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カナダ
Canada
<北米>

北中アメリカ

北アメリカ
North America、は、アメリカ(米州)の北半の、北アメリカ大陸を中心とした地域である。六大州の1つ。漢字では北米(ほくべい)と表す。

ニューファンドランド島
Newfoundland、カナダの東海岸に位置する大きな島。ニューファンドランド犬のふるさとでもある。また沖合いの海域(グランドバンク)は、世界屈指の好漁場として名高い。ニューファンドランド島の人口は2001年現在で466,172人。周囲の島を含めると50万人を超える。ニューファンドランド・ラブラドール州の政治的・経済的な中心で、人口の最も多い部分でもある。

ファンディ湾
Bay of Fundy, ファンディ湾は潮の干満が激しいことで知られ、干満差世界一の座をケベック州のアンガヴァ湾やイギリスのセヴァーン川河口と競っている。先住民ミクマク族の民間伝承では、ファンディ湾の潮の干満は、水の中で跳ね回る巨大なクジラによって起こされていると語られている。海洋学者たちは、干満の原因を潮の共鳴によるものとしている:これは時間的符合−大きな波が湾の入口から端まで移動してまた戻る時間と、潮の干満の時間が同じであるということ−から結論付けられている。

アバロン半島
Avalon Peninsulaは、カナダ・ニューファンドランド島の南東部に位置する、大西洋に突き出した大きな半島である。面積は9,270平方kmに及ぶ。アバロン半島周辺には、16世紀頃よりポルトガルやフランスの漁民が豊かな漁場を求めて往来し、彼らのつけた地名がアバロン半島を含めニューファンドランド各地に残っている。

プレーリー
(Prairie) は、北アメリカ大陸中央部、中央平原西側に広がる長草の温帯草原地帯。哺乳類のプレーリードッグはこの地域に多く生息することから名づけられた。ロッキー山脈の東側に位置し、グレートプレーンズと中央平原の間に分布する。

ラブラドル半島
Labradorはカナダ北東部の半島。西はハドソン湾とその南のジェームズ湾、北はハドソン海峡を挟んでバフィン島、東は北大西洋(ラブラドル海)、南はベルアイル海峡を挟んでニューファンドランド島およびセントローレンス湾に面す。

ボーフォート海
(Beaufort Sea)とは北極海の一部で、カナダのノースウェスト準州とユーコン準州、北極諸島、アメリカ合衆国アラスカ州に面した海。北西の境界はアラスカのバロー岬とプリンスパトリック島の端を結んだ線と定義されている。面積は約450 000km2。名前はアイルランドの海洋学者フランシス・ボーフォートに由来する。1年の大半は海が完全に凍り、北部を海氷が覆う。

デービス海峡
Davis Strait、は、グリーンランドとカナダ・ヌナブト準州のバフィン島との間に位置する海峡。北緯65度 西経58度付近に位置する。海峡の幅は広く、最狭部でも約338kmある。一方水深は1,000-2,000m程度で、北のバフィン湾や南のラブラドル海よりもかなり浅い。

ハドソン湾
Hudson Bay、は、カナダ北東にある面積123万平方kmにおよぶ大きな湾。東はハドソン海峡で大西洋に、北はフォックス海峡とローズウェルカム海峡からフォックス湾などを経て、北極海と繋がっている。国際水路機関(IHO)はハドソン湾を北極海の一部に分類している。

スピア岬
Cape Spearはカナダ東部大西洋側のニューファンドランド島にある岬。カナダ最東端(西経52度37分)の岬であり、毎日カナダで最初に日が昇る場所である。スピア岬には1836年9月から稼動している灯台がある。スピア岬灯台はニューファンドランド島に建てられた二番目の灯台だった。

ジョージア海峡
Strait of Georgiaは、カナダのブリティッシュコロンビア州太平洋岸の本土とバンクーバー島(同様に、周辺のガルフ諸島)の間に位置する延長240キロメートル(150マイル)の海峡である。

セントローレンス川
St. Lawrence River、は、北米大陸の五大湖と大西洋を結んでカナダ東部を東北に流れる河川である。水源である五大湖を含めれば世界第2位の水量となる。サンローラン川ともいわれる。オンタリオ湖出口からセントローレンス湾まで1,197km、水源からの全長は3,058kmある。上流部はカナダのオンタリオ州とアメリカ合衆国のニューヨーク州を隔てる国境を形成し、その後はケベック州内を流れる。

サスカチュワン川
Saskatchewan Riverは、カナダのサスカチュワン州およびマニトバ州を流れウィニペグ湖へ注ぐ、全長約550kmの河川である。流域はカナダ中央部の草原地帯であるプレーリーの大部分を含む。

フレーザー川
(Fraser River)は、カナダのブリティッシュコロンビア州を流れる川である。全長1,400km、流域面積は220,000km2ある。1807年にはSimon Fraserが源流まで辿り、コロンビア川と繋がっていないことが確かめられた。

デトロイト川
Detroit Riverは、北アメリカにある五大湖水系の全長約51kmの川である。デトロイト(Detroit)とはフランス語で海峡のことを意味する。セントクレア湖から流れ出しエリー湖へ注ぐ。カナダとアメリカの国境になっており、アンバサダー橋および自動車用と鉄道用の二つのトンネルがアメリカ、ミシガン州のデトロイトとカナダ、オンタリオ州のウィンザーを結んでいる。

マッケンジー川
(Mackenzie River)は、カナダのノースウエスト準州を流れボーフォート海へ注ぐ川である。カナダ最長の川で、ピース川とFinlay川をあわせた長さ4,241kmは北アメリカ2番目の長さである。

ノースサスカチュワン川
(North Saskatchewan River)は、カナダのアルバータ州およびサスカチュワン州を流れる川で、サスカチュワン川の支流である。

セントローレンス湾
Gulf of Saint Lawrenceはカナダ南東部に位置する湾であり、セントローレンス川を経由して五大湖から大西洋への湖水の出口。ここに注ぐセントローレンス川の河口は世界最大の規模である。また大西洋と、工業地帯である五大湖周辺を結ぶ重要な航路でもある。

グレートベア湖
Great Bear Lake)は、カナダのノースウエスト準州にある湖。面積は31,153 km2で、北アメリカで4番目に大きい。北緯65〜67度、西経118〜123度に位置する。湖岸の長さは2,719 km 、集水地域は114,717 km2 である。

オンタリオ湖
Lake Ontarioは、北アメリカ大陸にある五大湖のうち最小の湖。世界では14番目の面積をもつ、氷河によって削られてつくられたといわれている淡水湖。面積は19,009km2あり、四国4県を合わせた大きさとほぼ同じ。


五大湖
Great Lakes)は、アメリカ合衆国及びカナダの国境線をなす5つの湖の総称。塩湖以外では世界最大級の面積を誇る。五大湖は上流から順にスペリオル湖、ミシガン湖、ヒューロン湖、エリー湖、オンタリオ湖の5つの湖からなる。


ウィニペグ湖
(Lake Winnipeg)とはカナダのマニトバ州にある湖。 マニトバ州の州都ウィニペグの北約55kmに位置する。 面積は24 400 km2で、カナダで6番目に大きな淡水湖であり、南北の長さ416 km 。 比較的浅く、最大深度は18mである。

バンクーバー島
Vancouver Islandはカナダ南西部、ブリティッシュコロンビア州にある島である。島の名称は、18世紀後半にカナダ西海岸地域の測量を行ったジョージ・バンクーバー(George Vancouver)に由来する。面積は32,134平方キロで、アメリカ大陸太平洋側では最大の島である。人口は約75万人。

プリンスエドワード島
(Prince Edward Island、略称PEI)は、カナダの東海岸、セントローレンス湾に浮かぶ島で、カナダの州(Province)の一つでもある。この島の特産はジャガイモであるが、それ以上に『赤毛のアン』シリーズを書いたL・M・モンゴメリが住んでいた島として名高い。

バフィン島
(Baffin Island、は、カナダ北東部(ヌナブト準州)の北極諸島にある島。バッフィン島とも呼ばれる。面積は507,451 km2でカナダで一番、世界でも5番目に大きい島 (日本の本州は227,414 km2、世界第7位)である。

チドリー岬
Cape Chidleyはカナダ北東部・ラブラドル半島の北東の端。「Cape Chudleigh」とも表記される。トーンガット山脈の北端にあるキリニク島(Killiniq)の東海岸に位置する。


ロッキー山脈
Rocky Mountainsは、北アメリカ大陸西部を北西から南東に走る山脈。山脈の最高峰はアメリカ合衆国コロラド州のエルバート山(4399m)である。「カナディアンロッキー」(Canadian Rocky)と呼ばれるカナダ領内では、ブリティッシュコロンビア州とアルバータ州の州境にそびえるロブソン山(3954m)が最も高い。


アパラチア山脈
(Appalachian Mountains)は、カナダ及びアメリカ合衆国東北部に位置し、北東から南西方向に全長約2,600kmにわたって延びる丘陵・山脈。1528年にスペイン人探検隊が現在のフロリダ半島タラハシー付近の原住民から部族名をアパラチェンと聞いたのが最初で、後にさらに北方一帯の地域名に使われていった。

トーンガット山脈
Torngat Mountainsはカナダ東部・ラブラドール半島の北部に位置する山脈。ラブラドール地方(ニューファンドランド・ラブラドール州)の北端部、およびノード・デュ・ケベック地域(ケベック州東北部)にまたがる。

ロングレンジ山脈
(Long Range Mountains)は、カナダ・ニューファンドランド島の西海岸に沿ってまっすぐ伸びている山脈。この山脈は、南のカボット海峡を挟んでケープブレトン島の山地へつながっており、さらに南のアパラチア山脈にまでつながっている。

ケープ・ブレトン島
Cape Breton Island、はカナダ東部大西洋岸、ノバスコシア州にある島。州の本土、ノバスコシア半島とはカンソー海峡で隔てられている。面積は10,311平方キロで、人口は約15万人。 ケープブレトン島を経由してカボット海峡からセントローレンス湾、セントローレンス川へ続く水路は重要な国際航路となっている。 先住民族、ミクマク族(Micmacs、Mi'kmaq)とその祖先が古くより居住していた。


<歴史>
■ファースト・ネーション
(先住民)やイヌイットの言い伝えでは先住民たちは時の始まりからこの地に住んでいたとある。一方、考古学的研究では北部ユーコン準州に26,500年前、南部オンタリオ州には9,500年前に人類がいたことが示されている。

■1603年
到着したフランスの探検家サミュエル・ド・シャンプランは、1605年に初めてのヨーロッパ人定住地をポート・ロワイヤル(現ノバスコシア州アナポリス・ロイヤル)に築き、1608年にはケベック を建てた。

■1763年宣言
ケベックをヌーベルフランスから分離し、ケープ・ブレトン島をノバスコシアに加えた。これはまたフランス系カナダ人の言語と信仰の自由を制限した。1769年にセント・ジョンズ島(現在のプリンス・エドワード・アイランド州)が独立した植民地となった。

■ 1783年
パリ条約によってアメリカの独立は承認され、五大湖南部がアメリカへ割譲された。戦後におよそ5万人の王党派がアメリカからカナダへ逃れている。

■1846年
英国と米国によるオレゴン条約が結ばれオレゴン境界紛争が終結した。これによって、カナダは北緯49度線に沿って西へ境界を広げ、バンクーバー・アイランド植民地(1849年)、そして、ブリティッシュコロンビア植民地(1858年)への道が開かれた。

■1867年7月1日
867年憲法法が採択され、オンタリオ、ケベック、ノヴァスコシアそしてニューブランズウィックが統合され「カナダの名の下の一つの自治領」である連邦がつくられた。

■1914年
英国の宣戦布告に伴いカナダは自動的に第一次世界大戦に参戦し、志願兵を西部戦線へ派遣した。彼らは後にカナダ軍団の一部となり、ヴィミーリッジの戦いやその他の大きな戦いで重要な役割を果たしている。

■1930年代
大恐慌にカナダ国民は大いに苦しめられ、このため社会主義政党の協同連邦党がアルバータとサスカチュワンで福祉制度を実施しており、これは「カナダの医療の父」として知られる1940年代から1950年代のトミー・ダグラス知事の先駆けとなるものであった。

■1965年
現在のサトウカエデの葉の国旗が採用され、1969年には二カ国語公用語が実施、1971年には多文化主義が宣言されている。カナダは1950年代から1990年代にかけて数多くの国連平和維持活動に参加しており、2001年にはNATO主導のアフガニスタン紛争にも派兵している。一方で、イラク戦争への参加は拒否した。


スクレリング
グリーンランドに進出したノース人(ヴァイキング)たちが現地で出あった異民族(トゥーレ人)に対しつけた名前。おそらく、ドーセット文化の担い手となったドーセット人に対しても用いられている。スクレリングという語は、中世のグリーンランドに住んでいたノース人の方言のうち唯一今日まで生き残っている単語である。


