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スウェーデン王国
Kingdom of Sweden

ヨーロッパ

■地理
スカンディナヴィア半島の中央、東側に位置する。半島西部はスカンディナヴィア山脈が南北に連なっているが標高は2,000m程度しかないなだらかな山脈である。ボスニア湾やバルト海に沿って平野部はあるが、それほど広大ではない。南部のスコーネ県を除き厳しい冬である。また夏も全般的に冷涼としている。湖沼も多く、中南部に最大のヴェーネルン湖と2番目に大きなヴェッテルン湖が位置する。


スカンディナヴィア半島
Scandinavian peninsulaは、南側のバルト海を内海とする、ヨーロッパ北方の巨大な半島で、半島はノルウェー、スウェーデンの2国からなる。中央にスカンディナヴィア山脈が走り、北極海側は氷河が作り出したフィヨルドと呼ばれる入り江が続く。バルト海に面した側は、湖沼の多い平坦な地形である。両側でその地形が極端に異なる二面性があり、世界的に見ても、多彩な自然環境を持つ半島であると言える。

カテガット海峡
Kattegat)は、デンマークのユトランド半島北東部とスカンジナビア半島との間にある海峡。北海とバルト海の間にある水域のうちバルト海に近い南東部(北海に近い北西部はスカゲラク海峡)で、国際水路機関 (IHO) による海域分類では独立した海域になっているが、広義の北海の一部とされることもある。

スカンディナヴィア山脈
スカンディナヴィア半島を縦貫する山脈であり、スウェーデン、ノルウェー、一部がフィンランドの領土を走る。高緯度に位置するため万年雪や氷河地形が非常に多い。また山脈は西の海岸部のすぐ近くまで迫っており、その海岸はフィヨルドが発達している。山脈は南に下るほど発達しており、ノルウェー南部のヨトゥンヘイム山地がもっとも険しい。

バルト海
Baltic Seaとは、北ヨーロッパに位置する地中海。バルト海が大まかに現在の形となったのは3800年前(紀元前1800年ごろ)と考えられている。最終氷期の最盛期であった2万年前、バルト海地域は現在のバルト海域を中心とする巨大な氷河に覆われていた。この氷河の先端はユトランド半島から北ドイツ平原を通りポーランド北部やリトアニアにまで達していた。現在でもこの地域には、その時期の名残であるモレーン(堆石)が列をなし分布している。

ボスニア湾
Bottniska viken、は、スウェーデンとフィンランドに挟まれたバルト海北部の湾である。北緯60度以北にあり、10月ごろから6月ごろまでは凍結する。ボスニアの語源は湾を意味するスウェーデン語である。

ウメ川
Umealvenは、スウェーデン北部の河川。ウーメ川とも表記される。 スカンディナヴィア山脈中に端を発し、南東に流れ、ホルムスンドでボスニア湾に注ぐ。全長約460km、冬季には結氷する。流域内の主な町としては、ウメオがある。

エーレスンド海峡
デンマークとスウェーデンの国境の海峡。バルト海に位置するデンマーク領シェラン島と、スウェーデン領のスカンジナビア半島南部を隔て、バルト海と北海を結ぶ。

ケブネカイセ
Kebnekaiseは、スカンディナヴィア山脈北部にあるスウェーデンの最高峰。標高2103m。正確には、南頂(sydtoppen)と北頂(nordtoppen)のうちの南頂の方が最高峰である。北ラップランド(プロヴィンス、スウェーデン語ではlandskap)、キルナ市に位置する。

メーラレン湖
スウェーデンでヴェーネルン湖・ヴェッテルン湖に次いで3番目に大きい湖。面積1140km2、最深64mである。ビェルケ島にヴァイキング時代の定住地ビルカが、隣接するアデルスユー島にホーヴゴーデンがあり、1993年ユネスコ世界遺産に登録された。また同じく世界遺産であるドロットニングホルム宮殿がローベン島にある。

イェルマレン湖
スウェーデンで第四の面積を誇る湖。湖水はメーラレン湖を通じてバルト海に注ぎ、長さ13kmのイェルマレ運河でストックホルムとも結ばれている。湖畔は音楽祭がよく開かれるため、国内のミュージックシーンをけん引する発信地となっている。スマッシング・パンプキンズ、ソニック・ユース、パール・ジャムなど、国外の著名なバンドもここで演奏を行った。

ヴェッテルン湖
スウェーデンで2番目に大きな湖である。この湖は、スウェーデン中南部、ヴェーネルン湖の東にある細長く、指の形をした淡水湖で、スカンディナヴィアの先端を指し示す形となっている。ヴェッテルン湖は、透明かつ良質な水で有名である。その地域の自治体は、ヴェッテルン湖から直接に飲み水を取り入れている。この湖の水は、上水道に送水する前にほとんど処理を必要とせず、また、湖のたいていの場所では、天然で未処理の水を安心して飲むことができる。

ヴェーネルン湖
スウェーデンで最大、ヨーロッパで3番目に大きい湖である。この湖は、ヴェストラ・イェータランド県とヴェルムランド県の中に位置する。地質学的には、この湖は、最後の氷河期のあと約10,000年前に形成された。氷が溶けたとき、スウェーデンの幅全部が、カテガット湾とボスニア湾の間の海峡となって水におおわれた。

エーランド橋
Olandsbron)は、スウェーデン本土のカルマルから東にあるエーランド島を結ぶ道路橋である。全長は6,072mで156本の橋脚がある。西端付近では、船舶航行用に36mの桁下高を確保するための特徴的な盛り上がり形状を見せている。

エーランド島
Öland)は面積1,342km2のバルト海にあるスウェーデン領の島である。 スウェーデンで二番目に大きい島でもあるが(一番目はゴットランド島)、スウェーデンの最も小さい地方である。島の住民の2万4628人の主な収入源は観光と農業である。主な都市は、ボリホルム。


スカンジナビア観光局
ストックホルムは多くの群島に囲まれ、世界で最も美しい首都と言われています。南部のスモーランド地方にはガラス工芸で有名な「ガラスの王国」、北部スウェーデンには世界でも珍しい氷のホテルがあります。


スウェーデン大使館


■古代
スウェーデン・ヴァイキング(ヴァリャーグ)として主に東方で活動した。ヨーロッパ文化やキリスト教も受容し、13世紀頃にはフォルクンガ朝が現在のフィンランドを含む地域を統一。1397年にデンマーク・ノルウェーとカルマル同盟を結んで同君連合を形成する。

 

ヴァイキング
ヴァイキング (英: Viking, 独: Wikinger)とは、8世紀から 300 年以上に渡って西ヨーロッパ沿海部を侵略したスカンディナヴィアの武装船団(海賊)を指す言葉であったが、後の研究の進展により「その時代にスカンディナヴィア半島に住んでいた人々全体」を指す言葉に変容した。

スウェーデン人
svenskarとは、狭義にはスウェーデン王国の国民。広義には北欧スカンディナヴィア半島に分布するゲルマン民族の総称。古代に北ドイツから移住したスヴェーア人、いわゆるノルマン人が原初スウェーデン人であるといわれる。スヴェーア人たちは、ヴァイキング活動の最中に纏まりを見せ、10世紀までにスウェーデン王国を形成した。

スウェーデン語
(svenska)は、インド・ヨーロッパ語族ゲルマン語派北ゲルマン語群東スカンジナビア諸語に属する言語である。主にスウェーデンで使用される。

サーミ語
Samegielatとは、スカンジナビア半島、および、ロシアのコラ半島に住む原住民、サーミ人が使用する言語。古くはラップ語の名でも呼ばれていたが、現在この呼称が用いられることはほとんどない。詳しい言語の歴史は不明だが、フィンランド語に近いことから、ウラル語族フィン・ウゴル語派に分類することもできる。

メアンキエリ
(meankieli) は、スウェーデンの最北部・トルネ谷周辺で話されるフィンランド語の方言である。メアンキエリ (Meänkieli) とは「我々の言語」の意。

ルーシ族
中世東ヨーロッパに侵入したノルマン人(ヴァリャーグ)の内、ルーシ・カガン国やノヴゴロド公国及びキエフ大公国を建国した集団を、かつての東スラヴ人がノルマン人に対して用いたとされる呼称で、後述のノルマン説によれば、スウェーデン人(スヴェーア人)の一グループ。

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ベルナドッテ王朝
Bernadotteは1818年から現在まで続くスウェーデンの王朝である。ポンテコルヴォ王朝とも呼ばれる。スウェーデンのカール13世(在位:1809年 - 1818年)には世継ぎが生まれなかったため、スウェーデン国民議会は、当時ヨーロッパの覇権を握っていたナポレオン・ボナパルト配下の将軍ジャン=バティスト・ベルナドット(スウェーデン語名ベルナドッテ)を王位後継者に推戴した。

カルマル同盟
1397年にデンマーク・ノルウェー・スウェーデンの3王国間で締結された同盟(物的同君連合)。締結場所が現スウェーデンのカルマルであったので、カルマル同盟と呼ばれる。デンマーク=ノルウェー二重王国は、ナポレオン戦争に巻き込まれ、イギリス・スウェーデンの対仏大同盟国の攻撃のもとに屈した。デンマークはノルウェーを1814年のキール条約によって失い、ここにカルマル同盟は完全に消滅した。

ホルシュタイン=ゴットルプ王朝
Holstein-Gottorpska atten)は、18世紀から19世紀にかけてスウェーデンを支配した王朝。シュレースヴィヒ=ホルシュタイン公国を支配したホルシュタイン=ゴットルプ家の分枝の一つによる王朝である。

キール条約
Treaty of Kiel)は1814年1月14日、スウェーデン王国とデンマーク=ノルウェー連合王国の間で締結された国際条約。スウェーデンとノルウェーの同君連合が成立する契機となった。なお、キールはバルト海に面したドイツ北部の軍港であるが、当時はデンマーク王がキールを首府とするホルシュタイン公爵を兼務していた。

ハンザ同盟
中世後期に北ドイツを中心にバルト海沿岸地域の貿易を独占し、ヨーロッパ北部の経済圏を支配した都市同盟である。「ハンザ」は古高ドイツ語。現代ドイツ語では 「ハンゼ」(Hanse)と呼ばれる。古高ドイツ語「ハンザ」は「団体」を意味し、もともと都市の間を交易してまわる商人の組合的団体のことを指した。


■国民
2005年のセンサスによると、全人口の85.0%がスウェーデン人、4.99%がフィンランド人、1.30%がアッシリア人、8.71%がその他となっている。北部にはサーミ人がいる。2010年の統計によると、全人口の14.3%、133万人[7]が外国生まれであり、その多くが移民である。特にアッシリア地方やユーゴスラビア諸国の出身が多い。

