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ブルンジ共和国
Republic of Burundi

アフリカ

■地理
西部にはタンガニーカ湖等が位置している。国土の多くが標高2000メートル程度の高原で、気候は熱帯に属するが、比較的涼しい。


中部アフリカ
中部アフリカは、アフリカ大陸を5つの地域に分けた場合の1地域を指す用語である。赤道付近の南北に位置することから、赤道アフリカと呼ばれることもある。まず、アフリカは、文化圏および人種の違いからサハラ砂漠の南北で大きく2つに分けられるが、中部アフリカは、南側のブラック・アフリカ(サブ・サハラ・アフリカ)に入る。そのうちの、ニジェール川流域より東側(おおよそ西経10度以東)、タンザニア西部地域に南北に走る大地溝帯よりも西側(おおよそ西経30度以西)、そしておおよそ南緯10度以北の範囲が、中部アフリカと呼ばれる。

キブ湖
Lake Kivuは、アフリカ中央部に位置する湖。コンゴ民主共和国南キヴ州とルワンダ西部州にまたがっており、湖の中ほどを国境が通る。およそ2700km2ほどの面積を有しており、その広さはアフリカ有数の規模である。海抜はおよそ1460メートル。アフリカ大地溝帯の一部であり、火山活動にともない成立した。かつては北のエドワード湖と結ばれていたと考えられている。


タンガニーカ湖
Lake Tanganyikaは、タンザニア西端にある淡水湖。タンザニア、ザンビア、コンゴ民主共和国、ブルンジに面する。古来よりこの地域には黒人が居住していたが、湖岸に平野部が少ないこともあり領域国家は長い間成立しなかった。16世紀になるとヴィクトリア湖から南の大湖地方に諸王国が相次いで成立するようになり、タンガニーカ湖地方においても北端にブルンジ王国が成立したものの、それ以南においては以後も領域国家は成立せず、部族単位の分立が続いた。


ルジジ川
Ruzizi Riverは、アフリカの河川。キブ湖南端から流出し、コンゴ民主共和国とルワンダ、ブルンジとの国境を南へ向かって流れ、タンガニーカ湖北端へと注ぐ。標高1500mのキブ湖から標高770mのタンガニーカ湖へと短い距離で流れ下る。ルジジ川流域南端は平地となだらかな丘で形成され、タンガニーカ湖に注ぐ河口にはデルタができている。全長117km。


ルンディ語
irundi, キルンディは、バントゥー語群の言語である。話者はブルンジおよびタンザニア、コンゴ民主共和国、ウガンダ各国の隣接する地域に約600万人いる。話者のおよその民族構成は、フツ84%、ツチ15%、トゥワ1%である。ルワンダ語と相互に理解可能である。

スワヒリ語
(Kiswahili)は、ニジェール・コンゴ語族のベヌエ・コンゴ語群(英語版)のバントゥー語群 に属す、アフリカ東岸部で国を越えて広く使われている言語。ケニア、タンザニア、ウガンダでは公用語となっている。


ムワミ
Mwami)とは、中部アフリカ東部の伝統的な君主号である。2009年現在、ムワミを元首とする国家は存在しない。過去の歴史において、ルワンダやブルンジ、さらにはコンゴ民主共和国東部に相当する地域の部族長がムワミを名乗り、自身の領土を統治した。欧米諸国の植民地支配を受けている期間でも、実質的に統治力を保持していた事例も多い。しかし、近代国家として独立する過程においてその全てが廃位された。


ドイツ植民地帝国
German colonial empire)は主に19世紀後半から第一次世界大戦までにかけて、ドイツ帝国が保有していた旧植民地の総称である。ドイツは統一国家の建設に他の西欧諸国に比べ遅れをとったため、18世紀のプロイセンによるグロース・フリードリヒスブルクなどがあったものの本格的な海外植民地の建設も遅い時期になった。しかしドイツ人が建設した事例は1526年にカール5世がフッガー家とならぶ金融業者ヴェルザー家に負債の棒引きを条件に、南米のいまのヴェネズエラの地域の全面的な統治権と司法権を譲渡したのが最も古い例である。

