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ヒューマニスト65
<その人の指向性、価値観、生き方、考え方>



<山本 周五郎>

 

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山本 周五郎(やまもと しゅうごろう、1903年(明治36年)6月22日 - 1967年(昭和42年)2月14日)は、日本の小説家。本名、清水 三十六(しみず さとむ)。
1903年(明治36年)6月22日、山梨県北都留郡初狩村(現:大月市初狩町下初狩)に生まれる。父は清水逸太郎、母は「とく」(旧姓・坂本)。周五郎は長男(弟の潔、義妹の末子がある。本籍地は北巨摩郡大草村(韮崎市大草町)で、周五郎は後に自らの出生地を同地と語っている。・・・

1910年(明治43年)7歳で東京府北豊島郡王寺町・豊島の豊島小学校に入学した。8月10日、荒川が氾濫し住居が浸水し大被害を受ける。同年秋から神奈川県横浜市久保町(現・神奈川県横浜市西区久保町)に転居。西戸部小学校に転校した。翌1911年(明治44年)学区の編成替えで横浜市立尋常西前小学校2年に転学した。父は繭の仲買を営んでいた。また、輸入用麻製真田紐の巻き取り、生糸の仲買、小口金融業、小料理店甲子屋の経営、三業組合書記などの職を転々とした。

1911年(明治44年)4年生の時、担任の先生から小説家になれと励まされ、志望するようになった。以来、学校新聞の責任を命じられたり、6年生の時には、級友の作文・図画を集めて回覧雑誌を作った。自分で雑誌の表紙を描き、扉絵には詩を付けたりした。

1916年(大正5年)横浜市立尋常西前小学校(現横浜市立西前小学校)卒業。卒業と同時に東京木挽町二丁目(現:銀座二丁目)にあった質店の山本周五郎商店に徒弟として住み込む。・・・

1936年(昭和11年)33歳、講談社からは新進作家としてあつかわれ、講談社発行の『婦人倶楽部』・『少年倶楽部』・『講談倶楽部』・『少女倶楽部』などのほとんどの雑誌に作品が掲載された。当時の周五郎は、むしろまじめで几帳面な、そしてコツコツと鍛練を重ねる、真摯な作家であった。博文館が、周五郎の「大人向け」作品を掲載しだした。それまではほとんどが少年少女小説であった。
・・・

1943年(昭和18年)40歳
第17回直木賞に『日本婦道記』が選ばれるが辞退。周五郎の年間執筆数の約6割〜7割が講談社の雑誌に掲載され、その大半が『婦人倶楽部』の「日本婦道記」であった。この執筆が作家的飛躍に?がったと考えられている。

ペンネームの由来
ペンネーム「山本周五郎」の由来として(他のペンネームとして、俵屋宗八・俵屋宗七・横西五郎・清水清・清水きよし・土生三・佐野喬吉・仁木繁吉・平田晴人・覆面作家・風々亭一迷・黒林騎士・折箸闌亭・酒井松花亭・参々亭五猿を用いた)、自身の出世作となった『須磨寺附近』(『文藝春秋』1926年[昭和元年])を発表する際に本人の住所「山本周五郎方清水三十六」と書いてあったものを見て、文藝春秋が誤って山本周五郎を作者名と発表した説があるが、以前にも山本周五郎をペンネームとして使用していた形跡があり定かではない。

しかしながら雇主であった店主の山本周五郎は、自らも酒落斎という雅号を持ち文芸に理解を持っていた。そのため、周五郎を文壇で自立するまで物心両面にわたり支援し、正則英語学校(現正則学園高等学校)、大原簿記学校にも周五郎を通わせている。ペンネームにはそのことに対する深い感謝の念が込められていたと思われる。講談社には時代小説を書くと決めていたらしく、山本周五郎のペンネームだけを使った。

逸話
山本の本名「三十六」は、明治36年生まれであったことから来ている。・・・若い頃に植物学者の牧野富太郎の元に取材に行き、何気なく「雑木林」という言葉を使ったところ、「どんな花にも、どんな木にもみな名前がある。雑木林というのは人間の作った勝手な言葉だ。」と咎められた。感心した山本は、それ以降、植物の名前を積極的に憶えるようになった。山本は、中原中也や太宰治を高く評価していた。代表作のひとつ『虚空遍歴』の主人公である中藤沖也は中原がモデルであると言われている。
https://ja.wikipedia.org/wiki/山本周五郎

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廣野の落日 (1920年)
日本婦道記 (1942年)- 「日本婦道記」を企画、命名したのは『婦人倶楽部』編集部。それが評判になって定着していった。独立した作品を集めて単行本にしたもの。『日本婦道記』自体にも二種類ある。1943年(昭和18年)講談社(当時は大日本雄弁会講談社)版『小説 日本婦道記』と1958年(昭和33年)新潮文庫版『小説 日本婦道記』である。収録作品は同じでない。

後者は周五郎自身が作品を選定したといわれている。今ではこれが底本とされている。竹添敦子は、女性を主人公にした周五郎の連作(シリーズもの)と捉えている。底本とされている新潮社文庫(1956年10月)には、「松の花」「梅咲きぬ」「節竹」「不断草」「藪の陰」「糸車」「尾花川」「桃の井戸」「墨丸」「萱笠」「風鈴」の11編が収められている。


柳橋物語 (1946年)
寝ぼけ署長 (1948年)
栄花物語 (1953年)
正雪記 (1953-54年、1956年)
樅ノ木は残った (1954-58年)
赤ひげ診療譚 (1958年)
天地静大 (1959年)
五瓣の椿 (1959年)
青べか物語 (1960年)
季節のない街 (1962年)
さぶ (1963年)
虚空遍歴 (1963年)
ながい坂 (1966年)
『山本周五郎全集』全30巻(新潮社、1981年9月 - 1984年2月)
『山本周五郎長篇小説全集』全26巻(新潮社、2013年6月 - 2015年2月)
https://ja.wikipedia.org/wiki/山本周五郎

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どですかでん
『どですかでん』は、1970年(昭和45年)10月31日公開の日本映画である。四騎の会・東宝製作、東宝配給。監督は黒澤明。カラー、スタンダード、126分。山本周五郎の小説『季節のない街』を原作とし、貧しくも精一杯生きる小市民の日常を明るいタッチで描いている。黒澤映画初のカラー作品で、黒澤が木下惠介・市川崑・小林正樹と結成した四騎の会の第1作である。第44回キネマ旬報ベスト・テン第3位。昭和45年度芸術祭優秀賞。

あらすじ
とある郊外の街の貧しい地域。六ちゃんと呼ばれる少年は、学校にも行かず毎日近所の空き地に出かけては、他人には見えない電車を運転し、その電車の音を「どですかでん」という擬音で表現している。当人は自分が運転手だと本気で信じ込んでいるようで、それを母親は、息子が精神に異常をきたしたと思い嘆くが、六ちゃんは母親の頭のほうがおかしいと考えている。・・・ここに暮らす人たちは、変わった人ばかりである。六ちゃんはその中で電車を走らせ、日は暮れてゆく。
https://ja.wikipedia.org/wiki/どですかでん

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