ヒューマニスト34
<その人の指向性、価値観、生き方、考え方>


<C・Wニコル>

 

みんな黙ってほしくない(2012/04/22新聞赤旗日曜版)
1962年に初来日してから50年を迎えた作家のC・Wニコルさん(71)。日本列島の自然と人に魅せられ、長野県で森の再生に取り組みながら、日本国籍を得ました。東日本大震災後、宮城県東松島市で復興に協力する今、目に涙を浮かべ「地震と津波の国に原子力はいらない」と思いを語ります。(聞き手宇野龍彦記者)

僕がひかれる日本は、北に流氷、南には珊瑚礁があり、国土の67%が森林の島国です。生物の多様性がこれほど豊かな所はありません。長い歴史をもつ自然と人々への強い愛情と信念から95年に日本国籍を得ました。しかし今、福島原発事故をみると、日本に対する私の誇りに怒りが混じっています。日本人として恥ずかしい(絶句する)

東京電力や政府の不誠実、指導性の欠如は我慢なりません。「原子力村」の偽善や傲慢、自己中心主義によって引き起こされた人間、環境、歴史、文化の汚染。世界から見れば、私たちの恥辱です。「福島原発事故による放射能汚染で、国土が失われた」とテレビのキャスターが言っていました。そのとおりです。これからも長い期間、国土が失われるような事態なのに、政府や電力会社は立ち止まろうともしないで原発を再稼働させようとする・・・。僕がもう少し若かったら「革命」を起こしたい。

私は日本が大好きです。みんな黙ってほしくない。善良な人が沈黙すると、「悪」がはびこるという西洋のことわざがあります。

50年前の事件
50年近く前、僕はカナダ政府の北極生物研究所の研究者として、3ヶ月の北極調査探検に行きました。場所はカナダ西部の北極寄りにあるグレート・ベア・レーク。琵琶湖の46倍の広さの美しい所で、デネーという先住民族が約600人住む小さな村がありました。その人々がポートラジウムという所でウランを採掘し、米国に送られて広島原爆が造られたのです。人々はウラン鉱山で、素手で、何の防御もなくウランを採掘させられました。北極の村から多くのがん患者が出てしまいました。この事件についてカナダ政府は「書いたり話したりするな」と命じましたが、「歌ってはいけない」とは言わなかった。デネーの人々は自分たちの言葉で歌をつくり、学校なので歌い継ぎました。その歌はみんな知っていました。

私は当時23才で、この話に心から怒り、日本の人々に知らせようとしました。東京オリンピックの前年の63年、若い記者が僕に取材に来ました。でも日本の大手メディアは取り上げませんでした。原子力開発は、武器をつくるために始まりました。原発の運転が始まると、使用済み核燃料という、処理できない、未来へのツケを残すことになりました。僕は科学に携わった者としても原発が許せません。日本は地震と津波の国です。原発を立地できるところはありません。もう都合の悪いことに口をつぐむようなことはしてはいけません。

森づくり26年
僕は日本の未来を信じます。福島原発事故で、子供たちが外で遊べず、故郷の森や土、自然に触れることができなくなりました。人間は自然の中にいないと、脳が発達せず、感性が育ちません。長野県の黒姫で放置された土地を少しずつ買い、26年間、森づくりをしてきました。森に光が通るように伐採し、森から消えてしまったブナやトチなどを植え直す。森はすごいですね。数年で復活してきました。人間の社会と同じように、森も地面に光があたり、風を通さないとだめです。光が入ると花が咲き、虫が来ます。鳥も来て種が運ばれ、生態系の循環が生まれます。

池を掘り、水路をつくり、ごみだらけの川を掃除したら、絶滅危惧種29種など、生物がいっぱい戻ってきました。森は小さくても宝物です。3.11後被災地の子供たちを招き、森の癒しを体験してもらっています。市街地の65%が津波で浸水した東松島市の人たちも招き、伝統と自然を生かした復興のお手伝いを始めました。僕は「反対だ、やめよう」ではなく、「何かを始めよう」というのが好きなんです。でも原発と核兵器は「もうこりごりです」


1940年英ウェールズ生まれ。80年から長野県黒姫山の麓に住み「アファンの森」と名付けて森の再生に取り組む。「アースデイ東京2012実行委員長。著書に「誇り高い日本人でいたい」など

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