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■言語
2009年7月からスウェーデン語 (svenska) が正式な公用語と制定された。そのほか、フィンランド語、メアンキエリ、ロマ語、サーミ語、イディッシュ語を話す者も少数いる。スウェーデン語は隣国のノルウェー語、デンマーク語と類縁関係(ゲルマン諸語)にあり、スウェーデン語話者とノルウェー語話者は相互に意思疎通ができる会話程度は可能であると言われる。 また、アメリカ英語については1940年後半から義務教育化されており、テレビ番組に米国製番組の字幕版が多いといった文化面の影響も含め、アメリカ英語での会話が可能である。


■宗教
福音ルーテル教会がスウェーデン国教会である。実際に、その人口の8割が福音ルーテル教会に所属している。


ルーテル教会
マルティン・ルターによりドイツに始まる、キリスト教の教派または教団で、ルター派とも言われる。代表的なプロテスタントの流れの一つであり、全世界に推定8260万人の信徒が存在する。発祥の地ドイツを始め、北欧諸国では国民の大半がルター派であり、そこから移民が渡った先のアメリカ合衆国、カナダでも信徒数が多い。

スウェーデン国教会
Svenska kyrkan,はスウェーデンで一番大きなキリスト教会である。ルター派の一派であり、ポルヴォー・コミュニオンに加入している。信者数は690万人であり、世界で一番大きなルター派教会組織である。2000年まで国教会の地位を保っていた。2008年は、72.9パーセント(2007年と比べると1.4パーセント減少)のスウェーデン人が教会員である。

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<世界遺産>
ドロットニングホルムの王領地
Drottningholms slottは、スウェーデン・ストックホルム郊外のローベン島にある離宮である。この宮殿は、スウェーデン王カール11世の母后ヘトヴィヒ・エレオノーラの命によって1662年に建設が始められ、1686年に完成した。庭園にはバロック様式が採用された。

■ビルカとホーヴゴーデン
ビルカ:ビルカ(Birka)は現在のスウェーデンの首都ストックホルム西方約29kmのメーラレン湖のビェルケ島にあるヴァイキング時代の都市遺跡である。ビルカ遺跡が発見されたのは19世紀で、そのころすでに多くの建築部材や壁土など建物の遺構やコインや器などの遺物が発見されている。 発見当時、この遺跡があった地域は黒土化(ビエーン)していることから「ビルカ」と名づけられた。

ホーヴゴーデン:ホーヴゴーデンはスウェーデンのメーラレン湖に浮かぶアデルスユー島(Adelso)に残る遺跡。この島はバイキングが10世紀から11世紀にかけて占領し、スウェーデン王国の王領地のネットワークであるUppsala odに含まれていた。

エンゲルスバーリの製鉄所
Engelsbergs brukとは、スウェーデン・ヴェストマンランド地方のエンゲルスバーリ村にある製鉄所のことである。1681年、Per Larsson Gyllenhook(1645年 - 1706年)が建設した製鉄所であり、19世紀まで、現役の製鉄所として活動していた。

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ターヌムの岩絵
ターヌムスヘーデは、スウェーデン西部のヴェストラ・イェータランド県ブーヒュースレーン地方にある人口1600人の町である。この町には青銅器時代の岩石線画の刻まれた平面岩としては、スカンジナビア半島で最大級のVitlyckehallがある。それは1972年にAge Nilsenによって発見されたが、彼はもともと建設工事中で発破を仕掛けようとして偶然発見したのだった。

スクーグスシルコゴーデン
スウェーデンの首都ストックホルム郊外にある共同墓地。設計コンセプトと造形には、ナショナル・ロマンティシズムから北欧新古典主義を経て、成熟した近代建築へと到達した同国の建築潮流の変遷を反映されている。

ハンザ同盟都市ヴィスビー
ハンザ同盟は、中世後期に北ドイツを中心にバルト海沿岸地域の貿易を独占し、ヨーロッパ北部の経済圏を支配した都市同盟である。「ハンザ」は古高ドイツ語。現代ドイツ語では 「ハンゼ」(Hanse)と呼ばれる。古高ドイツ語「ハンザ」は「団体」を意味し、もともと都市の間を交易してまわる商人の組合的団体のことを指した。ヴィスビュー(Visby)はゴトランド島に位置するスウェーデン王国南西部の都市である。10世紀に建設され、そのころの遺跡で国際的に有名。ゴットランド県とゴットランド郡の中心都市である。

■ラップ人/サーメ人地域

■ルーレオのガンメルスタードの教会街
ルーレオ:13世紀から15世紀の中世の時代、ルレオは重要な港町であった。17世紀にスウェーデン王グスタフ2世アドルフにより町としてロイヤル・チャーターを授かる。この時、ルーレオ教会を中心に形作られたのがガムラスタン(旧市街)である。
ガンメルスタードの教会街:スウェーデンのボスニア湾北端に位置する都市ルレオ近郊にあるユネスコ世界遺産登録物件である。この街区は、かつてスカンディナビア半島北部では至る所に見られた町の様式をそのまま残している優れた例証である。

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カールスクローナの軍港
ブレーキンゲ地方にあるスウェーデンの都市である。行政区分としてはブレーキンゲ県カールスクルーナ市に属し、同県の県庁所在地であると同時に、同市の中心地である。スウェーデン海軍の軍事基地と海港がある。

エーランド島南部の農地
スウェーデンにある文化的景観の一種で、ユネスコの世界遺産に登録されている。エーランド島にはStora Alvaretと呼ばれる石灰岩に覆われた不毛の平原が広がっているが、そのやせた地質と高いpHレベルのせいで、多くの希少種を含む植生が見られる。世界遺産登録理由は、その傑出した生物多様性と先史時代からの人類の苦闘の痕跡とが評価されたものである(ただし複合遺産ではなく文化遺産としての登録)。

ファールンにある大銅山の鉱業地域
ファールンの歴史は1200年代の半ばに始まる。このころには、既に、銅の産出が始まっており、14世紀には、市街地が形成され、市場が開催されていた。現在、ヘルシンキに本社を置くストラ・エンソ が1347年に創業した企業だと信じられているのもファールンにおける採掘と深い関係がある。

ヴァールベリの無線局
世界で唯一稼動可能な高周波発電機式(アレキサンダーソン式)の超長波 (VLF) 送信機を備えている。超長波送信アンテナは高さ 127 m の自立型鉄塔6基の間に渡されたワイヤで構成されているため、巨大な送電用鉄塔のように見える。

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ヘーガ・クステンとクヴァルケン群島
ヘーガ・クステン (Hoga kusten) は、スウェーデンのヴェステルノールランド県に広がるボスニア湾沿岸部の海岸である。この一帯は、氷河期には巨大な氷床が形成されており、それが後退するに従って陸地にのし掛かる重みが軽減されてきた。その反動で、年間平均1cm前後という顕著な土地の隆起(リバウンド現象)を惹き起こしており、アイソスタシー研究の好例として知られている。




ラポニア地域
総面積は約9400km2 で、定住民族が暮らしているにもかかわらず手付かずの自然が残されている地域としては、世界最大級である。この地域に暮らす先住民族は、伝統的にはトナカイを追って暮らしてきたサーメ人(ラップ人)である。


■福祉
長年にわたる社会民主労働党政権の下で構築された社会保障制度が整い、税金制度や高齢者福祉など、社会政策が各国の注目を浴びている。スウェーデンは、「社会科学の実験国家」だとも言われている。時代状況の変化に対応し、実に簡単に制度(法律)が変更される。そのため、スウェーデンの研究は絶えずこの変化を追いかけ、変更された意図を正確に捉え、その目的と意義を探る必要がある。低所得者層、高齢者、障害者、失業者等、社会的弱者もあるレベル以上の生活をすることが保障される。


■経済
スウェーデンの経済の最大の特徴は公務員が多いことである。公的部門の人数は実に33%を超え全体の3分の1にも達する(日本は9.5%)。労働参加率は高く特に女性の労働参加率が高い(スウェーデン76%、日本48%)。そしてその女性の社会進出の場になっているのが公務員の福祉部門である。つまりスウェーデンにとって福祉国家と男女平等はそれ自体が国家と経済を支える重要な柱となっているのである。


スウェーデンの映画
20世紀を通してイングマール・ベルイマン、ヴィクトル・シェーストレム、ラッセ・ハルストレム、ルーカス・ムーディソンなど、才能あふれる監督たちによってスカンジナビアで最も優れた作品を生み出してきた。スウェーデン映画は1912年にSvenska Biografteaternが設立され、ヴィクトル・シェーストレムとマウリッツ・スティッレルが現れたことによって国際的に突出したものとなっていく。


ノーベル賞
ダイナマイトの発明者として知られるアルフレッド・ノーベルの遺言に従って1901年から始まった世界的な賞のことである。物理学、化学など六種類の分野で顕著な功績を残した人物に贈られる。ノーベルは遺言に、「私のすべての換金可能な財は、次の方法で処理されなくてはならない。私の遺言執行者が安全な有価証券に投資し継続される基金を設立し、その毎年の利子について、前年に人類のために最大たる貢献をした人々に分配されるものとする。」と残している。


イケア
(IKEA International Group)は、スウェーデン発祥で、ヨーロッパ・北米・アジア・オセアニアなど世界に出店している世界最大の家具販売店。IKEAの由来は、創業者イングヴァル・カンプラード (Ingvar.Kamprad) のイニシャルに、彼が育ったElmtaryd農場とAgunnaryd町の頭文字をつなげ合わせたものである。日本語、スウェーデン語、ドイツ語などでは「イケア」と発音されるが、英語では「アイキア」と発音される。


■民族音楽
スウェーデンの民族音楽は、フォルクムジーク(folkmusik)と称され、フォルクダンス(folkdans、民族舞踊、正確には民間伝承舞踊と訳されるのが好ましい)と深いつながりがある。フォルクダンスの形態で有名なのはポルスカ(polska)で、また、スウェーデン独自の楽器にニッケルハルパ(nyckelharpa)がある。


■クラシック音楽
フランス・アドルフ・ベルワルド、ヴィルヘルム・ペッテション=ベリエル、ヴィルヘルム・ステーンハンマル、ヒューゴ・アルヴェーンなどの作曲家が挙げられる。また合唱のレヴェルは世界最高水準を誇り、エリック・エリクソンが長く指揮者を務め、世界的な評価を誇るスウェーデン国立放送合唱団やエリック・エリクソン室内合唱団などがある。

ノールショピング交響楽団
Norrkopings Symfoniorkesterは、スウェーデン中東部の都市ノールショピングのルイ・ド・イェール・コンサートホールを本拠地とするオーケストラ。1912年に設立。本拠地での公演の他、近隣の都市リンシェーピングでも年数回の公演を行っている。


