ベナン共和国
Republic of Benin

アフリカ

■地理
北はニジェール川、南はベニン湾に挟まれており、南から北へ進むに連れて徐々に標高が高くなる。ほとんどの人口は南の海岸平野地帯に集中しており、特にポルトノボとコトヌーがベナン最大の都市である。北部はほとんどがサバンナと半乾燥の高地である。


西アフリカ
アフリカの西部地域、具体的には、サハラ砂漠の南側で、かって西スーダンと呼ばれた地域と、中央スーダンの一部、大西洋、ギニア湾に面する「上ギニア」の国々が含まれる地域を指す。アルジェリアなどマグリブ諸国は、歴史的・文化的に地中海世界やアラブ世界としての一体性が強く、通常は北アフリカとする。西アフリカは、黒アフリカ史において最重要地域のひとつであり、アフリカ美術の起源でアフリカ鉄器時代のさきがけのひとつとなったノク文化が、ナイジェリア、ジョス高原において紀元前15世紀頃若しくはそれ以前から繁栄し、8世紀以前からガーナ王国をはじめとしてマリ帝国、ソンガイ帝国など強力な王朝が、ニジェール川流域に16世紀まで次々と興亡を遂げた。

大西洋
Atlantic Ocean)とは、ヨーロッパ大陸とアフリカ大陸、アメリカ大陸の間にある海である。 なお、大西洋は、南大西洋と北大西洋とに分けて考えることもある。おおまかに言うと、南大西洋はアフリカ大陸と南アメリカ大陸の分裂によって誕生した海洋であり、北大西洋は北アメリカ大陸とユーラシア大陸の分裂によって誕生した海洋である。

ギニア湾
(Gulf of Guinea)は西アフリカ中央部にある大湾。ニジェール川、ヴォルタ川、コンゴ川などが注ぎ、湾内に緯度0度、経度0度の交差点がある。沿岸部ではかつて、ヨーロッパとの貿易商により奴隷・金・象牙・穀物などが取り引きされた。1980年代に石油資源が発見され、以後盛んに開発が行なわれている。

ニジェール川
西アフリカを流れギニア湾に注ぐ河川である。全長4,180km。流域面積は209万2,000平方キロある。ギニアの山地から北東に流れてマリ共和国に入り、南東に転じてニジェール、ナイジェリアを流れる。河口に大デルタ地帯を形成しギニア湾に注ぐ。マリのセグからトンブクトゥ間に内陸デルタを形成している。

アタコラ山脈
(Atakora Mountains)、またはトーゴ山脈(Togo Mountains)は、アフリカの山脈。トーゴを中心に西アフリカを南北に走り、南はガーナのギニア湾岸付近からトーゴを縦断し、ベナン北部のアタコラ県周辺を南西から北東に向けて走る。トーゴ国内ではトーゴ山脈、ベナン国内ではアタコラ山脈と呼ばれる。

アグー山
(Mount Agou)、別名バウマン山(Mount Baumann)は、トーゴの山。標高986m。トーゴ最高峰である。トーゴ南部に位置し、ガーナとの国境に近く、パリメ市の南東に位置する。


サバナ
Savannaとは乾季と雨季のある熱帯に分布する、疎林と潅木を交えた熱帯長草草原地帯である。 アフリカではバオバブ樹などが見られる。 熱帯草原を一般的にサバナと呼んでいるが、これはスーダン先住民が使用した呼称に由来し、地域によりリャノ(オリノコ川流域)、カンポ(ブラジル高原)、グランチャコ(パラグアイ)などの名称もある。


バオバブ
(英名:Baobab、学名:Adansonia)はアオイ目アオイ科(クロンキスト体系や新エングラー体系ではパンヤ科)バオバブ属の総称のこと。「バオバブ」の名は、16世紀に北アフリカを旅したイタリア人植物学者が「バ・オバブ」と著書に記したのが始まり。もとはアラビア語のブー・フブーブ(種がたくさんあるもの)から来ているという説がある。サバンナ地帯に多く分布する。幹は徳利のような形をしており、高さは約20メートル、直径は約10メートルに及ぶ。最大のものは南アフリカのリンポポにある高さ47m、直径15mである。


奴隷海岸
Slave Coastは今日のトーゴ、ベナン、およびナイジェリア西部の海岸地帯のヨーロッパ勢による呼称。ベニン湾に沿った西アフリカの大西洋岸である。16世紀初頭のポルトガルの到来から19世紀初頭の奴隷貿易の公式廃止まで、大西洋岸の全域から多くの黒人奴隷が、奴隷商人を介して西欧や新世界(南北アメリカ大陸)に運ばれる船に乗せられた。他の黄金海岸及び象牙海岸と並び「主要産品」に因んでそう呼ばれた。奴隷商人は現地の黒人の部族に旧式の武器などを渡し、他の部族を襲わせ、武器の対価として奴隷を獲得した(三角貿易)。その数は1000万人とも2000万人とも言われており、大多数が働き盛りの男性だったことから、アフリカの人的・経済的・文化的な損失となり、現在までの貧困の原因の一つとされている。


