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<POINT NEWS49>2014/08/14・・・(ヒューマニズムの視点で捉えよう、判断しよう)

記憶のために/LIST

sankaku49sankaku
2014/08/14sankaku08/16

日々のニュースは数えきれないほどあります。その1つ1つが今の社会の要素であり現実です。ここに拾い上げたニュースはごくごく一部でしかありませんが、忘れてはいけない出来事も多くあります。未来のその時を考えるための「記憶のために」少しでも記録したいと思います。

 

 

(新ポリティカにっぽん)秘密法 忘れない 忘れるな(2014/08/16朝日新聞)
・・・そうだったな、この特定秘密保護法ってやつ、この詩のような危険があることを心配していたのだが、昨年12月6日夜、参院本会議で成立してしまった。国会議事堂の周りは反対を叫ぶデモの波が続いた。これは戦争への道を開く法律だ、われわれは許さない、引き続き闘うと口ぐちに誓った。さてしかし、今年12月の秘密保護法の施行に向けて運用基準の素案が出て検討する段になっても新聞にはほとんど目立った記事はない。のど元過ぎれば熱さを忘れる、日本国民は怒っても忘れっぽい。かつて、その忘れっぽさが戦争への道を舗装したこともまた忘れてしまったわけではないだろうが。・・・ 忘れっぽい国民よ、忘れるな! 秘密保護法だけでなく集団的自衛権だって国会論議を先延ばししようというのは、国民に忘れさせて既成事実化すれば内閣支持率もまた回復しますよという邪心もないとはいえない。

「現代の風刺25人詩集」をめくると、浅尾忠男さんの「秘密」という詩もある。

見るな 見るな 見るな 見るな 見るな 見るな 見せない

聞くな 聞くな 聞くな 聞くな 聞くな 聞くな 聞かせない

言うな 言うな 言うな 言うな 言うな 言うな 言わせない

知るな 知るな 知るな 知るな 知るな 知るな 知らせない 戦争への道を

山村暮鳥の「いちめんのなのはな」みたいな詩、浅尾さんは昭和の戦争と軍国主義を知っている80代だから、いま同じ匂いを感ずるのかもしれない。耳を傾けたい。(早野透=桜美林大教授・元朝日新聞コラムニスト)
http://digital.asahi.com/articles/ASG845GTTG84UEHF00J.html?iref=comtop_list_pol_f01

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警官が黒人少年射殺、揺れる米国 抗議住民に催涙ガスも(2014/08/16朝日新聞)

米ミズーリ州で、警察官が黒人少年を射殺したことをきっかけに、住民の抗議活動が広がっている。一部が暴徒化し、地元警察が催涙ガスやゴム弾で鎮圧を試みたところ、「暴力的だ」と批判が拡大。休暇中のオバマ大統領も緊急会見し、冷静な対応を呼びかけた。・・・警察はメディアなどにも威圧的な行動に出ている。13日には現場の様子を動画撮影してインターネットで公開したセントルイス市議や、ファストフード店で記事を書いていた記者2人を逮捕。カメラを設置していたテレビ局関係者に向け、催涙ガスを放った。
http://digital.asahi.com/articles/ASG8H43QZG8HUHBI013.html?iref=com_rnavi_arank_nr01

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不戦貫いた69年 集団的自衛権容認後、初の終戦の日(2014/08/16朝日新聞)

69回目の終戦の日を迎えた15日、政府主催の全国戦没者追悼式が開かれるなど、全国各地で不戦の誓いを新たにする人々の姿が見られた。安倍政権が集団的自衛権の行使容認を決めてから初めての終戦の日。戦争を知る世代が年々少なくなる中、平和のあり方について改めて考える一日にもなった。
http://digital.asahi.com/articles/DA3S11301899.html

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(戦後70年へ プロローグ:5)非核、原爆も原発も(2014/08/16朝日新聞)

「福島」が消えた。

原爆投下から69年の今月6日、広島市の松井一実市長(61)が読み上げた平和宣言は、東京電力福島第一原発事故に触れなかった。昨年まで過去3回の宣言は事故に言及し、エネルギー政策の見直しを国に迫った。なぜ今年はないのか。事前の記者会見で尋ねると松井氏は言った。「原発の依存度を減らし、安全性を確保できれば再稼働するという方向が出ている」 安倍政権は、原子力規制委員会の基準に適合した原発は再稼働する方針だ。産業界は歓迎し、九州電力川内原発1、2号機(鹿児島県薩摩川内市)が第1号になるとみられる。そうした中での発言だった。

・・・ 原発事故から3年5カ月たった今も、12万人以上の福島県民が家に帰れないでいる。多くの人々が暮らしを破壊され、放射線の恐怖は消えない。

・・・ 「それでいいはずがない」と森滝春子さん(75)は考える。「核と人類は共存できない」という思想を75年に打ち出した哲学者・森滝市郎(1901〜94)の次女だ。

原爆で右目を失った父は戦後、原水爆禁止運動の先頭に立った。豪州のウラン鉱山で働く同胞の被曝(ひばく)の危険性を訴えた、先住民の女性との出会いが、核の「絶対否定」を確信させた。父の没後、反核運動に入った。核兵器だけでなく、ウラン鉱山や劣化ウラン弾といった被害にも目を向けた。ただ、原発の問題には力を入れてこなかった。結果として、新たな核の被害が生まれた。「私は加害者側にいた」との悔いが胸を離れない。事故後、何度も被災地を訪ねた。旧警戒区域で牛の放牧を続ける男性は「原発がなくならない限り、救われない」と語った。自分たちが問われていると感じた。人類がこれ以上核に脅かされないためにと、春子さんは言った。「核兵器も原発も根は一つ。そう考えていかなければ」
http://digital.asahi.com/articles/DA3S11301898.html

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(戦後70年へ プロローグ:5)核を制御できるのか(2014/08/16朝日新聞)
「平和利用、福島をも乗り越えて」今月9日、長崎市内。長崎原爆被災者協議会長の谷口稜曄(すみてる)さん(85)が、安倍晋三首相に、被爆者5団体の共同要望書を手渡した。核兵器の廃絶とともに、「原発の再稼働は許されない」と訴えた。だが首相の答えは「安全最優先で、地元の理解と協力を頂きながら、厳格に考えていく」。

谷口さんは首相が去ったあと、報道陣に言った。「人間の命がかかっていることを、考えてほしい」・・・

元原発技術者の池田隆さん(76)は憂える。「核抑止論が幅をきかせた時代の考え方だ。原発はテロや戦争で格好の標的になる。むしろ弱点とみるべきだ」長崎の爆心地から3・6キロで被爆した。高校の時、第五福竜丸で被曝した乗組員の死に、自分も被爆者だと意識した。原爆の威力を思い出し、平和利用で、米国を見返そうと決意した。東芝に入社し、原発用タービンの設計に没頭した。自分たちの技術と安全性確保には自信があった。しかし80年代以降、「あわや大惨事」というトラブルに何度も見舞われた。核兵器と原発は別だと考えてきたが、扱うのは同じ人間だと気づいた。「核を完全に制御できるとは考えられない」。その思いは、福島原発事故でさらに強まった。一度手にした核の技術を放棄するのは容易でない。「それでも、パンドラの箱は閉じ直すべきです」。池田さんが知ったのは、科学技術の限界だった。・・・

