路上カフェ でも夕刻ならともかくこの時間には誰も座っていません。ちょっと気に入って店の前にある自動販売機でビールをひと缶買ってビール箱に着席するとなかなかの居心地です。 陰もなく日差しはまだ強いけど時折心地いい風が通ってビールは最高。変な店よりずっといいなと思いながら半分ぐらい飲んだとき横のビール箱に初老の紳士が1人着席。自動販売機をじっと眺めています。 理由は分からないけど躊躇しているので同じビールを買って「よかったらどうぞ」と言って手渡すとニコニコ笑って「ありがとうございます」震災で神戸も随分変わりましたね、と言うと町も店も変わったけれど人間も変わりましたよ、との答え。 「変化は世の常だけれど悪くなるのはやりきれませんね」とつぶやくように言うとおじさんは「そうですよとりあえず今度の選挙は自民公明以外に投票しなくてはいけません」「確かに」そろそろ時間だからお先に失礼しますと言って席をたつとおじさんは「またここでお会いしましょう」とやさしい笑顔で答えてくれました。昼下がりの路上での一杯もオツなものです。
スポーツの祭典と心 同じ一つの地球上で同時に起こっているスポーツの祭典と戦争。ベルリンとアフガニスタンはまるで違う次元の空間のように思えて来ます。日本でも世界でも倒産やリストラで生活の基盤を失い立ち往生する人や家族の介護で明日に絶望する人にとってはスポーツ観戦に気が向くはずもありません。陸上競技や水泳競技で0.1秒記録を短縮するのもすごい事ですが日常の世界で一人一人が0.1グラムのやさしい心を持つ事はもっと大切な事ではないかと思います。 アレクサンドラの旅 長く紛争が続くチェチェン共和国のロシア軍駐屯地で任務に就く孫に会うために最前線までやって来た主人公アレキサンドラをカメラが静かに追いながらストーリーは流れて行くのですが、押付けがましいところが全くないけれど深く人間愛と反戦を語りかける映画でした。 主演のガリーナ・ヴィシネフスカヤは撮影当時80才。もの静かでやさしいけど毅然として強い、そんな老婦人役を見事に演じていました。映画出演は始めてだとテキストにはありますが長年オペラの世界で培って来た精神性と表現力が強い説得力となって伝わって来ます。でも小さな映画館は最終日だと言うのに空席が目立ちます。 こんな映画に人々の関心が集まるような国になればいろいろな分野で人間性が回復していくだろうなと映画の余韻に感じ入りながら思うのでした。
蚊と命 小さな蚊がよくもこんなに吸えたものだと思うぐらいの血の量です。こんなに吸ったのならどこかへ行けばいいのに戻ってくるから「パシッ」かゆみがなければ殺さないだろうなと思いながら考えてしまいます。 蚊も生きるために必死でそれはどんな生き物だって同じです。子供の頃、命の意味も分からず昆虫を殺してしまった事、意味が分かってからも害虫と言う立て前でどれだけの昆虫を殺したか分かりません。生きると言う事の不条理。もし僕が小さな生き物で生きるためには他の動物の血を吸うしか選択肢がなくて巨大な動物の血をちょこっと吸って「パシッ」とつぶされたらあの世で「けちっ、ちょっとぐらいいいじゃないか」と恨むでしょう。
海と浜 波は3つこぶをつくって進んで行きます。ネス湖の写真のようです。でも西宮の海にクジラやネッシーが迷い込むわけはないし・・・不思議な気持ちでしばらく眺めていると大きな波は消えてしまいました。 風のいたずらだろうか。一応クジラだったと納得して一眠り。クジラは外海にちゃんと戻れただろうか。土地の人に聞けばここ香櫨園浜はそれは美しい海岸だったそうです。きれいな砂浜と松林。多くの海水浴客でにぎわったなどとはとても信じられません。 無神経な埋め立てで海岸線は破壊され今は出島に遮られて小さな内海があるだけです。外海は出島の向こう、高層マンションが風景を台無しにしています。なんでこんな事をするのだろう?浜には人間以外に無数の住人がいると言うのに。海を埋めて山を削ってまでマンションを建てなければならない理由が本当にあるのだろうか。環境意識の欠落は人間性の喪失そのものです。
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今や自然エネルギーを有効に使えるだけの科学力があります。原発を完全に無くし、
化石燃料をなるだけ減らして行くことが未来に対する人類共通の責任です。