ヒューマニスト10
<その人の指向性、価値観、生き方、考え方>


<鎌仲ひとみ>

Wikipedia
(かまなか ひとみ 1958年6月11日 - )は、富山県生まれのドキュメンタリー映画監督、テレビ演出家。
早稲田大学第二文学部卒業。大学時代は探検部に所属。男友達の自主映画を手伝ううちに、ドキュメンタリー映画作家を志望する。
大学卒業後、「グループ現代」「岩波映画」等の契約助監督を経て、バリ島を舞台とした自主制作監督作品「スエチャおじさん バリ/夢/うつつ」により、1991年文化庁芸術家海外派遣助成金を受け、カナダ国立映画製作所へ渡る。その後ニューヨークでメディア・アクティビスト集団「ペーパー・タイガー・テレビ」に参加。
http://ja.wikipedia.org/wiki/鎌仲ひとみ


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脱原発弘前映画祭:第2回、15日に/青森(毎日新聞 2014年02月07日 地方版)

「脱原発」に賛同する県内外の人々でつくる有志グループが15日、弘前市下白銀町の弘前文化センターで「AFTER311 第2回脱原発弘前映画祭」を開く。小出裕章・京都大原子炉実験所助教の講演も行われる。主催の映画祭実行委の仁平将代表(弘前市)によると、昨年7月に同センターで脱原発を訴える映画「ミツバチの羽音と地球の回転」(鎌仲ひとみ監督)と、「東京原発」(山川元監督)を上映したところ、311人の有料入場者があり、「1回だけで終わらせないで」との声が多く寄せられたという。・・・
http://mainichi.jp/area/aomori/news/20140207ddlk02200064000c.html


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東京平和映画祭:食や原発テーマ 渋谷であすまで/東京(毎日新聞 2013年09月22日 地方版)

食や原発問題などをテーマにした東京平和映画祭が渋谷区の国立オリンピック記念青少年総合センターで開かれている。環境・平和活動家のきくちゆみさん(51)らが企画し、10回目。23日まで。22日は遺伝子組み換え食品の危険性を警告した科学者らが登場する独映画「サイエンティスト」など。23日はベルギー人のアラン・ド・アルー監督が原発事故の被災地の日常を追った「福島へようこそ」を上映する。その後、核の問題などを手がける鎌仲ひとみ監督のトークも。
http://mainichi.jp/area/tokyo/news/20130922ddlk13040120000c.html


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東日本大震災:「若あゆ」で初の保養キャンプ 相模原市が無料化、条件緩和 女性団体が原発被災親子招く/神奈川(毎日新聞 2013年12月12日 地方版)

相模原市は、小中学生の宿泊体験学習施設「相模川自然の村野外体験教室」(通称・相模川ビレッジ若あゆ、緑区大島)で、福島第1原発事故の被災者支援活動を無料で行えるようにした。放射線量の高い地域に住む親子を無料で招いて短期保養キャンプを実施している同市の女性ボランティアグループ「母ちゃんず」(竹内亜紀代表)は、21日から5泊6日で初めて「若あゆ」を利用し、第6回キャンプを開催する。・・・鎌仲ひとみさん講演 監督作品の上映会も「若あゆ」は大人数の食事スペースがないため受け入れ数はそれまでより少なくなったが、施設内のシアターを活用して23日午後2時、鎌仲ひとみさん監督の映画「内部被ばくを生き抜く」の上映会と鎌仲さんの講演会を開く。食事や子どもたちの遊びを手伝うボランティアの学習を兼ねた上映会・講演会だが、一般参加も募集している。問い合わせは、かのめくみさん(090・9426・9124)。【高橋和夫】
http://mainichi.jp/area/kanagawa/news/20131212ddlk14040310000c.html


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〈ニッポン人脈記〉石をうがつ:3(2012年9月4日朝日新聞)
少女の死を忘れない
「どうか私のことを忘れないで」。小さな紙切れに、アラビア文字でそうつづられていた。書いたのは、ラシャ・アッバース。14歳、絵を描くのが好きな少女だった。1998年11月、映画監督の鎌仲(かまなか)ひとみ(54)は、テレビのドキュメンタリー番組の取材でイラクを訪れた。現地では多くの子どもが白血病を患っていた。湾岸戦争で使われた劣化ウラン弾の影響が疑われた。専門家は、体内に放射性物質が入り込み、内部被曝(ひばく)を起こした結果だと指摘した。それなのに、経済制裁で医薬品は国内に入らず、助かるかもしれない命が次々と失われていく。病院の取材で出会ったのが、ラシャだった。「日本に帰っても忘れないよ」。鎌仲がそう語りかけた数日後、ラシャは死んだ。「被曝」がいま現在の問題だと気づかされた鎌仲は、核をめぐる旅を始める。富山県出身の鎌仲は、働きながら早稲田大に通い、探検部でアジアを歩いた。映画を作っていた恋人を手伝ったことがきっかけで、映像で表現する魅力にとりつかれた。