■ポピュラー音楽
昔日は世界第3位の音楽輸出大国と言われたこともあった。1960年代にはスプートニクスがエレキインスト界を席巻した。1970年代後半にABBAが世界中を席巻した。1980年代にはヨーロッパやロクセットなどのバンドが世界的レヴェルの人気を博した。


エマヌエル・スヴェーデンボリ
Emanuel Swedenborg, 1688年1月29日 - 1772年3月29日はスウェーデンのバルト帝国出身の科学者・神学者・神秘主義思想家。スウェーデンボルグ、スヱデンボルグとも。霊的体験にもとづく大量の著述で知られ、その多くが大英博物館に保管されている。スヴェーデンボリは当時、ヨーロッパ有数の学者として知られ、彼が精通した学問は、数学・物理学・天文学・宇宙科学・鉱物学・化学・冶金学・解剖学・生理学・地質学・自然史学・結晶学などである。

ヨハン・アウグスト・ストリンドベリ
Johan August Strindberg、1849年1月22日 - 1912年5月14日は、スウェーデンの作家。ストックホルムに生まれる。ウプサラ大学に入り自然科学を修めたが、中途で退学し1874年に王立図書館助手となり、その間1870年に王立劇場へ《ローマにてI Rom》という一幕物を提出して採用され上演。1872年に史劇《メステル・ウーロフ師 Mäster Olof》を発表したがそれは認められず、憤懣のはけ口として1879年に諷刺小説《赤い部屋 Röda rummet》を発表して名声を得た。オカルト研究でも知られ金の製造の研究をしていた。若い頃から科学ファンであったし「アンチバルバルス」を書いた時は大科学者としての名声を期待したが「詐欺師」「馬鹿」と言われた。

ヴァン・ヴァルフリート・エクマン
Vagn Walfrid Ekman、1874年5月3日 - 1954年3月9日はスウェーデンの海洋物理学者。いわゆるエクマンの海流理論の提唱者として、現代海洋物理学界の最高峰と謳われた。スウェーデンのストックホルムに生まれ、ウプサラ大学卒業後ヴィルヘルム・ビヤークネスの指導を受けた。フラム号による北極探検の成果を整理中だったフリチョフ・ナンセンより、風吹流に及ぼす地球の自転の影響を理論的に研究してくれるようにとの依頼を受け、ビヤークネスの推薦によりこれに従事し、北氷洋で氷の流れ方が風より20〜40°ほど右偏していることから、従来の海流理論に地球自転の転向力と海水の渦粘性を導入して理論値と観測値との一致を見、1905年に実測結果を説明した。

フレドリック・ラインフェルト
John Fredrik Reinfeldt、1965年8月4日−は、スウェーデンの政治家、経済学者。1965年8月4日ストックホルム郊外に中小企業を経営する両親の間に生まれる。1983年穏健党青年連盟(青年部)に入る。1990年ストックホルム大学経済学部を卒業する。

カール16世グスタフ (スウェーデン王)
(スウェーデン語: Carl XVI Gustaf、カール・グスタフ・フォルケ・フーベルトゥス・ベルナドッテ、スウェーデン語: Carl Gustaf Folke Hubertus Bernadotte、1946年4月30日 - )は、ベルナドッテ王朝第7代のスウェーデン国王(在位:1973年9月15日 - )。高校卒業後は、スウェーデン軍において2年半にわたって教育を受け、1968年にスウェーデン陸海空軍大尉に任官した。その後は、ウプサラ大学とストックホルム大学において、歴史学、社会学、政治学、税法を学んだ。

ハンス・フォン・オイラー=ケルピン
ハンス・カール・アウグスト・ジモン・フォン・オイラー=ケルピン(Hans Karl August Simon von Euler-Chelpin, 1873年2月15日 − 1964年11月6日)はドイツ・アウクスブルク出身のスウェーデンの化学者。1929年にノーベル化学賞を受賞した。ミュンヘンで士官の子として生まれ、ヴァッサーブルク出身の祖母に大きな影響を受けて育った。学校はアウクスブルク、ミュンヘン、ヴュルツブルク、ウルムを転々としていた。1891年にミュンヘンの美術アカデミーに入学するも1892年には化学に転向し、ベルリンに移って1895年に卒業した。

ダグ・ハマーショルド
ダグ=ヒャルマル=アニェ=カール・ハマーショルド(Dag Hjalmar Agne Carl Hammarskjold, 1905年7月29日 - 1961年9月18日)は、スウェーデンの外交官。第2代国連事務総長(任期は1953年4月 - 1961年9月)。1961年、北ローデシアで墜落死した。1953年、国連事務総長のトリグブ・リーが辞任すると、国連安全保障理事会は、後任にハマーショルドを推薦することを決定した。彼にとっては驚きであったが、3月31日安全保障理事会参加12か国中10か国が彼を推薦し、4月7日から4月10日まで開催された国連総会においても60票中57票が彼を選任した。1961年9月17日夜、コンゴ動乱の停戦調停に赴く途上で、搭乗機のダグラスDC-6Bが北ローデシア(現在のザンビア)のンドラで墜落。事故死した。

ニルス・グスタフ・ダレーン
Nils Gustaf Dalen、1869年11月30日 - 1937年12月9日はスウェーデンのエンジニア、企業家である。スウェーデンのAGA社の創業当時からの一員であり、ダレーン式灯台やAGAクッカー(オーブンの一種)などを発明した。1912年には「灯台や灯浮標(ブイ)などの照明用ガス貯蔵器用の自動調節機の発明」でノーベル物理学賞を受賞した。Nils Gustaf Dalen、1869年11月30日 - 1937年12月9日)はスウェーデンのエンジニア、企業家である。スウェーデンのAGA社の創業当時からの一員であり、ダレーン式灯台やAGAクッカー(オーブンの一種)などを発明した。1912年には「灯台や灯浮標(ブイ)などの照明用ガス貯蔵器用の自動調節機の発明」でノーベル物理学賞を受賞した。

ホーカン・ハーデンベルガー
Hakan Hardenberger, 1961年 - はスウェーデンのトランペット奏者。マルメ出身。8歳の時に父親から誕生日プレゼントとしてトランペットを贈られたのを機に、地元のボー・ニルソンについてトランペットの学習を開始。15歳でフンメルのトランペット協奏曲でデビューする。その後パリ国立音楽院に入学し、ピエール・ティボーに師事。さらにロサンジェルスでトマス・スティーヴンスらからも師事を受ける。パリ、ロンドン、ジュネーヴ、ミュンヘンなどの国際音楽コンクールを制覇し、早くから「地上で最高のトランペット奏者」(タイムズ紙)や「モーリス・アンドレ以来の大器」との呼び声が高い。

アンデルス・オングストローム
Anders Jonas Ångstrom、1814年8月13日-1874年6月21日はスウェーデンの天文学者、物理学者である。分光学に基礎を築いた一人である。長さの単位オングストローム(1オングストローム=1×10-10m)に名前を残している。ウプサラ大学で1839年に物理学の学位を得た後、1842年にストックホルム天文台で学んだ後ウプサラ天文台の職員になった。 地磁気を研究しスウェーデン各地の地磁気の強さと磁気偏角などの研究を行った。

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マンネ・シーグバーン
(Karl Manne Georg Siegbahn、1886年12月3日 - 1978年9月26日)は、スウェーデンの物理学者である。X線分光学の分野の研究で1924年のノーベル物理学賞を受賞した。ジーグバーン、ジークバーンの表記も見られる。息子のカイ・シーグバーンも、1981年にノーベル物理学賞を受賞している。スウェーデンのエーレブルーに生まれ、ルンド大学にて学んだ。1907年から1911年までヨハネス・リュードベリの助手を務め、リュードベリが亡くなった後は1920年にルンド大学の物理学教授になった。

クヌート・ヴィクセル
(Johan Gustaf Knut Wicksell、1851年12月20日 - 1926年5月3日)は、スウェーデンの経済学者。スウェーデン学派の祖。ヴィクセルは、1851年、スウェーデンのストックホルムで生まれた。彼の父親はかなり成功した実業家であり、不動産の仲買人だった。彼はかなり若い年齢で両親を失った。ヴィクセルはレオン・ワルラス(ローザンヌ学派)、オイゲン・フォン・ベーム=バヴェルク(オーストリア学派)、そしてデヴィッド・リカードに夢中になり、経済の3つの理論的構想の統合を模索した。

アルヴィド・ポッセ
Arvid Rutger Fredriksson Posse、1820年2月15日[1] - 1901年4月24日)は、スウェーデンの政治家、貴族。爵位は伯爵。ルンド大学卒業。1880年から1883年まで第2代スウェーデン首相を務めた。

カール・ヤルマール・ブランティング
(Karl Hjalmar Branting、1860年11月23日 - 1925年2月24日)はスウェーデンの政治家で、1907年から1925年までスウェーデン社会民主労働党の党首、1920年及び1922年から1923年、1924年から1925年の3度に渡ってスウェーデンの首相を勤めた。彼は普通選挙で当選したスウェーデンで初めての首相であるとともに、社会主義を標榜するヨーロッパで初めての首相となった。彼は数理天文学を修め、ストックホルム天文台の助手となったが、1884年に科学の道を断念し、ジャーナリストとなった。

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オロフ・パルメ
Sven Olof Joachim Palme(ヘルプ / リンク)、1927年1月30日 - 1986年2月28日)は、スウェーデンの政治家、元首相。ストックホルム大学卒業。スウェーデン全学連委員長時代には、ヴェトナム平和回復運動の先頭に立つ。外交政策においては、第三世界問題や国連軍縮委員会(パルメ委員会)でイニシアティブを発揮するなどしたため高く評価されている。彼はベトナム戦争に対するアメリカ合衆国の介入を強硬に批判し、大量の兵役忌避者や脱走兵を受け入れた。また、1968年にソビエト連邦のプラハの春に対する武力弾圧や南アフリカ共和国のアパルトヘイト政策、スペインのフランコ政権による独裁政治を辛らつに批判し続け、反核運動にも尽力した。

ヘンリク・ラーション
(Henrik Edward Larsson、1971年9月20日 - )は、スウェーデン・ヘルシンボリ出身の元サッカー選手、現サッカー指導者。ポジションはフォワード。父はカーボベルデ出身で、母はスウェーデン人である。22歳の時、1994年のアメリカW杯にスウェーデン代表として出場し、同国の3位入賞に貢献。ブロンドのドレッドヘアーという独特な風貌も相俟って、一躍世界にその名を知られるようになる。