ベニン湾
Bight of Beninは、アフリカのギニア湾の一部である湾のことである。かつて奴隷海岸(Slave Coast)と呼ばれた悲劇の海岸とほぼ重なる。沿岸にはナイジェリア、ベナン、トーゴ及びガーナの国々がある。この地域で最大の都市は、ナイジェリアの商都ラゴス(Lagos)である。


<歴史>
■17世紀
フォン人の居住地区であった現在のベナンに相当する地域に、17世紀にダホメ王国が成立した。ダホメ王国はヨーロッパ人の商人との奴隷貿易を主な収入源にして銃火器を輸入し、1730年に現ナイジェリアのオヨ王国によって服属させられたものの、その後も18世紀を通して周辺の国を軍事的に攻撃して繁栄した。

■19世紀
ヨーロッパ諸国によるアフリカの本格的な植民地化が進むと奴隷貿易が徐々に廃止され始めたため、ダホメの財政基盤に影響が及び、最終的にはアフリカ分割の中でダホメに目を付けたフランスによって1894年に征服され、この一帯はフランスの植民地となった。

■1960年
自治共和国からダホメー共和国として独立した。しかし、バリバ人、ヨルバ人、フォン人などによる民族抗争が続いて政情は動揺し、クーデターも頻発した。1972年の建国後5度目の政変でマチュー・ケレク政権が成立。

■1990年代
社会主義陣営の崩壊を受け1990年にベナン共和国に改称し、複数政党制、三権分立、大統領制を骨子とする新憲法が国民投票で制定された。

■1996年
大統領選挙ではケレクが大統領に復帰。2006年3月の選挙でヤイ・ボニが当選し、大統領となった。


■国民
ベナンにはおよそ42の民族が居住し、特に中南部のフォン人(25%)、南部のアジャ人(6%)、南部のヨルバ人(12%)、北部のバリバ人(12%)などが大多数を占める。

フォン人
フォン人(Fon people)は、西アフリカの民族。主にベナン、トーゴ及びナイジェリア西部に居住し、特にベナンにおいては総人口の25%を占める最大民族である。総数は350万人以上にのぼる。フォン語はグベ語族に属し、主にベナン南部で話されている。フォン人の起源は、トーゴ南東部のベナン国境に近いタドの村といわれている。文化的には父系制であり、一夫多妻も離婚もできる。葬儀はフォン人にとって最も重要な行事であり、ドラムやダンスによる喪がしばしば数日間続けられる。フォン人は人が死ねば輪廻転生すると信じている。

ヨルバ人
アフリカの民族。主にナイジェリア南西部に居住し、西アフリカ最大の民族集団のひとつである。ナイジェリアにおいては、ハウサ人・イボ人とともにナイジェリアの三大民族のひとつとなっている。紀元前4世紀ごろには、ヨルバ人は現在の地域に住んでいたと考えられている。ヨルバの伝説では、オドゥドゥワ王という伝説の王が、イフェの地に降臨し、イフェの王となり、そこからすべてのヨルバ諸国が建国されていったという。

フラニ族
北西はモーリタニアから東はカメルーンまで西アフリカの多くの国に分布する民族。居住地域は主にサヘル地帯に広がっている。バントゥーともベルベル人やアラブ人とも異なる。独特の言語体系を有し、豊富な民話を継承している。


■言語
言語は、フランス語が公用語であり、その他にフォン語、ヨルバ語などそれぞれの民族の言葉が話されている


フォン語
ニジェール・コンゴ語族のグベ語群に属する言語である。話者は主にベナンに居住するフォン人(フォン族)の人々である。話者数はおよそ170万人である。 フォン語は、他のグベ語群の言語のようにSVO型語順をもち、分析的言語である。

ヨルバ語
Yoruba languageはニジェール・コンゴ語族に属する言語である。話者は西アフリカのナイジェリア、ベナン、トーゴに居住するヨルバ人の人々である。話者数は約2000万人である。言語学的分類としてイツェキリ語(Itsekiri language)とは近い関係にある。

ダホメ王国
ダホメ王国は現在のベナンにあったアフリカの王国である。ダホメ王国は17世紀に創建され、19世紀にフランスの軍隊がセネガルから来て王国を征服しフランス領西アフリカに組み入れるまで存続した。ダホメ王国の起原はアラダの海岸沿いの王国から来たアジャ人?の一群が北に移動し、内陸のフォン人の中に入植したところにまで遡ることが出来る。1650年頃、アジャ人はフォン人を支配し、ウェグバジャが自らをアジャ人の住む領域の王であると宣言した。

