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アンドラ公国
Principality of Andorra

ヨーロッパ

アンドラ/ナショナルジオグラフィック


 

■地理
国土面積は468km2であり、日本では金沢市の面積とほぼ等しい。ピレネー山脈東部に位置し、スペインとフランスにはさまれた山がちの内陸国である。スペインのカタルーニャ州リェイダ県、フランスのミディ=ピレネー地域圏アリエージュ県とラングドック=ルシヨン地域圏ピレネー=オリアンタル県に接する。


ピレネー山脈
フランスとスペインの国境が走る褶曲山脈である。ヨーロッパ大陸とイベリア半島を分ける山脈でもある。山脈はほぼ東西方向に延び、長さ430km、幅は定義にもよるが100km程度である。山脈の中央東寄りの位置にはミニ国家であるアンドラ公国がある。

アネト山
Anetoは、スペインにある山で、ピレネー山脈の最高峰。標高は3,404m。アラゴン州北部のウエスカ県にある。マラデタ山塊の最南端をなす。

コマ・ペドローザ
Coma Pedrosaはアンドラ西部に位置するピレネー山系の山。標高2942m 。アンドラの最高峰である。ふもとのアリンサル村を拠点に山頂までのトレッキングコースがある。コマ・ペドローザを中心とした周辺地域の自然は、ラ・マサナ教区の自然公園に指定され、保護されている。

マドリウ=ペラフィタ=クラロ渓谷
岩山や氷河、森林、湖といったピレネー山脈の自然の中に、集落や牧草地、山小屋、鉄の精錬所跡などが点在しており、700年以上にわたって山岳地域の人々が営んできた生活の文化的景観を世界遺産としたものである。


<歴史>
■8世紀
シャルルマーニュがピレネー山中においたスペイン辺境領の一つ、ウルヘル伯領を起源とする。のちにウルヘル伯より宗主権を獲得したウルヘル司教と、司教から条件付きで領主とされたフォワ伯爵家との間に争いが起き、調停案として
■1278年
両者を対等の共同統治者とする宗主契約が結ばれた。その後フォワ伯の権限は、ガストン4世の死後に歴代のナバラ王に伯位とともに受け継がれ、フランス王となるブルボン家のアンリ4世に帰した。王政廃止後はフランス大統領がこれを引き継いだ。
■1993年
アンドラは新憲法を制定、ウルヘル司教とフランス大統領を共同元首とする議会制民主主義を敷き、正式に独立国家となった。同年7月、国際連合に加盟した。


カタルーニャ語
スペイン東部のカタルーニャ地方に居住しているカタルーニャ人の言語。カタロニア語。インド・ヨーロッパ語族イタリック語派に属する。カタルーニャ地方のほか、バレンシア地方、バレアレス諸島、アラゴン地方のカタルーニャとの境界地域、南フランス・ルシヨン地方(北カタルーニャ)、イタリア・サルデーニャ州アルゲーロ市などに話者がいる。カタルーニャ語は、ピレネー山脈東部の南北両側麓で話されていた俗ラテン語から派生している。ガロ=ロマンス語、イベロ=ロマンス語、北イタリアで話されていたガロ=イタリア語の特徴と原点を同じくする。アラゴン連合王国のレコンキスタによって、カタルーニャ語は南へ西へ広がり、バレンシア州やバレアレス諸島で話されるようになった。15世紀、バレンシア黄金時代にカタルーニャ語文学は頂点に達する。しかし、ピレネー条約によってフランスへ割譲された北カタルーニャ(ルシヨン)ではカタルーニャ語の公での使用が禁止されてしまう。スペインにおいても、スペイン継承戦争の敗者であったカタルーニャでは、フェリペ5世が布告した新国家基本法によって、行政および教育の場でのカタルーニャ語使用が禁止された。

バスク語
euskaraは、スペインとフランスにまたがるバスク地方を中心に分布する孤立した言語で、おもにバスク人によって話されている。スペインのバスク自治州全域とナバラ州の一部ではスペイン語とともに公用語とされている。2006年現在、約66万5800人の話者がバスク地方に居住し、すべてスペイン語またはフランス語とのバイリンガルである。