アグネッタ・フォルツコグ
1950年4月5日 - はスウェーデンのシンガーソングライターでポップ・グループ、ABBAのメンバー。彼女は、1950年、スウェーデンのヨンショーピングで生まれる。彼女は幼い頃からピアノに親しみ家族の前でよくピアノを弾いていたという。 17歳の頃、レコーディングのためストックホルムへ上京した。1968年にはその高い歌唱力からスウェーデン最優秀ボーカリストに選ばれ、10代にして国内での知名度を確立している。

マックス・フォン・シドー
Max von Sydow, 1929年4月10日 - は、スウェーデンの俳優。ルンド出身。父親は民族学の教授、母親は教師。10代の時に友人とアマチュア劇団を立ち上げた。後にストックホルムの演劇学校で学び、在学中の1949年に映画デビューした。1955年にイングマール・ベルイマンに出会い、以降、彼の作品の常連となり、スウェーデンを代表する俳優となる。

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エレナ
Elena Paparizou、1982年1月31日-はギリシャ・スウェーデンの歌手。ヨーロッパではギリシャ代表として出場したユーロビジョン・ソング・コンテスト2005の優勝者として、そしてその際の発表曲「My Number One」で有名である。スウェーデンのボロース市生まれ、イェーテボリ市オールグリューテ区育ち。彼女の父Georgiosはギリシャのボロス、母Efrosiniは同国のカルディツァ出身の移民。兄弟はRitaとDino。幼少の頃から芸術の分野に興味をそそられ、秘めたる才能を発揮しだしていた。

フランツ・アドルフ・ベルワルド
Franz Adolf Berwald, 1796年7月23日 - 1868年4月3日はストックホルムに生れ同地で没したスウェーデンのヴァイオリン演奏家で作曲家。作曲は独学と言われ、半音階的な和声進行が特徴的な、きわめて独自の作風をとった。そのため生前はなかなか理解されなかったが、現在では近代スウェーデン音楽の基礎を作った1人として認められている。

ABBA
世界的に知られる、スウェーデンのミュージシャン男女4人グループである。1970年代半ばから1980年代初頭にかけて活躍し、「ポップ・ミュージックの完成者」と呼ばれる。マドンナやレディー・ガガなど多くのアーティストがABBAの影響を受けたと語っている。 特にヨーロッパやオーストラリアでの人気は凄まじいものであり、シングルとアルバムの総売り上げは3億7,000万枚を超え、世界で最も売れたアーティストにも名を連ねている。

ヴィクトル・シェストレム
(Victor Sjostrom、1879年9月20日 - 1960年1月3日)は、スウェーデンの映画監督、脚本家。。監督業の傍ら、映画俳優としても独特の存在感を示した。特にイングマール・ベルイマン監督の『野いちご』における演技が有名。1895年に事業に失敗した父親がストックホルムに帰国すると彼を取り巻く状況は一変する。シェストレムは苦しい家計を助けるために、ストックホルムの路上でドーナツ(19世紀末のスウェーデンでは最新流行の食べ物だった)のセールスマンとして生計を立てていくことになった。翌1896年に父親のオロフが死去すると、シェストレムは再び役者を志すようになる。経済的な理由から王立演劇学校で俳優としての正規の教育を受けることができなかったシェストレムは、旅芸人の一座を率いてスウェーデンやフィンランドを巡業する。

ルーカス・ムーディソン
(Lukas Moodysson, 1969年1月17日 - )は、スウェーデンの映画監督。マルメで生まれる。23歳の時に詩集や小説を執筆・出版していた。スウェーデン国立映画学校ドラマチスカ・インスティテュートで映画製作を学ぶ。短編の監督からキャリアをスタートさせた。1998年に『ショー・ミー・ラヴ』で長編監督デビューを果たす。同作品は多数の映画祭で上映され、一躍その名を知られるようになる。

ボー・ヴィーデルベリ
Bo Widerberg、1930年6月8日 - 1997年5月1日は、スウェーデンの映画監督・脚本家。マルメ出身。ベルイマン、トロエルと共にスウェーデンの三大巨匠と呼ばれることもある。日本ではウィデルベルイの表記も見られる。20歳の頃は小説家、60年代は映画作家として活躍している。1963年に映画監督としてデビュー。その後、67年に撮影した「みじかくも美しく燃え」はカンヌ映画祭に出展され、女優ピア・デゲルマルクに女優賞をもたらした。

サロモン・アウグスト・アンドレー
(Salomon August Andree, 1854年10月18日 - 1897年10月17日以降)は、スウェーデンの探検家、技師。水素気球エルネン号で北極飛行を試みて遭難死した。ストックホルムの王立工科大学で工学を学び、1880年まで技術者として働いた。その後2年間王立工科大学で助手を務める。1876年の訪米時には気球家ジョン・ワイズと会っている。1882年から1883年にかけて気象学者ニルス・エクホルム(Nils Ekholm)率いるスピッツベルゲンへの科学調査隊に参加。

セルマ・ラーゲルレーヴ
(Selma Lagerlof, 1858年11月20日 - 1940年3月16日)は、スウェーデンの女流小説家。本国ではフェミニストとしても知られる。フルネームは、セルマ・オッティリアーナ・ロヴィサ・ラーゲルレーヴ。『ニルスのふしぎな旅』(1906年)の著者。1909年に、女性で初めてのノーベル文学賞受賞者となった。

グンナール・アスプルンド
(Erik Gunnar Asplund 1885年9月22日 - 1940年10月20日)は、スウェーデンの建築家。アルヴァ・アールト、アーネ・ヤコブセンら北欧の20世紀の建築家たちに多大な影響を与え、北欧近代建築の礎を築いた。アスプルンドは建築家にとっては最盛期ともいえる55歳で世を去り、作品はほぼスウェーデン国内に限られる。工科大学卒業後、王立芸術大学に進学するが、そのボザール流の保守的な教育に反発して中退。仲間とともに私設学校「クララ・スクール」を設立した。この私設学校ではラグナル・エストベリ、カール・ヴェストマンら、当時の北欧の一流建築家たちを招き指導を受けた。

ヒューゴ・テオレル
(Axel Hugo Theodor Theorell, 1903年7月6日 - 1982年8月15日)はスウェーデンの生化学者。ノーベル生理学・医学賞受賞者。テオレルは酵素の研究に一生を捧げ、酸化酵素とその作用の発見により1955年度のノーベル生理学・医学賞を受賞した。

トルステン・ウィーセル
(Torsten Nils Wiesel、1924年6月3日 - )は、スウェーデンの神経科学者。ウィーセルはスウェーデンのウプサラで生まれ、1954年にカロリンスカ研究所のカール・バーナードの研究室で研究を始めた。1年後、彼はジョンズ・ホプキンス大学のステファン・クフラーの下で研究するためにアメリカ合衆国に渡った。1958年にはヒューベルと出会い、それから20年以上続く共同研究が始まった。

クット・アッテルベリ
(Kurt Magnus Atterberg, 1887年12月12日 - 1974年2月15日)は、スウェーデンの作曲家。(名はクルト、姓はアッテベルイとも書かれる。)チェロ奏者、音楽評論家としても活躍したが、職業的作曲家ではなく、ストックホルムの特許局の職員として大半を過ごした。

ポントゥス・アルノルドソン
(Klas Pontus Arnoldson、1844年10月27日 - 1916年2月20日)は、スウェーデンのヨーテボリ出身の作家、ジャーナリスト、政治家、平和主義者で、1908年にフレデリック・バイエルとともにノーベル平和賞を受賞した。

アンネリ・アルハンコ
(Anneli Elisabeth Alhanko Skoglund、1953年12月11日 - )は、スウェーデンのバレエダンサー、女優である。1972年にはヴァルナ国際バレエコンクールに出場して、銀メダルを獲得した。1973年にソリストになり、3年後にはプリンシパルダンサーに昇格した。

スヴァンテ・アレニウス
(Svante August Arrhenius, 1859年2月19日 − 1927年10月2日)はスウェーデンの科学者で、物理学・化学の領域で活動した。物理化学の創始者の1人といえる。1903年に電解質の解離の理論に関する業績により、ノーベル化学賞を受賞。アレニウスの式、月のクレーター Arrhenius、ストックホルム大学の研究所名などに名を残している。

ビョルン・アンドレセン
(Bjorn Johan Andresen、1955年1月26日 - )は、 スウェーデンの俳優、歌手。ストックホルム出身。 ルキノ・ヴィスコンティ監督の映画作品「ベニスに死す」(1971年)のタジオ役で広く知られている。5歳の時、父に捨てられ、それが原因で母が自殺。祖母に育てられる。ストックホルムの音楽学校でクラシックを学んだが、好みはビートルズなどのロック。友人達と13歳の頃からバンドを組み、あちこちで演奏していた。

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フレドリク・ウレーン
(Fredrik Ullen, 1968年 ヴェステロース − )はスウェーデンのヴィルトゥオーゾ・ピアニスト。本業は精神科医である。ストックホルム音楽大学にてグンナル・ハルハーゲンやイレーネ・マンハイマーらに師事。その後ヘルシンキのシベリウス音楽院にてリーサ・ポホョラにも師事した。

ニルス・キュレーゲル
(Nils Kreuger、1858年10月11日 - 1930年5月11日)は、スウェーデン人の画家である。1892年に画家のリッカルド・ベリが購入したゴーギャンの絵画から啓示を受けたキュレーゲルは、ベリ、カール・ヌードストロームとともに、スウェーデン西海岸にあるヴァールベリで1893年から1896年にかけて過ごし、作品制作を重ねて総合主義的様式を発展させた。

オスカル・クライン
(Oskar Klein, 1894年9月15日 - 1977年2月5日)は スウェーデンの理論物理学者である。仁科芳雄と散乱に関するクライン=仁科の式を導いたことなどで知られる。クラインは現代物理学に多くのあたらしいアイデアを導入した。クラインはカルツァ=クライン理論の一部であり、M理論や弦理論にとって不可欠な、余剰次元は存在するが非常に小さなスケールに折りこまれている、とする考えを編み出した。

ロルフ・マキシミリアン・シーベルト
(Rolf Maximilian Sievert, 1896年5月6日 - 1966年10月3日[1])は、スウェーデンの物理学者。 放射線が人体に与える影響についての研究で知られ、特に放射線防護について大きな功績を残した。その功績によって、国際度量衡総会は1979年に被曝線量当量の単位としてシーベルトを定義した。

フジ子・ヘミング
1932年12月5日 - )、本名イングリッド・フジコ・フォン・ゲオルギー=ヘミング(Ingrid Fuzjko Von Georgii-Hemming)は、日本とヨーロッパで活躍するピアニストである。ロシア系スウェーデン人の画家・建築家のヨスタ・ゲオルギー・ヘミング(Josta Georgii Hemming)と、日本人ピアニストの大月投網子の間にベルリンで生まれる。

