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ヒューマニスト15
<その人の指向性、価値観、生き方、考え方>


<榎本益美>

 

〈ニッポン人脈記〉石をうがつ:8(2012年9月12日朝日新聞)
■核のゴミを掘りかえせ
 「オレの土地だ。何が悪い」。1999年12月1日の夕刻。鳥取県中部の町、東郷町(現・湯梨浜町)方面(かたも)地区に住むナシ農家の榎本益美(えのもとますみ)(76)は、シャベルで土を掘り始めた。埋められていたのは、放射線量が高い土砂が入った552個の袋。かつて、このあたりの人形峠一帯でウランを採掘していた時に出たものだ。採掘者だった核燃料サイクル開発機構(旧動力炉・核燃料開発事業団)は求められた撤去ができず、「仮置き」として残土を地中に埋めた。住民の求めで現地調査をしたものの、表面を掘っただけで終わらせようとした。

榎本は制止を無視し、掘り続けた。 「今日やらんといかん」。大手通信社の鳥取支局の記者、土井淑平(どいよしひら)(71)は携帯電話で連絡をとった。まもなく市民団体の支援者が駆けつけた。掘り出せた袋は一つ、重さは800キロ。榎本らはトラックに載せて県境を越え、岡山側の人形峠にある開発機構の事業所の正門前に置いた。

日付は変わり午前2時。冷たい雨が降っていた。原子力発電ではウランが原料に使われる。ウラン鉱が見つかった人形峠周辺では、50年代末に採掘が始まった。その後、商業ベースに乗らないことがわかって終わったが、放射能を帯びた土砂は残された。放置が明らかになったのは88年。この時取材に来た土井と、自らもかつて採掘に従事していた榎本が出会う。

地元鳥取県の農家に生まれた土井は、早稲田大を出て記者になった2年目に三重県で四日市公害を取材し、環境問題に関心をもった。その後赴任した鹿児島では、川内原発の建設計画などを取材した。実際の公害で生活が破壊される前に、計画段階で住民がいがみ合い、地域社会が壊れる様子をみてきた。「開発と原発は、もう一つの戦争だ」。知恵袋のような役割で住民運動にかかわっていく。取材者のあり方として批判があろうことは承知の上だった。

方面地区のウラン残土は1万6千立方メートルに及ぶ。榎本を先頭にした自治会は90年8月、放射能レベルが特に高い3千立方メートルを撤去することを認めさせた。しかし、その実施は、岡山県が人形峠事業所への搬入に反対したことを理由に引き延ばされた。その間、住民は酒食の接待などで切り崩しにあい、20世帯の地区は真っ二つに割れた。そんな中での榎本の実力行使は全国に報道され、一気に注目が集まった。

その後、鳥取県と東郷町は、訴訟費用にと350万円を住民らに支援した。行政としては異例のことだが、事態を放っておけない、解決法はもはや訴訟しかない、という考えだった。裁判では住民側の訴えが認められた。最終的には、特に放射線量が高い290立方メートルの残土が米国のウラン採掘地に運ばれ、そのほかは鳥取県の県有地でれんがに加工されて県外に搬出された。方面地区からウラン残土の撤去が終わったのは2006年11月。発覚から18年がたっていた。榎本は鼻血や脱毛、貧血に悩まされ、胃潰瘍(かいよう)の手術もした。ウラン採掘による放射線障害としか考えられないと思っている。同じく鉱山の作業に出ていた妻、雅恵(まさえ)は94年に肺がんで亡くなった。当時は危険性など何も知らされずに作業をした。「体にいい」という話まで流れ、ウラン鉱石を風呂に入れたこともあった。「だまされた」。怒りが榎本を動かしてきた。

人形峠の問題は、原発の使用済み核燃料をめぐる問題を語ってもいる。日本の原発にはすでに約1万4千トンの使用済み核燃料がたまり、国のいう再利用を進めたとしても、廃棄物は出続ける。10万年単位で管理しなければならないこのゴミは結局、地域同士が押し付け合い、深刻ないさかいになっていかざるをえない――。