ガリシア語
a lingua galega)は、インド・ヨーロッパ語族イタリック語派の1言語。スペイン北西部ガリシア州で主に使われている。ガリシア語は、カスティーリャ語(スペイン語)、フランス語、イタリア語、ポルトガル語、ルーマニア語と同様にラテン語から派生したロマンス語のひとつである。歴史的には古代ローマ帝国時代にガラエキアと呼ばれたプロウィンキアで話されていた俗ラテン語がその母体となっている。


スペイン辺境領
Spanische Mark、Marca Hispanicaは、フランク王国のカール大帝によって設置された辺境領。8世紀、フランク王国はイスラーム勢力(ウマイヤ朝)の侵入に悩まされるようになった。721年におけるトゥールーズの戦い、732年におけるトゥール・ポワティエ間の戦いなどがその代表として挙げられる。778年、カール大帝は自らピレネー山脈の南へと進軍し、イスラーム勢力の討伐を図ったが撤退を余儀なくされた。撤退後、イスラーム勢力の再侵入に備え、795年に辺境領を設置した。徐々に辺境伯領は勢力範囲を広げ、801年にはバルセロナを辺境領に加えた。このうち、ウルヘル伯領から今日のアンドラ公国が成立した。

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フランク王国
Royaumes francs、は、5世紀から9世紀にかけて西ヨーロッパを支配したゲルマン系の王国。最大版図はイベリア半島とイタリア半島南部を除く西ヨーロッパ大陸部のほぼ全域(今日のドイツ・フランス・イタリア・オランダ・ベルギー・ルクセンブルクに相当)に及び、この地域を統一支配した空前にして絶後の国家でもある。

ナバラ王国
Royaume de Navarre)は、中世のイベリア半島北東部パンプローナより興った王国。824年バスク人の首領アリスタがパンプローナで王として選ばれフランク王国に対する反乱を率いたことによる。ナバラの名は、7世紀のスペインでの西ゴート族の時代が終わりを告げた頃から登場している。

ブルボン家
Maison de Bourbon)は、ヨーロッパの王家で、フランス王家カペー家の支流の一つ。かつてのフランス王家、また現在のスペイン王家であり、さらに現在のイタリアの一部を治めていた家系もある。現在のルクセンブルク大公家も男系ではブルボン家の後裔である。ブルボン(Bourbon)の語源は、ケルト語で「泥」を意味する borvo もしくは borbo である。

ゲルマン民族の大移動
4世紀から5世紀にかけてヨーロッパと北アフリカで起きたゲルマン人の大移動のこと。この大移動をもって、ヨーロッパの古代と中世の画期とされる。375年、フン族に押されてゲルマン人の一派であるゴート族が南下し、ローマ帝国領を脅かしたことが始まりとされる。


カトリック教会
Ecclesia Catholica)はローマ教皇を中心とし、全世界に12億人以上の信徒を有するキリスト教最大の教派。「カトリック」の語源はギリシア語の「カトリケー普遍的)」やラテン語では「カトリクス(Catholicus)」等である。カトリック教会自身による定義は「教会憲章(Lumen Gentium)」にみられる「ペトロの後継者(ローマ教皇)と使徒の後継者たち(司教)によって治められる唯一、聖、カトリック、使徒的な教会」という表現にもっともよく表されている。カトリック教会の教説(教え)は「聖書と聖伝」という言葉であらわされるように、旧約聖書、新約聖書およびイエス・キリストと使徒の教えに由来し、教父たちによって研鑽され、多くの議論を経て公会議などによって確立されてきたものである。


カール大帝
742年4月2日 - 814年1月28日、アーヘンは、フランク王国の国王(在位:768年 - 814年)。カロリング朝を開いたピピン3世(小ピピン、714年 - 768年9月28日)の子で、カール1世ともいう。778年、カールはスペインのカタルーニャに遠征した。この時のカールの遠征を題材にしたのが『ローランの歌』である。ローランはカールの甥で最も危険な後衛部隊をひきいていたが、味方の裏切りにあいイスラム軍に包囲されてしまう。孤立無援のローランは助けを求めず、カールより賜った剣デュランダルで最後のひとりになっても戦った。このなかでカールは200歳を越す老騎士として登場する。