反原発と反核、独では一体

ドイツは福島事故後の2011年6月、22年までの原発全廃を決めた。戦後東西に分断され、冷戦の「最前線」にいたドイツの市民にとって、核戦争の恐怖は切実だった。「1970年代に旧西独の各地で起きた反原発の住民運動が、70年代末以降に反核平和運動と結びついて相乗効果を生んだ」と本田宏・北海学園大教授は指摘する。そして86年のチェルノブイリ原発事故。飛んできた放射性物質におののいた記憶は今も深く刻みこまれている。こうしてドイツでは反核と反原発が一体となって社会に根を下ろした。・・・ 

人間と核の関係、問い直そう 取材後記

世界で最初に核攻撃された日本で、原子力開発を目指した人たちが、真の「平和」を希求していたことに疑いはない。その思いは国民に共有され、「核兵器と原発は別問題」との考え方を育てたように思える。だが原発の使用済み燃料を再処理してできるプルトニウムは核兵器の原料になる。平和利用といっても、扱う人の意思次第で容易に軍事転用できてしまう。そして、福島原発事故が示したのは、原発が暴走すれば、人間の生存を脅かすという冷厳な事実だった。来年は原爆投下から70年。人間と核の関係をさらに深く問い直す必要がある。(論説委員・加戸靖史)
http://digital.asahi.com/articles/DA3S11301883.html

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(ザ・コラム)戦後69年 抑えきれない怒りの行方 大久保真紀(2014/08/16朝日新聞)

9日。長崎市で開かれた原爆犠牲者慰霊平和祈念式典の会場にいた。台風11号の影響で時折強い風が吹く中、午前11時10分すぎ、被爆者代表が壇上で、「平和への誓い」を読み始めた。会場で配られた式次第に印刷されている文面を目で追っていると、異変が起きた。「今、進められている集団的自衛権の行使容認は、日本国憲法を踏みにじった暴挙です」暴挙!? なんと強烈な表現なのだろう。式次第にあった文面は「今、進められている集団的自衛権の行使容認は、武力で国民の平和を作ると言っていませんか」だった。異変は続く。「日本が戦争ができる国になり、日本の平和を武力で守ろうというのですか。武器製造、武器輸出は戦争への道です。いったん戦争が始まると、戦争は戦争を呼びます。歴史が証明しているではありませんか」。文面にない怒りの言葉が、被爆者代表の女性の口から発せられた。

・・・ 「黙っていられなかったんです」

城臺さんは、とっさの判断だったと打ち明けた。当日は、式典開始の一時間半以上前に会場に到着。自席で待機しながら、昨年10月に被爆者代表になる打診を受けてからの日々を振り返っていた。特定秘密保護法の制定。原発の再稼働や輸出に突っ走る政府。強調される中国脅威論。集団的自衛権の憲法解釈の変更……。この1年、日本で起きたあまりに多くの異変。その一つひとつを思い浮かべていると、真正面の来賓席に入ってくる政治家たちの姿が見えた。

・・・「ムラムラと怒りがわき上がってきたんです」。

用意した文面は市役所職員と詰めて考えたものだったが、ここは、被爆者代表として面と向かって抗議しなくては。そう腹をくくったのだという。城臺さんは6歳のとき、爆心地から2・4キロの自宅で被爆した。近所の友人たちは成人後にがんなどで次々と亡くなった。38年間小学校の教壇に立ち、16年前から語り部を続ける。孫が7人いる。「孫世代の子どもたちを戦場に送ったり、戦禍に巻き込ませたりすることはあってはならない」昨年まで5年近く、木村さんは山形県の遺族会会長を務めた。「いまの日本の状況は慚愧(ざんき)に堪えない」と怒りをあらわにし、「日の丸は嫌いだ」と公言する。祖母の残したなかに、こんな歌がある。

 

 にほんのひのまる

 なだてあがい

 かえらぬ

 おらがむすこの ちであがい

 

 この怒りを、理解できますか。

http://digital.asahi.com/articles/DA3S11301783.html

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(声)「終戦」特集:中 働き盛りの父、餓死の無念さ(2014/08/16朝日新聞)会社顧問 山田耕平(京都府 80)

8月15日は涙し、亡き父母を思って合掌する。兵庫県姫路市で、父は大手銀行支店幹部として働き盛りだった。しかし1945(昭和20)年5月、41歳の時、赤紙(召集令状)が来て岡山連隊に入隊した。初めての面会日。岡山市の練兵場の木陰で家族5人と弁当を食べようとした矢先、青年将校が現れた。父に「起立」と大声で一喝。ビンタし、父は倒れた。絶句した。場はしらけて解散。これが父との別れになろうとは思ってもいなかった。

6月中旬、軍事郵便で朝鮮半島東部の咸興にいると知る。8月9日にソ連参戦。父はウラジオストクに抑留後、朝鮮半島北部の古茂山収容所に転送されたそうだ。戦死公報に46年11月、戦病死とあった。その後、生存者が父の手帳と爪を持ち帰ってくれた。父は餓死したという。読み取るのがやっとの日記は「今日も食べるものも無し」の言葉の連続で途絶えていた。凍土で穴は掘れず、遺体は裸同然で積まれ、服は生存者が奪い合ったという。死者の無念、国に対する遺族のやりきれない思いは続く。

http://digital.asahi.com/articles/DA3S11301791.html

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(声)「終戦」特集:中 原爆写真展を見て受けた衝撃(2014/08/16朝日新聞)中学生 中野かりん(神奈川県 15)

先日、東京都渋谷区であった原爆写真展へ行き、貴重な写真や資料を見てきました。全体を見て「怖い」というのが率直な感想でした。私にとって特に衝撃的だったのが「原爆と人間展」というコーナーでした。そこに展示された原爆や水爆による放射能の被害は予想以上でした。広島の原爆で被爆した、母と息子の人形を写した写真が展示されていました。2人の肌がただれてしまっている様子がとてもリアルでした。目をそらしてしまいそうになるくらい怖く、信じられないものでした。今まで、人に聞いたり本を読んだりしても「肌がただれる」という現象は実際には理解しがたいものでしたが、本当に文字通りなんだということがよくわかりました。戦争によって亡くなった人の命は、絶対に無駄にはできないと強く感じました。未来のために伝え、受け継いでいくことが大切だと思いました。
http://digital.asahi.com/articles/DA3S11301790.html

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(声)「終戦」特集:中 自転車を降りて黙祷した高校生(2014/08/16朝日新聞)専門学校教員 秋田辰巳(山梨県 49)