「核のゴミ戦争」。01年に退社した後も取材を続ける土井は、著作でそんな言葉を使って警告している。(大久保真紀)

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榎本益美
残土訴訟を支える会

http://uranzando.jpn.org/uranzando/index0313.shtml

榎本益美さんの訴訟(第9回口頭弁論)
榎本益美さんが被告の責任逃れの引き延ばしを批判
核燃は準備書面と意見書で原告の主張に反論

方面自治会の訴訟が被告の控訴で広島高裁松江支部送りとなったあと、もう一つのウラン残土撤去訴訟たる榎本益美さんの訴訟の第9回口頭弁論が、8月20日に鳥取地裁で開かれ、原告の榎本さんが裁判長の交替に伴う「更新意見」を述べ、核燃の責任逃れの撤去引き延ばしを批判しました。

一方、被告の核燃は準備書面や意見書などで、原告の主張に反論しました。しかし、双方の基本的主張はほぼ出そろったたため、さきの自治会訴訟の判決言い渡しの裁判長でもあった内藤紘二裁判長に代わって榎本さん訴訟を担当することになった山田陽三裁判長は、9月末までに原告・被告の双方に立証計画を提出するよう求めました。

1 榎本さんが更新意見を陳述
 裁判長の交替に当たって、原告の榎本さんが陳述した「更新意見」は、方面自治会訴訟の判決に対する核燃の控訴などの対応を批判しつつ、榎本さんが訴訟に訴えざるを得なかった背景と動機を要約したもので、重要な内容なので全文を以下に掲載します。

           更新意見

                     2002年8月20日

鳥取地方裁判所民事部御中

                               

原告 榎本益美


第1回口頭弁論に際して「意見陳述書」(2001年1月23日)でも述べたように、私は昭和30年代の1958年から62年にかけて方面地区のウラン採掘現場で働き、脱毛・鼻血・貧血に悩まされ、胃に穴が開く寸前の重度の胃潰瘍の手術のため緊急入院するなど、放射能の害を身をもって体験してきました。このような原体験があったからこそ、私は1988年8月にウラン残土の放置が発覚して以来、方面の住民ともどもウラン残土の撤去を核燃料サイクル開発機構(旧動燃)に訴え続けてきました。

しかし、核燃は方面地区の自治会と1990年8月に撤去協定書まで結びながら、岡山県知事の反対を口実にずるずると履行を引き延ばし、ウラン残土の放置発覚から足掛け15年、協定書締結から13年目になる今日に至るも、未だ約束の残土を撤去していません。


去る6月25日に自治会が原告となった訴訟で鳥取地裁の内藤紘二裁判長は、核燃にウラン残土を撤去するよう命じ、撤去の仮執行まで認めたにもかかわらず、核燃は「早期解決のため」と称して控訴するとともに、鳥取地裁に仮執行の停止を求め、またしても責任逃れの引き延ばしと先送りを図ってきました。いったい、私たちはいつまで核燃の引き延ばしと先送りに付き合わねばならないのでしょうか。

それにしても、「早期解決」のための「控訴」とは自己矛盾もはなはだしい二枚舌と言わざるを得ません。核燃が「控訴」すれば「早期解決」が遠のくことは誰の目にも明らかです。本気で「早期解決」を目指すのであれば、率直に判決を受け入れ司法の命令に従って、仮執行を自らの手で行なうべきでした。


先の「意見陳述書」で述べたことですが、方面は国策として進められた日本の原子力開発に地区を挙げて協力し貢献した村です。実際、方面で採掘されたウラン鉱石は茨城県の東海村に運ばれて精錬され、国内最初の原子炉たる東海1号炉の燃料になりました。その国に協力し貢献した村に対して、国の機関である核燃がウラン残土という核のゴミを押し付けて逃げるということは、道義的にも絶対に許されることではありません。

核燃自身の測定でも明らかなように、ウラン残土はまぎれもない放射性物質です。ウラン残土の発生源の事業者として、ウラン残土を即刻撤去して方面の村を元のきれいな環境にして戻すよう、あらためて核燃に求めます。核燃がウラン残土を放置している方面の山林は村人の私有地で、1996年末いらい土地の貸借を拒否しているにもかかわらず、核燃はウラン残土を不法に放置して居座り、現在に至っています。


