ヒューマニスト39
<その人の指向性、価値観、生き方、考え方>


<吉永小百合>

吉永小百合と姜尚中が緊急対談「新しい戦前」回避するために(2016年08月19日琉球新報)
――吉永小百合さん(71)と姜尚中さん(65)はラジオの番組などで折に触れて意見の交換を重ねてきた。そんなふたりが緊急対談。いまこの対談を通して、訴えたいこととは。

吉永小百合(以下、吉永) 初めてお話したのは07年。私のラジオ番組に来ていただきました。そのとき私、姜先生に、こう質問しました。「『憲法9条を守ってほしい』と友人に言ったら『よその国が攻めてきたらどうするのか』と言われて、言葉に詰まってしまいました。なんと返せばよかったのでしょうか」って。姜先生は、「あの天文学的な軍事力を持っているアメリカでも、9.11のテロを防げなかった。だから日本も、アメリカ以上の軍事力を持たないと、武力で抑止するのはむずかしいし、それは不可能。憲法9条を持っていることのほうが、より安全を守れるんですよ」と答えてくださったんです。

姜尚中(以下、姜) あぁ、そんな話をしましたね。吉永さんも、この間さらに、憲法9条を守ってほしいというお気持ちが強くなったのではないですか。昨年は、安保関連法も成立してしまいましたからね。

吉永 大混乱のなか強行採決されてしまって。あきらめかけている方も多いのではないでしょうか。私自身もそういう思いになることがあります。私は若いころ、母に「なぜ戦争は起こったの?反対はできなかったの?」と質問したことがあるのです。そしたら母は、ひとこと「言えなかったのよ……」って。言えないって、どういうことなんだろうと、そのときは理解ができなかった。けれど最近、母の言っていた意味がわかります。今の世の中を見ていると、息苦しい感じがして。

 そうですね。私も、この年齢になって、実際、日本が「新しい戦前」に向かうのではないか、という気持ちがないわけではありません。以前は「やっぱり戦争はダメ」という最低限度の暗黙の了解がありましたが、最近は、そのタガが急に外れつつあると感じます。

吉永 はい。こんな時代だからこそ、私たちも、思っていたら言わなきゃいけないと、今改めて思っています。

 たとえ感情的だと思われても、戦争は嫌だと言い続けなければなりませんね。

吉永 はい。日本は核廃絶に関する会議があっても、政府として明確に核廃絶を訴えませんよね。唯一の被ばく国だから、核や核兵器は絶対やめようと言ってほしいのに言わない。被爆者の団体の方たちも、どんなにガッカリしていらっしゃるかと思います。それはシンプルに言わなきゃいけないことなのに。

 今、こうして僕たちが話をしている間も、沖縄の高江という集落では米軍のヘリパット建設に反対する住民たちに対して政府の荒っぽい弾圧が行われています。けどこうした問題を中央のメディアは、あまり伝えません。

吉永 ええ。そんなに必要なら海兵隊を東京に持って来たらどうかと思うくらい、申し訳ない気持ちがあります。言葉では言い表せないほどつらい経験をしてきた沖縄の人たちに、もっと人間らしい対応をしてほしいと思うんですね。けど、なかなかそういう思いは政治に反映されません。私自身、どういう形で政治をチェックし、参加していけばいいのだろうと、思い悩んでしまうんです。

 けど、僕は今回、日本の市民社会の成熟はたいしたものだと思いました。「シールズ」のような若い人たちが声をあげ、全国にはお母さんたちの「安保関連法に反対するママの会」ができました。またこれに一般市民や学者が加わり、市民連合ができた。その後押しで、参院選で野党共闘が実現し、すべての一人区で統一候補が立てられました。吉永さんも関西の市民連合にメッセージを寄せておられましたね。

吉永 はい。こういう市民の活動は、ほんとうに素晴らしいと思います。みなさんが、自分が思っていることを声に出して、意志表示しておられる。その中でも意見はたぶん違うのだと思うのですが、いろんな場所で、つながって行動する力強さを感じました。ただ、これを継続していかないといけませんよね。

――未来への不安、老後の不安を抱えている人が多い日本。こんな時代を、どう乗り切っていけばいいのか。おふたりにお聞きした。

 市民連合やママの会などもそうですが、やはり「つながっていく」ことです。むずかしい言葉でいうと、「社会関係資本」と言うんです。つまり、お金では買えない関係ですね。社会関係資本が成り立っていれば「お金を貯めないと」と考えて、将来や老後を不安に思う必要はありません。