ルアンダ=ウルンディ
のちのルワンダとブルンジに存在したベルギーの植民地。委任統治の1924年から1945年までと、信託統治の1945年から1962年まで存在し、ルワンダとブルンジの独立により1962年に消滅した。20世紀初頭の現在のルワンダとブルンジには、ドイツ領東アフリカの3つの自治区のうちの2つ「ルアンダ」と「ウルンディ」がそれぞれ設置されていた(残りの1つは「ブコバ」、のちのタンザニアカゲラ州)。


ナショナルジオグラフィッック/ブルンジ
ブルンジでは、多数派のフツ族と支配層のツチ族の部族闘争が長期間続いていた。しかし2000年に和平合意が結ばれ、その合意に参加しなかったフツ族系武装勢力も2003年11月に停戦合意を締結、またフツ族系反政府勢力も2005年5月に和平合意にいたった。


フツ
フツ (Hutu) はアフリカ中央部のブルンジとルワンダに居住する「3つの民族」集団の中で最も大きな集団である。CIAによるとルワンダ人の84%、ブルンジ人の85%がフツである[2]。しかし統計により数%の違いがある。フツとツチは同じ宗教、同じ言語を共有している。文化的に見た場合、2つの集団の違いは民族性に基づいているというよりも階級的に分けられた、人工的なものである。

幾人かの学者が指摘するように、ドイツ及びベルギーの植民地支配がフツとツチの民族性の概念を作り上げるのに重要な役目を果たしたと考えられている。フツとその地域に居住する他の民族集団、特にツチとの間には文化的な違いはほとんど存在しない。

ツチ
1962年から1966年まで存続した中部アフリカの国家。現在のブルンジに相当する領域に成立していた。王朝がいつ頃から始まっていたかは定かでないが、16世紀に成立したとの伝承も存在する。現在のブルンジに相当する地域には、古くから先住民族の部族長による支配体制が確立していた。

しかし、1884年にドイツ帝国の侵攻を受け、その植民地(ドイツ領東アフリカおよびドイツ植民地帝国を参照)となり、白人の支配を受けるようになる。ただし、伝統としての王朝の系譜が途切れることはなかった。


<歴史>
■1884年
ドイツの植民地(ドイツ領東アフリカ、ドイツ植民地帝国)の一部になる。1918年、隣国ルワンダとともにルアンダ=ウルンディとしてベルギー領になる。1962年にムワミ(国王)を元首とするブルンジ王国としてベルギーから独立した。
■1966年
最後のムワミが廃されて王制が廃止され、ミシェル・ミコンベロを初代大統領とする共和国となる。その後、少数民族のツチ族による支配に不満をもつフツ族が、1972年
反乱をおこし1万人のツチ族を殺害する事件が発生する。
■1987年9月
国軍による無血クーデターでツチのピエール・ブヨヤ政権が誕生。民族融和を推進するが、民族間の抗争を止めることはできなかった。
■1996年7月
クーデターでブヨヤ大統領が暫定政権をつくるが、国際連合もアフリカ統一機構もこれを認めなかった。ブルンジに対して経済制裁が行われたが■1997年には緩和され、1998年から和平交渉が始まった。
■2003年
近隣諸国の仲介で和平協定が成立した。各民族の武装組織は政党化し、総選挙を経て2005年8月に挙国一致政府が成立した。
■2006年3月
主流派が交渉姿勢を示した。18日、政府との即時停戦と2週間以上に包括的停戦協定を締結するという枠組み合意に調印した。
■2008年12月5日
ブルンジ政府とFNLとの間に正式な和平と権力分担が合意され、ンクルンジザ大統領とアガトン・ルワサFNL議長が和平合意に調印した。


アフリカ連合
アフリカの国家統合体。アフリカ統一機構 (OAU) が、2002年に発展改組して発足した。エチオピアのアディスアベバに本部を置いている。アフリカ連合は、アフリカの一層高度な政治的経済的統合の実現及び紛争の予防解決への取組強化のため発足した地域統合体である。