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ヨハン・ヨハンソン
(Johan Petter Johansson、1853年12月12日 - 1943年8月25日)(JPとしても知られる)は、スウェーデンの発明家で実業家である。彼は近代的なモンキーレンチ(Adjustable spanner)を発明した(特許、1891年、1892年5月11日)。ヨハンソンは総計100以上の特許を取得した。

イングヴェイ・マルムスティーン
(Yngwie Malmsteen、1963年6月30日 - )はスウェーデン・ストックホルム出身のミュージシャン、ギタリスト、作曲家、マルチプレイヤー。ロック・ギターにクラシック音楽の要素を盛り込み、驚異的な速弾きでギター奏法に大革命をもたらした。日本でのみマイケル・シェンカーの「神」に対して「王者」と呼ばれる。

マンドゥ・ディアオ
(Mando Diao) は、スウェーデン、ダーラナ県ボーレンゲ市出身のガレージロック・バンドである。メンバー全員ビートルズが好きで、「ビートルズがやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ!」をカバーしている。世界中でツアーを行っており、スウェーデンのほかにドイツ、日本、で人気が高い。

スウェーデン  Sweden
北ヨーロッパのスカンディナヴィア半島に位置する立憲君主制国家。西にノルウェー、北東にフィンランド、南西にカテガット海峡を挟んでデンマーク、東から南にはバルト海が存在する。首都はストックホルム。面積は日本よりやや広く、日本全土に北海道をもう一つ足した程度である。面積の割りに人口が少なく人口は日本の約1/12、人口密度は約1/19程度。

ストックホルム
Stockholmは、スウェーデンの首都で、スウェーデン最大の都市である。北欧を代表する世界都市であり、2010年、アメリカの外交専門誌フォーリンポリシーにより、世界第23位に選ばれている。人口は約75万人。北緯 59度20分、東経 18度3分に位置する。「水の都」、「北欧のヴェネツィア」ともいわれ、水の上に浮いているような都市。13世紀の半ばにスウェーデン東部のメーラレン湖東にある小島スタツホルメン島に砦として築かれたのが最初である。


ストックホルム大学
Stockholm University,スウェーデン語:Stockholms universitet)はスウェーデンの首都ストックホルムにある国立大学。1878年に設立され、現在39,000人あまりの学生が学び、4,600人の職員・博士号候補者がいる。ノーベル賞受賞者や実業家、政治家を多数輩出している大学であり、スウェーデン、ヨーロッパで評判のいい大学のひとつである。

ヨーテボリ大学
The University of Gothenburgはスウェーデン第2の都市ヨーテボリにある大学。1891年設立の歴史のある大学であり、9の学部(44の学科)で40,000名以上の学生が学んでいる。スウェーデン国内で評判の良い大学とされ、欧州における主要な大学の1つである。

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リンショーピング大学
Linkopings Universitetは、スウェーデンのリンショーピングにある公立の大学である。1969年に創立された。23の教育部門および4学部を有し、教育センターが設置されている。 教職員3,400人、学部生26,500人、大学院生1,450人。

チャルマース工科大学
Chalmers University of Technology、は、ヨーテボリに本部を置くスウェーデンの私立大学である。1829年に設置された。ヨーロッパ指折りのエリート名門工科大学の1つとされ、スウェーデンで大学ランキングでは、ほぼ1位を独占し続けている。特に材料工学と建築工学に関しては世界屈指の研究を誇っている。
公式サイト

ウプサラ大学
Uppsala Universityは、スウェーデンのウプサラにある、1477年にエリック13世によって創設された北欧最古の大学。ヨーロッパの最も権威ある高等教育・研究機関の一つであり、 15人の大学関係者(卒業生・教員等)がノーベル賞を受賞している。

ルンド大学
Lund university、は、スウェーデンのスコーネ県のルンド市の大学。創立は1666年であり、現在のスウェーデン領土内の大学としては2番目に古い。

ウメオ大学
Umea universitetはスウェーデンのヴェステルボッテン県・ウメオにある大学。1965年に設立。スウェーデンで5番目に古い伝統の大学である。1970年代には赤い大学として知られ、ストライキを経験したことがあるが、現在は28000人の学生、256人の教職員を持つ。

ベクショー大学
Vaxjo university、は、スウェーデン・ベクショーに本部を置くスウェーデンの国立大学である。1999年に設置された。1967年、ルンド大学の支部がベクショーに設置され、1977年、支部はルンド大学から独立し一つの学校となった。

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カロリンスカ研究所
Karolinska Institutet)はスウェーデンのストックホルムにある医科大学。カロリンスカ医科大学とも呼ばれる。医学系の単科教育研究機関としては世界で最大。ノーベル賞の生理学医学部門の選考委員会がある。


外務省:スウェーデン王国
在スウェーデン日本国大使館


ヨーテボリ
ヴェストラ・イェータランド県に属するスウェーデンの港湾都市。人口は約52万人。スウェーデンではストックホルムに次ぎ、北欧でも5番目の大きさの都市である。ヴェストラ・ヨータランド県の県庁所在地。町の名前は「ゴートの都市」を意味する。西海岸に面しているため海洋性気候であり、夏場でも天候の変動が激しく、にわか雨などが多い。そのため、地元では「小さなロンドン」(Lilla London)などと呼ばれることがある。

マルメ
Malmoは、スウェーデン南部、スコーネ県(スコーネ)の最大都市。人口は約29万人でスウェーデンではストックホルム、イェーテボリに次いで3番目に大きい都市。エーレスンド海峡を挟んで対岸はデンマークの首都コペンハーゲン。2000年にエーレスンド橋が完成しコペンハーゲンへのアクセスが大きく向上した。家具、インテリアの北欧デザインの中心地の一つでもあり、中心街には家具店、インテリアショップ、「フォルムデザインセンター」などが点在している。

リンシェーピング
スウェーデン南部エステルイェータランド県の都市であるリンシェーピング市の中心地(centralort)。地方区分としてはイェータランドのエステルイェートランド地方に属する。リンシェーピングは12世紀にはスウェーデンの宗教的中心地となっており、今も残るリンシェーピング大聖堂はこの地に司教座が置かれ、古くからエステルイェートランド地方の中心地であった事を示している。

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ウプサラ
Uppsalaは、スウェーデン中部の都市で、ウプサラ県の県都。人口は約13万人(2000年)で、スウェーデン第4位。よりスウェーデン語に近い発音はウップサーラ。北欧最古の大学であるウプサラ大学がある。ストックホルムの約70km北、ストックホルム-アーランダ空港の約35km北に位置し、ストックホルムからは電車で45分ほど。フューリソン川河畔の大学街。

ルンド
Lundは、スウェーデン南部、スコーネ県(スコーネ)の都市。スコーネで最大の都市マルメの北東に位置する。人口は約10万1千人。990年ごろ、デンマーク王のカヌートにより興された。ルンド大聖堂やルンド大学で知られる。

エレブルー
スウェーデン中部、ネルケ地方の都市。中心部人口は98,237人(2005年)、市人口は128,977人(2006年)で国内第7位である。また当市は2006年現在、275,030人を擁するエレブルー県の県都でもある。

ヴェステロース
Vasterasはスウェーデン中部スヴェアランド・ヴェストマンランド地方の都市。ヴェストマンランド県の県庁所在地であるヴェステロース市の中心地でもある。メーラレン湖岸の都市でストックホルムの西約100kmに位置する。ヴェステロースは国内だけでなく北欧でも最も古い都市の一つである。 紀元1000年以前、ヴァイキングの時代に植民が始まったとされ、11世紀初頭には国内第二位の都市となった。

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ボロース
(Boras stad)はスウェーデンのヴェストラ・イェータランド県にある都市。16世紀には既に現在のボロースの周辺では農業が行われていたが、生計を立てるために各種の手工業製品を製造し、それを売り歩く行商が行われていた。しかし、ボロース出身の行商人たちは自分たちの商業地域を保護しようとする各地の商人たちによって、数々の暴行を受ける事になる。


ストックホルム・アーランダ空港
Stockholm-Arlanda Airportは、スウェーデンの首都、ストックホルムの北42km及びウプサラの南東28kmに位置する国際空港である。空港の規模は、ヨーロッパでは6番目、スウェーデン国内では最大である。

ストックホルム・ヴェステロース空港
スウェーデンのヴェステロース市内にある空港で、中心部から南東約 5 km に位置する。首都ストックホルムからは 100 km 程、離れている。

ストックホルム・ブロンマ空港
Stockholm-Bromma flygplats、英: Stockholm-Bromma Airport)はスウェーデン王国の首都ストックホルム近郊にある空港。


スカンジナビア航空
Scandinavian Airlines System, SASは、スウェーデン、デンマーク、ノルウェーのスカンディナヴィア三国が共同で運航する航空会社で、スターアライアンスのメンバー。本社はストックホルム。


ストックホルム中央駅
Stockholms centralstationはスウェーデンの首都ストックホルムにあるスウェーデン最大のターミナル駅である。ストックホルム中央駅はストックホルムの中心部であるノルマルマ地区のヴァーサガータン通りに面している。開業は1871年7月18日で今日では毎日25万人以上が訪れスウェーデンのみならず、北欧諸国の交通の拠点ともなっている。

欧州自動車道路
ヨーロッパにおける国際的な道路網。ヨーロッパハイウェイ、欧州道路や国際E-ロードネットワークとも呼ばれる。 国境をまたがって伸びており、ルートの決定は欧州経済委員会によって行われている。そのため、この道路網はヨーロッパのみならず、欧州経済委員会参加国である中央アジアのカザフスタンも含んだものになっている。

ストールストックホルムス・ロカールトラフィーク
AB Storstockholms Lokaltrafik) はスウェーデン・ストックホルム県内の公共交通機関を担当する公営交通である。ストックホルム県ランスティングが所有する株式会社で、県内のバスを運行する他、近郊電車、スウェーデン国内唯一の地下鉄も運行している。


ノーショーピング
Norrkopingはスウェーデン中東部、エステルイェータランド県の都市。中心部人口は83,561人(2005年)で国内第10位、市人口は125,463人(2006年)で国内第8位。「スウェーデンのマンチェスター」「北京」という二つの愛称を持つ。

ヘルシンボリ
(Helsingborg)はスウェーデン南部スコーネ県の都市。人口は91,600。家具小売業イケアの本社機能がある。禁煙用ガム『ニコレット』の工場がある。