吉永 人と人が手を携えて、思っていることを声に出していくことですね。今年は戦後71年ですが、私はここからが大事だと思うのです。先の戦争を反省し、2度と戦争をしないという憲法9条を大切にして、戦後が80年、100年と続くように、みんなの思いで平和をつなげていきたいです。

(完全版は『女性自身8月23日・30日合併号』で)
https://ryukyushimpo.jp/style/article/entry-336362.html

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吉永小百合が福島を訪問、140人涙させた「激励のスピーチ」(2016年03月19日女性自身)

「最初に言っておかなければならないことがあって……。皆さんを励ましに来たはずなのに、こんな元気でない姿を見せてしまって本当に恥ずかしいです。申し訳ありません」8日、福島県郡山市にある複合施設・ビッグパレットふくしまを訪れたのは女優・吉永小百合(71)。2月20日、仕事先で転倒し左手首のとう骨を骨折し、その傷の癒えないなかでの登壇だった。この日、彼女が訪れた会場に呼ばれたのは福島県富岡町と川内村の住民約140人。これらの町は、いまだ原発事故の影響により、帰還困難区域に指定されている。 “原発禍”に巻き込まれ、戻りたくても戻れない被災者たちは、郡山市内での仮設住宅生活を余儀なくされてきた。
 
ビッグパレットふくしまでは現在、「第二楽章 男鹿和雄展〜吉永小百合と語り継ぐ〜」が開催されている。『第二楽章』は、吉永小百合が31年間続けてきた“詩の朗読”を集めたCD作品集。スタジオジブリの美術監督も務めた男鹿和雄さんが、文庫化に際して挿絵を描いている。この展示会は、男鹿さんの『第二楽章』の挿絵原画、桜の名所として知られる富岡町の桜のスケッチなど約100点の作品が置かれている。この日のイベントは、ほとんど対外的な告知もされない“ボランティア”的なもの。だが彼女は、集まった被災者に対し“福島への思い”を熱く語り続けていた。「20代のころに観た浜田光夫さんとの共演映画がいまでも心に残っています」という70代女性の声が読み上げられると、
 
「彼とご一緒した映画で『風と木と空と』があります。ここ福島県の二本松市でロケをしたんです。中学卒業後、東京に集団就職に行くという映画です。当時まだ中学生だった西田敏行さんはこの映画を観て、『東京に行ってみたいなあ』と思ったそうです(笑)」
この意見を寄せた被災者の女性は、目に涙を浮かべながら彼女の話を聴いていた。震災後、吉永は朗読会や被災地訪問、さらには“原発禍”の現地まで訪れて、被災者に寄り添う活動を続けてきた。そんな彼女はこの場で「“復興”を感じた」と笑顔を浮かべて被災者に語っていた。「私は伊達市の柿が大好きなんです。いつもスタッフに送ってもらっていたのですが、震災後はなかなか食べられなくて……。でも、去年久しぶりに福島の柿をいただきました。“検品済み”と書いているのを見たら嬉しい思いがこみあげてきたんです」
 
その言葉は、故郷に帰れぬ被災者を“帰れる日も近い”と励ます思いもあったことだろう。イベントの最後に発した言葉は、被災者の人たちを力強くうなずかせた。「東京にいると、福島の皆さんがどれほど辛い思いをしているかがわからない。だからこそ今日のこの思いを、福島のいまを東京に帰って伝えたい。皆さんがふるさとに帰れるその日まで、私はいつも皆さまのために祈っています。一歩一歩、前に向かって歩いていけますよう、切に願っております」イベント終了後は、来場者と記念撮影。来場者が握手を求めてくると、「ありがとうございます」と笑顔で応じた。会場を名残惜しそうに出て行く女性は、イベント終了後こう漏らしていた。「私の青春時代から輝いていた人が目の前に現れただけでも嬉しいのに、私たちを励ましてくれていることが嬉しくてたまらなかったです」震災から5年。被災者たちの笑顔は、密着取材していた記者にも輝いて見えた。
http://jisin.jp/serial/エンタメ/エンタメ/23380

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(核といのちを考える)原発被災者の詩、切々と 吉永小百合さん朗読(2015/01/28朝日新聞)