アフリカ諸国と諸国民間の一層の統一性及び連帯性の強化、アフリカの政治的経済的社会的統合の加速化、アフリカの平和と域内紛争や独裁政治の根絶、安全保障及び安定の促進、民主主義原則と国民参加統治の促進、持続可能な開発の促進、教育及び科学等での協力、グローバリゼーション時代におけるアフリカ諸国の国際的な地位向上、等を目指している。


国際連合
United Nations、略称は国連(こくれん)、UN。)は、国際連合憲章の下、1945年に設立された国際組織である。主たる活動目的は国際平和の維持(安全保障)、そして経済や社会などに関する国際協力の実現である。2011年7月現在の加盟国は193か国であり、現在国際社会に存在する国際組織の中で最も広範・一般的な権限と、普遍性を有する組織である。


ブルンジ王国
1962年から1966年まで存続した中部アフリカの国家。現在のブルンジに相当する領域に成立していた。王朝がいつ頃から始まっていたかは定かでないが、16世紀に成立したとの伝承も存在する。現在のブルンジに相当する地域には、古くから先住民族の部族長による支配体制が確立していた。

しかし、1884年にドイツ帝国の侵攻を受け、その植民地(ドイツ領東アフリカおよびドイツ植民地帝国を参照)となり、白人の支配を受けるようになる。ただし、伝統としての王朝の系譜が途切れることはなかった。

ニュングェ国立公園
Nyungwe Forest National Parkは、ルワンダ共和国南西部にある国立公園である。園内には、アフリカ全体の25%にあたる13種の霊長類が生息するほか、275種の鳥類、1068種の植物、85種の哺乳類、32種の両生類、38種の爬虫類の生息が知られている。これらの種の多くは、アフリカのアルバーティーン地溝帯のみに生息する生息地域限定種である。


■主要産業
農業で、就業人口の9割を占める。主な輸出品はコーヒー、綿花、茶、砂糖、皮革。その他,鉱産物として超塩基性岩に伴うウラン,銅,コバルト,ニッケル鉱が採掘されている。これらの鉱床はタンザニアの超塩基性岩帯の延長部に存在する。


■住民
フツ族が85%、ツチ族が14%。

■言語
公用語がルンディ語とフランス語。また、スワヒリ語も話されている。


■宗教
キリスト教が67%、現地固有の宗教が23%、イスラム教が10%である。国民総幸福量のランキングでは、調査国178カ国中最下位である。


ジャン=バティスト・バガザ
Jean-Baptiste Bagaza, 1946年 - は、ブルンジの政治家・軍人で大統領。ツチ。現在は上院議員。大佐時代の1976年11月、クーデターでミシェル・ミコンベロ大統領から政権を奪取、軍事独裁機構として最高革命評議会を設立し、元首に相当する議長にはバガザ自身が就任。

事実上の独裁体制を敷き、同年11月2日には大統領に就任。しかしツチ優遇の行き過ぎ、汚職などで内外から批判が高まり、1987年にピエール・ブヨヤによるクーデターで失脚し追放された。

シプリアン・ンタリャミラ
Cyprien Ntaryamira, 1956年3月6日 - 1994年4月6日は、ブルンジの政治家で大統領(1994年2月5日 - 4月6日)。フツ。ベルギーの国連信託統治領ルアンダ=ウルンディのブジュンブラ近郊県のムビンビ・コミューンのマゲヨ地区で生まれ、小学校を卒業後、1972年のフツの反乱後の虐殺時にルワンダに逃れた。1982年キガリのルワンダ国立大学で農学を修めた。この頃社会主義運動に参加し、翌年ブルンジに戻った。

ドミシアン・ンダイゼイエ
(Domitien Ndayizeye, 1953年5月2日 - )は、ブルンジの政治家で大統領。フツ族。フツ族最大政党のブルンジ民主戦線(FRODEBU)党員。1972年にフツ族大虐殺が起こるとベルギーへ亡命し、その後隣国ルワンダへ移った。1993年に初のフツ族大統領(メルシオル・ンダダイエ)が誕生すると帰国したが、1995年2月に殺人未遂容疑で禁固刑を受け、1996年3月まで収監。