8月6日の朝、私はいつもより少し早い時間に車で職場に向かっていた。右前方に、夏休みの部活に向かうとおぼしき3人の男子高校生がいた。自転車を降りて両手でハンドルをギュッと握り、黙ってうつむいている。何ごとかと思った。次の瞬間に「あっ」と気づいた。「広島に原爆が落とされた時間だ」と。私が住む市では毎年、原爆投下の時間に合わせ、市長が防災無線放送を通して全市民に黙祷(もくとう)を呼びかける。私も黙祷を捧げるが、今年は車に乗っていた。この朝、道路で仲間と一緒に頭を垂れた3人の高校生を見て、犠牲者を悼み、平和を願う若者が育っていると確信した。彼らはきっと、世界中の人とのつながりを大切にするはずだ。原爆死没者のみなさん。安らかに眠ってください。平和への歩みを進める未来志向の若者は、ここ甲斐の里にも着実に育っています。平和の心の灯(ともしび)、つないでいきます。見守っていてください。
http://digital.asahi.com/articles/DA3S11301789.html

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いま、さらけ出す戦争 69回目、終戦の日(2014/08/16朝日新聞)

戦場の実態をよく知る世代は、80代半ばを超えるようになった。人口の1%足らず。人が人をあやめる。口に入るものは何でも食らう。被爆地のむごたらしさとは――。戦後70年にむけて歩み出した15日、体験者たちは、次世代へ語り継いでいく決意を新たにした。・・・15日正午、埼玉県久喜市に住む田村豊さん(88)は、静かに目を閉じた。

 「あんな時代が、二度と来ませんように」

 田村さんは語る。69年前の中国・山東省で、陸軍の初年兵だった。「銃剣を持ち広場へ」と命令され、20人ほどの仲間と向かった。後ろ手に縛られた30歳前後の中国人男性が1人、正座させられた。裸足に目隠し。前日、襲った農村から連行した捕虜だ。並んだ順に1人ずつ、銃剣で突くよう命令された。田村さんの順番は4番目。いまから人を殺す。とっさに頭に浮かんだのは「最初じゃなくてよかった」という思いだ。口ごたえは一切許されない。誰かのミスで、理由も告げられず、初年兵全員が殴られる。常にビクつき、服従する。「善悪も何も、考える余裕がなくなる。体験者しか分からないが、それが軍隊」。この時も、古参兵が立ち会っていた。順番が来た。捕虜の正面に立ち、銃剣を腰に構える。うなだれた相手まで1メートルもない。「突け!」。号令にはじかれたように、思い切り手を伸ばす。服の上から、右胸にすっと刃が入った。素早く抜くと、血の染みが服ににじんだ。

捕虜は声も上げなかった。気が動転し、そこからの記憶はない。2日後、捕虜の首が宿営地の出入り口に置かれていた。05年から3回、講演会などで、戦争体験を話してきた。当時の小泉純一郎首相が靖国神社を参拝し、中国が反発したのがきっかけだった。「戦争を知らず、なぜ中国が怒るのか分からない政治家が増えているのに、危機感を覚えた」 田村さんには、小さなひ孫が6人いる。いつか読んでほしいと、400字詰め原稿用紙20枚に、戦場体験をつづった。戦地に向かう気持ち、農村を襲ったこと、捕虜を刺した様子。「実際の戦争には、黒い部分がたくさんあるのです」。そう記した。

http://digital.asahi.com/articles/DA3S11301886.html

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ウクライナ、越境のロシア軍車両を攻撃(2014/08/16CNN)
キエフ(CNN) ウクライナ政府は、今週ロシアから国境を越えてウクライナに侵入した軍用車両集団の大半を破壊したこと明らかにした。また英国の2紙もこの状況を目撃したと報じている。英国のガーディアンとテレグラフの2紙は、ロシア軍と思われる車両集団が14日夜、ウクライナ東部ドネツク近くの国境を越えたと報じた。ガーディアンによると、同紙は23台の装甲兵員輸送車と、ロシア軍のプレートが付いた他の車両が国境フェンスの隙間からウクライナに侵入するのを目撃したという。
http://www.cnn.co.jp/world/35052431.html?tag=top;mainStory

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地震の後には戦争がやってくる 清志郎の言葉、いま響く(2014/08/16朝日新聞)
地震の後には戦争が――。5年前に亡くなったロックシンガー、忌野清志郎(いまわのきよしろう)さんの文章が、インターネット上で読まれ続けている。作詞家の湯川れい子さんが2年近く前にツイッターなどで紹介したものが、少しずつ広がった。時代を見通すような内容に、湯川さんは「今こそ、多くの人に読んでほしい」という。文章はこう書かれる。

 〈地震の後には戦争がやってくる。軍隊を持ちたい政治家がTVででかい事を言い始めてる。国民をバカにして戦争にかり立てる〉

忌野さんのエッセー集「瀕死(ひんし)の双六(すごろく)問屋」の一文だ。2000年ごろ、阪神大震災を思い起こして書かれ、「日本国憲法第9条に関して人々はもっと興味を持つべきだ」と題される。・・・〈政治家は……人を助けるとか世界を平和にするとか言って実は軍隊を動かして世界を征服したい。(中略)憲法第9条は……戦争を放棄して世界の平和のためにがんばるって言ってるんだぜ〉
http://digital.asahi.com/articles/ASG8G3QFMG8GULZU002.html?iref=comtop_6_01

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終戦記念日:戦車に「肉弾特攻」、下っ端兵士は骨も残らず(毎日新聞 2014年08月15日)
大阪の89歳渡部さん「悲惨さ、忘れない」満州(現中国東北部)の静かな平原。爆音とともに、戦車から上がった黒煙。大阪市北区の渡部(わたなべ)清数さん(89)は69年前の光景を今でも鮮明に覚えている。終戦直前、満州に侵攻した旧ソ連軍の戦車に、日本軍は爆薬を詰めた木箱を抱えて突撃した。「自分の足で走って戦車に体当たりする。かっこいいなんてものじゃないです。そんな悲惨な特攻があったことを忘れないでほしい」。69回目の終戦記念日。渡部さんは次世代に託すために記憶の糸をたどりながら語った。・・・平原の小高い丘から先陣の攻撃を見守っていると、「ボーン」という爆音とともに戦車の近くで黒煙が上がった。「やったぞ」と思ったが、煙が消え、現れたのは何事もなかったかのように動き始めた戦車だった。突撃した兵士の体は消えていた。後に続いた数人の兵士は体当たりできずに狙撃された。・・・ 近年、特攻をテーマにした映画や書籍が話題を呼ぶが、渡部さんはこう言う。「戦車1台壊すためにキャタピラー(走行用ベルト)めがけて体ごと突っ込む。骨も残らないです。下っ端の兵はそういうふうに死んでいった。それが戦争です。僕たちは敗戦の上に立ち、平和をつくっていかなければならない」
http://mainichi.jp/select/news/20140815k0000e040229000c.html

