ヒューマニスト12
<その人の指向性、価値観、生き方、考え方>


<安斎育郎>

 

 

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安斎 育郎(あんざい いくろう、1940年4月16日 - )は、立命館大学特命教授・名誉教授、立命館大学国際平和ミュージアム名誉館長。専門は、放射線防護学、平和学。趣味は、マジック(東大奇術愛好会会長だった)。長年国の原子力・核政策を激しく批判してきたことで知られている。そのために、現在でも原子力発電所を学生連れで見学しようとすると断られたりしている。原子力エネルギーは現状の科学技術などに鑑みると管理するのが困難であるとし、原発・核兵器への反対活動を行う(東海村臨界事故の調査活動や反核運動・平和運動など)。「九条科学者の会」呼びかけ人を務めている。福島第一原子力発電所事故以降は事故により散らばった放射性物質の人体への影響についてマスコミから取材をよく受けている。

https://ja.wikipedia.org/wiki/安斎育郎

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尹東柱記念碑 宇治河畔に(2017年2月20日朝日新聞)
 太平洋戦争中に留学先の京都で治安維持法違反容疑で逮捕され、27歳で獄死した韓国の詩人・尹東柱(ユン・ドン・ジュ)(1917〜45)の記念碑が、宇治市の宇治川河畔に建立されることになった。「詩人尹東柱記念碑建立委員会」が18日、発表した。2005年に設立された委員会が07年に碑を完成させ、生誕100年の記念の年にようやく建立場所が決まった。・・・ この日、宇治市で開かれた「詩人尹東柱の想(おも)いを今につなぐつどい」で、委員会代表の安斎育郎・立命館大名誉教授が建立場所が決まるまでの経緯を報告。「尹は、治安維持法と宇治とのかかわりで忘れてはならない人物。地域から考え、世界に働きかけていきたい」と話した。
http://digital.asahi.com/articles/CMTW1702202700002.html

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京都)尹東柱、生誕100年で多彩な動き 16日命日(2017年2月15日朝日新聞)
 朝鮮半島を日本が植民地支配していた時代、治安維持法違反の疑いで逮捕され、27歳の若さで獄死した詩人尹東柱(ユンドンジュ、1917〜45)。尹が留学した上京区の同志社大で11日、献花式が開かれた。今年は生誕100年にあたり、尹に関する本の出版、映画上映など多彩な動きがある。・・・18日には宇治市の日本基督教団宇治教会で「詩人尹東柱の想(おも)いを今につなぐつどい」が開かれる。多胡さんの講演や安斎育郎・立命館大名誉教授の報告がある。
http://digital.asahi.com/articles/ASK2D3D9RK2DPLZB001.html

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行くあてなき戦火の記録 戦地の手紙や爆弾痕残る家具… 各地の施設「もう満杯」(2016年11月28日朝日新聞)
戦争の記憶を伝える史料や遺品が、失われかねない事態に直面している。戦後71年がたち、戦争を知る世代が減るなか、遺品の「受け皿」となる施設側はスペースなどの難しい課題に向きあう。・・・後世に残す努力を/安斎育郎・立命館大国際平和ミュージアム名誉館長の話 過去に起こったことを起こったこととして後世に残す努力は欠かせない。戦後70年の昨年には各地で特別展が開かれて個人所有の遺品が多く展示された。展示後は個人宅に戻るものが多いと思われるが、そうして埋もれさせるのではなく、戦争史料を責任を持って後世の人に伝えるようにすることが大切だ。収蔵専門施設の設置など、国も戦争史料の保存に力を入れるべきだ。
http://digital.asahi.com/articles/DA3S12679731.html

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首相の真珠湾訪問、歴史認識問う質問状 ストーン監督ら(2016年12月25日朝日新聞)
安倍晋三首相の米ハワイ・真珠湾訪問に関し、日米の学者ら約50人が25日、首相あてに歴史認識を問いただす公開質問状を出した。「侵略の定義は定まっていない」とした首相の国会答弁の真意や、真珠湾のみならず、中国や朝鮮半島、アジア諸国の犠牲者も「慰霊」する意思があるのかをただしている。公開質問状を出したのは映画監督のオリバー・ストーン氏や、法学者のリチャード・フォーク・プリンストン大名誉教授、哲学者の高橋哲哉・東京大教授、安斎育郎・立命館大名誉教授ら計53人。
http://digital.asahi.com/articles/ASJDT64ZPJDTUHBI01B.html