ビーバー戦争
Beaver Wars、またはイロコイ族戦争(Iroquois Wars))は、17世紀半ばに北アメリカ東部で戦われた、インディアン部族とフランス植民地軍との一連の「インディアン戦争」の総称である。17世紀、東部から北東部へ北上しつつあった農耕軍事インディアン国家のイロコイ連邦は、勢力を拡張し、またフランス人交易者達と西部の五大湖地方の部族との間の、毛皮などの貿易を独占しようとしていた。


イロコイ連邦
Iroquois Confederacyは、北アメリカ・ニューヨーク州北部のオンタリオ湖南岸とカナダにまたがって保留地を領有する、6つのインディアン部族により構成される部族国家集団をいう。17世紀に、ワイアンドット族(ヒューロン族)のデガナウィダと、モホーク族のハイアワサの調停によって、五大湖湖畔のカユーガ族、モホーク族、オナイダ族、オノンダーガ族、セネカ族の5つの部族が同盟し、「フーデノサウニー(イロコイ連邦)」として成立した。重要な決まりごとは「ワムパム・ベルト」という貝殻ビーズの織物に幾何学模様で記録する。

ケベック解放戦線
略称FLQ)は、カナダ・ケベック州の独立運動を主張してきたカナダの左翼テロリストグループ。1963年から1970年にかけて、発砲による2件の殺人、少なくとも3人が死亡した爆弾テロ、銀行強盗、誘拐を含む200件以上のテロ行為を行った。特に1970年に引き起こした連続要人誘拐とテロは「オクトーバー・クライシス」として知られる。


アカディア
北米東部大西洋岸、特に現在のメイン州東部とノバスコシア州に相当する地域の古名で、フランス人入植者によって名付けられた地名。「アカディア人」は英語では Acadian「アケイディアン」、フランス語では Acadien「アカディアン」と呼ばれる。また、現在アカディア人が多く居住する地域を指す。「理想郷」を意味するギリシャ語の「アルカディア Arcadia」。

ケベック法
Quebec Actは1774年にイギリス議会において可決され、翌75年5月1日より発効したイギリス領北アメリカのケベック植民地の統治に関する法律である。ケベック法がカナダ人の忠誠をイギリスに保障するために大きな役割を果たしたのは明確であるが、予期せぬ結果が待ち受けていた。それはアメリカの入植者に「耐え難き諸法」の一つと位置づけられ、アメリカ独立革命を起こさせてしまったということである。

アッパー・カナダ
Upper Canadaは、現在のカナダ、オンタリオ州にあったイギリスの植民地である。公式には1791年から1842年まで存在し、領域は大まかに現在の南オンタリオに一致した。アッパーという名前は緯度ではなく、川の上流と言う意味(海抜と言う言い方も出来る)から来ており、ローワー・カナダからはセントローレンス川の上流(upper)に位置した。

米英戦争
War of 1812)は1812年6月-1814年12月、イギリス及びその植民地であるカナダ及びイギリスと同盟を結んだインディアン諸部族と、アメリカ合衆国との間でおこなわれた北米植民地戦争であり、インディアン戦争である。英米がカナダ、アメリカ東海岸、アメリカ南部、大西洋、エリー湖、オンタリオ湖の領土を奪い合い、また両陣営がインディアンに代理戦争をさせた。

オレゴン境界紛争
Oregon boundary dispute、は、19世紀前半に北アメリカ太平洋岸北西部に対するイギリスとアメリカ合衆国の間の競合する領有権主張の結果として持ち上がった問題である。イギリスはこの地域をコロンビア地区と呼び、ハドソン湾会社が毛皮交易を推進する部門があった。一方アメリカはオレゴン・カントリーと呼んでいた。問題となった地域の最も広義の定義に拠れば次のようになる。


■国民
住民は、イングランド系21%、フランス系15.8%、スコットランド系15.2%、アイルランド系13.9%、ドイツ系10.2%、イタリア系5%、中国系4%、ウクライナ系3.6%、オランダ系3.3%、ポーランド系3.1%、インド系3%である。また、3.8%のカナダ人が先住民族の血を引くと2006年に回答している。3分の1の国民が自らの民族をカナダ人であると主張しているが、これは、移民である祖先の出身国の民族意識よりも、民族的アイデンティティそのものはもはやカナダ人であると主張する人たちであり、大多数はイギリス系とフランス系であると思われる。先住民族を除く非白人の割合は16.2%である。

■言語
2006年国勢調査によると、国民の約58%が英語、約22%がフランス語を第一言語としている。約98%が英語かフランス語のどちらかを話し(57.8%が英語のみを、13.3%がフランス語のみを、17.7%が両言語を話すことができる)


イヌイット
(Inuit) は、カナダ北部などの氷雪地帯に住む先住民族のエスキモー系諸民族の1つで、人種的には日本人と同じモンゴロイドである。エスキモー最大の民族である。民族名「イヌイット」はカナダ・エスキモーの自称である。イヌクティトゥット語で「人」を意味する Inuk の複数形、すなわち「人々」という意味である。


イヌクティトゥット語
カナダのエスキモー系民族のイヌイットにより広範に話される言語である。言語名の意味は「イヌイットのように」。カナダ北部のほとんどの地域に話者が存在する。具体的には、高木限界以南、ニューファンドランド・ラブラドール州、ケベック州を中心に、マニトバ州北東部、ヌナブト準州、ノースウエスト準州で話されている。また、以前はユーコン準州の北極海側でも話されていた。


クリー
(Cree)は、北アメリカにおける先住民族、ファースト・ネーションの最大部族の一つ。カナダには主にオンタリオ州のスペリオル湖の北部・西部を中心に、マニトバ州、サスカチュワン州、アルバータ州、ノースウェスト準州、ケベック州に20万人が居住している。

ヌートカ族
Nootka, はカナダ西岸(特にバンクーバー周辺)に住んでいる先住民(ファースト・ネーション)の人々の名前。ヌートカの名称はジェームズ・クックが西洋人としてはじめてこの民族に遭遇したときに、ヌートカ族が回っている(ヌートカ)とクックらに対して話したことに由来する。ワカシ語族のヌートカ語を母語とするが、現在話者は少なくなっており、消滅が危惧されている。ポトラッチと呼ばれる贈答の儀式を行う風習があり、その際にはできるだけ豪奢に振舞うのが礼儀とされている。

クワキウトル族
北アメリカ大陸北西海岸地域(カナダ・ブリティッシュコロンビア州バンクーバー島東岸北部から、その対岸の大陸側沿岸地域)に居住するサモン語族[要出典]系インディアンの総称である。ボアズの民俗学分類においてはディオニュソス文化に分類される。典型的な漁撈・狩猟民族で、温暖な気候と豊富な資源を背景に定着型の生活を営む。サケ・マス・ロウソクウオ (candlefish) ・オヒョウ・タラ・アザラシ・オットセイ、シカ・ヤギ・などを捕獲し、主食とする。なお、シカはヨーロッパ人が新大陸に持ち込んだ動物であり、それ以前には食されていない。

ミクマク
mi'kmaq とは北アメリカ大陸東部に住むインディアン部族である。「ミクマク」とは"私の友達"または"同胞"の意味で、民族の自称はルヌ("L’nu"、複数形はルヌク "Lnu'k"、「人間」の意)。ウィグワムと呼ばれる円形の樹皮小屋に住み、森などで狩猟をして、オジロジカやアメリカクロクマ、ヘラジカやカリブー、鳥類、ビーバー、ヤマアラシなどを狩り、肉は食料にし、毛皮は衣類やモカシンにしていた。

パサマクォディ
Passamaquoddyは北米大陸に定住するインディアン部族。「パサマクォディ」は「カキを採る人々」という意味。アメリカ東部メイン州を中心にカナダのニューブランズウィック州の森林及び山林地帯に定住する。アブナキ族を始め、 マリシート族、ミクマク族、ペノブスコット族らの周辺部族とは古い関連のある種族で、ワバナキ同盟(Wabanaki Alliance)の連邦を結成している。

キャリアー
Carrier)はカナダ・インディアン部族のディネ族の一つで、ブリティッシュコロンビア州の中央内部に住んでいる。キャリアーというのは、彼らのセカニ名であるDakelh(ボートであちこちへ行く人々の意)を翻訳したもので、彼らは自身を「ダケル」(Dakelh、もしくは複数形でDakelhne)と名乗る。

ディネ
南北アサバスカ語族の自称。または、カナダのインディアン部族、「ヘアー・インディアン(hare indan)」のこと。 また、アラスカからカナダにかけて先住するインディアン部族のグループ名。多数のバンド(集団)に分かれ、ティピーによる平原での狩猟を生業としており、領域にヘラジカなど大型の獲物が少ないことから、ことにカンジキウサギ(ヘアー)を主食としている。

チルコーティン
Chilcotinは、カナダ・ブリティッシュコロンビア州内陸部に住む民族。 複数箇所の居留地に居住しており、人口は約3000人。

ハイダ族
(Haida)は主にカナダ・ブリティッシュコロンビア州に居住する先住民族(ファーストネーション)。一部はアメリカ合衆国アラスカ州にも居住区がある。ハイダ族のデザイン表現や精巧な彫刻技術で知られ、現在でもビル・リード等の芸術家が知られる。

タギシュ
(Tagish)はアメリカ州の先住民族の一つで、アサバスカ語系ファースト・ネーション。 カナダ・ユーコン準州のタギシュ湖やマーシュ湖近辺に居住している。 太平洋岸地区からのトリンギット族との結婚も進み、タギシュ語はほぼ絶滅に近い。

トリンギット
Tlingitはインディアン部族の一つで、アラスカ、カナダの先住民族。アラスカからカナダのブリティッシュ・コロンビア、ユーコン川流域の太平洋沿岸の海と山に挟まれた環境に住み、発達した母系の狩猟採集社会を構築していた。鮭やクジラを獲って暮らし、ポトラッチやトーテムポールの風習で知られる。

オジブワ
(Ojibwa)は、アメリカ合衆国及びカナダの先住民族(インディアン)の部族である。アメリカ合衆国ではチェロキー族、ナヴァホ族に次いで3番目、北米全体でもクリー族に次いで4番目に大きい人口を持つ。チペワ族(Chippewa)としても知られる。


トーテムポール
totem pole)は、北アメリカ大陸の太平洋に面した北西沿岸部に住む先住民の多くが、彼らの家の中、家の前、あるいは墓地などに立ててきた、柱状の木の彫刻で、人々の出自、家系に関わる紋章や、彼らが伝えてきて、かつ「所有する」伝説、物語の登場者などを彫刻したもの。

アルゴンキン語族
アルゴンキン語族は、アメリカ・インディアンの言語の語族の1つである。アメリカ合衆国北部およびカナダの、ロッキー山脈から東海岸に至るまでの広い範囲で話されていた。共通の祖語から発展したと考えられており、祖語は(場所はわからないが)少なくとも3千年前に話されていたとされる。


ポトラッチ
potlatchは、ハイダ族、ニューホーク族(Nuxalk)、トリンギット族、ツィムシャン族(Tsimshian)、ヌートカ族、クヮクヮカワク族、沿岸セイリッシュ族(Coast Salish)を含む、アメリカ合衆国およびカナダ・ブリティッシュコロンビア州の太平洋岸北西部海岸に沿って居住する北アメリカの太平洋側北西部海岸の先住民族によって行われる祭りの儀式である。この言葉は、チヌックジャーゴン語(Chinook Jargon)で「贈る」または「贈り物」を表す言葉に由来する。

ファースト・ネーション
First Nations)は、特にカナダに住んでいる先住民のうち、イヌイットもしくはメティ以外の民族のことである。現在、カナダには630を超えるファースト・ネーションの民族がおり、そのうちおよそ半分はオンタリオ州かブリティッシュコロンビア州に居住している。全人口は約700,000人である。


■宗教
2001年の国勢調査によると、キリスト教徒が多数(77%)を占める。内訳はアングロアメリカ圏でありながら、カトリックが43.2%と最も多い。次にプロテスタントが29.2%、正教会・東方諸教会が1.6%となっている。


グランドバンク
Grand Banksは、北アメリカ大陸東海岸の大陸棚にある海面下の台地群(堆)である。カナダ・ニューファンドランド島の南東沖の大西洋に広がり、その水深は海面下25mから100mにおよぶ。浅く複雑な海底地形もあいまって、世界有数の好漁場になっているが、近年は乱獲による漁業資源の枯渇が著しい。


 