ジョン・ハニング・スピーク
(John Hanning Speke, 1827年5月4日 - 1864年9月15日) は、イギリスの探検家。ヴィクトリア湖とリポン滝の命名とハム仮説の提唱で知られている。デヴォンで生まれたスピークは1844年に17歳で英印軍の前身のイギリス東インド会社の軍に入隊し、コリン・キャンベルの元でシク戦争に従軍した。休暇にはヒマラヤを探検し、一度はチベットに渡った。

ミシェル・ミコンベロ
Michel Micombero、1946年-1983年は、ブルンジの軍人・政治家。1966年11月28日から1976年11月1日までブルンジの初代大統領を務めた。ミコンベロはブルリ県のルトヴで生まれ、1965年にベルギーの学校から帰国してすぐ国防長官に就任していた。

独立後のブルンジは急速に無秩序へと向かっていた。国王ムワンブツァ4世は政権を何度も交代させ、反ツチ軍は同じく混乱しているルワンダから攻撃を繰り返した。

リチャード・フランシス・バートン
(Sir Richard Francis Burton, 1821年3月19日 - 1890年10月20日)は、イギリスの探検家、人類学者、作家、言語学者、翻訳家、軍人、外交官。当時は超有名人であり、死後は『アラビアン・ナイト』(千夜一夜物語)の翻訳で知られている。19世紀の大英帝国を代表する冒険家である。1857年、東アフリカのナイル川の源流を探す旅を友人の探検家ジョン・ハニング・スピークとともに加わり苦難の末、1858年にタンガニーカ湖を「発見」した。

メルシオル・ンダダイエ
Melchior Ndadaye, 1953年 - 1993年は、ブルンジの政治家で大統領。フツ族。1993年の選挙でブルンジ民主戦線(FRODEBU)から出馬し当選、同国初のフツ族大統領となり、少数派ツチ族による支配から多数派フツ族の統治へと移行させたが、同年10月にツチ族強硬派により暗殺された。

アロイス・ニジガマ
Aloys Nizigama、1966年6月18日 - は、ブルンジ共和国の陸上競技選手。専門は長距離種目。身長168cm体重55kg。MDI、日清食品に所属し日本を拠点に活躍した。アトランタオリンピックおよびシドニーオリンピック男子10000mブルンジ代表。

アトランタオリンピックでは4位入賞の成績を残した。高校まで陸上競技の練習はおろかスパイクも履いたことがなかったが、デュードネ・クイゼラの実家が営む飲料販売会社で従業員として働いていた頃に出場した試合では、3000m・5000m・10000mのブルンジ国内記録を樹立するほどの速さを見せたという。

ピエール・ンクルンジザ
Pierre Nkurunziza, ヌクルンジザとも、1963年12月18日 - はブルンジの政治家で大統領。フツ。フツ系出身としては選挙で選ばれた2人目のブルンジ大統領となる。首都ブジュンブラ生まれ。父ユスタシュ・ンガビシャ (Eustache Ngabisha) はフツの政治家で、1965年にブルンジ国会の議員となる。のちに2州の知事を歴任するが、フツの虐殺が起きた1972年に殺害された。母はツチである。

シルヴェストル・ンティバントゥンガニャ
Sylvestre Ntibantunganya、1956年5月8日-は、ブルンジの政治家。フツ人。1994年4月6日から1996年7月25日まで、ブルンジの大統領を務めた。ンティバントゥンガニャは1956年5月8日にギテガ県のギスビに生まれ、フツ族の政党であるブルンジ民主戦線に所属する政治家となり、1993年には外務大臣に就任していた。

その後、シプリアン・ンタリャミラ大統領の下で国会議長となったが、ンタリャミラが1994年4月6日にルワンダのキガリ空港で乗っていた飛行機が撃墜され死亡する(ハビャリマナとンタリャミラ両大統領暗殺事件)と、憲法の規定により暫定大統領となり、同年10月には正式に大統領となった。

ブルンジ Burundi
中部アフリカの内陸に位置する国家。ルワンダ、コンゴ民主共和国、タンザニアと国境を接している。多数派のフツと少数派のツチの間で対立があり、1962年の独立以降たびたび衝突し、1993年には内戦にまで発展している。