とりわけ、方面の長老の清水滋雄氏から私が譲り受けた東郷町大字方面字坂根314−3の土地には、核燃がフレコンバックに袋詰めたウラン鉱石残土を放置していますが、これはウラン採掘当時、茨城県東海村に運ぶべき鉱石を核燃が置き去りにしていた貯鉱場跡の危険な放射性物質です。

このため、「訴状」(2000年12月1日)でも指摘した通り、放射線量はきわめて高く、フレコンバックの袋の表面で最大36.8ミリシーベルト/年ですが、これは人の立ち入りを禁止して管理区域に設定しなければならないほどの異常値です。

この間、私は核燃による土地の使用を拒否し、フレコンバックのウラン鉱石残土を即刻撤去するよう、再三にわたって文書で警告してきました。しかし、核燃は私の土地を勝手に占拠して、高線量の放射能を出す危険物を置き去りにしたままです。

いやしくも法治国家において、他人の土地に居座って私人の権利を侵害し、そこの土地にとてつもない危険物を置き去りにして、土地の利用を不可能にするような不法行為が、はたして許されるのでしょうか。もし、裁判長が私人として、これと同じ理不尽な目に会ったら、どうなさるか教えてほしく思います。


核燃はフレコンバックを置き去りにした場所がもと清水滋雄氏の土地で、現在は私が所有していることを知りながら、この訴訟の第1回口頭弁論後の記者会見で、「フレコンバックの仮置き場は誰の土地か分からない」とうそぶきました。そこで、公図に照らし合わせた現地測量に基いて私が図面を提出して、フレコンバックの大半が私の土地にあることを立証するや、こんどは私の土地がずっと上方の貯鉱場跡にあるかのような偽装工作の図面を出して、私の要求をそらす姑息な作戦に転じました。

しかしながら、フレコンバックの土地の大半が私のものであり、貯鉱場跡の土地が原田敏明氏のものであることは、その後の「陳述書」(2002年2月11日)をはじめ、私が追加して提出した書証・図面・写真からも明かです。このことは、方面の住民の公知の事実でもあり、先の「陳述書」で述べた通り、本年1月3日の方面自治会の初総会で出席者全員に被告の図面を閲覧に供したところ、「これ(被告の図面)は間違っとる。榎本(益美)さんのが正しい」というのが共通意見でした。


この訴訟の裁判長が交替されたのを機に更新意見を申し述べました。核燃による引き延ばし先送りに15年も引き摺りまわされ、ともすれば絶望的な気持に陥りながらも、私は法治国家たる日本には法の正義と良心は存在するはずだと信じ、足掛け15年にもわたるウラン残土撤去の是非善悪を最終的に司法の判断に委ねるべく、自治会の訴訟に並行して苦難を承知で提訴に踏み切りました。

方面地区のウラン残土訴訟は、さきの自治会訴訟の鳥取地裁判決に寄せて、鳥取県の片山善博知事も語っておられるように、日本の原子力行政の信用を問う訴訟でもありますが、その日本の原子力開発のスタート時点で村を挙げて国策に協力し貢献した私たちにとっては、国策に協力し貢献した者が元のきれいな村に戻してもらって報われるのか、それとも危険な放射性物質を置き去りにされて虫けらのように切り捨てられるのか、自らの命をかけてこの国の法の正義と良心の存在を確かめる訴訟です。新裁判長が、早期に明快な司法の判断を下されることを願ってやみません。

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2 核燃の準備書面と意見書
 被告の核燃は前回の原告の主張と求釈明に対する反論と釈明を行ないました。第1に、原告が公図と現地測量を照合する基準点としたシデの木、夫婦松、アスナロの木について、いずれも疑問との反論を繰り返しています。第2に、被告図面が依拠している「境界確定協議書」は「動燃ウラン残土堆積場への工事車両出入りのための赤線形状変更」のためのものだ―との原告側の主張に対して、核燃は「従来からの赤線の位置を厳密に確認したものである」と反論しています。