ヨンショーピング市
地理的に、ヨンショーピングの町はスウェーデン第二の大湖ヴェッテルン湖の南端に位置する。湖岸の砂浜が行き渡るヨンショーピングは、非常に美しい都市であるとされている。

ウメオ
Umeaは、スウェーデンのヴェステルボッテン県にある都市。2つの大学があり、合計3万人以上の学生が学んでいる。またスウェーデン北部の最も大きな都市である。

スンツヴァル
スウェーデンの古い政治的区分では北部にあたるノールランドのメーデルパッド地方の下にある都市(人口49,000人)である。この都市は4度の焼失と再建を経験している。1度目は1721年、大北方戦争中のロシア軍によるものであり、4度目は1888年、スウェーデン史最大のものである。それは蒸気船の火花によるものと考えられている。その出火の後、スンツヴァルは石造りの町として再建された。

ヴィスビュー
(Visby)はゴトランド島に位置するスウェーデン王国南西部の都市である。10世紀に建設され、そのころの遺跡で国際的に有名。ゴットランド県とゴットランド郡の中心都市である。現在のスウェーデンにおいて、ヴィスビーは旧市街を囲む殆ど完全な姿の3.4kmの石の壁で知られている。この壁は"Ringmuren"(輪壁)と呼ばれる。

ハルムスタッド
(Halmstad)はスウェーデン南西部の都市。ハッランド県の県庁所在地であり、人口は約5万5千人。ニッサン川の河口に位置し、カテガット海峡に面する。

エステルスンド
(Ostersund) はスウェーデン中部の都市。イェムトランド県の県庁所在地であり、エステルスンドコミューンの中核地域でもある。エステルスンドはスウェーデンで5番目に大きな湖であるストールション湖の南東岸に位置しており、イェムトランド県で唯一の都市となっている。人口は約44,000人で、スウェーデンで24番目に、スカンジナビア半島全体では46番目に多い。

カルマル市
(Kalmar)は、スウェーデン南東スモーランド地方の都市。バルト海に面する。カルマル大聖堂は1702年からの歴史を持つ、古典主義建築の適例である。カルマル城を中心にすえた城塞都市として発展した。

ベクショー
スウェーデン南部・スモーランド地方の都市。人口は55,600人(2005年)。 BBCにより、Greenest City in Europeと呼ばれるほど、環境に取り組んでいる。

ルレオ
(Lulea)またはルーレオは、スウェーデン北部ノールボッテン県(Norrbotten lan)にある都市で、同県の県都。沖合にある800ほどの島も含む。ルーレ川の河畔に位置し、ボスニア湾に面している。キルナからの鉄鉱石を輸送する上の重要な港である。

ヴァールベリ
Varberg)は、スウェーデンのハッランド県に位置するヴァールベリ市の市庁所在地。県の海岸は砂質の「典型的な西海岸」として知られるが、この辺りで岩がちな地形に変わり、北のブーヒュースレーン地方まで延びている。夏は魅力的なリゾート地として、多くの人々がボロースなどの内陸都市から休暇に訪れる。

キルナ
(Kiruna)はスウェーデンで最も北に位置する都市(正確には、市、kommun)であり、ノールボッテン県(Norrbotten län)に属する。人口は約23000(市街約19000)。市章には鉄とライチョウが描かれており、これは鉱業が街にとってとても重要な産業であり、キルナという名称がサーミ語のギーロン(Giron、ライチョウ)に由来している事による。

ランズクルーナ
(Landskrona, Landskrona Kommun, Landskrona Stad)は、スウェーデン南部のスコーネ県(Skane Lan)にある都市。人口は約2万9千人。デンマークとの国境であるエーレスンド海峡に面している。

ソルナ
Solna) は、スウェーデン東部、ストックホルム県(ストックホルム)にある都市。人口は約6万5千人。広さは21.11km2で、スウェーデンでは3番目に小さい市(コミューン)である。


ランスティング
landsting)とは日本の県に相当するスウェーデンの地方自治体の一つで、その数は20(18ランスティングと2リージョン)。国会と政府の出先機関であるレーンでは扱わない分野の行政である、地方自治を担当する。


SJ AB
SJ AB(エスイー・アーベー、Statens jarnvagar aktiebolag : 国鉄株式会社)は、スウェーデンの国鉄線における旅客鉄道事業を行う国有企業である。日本語では、スウェーデン国鉄、スウェーデン鉄道とも呼ばれている。


スウェーデン王立科学アカデミー
Kungliga Vetenskapsakademienは、1739年にフレドリク1世によって設立された、スウェーデン王立アカデミーの1つである。スウェーデン王立科学アカデミーは独立行政法人であり、自然科学と数学の発展を目的とした活動を行っている。スウェーデン王立科学アカデミーには、ノーベル物理学賞、ノーベル化学賞、ノーベル経済学賞の受賞者を選考する委員会が存在する。

欧州連合
欧州連合の基本条約である欧州連合条約の正文は23言語で作成されており、そのため欧州連合の正式名称は23言語で表記される。略称としては、英語などでの表記の頭文字をとった EU があり、日本語圏においてもこの略称を使うことが多い。


緑の党
Miljopartiet de Gronaは、スウェーデンの環境政党。直訳すると環境党緑。1980年に行われた原子力発電に関する国民投票における反対運動が母体となり、1981年に設立された。1988年に初めて議会で議席を得た。支持者には若年層が多い。
マニフェスト:自然、生態系、動物たちとの連帯/次世代との連帯/世界の人々との連帯/スウェーデン在住の移民との連帯

穏健党
Moderaterna)は、スウェーデンの保守自由主義政党。近年はスウェーデンの福祉国家から自由主義社会への急激な転換方針は棚上げにしており、結果として社会自由主義にも近づいている。中道右派連合の一角を占めており、2006年9月以降、政権与党であり、首相をはじめ多くの大臣を輩出している。

スウェーデン社会民主労働党
SAP 俗称:Socialdemokraternaは、スウェーデンの社会民主主義政党で、2010年現在スウェーデン最大の政党。スウェーデンでは最も古い政党である。社会主義インターナショナル加盟政党。

中央党
Centerpartietは、スウェーデンの農民政党、リベラル政党。1913年に農民同盟として結成。1957年に現在の党名に改称。農民政党は北欧を中心にしばしば見られる政党の形態である。レッセフェールの伝統を引き継ぐ、新自由主義の政党として認識されているため、それに期待する自営業者の中にも支持者がいる。しかしながら、やはり最大の支持基盤は農民であり、農林業の経済問題が最大の党是である。

自由党
Folkpartiet Liberalernaは、スウェーデンの自由主義政党。1902年に設立。社会自由主義政策を標榜している。自由主義インターナショナル加盟政党。1990年代にはかなり経済的に右傾化した政策に傾斜していた。2006年9月17日の総選挙で多数派となった中道右派ブロック・スウェーデン同盟を構成している。スウェーデン議会中、第4党。青年組織は、スウェーデン自由ユース。

キリスト教民主党
(Kristdemokraterna)は、スウェーデンの宗教政党。設立は1964年だが、議会に議席を持ったのは1985年になってからである。1991年からは中央党と選挙協力を行っている。イデオロギーとしては自由主義神学であり、支持組織はスウェーデンの国教であるルーテル教会、政治的な位置付けは中道右派。高齢者と若い家族に支持者が多い。

ドナルドダック党
Donald Duck Partyは、ウォルト・ディズニー・カンパニーのキャラクターであるドナルドダックにちなんで命名された、スウェーデンのジョーク政党。選挙記録上では存在するが、実在はしていない。ドナルドダック党とは、単に既成政党に投票する気のない人達が勝手に投票用紙に書きこむだけの存在である。しかし、集計上はスウェーデンにおいて9番目に人気のある「政党」である。


■国名
英語の公式名称はKingdom of Sweden、通称Sweden。形容詞はSwedish(スウィディッシュ)。日本語の表記はスウェーデン王国。通称スウェーデン。他にスエーデン、スェーデンという表記もされる。漢字による当て字は「瑞典」。

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1.面積:約45万平方キロメートル(日本の約1.2倍)
2.人口:約940万人
3.首都:ストックホルム(市人口約84万人、都市圏は約200万人)(2010年)
4.言語:スウェーデン語
5.宗教:福音ルーテル派が多数

1100年代 王国として統一始まる
1630〜1648年 ドイツ30年戦争に介入、ウェストファリア条約で大国の地位確保
1814年 ナポレオン戦争後、キール平和条約締結。以降非同盟・中立政策。
1946年 国連加盟
1995年 欧州連合(EU)に加盟。

■主要産業:機械工業(含:自動車)、化学工業、林業、IT

■主要貿易品目(1)輸出 石油精製品、電気通信機器、医薬品(2)輸入 石油、自動車及び部品


スウェーデン・クローナ
(svensk krona)は、スウェーデンの通貨。ISO 4217の通貨コードはSEKで、通称はセック。補助通貨単位はオーレ(öre)で、1スウェーデン・クローナは100オーレに等しい。1スウェーデン・クローナ=11.23円(2010年5月27日現在)。 スウェーデン・クローナはスウェーデン中央銀行(Sveriges Riksbank)が発行している。


汎スカンディナヴィア主義
Scandinavismは、北欧諸国(デンマーク、ノルウェー、スウェーデン)、特に「ノルマン人」の連帯と統一を目指す思想運動である。北欧諸国が、欧州列強の脅威に囲まれる中で、北欧の団結と統合を体現化したナショナリズムの昂揚である。この時代、知識人たちが好んで用いた言葉、「ノルデン(Norden)」は、汎スカンディナヴィア主義の概念となった。

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ノルディックバランス
Nordic Balanceは、第二次大戦後の東西冷戦中の北欧の動向。アメリカ寄りのデンマークとノルウェー、中立のスウェーデン、ソ連寄りのフィンランド、いわゆる「北欧の均衡」。北欧に表面的な平和を提供するものと言われた。しかし最近の研究によれば、むしろアメリカと同盟のノルウェー、アメリカ寄りの中立のデンマークとスウェーデン、ソ連寄りの中立のフィンランド、という状態がより実態に近かったらしい。

リクスダーゲン
(Riksdagen) は、スウェーデン王国の一院制の立法府。リクスダーゲンは議会制民主主義における議会としての一般的な機能を果たしている。リクスダーゲンは法律を制定し、また憲法を改正したり政府を任命したりしている。ほとんどの議会制民主主義体制においては国家元首が政治家に政府を組織することを求めるようになっているが、1974年に制定された、憲法を形成する4つの基本法の1つである政体法では、政府を組織するよう求める権限を国王から議長に移している。


