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ヒューマニスト54
<その人の指向性、価値観、生き方、考え方>



<小泉文子>

 

(人生の贈りもの)小泉文子(91):1(2013年11月5日朝日新聞)

幼児教育者

■親の望みを詰め込みすぎてはダメ

――幼稚園の入園試験が開かれる季節です。水戸市の少友幼稚園の園長として先駆的な教育をされ、新渡戸稲造らの提案でできた「普連土(ふれんど)学園」(東京都港区、中学高校)の学園長もされました。昨今の幼稚園選びをどう思われますか。

幼児の魅力はすごいものです。精神の柔らかさというか、大人の想像を超えた可能性を、その子その子が持っている。これから芽を出す宝物です。ところが、私が園長を始めた1980年代にはすでに何でも早く教える風潮が広がり、入園前から塾やお稽古にお通いになるご家庭が出てきた。幼稚園も、通園バスに給食、延長保育、課外教育……とお母様の望むものを詰め込む。大人にも子どもにも、静かにじっくりと何かをする姿勢がなさすぎると感じます。

――園長になって一切の号令をやめたそうですね

「前にならえ」「気をつけ」のような号令で動く習慣はすべてやめました。号令をかけなくても、静かな音楽を流し先生がじっと座っていれば、子どもたちも静かに座ります。戦前、戦中を体験した私は、幼いころから号令で動くよう植え付けることに恐怖に近い感じを持ちます。並ぶ順序は自由、列が曲がってもいい。東京女子高等師範学校(現お茶の水女子大)で教わったフレーベル教育の倉橋惣三先生は「幼児の中の流れを止めてはならない」と言われてます。幼児期は自由に遊ぶことと、人の話を聞くことが大切なんです。

――名簿もいち早く男女混合にされました。男女同権や女性の社会進出を唱えられてきましたが、働く女性の子は幼稚園への入園は難しいのが現状です。

短くとも3年間、いや就学前まで、働く女性が育児に専念できる環境が必要です。企業や社会がそこを整えなければ、真の男女同権といえません。「預ける」のは教育ではないし、「イクメン」もよろしいですが、母親の愛情は何物にも代え難い。人間は生物です。おっぱいに触れて飲んで、その安心した感覚を土台に、あたたかい家庭の中で育ちます。仕事だけでなく、子育ても、あらゆることに女の人は賢くあってほしい。

女性が子育てをするのは、社会にとってもプラスですよ。子どもによって訓練された女性が、どれほど素晴らしい力を持つか。何より忍耐力がつくし、何事も即時即決で対応せざるを得ないので判断力もつきます。それを女性のキャリアとして認めてほしいですね。(聞き手・宮坂麻子)

     ◇

こいずみ・ふみこ 1922年、東京生まれ。東京女高師卒で高校教師に。婚約者が言論弾圧の「横浜事件」で獄死。アルツハイマーの夫を十余年、在宅看護しつつ、幼稚園長を務める。著書に「幼児はあらゆる種子の萌芽(ほうが)を孕(はら)む」「もうひとつの横浜事件」(いずれも田畑書店)など。

http://digital.asahi.com/articles/
TKY201311050189.html?iref=comkiji_redirect

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(人生の贈りもの)小泉文子(91):2(2013年11月6日朝日新聞)

■戦中獄死した婚約者 50年経て消息を追う

――戦時下最大の言論弾圧「横浜事件」で婚約者の浅石晴世さんが拷問の末に獄死。中央公論や朝日新聞記者ら約60人が逮捕された事件は、その後も再審請求が続きます。なれそめは?