カナダ観光局


<世界遺産>
ランス・オ・メドゥ国立歴史公園
カナダ東部のニューファンドランド島最北端にある考古遺跡。1960年、ノルウェー人の探検家ヘルゲ・イングスタッド(Helge Ingstad)とその妻で考古学者のアン・スタイン・イングスタッド(Anne Stine Ingstad)が発見した。コロンブスが北米に上陸する以前の年代にバイキングが持ち込んだとされる鉄釘を、イングスタッド夫妻が発見し、これによりコロンブスの「新大陸発見(西洋人視点)」説は覆った。

スカン・グアイ(アンソニー島)
カナダのブリティッシュコロンビア州西部に位置し、クイーンシャーロット諸島内、グアイ・ハアナス国立公園の最南端にある無人島である。

リドー運河
リドー運河は、北米で最も古くから使われている運河で、1832年に開通して以来、現在でも使われている。

ナハニ国立公園
公園内には、標高2,972メートルのマッキンジー山を含む。ナハニ国立公園の中心部は、サウスナハニ川流域である。

州立恐竜公園
公園は際立って「バッドランド」と呼ばれる荒涼とした地形のレッド・ディア川(Red Deer River)渓谷に位置するが、何よりも世界最大級の恐竜化石層があることで知られている。39もの恐竜の種がここで発見され、500以上の標本が世界中の博物館に移送・展示されている。

ヘッド-スマッシュト-イン・バッファロー・ジャンプ
カルガリーの南約150km、アルバータ州のポーキュパイン・ヒルにある。実際には崖である。崖の幅は300mに渡り、高さは約18m。崖の下には、バッファローの骨が、多いところでは約11m以上も堆積している。

ウッド・バッファロー国立公園
Wood Buffalo National Park、略称:WBNP)は、カナダのアルバータ州北東部とノースウエスト準州の南部にまたがってある国立公園で、面積は44,807 km2とカナダ国内最大である。世界で最も規模の大きいシンリンバイソン(アメリカバイソンの亜種で北部のエリアに生息する)の群れが存在し、これを保護するために1922年に国立公園が設立された。

カナディアン・ロッキー山脈公園群
Canadian Rocky Mountain Parks)は、カナダにあるユネスコの世界遺産に登録されている物件。以下の4つの国立公園と3つの州立公園によって構成されている。3,000メートル級の山々がいだく氷河、美しい氷河湖、滝、峡谷、鍾乳洞、化石などの今なお残る手つかずの自然が評価されて1984年に登録された。

ケベック/歴史地区
ケベック州の州都ケベック・シティーにある旧市街のエリアで、北米唯一の城壁都市として知られ、北米でも長い歴史を持つ。

グロス・モーン国立公園
Gros Morne National Park)はカナダの大西洋側のニューファンドランド島にある国立公園で、プレートテクトニクスなど地球科学の歴史が見られること、および風景が非常に美しいことから、ユネスコ世界遺産(自然遺産)に登録された。

ルーネンバーグ旧市街
ルーネンバーグは1753年に建てられた都市で、その名前はイギリス国王ジョージ2世にちなんでいる。かつては、重要な海港や造船所として栄えたが、現在の町は中小企業や、ハイ・ライナー・フーズ(High Liner Foods)のような工場が多く存在している。ハイ・ライナー・フーズはかつてカナダ最大級の魚加工業者であった。

ミグアシャ公園
カナダ・ケベック州にある自然保護区である。この公園はデボン紀の化石、特に魚類から四肢動物への進化を考える上で重要な化石が多く出土している点に特色があり、ユネスコの世界遺産にも登録されている。デボン紀の地層で世界遺産に登録されているのは、2008年時点ではここだけである。

ブライアン・アダムス
Bryan Adams OC, 1959年11月5日 - は、カナダオンタリオ州キングストン出身のミュージシャン・歌手、作曲家、作詞家。カメラマンとしても活動しており、雑誌などでその腕前を披露している。

ダン・エイクロイド
Dan Aykroyd、1952年7月1日 - は、カナダ出身のコメディアン、俳優、脚本家、ミュージシャン。左利き。カナダの首都オタワに生まれ、ケベックで育つ。 オタワのカールトン大学で社会学と犯罪学を学ぶが中退。コメディ劇団「セカンド・シティ・ワークショップ」のトロント支部に在籍、同劇団のシカゴ本部に在籍していたジョン・ベルーシと知り合い、親友となる。

マーガレット・アトウッド
Margaret Atwood、1939年11月18日 - はカナダの女流作家。アメリカの女性作家にも強い影響力を持ち、その作品は世界15カ国以上で翻訳され、カナダ国内のみならずヨーロッパなどでも数々の文学賞を受賞。1939年にオタワに生まれ、トロント大学、ラドクリフ・カレッジ、ハーヴァード大学大学院などで英文学を学んだ後、カナダ各地の大学で教鞭をとる。21歳の時に処女詩集『サークル・ゲーム』でデビューし、カナダ総督文学賞を受賞した。

ジョン・チャールズ・フィールズ
John Charles Fields, 1863年5月14日-1932年8月9日は、カナダ出身の数学者。数学のノーベル賞とも呼ばれるフィールズ賞の提唱者として知られる。フィールズ賞は1932年、チューリヒで開催された国際数学者会議で制定され、1936年に彼が残した遺産を基金として設立された。

ノーマン・ベチューン
Henry Norman Bethune、白求恩、1890年3月4日 - 1939年11月12日はカナダ人の医師。カナダ共産党員であり、延安に渡って医療活動に従事した。1914年に第一次世界大戦が勃発、衛生兵として出征した。そこで彼は銃弾に傷ついた多くの兵士を治療した。1916年大学を卒業し医師となると、デトロイトに移住、診療所を開設した。そこで多くの労働者が結核を患い、しかもその治療をすることさえ出来ずに多数死んでいくのを目の当たりにし、患者たちを無料で治療するようになった。次々とやってくる患者を前にベチューンは医師としての限界を思い始める。いくら患者を治療しても貧困の中にあれば結核は容易に蔓延し、人々の命を奪っていく。結核を根絶するには医療活動ではなくて貧困を撲滅しなければいけないと考え始めるようになった。

トミー・ダグラス
(Thomas Clement “Tommy” Douglas、1904年10月20日 − 1986年2月24日)は、カナダの政治家。1944年から1961年までサスカチュワン州において、北米では初の社会主義者の知事として、カナダの建国史上初めて、包括的公衆医療制度を取り入れた人物として知られ、「カナダの医療の父」として国民から高い尊敬を得ている。知事を退任した後は、1961年から1971年まで、新民主党の党首を務めた。スコットランドのパルカークで生まれる。1910年に家族でカナダへ移民し、ウィニペグに定住した。幼少期に、足に怪我を負った事が原因で骨髄炎に患い、切断も免れないといった状況にまで追い込まれた際に、とある外科医から、ダグラスの病気を研究材料として学生達を手術に立ち会わせる事を条件に、無料で治療を受ける事ができたという経験があった。

ウイリアム・オスラー
(William Osler, 1849年7月12日 - 1919年12月29日)は、カナダ、オンタリオ州生まれの医学者、内科医。オスラーは初め、トロント大学で聖職者を目指したが、のちに自然科学に対して強い関心を抱くようになり、医学へ転向した。トロント大学医学部に入学後マギル大学医学部に転学し、卒業後、英国・ドイツ・オーストリアなどへの留学中にきわめて広範な研究を行い、後の経歴の基礎を築いた。

チャールズ・テイラー
(Charles Taylor, 1931年11月5日 - )は、カナダの政治哲学者。モントリオール出身。1952年にカナダの名門マギル大学を卒業(歴史専攻)、同年オックスフォード大学のローズ奨学生(Rhodes Scholar)となり、哲学、政治学および経済学を研究、1961年に哲学博士となった。オックスフォード大学留学時代、1957年にE・P・トムソンらと『大学および左翼評論』誌を創刊し、英国の新左翼運動にも参画した。同誌は1960年にA・マッキンタイアらの『ニューズ・リーズナー』と合併して『ニューレフトレビュー』と改題されている。

ブライアン・グッドウィン
(Brian Goodwin、1931年 - 2009年7月15日)は、カナダのケベック州モントリオール出身の生物学者、数学者。マギル大学で生物学を学び卒業後、ローズ奨学制度によりイギリスのオックスフォード大学の大学院へと数学を学ぶために留学した。エジンバラ大学においては博士号を習得している。その後はオックスフォード大学、サセックス大学、オープン大学、 シューマッハーカレッジなどのイギリス各地の大学で教鞭をとった。

ピエール・トルドー
(Pierre Elliott Trudeau、1919年10月18日 - 2000年9月28日)はカナダの政治家。第20・22代首相を務めた。カナダ史上初めての20世紀生まれの首相である。国家としてのアイデンティティーを明確にし、多文化主義や途上国援助などでカナダの再構築に大きな貢献をした。1971年には「多文化主義宣言」を行い、公用語を英仏二カ国語とするなど、現在の多文化国家カナダの原型を作り上げた。

ジョルジュ・サンピエール
(Georges St-Pierre、男性、1981年5月19日 - )は、カナダの総合格闘家。フランス系カナダ人。ケベック州サンティジドール出身。トリスタージム/ジャクソンズMMA所属。名前の頭文字をとってGSPとも呼ばれる。現UFC世界ウェルター級王者。治安の悪い街サンティジドールに生まれ、幼い頃はイジメに遭ったり、小遣いや服を盗まれたりした。護身のために7歳の時に極真空手を学び始めた。空手の先生が死去した後、ブラジリアン柔術、ボクシング、レスリングなど様々な武術を学んだ。

ヘンリー・ケルシー
Henry Kelsey、1667年ごろ - 1724年は、イギリスの毛皮商、探検家、船乗り。ザ・ボーイ・ケルシーという異名を持つ。ハドソン湾会社の確立に重要な役割を果たした。1690年から1691年にかけてクリー族と共にハドソン湾からサスカチュワン川を遡り、現在のマニトバ州北部を探検した。今でも現在のアルバータ州とサスカチュワン州に最初に足を踏み入れたヨーロッパ人と言われている。また、プレーリー、大きなバッファローの群れ、グリズリー、グレートプレーンズに暮らす多くの先住民族などを見た最初のヨーロッパ人としても知られている。

リチャード・E・テイラー
(Richard Edward Taylor , 1929年11月2日)はカナダ生まれのアメリカ合衆国で活躍した物理学者である。1990年、ヘンリー・ケンドール 、ジェローム・アイザック・フリードマンとノーベル物理学賞を受賞した。

ウェイン・グレツキー
(Wayne Douglas Gretzky、1961年1月26日 - )はカナダのオンタリオ州、ブラントフォード生れの元プロアイスホッケー選手である。引退後はNHLフェニックス・コヨーテズの共同経営者兼ヘッドコーチを務める。多くのホッケーファンから、史上最も優れたホッケー選手と認められている。グレツキーは父親ウォルターの指導もあって幼少時からアイスホッケーにおける卓越した才能を開花させ、6歳の時にはもう10歳の選手に混じって活躍するほどであった。また10歳の時に、85試合378ゴールの記録を残しており、当時の『トロントテレグラム』紙(後の『トロント・サン』)にはグレツキーを紹介する記事が掲載された。

マイケル・スリプチュク
Michael Slipchuk、1966年3月19日 - は、カナダエドモントン出身の男性フィギュアスケート選手。アルベールビルオリンピックカナダ代表。1987年のカナダフィギュアスケート選手権で3位になって以来、同大会で1989年に2位、1990年と1991年に3位、1992年に念願の優勝を果たし、過去5回表彰台に上る。初の五輪である1992年のアルベールビルオリンピックで9位になる。

ジン・キニスキー
Gene Kiniski、1928年11月23日 - 2010年4月14日はカナダの元プロレスラー。本名はユージン・ニコラス・キニスキー(Eugene Nicholas Kiniski)。アルバータ州エドモントン出身のポーランド系カナダ人である。日本での異名は「荒法師」。1961年7月7日、セントポールでバーン・ガニアを破り第3代AWA世界ヘビー級王者となり、1965年8月21日にはインディアナポリスでディック・ザ・ブルーザーを下しWWA世界ヘビー級王座も獲得した。1967年には王者として日本プロレスに登場、ジャイアント馬場のインターナショナル・ヘビー級王座に挑戦(NWA王座は懸けていない)。

リサ・カント
(Lisa Cant[1]、1984年12月28日 - )は、カナダのファッションモデル。アルバータ州エドモントン出身。カルガリーのImages Models、トロントのSutherland Models、ニューヨークのTrump Modelsに所属している。髪はブルネット、目はブルーという人形を彷彿とさせる顔立ちで、ヘザー・マークス、ジェシカ・スタム、リリー・コール、ジェマ・ウォード、デヴォン青木などと比較されることがある。