内戦と経済制裁によって、アフリカの中でも経済開発が遅れている国のひとつ。世界銀行によればブルンジの1人あたりGNIは160ドル(2010年)で世界最下位である。

ブジュンブラ
Bujumburaは、ブルンジ共和国の首都である。人口300,000人(1994年)。南緯3度22分34秒 東経29度21分36秒、タンガニーカ湖の北東に位置し、ブルンジ最大の都市で、同国の政治及び経済の中心。主な工業製品はセメント 石鹸。


ブジュンブラ国際空港
Bujumbura International Airportは、ブルンジ共和国の首都、ブジュンブラにある国際空港。


外務省:ブルンジ共和国
在ケニア日本国大使館兼轄


チビトケ県
ntara ya Cibitoke) はブルンジ北西部の県(州と訳されることもある)。北にルワンダ西部州、北東に南部州、東にカヤンザ県、南東にブバンザ県、南西にコンゴ民主共和国南キヴ州と接する。

県庁所在地は西部のチビトケ。ブジュンブラから北西方面へは国道5号線が走る。大地溝帯のキヴ湖とタンガニーカ湖を結ぶルジジ川 (Ruzizi River) (ルジジ谷)の東岸に位置し、東部にはニュングウェの森に続く熱帯雨林(キビラ国立公園)がある。

ムランヴィヤ県
ntara ya Muramvya)はブルンジ北西部の県或は州。県庁所在地は西部のムランヴィヤ。ムブイェ (Mbuye) のバミ(bami, 王)の都とムポツァ (Mpotsa) の王母の墓地が2007年5月9日に複合遺産として「ムランヴィヤ、ムポツァとンキコ=ムガンバの聖域の自然景観」の一部として世界遺産の暫定リストに掲載された。

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ブルリ県
Bururi Provinceは、ブルンジの県。ブルンジ17県のうちもっとも大きな県である。県都はブルリで、ほかに規模の大きな都市としてはタンガニーカ湖畔のルモンゲが挙げられる。ブルリ県には熱帯雨林のブルリ自然保護区、落葉性樹林のルモンゲ自然保護区、熱帯低地林のキグェナ自然保護区の3つの自然保護区がある。ブルリ県からは独立して連続3回の大統領を相次いで輩出したことで知られている。


ブバンザ県
(ntara ya Bubanza) はブルンジ北西部の県[1]。北にチビトケ県、北東にカヤンザ県、南東にムランヴィヤ県、南にブジュンブラ近郊県、ルジジ川を挟み西にコンゴ民主共和国南キヴ州と接する。

ブジュンブラ近郊県
Bujumbura Rural Province)は、ブルンジの県。首都ブジュンブラを取り囲むように県域が広がっている。元大統領のシプリアン・ンタリャミラはこの県の出身である。

カンクゾ県
Cankuzo Province)は、ブルンジの県(州と訳されることもある)。ブルンジ最東端に位置する。面積1,965 km2、県都はカンクゾ。カンクゾ県はカンクゾ、センダジュル、ギサガラ、ミシハ、キガンバの5コミューンからなる。

ギテガ県
(ntara ya Gitega) はブルンジ中央部の県或は州。県庁所在地のギテガ(キテガ)にはブルンジ王国の首都が置かれていたが、ベルギー領ルアンダ=ウルンディ時代にウスンブラ(ブジュンブラ)に移転された。ブルンジ中心部にあるためピエール・ンクルンジザ大統領はギテガへの首都の再移転を唱えている。

カルジ県
(ntara ya Karuzi) はブルンジ中北部の県(州と訳されることもある)。県庁所在地は東部のカルジ。北東にムインガ県、東にカンクゾ県、南東にルイギ県、南西にギテガ県、北西にンゴジ県と接する。中心部にルヴブ川の支流のンドゥルム川、南の県境を北西から北東へにルヴブ川が流れ東部はルヴブ国立公園に指定されている。

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カヤンザ県
(ntara ya Kayanza) はブルンジの北西部の県(州と訳されることもある)。東にンゴジ県、南東にギテガ県、南にムランヴィヤ県、南西にブバンザ県、北西にチビトケ県、北にルワンダの南部州と接する。ルブブ川の上流に位置し、県庁所在地は北部のカヤンザで、西部にブジュンブラとブタレを結ぶ国道1号線が走る。