オヨ王国
1400年ごろから1905年まで、ナイジェリア南東部を支配したヨルバ人の王国。伝説によれば、イフェを建国したオドゥドゥワ王の末子であるオラニヤン王が建国したとされる。1400年ごろにはすでに建国されており、ハウサ諸王国やソンガイ帝国に近いという地の利を生かしてサハラ交易に参加し、勢力を蓄え、さらにヨーロッパ人がやってくると奴隷貿易によってさらに力をつけ、富を蓄えていった。


<世界遺産>
アボメイの王宮*危機遺産
ダホメ王国時代には首都であったアボメイに、歴代12人の王たちが築き上げた12の王宮は、奴隷貿易などを一手に握り、中央集権的な権勢を誇った王たちの治世を偲ばせる歴史的遺構である。この王宮群は、フォン人たちによって築かれた土製の建築物群であり、1985年に世界遺産に登録された。


■宗教
2002年のセンサスによれば、ベナンの人口の42.8%がキリスト教徒(27.1%はカトリック、5%はen:Celestial Church of Christ、3.2%はメソジスト、7.5%はその他のキリスト教)、24.4%はムスリム、17.3%は現地固有の宗教ヴォドゥン(ヴードゥー教)、6%は地域に伝わる伝統的な信仰、1.9%はその他の宗教、そして6.5%が特定の信仰に加盟していないことを主張している。

キリスト教徒
Christian)とは、キリスト教の信徒のことである。キリスト教はいくつかの教派に分かれているが、ナザレのイエスを救世主キリスト(メシア)と信じ、旧約聖書に加えて、新約聖書に記されたイエスや使徒たちの言行を信じ従い、その教えを守る者がキリスト教徒であると言える。

メソジスト
(Methodist)とは、18世紀、英国でジョン・ウェスレーによって興されたキリスト教の信仰覚醒運動の中核をなす主張であるメソジズム(Methodism)に生きた人々、および、その運動から発展したプロテスタント教会・教派に属する人々を指す。特徴としては、日課を区切った規則正しい生活方法(メソッド)を推奨した。メソジストという名称は「メソッド」を重んじることから「几帳面屋」(メソジスト)とあだ名されたことに始まった。

ムスリム
Muslim)は、「(神に)帰依する者」を意味するアラビア語で、イスラム教徒のことである。キリスト教圏ではムハンマド教徒とも呼ばれ、日本でもかつては一部でこの語を用いた。女性形はムスリマだが、アラビア語社会以外では基本的には区別しない。また、中世キリスト教世界では、イシュマエル人、カルデア人、モーロ人、サラセン人などあたかも民族集団であるかのような名称でも呼ばれた。

ブードゥー教
oodooは、カリブ海の島国ハイチやアメリカ南部のニューオーリンズなどで信仰されている民間信仰。「ブードゥー(あるいは「ヴードゥー」)」という呼び方は英語で、ハイチや西アフリカではヴォドゥン(Vodun)と呼び習わされている。ヴォドゥンとは西アフリカのフォン語(Fon)で「精霊」の意味。ヴォドゥンはベナンなどの西アフリカで広く信じられており、ベナンの国教となっている。サンテリアやカンドンブレ、アフリカの民間信仰なども含めたブードゥーならびに類似信仰の信者は、全世界で五千万人にも上るという。これはチベット仏教の三千万人を遙かにしのぐ数字である。

シャンゴ
(Shango)は、ナイジェリアのヨルバ族に伝わる神である。 雷と嵐を司っており、かつては人間であった。その象徴は両刃の斧とされる。シャンゴは元々、ヨルバ族の諸国の中でも最強最大のオヨ王国の第3代国王であった(en:List of rulers of the Yoruba state of Oyo)。医師であり、百戦錬磨の戦士で、オヨ王国の版図を最大に広げた偉大な王であると同時に、暴君でもあった。神となる以前から雷を操れたとされる。

アニミズム
animism)は、生物・無機物を問わないすべてのものの中に霊魂、もしくは霊が宿っているという考え方。19世紀後半、イギリスの人類学者、E・B・タイラーが著書『原始文化』(1871年)の中で使用し定着させた。日本語では「汎霊説」、「精霊信仰」などと訳されている。この語はラテン語のアニマ(anima)に由来し、気息・霊魂・生命といった意味である。


パンテオン
Pantheon, は、ギリシア語の「すべての神々」という言葉に由来し、ある特定の宗教や神話、たとえばヒンドゥー教やギリシア神話、北欧神話、シュメール神話、マヤ神話、日本神話などにおけるすべての神々を意味する。それぞれのパンテオンの中には、最高神、豊穣神、太陽神、月神、風神、天空神、戦神などが含まれ、上下関係や階層構造をなしていることもある。