マイケル・J・フォックス
(Michael J. Fox, 1961年6月9日 - )は、カナダ・アルバータ州・エドモントン生まれの俳優。本名はマイケル・アンドリュー・フォックス。身長163cm。18歳でアメリカへ渡り、4年後、主役のアレックス・キートンを演じたテレビドラマシリーズ『ファミリータイズ』のヒットにより一躍全米に顔が知れ渡る。その後ハリウッドにも進出し、バック・トゥ・ザ・フューチャーシリーズの主人公マーティを演じる。同シリーズの大ヒットによりハリウッドのトップスターの仲間入りを果たした。

アーサー・ヒラー
(Arthur Hiller、O.C.、1923年11月22日 - )はカナダの映画監督。『ある愛の詩』で第43回アカデミー賞監督賞のノミネートを受けた。アルバータ州エドモントン生まれ。1947年に心理学の文学士号をもってトロント大学を卒業、1950年に文学修士号を取得。また、1995年には名誉法学博士号が授与されている。1993年から1997年まで映画芸術科学アカデミー会長をつとめた。第74回アカデミー賞で人道主義的な活動、慈善事業への尽力が評価されてジーン・ハーショルト友愛賞を受賞。

ゴードン・R・ディクスン
(Gordon Rupert Dickson、1923年11月1日 - 2001年1月31日)は、カナダ生まれのアメリカ人SF作家、ファンタジー作家。カナダのアルバータ州エドモントンに生まれ、13歳の時に米国に移住。1943年から1946年まで陸軍に勤務。除隊後、ミネソタ大学卒業。以降、60冊以上の長篇と、多数の中短篇を発表し、ヒューゴー賞、ネビュラ賞など各種の賞を受賞した。


マーシャル・マクルーハン
(Herbert Marshall McLuhan, 1911年7月21日 - 1980年12月31日)はカナダ出身の英文学者、文明批評家。メディアに関する理論で知られる。「メディアはメッセージである」という主張。普通、メディアとは「媒体」を表すが、その時私たちはメディアによる情報伝達の内容に注目する。しかし、彼はメディアそれ自体がある種のメッセージ(情報、命令のような)を既に含んでいると主張した。他にも、「ホット」と「クール」なメディアという分類や、「メディアはメッセージである」というテレビメディア論、グローバルヴィレッジ(地球村)のような分析・視点など、実に様々な理論を展開している。


アンナ・パキン
(Anna Helene Paquin、1982年7月24日 - )は、カナダ生まれのニュージーランドの女優。「アナ・パキン」とも表記される。姉の友人から映画のオーディションを勧められ、5000人の中から選ばれ[2]11歳で映画初出演したジェーン・カンピオンの『ピアノ・レッスン』(1993年公開)でアカデミー助演女優賞を受賞する。

アンディ・バスゲイト
(Andrew James Bathgate、1932年8月28日 - )はカナダマニトバ州ウィニペグ生まれのプロ・アイスホッケー選手である。ポジションは右ウイングである。バスゲイトはNHLのニューヨーク・レンジャースなどで人気の高い花形選手として活躍したほか、NHL と WHL (Western Hockey League) の双方で最優秀選手賞を獲得したことでも知られる。バスゲイトは、1978年にホッケーの殿堂入りを果している。

クララ・ヒューズ
(Clara Hughes、1972年9月27日 - )は、カナダ、ウィニペグ出身の女子スピードスケート選手及び同自転車競技選手。夏冬合わせて6度のオリンピック出場を果たし、また、合わせて通算6個のメダルを獲得。2007年及び2010年、カナダ勲章を受章。また2010年のバンクーバーオリンピック開会式では、カナダ選手団の旗手を務めた。

ガブリエル・ロワ
Gabrielle Roy、CC、FRSC、1909年3月22日 − 1983年7月13日は、カナダの小説家。フランス系カナダ人。処女作である『かりそめの幸福』(仏: "Bonheur d'occasion", 英: "The Tin Flute", 1945年)は、モントリオールの労働者階級の多い地区であるサン・アンリ(Saint-Henri)に住む貧しいフランス系の人々を写実的に描写した内容であり、多くのケベック人に自分たち自身を厳しく振り返らせる機会を与え、1960年代にケベックで起こった「静かな革命」(ケベック人意識の高揚、公教育の拡充と教育の世俗化、福祉国家建設と経済改革などの一連の激しい運動)の基礎となったと評価されている。

アルバート・バンデューラ
(Albert Bandura 1925年12月4日 - )は、自己効力感や社会的学習理論で知られるカナダ人心理学者。1950年代後半、当時優勢であった行動主義学習理論の中で、社会的学習理論(モデリングによる学習)を提唱したことでも知られる。従来の学習理論が、学習する個体(人間や動物)自身の経験を前提としていたのに対し、学習が他の個体の行動を観察することによっても成り立つことを実証し、新たな理論づけを行った。

古歩道ベンジャミン
旧名:ベンジャミン・フルフォード/Benjamin Fulford, 1961年 - )はカナダ出身のジャーナリスト。外交官の家庭に生まれ、若くして来日。上智大学比較文化学科を経て、カナダのブリティッシュコロンビア大学を卒業。 『日経ウィークリー』記者、米経済紙『フォーブス』の元アジア太平洋支局長の職を経験。日本経済は、「政、官、業」が「鉄の三角形」を組んだ「日本株式会社」「護送船団方式」と呼ばれるシステムで機能してきたが、バブル経済期以降はこれにヤクザ(暴力団)が加わり、「政、官、業、ヤクザ(暴)」の「鉄の四角形」へと変わった。これが90年代以降の日本の不況の最も大きな要因である、とする。

シャナイア・トゥエイン
Shania Twain、1965年8月28日 - は、カナダ オンタリオ州出身のカントリー歌手。サードアルバム『Come On Over』はカントリージャンルのアルバムとして、また女性アーティストのアルバムとしても最高の売り上げを記録した。5つのグラミー賞を受賞するなど評価も高い。実母と先住民族オジブワ族の義父のもとで他の異父弟妹3人と共に育てられる。経済的に貧しい生活だったが、母親のサポートにより音楽的才能が見出され、地元のレストランやバーなどでの演奏で家計を助けるようになる。

ヘンリー・タウベ
(Henry Taube, 1915年11月30日 − 2005年11月16日)はカナダ生まれのアメリカの化学者。カナダ王立協会フェロー。1983年、金属錯体の電子移動反応機構の解明によりノーベル化学賞を受賞した。彼がノーベル賞を受賞した研究は、ある分子が他の分子から電子を奪い取る、「酸化還元反応」と呼ばれる研究であった。酸化還元反応は植物の光合成、動物の呼吸や、燃焼など様々な場面で起こる。彼の研究は特に、金属原子を配位子が配位した錯体に関するものだった。息子の一人、カール・タウベはカリフォルニア大学リバーサイド校の考古学教授で、有名なマヤ文明研究者である。

ヤン・マーテル
(Yann Martel, 1963年6月25日 - )はカナダの小説家。生まれたのはスペインのサラマンカだが、父親が外交官だったために世界中を転々として育つ。大人になってからもインドやイランなどを放浪する。その後カナダのトレント大学で哲学を学び、27歳から作家として活動するようになる。太平洋上で遭難したインド人少年のサバイバルを描いた「パイの物語」はベストセラーとなり、2002年にブッカー賞を受賞した。

レナード・コーエン
Leonard Norman Cohen、1934年9月21日 - カナダの詩人、小説家、シンガーソングライター。日本では主にシンガーソングライターとして知られ、熱心なファンも多い。70歳を超える現在もアルバムをリリースするなど精力的に活動中。1951年、マギル大学に入学し詩人としてのキャリアを積む。1956年、在学中に最初の詩集 Let Us Compare Mythologies (「神話を生きる」と題されて日本でも出版された)を出版する。

マレイ・アダスキン
(Murray Adaskin、1906年3月28日 - 2002年5月6日)は、カナダの作曲家、ヴァイオリニスト。トロント出身。両親はラトビアから移住したユダヤ人だった。トロント音楽院でヴァイオリンを学んだ。無声映画の伴奏の仕事をした後、1923年から1936年までトロント交響楽団のヴァイオリニストとなった。38歳の時からジョン・ワインツワイグに作曲を学び、さらにダリウス・ミヨーに師事した。

レーモンド・マリー・シェーファー
(Raymond Murray Schafer, 1933年7月18日 - )は、カナダを代表する現代音楽の作曲家。サウンドスケープの提唱者。日本ではサントリー音楽財団の委嘱時に「マリー・シェーファー」と紹介されており、この呼び方が最も広まっている。作品はしばしばテープなどの電子音楽と組み合わせて作曲されている。日本では1983年の「東西の地平の音楽祭」で武満徹が紹介し、一躍注目された。

ナターシャ・ヘンストリッジ
(Natasha Henstridge、1974年8月15日 - )は、カナダ・ニューファンドランド島出身のモデル・女優。14歳で家を出てモデルとなり、パリに移り15歳でフランス版「コスモポリタン」の表紙を飾る。 モデルとしてのキャリアを極めたが、女優への転向を図る。映画デビュー作『スピーシーズ 種の起源』で鮮烈な悩殺演技を披露、“映画史上もっとも美しいエイリアン”と絶賛される。

ウィリアム・バフィン
(William Baffin, 1584年 - 1622年1月23日)は、イングランドの探検家・航海者。彼の前半生については何もわかっていないが、ロンドンで下層階級に生まれたこと、自身の勤勉さと不屈の精神で次第に頭角を現したことが推測されている。

ウィリアム・エドワード・パリー
Sir William Edward Parry, 1790年12月19日 - 1855年7月8日か9日)は、イギリス海軍少将で、北極の探検家。バースで医者の子として生まれた。13歳の時、コーンウォリス提督の旗艦に乗船。1810年から3年間、スヴァールバル諸島で捕鯨業の保護に従事。1818年、ジョン・ロス艦長の下で北極探検に出発。

ウィリアム・ギブスン
( William Ford Gibson , 1948年3月17日 - )は、アメリカ合衆国サウスカロライナ州コンウェイ生まれの小説家、SF作家。ベトナム戦争の際に、徴兵を拒否してカナダに移住し、しばらく路上生活を経験した後、ブリティッシュコロンビア大学英文科を卒業した。

マイケル・アイアンサイド
(Michael Ironside, 1950年2月12日 - )は、カナダのオンタリオ州トロント出身の俳優・プロデューサー・監督・脚本家である。悪役またはタフなヒーローを演じることが多い。1970年代後半まではカナダの規模の小さい劇団の舞台で収入を得たり、インディーズ系の映画に幾つか主演していたが、デヴィッド・クローネンバーグ監督のメジャー代表作ともいえる『スキャナーズ』の主人公が当たり役となり、続く『面会時間』での狂気の演技で注目されてからは、カナダからハリウッドに活躍の場を移した。

ジャック・ヴィルヌーヴ
(Jacques Joseph Charles Villeneuve, 1971年4月9日 - )は、カナダ出身のレーシングドライバー。 1995年のCARTシリーズチャンピオン、インディ500総合優勝、1997年のF1ワールドチャンピオン。一般的な愛称はJV。1971年4月9日、カナダはケベック州に生まれる。7歳の時、伝説的なF1レーサーである父ジル・ヴィルヌーヴと共にヨーロッパに渡り、11歳の時に父を事故で失った後も、家族と共に在住した。

ポール・オニール
(Paul O'Neill, 1928年 - )は、カナダの歴史学者、作家。ニューファンドランド島の歴史に関する多くの書籍を出版した。1949年、オニールはアメリカ合衆国とイギリスで俳優として活動を開始したが、活躍の場はほとんどなく、1952年に俳優業から足を洗った。1954年、オニールはカナダ放送協会でプロデューサーとなり、様々なテレビ・ラジオ番組の製作に関与した

ティップ・オニール
(James Edward "Tip" O'Neill , 1858年5月25日 - 1915年12月31日)は、1880年代に活躍した、アメリカ・メジャーリーグの選手。主なポジションは左翼手。カナダ・オンタリオ州スプリングフィールド生まれ。右投げ右打ち。1887年に、メジャーリーグ史上2人目の三冠王となった選手。

セヴァン・カリス=スズキ
(Severn Cullis-Suzuki、1979年11月30日- )は、カナダの環境問題活動家、講演者、テレビホストで著述家。現代文学で博士号を取得したタラ・エリザベス・スズキと、著名なカナダの遺伝学者で環境問題活動家のデヴィッド・スズキ(生物学で博士号取得)の娘として生まれる。カリスは、エコロジーと進化生物学で2002年エール大学で理学士の学位を取得している。彼女は、世界中で環境問題について講演活動を展開、聴取者に自らの価値観の転換と未来に何を残せるのか、またその上で自らの責任を全うすることを求めている。