原爆投下と終戦の年に生まれ、広島・長崎の原爆詩の朗読を続けてきた俳優の吉永小百合さん(69)が福島第一原発事故の被災者らの詩を朗読し、CDに収録した。「第二楽章 福島への思い」と題し、東日本大震災から4年になる3月11日に発売される。吉永さんは「今も故郷に戻れない福島の方たちの思いを私たちみんなで受け止め、寄り添えれば」と願っている。吉永さんは1986年、戦争や原爆の過ちを二度と起こさないために原爆詩の朗読活動を始め、97年に「第二楽章」(広島編)、99年に「第二楽章 長崎から」のCDを出した。2006年には「第二楽章 沖縄から」も作製。「第二楽章」の名には「戦後50年を経た今は第一楽章ではなく第二楽章。声高ではなく、柔らかい口調で語り継いでいきたい」との思いがこもる。 3・11以降は、福島での被災後にツイッターで発信し続けた和合亮一さんや福島県富岡町を追われた佐藤紫華子(しげこ)さんらの詩も朗読。広島と長崎、沖縄、そして福島で起きたことを「忘れない、風化させない、なかったことにしない」とする吉永さんは、福島の人々の詩を「CDに」との思いを募らせていた。

吉永さんはCD収録前の昨年末、帰還困難区域がある福島県葛尾(かつらお)村を訪れた。今月、東京都内で取材に応じた吉永さんは「一回行ってみないと本当の悲しみが分からないんじゃないかと思って。想像以上のショックでした。もうすぐ4年なのに何も変わってない」と語り、心を痛めていた。 さらに「今3・11の事故後に思うのは、これだけ小さな国で、地震がいっぱいある風土で、原発というのはやめてほしい、と私は思いますね。人間が安全に暮らしていくためには、もっともっと私たちが工夫しなければいけないと思うんです」と強調した。
http://digital.asahi.com/articles/DA3S11573202.html

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どんな状況でも核兵器にノーを 原爆詩、朗読続ける吉永小百合さん きょう広島原爆69年(2014/08/06朝日新聞)
広島への原爆投下から6日で69年。原爆詩の朗読を続ける俳優の吉永小百合さん(69)が、朝日新聞のインタビューに応じた。終戦の年と同じ1945年に生まれた吉永さんの人生は、広島、長崎への原爆投下で幕を開けた「核の時代」と日本の戦後の歩みに重なる。吉永さんは「日本人だけはずっと、未来永劫(えいごう)、核に対してアレルギーを持ってほしい」と求めた。唯一の戦争被爆国・日本はいま、核兵器廃絶を唱える一方で米国の「核の傘」に頼るジレンマを抱える。吉永さんは「どういう形にせよ、核の傘に入っているにせよ、あれだけひどい広島、長崎の原爆被害があったんだから、それをみんなしっかり勉強して、どんな状況でも核兵器はノーと言ってほしい」と述べた。2011年3月の東京電力福島第一原発事故で、日本は「核と人類は共存できるか」という課題とも向き合う。吉永さんは「本当の核の威力というものが私にはまだ分かっていない」としつつ、こう語った。「でも、原子力の発電というのは、特に日本ではやめなくてはいけない。これだけ地震の多い国で、まったく安全ではない造り方、管理の仕方をしているわけですから。どうやって廃炉にしていくかを考えないと」原発の再稼働や輸出の動きがあることには「『さよなら原発』と私は声を出していきたい。みんなの命を守るために、今、せっかく原発が止まっているのだから、今やめましょうと」。そして「まだ毎日、汚染水など現場で苦しい思いの中で作業していらっしゃる方がたくさんいる。そういう中で、外国に原発を売るというのは、とても考えられないことです」と述べた。

被爆・戦後69年となる今年、日本では戦争放棄をうたう憲法9条の解釈が変えられ、自衛隊が他国を守るために海外で戦う集団的自衛権の行使容認が閣議決定された。吉永さんは「今の流れはとても怖い。大変なことになりそうな気がしているんです」と懸念を示しながら続けた。「政治が悪いから、と言っている段階ではない気がします。一人一人の権利を大事にし、しっかり考え、自分はどう思うかを語らなければいけない」核のない世界をめざし、吉永さんは原爆詩の朗読CD「第二楽章」の広島版と長崎版を作ってきた。「私は俳優だから、詩を読むことが一番伝わる」と述べ、「次は福島の第二楽章を作りたい」と語った。(岡本玄、副島英樹 写真は山本和生)

よしなが・さゆり 1945年3月、東京生まれ。映画「愛と死の記録」(66年)で被爆の現実を知る。胎内被爆した主人公を演じた「夢千代日記」(テレビは81〜84年、映画は85年)を機に原爆詩の朗読を続けてきた。最新作は10月公開の「ふしぎな岬の物語」(東映)。

http://digital.asahi.com/articles/DA3S11285968.html

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「原発難民の詩」吉永さんが切々 福島・いわきで朗読会(2013/10/16朝日新聞)