これに関連して核燃は、この協議書作成の立会いに榎本さんが参加しているとの当時の議事録を提出しましたが、これについては榎本さんからいずれ再反論があるでしょう。第3に、被告図面を同じ縮尺で公図と重ね合わせると、ウラン残土堆積場内にあるはずの民有地が堆積場外にはみ出してしまう―との原告側の矛盾の指摘に対して、核燃は元方面村の所有する土地を個人に分筆・売却したさい、現地の利用状況と公図との食い違いが生じたものと推認されると反論しています。

第4に、ウラン残土堆積場内の土地使用契約書に公図と異なる面積が記載されている点についての原告側の求釈明に対して、核燃は堆積場全体の実測面積を登記簿上の面積で除した係数を、各地権者の登記簿上の面積に乗じた値であると釈明しました。つまり、各地権者の土地は実測していないというわけです。

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《追加》

核燃が原告の主張に反論と弁解

被告の核燃は8月20日の第9回口頭弁論で、前回の原告側の総括的な主張(6月18日準備書面)に反論する準備書面、および、土地家屋調査士の意見書や関連の書証を提出しました。核燃は準備書面で、原告図面の基準点であるシデの木・夫婦松・アスナロの木について、被告側がタテに取っている1991年(平成3)の国有財産境界確定協議書の作成のさい、これらの境界木があることについて地権者からの指摘がまったくなされていないので、「境界木としての信憑性に疑義が存する」と反論しました。

それぞれの境界木への疑問点も述べていますが、いずれも具体的な根拠を欠いた推測の域を出ません。この境界確定協議書をめぐって、原告が当時の協議書の書面の記述を引用して「動燃ウラン残土堆積場への工事車両出入りのための赤線形状変更」のためのもので、公図の赤線を確定したものではない、と前回の準備書面で主張したのに対して、被告の核燃は「形状変更」の場合、「従来の境界が不明確になることを防ぐ目的で境界確定協議を行うことになっており、本件においてもその趣旨から従来の赤線の位置を厳密に確定したものである」と反論しました。

さらに、被告図面を同じ縮尺で公図と重ね合わせると、ウラン残土堆積場の内側にあるはずの民有地が敷地境界のトラロープの外側にはみ出してしまうという矛盾を原告が指摘したのに対して、「明治時代に作成された公図に境界線を現状の占有に基づき割り付けて調整したと考えられ、現地の利用(占有)状況と公図との食い違いが生じたものと推認される」、と被告は弁解しました。

なお、核燃は、原告の榎本さんがさきの境界確定協議書作成のさいの立会いに参加していないと指摘したのに反論して、協議書作成の前年の境界立会いに出席していると当時の動燃のメモを提出していますが、これについては被告側の松本龍雄・土地家屋調査士(元動燃職員)の意見書の主張ともども、でっち上げのメモによる偽証工作の疑いもあり信憑性を欠いています。

それ以前に、榎本さんが詳細な陳述書(2002年2月11日)で指摘しているように、このメモのころ榎本さんが現場立会したのはウラン残土撤去に向けて、集落から堆積場入口の事務所跡までの取り付け道路に関してであり、核燃やそのお抱え職員だった松本土地家屋調査士がねじ曲げて主張するような、ウラン残土堆積場の赤線確認の立会ではないのです。

もう一人の藤田義彦・土地家屋調査士の意見書も、方面の山林の状況と推移を知り尽くした原告の榎本益美さんの詳細な陳述書に圧倒され、グーの声も出なくなった被告側が、方面の山林の現場について何も知らないもう一人の土地家屋調査士を使い、もっぱら憶測で綴らせた机上の作文にすぎません。

この日の口頭弁論で原告・被告双方の主張がほぼ出そろったため、並行する方面自治体訴訟で画期的判決を出したあと依願退官した内藤紘二・前裁判長に代わって、榎本さん訴訟を担当することになった鳥取地裁の山田陽三・新裁判長は、双方に立証計画の提出を求めました。
http://uranzando.jpn.org/
uranzando/e_sosho/09main.htm

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