エリック・ガニエ
(Eric Serge Gagne , 1976年1月7日 - )は、カナダ・ケベック州モントリオール出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。フランス系カナダ人。84試合連続セーブ成功記録を持つMLB史上屈指のリリーフ投手。2002年 - 2004年の3年間で158セーブ機会中152セーブ成功を記録し、2003年にはリリーフ投手ながらサイ・ヤング賞を受賞。メジャーを代表する抑え投手となったが、2005年頃から故障が相次ぎ、多くの球団を渡り歩きながらも、往時の輝きを取り戻せないまま2010年に引退した。

ケネス・ギルバート
Kenneth Gilbert, 1931年12月16日 - )は、カナダ出身のチェンバロ奏者・音楽教師。ケベック州モントリオール生まれ。ケネス・ギルバートは、ひたむきに古楽器演奏に献身しており、とりわけフランス・バロック音楽の権威として名高い。演奏には、歴史的な銘器を用いている。1968年にフランソワ・クープラン生誕300周年を記念して、クープラン作品の全曲演奏を敢行したほか、1969年にはクープラン作品の新たな出版譜を編纂した。

ディット・クラッパー
Aubrey Victor "Dit" Clapper、1907年2月9日- 1978年1月21日)はカナダオンタリオ州ニューマーケット (Newmarket) 生まれのプロ・アイスホッケー選手である。NHLでは通算20シーズンボストン・ブルーインズに在籍し、右ウイング及びディフェンスとして両ポジションでオールスター出場を果すなどの活躍をした。特例的に3年の待機期間を待たずして、1947年の引退したその日にホッケーの殿堂入りを果すとともに、その背番号5は、ブルーインズの永久欠番となった。

 

カナダ Canada
北アメリカ大陸北部に位置する連邦立憲君主制国家。首都はオタワ。イギリス連邦加盟国であり、英連邦王国の一国である。

首都はオタワ〔オンタリオ州〕。世界で2番目に大きい面積の国土をもつ。歴史的に先住民族が居住する中、外からやってきた英仏両国の植民地連合体として始まった。その後イギリスからの独立プロセスが1867年から始まり、様々な手続きと立法を経て1982年、主権国家となる。

オタワ
Ottawaは、カナダの首都。オンタリオ州東部に位置する地方行政区のひとつでもある。オタワ川を挟んで隣接するガティノーを含め連邦政府の行政機関が集中する行政都市である。首都としては、モンゴルのウランバートル、カザフスタンのアスタナに次いで、寒さの厳しい都市である。


オタワ・マクドナルド・カルティエ国際空港
Ottawa Macdonald-Cartier International Airportは、カナダの首都オタワにある国際空港。一般には略してオタワ国際空港と呼ばれる。連邦政府形成時代の貢献者であるカナダ初代首相、ジョン・A・マクドナルドと「連邦の父」と言われる政治家ジョルジュ・エティエンヌ・カルティエにちなんで名付けられた。

ビクトリア国際空港
Victoria International Airportとは、カナダのブリティッシュコロンビア州、ビクトリアにある国際空港。

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セントジョンズ国際空港
St. John's International Airportは、カナダ・ニューファンドランド・ラブラドール州・セントジョンズにある国際空港である。市街中心部から5.6km北西に位置する。

バンクーバー国際空港
Vancouver International Airportは、カナダ・ブリティッシュコロンビア州・バンクーバーの南に隣接する、リッチモンドにある国際空港。敷地はフレーザー川河口の中州 (Sea Island) にある。

ガンダー国際空港
Gander International Airportはカナダ・ニューファンドランド・ラブラドール州・ガンダーにある国際空港。現在はガンダー国際空港公団が運営している。カナダ空軍ガンダー基地との滑走路を共有しているが、運営上別組織である。

モントリオール・ピエール・エリオット・トルドー国際空港
Pierre Elliott Trudeau International Airport、は、カナダ・ケベック州のモントリオールにある国際空港。エア・カナダの本拠地。

モントリオール・ミラベル国際空港
Montreal-Mirabel International Airport、は、カナダ・ケベック州のモントリオールにある国際空港である。

フレデリクトン国際空港
Fredericton International Airport、は、カナダのニューブランズウィック州の州都フレデリクトン近郊にある国際空港。

ハリファックス・ロバート・L・スタンフィールド国際空港
Halifax Robert L. Stanfield International Airportは、カナダノバスコシア州ハリファックス近郊にある国際空港。ハリファックス国際空港とも呼ばれる。

エドモントン国際空港
Edmonton International Airportはカナダの中では5番目、アルバータ州の中で2番目に利用者が多い国際空港である。

ウィニペグ国際空港
Winnipeg James Armstrong Richardson International Airportは、カナダ・マニトバ州ウィニペグにある国際空港。単にウィニペグ国際空港(Winnipeg International Airport)と呼ばれることが多い。

エリック・ニールセン・ホワイトホース国際空港
Erik Nielsen Whitehorse International Airportはカナダ・ユーコン準州の州都ホワイトホースにある国際空港。ユーコン準州政府が運営している。

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カルガリー国際空港
(Calgary International Airport)は、カナダ・アルバータ州最大の都市であるカルガリーにある国際空港。同空港は、カナダ国内では4番目に利用客の多い空港であり、バンクーバー国際空港と並んで西部カナダの重要な拠点空港である。


ハミルトン・ジョン・C・マンロ国際空港
Hamilton John C. Munro International Airportはカナダのオンタリオ州南西部に位置するハミルトンにある国際空港である。単にジョン・C・マンロ国際空港またはハミルトン国際空港とも呼ぶ。ハミルトン市街地から約11km南西に位置する。

トロント・ピアソン国際空港
Toronto Pearson International Airportは、カナダのオンタリオ州の都市トロント市とミシサガ市の境に位置する。同空港はカナダ国内で最大の国際空港である。

イエローナイフ空港
(Yellowknife Airport)はカナダ・ノースウェスト準州の準州都イエローナイフにある空港。ノースウェスト準州政府が運営している。 IATA空港コードはYZF。

サスカトゥーン・ジョン・G・ディーフェンベーカー国際空港
Saskatoon John G. Deifenbaker International Airportは、カナダのサスカチュワン州最大の都市サスカトゥーンに位置する空港。


モントリオール地下鉄
Montreal Metro、は、モントリオール(カナダケベック州)の地下鉄。ゴム車輪式を採用している。1966年10月に開業。現在、4路線、68駅で営業中であり、北中米の地下鉄としてはニューヨーク地下鉄、メキシコシティ地下鉄に次ぐ利用客数を誇る。

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カナディアン・ナショナル鉄道
Canadian National Railway、CNは、収入、経営規模ともにカナダ国内最大の鉄道会社で、カナダで唯一の大陸横断鉄道である。その路線は大西洋に面したノバスコシア州から、太平洋に面したブリティッシュコロンビア州へ、また五大湖からアメリカ中央部をミシシッピ川に沿って南下し、メキシコ湾に達している。

カナダ太平洋鉄道
Canadian Pacific Railway、略称CPR)は、カナダの鉄道事業会社。バンクーバーからモントリオールまでの鉄道網を運営している。ミネアポリス、シカゴやニューヨークなど一部アメリカの都市へも運行している。本社はアルバータ州のカルガリー。1881年創業。1968年から1996年は「CP Rail」として呼ばれた。


VIA鉄道
カナダ国内の都市間旅客鉄道サービスを提供する国営企業である。
VIA鉄道は、大西洋沿岸から太平洋沿岸までの大陸横断鉄道と、五大湖からハドソン湾との間を含む、カナダ国内の(ニューファンドランド・ラブラドール州およびプリンス・エドワード・アイランドを除いた)8州に及ぶ鉄道網上の旅客列車を運行させている。年間約400万人の乗客量となっている。


トロント
Torontoは、カナダ最大の都市で、オンタリオ州の州都である。オンタリオ湖岸の北西に位置し、2006年統計で人口およそ250万人。北米有数の世界都市であり、2010年の都市圏人口は590万人と北アメリカではニューヨーク、ロサンゼルス、シカゴに次ぐ4番目の大都市である。

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トロント交響楽団
Toronto Symphony Orchestra は、カナダのトロントを本拠地とするオーケストラの一つ。例年20万人の集客を誇り、しばしば生演奏がCBC放送を通じて放送されている。1922年に設立された。RCAやフィンランディアなどのレコード会社や、CBCの自主レーベルに録音を残してきた。

モントリオール交響楽団
略称OSMはケベック州モントリオールを拠点とするカナダのオーケストラである。この名称の音楽団体は、1897年や1930年にも設立されているが、現在の団体とは直接的な関連はない。現在の団体は、ウィルフリード・ペルティエ(Wilfrid Pelletier)により1935年に結成された「交響楽団」(Les Concerts Symphoniques)にさかのぼり、1954年から現在の楽団名に改名された。1960年代にモントリオールの慈善事業家ジョン・ウィルソン・マッコネルより、コンサートマスターのために1727年製のストラディヴァリウスが寄贈されている。


トロント大学
University of Toronto又はU of Tは、オンタリオ州、トロントに本部を置くカナダの州立大学である。1850年に設置された。 創立は、1827年のキングスカレッジに至る。カナダ屈指の名門大学で、世界的にも評価が高い大学である。主要キャンパスはダウンタウン地区のクイーンズ公園周辺に位置する。

モントリオール大学
University of Montrealは、ケベック州・モントリオール市内にある大学。学生数は5万5,000人近くいる。仏語の大学としてはフランスのパリ大学についで世界2番目の規模を誇る。

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コンコルディア大学
Concordia Universityは、ケベック州、モントリオールに本部を置くカナダの公立大学である。1974年に設置された。同じモントリオール市内にあるマギル大学と同じく、授業は公用語の仏語ではなく英語で行われる。学生数はおよそ4万人以上に上り、カナダで6番目の規模となっている。


ビクトリア大学
University of Victoria、通称:UVicは、カナダ、ブリティッシュ・コロンビア州の州都ビクトリアにある総合大学である。学生数約19,000人。バンクーバー島の南端、人口約33万人の海に囲まれた都市ビクトリアに位置し、年間を通じた温暖な気候と公園のような美しいキャンパスで有名。


アルバータ大学
University of Albertaは、カナダ・アルバータ州の州都エドモントンにある州立の総合大学(州立大学は日本の国立大学に相当)。カナダの5大大学の一つで学生数は37,000人を超え、世界約133カ国から2,500人もの留学生を受け入れている。

マニトバ大学
University of Manitobaは、カナダ・マニトバ州のウィニペグにある大学。1877年創立。西部カナダでは一番歴史の古い大学で、歯学部、医学部、建築学部はカナダでもトップクラスを誇る。

ウィニペグ大学
ウィニペグ市の中心部にある大学として、ウィニペグ大学は市の発展に重要な役割を果たしている。 コンサートホール、ギャラリー、リクリエーション施設、学生運営のカフェなどが市民に利用されている。大学のシンボルともいえる、正面にそびえるお城のような校舎は、ウェズリーホール(Wesley Hall)と呼ばれ、1895年に建てられた。 国の歴史的建造物に指定されている。

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ノバスコシア美術デザイン大学
Nova Scotia College of Art and Design University (NSCAD University)は、ノバスコシア州ハリファックスに本部を置くカナダの公立大学である。1887年に設置された。カナダの三大美術大学の中の一つ。通称ナスカド大学、創設者はミュージカル『王様と私』のモデルとなったイギリス人教師アンナ・レオノウェンズ。100年以上の歴史を持つカナダで最も古い大学の一つ。

マックマスター大学
McMaster University、通称:Macは、カナダのオンタリオ州・ハミルトンにある大学。フルタイムの学生が1万8,238人、パートタイムが3,836人(2006年現在)。伝統的に医学と工学に強い大学として知られる。


マギル大学
McGill Universityは、ケベック州、モントリオールに本部を置くカナダの公立大学である。1829年に設置された。1821年、イギリス人毛皮商であったジェームス・マギルの資金寄付によりマギル・カレッジが創立される。カナダ最古の大学として知られており、カナダの高等教育に寄与した点は大きい。


ダルハウジー大学
Dalhousie Universityは、カナダ東海岸、ノバスコシア州(Nova Scotia)の州都ハリファックス(Halifax)にある歴史と伝統を誇る州立大学。カナダ東海岸方面の大学の中で一番の規模であり、メディカルプログラムや多数の政治家を輩出しているダルハウジーロースクール(英:Dalhousie Law School) など幅広いプログラムを提供している。

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ブリティッシュコロンビア大学
The University of British Columbia、略称:UBCはカナダブリティッシュコロンビア州のバンクーバー市西端とオカナガン地方のケロウナにある州立の研究総合大学。

サイモンフレーザー大学
SFU、Simon Fraser Universityは、カナダ・ブリティッシュコロンビア州、メトロバンクーバーに属するバーナービー市に本拠を置く大学。1965年に創設され、カナダ西海岸を開拓した探検家サイモン・フレーザー(Simon Fraser)に因み命名された。 環境学やビジネス、犯罪学/刑事法学の名門校である。