【江川慎太郎】俳優の吉永小百合さんがいわき市のアリオスを先月訪れ、原発事故後、自宅のあった富岡町を離れて市内で暮らす佐藤紫華子(しげこ)さん(85)の詩集「原発難民の詩(うた)」(朝日新聞出版)に収められた詩を朗読した。「原発難民の詩」は、佐藤さんが家族と一緒に県内外の避難先を転々とする中で詠み続けた詩を集めた。昨年7月に出版され、切迫感にあふれた表現に読者の共感の輪が広がっている。峠三吉さんの「原爆詩集」の序詩、栗原貞子さんの詩「生ましめんかな」など「原爆詩」の朗読をライフワークとしている吉永さんも、佐藤さんがつづる詩の愛読者だ。朗読会は、この詩集に感銘を受けた双葉郡の読者らが実行委員会を作って主催、各地で佐藤さんの詩を朗読している吉永さんを招いた。9月21日、会場となった約700席のアリオス中劇場は満員となった。吉永さんは「原発の被害に遭われた方たち、津波の被害に遭われた方たちが、これから力を合わせて明日に向かって歩いてくださったらと願っております」と客席に語りかけ、「私たちに出来ることは、私たちがいつまでも思うこと、福島を思うこと」と続けた。その後、吉永さんは「私たちは安住の地を求めて/どこまで/いつまでさすらうのだろう」と、佐藤さんらの思いを表した詩「原発難民」や「呼んでも 叫んでも/届かない/泣いても もがいても/戻れない」とつづる詩「ふるさと」を切々と読み上げた。客席には原発事故で避難を余儀なくされた双葉郡の住民も多く、目頭を押さえる人、すすり泣く人もいた。会場で吉永さんの朗読に耳を傾けた佐藤さんは「胸がいっぱいになりました。吉永さんが朗読してくださったことを力に、これからも詩を書き続けます」と話した。
http://digital.asahi.com/area/fukushima/articles/TKY201310150349.html?ref=comkiji_redirect

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命の詩人にまた会えた 吉永さん、ハンセン病療養所訪問(2013/03/25朝日新聞)
【高木智子】大島の青松園にまた足を運んでください――。俳優の吉永小百合さんが24日、香川県のハンセン病療養所であった映画の上映会の席で、こう呼びかけた。塔和子さん(83)の詩を朗読した縁で、島との交流が生まれて10年。新たな縁を願い、島内外の人たちを招いた。瀬戸内海の療養所「大島青松園」で、吉永さん主演の映画「北のカナリアたち」の上映会があった。入所者のほかに、島の外に暮らす100人が招待された。映画を見るためにきた人たちが島の歴史にも触れ、縁がうまれたら。そんな思いで吉永さんが企画し、実現させた。島の外から来た人たちに吉永さんが呼びかけた。「(故郷に)戻ることが出来ずに亡くなった方々の魂が大空に舞い上がるよう願いを込めてたてたモニュメントがあります。時間があれば足を運んでください」吉永さんと大島との縁は2003年にさかのぼる。詩人、塔和子さんとの出会いがきっかけだった。高見順賞を受賞した塔さんは、生きること、死ぬことに真正面に向き合う数々の詩を生み出していた。映画監督、宮崎信恵さん(70)は彼女の半生を描くドキュメンタリー映画「風の舞」を制作していた。
「塔さんの詩がなぜ島で生まれたのか。彼女の情念を伝えられるのは吉永さんしかいない」
宮崎さんは、原爆詩の朗読をライフワークにしていた吉永さんに、詩集を送り、思いをぶつけた。吉永さんは心を揺さぶられ朗読を引き受けた。「私たちでは計り知れないほどのつらい思いを少しでもわかることができたら。生きるということはどういうことか胸に迫ってきました」映画が完成すると、「詩は分身」とよく語っていた塔さんは、喜んだ。ふたりは文通を始めた。09年春、吉永さんは初めて大島青松園を訪れ、入所している人たちと直接話をした。「ハンセン病になり隔離され、つらい療養生活だったけれど、(吉永さんの)日活時代の映画を見るのが楽しみでした」。そんな話を聞いた吉永さんは、いつか療養所で上映会ができればと、思いをあたためてきた。この日の上映会後、吉永さんは塔さんの詩との出会いに触れながら、取材陣に語った。「一日一日を大事に生きていかなきゃいけないと思うようになった」大島を離れる直前、吉永さんは塔さんを見舞った。4年ぶりの再会だ。体調を崩している塔さんの手を握りしめて、語りかけた。「塔さん。ずっと待ってくれたんですね。また会えましたね」塔さんはいま、言葉を自由に操ることは難しい。けれど、声を懸命に絞り出した。「ありが、ありがとう」。10分間の再会。一筋の涙が見えた。 