イングマール・ベルイマン
ngmar Bergman, 1918年7月14日 - 2007年7月30日は、スウェーデンの映画監督・脚本家・舞台演出家。スウェーデンを代表する世界的な映画監督として知られる。イングマール・ベルイマンは1918年7月14日にウプサラ(ストックホルムから60km)で生まれた。ベルイマン家は16世紀まで辿れる名家であり、先祖の多くもそうだったように父は牧師であった。兄のダーグは外交官、姉のマルガレータは小説家である。

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スヴァンテ・アレニウス
Svante August Arrhenius, 1859年2月19日 − 1927年10月2日はスウェーデンの科学者で、物理学・化学の領域で活動した。物理化学の創始者の1人といえる。3歳のとき独力で文字を読めるようになり、父が帳簿をつける様子を見て算術までできるようになり、神童と呼ばれた。大人になってからも、大量のデータから数学的関係や法則性を見出す才能を示した。8歳のとき学校に通い始めたが、5年生に編入され、物理学と数学に才能を発揮し、1876年に主席かつ最年少で卒業した。

スヴェン・ヘディン
Sven Anders Hedin,1865年2月19日−1952年11月26日はスウェーデンの地理学者・中央アジア探検家。ストックホルムで建築業を営む中流家庭に生まれ、小学校の同級生には経済学者グスタフ・カッセルや数学者イヴァル・フレドホルムなどがいた。1902年に貴族に列せられ、1909年にイギリスより“ナイト”の称号を得る。アドルフ・エリク・ノルデンショルドの成功に感銘を受け、生涯師事した。ベルリン大学でシルクロードの提唱者として知られるリヒトホーフェンの指導をうけて中央アジア探検を決意し、ペルシア、メソポタミアに旅行(1885年−86年)。

ヴィルヘルム・ステーンハンマル
Carl Wilhelm Eugen Stenhammar, 1871年2月7日 - 1927年11月20日は スウェーデンの作曲家・ピアニスト・指揮者である。1887年から1892年までストックホルムでピアノ・オルガン・作曲を学び、1892年春にピアニストとしてデビュー。同年秋から翌年まで、ベルリンにピアノ留学。この頃からステーンハンマルは、コンサート・ピアニストとして、熱心かつ積極的に活動を行う。とりわけ、作曲家・ヴァイオリニストトール・アウリンとのデュオや、アウリン弦楽四重奏団との共演に熱意を寄せた。

ヒューゴ・アルヴェーン
Hugo Emil Alfven1872年5月1日ストックホルム - 1960年5月8日はスウェーデンの作曲家・指揮者・ヴァイオリニストおよび画家。スウェーデンの作曲家としては最も名の知れた人物である。

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ビョルン・ボルグ
1956年6月6日 - は、スウェーデン・セデーテイェ(首都ストックホルム近郊の町)出身の元男子プロテニス選手。ジミー・コナーズ(アメリカ)やジョン・マッケンロー(アメリカ)らと並んで、男子テニスの黄金時代を築いた名選手のひとりである。全仏オープンに4連覇を含む6勝、ウィンブルドン選手権で5連覇を達成した。4大大会通算「11勝」は、ロッド・レーバー(オーストラリア)と並ぶ男子歴代4位タイ記録。ボルグは重いトップスピン(順回転のボール)主体のグラウンド・ストロークを得意とし、当時のウッド・ラケットを80ポンドのぎりぎりの硬さに張っていた。コート上で常に冷静沈着なことから“アイス・マン”(氷の男)と呼ばれていた。なお、トップ・スピンはこのボルグの回転系のショットから言われるようになった。この事がボルグが現代テニスの父とよばれる所以である。

ズラタン・イブラヒモビッチ
1981年10月3日 - は、スウェーデン・マルメ出身でACミラン所属のサッカー選手。ポジションはFW。「イブラヒモヴィッチ」の名が示す通り、ルーツをバルカン半島に持つ彼は、スウェーデン人の血を引いてはいない。スウェーデンに移住したボスニア人の父セフィクとクロアチア人の母ユルカとの間に生まれた。幼い頃から、4点ビハインドの試合で交代選手として投入され8得点を奪うなど、「単独で局面を打開出来る」選手として傑出した才能を示す。華麗なテクニックと抜群の身体能力を兼ね備えた孤高のストライカー。195cmの長身で空中戦に強く、スピードもあり、足元のボールコントロールも正確で、堅実なポストプレーもできる万能型アタッカーである。身体能力が高くテコンドー仕込みのアクロバティックなシュートも得意である。

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トーマス・トランストロンメル
Tomas Gosta Transtromer 1931年4月15日 - は、スウェーデンの詩人。ストックホルム生まれ。戦後のスウェーデンを代表する詩人で、短い自由詩のなかに神秘的世界をイメージ豊かに描く詩人として知られる。音楽性も豊かで自然描写に優れ、独創的なメタファーを駆使することから「隠喩の巨匠」と呼ばれる。ジャーナリストの父と教師の母の間に生まれる。1956年にストックホルム大学を卒業、心理学者として非行少年や薬物中毒者のための更生施設などで働いた。 1990年には脳卒中で倒れ、言語障害と右半身不随を患うが、闘病のかたわら詩作を続けた。

エルンスト・カッシーラー
Ernst Cassirer, 1874年7月28日 - 1945年4月13日は、ユダヤ系のドイツの哲学者、思想史家。新カント派に属し、“知識の現象学”を基礎にしながら、シンボル=象徴体系としての文化に関する壮大な哲学を展開した。シュレジエンのブレスラウ(現在のポーランド領ヴロツワフ)でユダヤ系の家庭に生まれる。ベルリン大学で文学と哲学を学ぶ。マールブルク大学でコーエンやパウル・ナトルプに学び、新カント派のマールブルク学派の中心的な存在のひとりとなる。

アニタ・エクバーグ
Anita Ekberg, 1931年9月29日-はスウェーデン出身の女優である。ミス・ユニバースのスウェーデン代表となったことがきっかけでアメリカへ渡り女優となった。最初はお色気要員として雑誌のカバーガールをこなしながらB級映画やコメディに出演していたが、フェデリコ・フェリーニに気に入られイタリアへ渡り、『甘い生活』に出演しグラマー女優として一躍スターの仲間入りすることとなる。黒いドレスを着た彼女が滝に打たれるシーンはあまりに有名。

カール・フォン・リンネ
Carl von Linne、1707年5月23日 - 1778年1月10日は、スウェーデンの博物学者、生物学者、植物学者。ラテン語名のカロルス・リンナエウス(Carolus Linnaeus)でも知られる。若い頃には、父親や母方の祖父と同様に聖職者となる予定であった。彼は町の内科医から教えられた植物学に興味を持ち、ルンド大学へ入り、1年後ウプサラ大学(ウップサーラ大学)へと移った。この間に、リンネは植物の分類の基礎が花のおしべとめしべにあると確信するようになり、短い論文を書いて助教授となった。

オラフ・ペーテルソン
(Olaf Petersson, 1497年-1552年)は、宗教改革の普及のためにスウェーデンで活躍した神学者である。1519年にヴィッテンベルクでマルティン・ルターに師事し宗教改革の神学を学んだ後に、留学を終えてスウェーデンに帰国したペーテルソンは兄弟の、ラルス・ペーテルソンと共に、ルターの神学の普及に努めた。

ヨハネス・リュードベリ
(Johannes Rydberg、愛称はヤンネ Janne、1854年11月8日-1919年12月28日)は、スウェーデンの物理学者。分光学に関するリュードベリの式で知られる。スウェーデンのハルムスタードに生まれた。ルンド大学で数学を学んだ。ルンド大学で数学の講師になったが、1882年に物理学の講師になり、1901年に教授になり、1914年に病気で教授職を継続できなくなった1919年までルンド大学の教授職にあった。

リリアン・アスプランド
(Lillian Gertrud Asplund、1906年10月21日 - 2006年5月6日)はアメリカの女性である。アメリカ人かつ事故の記憶がある最後のタイタニック号生存者である。スウェーデン系アメリカ人2世でその後祖母のいるスウェーデンでしばらく暮らした後、アメリカへ帰るため両親と2人の兄(フィリップ、クラレンス)、双子の兄弟で兄・エドガー、弟・フェリックスの7人でサウサンプトンよりタイタニック号の3等船室に乗船したがタイタニック号の事故により家族4人を失い、15号ボートに乗ったリリアンとセルマ、フェリックスのみ生還した。

カール・ツンベルク
Carl Peter Thunberg, 1743年11月11日 - 1828年8月8日は、スウェーデンの植物学者、医学者。出島の三学者の1人に数えられ、日本植物学の基礎をつくる。1743年11月11日、スウェーデンのイェンシェーピンに生まれる。 ウプサラ大学のカール・フォン・リンネに師事して植物学、医学を修めた。フランス留学を経て、1771年オランダ東インド会社に入社し、ケープタウン、セイロン、ジャワを経て、1775年(安永4年)8月にオランダ商館付医師として出島に赴任した。翌1776年4月、商館長に従って江戸参府を果たし徳川家治に謁見した。

ヘニング・マンケル
Henning Georg Mankell、1948年2月3日 - は、スウェーデンの推理作家、児童文学作家。1948年、ストックホルムに生まれる。ヘリエダーレン地方の町Sveg及び、ヴェステルイェートランド地方のボロースで育つ。父・Ivarは裁判官、祖父・ヘニング(同名)は作曲家であった。20歳の時に作家としてのキャリアを歩み始め、また、劇場のアシスタントディレクターとして働き始める。

ヨナス・イェレブコ
Jonas Jerebko、1987年3月2日 - は、スウェーデンのプロバスケットボール選手。NBAのデトロイト・ピストンズに所属。ヴェストラ・イェータランド県ボロース出身。ポジションはパワーフォワード。204cm、105kg。スウェーデン人として初のNBAプレイヤーである。

ヴィルヘルム・ペッテション=ベリエル
(Wilhelm Olof Peterson-Berger, 1867年2月27日 - 1942年12月3日)は、スウェーデンの作曲家、音楽評論家。ピアノ曲集『フレースエーの花々』は代表作としてスウェーデン国内では有名。音楽評論家としてとはその毒舌のために怖れられた。音楽の素養は母から受け継いだ。母がベートーヴェンの月光ソナタを弾くのに聴きほれたのが、最初の音楽体験とされている。ピアノを即興演奏し、作曲することに生涯情熱を傾けた。

エイス・オブ・ベイス
(Ace of Base)はスウェーデンのイェーテボリ出身の音楽グループ。1990年代前半に「All That She Wants」が大ヒットして一躍有名になり、デビューアルバム「Happy Nation/The Sign」(地域によってタイトルが異なる)は全世界で2300万枚を売上げ、トップスターの仲間入りをした。ヨーナスが友人2人とともに組んでいたテクノバンドに、リンとイェッニーの姉妹がヴォーカルとして参加。友人2人が脱退した後、1990年にウルフが加わり、グループ名をエイス・オブ・ベイスとした。