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230万人はどのように戦死したのか?(2014/08/15毎日新聞)
日中戦争から太平洋戦争で亡くなった軍人・軍属の数について、日本政府は230万人(1937〜45年)という数字を公式に採用してきた。だが、彼らがどこで、どのように亡くなったかについては不明確な点が多く、「6割が餓死した」との学説もある。・・・

餓死、戦病死が約6割 兵站軽視のツケ
歴史学者・藤原彰氏の独自分析


軍人・軍属の戦没者は、直接の戦闘で亡くなった戦死者と、従軍中に病気などで命を落とす戦病死に大きく分けられる。総務省、厚生労働省などによると、戦没者230万人を戦死、戦病死などの死因別に分類した公的な記録は存在していないという。終戦前後の混乱時に多くの資料が失われたことや、そもそも負け戦における記録の難しさなどが影響している。例えば、44年3月にインド北東部の都市インパールの攻略を目標に開始した「インパール作戦」について、参戦したある中隊長が手記に「中隊310人のうち、戦死40人、戦病死96人、患者42人」と記録していたことなどに着目。同作戦が展開されたビルマ・インド方面の戦没者約18万5000人のうち、約78%に当たる約14万5000人を戦病死者ではないかと推定した。

こうした地域別の数値を積み上げて、全戦没者の60%強、140万人前後が戦病死者だったと計算。さらに「そのほとんどが餓死者ということになる」と結論づけた。陸軍参謀本部、海軍軍令部をはじめとする日本軍の指導層が、兵站(へいたん)を軽視したツケを、末端の兵士たちが支払わされたといえる。

同著の「むすび」で、藤原氏は餓死がサンゴ礁の孤島や熱帯性の密林だけでなく、多くの人が暮らすフィリピン、ビルマ、中国大陸などでも起きていることを強調。「輸送補給、休養や衛生といった軍隊生存の必要条件までもが作戦優先主義のために軽視または無視された」と、作戦参謀らのエリート軍人を批判している。
http://mainichi.jp/feature/afterwar70/pacificwar/data1.html

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社説:8・15と戦争 記憶の継承の担い手に(毎日新聞 2014年08月15日)
 終戦記念日の8月15日は、正確には敗戦の日である。中国を侵略し、米国を奇襲攻撃した日本は、69年前のこの日、一億玉砕を叫びながら万策尽き果て、降伏した。無謀な戦争による犠牲者は、日本人だけで310万人、アジアでは2000万人以上にのぼるとされる。8月になると、新聞に戦争を振り返る特集が増える。夏だけの「8月ジャーナリズム」とやゆされたりするが、8・15が巡ってくるたび、内外の死者を静かに追悼し、戦争と平和について深く思いを致すのは、欠かせない儀礼である。

人を人でなくすもの

来年は戦後70年の節目だ。戦後生まれの日本人が人口の8割を占め、戦争をじかに知る人は、大半が80代から90代の高齢者である。国民の記憶の中で戦争が風化し、戦争をゲーム感覚で考えたり、戦争への郷愁を口にしたりする風潮さえも、見受けられるようになった。残された時は少ない。戦争の記憶の継承は、未来を再び過たせないための、喫緊の課題だ。戦争を知らない世代でも、戦争体験者の語る言葉や書き残したもの、文学作品などを通じ、戦争の姿を思い描くことはできる。フィリピンでの戦争体験を「俘虜記」「レイテ戦記」などの文学に昇華させた大岡昇平は「兵士として、戦争の経験を持つ人間として、戦争がいかに不幸なことであるかを、いつまでも語りたい」と書いた(「戦争」岩波現代文庫)。その心情を受け止め、一人一人が記憶の継承の担い手となって、戦争の愚かさを伝えていくことが大切だ。

学徒動員で沖縄戦を戦った元沖縄県知事の大田昌秀さんは、世界のさまざまな戦争の写真を集め、その残虐さを告発してきた。

首をはねられる兵士、腹を裂かれた子供、焼け焦げた女性。目を背けたくなるような写真の数々を「人間が人間でなくなるとき」という題の記録集にまとめた大田さんは、次のように記している。「私たち個々人は、時と場合によっては、自らが容易に『非人間化』されてしまう存在であるばかりでなく、他人をも非人間化してしまう存在だということを確認する必要がある」戦争は、まさに「人間を人間でなくす」不条理であり、命の尊厳を踏みにじる狂気である。・・・太平洋戦争では、米軍の東京大空襲により、一晩で10万人が犠牲になった。原爆は広島、長崎で20万人以上の命を奪った。ほかにも無数の都市爆撃があった。土岐善麿は、日中戦争をこう詠んだ。「遺棄死体 数百といひ数千といふ いのちをふたつ もちしものなし」・・・日中戦争、太平洋戦争の犠牲者はアジア全体に広がる。戦争の不条理と戦死の痛ましさに、国境はない。内外の死者を等しく追悼する誠実さを身に備えることは、アジアに計り知れない人的、物的被害を与えた日本の、当然の務めだ。

 戦争は、国と国を長きにわたって不和にし、憎しみの感情を植えつける。加害の記憶がともすれば忘れられがちなのに対し、被害の記憶はずっと残る。中国や韓国との根深い歴史対立は、加害者と被害者が、それぞれの歴史の記憶をどう継承していくかの摩擦でもある。・・・二度とあのような戦争は経験したくない、というのが、ほとんどの国民の願いだろう。平和を論ずるにあたっては、戦争の醜さと残酷さを、常に原点に置きたい。
http://mainichi.jp/opinion/news/20140815k0000m070132000c2.html

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余録:「戦死やあわれ/兵隊の死ぬるや あわれ…(毎日新聞 2014年08月15日)
 「戦死やあわれ/兵隊の死ぬるや あわれ/遠い他国で ひょんと死ぬるや……」。終戦の年の4月、フィリピンで戦死した竹内浩三(たけうち・こうぞう)の詩「骨のうたう」を読むたびに、戦後のこの国のありさまを見通したような死者のまなざしにたじろぐ▲白い箱で故国に帰った兵士の骨は、あがめられはしても、人々はよそよそしく、愛されることはない。「骨はききたかった/絶大な愛情のひびきをききたかった/がらがらどんどんと事務と常識が流れ/故国は発展にいそがしかった/女は 化粧にいそがしかった」▲その69年後の今も人々を押し流す事務と常識は「がらがらどんどん」とやかましい。ちなみにこの詩の原形は太平洋戦争開戦の翌年、彼の入営の2カ月前に作られたという。そのオリジナルは「なんにもないところで/骨は なんにもなしになった」と結ばれている
http://mainichi.jp/opinion/news/20140815k0000m070134000c.html

