。材料としてはもともとはカーニャと呼ばれる葦が用いられていた他、遺跡からの出土品では、動物の骨を使ったものも発見されている。現在は楽器としてある程度以上の水準のものは、葦よりも格段に硬い材質の竹(バンブー材)または木で作られることが多い。

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サンポーニャ
南米アンデス地方の民族音楽フォルクローレに使われる笛の一種。先住民の言葉アイマラ語ではシーク(sicu)と呼び、またこの楽器を使用した合奏をシクリアーダ(sicuriada)と呼ぶ。南米の旧インカ帝国の文化圏内で用いられる、閉塞した葦の管を吹いて音を出すパンパイプと呼ばれる管楽器の一種である。元々は2人が1組になって、一方がドミソ〜と束ねた楽器、他方がレファラ〜と束ねた楽器を持ち、各人が自分の担当する音階を交互に吹鳴させて、あたかも一つの楽器で一曲を奏でているかのように旋律を織り成すという「コンテスタード(西:contestado /応えるの意)という奏法で演奏されていたことである。ただし、このような奏法がいつごろから行われているのかはわかっていない。現在の商業音楽化されたフォルクローレの中では、この2つの楽器を重ねて持って1人で演奏する奏法の方が一般的である。


チャランゴ
charangoは、南米アンデス地方周辺の民族音楽・フォルクローレに使われる40から60cmほどの弦楽器。もともとは、16世紀にスペイン人が持ち込んだギターの前身であるビウエラ・デ・マノが発展したもので、ボリビアのポトシ北部地方が発祥の地ではないかと推定されている。現在一般的な形のものは、マンドリンと同じくらいの長さで若干小型の胴体というサイズで、マンドリンに似て胴体は丸底のものが多い。

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フォルクローレ
アウトクトナ音楽:先住民がインカ時代以前から受け継いできたスタイルを基礎に置いていると考えられる音楽(実際には目に見えないかたちでヨーロッパ音楽の影響を少なからず受けているとも指摘される)。弦楽器を使わず、各種の笛と太鼓だけの合奏で演奏される。もともとは伝統的な祭りのための音楽として伝わってきたが、近年は商業音楽としてコンサートでの演奏やCDの録音なども行われている。
ノルテ・ポトシの音楽:ポトシ北部地方は、チャランゴの発祥の地ではないかと推定されており、現在もチャランゴの原型となった各種の弦楽器と、独特の奏法で現在も盛んに演奏されている。
エストゥディアンティーナ:学生が伝統的な衣装をまとってセレナーダを演奏する風習をエストゥディアンティーナまたはトゥーナと呼ぶ。スペインで生まれてメキシコやボリビア、ペルーなどラテンアメリカ各国にも伝わった。ボリビアのクエッカやバイレシートなど白人系のリズムの曲の中には、エストゥディアンティーナの演奏として世に出たものも多い。


ロス・カルロス
ロス・カルカス(Los Kjarkas)はボリビアのフォルクローレグループ。コチャバンバでエルモサ兄弟が中心となって1965年に結成された。1980年代はじめ、"Bolivia"と"Wa Ya Yay"の2曲の大ヒットにより、確固たる人気を得た。コーラスを重視したその演奏スタイルは以降の多くのグループの音楽に影響を与えた。1984年から91年にかけて数度来日公演を行っている。

ハイメ・ラレード
Jaime Laredo, 1941年6月7日 - はアメリカ合衆国のヴァイオリニスト・指揮者。ボリビアのコチャバンバ出身。5歳で音楽を始め、1948年に北米入りしてアントニオ・デグラスに学ぶ。フランク・ハウザーにも入門した後クリーブランドに移り、1953年にジョーゼフ・ギンゴールドに師事した後、カーティス音楽院でイヴァン・ガラミアンの薫陶を受ける。ヴィオラ奏者や室内楽奏者としても活躍し、アイザック・スターンやヨーヨー・マ、エマニュエル・アックスらとのコンビでピアノ四重奏団として録音を残した。カリクシュタイン=ラレード=ロビンソン・トリオとしても活動している。グレン・グールドと共演した録音も名高い。

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アントニオ・ホセ・デ・スクレ
1795年2月3日 - 1830年6月4日は南アメリカの諸国をスペインから独立に導いた軍人、政治家。第二代(初代はシモン・ボリバルが名目的な立場のみだったので事実上の初代)、ボリビア大統領。シモン・ボリバル(シモン・ボリーバルとも)の部下で良き理解者としても知られる。1795年、スペイン領ベネズエラ総督領東部、現スクレ州のクマナで生まれた。父はビセンテ・デ・スクレ、母はマリア・マヌエラ・デ・アルカラ。幼くして母をなくした。代々軍人の家系で、子供の頃から軍事教育を受け、要塞建築と砲術の知識を身に付けた。

