ヒューマニスト68
<その人の指向性、価値観、生き方、考え方>



<伊丹 十三>

 

ウィキペディアより

伊丹 十三(いたみ じゅうぞう、1933年5月15日 - 1997年12月20日)は、日本の映画監督、俳優、エッセイスト、商業デザイナー、イラストレーター、CMクリエイター、ドキュメンタリー映像作家。戸籍名は池内 義弘(いけうち よしひろ)だが、家庭では岳彦(たけひこ)と呼ばれて育ったため、本名・池内岳彦とされる場合もある。映画監督の伊丹万作は父。女優の宮本信子は妻。長男は池内万作(俳優)。次男は池内万平(伊丹プロダクション取締役)。ノーベル賞作家の大江健三郎は妹ゆかりと結婚したので義弟。ギタリストの荘村清志は従弟。料理通としても知られた。身長180cm。

1950年、愛媛県松山市小坂町の寺院・多聞院の一室に移り、母や妹と同居を開始。1950年4月14日、1学年遅れで愛媛県立松山東高等学校に転入。同校では文藝部誌「掌上」第1号に黒田匡の筆名で創作「気分」を発表。また、巻末の「編輯雑感」にも池内義弘の名で執筆。1951年、2年次から転入した大江健三郎と親交を結ぶ。同年8月1日、同校演劇部の「彦一ばなし」「夕鶴」などの公演に裏方として参加。同年10月から休学。1952年4月、愛媛県立松山南高等学校2年次に転入。1954年3月、20歳で同校を卒業後、大阪大学理工学部[6]を受験するも失敗。上京し、新東宝編集部に就職。

1992年、特に『ミンボーの女』では、ゆすりをやる暴力団は市民が勇気を持って賢く行動すれば引き下がることを描き、観客は大喜びした。これまで日本では、映画でヤクザ(暴力団員)をヒーローとして扱い礼賛していた(「ヤクザ映画」という一ジャンルが存在する)。公開1週間後の5月22日夜に、自宅の近くで刃物を持った5人組に襲撃され、顔や両腕などに全治三ヶ月の重傷を負うが、「私はくじけない。映画で自由をつらぬく。」と宣言した

1997年12月20日、伊丹プロダクションのある東京麻布のマンション下で遺体となって発見された。当初から、経緯について様々な説が飛び交った。かつて『ミンボーの女』(1992年)公開後に襲撃事件があった経緯から、当初から暴力団の関与を疑う声はあった。・・・また死の5日前まで医療廃棄物問題の取材も続けていた。「飛び降り自殺」はまさにその直後のことであり(インタビュー、FLASH発売直後)、自殺直前の様子との不自然さから、その「自殺」には強い疑惑が持たれ続けている。ジェイク・エーデルスタインの著書によれば、伊丹は当時後藤組と創価学会の関係を題材にした映画の企画を進めており、後藤組組長の後藤忠政がそれを快く思わず、後藤配下の5人が伊丹の体をつかんで銃を突きつけ屋上から飛び降りさせたと、自身が取材した人物が語ったという[19][20]。また大島渚や立川談志など古くから伊丹十三を知る人物も、警察が死因を「自殺」と断定した後も「不倫報道ぐらいのことで、あいつは自殺しない」「飛び降り自殺は絶対に選ばない」と話し自殺を否定した。

監督作品
ゴムデッポウ(1962年) ※伊丹一三名義の初監督作品、第24回東京国際映画祭特別上映[26] [27]
お葬式(1984年)
タンポポ(1985年)
マルサの女(1987年)
マルサの女2(1988年)
あげまん(1990年)
ミンボーの女(1992年)
大病人(1993年)
静かな生活(1995年)
スーパーの女(1996年)
マルタイの女(1997年)

自著
ヨーロッパ退屈日記(文芸春秋新社、1965年)
女たちよ!(文藝春秋、1968年)
問いつめられたパパとママの本(中央公論社、1969年)
再び女たちよ!(文藝春秋、1972年)
小説より奇なり(文藝春秋、1973年)
日本世間噺大系(文藝春秋、1976年)
女たちよ!男たちよ!子供たちよ!(文藝春秋、1980年)
自分たちよ!(文藝春秋、1983年)
「お葬式」日記(文藝春秋、1985年)
フランス料理を私と(文藝春秋、1987年)
「マルサの女」日記 (文藝春秋、1987年)
「大病人」日記(文藝春秋、1993年)