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長崎原爆の日:大震災・福島の2高校生「原発と根は一緒」(毎日新聞 2014年08月09日)
核兵器廃絶を訴える署名を国連に届ける高校生平和大使は9日早朝、長崎市内で開かれた平和集会の参加者に署名を呼びかけた。東京電力福島第1原発がある福島県沿岸部から選ばれた女子生徒2人も参加し、「一日も早く原発も核兵器もない世界を実現したい」と訴えた。・・・ 事故後、放射性廃棄物の処分や使用済み燃料の再処理など、原発を巡る問題を学んだ。長崎市では高校生らが開いた集会に参加し、「福島県では健康被害に脅えながら生活している人が少なくありません。原爆も原発も根っこの部分では同じではないでしょうか」と問いかけた。【樋口岳大、小畑英介】
http://mainichi.jp/select/news/20140809k0000e040212000c.html

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論点:戦後70年を前に/上 記憶をどう語り継ぐ(毎日新聞 2014年08月15日 東京朝刊)


惨さ隠し美化する危険−−星野智幸・作家
東日本大震災のショックで人恋しくなったのか、ここ数年、僕は旧友たちに立て続けに会った。ある男性は、昔と変わらずに懐かしく感じた一方で、ふと韓国や中国の話になると「あそこだけは行きたくない」と激越な調子になって驚かされた。かつて政治には全く無関心だったのに、急に国防問題を持ち出す友もいた。自衛隊の存在を誇り、その意義を得々と語るのだ。僕が知っている友人たちとは似て非なる物言いだった。そして、そんな例が何人も続いたのだ。仕事がないとか家庭崩壊とか、特段の苦境にある人たちではない。マジョリティーがそうなっていることを怖いと感じた。過去の戦争が美しい物語として記憶され始めている背景には、そのような変化があると思う。

戦争は美しくも格好良くもない。人間の手足が吹き飛び、内臓が飛び出す。極めてグロテスクだ。ところが、社会から必要とされていないと感じて苦しむ人たちは、戦争の悲惨さを想像する余裕がない。戦争のもたらす痛みより、今の自分の苦しさの方が重く、それを解消してくれるなら戦争をも肯定してしまう。近年、戦争を描く小説や映画で最も求められるのは「泣ける」こと。冷徹なリアリズムは敬遠される。涙は現実の悲惨さを感動に変えてしまう。泣かせるための装置が「自己犠牲」だ。あの犠牲は、他人のために意味があったのだ、と。日本が起こした昭和の戦争は間違っておらず、特攻隊をヒーロー視して感謝する、国家規模の大きな物語が人気を集める。失われつつある自らのアイデンティティーが救われるからだ。東日本大震災後の「絆」の連呼も同じこと。千差万別の津波被害や原発事故の物語が、分かりやすい大きな物語にまとめられてしまう。それが今、歴史の解釈にまで及んでいる。

だが冷静に考えねばならない。そこで払われた犠牲は国家のためだ。その国家は国民を守ったのか。社会をよくしてくれたのか。戦時中はさんざん命を使い捨てにした揚げ句、都合よく英霊に祭り上げた。今後も同じことが起こるだろう。それを今、最も苦しんでいる人たちが受け入れ、求めてしまっているのだ。これまで新聞をはじめとするジャーナリズムが取り組んできた、個々の戦争体験者を探し出して実態を伝える手法は、社会が渇望している物語とはすれ違っている。しかし、やめてしまえば戦争の個々の事実はなかったことにされてしまう。言葉にしておくことは決定的に大事だ。感動を目的とした一元的な大きな物語は、歴史の中の矛盾する事実を切り捨ててしまう。それを消さずに小さな物語の集まりとして描けるのが文学だ。個々人の体験をフィクションに変換しながら、あくまでも個人的な言葉で語るからだ。大きな物語のいかがわしさを破る力が、そこにはある。【聞き手・鶴谷真】

無数の悲劇、伝える責任−−八杉康夫・「戦艦大和」元乗組員

戦争は地獄だ。悲惨な体験をした人こそ、その実態を伝えることができる。私は1945年4月、米軍が上陸した沖縄に向けて特別攻撃隊(特攻)として出撃した「戦艦大和」の乗員で17歳だった。3000人以上が戦死し生還者は300人に満たなかった。戦後に生還者や遺族らによって「大和会」が結成され、先輩たちが「大和」の歴史を伝えていた。しかし、そうした人たちが次々と亡くなった。戦争の、特攻の悲劇を伝える人がいなくなってしまうと思い、25年ほど前から自分の体験を講演や学校の授業などで話すようになった。これまでに北海道から鹿児島まで、600回以上、話をしている。本当の戦争は、バーチャルなゲームとは違う。無数の悲劇を生む。たとえば米軍機の攻撃を受けた「大和」の甲板は血だらけで、あちこちに死体や負傷者が横たわっていた。衛生兵が、ちぎれた腕や足を海へ投げ捨てていた。

沈没後は重油の海を漂った。駆逐艦が救助のためにロープを下ろしてくれたのだが、生存者が奪い合った。「どけー、俺のだあ」などと怒号が飛び交っていた。階級も年齢も関係なかった。本当の修羅場で、人間の本性をみた気がした。その後、呉で海軍陸戦隊に配属になった。広島に原爆が投下された翌日の8月7日、救助活動のため現地に入った。街には黒こげになった遺体がたくさんあった。身元が分かるはずもなく、引き取り手もほとんどみつからなかっただろう。3日間作業をして、私自身も被爆した。戦後は後遺症に苦しんだ。

「大和」もそうだが、近年「特攻」が映画や小説などで注目されているようだ。家族や国を思い「特攻」で亡くなった若者たちは、尊いと思う。私は彼らの遺影や遺書をみると、自然に涙が流れ、手を合わせる。しかし、特攻という作戦自体は間違っていた、と伝えたい。若い人が死んでしまったら、その国はどうなってしまうのか。ただ戦争を始めた当時の為政者を責めるつもりもない。当時はまさに帝国主義の、食うか食われるかの世界だった。為政者たちはそういう時代の教育を受け、その時点では適切と思った決定をした。彼らを今の価値観で裁いてみても、説得力は乏しいはずだ。

一方で、その歴史から学ぶべきことは多い。たとえば当時の日本は「自存自衛のため」と戦争を始めたが、資源の少ない日本が自存自衛できるわけもなく、共存共栄しかなかった。それは現代でも同じだ。さらに外国の領土に色気を出したり、国家間の対立を武力で解決しようとしたりすると、大きなつけが回ってくる、ということも語り伝えなければならない。過去の戦争を美化するような人には「それなら、実際に戦争を経験してみろ」と言いたい。

私は「大和」の沈没と原爆で2度地獄からはい上がってきた。死んでいった人たちのことを伝えるのが使命だ。今後も体が続く限り戦争の実態を伝えたい。しかし、そう遠くない将来、我々のような戦争体験者はいなくなるだろう。

http://mainichi.jp/shimen/news/20140815ddm004070002000c.html

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原発事故で生物影響の恐れ 日米研究者が専門誌に(2014/08/15共同通信)