カルガリー大学
University of Calgaryは、カナダ・アルバータ州にある総合大学。学生数は約30,000人。またそれとは別に生涯教育プログラムを受講している学生が20,000人在籍している。


在日カナダ大使館
外務省:カナダ
在カナダ日本国大使館


ケベック州
カナダ東部の州の1つである。人口約778万人(2009年現在)[3]。カナダの州・準州の中で、面積はヌナブト準州に次いで第2位。人口はオンタリオ州に次いで第2位。州都はケベック・シティーだが、州最大の都市はモントリオール。

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モントリオール
Montreal)は、カナダの東部、ケベック州の都市である。ケベック州最大の都市であり、カナダ全体でもオンタリオ州トロントに次ぐ第2の都市である。大都市圏の人口約370万人は北米で15番目、世界第77位の規模。


カルガリー
Calgaryは、カナダのアルバータ州最大の都市。同国有数の世界都市であり、アルバータ州の南部、カナディアンロッキー山麓から東におよそ80kmの高原地帯に位置する。カルガリーの経済活動は石油産業を中心とするが、農業、観光業、ハイテク産業もまた都市の急速な発展に貢献している。

ケベック・シティー
Quebec City、2006年の調査では、ケベック・シティーの人口は491,142人(国内9位)で、大都市圏内では715,515人(国内7位)である。セントローレンス川が、ダイアモンド岬と、対岸のレヴィとに接近した地点で狭まっていることから、先住民アルゴンキン族の言葉で「川が狭くなっているところ」を意味する「ケベック」という名前になった。

ビクトリア
Victoriaは、カナダのブリティッシュコロンビア州の州都。同州南西部に大陸側とはジョージア海峡などをはさんで横たわるバンクーバー島の南端部にある。1700年代にヨーロッパ人が入植するまでは、先住民族の海岸サリシュ族の居住地域であった。

セントジョンズ
St. John'sはニューファンドランド・ラブラドール州の州都。人口9万9,512人。広域圏の人口は17万2,918人(2001年統計)。ニューファンドランド島の東南に突き出たアバロン半島の東端に位置する港町である。世界一霧の深い街としてギネス認定されている。

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フレデリクトン
City of Frederictonは、カナダのニューブランズウィック州の州都。文化と芸術、教育面において州内では重要な役割を担っており、ニューブランズウィック大学とセントトーマス大学の2つの大学がある。

ハリファックス
Halifax)はカナダ・ノバスコシア州の州都である。人口約35万9000人(2001年統計)で、カナダ大西洋岸地方最大の文化・経済の中心都市である。

セントジョン
Saint Johnは、ニューブランズウィック州最大の都市。ファンディ湾の北岸、セント・ジョン川の河口に位置する。ウィック州の健康保険を運営するアトランティック健康科学社、セント・ジョン地域病院などがある。また州政府機関の補助によって、1990年代に創業されたいくつかのコールセンターなどもある。

ハミルトン
City of Hamiltonは、カナダのオンタリオ州西部、トロントとナイアガラの滝の中間に位置する都市。地理的な重要性から重工業が発達し「製鉄の街(Steel City)」として知られている。ステルコ(Stelco)やドファスコ(Dofasco)などの大手鉄鋼メーカーが本社を構える。

ハートランド
Town of Hartland)は、カナダのニューブランズウィック州中西部、セントジョン川岸にある町。カールトン郡内では農業の中心を担っている。町は世界で一番長い屋根付き橋「ハートランド橋」があるため、観光地として知られる。

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サスカトゥーン
Saskatoon、は、カナダのサスカチュワン州中央部に位置する都市。サウスサスカチュワン川が市内を流れている。州都レジャイナの人口を抜いて、1980年代中頃より、州内最大の都市である。7つの橋が川にかかっているためから「橋の街」(City of Bridges)または「プレーリーのパリ」(The Paris of the Prairies)と呼ばれる。

ディエップ
City of Dieppeは、カナダのニューブランズウィック州南東部を流れるペティコーディアック川に面している。モンクトンの郊外、グレーター・モンクトン・エリアの一部を形成している。ベッドタウンとして急速に成長しており、ディエップ産業パークには大小の企業が多く入っている。ディエップ市内の開発も進められている。

エドモントン
Edmonton、は、カナダのアルバータ州の州都である。肥沃な農業地帯が広がるプレーリーに位置し、ノースサスカチュワン川が周辺地域の中心を流れている。カナダの州都としてはトロントに続き、第2位の人口規模をもち、文化や行政、教育が盛んな地域でもある。

プリンス・アルバート
Prince Albertは、カナダのサスカチュワン州の都市。州中央部のサスカチュワン川沿いに位置する。サスカトゥーン、州都レジャイナに次ぐ州内第3の都市である。名前はイギリスのヴィクトリア女王の夫アルバート公にちなむ。

レジャイナ
Reginaはサスカチュワン州の州都。カナダ西部の広大なプレーリー(大平原)地帯の中央に位置し、その土地は肥沃で穀物生産が盛ん。

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ウィンザー
Windsorは北米大陸カナダ・オンタリオ州南西部のエセックス郡にある都市。別名「バラの市」とも呼ばれる。デトロイト川をはさんですぐ北側はアメリカ合衆国ミシガン州デトロイト市になる。

ウィニペグ
Winnipegは、カナダ・マニトバ州南部の町。東部カナダと西部カナダを結ぶ起点であり、地理的な重要性から交易の場として栄えた。マニトバ州の半分以上の人口がウィニペグに在住している。もともとはネイティヴアメリカンが住み、カヌーを移動手段として狩猟採集による生活をしていたが、1738年に初めて交易所がフランス系の会社によって建設されると、それ以降多くの民族が移住してきた。

バンクーバー
Vancouverは、カナダのブリティッシュコロンビア州南西部に位置する同州最大の港湾都市である。バンクーバーを中心とする都市圏人口は210万人とカナダ国内第3位の都市圏を形成している。

シャーロットタウン
Charlottetownは、カナダのプリンスエドワードアイランド州の州都である。ルイブール要塞から来たフランス人兵士が1720年に現在のシャーロットタウンの対岸にある湾の南西に入植したのが町の始まりである。シャーロットタウンはカナダ国内の大西洋沿岸から中央部ほか、アメリカの北東部から多くの観光客を惹きつける東部カナダの人気観光地の1つ。

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イエローナイフ
Yellowknife、は、カナダのノースウエスト準州の州都である。北極圏からはおよそ400km南に位置し、グレートスレーブ湖畔の北にある。また、オーロラベルトのほぼ真下に位置しているため、年間を通してオーロラの出現率が高いことで知られる。1978年1月24日にソ連軍事衛星コスモス954号が大気圏に突入し、グレートスレーブ湖から北西方向の広範囲に破片が落下した。原子炉搭載だったため放射能汚染が問題になり米加合同で破片の回収が行われた。


ホワイトホース
Whitehorseは、ユーコン準州の州都。人口2万2,898人(広域圏人口、2006年統計)であり、同準州人口の75%を占める。自然公園と美しい風景で有名であり、オーロラが見られることでも知られている。

イカルイト
Iqaluit、は、カナダのバフィン島南部、フロビッシャー湾の奥に位置する都市。旧称フロビッシャーベイ。同国ヌナブト準州の準州都である。人口は5,236人(2001年)。住民の約6割はイヌイットである。

チャーチル
Churchill)は、カナダのマニトバ州北部にある都市。人口923人(2006年)。ハドソン湾に面し、チャーチル川の河口に位置する。植生の面からは、南のタイガ林と北西のツンドラとの遷移地帯に位置している。ワプスク国立公園はチャーチルのすぐ南にある。チャーチルは、秋に内陸部から海岸へと移動する多くのホッキョクグマ(シロクマ)が周辺で見られることで非常に有名であり、そのことから「ホッキョクグマの首都」というニックネームを持つ。

リッチモンド
Richmondは、カナダのブリティッシュコロンビア州南西部に位置する都市である。メトロバンクーバーに属し、市内北部はバンクーバーと接している。バンクーバー国際空港があることでも知られる。リッチモンド市の主な雇用先にはサービス業、小売業、観光業、軽工業、空港サービス、航空、農業、漁業、官庁などがある。

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バンフ
Banff)はカナダのアルバータ州にある町。バンフ国立公園内にあり、カナディアン・ロッキー山脈観光の中心地である。カルガリーより126km西に位置し、レイク・ルイーズからは58km東にある。北緯51度10分41秒、西経115度34分19秒。面積は4.85km2である。

フォートマクマレー
Fort McMurray、は、カナダのアルバータ州北東部に位置するウッドバッファロー内の一地区である。以前は市制であったことからフォートマクマレー市としても知られるが、合併により現在は単独の一都市ではなくなっている。街は特にオイルサンド産業とオーロラ観光で知られている。


イヌヴィック
Inuvik)とはカナダのノースウエスト準州イヌヴィック地域にある町。現在の人口は3,450人(2004年)。マッケンジー川の下流近くにあり、北極圏の町として観光で訪れる人もいる。イヌヴィック地域の行政区役所が置かれている。


ニューブランズウィック州
New Brunswickは、カナダの州の一つ。カナダ東部、大西洋に面している。カナダの州の中では唯一、英語とフランス語が公用語のバイリンガルになっている州で、州民の64.8%が英語を、32.6%がフランス語を使用している。

ノバスコシア州
Nova Scotia、カナダ東部で大西洋に面している。ノバスコシアとはラテン語で「新たなるスコット人の国(New Scotland)」を意味する。この州はシグネクト地峡(Isthmus of Chignecto)で大陸と繋がり、三方を大西洋で囲まれている半島である。

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ブリティッシュコロンビア州
Province of British Columbia、は、カナダの州のひとつ。太平洋に面したカナダ最西部に位置する。州名は1858年に、英国のビクトリア女王によって命名された。名前は現在のカナダとアメリカを流れるコロンビア川付近の一帯に広がっていたコロンビア地区から由来する。

オンタリオ州
Province of Ontario、は、カナダの州の1つ。カナダの州の中では最も人口が多く、国全体の人口の約3分の1がこの州に集まっており、カナダの政治経済の中心となっている。ヨーロッパからの移民がやってくるまでは、この地域はアルゴンキン族、オジブワ族、クリー族(Cree)含む)、およびイロコワ族(ヒューロン族(Huron)含む)が住んでいた。

アルバータ州
Province of Alberta)は、カナダの州のひとつ。カナダ西部に位置し、プレーリー3州のひとつでもある。西にブリティッシュコロンビア州、東にサスカチュワン州、北はノースウエスト準州、南は北緯49度でアメリカの国境モンタナ州と接している。

サスカチュワン州
Saskatchewan)は、カナダの中西部に位置する州の1つ。サスカッチュワンとも表記される。北米大陸中央部の「プレーリー」に位置し、西はアルバータ州、東はマニトバ州、北はノースウェスト準州と接し、南は国境を隔ててアメリカのモンタナ州、ノースダコタ州と接する。 州都はレジャイナ、州最大の都市はサスカトゥーンである。

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マニトバ州
Manitoba)は、カナダの州の1つ。西はサスカチュワン州、東はオンタリオ州、北はヌナブト準州と接し、南は国境を隔ててアメリカのミネソタ州、ノースダコタ州と接する。北東部はハドソン湾に接する。カナダのプレーリー3州の一つ。

ニューブランズウィック州
New Brunswick、は、カナダの州の一つ。カナダ東部、大西洋に面している。アカディア人など仏語を母語とする住民が人口の約三割を占め、カナダで唯一公式に英語と仏語の2言語を公用語としている州である。州都はフレデリクトン。

プリンスエドワードアイランド州
Prince Edward Island, PEI、は、カナダの州の1つ。カナダの州の中では面積、人口共にもっとも小さい。この島には元々先住民族である「ミクマク族(Micmacs、Mi'kmaq)族」が暮らしており、島の名前を「アベグウェイト(波の上のゆりかごの意)」としていた。年間1万2000人をも上まわる日本人観光客の多くは赤毛のアンのファンの女性が多い。

ヌナブト準州
Nunavut、は、カナダの準州の一つ。1993年に連邦政府とイヌイットの間に締結されたヌナブト協定に基づき、1999年4月1日にイヌイットの自治準州としてノースウェスト準州の一部を分割して設立された。ヌナブトとはイヌクティトゥット語で「我々の土地」を意味する。

ノースウエスト準州
Northwest Territories、は、カナダの準州のひとつ。北西準州(ほくせいじゅんしゅう)とも表記される。マッケンジー川流域には、1万年前より先住民族であるデネ(Dene)族が居住していた。また約5000年前にはイヌイットはアジア大陸からベーリング海を渡ってこの地域へ移住してきた。ノースウエスト準州は、1870年にハドソン湾会社がカナダの連邦政府に広大な私有地「ルパート・ランド」とその他の「北西地域(North-Western Territory)」を譲渡し成立した。