母同士が師範学校の友人でした。母は小学校の先生。父は「ダイナマイト」と呼ばれる怖い高校の地理歴史の教師でしたが、亡くなった時には大勢の教え子が集まり、互いに「僕が一番愛されていた」と自慢し合うような人。上の兄は海軍兵学校、下の兄は横浜正金銀行ですから、左翼的な家庭ではありません。ただ母はロマンチストでしたから、浅石さんのような物静かで真っすぐな青年が気に入ったのではないでしょうか。

――婚約当時は東京女子高等師範学校で生物を学ぶ、元祖「リケジョ(理系女子)」でした

私は幼いころからおしゃべりが苦手で、数学が大好きだったんです。でも数学に進んで頭ばっかりになってはいけない、人間は生物だから生物学を選ぼうと。幼いころ、国内外の名作を集めた「小学生全集」を読むのが好きでしたから、その時の生命への感覚や感動が残っていたのかもしれません。

ところが入学してエンドウ豆の根の生長点細胞を見るために、プレパラートを作っている時、突然、こんなことに時間をかけてはいられない、もっと人間の命そのものを考えなくては時間がもったいないと。許す限り読書しました。

――出版された「もうひとつの横浜事件」はラブストーリーで当時の矛盾を訴えています

婚約した半年後に突然、婚約破棄を告げられました。「いよいよ時局が切迫し、僕には君を幸福にすることができなくなった」「どうしても別れなければならない」と手紙に書かれていて。5カ月近くたって、今度は「僕とは何のかかわりもなかったことにしてほしい」と2通目が届いた。「昭和塾」に入ったことは聞いておりましたが、ほかは何も知りませんでしたし、ただふられたと。終戦後になって初めて、朝日新聞の記事で、彼が検挙され、獄中で拷問を受けて、亡くなっていたことを知りました。

――消息をたどり始めたのは1991年ごろからですね

事件の再審請求に対し、最高裁が事実を調べないまま棄却した判決の記事を見て、初めて怒りで体が震えました。おかしいですね。92年に私の本が出るとすぐ公安調査庁か警察かの方が2人、訪ねてきました。「この本書きましたね。これからも書きますか?」と尋ねられたので、「事実のことはすべて書きます」と申し上げました。失恋物語なのに。戦後50年近くたってもこういう時代なのだと驚きました。(聞き手・宮坂麻子)

http://digital.asahi.com/articles/
TKY201311060323.html?iref=comkiji_redirect

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(人生の贈りもの)小泉文子(91):3(2013年11月7日朝日新聞)

■夫の看護 10年たって懐かしむ気に

 

――英文学者で東大でも教えた小泉一郎・学習院大名誉教授と結婚されました。ところが一郎さんがアルツハイマーを発症し、十余年にわたる在宅看護が始まります。話題になった看護日記「ほかに何ができたろう」を読ませて頂きましたが、壮絶ですね

 

お読みになってくたびれませんでした? 夫とは、私が都立三田高校の教師をしていた1947年に、先輩の紹介で結婚しました。娘と息子に恵まれ、私も同じ宗派「クエーカー(キリスト友会)」に入会しました。

子育てを終えた80年、一緒にスイス旅行に出かけた時、おかしなうそをつくな、と気付いたんです。行ってもいない場所を何度も訪れたように話して。思えば何年か前からうそが多くなった気もします。帰国後もお友達の家がわからなくなったり心房細動で苦しんだりしてました。

――その翌年、脳梗塞(こうそく)で倒れてしまいました

でもアルツハイマーとは診断されませんでしたが、幻聴、幻覚、失禁……の日々になりました。着替えをしようと言っても聞いてくれません。一番大変だったのは徘徊(はいかい)です。手足も言葉も不自由はありませんから、昼夜を問わず鍵を開けて出て行ってしまう。でも帰れない。

止めれば杖を振り回して怒りますし。大の大人が内から開けられない鍵をつけるのは本当に難しかった。施設を訪ねたこともありますが、夜中に窓から出て行くので、3日目には「とてもお預かりできません」と帰されてしまいました。

――途中からは達観されたような感じを受けました

専門病院では手足をベッドに縛りつけると言われました。考えていることもわからないし、もう好きにさせてあげよう、と思ったんです。当時は園長でしたし大変で、午前と午後は他の方に来て頂き、夜は私が見ました。夜中にすごい数の本を2階から1階へ下ろしたり、本のページをすべて半分に折り曲げて分厚くしたり。戻してもきりがない。いろんな「オイタ(いたずら)」をするんです。