【ワシントン共同】東京電力福島第1原発事故に伴って放出された放射性物質が、周辺の鳥類や昆虫に遺伝子異常を引き起こしている可能性があるとする論文を、日本や米国の研究者が14日、米専門誌ジャーナル・オブ・へレディティーに発表した。米サウスカロライナ大のティモシー・ムソー教授は、1986年のチェルノブイリ原発事故後に周辺でツバメの羽毛に白い斑点ができる異常が見つかったと指摘。福島でも白斑のあるツバメが見つかったとの報告があることから「遺伝子レベルの分析や生態系への影響など広範で長期的な調査が必要だ」と訴えた。

http://www.47news.jp/CN/201408/CN2014081501001038.html

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声に託すは 平和の願い あす朗読劇 戦争、原発…熱帯びる初稽古(2014/08/15中日新聞)
戦争や原発事故がテーマの朗読劇「平和な未来へ」が十六日、マリエとやま(富山市桜町)七階の小劇場オルビスで上演される。十四日には初稽古があり、出演者は平和の尊さを伝えようと、真剣な表情で臨んだ。富山高校演劇部の卒業生有志でつくる「とやま朗読劇の会」が主催。県外の会員も集まれるお盆休みに合わせ、一九九九年から毎年定期公演している。今回の劇は、太平洋戦争や福島第一原発事故が題材の詩や短歌などを朗読し、その悲惨さや怒りを訴えるという内容。
http://www.chunichi.co.jp/article/toyama/20140815/CK2014081502000038.html

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福島の山林の生物、セシウム蓄積 カエル6700ベクレル(2014/08/15共同通信)

東京電力福島第1原発から西に約40キロ離れた福島県二本松市の山林で、カエルから1キログラム当たり最高6700ベクレル超のセシウム137が検出されるなど、食物連鎖の上位の生き物に高濃度の放射性物質が蓄積する傾向があることが2日、東京農工大と北海道大の研究チームの調査で分かった。境優・農工大特任助教は「地面に落ちている葉などの濃度に応じて生物の濃度が高くなるほか、食物連鎖で濃縮している可能性がある」と指摘。陸の生物は、狩猟対象の鳥獣など一部を除きデータが少なく、調査結果は放射性物質が生物にどう蓄積するかを解明する手がかりになる。

http://www.47news.jp/CN/201303/CN2013030201001752.html

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高濃度の井戸を除外 第1原発、地下水くみ上げで東電(2014/08/15福島民友)
東京電力福島第1原発の建屋周辺の井戸「サブドレン」などから地下水をくみ上げ、浄化後に海に放出する計画で、地下水の試験的なくみ上げを計画するサブドレン14基のうち、高濃度のトリチウム(三重水素)を検出した1基と、地下水がたまっていない3基の計4基はくみ上げの対象から除外していたことが14日、東電への取材で分かった。東電は「当初は全基から地下水をくみ上げる予定だったが、高濃度の井戸の扱いは慎重に判断した」とし、この井戸を使ったくみ上げ試験の実施は否定した。東電によると、高濃度の井戸1基は1号機海側にあり、昨年11月に地下水からトリチウムを1リットル当たり9万6000ベクレル検出した。海に流せる法令上の基準値(1リットル当たり6万ベクレル)を超え、東電が設定した基準値(同1500ベクレル)の64倍だった。残りの10基では、水のくみ上げ試験を実施している。
http://www.minyu-net.com/news/news/0815/news11.html

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凍結止水断念の恐れ 第1原発トレンチ、作業完了できず(2014/08/15福島民友)
 東京電力福島第1原発の海側で電源ケーブルなどが通る地下道(トレンチ)の凍結止水工事が難航している問題で、東電は14日、氷とドライアイスの投入を続けてもトレンチと2号機タービン建屋の接続部の汚染水が完全に凍結していないと明らかにした。原子力規制委員会から指示された今月中旬までの凍結完了の達成が事実上不可能となった。
http://www.minyu-net.com/news/news/0815/news10.html

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原発に頼らない生き方は 福島から避難の木村さん、白馬で初の催し(2014/08/15信濃毎日)
東京電力福島第1原発事故のため福島県大熊町から長野県北安曇郡白馬村に避難している木村紀夫さん(49)が23日、初めてのライブ&トーク「忘れないからはじまる未来」を同村落倉高原で開く。今も福島に通い、東日本大震災の津波で行方不明の次女汐凪(ゆうな)さん=当時(7)=を探す傍ら、仲間たちと持続可能な暮らしの拠点づくりに取り組む木村さん。・・・大熊町の自宅周辺は現在、除染廃棄物の中間貯蔵施設の候補地になっている。「原発事故後の危機感が薄れ、まさかと思っていた原発再稼働の動きが目立ち始めている」と木村さん。「原発に頼らない生き方をみんなで語り、考えていきたい」と「深山の雪」づくりに思いを込める。
http://www.shinmai.co.jp/news/20140815/KT140814SJI090005000.php

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マダガスカルに見る、環境と健康の関係(Susan Daugherty for National Geographic News August 15, 2014)
ナショナル ジオグラフィック協会が選ぶ2014年エマージング探検家の1人、クリストファー・ゴールデン(Christopher Golden)氏は、地球規模の環境動向が人々の健康に及ぼす影響を探る生態学者兼疫学者だ。・・・クリストファー・ゴールデン氏は、環境の動向と人々の健康との驚きに満ちたつながりを調査し、定量化している。「実験で得られたデータと予測モデルを使い、野生生物の減少や気候変動といった問題が人の健康に及ぼす影響を数値化すること、さらにその結果を実行可能な施策に結びつけるのが目標」と話す。 ・・・「私たちの地球の健康状態は、人の健康状態に強い影響を及ぼしている可能性がある。両者の複雑な関係を理解することが今ほど重要になっているときはない」とゴールデン氏は強調する。
http://www.nationalgeographic.co.jp/news/news_article.php?file_id=20140815003&n_gadget=0000

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コガシラネズミイルカ、絶滅寸前(Virginia Morell for National Geographic News August 14, 2014)
メキシコのカリフォルニア湾北部にだけ生息する希少なコガシラネズミイルカが激減していることが8月初旬、国際研究チームによって発表された。スペイン語で「小さな牛」を意味する「vaquita(バキータ)」と名付けられたこの海洋哺乳類は、近年漁師の放つ刺し網にかかって相次いで溺死している。現在では97頭が生息するのみとなった。既に絶滅したヨウスコウカワイルカに続き、2018年までに絶滅すると予測されている。コガシラネズミイルカ(Phocoena sinus)は非常にシャイな動物で、網にかかった死体が引き上げられる以外、人前に姿を現さない。その生態が確認されたのはごく最近のことで、1958年、浜辺に打ち上げられた3つの頭蓋骨が最初である。当時の生息数は、数千頭と推定された。
http://www.nationalgeographic.co.jp/news/news_article.php?file_id=20140814004