   ◇
■塔和子さんの詩「涙」


あるとき
死のうと思った私が夫に
  「一生懸命なのよ」と言うと
  夫は
  「同じ一生懸命になるのなら
  生きることに一生懸命になってくれ
  がむしゃらに生きようではないか」と
  言ってくれた
私は目が覚めたように
そうだと思った
どんなに懸命に生きたとしても
永遠に続いている時間の中の
一瞬を
闇から浮き上がって
姿あらしめられているだけだ
  いのち
  この愛(いと)けないもの
思いっきりわが身を抱きしめると
きゅっと
涙が
にじみ出た
http://digital.asahi.com/articles/OSK201303240173.html

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広島を舞台にした『愛と死の記録』の出演や、『夢千代日記』(NHK)で原爆症に苦しむ主人公を演じたことをきっかけに、1986年(昭和61年)からボランティアで原爆詩の朗読会をスタートさせている。現在では女優としての活動のほか、反戦・反核運動をライフワークとして力点を置いている。以前から脱原発を求めていたが、福島第一原子力発電所事故後はその姿勢を一層強めている。2011年7月31日に広島市内で行われた日本母親大会では、自身による原爆詩の朗読に先立ち、「日本のような地震の多い国で原子力発電所がなくなってほしい」と述べ、「脱原発」社会の実現を願う考えを示した。(Wikipedia)

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吉永小百合さん、福島で原爆詩朗読会 被災地で初めて(2012年4月14日朝日新聞)

女優の吉永小百合さんの原爆詩朗読会が13日、福島市であり、約1300人が聴き入った。吉永さんは以前から原爆詩朗読の活動を行っており、東日本大震災の被災地で開いたのは初めて。文化の発信で街の活性化を目指すNPO法人「うつくしまブランチ」(同市)が主催した。福島県では2年前に朗読会を開いて以来2回目という吉永さん。イラストレーターの和田誠さんが描いた反原発ポスターの横に腰掛け、峠三吉の「原爆詩集」から「序」、大平数子の「慟哭(どうこく)」を朗読した。福島県民の詩も読んだ。40年以上にわたり原発の危険性を警告してきた南相馬市の詩人・若松丈太郎さんが事故後に書き下ろした「ひとのあかし」、事故で富岡町から避難を余儀なくされた佐藤紫華子(しげこ)さんの「原発難民」を読み上げた。そして、「片仮名のフクシマが早く漢字の福島に戻れますよう祈りながら願いながら読みます」と語り、福島市の詩人・和合亮一さんがまとめた「福島連詩」で締めくくった。朗読後は、今回のために県民で編成した合唱団と、恒例の「折り鶴」を歌った。(笠井哲也)
http://digital.asahi.com/articles/TKY201204130745.html

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ハンセン病 理解して(2013年3月18日朝日新聞)

長島愛生園 看護部長ら 生きる姿語り合う
ハンセン病への偏見や差別をなくし、元患者たちの現状も知ってもらおうと、「ハンセン病を正しく理解する公開講座〜今、私たちにできること〜」(県主催)が16日、鳥取市の県立図書館であった。南部町出身で国立療養所長島愛生園(岡山県瀬戸内市)の看護部長を務める内田真澄さん(60)らの講演に、約60人が耳を傾けた。内田さんは、現在272人が入所する長島愛生園やハンセン療養所の歴史などを紹介。入所者の平均年齢が82・8歳と高齢化が進んでいることを報告する中で、元患者の人たちの生きる姿に触れた。「愛生園で生きるということを決めた人たちが、生きることを教えてくれました。看護師という仕事を通して生きることを考えることができました」と話した。後半は、長島愛生園で暮らして昨年、94歳で亡くなった旧用瀬町(現鳥取市)出身の元患者、加賀田一さんについて語り合った。一さんの親類、加賀田さゆりさん(76)は、一さんの里帰りを実現させるまで道のりを説明。全国の療養所には、まだまだ多くの県出身者がいて、「たくさんの方々は切ない思いで、郷里のことを恋い焦がれている。その人たちの思いをかなえるには家の人だけでなく、周囲の人たちの協力も必ず必要です。思いを残して亡くなられる方がないように、ハンセン病への理解を深めて欲しい」と述べた。(佐藤常敬)
http://digital.asahi.com/area/tottori/articles/MTW1303183200001.html?ref=comkiji_redirect

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