ニコラ・サルコジ
(Nicolas Paul Stephane Sarkozy de Nagy-Bocsa, 1955年1月28日 - )は、フランスの政治家。フランス第五共和政第6代大統領(2007年5月16日 - )及びアンドラ公国の共同大公。前国民運動連合党首。フランスの大統領としては異色の新保守主義者、新自由主義者とされる。ニコラ・サルコジが5歳のとき、父ポールが妻とニコラら3人の息子を見捨て離婚。後に他の女性と2回再婚している。ニコラは、母と母方の祖父に育てられ、貧しい少年時代を送る。母アンドレは、苦しい家計を支えるため、勉学を再開して弁護士となった。

ジュアン・エンリク・ビベス・イ・シシリア
(Joan Enric Vives i Sicilia, 1949年7月24日 - )は、アンドラの共同国家元首(共同大公)、ウルヘル司教。バルセロナ出身。2003年5月12日、ウルヘル司教に任命された。

ウルヘル司教
Obispo de Urgel )は、スペイン、カタルーニャ州のカトリック教会ウルヘル(カタルーニャ語:ウルジェイ)司教区の司教。ウルヘル司教は歴史的経緯により、フランス大統領とともにアンドラ公国の国家元首である共同大公を務める。2003年5月11日、1971年よりウルヘル司教を務めたジュアン・マルティ・アラニスが引退し、その地位をジュアン・エンリク・ビベス・イ・シシリアに譲った。

ガストン4世 (フォワ伯)
(Gaston IV, 1422年 - 1472年7月)は、フランスの貴族。フォワ伯、ベアルン子爵、アンドラの共同君主、ナルボンヌ子爵。フォワ伯ジャン1世とジャンヌ・ダルブレの子。1436年、ナバラ王、のちアラゴン王となるフアン2世とナバラ女王ブランカの末娘であるレオノールと結婚し、以下の子をもうけた。

アンリ4世 (フランス王)
Henri IV、1553年12月13日 - 1610年5月14日)は、ブルボン朝初代のフランス国王(在位:1589年8月2日 - 1610年5月14日)、およびナバラ国王(在位:1572年6月9日 - 1610年5月14日)。ユグノー戦争で叔父コンデ公ルイが戦死したため、年少にしてユグノー(フランスのプロテスタント)の盟主となる。1572年、自身の婚礼に際して企てられたサン・バルテルミの虐殺に遭遇したが、改宗して難を避け、1576年に脱走して再びプロテスタントに復帰し、1589年のアンリ3世の暗殺により王位を継承する。

アンドラ公国 Andorra
ピレネー山中にあり、フランスとスペインに挟まれた国家。フランス大統領とスペインのウルヘル司教を国家元首とするミニ国家である。首都はアンドラ・ラ・ベリャ。国家元首である大公は、スペインのウルヘル司教とフォワ伯爵位を法的に継承するフランス大統領との二頭制である。その権限は、首相の任命等、儀礼的なものに限られる。この両名がアンドラに来訪することはほとんどなく、それぞれの代行者が来訪して、またはそれぞれの駐在代理官が委任を受けて、その権限を行使する。

アンドラ・ラ・ベリャ
Andorra la Vellaは、アンドラ公国の首都。 アンドラの南西部に位置し、地名はカタルーニャ語で「古いアンドラ」を意味する。フランスとスペインの国境地帯に聳えるピレネー山脈に位置するアンドラ公国の南西部にある。標高は1,409m。ヨーロッパの首都としては最高地点である。ケッペンの気候区分では温帯に属するが、スキーリゾートとしても名高い。新石器時代から人が住んでいた跡がある。アンドラは、イベリア半島のムーア人との緩衝地帯として8世紀にカール大帝によって設置されたスペイン辺境領の一つになる。1287年以来のフランスおよびカタルーニャのウルヘル司教の共同統治の時代から、アンドラ・ラ・ベリャはアンドラの中心都市として機能していた。共同大公の制度のため、アンドラは独自性を保ち続けた。

エスカルデス
Escaldes-Engordany教区は、アンドラ公国の教区の1つで、南部に位置する。1978年、アンドラ・ラ・ベリャ教区を分割する形で成立したもので、アンドラの教区の中では最も新しい。人口は16,918人(2005年)、面積は74km2。エスカルデスには、ピレネー山脈からの温泉(硫黄泉)を利用したスパ・リゾート、カルデア(Caldea)がある。特徴的な建物はフランスの建築家、ルオル(Jean-Michel Ruols)による。