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不戦誓う詩 児童ら朗読 広島市中区で集い(2014/08/14ヒロシマ平和メディアセンター)
終戦の日を前に、原民喜(1905〜51年)たち広島ゆかりの作家や詩人の反戦詩を朗読する催しが13日、広島市中区であった。約20人が参加し、不戦の誓いを新たにした。民喜を顕彰する「広島花幻忌の会」の企画。会員たち7人が原爆詩や自作の詩を情感たっぷりに読み上げた。祖父母が被爆者という幟町小3年片山愛里紗さん(8)=中区=は、民喜の「永遠(とわ)のみどり」を朗読。「怖い光景が広がっていたと聞いた。戦争のない未来をつくりたい」と話した。
http://www.hiroshimapeacemedia.jp/?p=35104

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(原発利権を追う)「原子力は隠し事が多すぎる」(2014/08/14朝日新聞)
関電の裏面史、内藤千百里・元副社長の独白:14

《連載開始後の8月1日、関西電力元副社長の内藤千百里は大阪市内の約束の場所に現れた。電気料金を原資に政治献金や官僚への料亭接待を重ねたことへの反省を改めて語った》私の結論は高レベル放射性廃棄物の最終処分地のめどがたてば原発を再稼働すればいい。そのめども立たないのに動かしたら、また高レベル廃棄物が出る。使用済み核燃料を積み重ねるんですか。どこに持っていくかや。放射能は何万年の話ですよ。子々孫々や。原子力はセキュリティーにかこつけて隠し事が多すぎる。もう1回考えないかん。電力会社だけでなく指導する役所も悪い。学者もいかん。「現状維持 イズ ベスト」ですねん。そんなんで進歩ありますか。
http://digital.asahi.com/articles/ASG847753G84PTIL034.html?iref=comtop_pickup_05

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(プロメテウスの罠)函館の訴え:17 まちが命が奪われる(2014/08/14朝日新聞)

東京地裁103号法廷。

函館市長、工藤寿樹(64)はこの7月3日、意見陳述で35分にわたって語り続けた。「地震や津波のような自然災害も大きな被害をもたらしますが、まちを再建できます。戦争もまちに壊滅的な打撃を与えますが、復興は可能です。原爆投下を乗り越えてきた広島・長崎も再生しました」「しかし放射能というどうしようもない代物をまき散らす原発の過酷事故は、これまでの歴史にない壊滅的な状況を半永久的に周辺自治体や住民に与えるのです」「私たち函館市民は、承諾もなく近隣に原発を建設され、いざというときに避難もままならない状況の中に置かれることになります」「自分たちのまちの存続と生命を守るため、この訴訟を起こしたのです。それ以外に残された道はなかったということをご理解頂きたい」

http://digital.asahi.com/articles/DA3S11298588.html

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辺野古埋め立てへブイ設置 反対派進入阻止狙う(2014/08/14共同通信)
沖縄防衛局は14日朝、米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設先、名護市辺野古沿岸部の埋め立てに向け、海上にブイを設置し立ち入り禁止区域を明示する作業を始めた。辺野古移設反対派の船による進入を阻止する狙いとみられる。防衛局は近く同区域内で海底ボーリング調査に着手する。普天間代替施設の建設に向けた海上での準備作業が本格化した。ただ、県外移設を求める地元世論は根強く、辺野古移設反対派と防衛局側の衝突が懸念される。名護市の稲嶺進市長は、ブイ設置開始に「激しい怒りを禁じ得ない」とのコメントを出した。

http://www.47news.jp/CN/201408/CN2014081401000707.html

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共産、入党者が急増 2カ月半で若者ら5100人(2014/08/14京都新聞)
「これだけ早いペースで増えるのは過去に例がなく、閣議決定の影響とみて間違いない」。政府が7月1日に集団的自衛権の行使容認を閣議決定して以降、急に入党者が増えたという共産党。特に若者から支持を集めているといい、1990年後半にみせた「上げ潮ムードの再来」と期待する声も。次の本番は来春の統一地方選だが、果たして勢いをつけられるか、真価が試される。今年5月15日から7月末までを「躍進月間」と位置づけ、全国で集中的に勧誘活動を実施。その結果、2カ月半で5100人の入党があり、閣議決定以降は3000人以上に上ったという。京都府委員会も300人近くを新たに迎えた。党によると、入党者のうち39歳以下が3割を占めるなど若者が多く、集団的自衛権だけでなく、ブラック企業や原発、消費税など、党の主張が幅広い世代に支持されているとみている。

http://www.kyoto-np.co.jp/top/article/20140813000149

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勤務先は「ブラック企業」20代の4人に1人(2014/08/14京都新聞)

連合のシンクタンク、連合総研が民間企業で働く2千人を対象に実施したアンケートで、20代の23・5%、30代の20・8%が、自分の勤務先が長時間労働や残業代不払いなど違法な働かせ方で若者を使い捨てにする「ブラック企業」に当たると考えているとの結果が出た。過酷な違法労働をさせるブラック企業が社会問題となる中、4〜5人に1人の若者が勤務先への不信感や職場環境に不安を抱いている実態が数字で裏付けられた形だ。
http://www.kyoto-np.co.jp/country/article/20131101000006

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原発汚染水対策  新放出計画は慎重期せ(2014/08/14京都新聞)
東京電力福島第1原発の汚染水対策で、原子炉建屋周辺の井戸から放射性物質を含んだ地下水をくみ上げ、浄化した上で海に放出する計画が検討されている。東電は海への排水設備の設置を原子力規制委員会に申請し、既に試験的なくみ上げを始めた。東電は「地元の了解を得られない限り、海への放出はしない」というが、一度汚染された地下水の放出計画は初めてだ。海洋汚染を招きかねず、風評被害を避けるためにも慎重を期す必要がある。事故後3年5カ月が過ぎても、高濃度汚染水への対応は滞っている。溶けた核燃料を冷やすため原子炉へ注水し、放射性物質を含んだ水が建屋地下にたまり続ける。さらに毎日約400トンの地下水が流れ込み、新たに汚染される。汚染水を保管する地上タンクを置くスペースにも限界がある。対策の一つとして山側の地下水を汚染される前にくみ上げ、海に流す「地下水バイパス」が5月に始まったばかりだ。地元漁業者の苦渋の決断でようやく実施にこぎ着け、1日最大100トンを減らせると見込むものの、実際に効果が出たのか確認できていない。・・・放出時に放射性物質をどれだけ減らせ、それを誰が検証し、どう情報開示するのか。国や東電は必要性や効果、危険度をきちんと示し説明に意を尽くしてほしい。いったん海洋汚染を招く事態となれば、国際社会の信頼を失うことも肝に銘じておきたい。
http://www.kyoto-np.co.jp/info/syasetsu/20140814_3.html