■経済
ベナンの経済は低開発であり続け、国民の大半が従事する農業に依存している。綿花、パームオイルなどの輸出用農業生産のほか、自給用のトウモロコシなどが栽培されている。綿花はGDPの40%、公式輸出収入の80%を占めている[2] 。過去7年間で実質成長率は平均5%だったが、急速な人口増加はこの増加を相殺している。インフレーションはこの数年間で終息した。通貨はユーロと連動するCFAフランである。世界屈指の原油埋蔵量を誇るギニア湾に面しているが、油層に恵まれないためか1980年代に小規模な海底油田が開発されて以降、開発は停滞している。

ヤシ
ヤシ(椰子)は、単子葉植物ヤシ科に属する植物の総称である。熱帯地方に多く、独特の樹型で知られている。実用価値の高いものが多く含まれる。ココヤシの果実内部に溜まった水(液状胚乳)は飲用になる他、ナタ・デ・ココの原料となる。固形胚乳の層はココナッツとして食用にする。水分とともに砕いて乳液状にしたものはココナッツミルクと呼ばれる。アブラヤシは、果実から取れる油を工業原料、食用のパーム油として用いる。


海底油田
海底に存在する油田のこと。浅海や大陸棚などに位置する場合が多い。海底の石油の埋蔵量は、現在地球上にある埋蔵量の4分の1とも言われている。商用として世界で初めて海底油田を掘削したのは、日本の尼瀬油田(新潟県出雲崎町)であるとされる。 2007年現在、世界最深の油田は、アメリカ合衆国メキシコ湾岸油田でエクソンモービル社が保有する油田。水深8,600フィート(約2,580メートル)に達しているが、同地域では年々規模の拡大が続いており、水深10,000フィートを超える掘削リグの設置計画を持つ社も存在している。

 


トゥーサン・ルーヴェルチュール
フランソワ=ドミニク・トゥーサン・ルヴェルチュール(François-Dominique Toussaint Louverture生年不詳・1739年から1743年 - 1803年4月7日)は(フランス革命期の)ハイチ独立運動指導者であり、ジャン=ジャック・デサリーヌ等とともにハイチ建国の父の一人と看做されている。1795年にはトゥーサンはよく知られた人物となっていた。黒人から尊敬を集め、多くの白人やムラートからもサン=ドマングの経済を建て直す助けになるとみられていた。彼はフランス革命政府の法を無視してプランテーション経営者が戻ることを認め、元奴隷たちを軍令で働くように命じた。彼は人々は自然には怠惰であると信じ、怠惰を防ぐためには強制も必要だと考えた。ただし、労働者はもはや鞭打たれることはなく、法的には自由で平等であった。

ジャスティン・アホマデグベ
1917年1月16日-2002年3月8日は、ダオメー共和国(現ベナン共和国)の政治家。ダオメー建国期の3大政治家の一人であり、数度国家元首の地位に就いた。アホマデグベは1917年1月16日、フランス領西アフリカのダオメー植民地のアボメーにてダホメ王国の王族として生まれた。フランス領セネガルにあった植民地エリート養成校ウィリアム・ポンティ高等師範学校を卒業したのち、短い軍務経験を経てダオメーに戻り、首都ポルトノボにて歯科医を開業した。

ユベール・マガ
Coutoucou Hubert Maga、1916年8月 - 2000年5月8日は、ダオメー(現在のベナン共和国)の政治家。ダオメー共和国初代大統領となり、以後も数度大統領職に就いた。マガは1916年8月、フランス領西アフリカのダオメー植民地北部の中心都市パラクーにて、バリバ人として生まれた。パラクーの学校を卒業後、フランス領セネガルにあったウィリアム・ポンティ高等師範学校を卒業した。ここでのちにニジェールの大統領となるアマニ・ディオリと友人となった。ウィリアム・ポンティ高等師範学校は植民地エリートの養成校であり、ここでの人脈がのちの独立期のマガの政治的財産の一つとなった。

マチュー・ケレク
1933年9月2日 - はベナンの政治家で大統領。1961年に陸軍に参加し、1967年にはモーリス・クアンデテ少佐に従い、クーデターでクリストファ・ソグロ独裁政権を打倒した。1972年10月26日に再度クーデターを起こし、フベルト・マガ、スル・ミガン・アピティ、ジャスティン・アホマデグベらが構成する大統領協議会を打倒して大統領に就任し、1991年まで務めた。その後1996年の大統領選で当選。

ヤイ・ボニ
Thomas Yayi Boni、1952年7月 -はベナンの政治家。現在、同国大統領、アフリカ連合総会議長(第10代)、西アフリカ諸国中央銀行社長。ヤイが姓であり、日本の外務省はボニ・ヤイと表記している。1980年から1988年まで、ベナンに戻ったヤイは、ベナン中央銀行で副局長として働き、1994年に実績が評価され、ダカールに本拠を置く西アフリカ諸国中央銀行の社長となった。2006年3月15日に開かれた大統領選挙では、対立候補により当選が危ぶまれたが、3月19日の決戦投票では、対立候補を破って15代大統領に就任した。