深夜徘徊についていくのも疲れている時はやめました。私が留守の時は、息子夫婦に泊まってもらうこともしました。遠慮があるのか息子の時はおとなしかったとか。この前、認知症の夫が線路に入ってひかれ、その妻と長男に、列車が遅れた賠償を命じる判決が出ましたが、裁判官に私の本を読ませておけばよかったと思います。

――出版はレーガン元大統領が同じ病と発表した年。「励まされた」という声も多く届いたとか

夫の退職金を半分もらって離婚しようと思っていたけどやめました、という方もいましたね。お子さんがいじめを受けて統合失調症になった方からも「励まされました」と連絡がありました。どうにもできない病気を看護する家族は本当に追いつめられますから。

――91年10月に他界されます

ああ、解放された。それだけでした。夫がやり残していた翻訳を完訳して本にしたのはそれから10年近く後。ようやく懐かしむ気になれたんです。(聞き手・宮坂麻子)

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TKY201311070247.html?iref=comkiji_redirect

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(人生の贈りもの)小泉文子(91):4(2013年11月8日)

■どう生きるか、本には発見がある

――いまも机の上に、何冊もの本がおありですね

東京女子高等師範学校の学生だった時にプラトンの「ソクラテスの弁明」を読み、How to live? どう生きるかということに目覚めました。ソクラテスのような生き方ならできるかなあ、と。そう思ったのはなぜなのか。先日、「ソクラテスの弁明」を再び読んでみたんです。当時は岩波文庫だったので、今度は違う出版社の二冊を読みました。三冊読むといろんなことが見えてきます。

「思いこみを捨てて現実を見る」とか「成り行きに任せて生きる」とか「魂に正直に」とか。「フランクリン自伝」も読んだら、そこにもどう生きたらいいか書いてあった。飽くほど食べてはいけない、沈黙、自他に益なきことを言わぬ……。その最後に「イエスとソクラテスを見習え」とあって、うれしくなりました。本にはいろんな発見があります。時間のある年寄りの特権ですね。

――戦後、水戸市のクエーカー(キリスト友会)会堂で、茨城県東海村の原子力研究所(現・日本原子力研究開発機構)の若い方々を交えて、英会話グループをされていた時期があったとか。原発について、どのようにお考えですか

日立製作所などいろんな若い方が集まっていました。原子力研究所ができたころは、私も素晴らしい施設だと友人を案内しましたし、今も原子力の研究自体はいいことだと思います。人への影響や害をきちんと研究し、公表することは大切です。でも、原発を持つのは反対。人間にコントロールできないことは、今回の事故でもチェルノブイリでもはっきりしているわけでしょ。それを閉じこめるのは人間のおごりです。

――幼児教育のお立場からはどうですか

茨城県産は子どもに一切食べさせないという方もいますね。風評被害の広がりは、それはそれで問題ですが、でも子を持つ親として神経質になるのは当然かもしれません。私も大好きな猫がいなくなり、次を飼いたいのですが、もし事故で逃げることになったら連れていけずかわいそうだから、飼えずにいます。放射能に関する公式発表がどこまで本当なのかも、なかなか信用できません。戦争中はみんなだまされましたから。

――子どもを守る責任はやはり親にありますか

もちろんです。家庭は基本的にプライベートなものです。「子ども手当」だなんだと言われ、子育ては国や社会が責任を負ってくれるもの、と勘違いしているのではないでしょうか。人間は社会生活をする動物として、国や社会の維持のために法律を作りました。しかし、戦前の日本のように徴兵制度ができると、いやでも戦うための兵隊にされるのです。愛する家族や隣人のためではなく。戦争経験者が次々亡くなる時代です。ご家庭でよく考えてみてほしいですね。(聞き手・宮坂麻子)=おわり

http://digital.asahi.com/articles/
TKY201311080246.html?iref=comkiji_redirect

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