やりたいことのためなら貧乏は苦にならない。助監督から始め、借金をしては作品を撮った。核をめぐる旅は、まずはイラクの再訪から。病を抱えながら生活する子どもやその家族を改めて取材し、米国の核施設の周辺で健康被害を訴える人を訪ね歩いた。そうして、2003年に映画「ヒバクシャ」を完成させた。原子力発電に使うウランを濃縮、生成する中で、放射性廃棄物が生まれる。取材の過程で、それが劣化ウランであることを知った。原発の電気を享受するみんなが生んだゴミではないか――。無知、無関心でいることの罪を思い、鎌仲はさらにドキュメンタリーの制作に没頭していく。06年に発表した「六ケ所村ラプソディー」では、青森県六ケ所村にある使用済みの核燃料サイクル施設と地元住民を取り上げた。反対派だけでなく、核燃料施設で働く人や出入りするクリーニング業者、後に原子力安全委員長になる班目春樹(まだらめ・はるき)(64)もまっさらな気持ちで取材した。村の人口は約1万1千人。「働く場が必要だ」という推進派の主張も、一つの現実として理解できた。原発の是非はひとまず置いて、社会のあり方を問いかけたい。そんな思いで完成させた映画は、推進、反対の両派から批判された。制作費として1万円をカンパした人からは「推進派になぜこんなにしゃべらせるのか。金を返せ」と言われた。

鎌仲は言う。「両方から文句を言われるのはいいこと。孤独でなければ、真実を見据えた作品はつくれない」そんな鎌仲を支える人たちがいる。冨田貴史(とみた・たかふみ)(36)は、大手の音楽プロダクションを退職した後、全国で「六ケ所村ラプソディー」の上映会を企画した。開催は120回を数えたが、中には3人しか参加者がいなかったこともある。「お金の問題じゃない。一人でも多くの人に考え、議論してもらいたかった」昨年3月に原発事故が起きた時、鎌仲は落ち込んだ。「子どもを被曝させない世の中にしようと、ずっとカメラを回してきたのに……」心が乱れるなかで、約10年前に大病を患い、死を意識した時に考えたことを思い出した。人に与えられた時間は限りがある。どんな状態でも最善を尽くさねば。気持ちを奮い立たせた。戦後ずっと被爆医療に携わってきた医師、肥田舜太郎(ひだ・しゅんたろう)(95)らに取材して今年、映画「内部被ばくを生き抜く」を発表した。福島の原発事故を踏まえ、放射線の問題にどう向き合うかを考える素材にしたかった。今月中旬には、次の映画の撮影のため、チェルノブイリに飛ぶ。あの日ラシャと交わした約束が、鎌仲の背中を押している。(大久保真紀)

http://digital.asahi.com/articles/TKY201209030263.html


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鎌仲 ひとみ(かまなか ひとみ 1958年6月11日 - )は、富山県生まれのドキュメンタリー映画監督、テレビ演出家。
早稲田大学第二文学部卒業。大学時代は探検部に所属。男友達の自主映画を手伝ううちに、ドキュメンタリー映画作家を志望する。
大学卒業後、「グループ現代」「岩波映画」等の契約助監督を経て、バリ島を舞台とした自主制作監督作品「スエチャおじさん バリ/夢/うつつ」により、1991年文化庁芸術家海外派遣助成金を受け、カナダ国立映画製作所へ渡る。その後ニューヨークでメディア・アクティビスト集団「ペーパー・タイガー・テレビ」に参加。


1995年の帰国以来、フリーの映像作家として、NHK及び、小泉修吉の「グループ現代」での映像を制作。
2003年に監督したドキュメンタリー映画「ヒバクシャ―世界の終わりに」は地球環境映像祭アース・ビジョン大賞、文化庁映画賞文化記録映画優秀賞ほか、多数の賞を受賞した。多くの作品で、カメラ担当の岩田まきことコンビを組んでいる。
2003年から東京工科大学メディア学部助教授[1]、2011年3月退職(退職時は准教授)。
http://ja.wikipedia.org/wiki/鎌仲ひとみ


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