キルンド県
(ntara ya Kirundo) はブルンジ北部の県(州と訳されることもある)。県庁所在地はキルンド。南東にムインガ県、南西にンゴジ県、西にルワンダ南部州、北にコホハ湖、ルウェル湖を挟みルワンダ東部州と接する。

マカンバ県
ntara ya Makamba)はブルンジ南部の県。県庁所在地は北部のマカンバ。面積は1,960km2で1999年の推計人口は 357,492人[1]。6つのコミネ (komine) が置かれている。北東にルタナ県、北西にブルリ県、南東にタンザニアのキゴマ州、タンガニーカ湖を挟み西にコンゴ民主共和国の南キヴ州と接する。

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ムインガ県
(ntara ya Muyinga) はブルンジ北東部の県(州と訳されることもある)。1999年の推計人口は485,347人。県庁所在地はムインガ。

ムワロ県
ntara ya Mwaro)はブルンジ中西部の県或は州。県庁所在地はムワロで2000年にムランヴィヤ県から南部が分割され設置された。東にギテガ県、西にブジュンブラ近郊県、南西にブルリ県と接し、東西に国道18号が走る。1999年分の推計人口は 229,013 人。

ンゴジ県
(ntara ya Ngozi) はブルンジ北部の県。県庁所在地はンゴジ。面積は 1,474km2で、1999年の推計人口は 601,382人。北東にキルンド県、東にムインガ県、南東にカルジ県、南にギテガ県、南西にカヤンザ県、北西にルワンダの南部州と接する。

ルタナ県
(ntara ya Rutana) はブルンジ南東部の県或は州。北東にルイギ県、南東にタンザニアキゴマ州、南にマカンバ県、西にブルリ県、北西にギテガ県と接する。1999年の推計人口は244,939人で面積は 1,959km2。

ルイギ県
(ntara ya Ruyigi) はブルンジ東部の県或は州。北東にカンクゾ県、南東にタンザニアキゴマ州、南にルタナ県、西にギテガ県、北西にカルジ県と接する。国境に位置するためブルンジ内戦からタンザニアへ逃れた難民が帰還する地域の1つとなっている。


ブルンジ民主戦線
ブルンジ民主戦線(英語: Front for Democracy in Burundi略称:FRODEBU)は、ブルンジの進歩主義政党。1986年ブルンジ労働者党からメルシオル・ンダダイエの一派が離党して結成された。1992年政党として合法化される。2005年総選挙では得票率21.7パーセントで30議席を得、ブルンジにおける主要野党としての立場を確立した。

民主防衛国民会議・民主防衛勢力
民主防衛国民会議・民主防衛勢力Conseil National Pour la Defense de la Democratie−Forces pour la Defense de la Democratie、略称:CNDD-FDD)は、ブルンジの政党。ブルンジ内戦における最大の反政府勢力であり、内戦終結後はブルンジにおける全国規模の主要政党となった。 民主防衛国民会議 (CNDD) が政治部門、民主防衛軍(Intagoheka, FDD)は軍事部門であった。

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民族進歩連合
Union pour le Progres national、略称:UPRONA)は、ブルンジの政党。ツチを支持基盤とするナショナリズム政党である。民族進歩連合はブルンジ独立に大きな役割を果たした。1966年から1992年まで一党制の元で軍と共にブルンジを支配していた。多党制に移行後の選挙で1993年にメルシオール・ンダダエ率いるブルンジ民主戦線 (FRODEBU) に敗れた。

民族再生党
Parti pour le redressement national、略称:PARENAは、ブルンジの政党。1994年結成。党首はジャン=バティスト・バガザ元大統領(現、上院議員)。支持基盤はツチ/軍の非主流派[1]である。独立系少数党であるが、ピエール・ブヨヤの第二次軍事政権に1人の閣僚を出していた[1]。2005年の総選挙では、得票率1.7パーセントに終わり、議席を得ることはできなかった。