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サン・ジュリア・デ・ロリア教区
アンドラ公国の教区の1つで、スペインと国境を接し、最も南に位置する。サン・フリア・デ・ロリアと表記されることもある。中心都市はサン・ジュリア・デ・ロリア。アンドラ・サッカーリーグのUEサン・ジュリアやFCサンタ・コロマやUEサンタ・コロマが本拠地を置く。サン・ジュリア・デ・ロリアにアンドラ大学がある。

アンカム教区
Encamp教区は、アンドーラ公国の教区の一つである。人口は10772人(2002年)。

オルディノ教区
(Ordino)教区は、アンドラ公国の教区の一つである。アンドラ人コミュニティの一つである、エル・セラットがある。人口は2485人(2002年)、面積は89km2。

カニーリョ教区
(Canillo)教区は、アンドラ公国の教区の一つである。人口は3205人(2002年)、面積は121km2。

ラ・マサナ教区
(La Massana)地区は、アンドーラ公国の教区の一つである。人口は6660人(2002年)、面積は65km2。


宗主国
宗主国(そうしゅこく)とは、実際の権力は対等もしくは逆転しているが格式や権威において上下関係を有するか、または格式や名目上の権威においては対等だが権限範囲において上下関係を有する諸国において、その最上位にあって他の関係諸国を下位とする国である。


外務省:アンドラ公国
在フランス日本国大使館(アンドラ公国兼轄)


アンドラ自由党
Partit Liberal d'Andorraは、アンドラ公国の自由主義政党。アンドラにおける最大政党である。自由主義インターナショナルと欧州自由民主改革党に加盟。2001年3月4日の選挙では、46.1パーセントの得票でアンドラ議会(渓谷総会)28議席中、16議席を獲得した。しかし、2005年4月24日の選挙では14議席に後退した。党首は前首相のマルク・フォルネ・モルネである。モルネは1992年に自由党を設立した人物でもある。2005年に同じく自由党のアルベール・ピンタートと首相を交代した。

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社会民主党
Partit Socialdemocrataは、アンドラの政党。社会民主主義を標榜する。社会主義インターナショナル加盟政党であり、欧州社会党にもオブザーバー加盟している。 2001年、2005年の渓谷総会(議会)選挙では第2党にとどまったが、2009年7月の渓谷総会選挙で半数の14議席を獲得して第1党となり、ジャウマ・バルトメウを首相に輩出した。


間接民主制
民主主義における政治制度の一つ。代表民主制、代議制ともいう。議会制民主主義(議会民主制)と同義である。選挙などのある一定の方法によって民意の代表者を選出し、自らの権力の行使をその代表者に信託することで、間接的に政治に参加しその意思を反映させる政治制度をさす。対になる概念として、直接民主制がある。現在、ほとんどの国が間接民主制だが、ハンガリーのインターネット民主党のように、昨今の技術革新を積極的に活用することで直接民主主義への復古を目指す政党も存在する。


タックス・ヘイヴン
tax havenとは、一定の課税が著しく軽減、ないしは完全に免除される国や地域のことである。租税回避地(そぜいかいひち)とも呼ばれる。タックス・ヘイヴンは、小さな島国など産業が発達しない国が、国際物流の拠点となることを促進するために作った制度である。貿易の拠点となれば定期的に寄港する船乗りなどが外貨を消費するため、海洋国家にとっては有利な方法だと考えられてきた。したがってタックス・ヘイヴン税制が適用される業種は、本来は物流セクターであった。


■商業
冬期のスキーやスノーボード、夏期のトレッキングやスパなどのレジャー産業が盛んで、タックス・ヘイヴンの上に成り立つ格安の宝石店、自動車パーツ店、免税店(ヨーロッパ全域のブランド品・タバコ・香水を扱う)でのショッピングを含めた観光業が基幹産業となっている。マドリウ=ペラフィタ=クラロ渓谷は世界遺産にも登録されている。