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立命大国際平和ミュージアム 戦争の恐怖訴え、来館100万人(2016年08月03日京都新聞)
世界で初めて大学が設立した平和博物館「立命館大国際平和ミュージアム」(京都市北区)で3日、来館者が100万人に達した。式典が催され、節目の来館者である京都市御室児童館(右京区)の子ども約40人と引率者に記念品が贈られた。式典では安斎育郎名誉館長が、子どもらに「時間がある限り、中をよく見てください」と語りかけた。児童館職員の比嘉将吾さん(27)は毎年、児童館で訪れるといい、「展示を見るたび、戦争では信じられない事が起こると痛感する。子どもも戦争の怖さを強く感じるようだ」と話した。

http://www.kyoto-np.co.jp/education/article/20160803000075

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原発批判の旗手 安斎育郎さん 「学者の責任」福島通う(2015年03月17日東京新聞)
 安斎育郎さん(74)は東日本大震災直後から毎月、京都から福島に来ている。安斎さんは東大原子力工学科の一期生。今は立命館大名誉教授で、国際平和ミュージアム名誉館長だ。若いときから原発政策を批判し続けてきた。先月末、福島県南相馬市での活動に同行した。時折、冷たい小雨が降る寒い日だったが、安斎さんは赤いおしゃれな服を着て、笑顔で迎えてくれた。仲間は桂川秀嗣・東邦大名誉教授、佐藤理(おさむ)・福島学院大教授ら。昨年末、特定避難勧奨地点から解除された同市深野地区を調査した。まだ放射線量の高い場所があり、帰還していない人が多い。民家に着くと、安斎さんは先頭に立って、線量計を片手に歩いて行く。線量計からは「ピピピーッ」と電子音が鳴り続ける。


 「五マイクロ」と安斎さんが言う。毎時五マイクロシーベルト。年間一ミリシーベルト以内の被ばくの目安となる〇・二三マイクロシーベルトの二十倍以上だ。場所は雨どいの下の地面。「こういう所が高いんだ」と言いながら辺りを見回して「そこのコンクリートの板を(地面の上に)載せて」と住民にアドバイスする。厚さ三センチほどの板を置くと一・七マイクロシーベルトまで下がった。地元で「いぐね」と呼ばれる屋敷林は、無残に伐採されていた。安斎さんは跡地に入って、素手で土や枯れ葉を触る。まるで放射性物質の有無を確かめているようだ。・・・安斎育郎さんは先月七日、福島市で開かれた「はなネット友の会」総会で講演した。得意のマジックを演じながら「人はなぜ、だまされるのか」を語った。

講演の要旨を紹介する。・・・政府の原発政策はきわめてずさんだと、一九六七年ごろから感じ、原発批判をするようになった。原発は今、五十四基もあるが、三重県・芦浜、和歌山県の複数の計画、高知県・窪川などは地元の人と一緒に建設計画をつぶした。国家に比べれば微力だが、無力ではない。人はなぜ、こりもせずにだまされるのか。(スプーン曲げを実演した後)超能力ではなく、なぜと考えてほしい。これは、てこの原理を使っただけ。金属は堅いという思い込みがあるのでだまされる。知識不足、欲得ずく、思い込みが、だましの道に誘われる三つの入り口だ。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/feature/tohokujisin/fukushima_report/list/CK2015031702000203.html

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測って確かめる、実践 自力で除染 園児守った、さくら保育園(2015年1月13日東京新聞)
園庭も広いが、二〇一〇年秋に完成した園舎もゆったりした造りだ。斎藤美智子園長は「普通だったら、認可保育園でこんな立派な園舎は建てられない」と笑う。保育園に「はまっている」保護者のおかげだという。耐震設計の園舎は、一一年三月十一日の震災から園児を守った。東京電力福島第一原発から六十キロ離れているが、同年四月、環境省の調査で、県内でも空間放射線量が高い保育園と分かった。「当時はここにいてもいいのか、という思いだった。ただ、一人でも来るのなら開園しなければと考えた」と斎藤園長。仕事や家庭の事情で避難できない保護者はいる。実際、四月には新入園の二十二人を含めて園児は九十六人だった。・・・安斎さんは「被ばく線量は少ないにこしたことはない」と話し、持参した線量計を保育園に残してくれた。保護者会の会長が汚染マップを作った。お父さんたちが職員と一緒にデッキブラシで通路やベランダを水洗いした。ペットボトルに水を入れれば放射線を防げると、二リットルのペットボトルを二千本も集めた。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/feature/tohokujisin/fukushima_report/list/CK2015011302000168.html