ニセフォール・ソグロ
Nicephore Soglo、1934年11月29日 - は、ベナンの政治家。1990年から1991年まで首相を務めたのち、1991年から1996年まで大統領職にあった。2003年から2011年現在にいたるまで、国内最大都市コトヌーの市長を務めている。

ベナン Benin
西アフリカに位置する共和制国家。南北に長く、西にトーゴ、北西にブルキナファソ、北東にニジェール、東にナイジェリアと接し、南は大西洋のギニア湾に面する。憲法上の首都はポルトノボ、事実上の首都はコトヌー。

フォン人の居住地区であった現在のベナンに相当する地域に、17世紀にダホメ王国が成立した。1990年に社会主義体制から市場経済体制に移行した後、現在も安定した情勢が取れている。現在の大統領は、ヤイ・ボニである。

コトヌー/Cotonou
コトヌーはベナンの都市で、同国の事実上の首都。人口は約76万人(2006年)。ベナンを代表する港湾都市であり、ベナン経済の中心となる都市。内陸まで鉄道が延びており、物資の集散地としても重要な役割を果たしている。約25キロ北東に首都のポルトノボが位置している。市内には国会、最高裁判所、空港などがあり、憲法上の首都はポルトノボとはいえ、多くの首都機能はコトヌーに置かれている。文化的にも、国立ベナン大学が置かれ多くの学生が学んでいる。

ポルトノボ
Porto-Novoは、ベナン共和国の憲法上の首都。ポルトノヴォとも。ベナン第2の都市であるが、同国の事実上の首都機能は最大都市コトヌーが果たしている。ポルトガル人の建設したポルト=ノーヴォ(ポルトガル語で「新しい港」)が起源である。その後、フォン人の興したポルトノボ王国の首都となり、内陸部のダホメ王国と対立しながら奴隷貿易で繁栄したが、19世紀にフランスの支配下に入った。1960年にダホメー共和国が独立するとその首都となった。


アボメイ
アボメイはベナンの町であり、かつてのダオメ王国時代には首都であった。ダオメ王国は1625年頃に建国され、アボメイに残る王宮群は、17世紀半ばから19世紀後半にフォン族によって建てられた土製建造物群である。この王宮群は、西アフリカにある最も有名で、歴史的にも重要な伝統的景観のひとつであることから、1985年にユネスコの世界遺産に登録された。町は長さ6マイルと見積もられている円形の泥の壁と6つの門に囲まれ、西アフリカでの要塞防衛としては普通に見られたアカシアの密生した5フィートの深い溝に守られている。 壁の内側に集落があり、王宮や市場、バラックの並ぶ大きなスクウェアなどがある。

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ベナン・ニジェール鉄道輸送共同体
Organisation Commune Benin-Niger des Chemins de Fer et des Transports、OCBNは、ベナンの鉄道。北線、西線、東線の3線があるが、東西両線は運休中。北線はベナン最大の都市であるコトヌー港と北部の中心都市であるパラクーを結ぶ全長438kmの路線である。軌間は1000mm、非電化単線である。ベナン・ニジェール鉄道輸送共同体はベナンが63%、ニジェールが37%を出資しており、ベナンのみならず海を持たないニジェールの主要輸出ルートとなっている。


カンディ
Kandiは、ベナンの都市。正式には東部のアリボリ県に属す地域である。元々は市場町だったが、現在では農業が主な産業となっている。国を南北に貫く幹線道路沿いにあり、コトヌーからは650km、ポルトノボからは523kmそれぞれ離れている[1]。ソンガイ帝国を構成したデンディ王国により建設された。近くの村々にはオヨ帝国建設の諸戦争から逃れてきたモコレ・ヨルバ人やバリバ人が暮らしている。

ウィダー
Ouidahは、ベナンの都市。ベナン南部に位置し、大西洋に面する。面積364km2、人口76555人(2002年)。大西洋に面した港町で、古くからの貿易港だった。16世紀末には交易地としてすでに成立しており、1680年にはポルトガルがサン・ジョアン・バプティスタ・デ・アジュダ砦を立てて交易の拠点とした。この地方はウィダー王国の領土であったが、1727年にウィダー王国は内陸のダホメ王国のアガジャ王によって占領された。この街は特に奴隷貿易の拠点として栄えた。