共著
愛猫記(吉行淳之介ほか、番町書房、1977年)
哺育器の中の大人:精神分析講義(岸田秀、朝日出版社、1978年)
快の打ち出の小槌:日本人の精神分析講義(佐々木孝次、朝日出版社、1980年)
倒錯 - 幼女連続殺人事件と妄想の時代(福島章、岸田秀、ネスコ、1990年)

https://ja.wikipedia.org/wiki/伊丹十三

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「タンポポ」全米に咲く 来月4日 宮本信子密着ドキュメント(2017年1月28日東京新聞)
三十年前に米国で公開され、ラーメンブームの火付け役となった故伊丹十三監督の映画「タンポポ」のデジタルリマスター版が全米公開され、好評だ。舞台あいさつのためニューヨークを訪れた監督の妻で女優の宮本信子(71)に密着したドキュメンタリー番組「タンポポ、ニューヨークへ行く」が二月四日、有料衛星放送「日本映画専門チャンネル」で放送される。宮本は「今も色あせていない作品で、伊丹監督はすごい人だと改めて思いました」と語った。・・・今年で没後二十年となる伊丹監督について「生きていたらどんな映画を撮っていると思うかと今も尋ねられる。皆さんの記憶の中にあるのは幸せ」と語る。日本映画専門チャンネルはドキュメンタリーに続いて二月四〜五日に「お葬式」「タンポポ」「マルサの女」など伊丹監督の全十作品も一挙放送する。宮本は「若い人にもこんな風通しのいい考え方をするおじさんがいたということを知ってほしい」と期待する。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/entertainment/news/CK2017012802000184.html

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<あのころ>大江健三郎さん結婚 伊丹氏の妹ゆかりさんと(2017/02/18共同通信)
 1960(昭和35)年2月18日、作家の大江健三郎さんが東京・日比谷の日活国際会館で挙式した。お相手は映画監督となった伊丹十三氏の妹ゆかりさん。大江氏と伊丹氏は松山の高校時代に知り合い、親交があった。2年前に「飼育」で芥川賞を受賞、23歳の最年少受賞が話題を呼んだ。東京・成城町で新婚生活をスタート。

http://www.47news.jp/news/photonews/2017/02/post_20170218080210.php

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松山大法学部長 田村譲さん 権力を疑ってかかろう(2007年7月5日東京新聞)
国民投票法が成立し、学生には「君たち一人一人がこの国の在り方を決める。憲法改正はそれが問われる。国民一人一人に判断が求められる時代になったが、これは国民主権の具体的な表れだ」と教えました。学生たちは恐ろしく無関心。無関心は最大の敵です。国家権力に思う通りにされ、気が付いたら抜き差しならぬ状態になっている。・・・かつて戦争に突き進んだ時に、皆「(国に)だまされた」と言った。だけど、だまされた国民も悪いでしょう。戦争をするのは個人でなく国。だから憲法は国に「戦争するな」と言っている。僕たちの先輩がだまされた結果、どうなったか。そうはっきり言ったのは映画監督伊丹十三さんのお父さんで、松山出身の万作さんです。憲法九条もそうだが、学生は戦争も知らない。ゲーム世代だから、死んでもすぐ生き返る。戦争とは一体何だ、と想像力を喚起する講義をしています。古い映像やニュースを編集して見せたり、新聞の社説を読み比べ、どれが一番説得力があるかとリポートを書かせたり。この連載「試される憲法」も教材にしています。日々起きている大事件も知らない学生が多いのには驚きます。新聞だけでなく、テレビニュースも見ない。見るのはバラエティーだけ。世の中がおかしくなっているというのが、感覚としてないんでしょうね。その日が楽しければいいと。無関心だから「戦争なんてあるわけない。自衛隊がやるもんだ。自分たちには関係ない」と思ってる。憲法は権力を縛るもの。権力が改正しようとしてるんだから「何かおかしい、と思わない?」と学生に言います。疑ってかかろう、と。
http://www.tokyo-np.co.jp/hold/2007/consti/news/CK2007070502029676.html