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安斎科学・平和事務所/安斎育郎公式事務所
「安斎科学・平和事務所」(Anzai Science & Peace Office 略称:ASAP(アサップ))は、科学的なものの見方・考え方や、平和創造のための私たちの行動について、皆さんとともに考えることを目的としています。
http://asap-anzai.com/

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〈ニッポン人脈記〉石をうがつ:5 (2012年9月6日朝日新聞)
いつか孫が問うだろう
福島県楢葉(ならは)町の自宅にいた早川篤雄(はやかわ・とくお)(72)の耳に、避難を呼びかける防災無線の声が飛び込んで来た。室町時代に開かれた浄土宗の寺、宝鏡寺の30代目の住職。2011年3月12日の朝だった。「あー、やっぱりダメだったのかあ」。自宅と寺は、福島第一原発から約15キロのところにある。現金と通帳の入ったカバン、それとなぜか、座布団とお湯の入ったポットを抱えて車に乗った。渋滞で止まったら、車内でコーヒーでも飲もうと思った。が、いつも飲んでいるインスタントコーヒーは持ってこなかった。「頭が真っ白だったんだな」いわき市の知人宅に身を寄せていた1週間後、立命館大学名誉教授の安斎育郎(あんざい・いくろう)(72)から携帯に電話がかかってきた。「君たちの原発にずっとかかわってきたのに、事故を防げなかった。申し訳ない」。その言葉に涙が出た。安斎は、1960年に開設された東京大原子力工学科の1期生。新しいエネルギーの担い手になる夢を胸に、門をたたいた。

大学院に進んでいた65年末、日本科学者会議に原子力問題研究委員会が発足。世話人に選ばれ、原発建設予定地の住民にたびたび招かれた。「原発ができたら、ホタテの養殖はどうなる?」「メロン栽培への影響は?」。安斎は、「わかりません」と答えるしかなかった。地元の人たちはため息をつき、肩を落とした。思えば、自分たち研究者は原子力の活用法ばかりを考え、安全性の研究にほとんど目を向けていなかった。原発の審査は十分か。住民が納得いくように資料は公開されているか。少なくとも、現状では十分な安全性が確保されているとは言い難いのではないか。安斎は、国の原発政策への批判を始めた。大学では「弓をひいた」と受け止められた。69年に医学部で放射線健康管理学教室の助手になるが、誰も口をきいてくれない。外部の集会で講演した時は、次の日に教授から「けしからん」と罵倒された。電力会社の関係者が発言を録音し、教授に届けていたと後になって聞いた。

主立った業務から外され、マウス一匹も飼えない助手生活は17年に及ぶ。それでも、安斎の被曝(ひばく)線量評価の研究は学外で評価され、考えに共鳴する声は広がった。「当時は貧乏だけど楽しかったね」。不遇の時代を支えた妻、喜美江(きみえ)(69)は振り返る。発表してきた論文が認められ、86年、立命館大学経済学部の教授に迎えられた。原子力を離れて自然科学概論を教え、環境問題や平和学にも専門分野を広げる。核兵器廃絶運動でも先頭に立ってきた。
  
早川の原発とのかかわりは、高校教師だった72年にさかのぼる。火力発電所の建設計画が持ち上がり、「お前、国語の先生だっぺ」と反対する会の事務局長を任された。地元では、福島第二原発の誘致も発表されていた。勉強会を重ね、こっちこそ問題ではないかと気づく。安斎とは、73年に開かれた住民公聴会で意見を述べてもらって以来のつきあいだ。75年には設置許可の取り消しを求めて提訴し、敗訴が確定するまでの17年9カ月、原告団の事務局長を務めた。楢葉町はこの8月10日、警戒区域の指定が解除された。早川は、地元の除染を進めるため、もっている5反の田を汚染土の仮置き場として提供するつもりだ。住民が戻って地域が再生し、100年後も笑顔で集まれるよう、残りの人生をかけたいと思う。支えにしているものがある。共に原発の反対運動に携わり、87年に54歳で亡くなった先輩教師、吉田信(よしだ・まこと)が残した詩だ。

 原発はいつの日か/必ず人間に牙をむく/この猛獣を/曇りない視線で看視するのが私たちだ/この怪物を絶えず否定するところに/私たちの存在理由がある/私たちがそれを怠れば/いつか孫たちが問うだろう/「あなたたちの世代は何をしたのですか」と
 早川には、5人の孫がいる。(大久保真紀)

http://digital.asahi.com/articles/TKY201209050338.html


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