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サン・ジョアン・バプティスタ・デ・アジュダ
西アフリカの現在のベナンに相当する地域に位置していたポルトガルの飛地。ウィダー市に位置する。大航海時代終盤の17世紀、ポルトガルはギニア湾一帯に十数カ所の砦(要塞)を築き、商館を建設して現地の貿易を独占するとともに教会も建設し、キリスト教(カトリック教会)の布教活動を行っていた。サン・ジョアン・バプティスタ・デ・アジュダもその一つである。当時、主な収入源は奴隷貿易だった。ブラジルへ送られた黒人奴隷の3分の1はサン・ジョアン・バプティスタ・デ・アジュダを経由し「輸出」されたといわれる。


■教育
初等教育の6年間と前期中等教育の4年間は法制上義務教育となっており、近年公立学校の授業料が無料化されたことから就学率は上昇に転じているものの、未だ子供は重要な労働力であると共に学校自体が無い地域も多い為、高度な義務教育は達成されてい無い。教育は主にフランス語で行われる。2002年のセンサスによれば、15歳以上の国民の識字率は34.7%(男性47.9%、女性23.3%)である。主な高等教育機関としては、国立アボメ・カラビ大学や国立パラク大学が挙げられる。


外務省:ベナン共和国
在ベナン日本国大使館


マランヴィル
(Malanville)は、ベナンの都市。面積3016平方キロメートル、人口101628人(2002年)。アリボリ県に属する。ベナン北東端、ニジェールとの国境に位置し、ニジェール川に面する。対岸のニジェール領ガヤの町とは橋が架かっており、ニジェールの貴重な輸出ルート上の町として重要である。

パラクー
(Parakou)は、ベナン北部の都市。人口182.913人。ボルグー県の県都であり、北部最大の都市である。海岸のコトヌーから延びるベナン・ニジェール鉄道輸送共同体北線の終点であり、北部への交通の拠点となっている。ピーナッツオイル製造や醸造業が盛ん。

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チャウールー
Tchaourouはベナンボルグー県の都市。15代大統領ヤイ・ボニの生誕地として知られる。ボルグー県最大の都市である。多様な民族が暮らし、大半を占めているのがフラニ族・バリバ族である。そのため、住民の大半はバリバ語、ヨルバ語などを話す。農業を専業とする農家が多い。近年では、ナイジェリアへの石油商業が発達し、開発が進められている。

ジューグー
(Djougou)は、ベナンの都市。人口181,895人(2002年) 。面積3,966km2。標高430m。ベナン北西部に位置し、ドンガ県の県都である。ベナン北西部最大の都市であり、周辺の物資の集まる市場町である。


アリボリ県
(Departement d'Alibori)は、ベナン北東部の県である。西部にアタコラ県、南部にボルグー県と接し、隣国では東部にナイジェリア、北部にニジェール、北西部にブルキナファソ3ヶ国と国境を接している。

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アタコラ県
(Departement d'Atacora)は、ベナン北西部の県である。南部にドンガ県、南東部にボルグー県、東部にアリボリ県と接し、隣国では北部にブルキナファソ、南西部にトーゴと接している。中央をアタコラ山脈が南北に横たわり、高い所で641mある。

アトランティック県
(Departement de l'Atlantique) は、西アフリカのベナンにある12の県の1つ。「大西洋県」。西部にモノ県、クッフォ県、北部にズー県、東部にウェメ県、南東部にリトラル県と接し、南部にギニア湾の一部であるベニン湾に面している。

ボルグー県
(Departement de Borgou) は、ベナン中部の県である。北部にアリボリ県、北西部にアタコラ県、西部にドンガ県、南部にコリネス県、東部に隣国ナイジェリアと接している。南北に幹線道路が走り、県都パラクー (Parakou) と沿岸部とを結ぶ鉄道が走る。

コリネス県
(Departement des Collines) は、ベナン中部の県である。北部にボルグー県、ドンガ県、南部にズー県、プラトー県と接し、東部にナイジェリア、西部にトーゴと国境を接している。国内で唯一東西に渡って県域としているため、南北に行き来するにはコリネス県を必ず通過することになる。

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ドンガ県
(Departement de Donga) は、ベナン中部の県である。北部にアタコラ県、東部にアリボリ県、南部にコリネス県、西部に隣国トーゴと接している。ベナン国内を南北に流れるウェメ川の源流にあたる。

クッフォ県
(Departement de Couffo) は、ベナン南西部の県である。北東部にズー県、南東部にアトランティック県、南部にモノ県、西部に隣国トーゴと接している。東部がクッフォ川で県境を、西部がモノ川の一部で国境となる。

リトラル県
(Departement du Littoral) は、西アフリカのベナンにある12の県の1つ。littoralはフランス語で「沿岸地方」の意味であり、県名は「沿岸県」とも訳せるが、その名の通りベニン湾、その先のギニア湾の沿岸に面している。ベナン最大の人口と経済の中心地で、実質的には首都の働きをもつコトヌー(Cotonou)で占める。

モノ県
(Departement de Mono) は、ベナン南西部の県である。東部にアトランティック県、北部にクッフォ県、西部に隣国トーゴと接している。南部はギニア湾の一部ベニン湾を臨む。