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カナダ緑の党
Green Party of Canada、フランス語: Parti vert du Canadaはカナダの政党。グローバルグリーンズに加盟するカナダ連邦政治における緑の党である。創設は1983年。現在の党首はエリザベス・メイ(Elizabeth May)。環境問題を中心とし社会正義、草の根民主主義、非暴力活動などの主張を持つ。2011年5月に行われた総選挙で緑の党候補として初めて選挙でカナダ議会・下院に1議席確得した。


■国名
1982年憲法が制定される前には複数の名称が存在したが、現在は公用語の英語とフランス語の双方で「Canada」のみが公式名と定められている。建国時には国号はカナダ王国(Kingdom of Canada)とすることも検討されていた。初めて「Canada」の名が使われたのは1791年のことである。国名はセントローレンス川流域イロコイ族の「村落」を意味する語「カナタ」(kanata)に由来する。

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1.面積:998.5万平方キロメートル(世界第2位、日本の約27倍)
2.人口:約3,411万人(2011年加統計庁推計)
3.首都:オタワ
4.言語:英語、仏語が公用語
5.宗教:ローマン・カトリック教(加国民の約半分近く)

1867年 英領北アメリカ法によりカナダ連邦結成(自治が認められたが、外交権及び憲法改廃権は英国に帰属)
1926年 バルフォア宣言により、英国から外交権を獲得
1982年 1982年カナダ憲法により、英国から憲法改廃権を完全移管

■主要産業(カナダ統計局)金融・保険・不動産などのサービス業、製造業、建設業、鉱業

■主要貿易品目(2010年)(1)輸出 原油、乗用車、石油ガス、金(未加工)、飛行機その他の航空機、小麦・メスリン、菜種(2)輸入 原油、乗用車、医薬品(胃腸薬等)、輸送車両、金(未加工)、自動車部品、内燃機関、コンピューター・周辺機器


カナダドル
(Canadian dollar)とは、カナダの通貨である。記号は通常ドル記号「$」で示され、他のドル通貨と区別するために「C$」と記することもある。ISO 4217でのコードはCAD。1カナダドルは100セント。


■潮力発電
ここ数十年間、ファンディ湾に潮力発電の設備を建設しようという提案がなされてきている。これらの提案の主な内容は、湾内の小さな入り江を堰で仕切り、そこを通る水の力を発電に利用しようというものである。こうした設備のうちのひとつ(現在唯一稼働中のもの)であるアナポリス・ロイヤル発電所 (Annapolis Royal Generating Station) がノバスコシア州アナポリス・ロイヤルを流れるアナポリス川 (Annapolis River) に堰と18メガワットの発電所を有しているが、これ以上の規模の計画はさまざまな要因(環境問題を含む)により控えられている。

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北アメリカ大陸の北半分を占める。南および西はアメリカ合衆国と接する。東は大西洋、デイビス海峡、西は太平洋、北はボーフォート海、北極海に面する。

ファースト・ネーション(先住民)やイヌイットの言い伝えでは先住民たちは時の始まりからこの地に住んでいたとある。一方、考古学的研究では北部ユーコン準州に26,500年前、南部オンタリオ州には9,500年前に人類がいたことが示されている。


ドナルド・サザーランド
Donald Sutherland, 本名:Donald McNicol Sutherland OC, 1935年7月17日 − は、カナダ出身の俳優。スコットランド系。カナダ勲章受章者。トロント大学ビクトリアカレッジ卒業後に演技を学ぶためにイギリスに渡り、舞台で活躍。1963年に映画デビューした。

デイヴィッド・ロイド・ジョンストン
David Lloyd JohnstonCC、CMM、COM1941年6月28日生まれ-は、カナダの大学教授、作家、政治家である。彼は2010年10月1日に第28代カナダ総督となった。彼は2010年にスティーヴン・ハーパー首相に推薦されて、ミカエル・ジャンの後任としてカナダ女王エリザベス2世によって総督に任命された。

スティーヴン・ハーパー
The Right Honourable Stephen Harper,氏名 Stephen Joseph Harper, 1959年4月30日 - は、カナダの政治家。オンタリオ州トロント、アルバータ州カルガリー出身。2011年現在、第28代のカナダ首相(22人目)、カナダ保守党の党首を務める。2006年2月6日に、カナダ総督ミカエル・ジャンにより首相に指名された。庶民院議員でもあり、1993年から1997年はアルバータ州のカルガリー西選挙区から、2002年以降はカルガリー南西選挙区から選出されている。

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ジョン・A・マクドナルド
John Alexander Macdonald、本名:Sir John Alexander Macdonald、1815年1月11日- 1891年6月6日)は、カナダの初代および第3代首相。1815年1月11日、イギリス・スコットランドのグラスゴーで生まれる。イギリスの登記所には1月10日と記録されているが、家族は息子の出生日を祝福した。マクドナルドは19年間カナダの首相の地位にあり、現在史上2番目に長い任期の首相である。また6度の多数議会を得た首相は現在マクドナルドのみである。

ウィラード・ボイル
(Willard Boyle、1924年8月19日 - 2011年5月7日)は、カナダ生まれのアメリカの物理学者であり、電荷結合素子 (CCD) の共同発明者である。2009年ノーベル物理学賞を1/4共同受賞した。受賞理由は「撮像半導体回路(CCDセンサー)の発明」である。ノバスコシア州アマーストに生まれる。医者の息子であり、3歳のときに父と母のベアトリスとともにケベック州に引っ越した。

ラルフ・スタインマン
(Ralph M. Steinman, 1943年1月14日 - 2011年9月30日)は、カナダの免疫学者、細胞生物学者。カナダ・ケベック州モントリオールのアシュケナジム・ユダヤ人。カナダのマギル大学卒業後ハーバード大学医学部で医学博士号を取得。その後アメリカのロックフェラー大学に所属し、樹状細胞の研究に取り組んだ。「樹状細胞」という用語は、1973年にスタインマンとZanvil A.Cohnによって作られたものである。2007年に膵臓癌と診断され、彼自身が研究の対象としていた樹状細胞を使用した免疫療法を受けながら闘病生活を送っていた。

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ジェームズ・ネイスミス
James Naismith、1861年11月6日 - 1939年11月28日は、カナダ出身の体育教育者。スポーツを通しての青年育成と社会貢献に生涯取り組んだ。バスケットボールの考案者として有名である。1891年、この学校の体育学部長ルーサー・ギューリック(Luther Gulick)は授業で学生たちに屋内競技の考案を課題として与えた。これは冬季のニューイングランドで学生たちが体を動かせるようにと意図したものだった。ネイスミスが考え出した競技は、ボールを持ったまま走ってはならない、身体接触・衝突をしてはならない、競技者の頭上に水平のゴールを置く、競技者はいつでもボールを奪い、得点できる、という基本的なルールを持っていた。

ジャック・カルティエ
Jacques Cartier、1491年12月31日 − 1557年9月1日は、フランス・ブルターニュ地方サン・マロ出身のブルトン人探検家・北米への侵略者。セントローレンス湾とセントローレンス川岸にヨーロッパ出身者として初めて到達し、イロコイ族の言葉からその周辺の土地を「カナダ」と名付け記述したことで知られる。

L・M・モンゴメリ
Lucy Maud Montgomery、1874年11月30日 - 1942年4月24日はカナダの小説家である。『赤毛のアン』の作者であり、本作を第一作とする連作シリーズ「アン・ブックス」で良く知られている。島にあるさまざまな学校で教師を務めたあと、1898年に祖父を亡くし、未亡人となった祖母と暮らすためにキャベンディッシュに戻った。1901年と1902年の短期間、ハリファックスで新聞社のデイリー・エコー社に勤め、1902年に祖母の世話をするため、再びキャベンディッシュに戻った。ちょうどこの頃、すでに雑誌向けの短編作家としてキャリアを積ん

サミュエル・ド・シャンプラン
(Samuel de Champlain, 1567年または1570年 - 1635年12月25日)は17世紀フランスの地理学者、探検家および地図製作者。フランス王アンリ4世の意向に従い、ケベック植民地の基礎を築いた。「ヌーヴェル・フランスの父」と呼ばれる。セント・ローレンス川流域のケベック植民地(現ケベック)を築いた。1635年ケベックで死亡。

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ドゥニ・アルカン
(Denys Arcand,1941年6月25日 - )はカナダのケベック州出身の映画監督・脚本家。『モントリオールのジーザス』でカンヌ国際映画祭審査員賞を、『みなさん、さようなら』でアカデミー外国語映画賞、カンヌ国際映画祭脚本賞とセザール賞を受賞している。

ルイーズ・アルブール
(Louise Arbour、1947年2月10日 - )は、前国際連合人権高等弁務官(2004年 - 2008年)、前カナダ最高裁判所裁判官。ケベック州・モントリオール生まれ。国際連合人権高等弁務官在任中にモントリオールのLGBT人権国際会議においてオピニオンリーダーとして指導的な役割を果たし2006年7月29日に採択された「LGBT(レスビアン、ゲイ、バイセクシャル、トランスジェンダー)の人権に関するモントリオール宣言」の成立に貢献した。

ロジェ・ギルマン
(Roger Charles Louis Guillemin, 1924年1月11日 - )はフランス・ディジョン生まれの生理学者。1977年にノーベル生理学・医学賞を受賞。結婚して6人の子供がいるが、妻と5人の子供が音楽家または画家という芸術家一家であり、ギルマン本人も引退後はコンピュータを活用した芸術活動を行っている。道具づくりの父を持つ。1943年にディジョンの医科大学に入学し、ここの教授の教えを通して内分泌学に興味を持ったとされる。

セリーヌ・ディオン
(Celine Dion,1968年3月30日 - )は、カナダの女性歌手である。1990年代に英語圏でキャリアを始める以前、1980年代前半にフランス語圏のシンガーとして活動を開始した。音楽はポップス、ロック、ソウルの他に、ゴスペル、クラシックなど幅広いジャンルに影響されていて、ファンや評論家には彼女自身の声、歌詞の持つ本来の意味を歌い上げる能力などが高く評価されている。

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ジョン・カボット
John Cabot、1450年頃 - 1498年は中世の航海者。北アメリカ大陸の発見者として知られる。イタリア語読みではジョヴァンニ・カボート、英語読みではジョン・カボットとなる。1496年に国王ヘンリー7世の特許状を受けて、ブリストルを出航したものの失敗。翌年、息子のセバスチャン・カボットを伴って再び船団を率い、ヴァイキングの航路を辿ってカナダ東南岸のケープ・ブレトン島に到達し、ニューファンドランド島やラブラドル半島を発見するなどの成果を挙げて帰国した。

リチャード・ベッドフォード・ベネット
Richard Bedford Bennett, 1870年7月3日 - 1947年6月26日は、カナダの政治家。保守党の党首を務め、1930年から1935年までカナダ首相の地位にあった。ベネットが政権を獲得した背景には、当時の世界恐慌に対する自由党政権への不満があった。ベネットは従来までの自由放任政策を批判し、雇用の創出を公約していた。

サラ・マクラクラン
(Sarah McLachlan, 1968年1月28日 - )は、カナダのノバスコシア州、ハリファックス生まれのシンガーソングライター。『アイ・アム・サム』ではビートルズのカヴァー曲である「ブラックバード」で参加している。幼少時からピアノやギター、クラシックの声楽を学び、後にはニューウェイヴ系の音楽に傾倒。バンド活動をしていた17歳の時にソロデビューの話を持ち掛けられるが、両親の勧めに従い高校に通い続け、卒業後は地元の美大に一年間在学した。

スローン
カナダのパワー・ポップバンドである。1991年にハリファックスで結成され、現在も活動中である。メンバーは楽器は基本的に決まっているが、ライブでは担当する楽器を変えたりすることがある。また、全員ボーカルという珍しいバンドである。カナダの国民的人気バンドである。2枚目のアルバム "Twice Removed" は本国ではカナダ史上最高のアルバムと絶賛された(カナダの音楽雑誌 "Chart" において1996年と2005年の2度、"Top 50 Canadian Albums Of All Time" の1位にランクイン)。

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ビル・リード
(William (Bill) Ronald Reid)(1920年1月12日 - 1998年3月13日)はカナダ北西沿岸先住民(かつて北西沿岸インディアンと呼称されてきた人々)のうち、特にハイダ族の伝統芸術様式を復興させ、今日の世代に受け継いだ芸術家であり、彫刻(木彫、ブロンズ)、宝飾品、絵画、シルクスクリーンなどの分野で活躍した。ビル・リードは1920年にビクトリアで生まれた。父親はスコットランド・ドイツ系のアメリカ人で、母親はハイダ・グワイ(クィーン・シャーロット諸島)出身のハイダ族に属する先住民だった。