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(各駅停話)花月園前駅 競輪場、消えゆく面影/村山恵二(2016年10月29日朝日新聞)
 花月園前駅の「花月園」が何なのか、知らない人が多くなった。大正から昭和の初めにかけては「東洋一」と称された規模と人気を誇った遊園地だった。1950年、その跡地に造られたのが競輪場だ。競輪場は、映画などの撮影にも使われた。有名なのは、故・伊丹十三監督の「マルサの女」のラストシーン。山崎努さん演じる脱税したラブホテル経営者、権藤英樹が、客席を踏み越えて去って行く場面だ。売り上げの悪化などから、競輪場は2010年3月末で閉園した。跡地はUR都市機構が整備する。現在は解体作業が進み、メインスタンド以外はほぼ無くなった。URによると、解体には国立競技場と同じ重機を使っているという。
http://digital.asahi.com/articles/ASJ9Y64GQJ9YULOB028.html

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「タンポポ」米公開ドキュメンタリー 日本映画専門チャンネル(2017年1月27日朝日新聞)
 BS放送の日本映画専門チャンネルは2月4日、ドキュメンタリー番組「タンポポ、ニューヨークへ行く」を放送する。伊丹十三監督の第2作「タンポポ」の4Kデジタルリマスター版が全米公開されるのを機に、監督の妻で主演女優の宮本信子が渡米。ニューヨークで舞台あいさつする姿を追った。「タンポポ」は約30年前に米国で公開され、その年の外国映画興行成績の第5位にランクインした。伊丹監督の長編全10本の一挙放映もある。
http://digital.asahi.com/articles/DA3S12768795.html

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伊丹十三、創作の秘密とは キーワードは驚き、ひらめきの種も 記念館/愛媛(毎日新聞2016年3月8日)
 松山市東石井1の伊丹十三記念館で、企画展「ビックリ人間 伊丹十三の吸収術」が開かれている。伊丹十三(1933〜97年)の創作の糧となった本や映画など約140点を展示。ヒットメーカーと呼ばれた伊丹のひらめきや創作の秘密が伝わる内容になっており、中野靖子学芸員は「伊丹ファンはもちろん、そうでない人にも楽しんでもらえる企画展です」と話している。・・・「僕はビックリ人間なのです。異文化にぶつかってビックリするのが好きなんです」

 企画展の入り口には、伊丹が生前残した言葉がパネルで掲げられている。・・・84年の初監督作品「お葬式」を撮るにあたり、伊丹はこれらハリウッド映画を200本以上見て「序破急」の3幕構成が観客を引きつける秘訣(ひけつ)であることなどを学んだ。会場では、伊丹の監督第3作「マルサの女」でのバイクでの追跡シーンが、ヒチコックの「めまい」の演出を参考にしていることが紹介されている。

http://mainichi.jp/articles/20160308/ddl/k38/040/587000c

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伊丹作品の「種」公開 書籍や原稿300点展示 松山の記念館 (2016年01月20日(水)愛媛新聞)
松山市東石井1丁目の伊丹十三記念館で、企画展「ビックリ人間・伊丹十三の吸収術」が開かれている。2017年12月上旬まで。
 映画監督、エッセイストなどとして活躍した故伊丹十三さん(1933〜97年)が表現活動の糧にしたという書籍や映画のビデオテープ、直筆原稿など計約300点を展示している。 映画は「鑑賞ノート」に作品ごとの感想を記しており、会場ではその内容をプロジェクターで投影。小津安二郎監督の作品では登場人物の動線に、米・ミュージカル映画「アニー」(82年)は階段を使った演出に着目していた様子がうかがえる。 哲学、食、映画などの愛読書、取材や対談の際の録音テープなど、ヒットメーカーと呼ばれた伊丹さんの「ひらめきの種」を知ることができる。 ・・・
http://www.ehime-np.co.jp/rensai/hotnews/ren111201601200455.html

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伊丹十三記念館サイト
伊丹十三は、商業デザイナー、俳優、エッセイスト、TVマン、雑誌編集長、映画監督と興味のおもむくままに様々な分野の職業に分け入り、多彩な才能を発揮した人でした。また、音楽愛好家、猫好き、乗り物マニア、料理通など、趣味人としても一流の見識を持っていたことは、つとに有名でした。「常設展示室」には、伊丹十三の足跡を具体的な資料でたどることができるよう、十三の名前にちなむ13のコーナーが設けてあります。あなたはここで、伊丹十三という人物の未知の一面に出会うことになるでしょう。・・・
http://www.itami-kinenkan.jp/


 

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