ウェメ県
(Departement de l'Oueme) は、ベナン南東部の県である。北部にプラトー県、ズー県、西部にアトランティック県、リトラル県、東部に隣国ナイジェリアと接し、南部にギニア湾の一部ベニン湾に面している。ナイジェリア国境附近から流れてきたオクパラ川がノクエ湖へと注ぎ、海へ出る。

ズー県
(Departement de Zou) は、ベナン南部の県である。北部にコリネス県、東部にプラトー県、南部にウェメ県、アトランティック県、西部にクッフォ県、北西部に隣国トーゴと接している。

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プラトー県
(Departement du Plateau) は、ベナン南東部の県である。北部にコリネス県、西部にズー県、西南部にウェメ県、東部に隣国ナイジェリアと接している。


ベナン人民共和国
今日のベナン共和国に続いた社会主義国(西側では一般的に共産主義国として知られる)である。人民共和国はダオメー共和国が独立してからしばらく後の1975年11月30日に成立した。マチュー・ケレク率いるベナン人民革命党(PPRB)による一党独裁国家であり、1989年にマルクス・レーニン主義を放棄し、新憲法を制定した1990年3月1日まで実質的に存続した。


アフリカ・アメリカ・アジア・リコンシリエーショングループ
在日ベナン人、エマニュエル・ベベニョンが神奈川県横浜市を中心に個人で主催するボランティア活動で、その他の近い活動を行う団体や個人の仲介役的機能を担っているため、そのネットワークを指して「グループ」と呼ぶ。略称 AAA Group。リコンシリエーション活動の啓蒙と共に、ベナン共和国の村々に井戸を建設する為の資金集めのチャリティーコンサート等を行っており、既にベナン共和国に数機の井戸の建設の実績がある。リコンシリエーションの活動の主旨から、ゴスペル音楽を中心にコンサートを行うケースが多い。The Africa, America and Asia Reconciliation Group


■国名
公式の英語表記は、Republic of Benin(リパブリク・オヴ・ベニーン)。これに因む通称はBenin(ベニーン)。1960年のフランスからの独立当初はダホメー共和国。ダホメーは国土南部の限られた地域を指す名称であり、北西部のアタコラ県や、北東部のボルグを含めるには不適切だったので、ダホメーが面していたベニン湾に因み国名を決め、1975年にベナン人民共和国が成立した。その後、1990年社会主義政策の放棄と共に現在の国名となる。


1.面積:112,622平方キロメートル(日本の約3分の1)
2.人口:890万人(2009年、世銀)
3.首都:ポルトノボ(Porte Novo)
4.民族:フォン族、ヨルバ族(南部)、アジャ族(モノ、クフォ川流域)、バリタ族、プール族(北部)、ソンバ族(アタコラ山地、トーゴ間)等46部族
5.言語:フランス語(公用語)
6.宗教:伝統的宗教(65%)、キリスト教(20%)、イスラム教(15%)

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1946年 仏海外領土
1960年8月 独立宣言(ダホメ共和国)
1963〜1972年 5度の軍事クーデター
1972年10月 ケレク大統領就任
1975年11月 国名変更(ベナン人民共和国)
1979年11月 国民革命議会人民委員選挙(民政移管)
1989年12月 マルクス・レーニン主義放棄
1990年3月 1977年共和国基本法を停止
国民革命議会解散、国名を「ベナン共和国」に変更
新内閣成立ソグロ新首相選出
1991年3月 ソグロ大統領選出
1993年6月 最高裁判所設立
1996年3月 ケレク大統領返り咲き、ウンベジ首相新内閣発足
1998年5月 ウンベジ首相辞任、ケレク大統領新内閣発表
1999年3月 国民議会選挙
2001年3月 大統領選挙、ケレク大統領再選
2003年3月 国民議会選挙
2006年3月 大統領選挙、ボニ・ヤイ大統領選出(4月就任)
2006年4月 新内閣発足
2007年5月 国民議会選挙
2008年10月 内閣改造
2009年6月 内閣改造
2011年3月 ボニ・ヤイ大統領再選(4月就任)
2011年5月 新内閣発足

■主要産業:農業(綿花、パームオイル)、サービス業(港湾業)
■主要貿易品(2009年)(1)輸出 綿花、再輸出品(2)輸入 食品、石油製品

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CFAフラン
Franc CFA)は、西アフリカ、中部アフリカ地域の旧フランス植民地を中心とする多くの国で用いられる共同通貨。西アフリカ諸国中央銀行 (Banque Centrale des Etats de l'Afrique de l'Ouest、BCEAO) 発行のもの(ISO 4217コードXOF)、中部アフリカ諸国銀行 (Banque des Etats de l'Afrique Centrale、BEAC) 発行のもの(同XAF)の2種類がある。両者は通貨としての価値は同一であるが、相互に流通することはできない。