ディアナ・ダービン
Deanna Durbin、1921年12月4日 - は、1930から40年代のハリウッド映画で活躍した、カナダ人の女優・歌手である。1935年、14歳のダービンはメトロ・ゴールドウィン・メイヤーと契約し、名前をディアナに変えた。そして、もう一人の契約者、ジュディ・ガーランドと共演の短編映画『アメリカーナの少女(Every Sunday)』でデビューした。ところが、ダービンは間もなく、MGMとの契約を解消された。ダービンはすぐにユニバーサル・スタジオと契約を結び、初の長編映画『天使の花園』(1936)に出演。この映画は大成功を収め、当時、破産寸前だったユニバーサル・スタジオを危機から救い、彼女はユニバーサルのトップスターになった。

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テリー・ソーチャック
Terrance Gordon Sawchuk、1929年12月28日 - 1970年5月31日はカナダマニトバ州ウィニペグ生まれのプロ・アイスホッケー選手である。NHLではデトロイト・レッドウィングスを皮切りに数チームでゴーリーとしてプレイした。ソーチャックは多くの者から史上最高のゴーリーの一人と認められ、数多くの受賞歴、記録を持つ一方で、残されたエピソードには不幸なものが多く、その人生は悲劇的な色彩を帯びている。41歳で早世したその翌年ホッケーの殿堂のメンバーとなった。ソーチャックは、971試合に出場し30年余りリーグ記録として輝いた生涯447勝を経験したほか、103回のシャットアウトゲームは2005年時点で未だに破られていない。


ジョージ・ゴーディエンコ
George Gordienko、1928年1月7日 - 2002年5月13日は、カナダ・マニトバ州ウィニペグ出身の元プロレスラー、画家。18歳の時に地元でその天性の怪力とレスリングの才能を見込まれてスカウトされ、レスリングの名門ミネソタ大学に進学。在学中の1947年にミネアポリスでデビュー。しかし恋人の影響で共産主義の活動に参加したため、赤狩りの対象となり国外退去処分となってしまう。1953年、カナダに遠征した時のNWA世界王者ルー・テーズに挑戦、互角の勝負を繰り広げる。

アルステア・キャメロン
(Alastair Graham Walter Cameron、1925年6月21日 - 2005年10月3日)はカナダの天体物理学者である。赤色巨星の内部での不安定元素テクネチウムの生成に関する理論や、地球の原始大気の消滅に関する理論のパイオニアとして知られる。マニトバ州ウィニペグに生物学者の息子に生まれた。マニトバ大学、サスカッチェワン大学で学んだ後、1959年にアメリカ合衆国に移り、カリフォルニア工科大学、ゴダード宇宙飛行センター、イェシーバー大学(Yeshiva University)で働いた。

キム・キャンベル
Kim Campbell、 1947年3月10日 - はカナダの政治家、第19代首相(在任:1993年6月25日 - 1993年11月4日)。カナダ進歩保守党所属。カナダ初の女性首相である。ブライアン・マルルーニーの後継として首相となったが、就任した年の秋に行われた下院選挙で進歩保守党はたったの2議席しか獲得できない(改選前は169)という歴史的惨敗を喫し、キャンベル自身も落選。わずか半年足らずで政権をカナダ自由党のジャン・クレティエンに譲ることとなってしまった。

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テリー・フォックス
(Terrance Stanley "Terry" Fox、1958年7月28日 - 1981年6月28日)は、「希望のマラソン」で知られるカナダの義足マラソンランナー。1958年7月28日、マニトバ州ウィニペグで生まれ、バンクーバー近郊のポートコキットラムで育つ。サイモンフレーザー大学の学生で、バスケットボール部で活躍していた1977年、右ひざの痛みで医者にかかったところ、それが骨肉腫であることが判明。骨肉腫で右足を切断した後、がん研究資金を募るために、1980年4月12日、ニューファウンドランド州のセント・ジョンズから「希望のマラソン」(Marathon of Hope)を開始した。鉄のような固い意志で、北アメリカ大陸を横断してバンクーバー島のポートレンフリューを目指し、義足をつけて毎日フルマラソンと同じ42kmを走り続けた。目標は完走と100万ドルの募金を集めることだった。しかし143日目の9月1日5,373kmを走ったところで、癌の肺への転移のためオンタリオ州サンダーベイ付近でマラソンを断念し入院。1981年6月28日、テリーは22歳の若さでこの世を去った。


ジョン・ディーフェンベーカー
(John George Diefenbaker, 1895年9月18日 - 1979年8月16日)はカナダの第13代首相である。在席期間は1957年6月21日-1963年4月22日。1957年に総選挙で初勝利し首相の座に就く。彼はカナダ初の女性閣僚を任命し、またカナダ初の先住民出身の上院議員を任命した。6年間の首相としての任期中、カナダ権利章典を採択し、イヌイットやファースト・ネーション(先住民)の市民に選挙権を与えた。

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ニール・ヤング
(Neil Young, 1945年11月12日 - )は、カナダ・トロント出身のシンガーソングライター、ミュージシャン。クロスビー、スティルス、ナッシュ&ヤングやバッファロー・スプリングフィールドのメンバーとしても活躍。1969年にソロデビューし、1995年にはロックの殿堂入りを果たした。1990年の湾岸戦争の際には、コンサート会場でボブ・ディランの「風に吹かれて」を歌い、また2001年の「9月11日事件」直後には、放送が自粛されていたジョン・レノンの「イマジン」を敢えて歌った。そしてイラク戦争後は、ブッシュ政権打倒の姿勢を鮮明にしている。

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オスカー・ピーターソン
(Oscar Emmanuel Peterson, 1925年8月15日 - 2007年12月23日)は、カナダ、ケベック州モントリオール出身のジャズ・ピアニストで作曲家。スイング期の流れを汲む奏法にモダンな和声感覚を取り入れたスタイルで、ジャズ界きっての超絶技巧を誇り、88鍵をフルに使いこなすダイナミックな演奏と流麗なアドリブから、「鍵盤の皇帝」の異名をとる。5歳より父からピアノとトランペットを習い始める。しかし7歳の時結核にかかり、ピアノに専念するようになる。アート・テイタムやナット・キング・コール等の影響を受ける。

グレン・グールド
(Glenn Herbert Gould, 1932年9月25日 - 1982年10月4日)は、カナダのピアニスト、作曲家。母親は声楽の教師でピアノも弾き、父親は声楽同様ヴァイオリンの演奏ができた。母親からピアノの手ほどきを3歳から受けたのち、1940年に7歳にしてトロント王立音楽院に合格。同院で、レオ・スミスより音楽理論を、フレデリック・シルヴェスターよりオルガンを、アルベルト・ゲレロよりピアノを習う。グールドは、ピアノはホモフォニーの楽器ではなく対位法的楽器であるという持論を持っており、ピアノ演奏においては対位法を重視した。事実、グールドのピアノ演奏は、各声部が明瞭で、一つ一つの音は明晰であり、多くはペダルをほとんど踏まない特徴的なノン・レガート奏法であった。

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レイフ・エリクソン
Leif Ericson、970年頃 - 1020年頃)は、アイスランド生まれのノルマン人航海者(ヴァイキング)。赤毛のエイリークの息子。ヨーロッパ大陸から海を渡ってアメリカ大陸に史上初めて到達したとサガによって伝えられている。「幸運なるレイフ」というあだ名でも知られる。

マーティン・フロビッシャー
Sir Martin Frobisher、1535年または1539年ごろ - 1594年11月15日)は、イギリスの航海者、私掠船船長、探検家。私掠船に乗ってフランス船などを襲い多くの富をイングランドにもたらした。北西航路の探検を始めた後は、3度にわたり現在のカナダ・バフィン島(レゾリューション島およびフロビッシャー湾)を訪れ、航路よりも金の採取に熱中したが、結局採取した鉱石は金ではなくただの黄鉄鉱だったことがわかった。

アレグザンダー・マッケンジー
(Sir Alexander MacKenzie, スコットランド・ゲール語表記:Alasdair MacCoinnich, 1764年 - 1820年3月11日)は、スコットランドの探検家。スコットランド、アウター・ヘブリディーズ諸島のルイス島ストーノーウェイで生まれた。1774年、一家でニューヨークへ渡り、アメリカ独立戦争の最中の1776年にモントリオールへ移った。

ジョン・ワインツワイグ
(John (Jacob) Weinzweig, 1913年3月11日 トロント, 2006年8月24日 同地)はカナダのクラシック音楽の作曲家。ハーボード高等音楽学校に学び、トロント大学に進学。アメリカ合衆国ではバーナード・ロジャーズに師事。第二次世界大戦中に映画音楽の作曲に着手。1952年に母校トロント大学の教授に迎えられ、それ以前からカナダ作曲家同盟の共同設立者に名を連ねる。1974年にカナダ政府より授賞された。

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ジノ・ヴァネリ
(Gino Vannelli、1952年6月16日 - )はイタリア系カナダ人のシンガーソングライター。ケベック州モントリオール生まれ。父親がビッグバンドのミュージシャンという音楽一家の環境で育つ。高校卒業後、カナダで最も権威のあるマギル大学で音楽を専攻し、その後ロサンゼルスに移り、A&Mレコードと契約。1973年にアルバム「クレイジー・ライフ」でデビューする。

パーシー・ウィリアムズ
(Percy Alfred Williams、1908年5月19日 - 1982年11月29日)は、カナダのブリティッシュコロンビア州バンクーバー出身の陸上競技選手で1928年アムステルダムオリンピック男子100m、200mの金メダリストである。彼の勝利はまぐれではないことは、1930年の大英帝国競技大会の100ヤード走で世界新記録を樹立したことから証明された。これに対しアメリカ人たちは無名のカナダ人に負けたことが楽しくなかった。ウィリアムズの勝利はまくれであることを確かめようとした。数多くの室内の競技会に彼を招待した。しかし、ウィリアムズは21レース中19勝し、その結果にアメリカ人たちは呆然とした。

シッド・エイベル
(Sidney Gerald Abel 、1918年2月18日 - 2000年2月7日)はカナダサスカチュワン州メルヴィル (Melville) 生まれのプロ・アイスホッケー選手である。NHLでは1938-1939シーズンから1953-1954シーズンまでデトロイト・レッドウィングス及びシカゴ・ブラックホークスに所属し、3度のスタンレー・カップ優勝を経験した。

エリシャ・カスバート
(Elisha Ann Cuthbert, 1982年11月30日 - )は、カナダ人の女優で、モデル。アルバータ州・カルガリー出身。モントリオールで育ち、7歳のときからモデルとして活躍。1997年から2000年まで、子供向けの教育的テレビシリーズ『Popular Mechanics for Kids』(日本語タイトル『こどもおもしろメカニック』)に出演したことでも知られている。

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ジョン・キャンディ
(John Candy、本名:John Franklin Candy、1950年10月31日 - 1994年3月4日)は、カナダの俳優・コメディアン。オンタリオ州トロント出身。1980年代に入ると、俳優としてのキャリアも着々と築き、スティーヴン・スピルバーグ監督の1941などに出演。その後出演したダン・エイクロイド、ジョン・ベルーシ主演の『ブルースブラザース』における刑事役やビル・マーレイ主演の『パラダイス・アーミー』で頭角を現した。


スーザン・クラーク
(Susan Clark、1940年3月8日-)は、カナダ・オンタリオ州サーニア出身の女優。20歳を過ぎて本格的に女優として活動をはじめ、映画では1967年の『刑事マディガン』や翌年の『マンハッタン無宿』に出演し注目された。その後は70年代にTVを中心に活躍の場を求め、夥しい数の作品に出演。キビキビとした勝気な娘役や、美貌ながら横柄なセレブ夫人などシビアな女性役を得意とした。

ダイアナ・クラール
(Diana Jean Krall), 1964年11月16日 - )は、カナダ生まれの女性ジャズ・ピアニスト、歌手。1990年代以降に最も成功したジャズ歌手の一人。ダイアナ・クラールはカナダのナナイモ(ブリティッシュコロンビア州)に住む音楽一家に生まれ、4歳でピアノを習い始める。幼い頃に家族と一緒にバンクーバーに転居、高校の小さなジャズバンドで活動を始めた。15歳の時、ナナイモのレストランでピアノ演奏を始める。

アルベルト・ゲレーロ
(Antonio Alberto Garcí吹 Guerrero, 1886年2月6日 ラ・セレナ - 1959年11月7日 トロント)はチリ出身のカナダのピアニスト・作曲家・音楽教師。現在では、グレン・グールドの学生時代の指導者として記憶されるが、トロント音楽院での長年にわたる指導を通じて、何世代にもわたって人材を輩出してきた。

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