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1.面積:2.78万平方キロメートル
2.人口:850万人(2010年、UNFPA年)
3.首都:ブジュンブラ
4.言語:仏語(公用語)、キルンジ語(公用語)
5.宗教:カトリック65%、プロテスタント10%、伝統的宗教23%

17世紀頃 王国成立
1889年 ドイツ保護領
1922年 ベルギー委任統治
1946年 ベルギー信託統治
1962年7月 ベルギーよりブルンジ王国として独立
1966年 ミコロンベ首相によるクーデター、王政廃止
1976年 バガサ大佐による無血クーデター
1984年 大統領選挙(バガサ選出)
1987年9月 無血クーデターによりバガザ大統領失脚、ブヨヤ大佐が国民救済軍事委員会樹立
1992年3月 複数政党制を含む新憲法採択
1993年6月 複数政党制下初の大統領選挙(ンダダイエ大統領選出)
1993年10月 ンダダイエ大統領暗殺
1994年1月 国民議会は新大統領としてヌタリャミラを選出
1994年4月 ヌタリャミラ大統領事故死
1994年10月 ヌティバントゥンガニャ大統領選出
1996年7月 軍部クーデターによりブヨヤ元大統領が大統領代行に就任
1998年 ブヨヤ暫定大統領就任
2000年8月 アルーシャ和平合意
2001年11月 暫定政府の成立(ブヨヤ前期大統領就任)
2003年5月 ヌダイゼイエ暫定政権後期大統領就任
2003年11月 暫定政府と反政府勢力FDD間の和平合意署名
2005年2月 新憲法を国民投票により採択
2005年7月 上下院選挙実施
2005年8月 大統領選挙実施、ンクルンジザ大統領就任
2006年9月 FNLルワサ派との包括的停戦合意
2010年6月 大統領選挙、ンクルンジザ大統領就任

■主要産業:農業(コーヒー、茶等)
■主要貿易品目(1)輸出 コーヒー、茶、製造品(2)輸入 半加工品、資本材、消費材


ブルンジ・フラン
Burundian franc)は現在ブルンジ共和国で流通している通貨。補助通貨としてサンチームがあったがブルンジ政府が通貨を発行するようになってからサンチーム硬貨は作られておらず、国内にベルギー領コンゴ・フランが流通していたときに発行されたのみである。2009年2月現在の為替レートは1円=約12.5ブルンジフラン。ISO 4217コードはBIF。

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■政治
ブルンジは共和制、大統領制をとる立憲国家である。現行憲法は2005年2月28日に制定されたもの。国家元首である大統領は、国民の直接選挙により選出され、任期は5年。3選は禁止されている。内閣に相当する閣僚評議会のメンバーは、大統領が任命する。首相職は1998年6月12日に廃止され、現在は置かれていない。


■経済
内戦と経済制裁によって、アフリカの中でも経済開発が遅れている国のひとつ。世界銀行によればブルンジの1人あたりGNIは250ドル(2011年)で、2011年のデータのある国としては世界最下位から3番目である。(最下位はコンゴ民主共和国の190ドル)その他,鉱産物として超塩基性岩に伴うウラン,銅,コバルト,ニッケル鉱が採掘されている。これらの鉱床はタンザニアの超塩基性岩帯の延長部に存在する。


ピエール・ブヨヤ
Pierre Buyoya、1949年11月14日 - は、ブルンジの政治家、軍人。大統領(第3・7代)、国民救済軍事委員会議長を務めた。ブルニ県ルトブ出身。所属政党はツチの最大政党民族進歩連合 (UPRONA)。ベルギー軍士官学校、王立軍学校を卒業。フランスや西ドイツに軍事留学の経験あり。

少佐時代の1987年、ツチの寡頭による独裁体制を敷いていたジャン=バティスト・バガザ大統領をクーデターで追放し、自ら大統領に就任。同国の初のフツを多数とする内閣を成立させるなどフツ・ツチ両民族の融和に努め、複数政党制を認めた新憲法の採択など民主化にも尽力したが、ツチ強硬派はこれに反発し、2万人ともいわれるフツを虐殺した。ブヨヤは調停委員会を設置したが、両民族の対立は続いた

 

 

 

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