■政治
大統領を元首とする共和制国家を国家体制としており、大統領は行政権を担い、民主的な選挙によって選出される。ベナンは複数政党制が認められており、立法権はベナン政府と国民議会が担い、司法権は行政と立法から独立している。現行憲法は1990年憲法である。1990年に社会主義体制から市場経済体制に移行した後、現在も安定した情勢が取れている。現在の大統領は、ヤイ・ボニである。

 


■音楽
ベナンはアフリカ音楽のシーンの中で重要な役割を果たしており、全大陸を通して最も大きなスターの一人であるアンジェリーク・キジョーを輩出している。独立後、国は力強く、革新的な音楽シーンの故郷であり、土着のフォーク音楽がガーナのハイライフやフランスのキャバレ、アメリカ合衆国のロックンロールやファンクやソウル、そしてコンゴ民主共和国のアフリカン・ルンバと結びついて育った。イグナシオ・ブラシオ・オショは恐らくペドロ・グノーナス・イ・スス・パンチョスやレ・ヴォルカン・ド・ラ・キャピタル、ピコビー・バンド・ダボメイと並んでこの時期における最も影響力を持ったミュージシャンである。ペドロはフェソ・ジェヴの歌をプロデュースし、曲はヒットし1973年のen:1973 All-Africa Gamesで多くのバンドによって演奏された。


アンジェリーク・キジョー
ベナン共和国コトヌー出身のシンガーソングライター、および現ユニセフ親善大使。アフリカンポップ、レゲー、ジャズを織り交ぜた音楽をスタイルとしている。グラミー賞に4度ノミネートされ、米紙ガーディアンに「世界でもっとも啓発的な女性Top100」の内の一人として取り上げられた。英語、フランス語、フォン語、ヨルバ語に堪能であり、国境を越えた幅広いファンがいる。フォン族の父とヨルバ族の母の間に生まれ、ベナンの伝統音楽を聴いて育つ。6歳から母親の劇団でパフォーマンスを始め、伝統音楽とダンスについて理解を深めた。学校に入ってからバンドを組んで歌を始め、国営ラジオの放送からミリアム・マケバの影響を受けた。

ゾマホン・ルフィン
ゾマホン・イドゥス・ルフィン(Zomahoun Idossou Rufin、1964年6月15日 - )は西アフリカ・ベナン共和国出身でオフィス北野所属のタレント。タレントであり、映画監督でもあり俳優のビートたけしの付き人でもある。上智大学大学院博士後期課程単位取得退学(社会学専攻)。ベナン大統領特別顧問。NPO法人IFEの創立者であり、責任者。1964年6月15日に西アフリカ・ベナン共和国のダサズメ・イガンガン村で生まれた。公務員の父の下、10人兄弟の末っ子として生まれる。ゾマホンの父は厳格で、幼少時のゾマホンにとっては非常に怖い存在であり、常に敬語を使って会話をしていたという。15歳の時にその父が過労による病気で急死し、ゾマホンは父方の叔父の家のあるコトヌー市に移り、叔父の家に住まいながら中学校に通う。当時のベナンにおける義務教育は有料であったが、父が教育に熱心で貧しい生活ながらも力を入れて子ども達を小学校に通わせたこともあり勉強好きな性格となり、その為もあって成績は非常に優秀で、1986年に当時ベナン唯一の国立大学であった国立ベナン大学(現国立アボメ・カラビ大学)に合格したが、父親が既に他界していたため、学費はもちろん、文房具を買うお金にさえも困っていた。

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ステファン・セセニョン
(Stephane Sessegnon, 1984年6月1日 - )は、ベナン共和国出身のサッカー選手。サンダーランドAFC所属。ベナン代表である。ポジションはミッドフィールダー。ベナン・プレミアリーグのRequins de l'Atlantique FCからデビューした。このクラブはベナンの事実上の首都であるコトヌーにあり、鮫と大西洋をモチーフとする。


ヤニック・サグボ
(Yannick Anister Sagbo-Latte, 1988年4月12日 - )は、フランス・ブーシュ=デュ=ローヌ県マルセイユ出身のサッカー選手。ベナンにルーツを持つコートジボワール人である。リーグ・ドゥ・エヴィアン・トノン・ガイヤールFC所属。ポジションはフォワード。

ジャイモン・フンスー
Djimon Hounsou、1964年4月24日 - は、ベナン・コトヌー出身のアメリカ合衆国のダンサー、ファッションモデル、俳優である。13歳でパリに移住したが、仕事が見つからずにホームレスのような生活をしたという。 しかし、デザイナーのティエリー・ミュグレーに見出されてモデルを始めるようになる。その後、俳優を目指してロサンゼルスに移住し、アメリカの市民権を取得。1997年の『アミスタッド』で注目された。

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