エボ・モラレス
Juan Evo Morales Aima, 1959年10月26日 - )は、ボリビアの政治家であり、社会主義運動党 (Movimiento al Socialismo : MAS) を率いる。2005年12月18日の選挙で大統領に当選した(任期は2006年1月22日より)。ボリビア史上初めての先住民出身の大統領である。オルロ県でアイマラの農家に生まれた。最終学歴は中学卒であり、本人は「人生という大学で学んだ」としている。17歳で兵役に就いた他、様々な職を転々とした後、コチャバンバ県チャパレに移住し、コカの栽培農家となる(ボリビアにおいてはコカの栽培は合法である)。

シモン・ボリバル
1783年7月24日 - 1830年12月17日)は、南米大陸のアンデス5ヵ国をスペインから独立に導き、統一したコロンビア共和国を打ちたてようとした革命家、軍人、政治家、思想家である。ラテンアメリカでは「解放者」 (El Libertador) とも呼ばれる。多くの武将を配下にして使いこなし、特にアントニオ・ホセ・デ・スクレ将軍との親交は有名である。アメリカ大陸有数の資産家ボリバル家の男子としてさまざまな家庭教師を付けられた。このときの教師の1人シモン・ロドリゲスの考えがボリバルに大きな影響を与えている。

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ビクトル・パス・エステンソロ
1907年10月2日 - 2001年6月7日)はボリビアの政治家。1952年4月にMNRはボリビアの軍部による相次ぐクーデターと独裁を止めるべく革命を引き起こした。エステンソロが革命後の新政権の最初の大統領になり、1952年から1956年までの4年間務めた。その後の期間は政権を握る事が許されず、1956年から1960年まではシレスが大統領を務める事になった。

レネ・バリエントス・オルトゥーニョ
1919年5月30日 - 1969年4月27日)は、ボリビアの軍人、政治家。空軍軍人であり、1964年5月にビクトル・パス・エステンソロ大統領の下で副大統領を務めたが、64年11月の軍事クーデターで、エステンソロ大統領を国外に追放し、自ら「軍事評議会」議長となり、軍事政権を樹立し、ボリビア革命後のMNR体制を崩壊させた。


ゴンサロ・サンチェス・デ・ロサダ
1930年7月1日 - 、愛称ゴニ(Goni)はボリビアで2度大統領を務めた人物。シカゴ大学で文学と哲学を学ぶ。民族革命運動党(Movimiento Nacionalista Revolucionario : MNR)の党員。 人差し指と中指を立てる、いわゆるピースサインが彼のトレードマーク。国民の多くから「ゴニ」の愛称で呼ばれる。

カルロス・メサ・ヒスベルト
Carlos Diego Mesa Gisbert : 1953年8月12日 - はボリビア大統領。2003年10月17日に着任。それ以前は前大統領であるゴンサロ・サンチェス・デ・ロサダの下で副大統領を務めていたが、「ボリビアガス紛争」と呼ばれる激しい紛争によりサンチェス・デ・ロサダが辞任及び亡命したことにより着任した。同紛争の再燃により2005年6月6日に辞任。

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ハイメ・パス・サモラ
(Jaime Paz Zamora : 1939年4月15日 - )はボリビアの元大統領。1989年8月6日から1993年8月6日まで務めた。左派革命運動党 (Movimiento de Izquierda Revolucionaria, MIR)を1971年に創設し、以来ずっと党首を務める。同党は社会主義インターナショナルに加盟している。左派革命運動党のトレードマークは鶏である。このため、パス・サモラはしばしばガジョ(Gallo : 雄鶏)の愛称で呼ばれる。

エドゥアルド・ロドリゲス・ベルツェ
ボリビアの前暫定大統領。大統領職に就く前は最高裁判所の裁判長であった。天然ガス会社の民営化を巡る暴動により政治的混乱が起こり、前大統領であるカルロス・メサ・ヒスベルトは議会に辞任を申し出た。このとき、上院と下院の議長であるオルマンド・バカ・ディエスとマリオ・コシオがいずれも大統領職に就く事を拒否したため、暫定大統領就任順位が4番目である最高裁判所長にその椅子がまわることになった。

スルマ・ユガール
(Zulma Yugar、1952年1月6日 - )は、ボリビアの歌手、政治家。オルロ県オルロ県出身。フォルクローレの女王と呼ばれ、ボリビアの国民功労勲章に何度も選ばれているボリビアを代表する女性歌手である。日本でも1994年にベスト盤である『ボリビアの詩情』が発売されている。ユネスコ平和芸術家として大使に選ばれたことがある。2010年1月23日よりエボ・モラレス大統領により文化大臣に選ばれている。

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