■国名
正式国名はカタルーニャ語で、Principat d'Andorra(プリンシパット・ダンドーラ)、通称、Andorra(アンドーラ)。フランス語では、Principauté d'Andorre(プランシポテ・ダンドール)、通称、Andorre(アンドール)、スペイン語では、Principado de Andorra(プリンシパード・デ・アンドーラ)、通称、Andorra(アンドーラ)、英語では、Principality of Andorra(プリンシパリティ・オブ・アンドーラ)、通称、Andorra(アンドーラ)である。国名はバスク語起源の語に由来すると推定されるが、詳細は不明である。

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1.面積:468平方キロメートル
2.人口:84,000人(2008年、国連統計部)
3.首都:アンドララベリャ
4.言語:カタルニア語(公用語)、スペイン語、ポルトガル語、フランス語
5.宗教:国民の大多数がカトリック
6.略史(1)10世紀以来、宗主のウルヘル司教と、司教から封土としてアンドラを与えられていたフォア伯爵との間で統治権をめぐる争いが発生した結果、両者は、1278年に対等の封建領主権(徴税権、裁判権、徴兵権)を共有する「対等の宗主契約」を結び、以後、両者がアンドラの共同領主となった。

(2)共同領主の地位は、司教側で現在に至るまで代々ウルヘル司教に引き継がれているが、フォア伯爵側では当時のフォア伯爵がフランス王(ブルボン朝初代のアンリ4世)として即位して以来、フランス国王に引き継がれ、フランス共和国となった後はフランスの国家元首(大統領)に継承されている。

(3)1993年2月には新憲法がアンドラ国会で可決、同年3月住民投票で賛成多数で承認され、アンドラは国家として独立した。フランス及びスペインは1993年6月1日に、アンドラ公国を主権国家として明示的に承認した。ただし、国家元首は引続きフランス大統領とウルヘル司教が共同元首。また、同年7月国連加盟国の全会一致で国連加盟が認められた。

■主要産業:観光業、サービス産業、タバコ産業


ユーロ
欧州連合における経済通貨同盟で用いられている通貨である。ユーロはヨーロッパでは23の国で使用されている。この23か国のうち17か国が欧州連合加盟国である。ユーロは準備通貨としてはアメリカ合衆国ドルの次に重要な通貨の地位を有していた。さらに、一時は第2の基軸通貨と呼ばれていた。しかし、近年のユーロ危機で、通貨連盟の矛盾が表面化しその存続を危ぶむ意見さえも出るようになってきている。

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■交通
国内の交通は自動車とバス、オートバイが一般的である。スペインとフランスとの間は幹線道路で結ばれており、特にバルセロナとの間には、高速道路が一部完成していることから交通量も多い。空港、港、鉄道はない。ヘリポートは存在する。

■情報通信
テレビ局とラジオ局がある(RTVA)。郵便はフランスおよびスペインの郵便局が配達、アンドラ国内の送料は無料。街中に両国の郵政公社によるポストが設置されている。インターネットの国別ドメインは.adである。

■産業
冬期のスキーやスノーボード、夏期のトレッキングやスパなどのレジャー産業が盛んで、タックス・ヘイヴンの上に成り立つ格安の宝石店、自動車パーツ店、免税店(ヨーロッパ全域のブランド品・タバコ・香水を扱う)でのショッピングを含めた観光業が基幹産業となっている。マドリウ=ペラフィタ=クラロ渓谷は世界遺産にも登録されている。スペインやフランスなどの周辺の国の人々の別荘も多く存在している。近隣の大都市であるスペイン・バルセロナからは、毎週末になると週末の観光を兼ねた買出し客が国境を超えて押し寄せることもあり、国境沿いの道路にはそれらの客を目的にした免税スーパーマーケットや免税ガソリンスタンドが軒を連ねる。


 

共和国大統領 (フランス)
フランスの大統領で、国家元首。アンドラ公国の大公も兼ねる。フランス第五共和政では当初、任期を7年とした(再選回数制限無し)。しかし、2000年の国民投票により、任期は5年に短縮された(当時は再選回数制限がに変更なし)。2008年7月21日、憲法が改正され、連続した任期は2期まで(連続した任期の最長は10年まで)に制限された。また議会における大統領の演説が可能になった。

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