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衛星は大気汚染ガス濃度を過小評価かサイエンスポータル(August 13, 2014ナショナルジオグラフィック)
 大気汚染ガスの二酸化窒素(NO2)の衛星観測に3〜5割の過小評価があることを、海洋研究開発機構地球表層物質循環研究分野の金谷有剛(かなやゆうごう)分野長代理らの国際研究チームが見つけた。その原因として、大気中に共存する微小粒子PM2.5などのエアロゾルが太陽光の経路をかく乱し、地表付近のNO2を観測されないように覆い隠してしまう「シールド効果」を実証した。日本、中国、韓国、ロシアでの地上観測網のデータと衛星データを比較して検証した結果で、8月11日に欧州地球科学連合誌「Atmospheric Chemistry and Physics」に発表した。・・・ 広域の大気汚染状況を一度に把握できる衛星観測は地球環境の状態を知るのに欠かせなくなっている。NO2の衛星観測では、地表から反射される太陽光の紫外・可視領域の光を分光し、NO2分子に固有の吸収度を計測して、大気中のNO2累積濃度を測定している。この衛星観測で、欧米や日本上空での濃度減少と対照的に、中国上空では過去約15年でNO2が3倍にも増加し、巨大な発生源に変化したことが示されてきた。
http://www.nationalgeographic.co.jp/news/news_article.php?file_id=00020140813004

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国策に翻弄され:戦争と原発/2 学徒動員で海軍工廠勤務−−福島市清水町・遠藤宮子さん/福島(毎日新聞 2014年08月13日 地方版)
加害者でもあった 「言葉でごまかすのが一番いけない」−−遠藤宮子さん(85)太平洋戦争中の1944年11月、旧制福島高等女学校(現県立橘高)の3年生は学徒動員で、神奈川県横須賀市の海軍工廠(こうしょう)に行った。戦争に使う船や飛行機を造っていたの。14歳だった。いつ来るか分からない空襲、粗末な食事。朝5時起きで働いて、敗戦まで約10カ月、夢も希望もなかった。私の仕事は、船や飛行機の部品を造るために部品の原寸大の図面を引くことだった。その図面に終戦の年くらいから「(秘)」「(4)」っていう判子がついてくるようになったの。しばらくすると「(6)」が多くなった。でも当時は、何を造っているか分からなかった。それが「人間魚雷」だったと知ったのは、戦後50年たった頃。旧制福島中学校(現県立福島高)の卒業生たちと集まった時に、みんなで軍歌「海ゆかば」を歌った。「海ゆかば 水漬くかばね 山ゆかば 草むすかばね……」。そしたら、私の脇にいた人が「オレ歌わんねえ!」って言ったの。「オレ、毎日のように同僚を見送った。あと2、3日戦争が長引けばオレもそれに乗って死んでいくところだった」って。「何に乗るの」って聞くと「マルロク。『回天』だ」って言うのよ。爆薬つめて1人で乗り、敵船に突っ込んでいく特攻兵器だね。(4)は同じく「震洋」だった。

学徒動員で働かされた私は、戦争の被害者だとばかり思っていたの。でも加害者でもあったのね。日本の若者を、もしかしたら隣の彼をも殺す兵器を造っていたと知った、あの時のがくぜんとした気持ちは忘れられないね。
http://mainichi.jp/area/fukushima/news/20140813ddlk07040072000c.html

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EEG法改正もなんのその − ドイツの電気はますますみどりに!(あきこ / 2014年8月10日みどりの1kWh)
再生可能エネルギー優先法(EEG)の改正をめぐる駆け引きはエコ電気には何の悪影響も与えなかった。それどころか、2014年上半期には我が国の電力需要の28,5%が再生可能エネルギーによって賄われている。これは昨年の同時点と比べて、ほぼ4%上回っている」と、ベルリンの日刊紙「デア・タゲスシュピーゲル」は伝えた。
http://midori1kwh.de/2014/08/10/5873

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ふくもと まさお著『ドイツ・低線量被爆から28年−チェルノブイリはおわっていない』を読んで(さざえ / 2014年8月3日みどりの1kWh)
私は、この本に出会って、一言でいえば、「救われた!」思いだった。日本を外から眺めている者にとって、恒例となった反原発デモへの参加や、福島の被災者への僅かなカンパだけでは「靴の上から足を掻いている」ようで気持ちがおさまらない。・・・ドイツがチェルノブイリ原発事故によって汚染されていたことは、日本にあまり知られていないと、ふくもと氏は書いている。ドイツの放射能汚染は、日本のそれと比べると、かなり低い。にもかかわらず事故28年後の今日でも健康被害が起きている。チェルノブイリ原発事故後に、ドイツでは国や自治体がどう対応し、市民の反応はどうだったかに著者は迫る。・・・しかし、数年後に汚染濃度も下がると、放射能汚染に敏感ではなくなる。チェルノブイリ原発事故により西ヨーロッパの中でも、最も汚染されてしまったドイツでは、自ら食品の放射能汚染測定に立ち上がった市民たちがいた。しかし、西ドイツには40か所もあった測定所のうち、現在もなお活動を続けているのは、ミュンヘン環境研究所1か所だけとなった。

しかし、チェルノブイリ原発事故から28年後になるドイツでは、いまだに放射能に汚染された食品が検出されている。今の日本と比べるとかなり低いが、それでも内部被曝により健康被害が起きている。・・・ドイツで確認された健康被害は、そのほとんどが原発事故後9か月前後に起こっている。ということは事故後初期の段階では通常半減期の短い放射性核種セシウム131によって汚染濃度が高くなる。その状況が過ぎると、次はセシウム137など半減期の長い放射性核種の影響が強くなり、僅かな量の放射線でも染色体異常をより助長し、ダウン症等発生の原因となる。

ふくもと氏は続ける。日本で蓄積された疫学データは、主に高線量で被曝した広島と長崎の原爆被爆者における影響を評価したものが中心になっている。しかし同じ被爆者の低線量レベルのリスクを示す例は概ね無視されてきた。低線量では健康影響は起こらない、という「教科書どおりの定説」がまかり通っている。この「定説」はどこから出たか。ここで、ふくもと氏は驚くべき事実にふれる。広島・長崎における「人体実験」によって得られた放射線の影響。それに関するデータが米国にとって、原子力を「平和」利用する安全性の証明になった。そのためには低線量被曝によって健康影響があってはならず、広島と長崎の低線量被曝の影響は無視されてきた。この構図こそが原子力発電の安全を保障し原子力発電を促進してきたという。・・・ドイツで現在稼働中の原子力発電所は8基ある。住民の反対が強く、新しい原子炉の建設はもうできなくなった。2000年に脱原発を決めた。それが2010年に12年延長されたが、その直後に福島第一原子力発電所で大惨事が起こった。ドイツ市民の脳裏にチェルノブイリの悪夢がよみがえる。2週間後には25万人ものドイツ市民が原子力発電反対のデモにでた。政治がそれにすぐ反応し、メルケル首相は2010年の見直しを撤回し、改めて脱原発を政治決定した。チェルノブイリ原発事故から28年となる今日も、ドイツは依然として低線量で被曝している。

http://midori1kwh.de/2014/08/03/5809

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自然エネルギーへ
今や自然エネルギーを有効に使えるだけの科学力があります。原発を完全に無くし、
化石燃料をなるだけ減らして行くことが未来に対する人類共通の責任です。

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