マウリッツ・スティッレル
(Mauritz Stiller、1883年7月17日 - 1928年11月18日)は、脚本家・映画監督。ユダヤ教徒。フィンランド・ヘルシンキに、ロシア及びポーランド系の両親のもと、モーシェ・スティッレル(Moshe Stiller)として生まれる。兵役を嫌いスウェーデンに移り、サイレント映画界に身を投じる。短編映画制作から始まり、1912年にはヴィクトル・シェストレム主演の"Thomas Graals basta barn"が高い評価を受ける。

ラッセ・ハルストレム
Lasse Hallstrom, 1946年6月2日 - は、スウェーデンの映画監督。1975年に監督としてデビューし、その後手がけたABBAの映画『アバ/ザ・ムービー』がヒットして知られるようになる。1985年の『マイライフ・アズ・ア・ドッグ』でアカデミー賞監督賞にノミネートされ、ハリウッドに招かれる。以後、『ギルバート・グレイプ』や『サイダーハウス・ルール』などの良作を手掛ける。

アルフ・シェーベルイ
(Alf Sjoberg,1903年6月21日 - 1980年4月16日)はスウェーデン・ストックホルム出身の映画監督・脚本家。スウェーデンにおいて、数々の優れたモノクロ作品を制作した。1944年の『もだえ』と1951年の『令嬢ジュリー』でカンヌ国際映画祭グランプリを受賞している。

スヴェン・ニクヴィスト
(Sven Nykvist、1922年12月3日 - 2006年9月20日)は、スウェーデンの撮影監督。生涯で120本あまりの映画撮影を手がけたが、特にイングマール・ベルイマン監督作品で有名。1972年の『叫びとささやき』と1982年の『ファニーとアレクサンデル』でアカデミー撮影賞を受賞。クロノベリ県のモレダ生まれ。両親はルター派の宣教師で、ベルギー領コンゴで働いていたため、親戚に育てられた。19歳でスウェーデンの映画業界に入り、カメラマンとなる。

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トマス・ブロリン
(Per Tomas Brolin, 1969年11月29日 - )は、スウェーデン出身の元同国代表サッカー選手、ポジションはMF。1990年代の同国の躍進を支えた選手の一人、豊富な運動量と機敏な動き、ゴール前へ鋭く飛び出し素早いシュートモーションでゴールを奪う。得点後に拳を高く挙げスケート選手の様にくるりと回転するパフォーマンスは彼のトレードマークであった。

エレン・ケイ
(Ellen Karolina Sofia Key, 1849年12月11日 - 1926年4月25日)はスウェーデンの社会思想家、教育学者、女性運動家、フェミニスト。母性と児童の尊重を基軸に社会問題を論じた。著作に『恋愛と結婚』、『児童の世紀』、『母性の復興』等がある。ケイの著作は、大正デモクラシー期の日本にも、女性文芸誌『青鞜』などを通して紹介され、日本の婦人運動に絶大な影響をもたらした。教育の重要さを説いた。同じフェミニストで同国出身のフレデリカ・ブレーメルを批判している。

アルフレッド・ノーベル
Alfred Bernhard Nobel, 1833年10月21日 - 1896年12月10日)は、ダイナマイトの発明で知られる化学者、実業家。ノーベル賞の提唱者。スウェーデンのストックホルム生まれ。ダイナマイトの開発で巨万の富を築いたことから、「ダイナマイト王」とも呼ばれた。

イングヴァール・カールソン
(Ingvar Carlsson, 1934年11月9日 - )は、スウェーデンの政治家、元首相。ルンド大学出身者1934年イェーテボリ近郊のボロースで生まれる。ルンド大学で政治学を学ぶ。学生時代には、社会民主労働党学生クラブの議長を務め、ターゲ・エルランデルにその政治的力量を認められる。

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カール・ビルト
(Carl Bildt、1949年7月15日 - )は、スウェーデンの政治家、外交官。1986年から1999年まで保守的自由主義政党である穏健党の党首を務め、この間、1991年から1994年にはスウェーデンの首相を務めた。また、首相辞任後は、ユーゴスラビアを中心とするバルカン半島問題解決に動き、初代ボスニア・ヘルツェゴビナ上級代表を勤めた。

グスタフ6世アドルフ
Gustaf VI Adolf、Oskar Fredrik Wilhelm Olaf Gustaf Adolf Bernadotte、1882年11月11日 - 1973年9月15日)は、ベルナドッテ王朝第6代のスウェーデン国王(在位:1950年10月29日 - 1973年9月15日)。グスタフ5世の子。母はバーデン大公フリードリヒ1世の娘ヴィクトリア。学者国王として知られたグスタフ6世だが、中でも考古学分野においては、中華文化をはじめとする東洋の文化に対する関心が深かったと言われている。

クリストフェル・プールヘム
(Christopher Polhem、1661年12月18日 - 1751年8月30日)は、スウェーデンの科学者、発明家、実業家。叙爵以前の姓は Polhammar。スウェーデンの経済と産業の発展、特に鉱業の発展に多大な貢献をしている。ストックホルムの南方の農場で働くようになり、すぐに監督の地位に登りつめ、農場の会計も任されるようになった。そこで数学と相性がよいことがわかった。

カロリナ・クリュフト
(Carolina Evelyn Kluft, 1983年2月2日 - )は、スウェーデンの陸上競技選手である。2004年アテネオリンピック七種競技の金メダリストである。クリュフトは、22歳にして、陸上競技の5大世界大会(オリンピック、世界選手権、世界室内、地区選手権(ヨーロッパ)、地区室内選手権(ヨーロッパ))を制しており、これは最年少記録である。

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ペール・ラーゲルクヴィスト
(Par Fabian Lagerkvist ,1891年5月23日 - 1974年7月11日)は、スウェーデン・スモーランド地方のベクショー出身の作家・詩人・劇作家・エッセイスト。1951年度ノーベル文学賞受賞者。人間の善悪という普遍的なテーマで作品を執筆し続けた。幼少期から受けた伝統的なキリスト教教育の影響から、バラバやさまよえるユダヤ人という人物像を通して創作をした。

マッツ・ビランデル
(Mats Wilander、1964年8月22日 - )は、スウェーデン・ヴェクショー出身の元男子プロテニス選手。ビョルン・ボルグ、ステファン・エドベリと並んで、スウェーデンの男子テニス界の黄金期を築いた3強豪のひとりである。4大大会でシングルス通算「7勝」を挙げ、ダブルスでも1986年のウィンブルドンで優勝した。

ロード・アーリマン
(Lord Ahriman、1972年10月又は11月 - )は、スウェーデンのヘヴィメタルミュージシャン。ダーク・フューネラルのギタリスト、作曲家であり、中心人物である。現在、ダーク・フューネラルに在籍する唯一のオリジナルメンバーでもあり、アメリカ合衆国のデスメタルプロジェクト、Wolfen Societyのリズムギタリストでもある。

クルト・ハムリン
(Kurt Roland Hamrin, 1934年11月19日 -)は、スウェーデン出身の元サッカー選手。ポジションはFW。1952年にAIKソルナで選手キャリアをスタート。1956年にイタリアのユヴェントスFCへ移籍、翌1957年にカルチョ・パドヴァへ移籍し、1957-58シーズンにリーグ戦30試合出場20得点を記録した。

アンデシュ・エーケベリ
(Anders Gustav Ekeberg、1767年1月16日 - 1813年2月11日)は、スウェーデンの化学者。1802年、タンタルを発見した。ストックホルムに生まれる。幼い頃より難聴であったが、1788年ウプサラ大学を卒業、ドイツ留学後、1794年からウプサラ大学の化学教授になった。イットリウムが発見された鉱物を産出したスウェーデンのイッテルビー村から新たに発見された鉱物の分析をおこない1802年にタンタルを発見した。

ヴィキング・エッゲリング
(Viking Eggeling, 1880年10月21日ルンド - 1925年5月19日ベルリン)は、スウェーデンの芸術家、映画作家[1]。彼の作品は絶対映画、視覚音楽などと称され、実験映画の分野に多大な影響を残した。孤児だったエッゲリングは、16歳の時に芸術家としての人生を志し、ドイツに渡った。1901年から1907年までミラノで歴史を学びながら、簿記係として働き生計を立てた。

レナート・グリーン
(Lennart Green、1941年12月25日 - )はスウェーデンのヨーテボリ在住のマジシャン。 現在、カードマジックの分野では世界屈指の実力者で、世界中で講演をしている。彼の技法、手順は普通のマジシャンが思いつかないような変わった視点から組み立てられており、カードマジックをある程度かじっている人でさえ引っかかってしまうことが多い。

イングリッド・チューリン
(Ingrid Thulin, 1926年1月27日 - 2004年1月7日)は、スウェーデン人の女優。イングマール・ベルイマン監督の映画作品で世界的に知られる存在となった。ベルイマン中期の作品群はイングリッド・チューリンの演技に支えられていたと言っても過言ではない。

フィン・マルムグレン
(Finn Adolf Erik Johan Malmgren、1895年 - 1928年6月)はスウェーデンの気象学者・北極探検家。イェーテボリ生まれ。1922年から1925年にかけて、マルムグレンは北極でモード号に乗ってロアール・アムンセンとハラルド・スヴェルドラップの探検に参加した。1926年には、北極の上空を飛んだイタリアの飛行船ノルゲ号に乗り、そこでフランティシェク・ベゴウネクの科学的手法を学んだ。

ドルフ・ラングレン
(Dolph Lundgren, 1957年11月3日 - )は、スウェーデン・ストックホルム出身の俳優・空手家。極真空手道参段。その後、俳優に転じた。修士(化学)。フルブライト奨学生。本名はハンス・ドルフ・ラングレン(Hans Dolph Lundgren)。身長198cm、体重108kg。スウェーデン王立工科大学、シドニー大学、ワシントン州立大学、マサチューセッツ工科大学(MIT)で数学、物理学、化学を学んだ。

ヤン=オベ・ワルドナー
(Jan-Ove Waldner, 1965年10月3日 - )はスウェーデンの卓球選手。世界選手権男子シングルス優勝2回、バルセロナオリンピック男子シングルス金メダリスト。1996年ヨーロッパ選手権男子シングルス優勝。「卓球史上最高のプレーヤー」「百年に一人の天才」「キング・オブ・テーブルテニス」などと称えられている。ヨルゲン・パーソンらとともに1980年代後半から1990年代にかけてスウェーデン卓球の黄金時代を築いた。

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