グランブルーな人たちへ |
2014年
銀河系の友人たち 科学が進んで
出会えるものは限られているけど ポンペイの光と陰、原子力の陰と闇 西暦79年にベスビオ山の噴火によって灰に埋もれたポンペイの町。悲しい史実は発見されるまで1500年以上も完全な形で保全されていましたが、発見されてからは風雨と観光客の侵害で遺跡の傷みがひどいといいます。世界各地にある貴重な遺跡全般にいえることですが、陰の世界から光の世界へ出たばかりに遺跡が破壊されるようなことが起るなら、どの遺跡もあと1000年ぐらい眠ったままの方がいいのではと思ったりもします。そして科学の分野も原子力の分野だけはあと1000年、光が当たらなければよかったのにと思うのです。 人間はこうあるべきだとう、たった一つの教え ノーベル平和賞と「憲法9条」 「憲法9条にノーベル平和賞を」実行委員会の署名サイト(http://chn.ge/1bNX7Hb) 気がかりな生態系の激変 有明海諫早湾の水門閉鎖から25年 なぜ私たちはできないのでしょうか? 「この街に原爆が投下されてね。その後、この国は二度と戦争はしないと誓ったんだ」と、かつて私が聞いたように。>・・・この文章は福島原発事故による放射能の影響に悩む女子高生にあてて書かれたものです。・・・読んでいてまさにその通りだと思います。なぜ今私たちはもう原発事故は繰り返さないと強く誓えないのか。原爆と同じく国民の全てにふりかかる脅威に対して、なぜ全ての人がノーを突きつけないのか、不思議でなりません。どんなに巧言をつくしても、原発事故のリスクは確実に存在するのだから、議論する余地などないと思うのですが、再稼働させようとする人たちの無責任な頭の中にはいったい何が巣くっているのだろうかと思います。 生命に必要な要素どころか 「地球以外に知的生命体が存在しようが、月の裏側に都市が発見されようが多くの人は興味もなく驚かない。でも財布を落としたとか給料が下がったら感情が動く」・・・と知人が嘆いていたことがありますが、実際、未知とか謎とかへの関心は科学が進むほど薄れて来ているようで、なんか奇妙な気がします。このまま行けば生命に必要な要素どころではなく、生命そのものへの関心も無くなってしまうのではないか?自由とか平和とかが脅かされる時代風潮の根底にはそのような近視眼的で想像力の欠如した日常生活があるような気がします。 パンとサーカスとアベノミクス 2000年前のローマ市民と違って、日本国民は教育も受け、情報もふんだんにあるのに、それはないだろうとは思うのですが、テレビを筆頭に国民を洗脳する強力なメディアがローマ時代さながらの見え透いた政治を可能ならしめています。テレビには強力無比の影響力があります。1953年にテレビ放送が開始され以後20年ぐらいはどちらかと言えば国民を啓蒙する要素が多かったテレビは次第にアメリカ型の資本主義に感染し政治権力と資本権力に都合のいい道具と成り果てた気がします。さすがに今は放映されていませんが原発推進のプロパガンダは目に余るものでしたし、視聴者の思考力を奪うのが目的ではないのかと思えるような低俗な番組が目白押しで、意識や知識を啓蒙するような番組はごく一部です。漠然とテレビの情報だけをもとに物事を判断している人が過半数、今の国情を見ればもっといるのかも知れません。 馬車による戦車競走や剣闘士の試合などで市民の意識をそらせたローマ時代と違って今はテレビがあります。モニターの中にはあらゆる娯楽、スポーツがぎっしり詰まり、ガス抜きと思考停止は放映側の思いのまま。もちろん「そうはいくか」と批判精神と想像力を働かせて真偽をすくい取る人もいるでしょうが、テレビの洗脳力はあまりに強大です。もしテレビで質の高いアニメ、映画、劇、ドキュメンタリー番組などの放映比率をほんの数パーセント上げたなら、社会の風潮が驚くほど変わるだろうなと空想する時があります。それにしても最初聞いた時にお好み焼きの種類かと思った「アベノミクス」は中身の具を吟味すればするほど美味しいメニューではないと思うのですが。
1715個が確認された銀河系内の惑星 人類が戦争や環境破壊で自滅しないで、正しく科学を発展させることができたなら数百年後には銀河系を航行することが可能になるかも知れません。止むことのない紛争、貧困や飢餓を解消できない国や地域もまだまだあります。これだけ文明が発達して地球全体を視野に入れた思考が可能となったのですから、核や原発のような生命環境に致命的な損傷を与える兵器、施設は事が起る前に廃絶するのは必然のことです。SF映画でよく描かれる廃墟となった近未来の都市。そんなものは映画の世界だけで十分。現実は来るべき銀河の旅の時代まで静かに続いて欲しいものです。 地震が起ると心配になる原発施設 日本気象協会によると3月に入っての震度3以上の地震は(3月14日 2時6分頃 最大震度:5強 伊予灘 M6.2)(3月12日 5時4分頃 最大震度:3 千葉県北西部 M4.4)(3月10日 0時13分頃 最大震度:3 根室半島南東沖 M4.6)(3月3日 11時27分頃 最大震度:3 沖縄本島近海 M5.0)(3月3日 5時11分頃 最大震度:4 沖縄本島北西沖 M6.6)で、いかに地震列島とは言え空恐ろしい気がします。地震だけが原発のリスクではありませんがどう考えてもこの地震多発国に原発を造り続けてきた浅慮には怖さを感じます。現状まだ原発を稼働させようと躍起になる安倍政権と電力会社の無謀には呆れ果てますが、あれだけの事故があって、しかも3年の経過を見てのち原発問題に無関心な人がいるならば、それは想像力と危機意識がなさ過ぎると思います。 もし、魔法が使えるのなら 科学は失速したのだろうか?非人間的な兵器や農薬、遺伝子組み換え技術など未来を考えればとても科学とは呼べないような代物にしのぎを削って、この閉じられた地球空間を脅かし続ける愚かさに疑問符が幾つも付きます。でも科学力は明らかに進化しているのだから、失速しているのは人間力の方なのだと思います。人間力、それは子供の想像力、若者の夢、大人の情熱が育ち開き持続できるような社会があってこそのものです。そう考えれば科学の迷走、暴走は怖いけれど致し方ないのかも知れません。でもせめて核兵器が配備され、原発が稼働している現状だけは魔法を使ってでも消し去りたいものです。 もっとも基本的で大切なもの その一番大切なものが人間の知力で創りだしたものではなく宇宙の神秘的な配慮によってもたらされたものである事を考えれば、自然に対する感謝と謙虚さは全ての人間が持たなければならない心の基本なのだと思います。殺伐とした社会。他者の入らない心。どうしてそうなってしまうのか?空気や水や光に対する感謝の念、環境を汚さないという自然への配慮。そんな基本的な意識さえ根付いていれば、たとえどんなに紆余曲折があろうとも人が人を思いやる社会がじわじわと出来上がって行くような気がします。 目に見えない無意識差別 それを不自然とさえ認識していない様子に、差別の不気味さを覚える。まるで「紅一点」の自分が、透明人間になったように感じるのだ。・・・」とありますが、政治、企業、学校や家庭の中でも女性が透明人間化されている現実は多々あると思います。問題はそれがする側もされる側も無意識化されている事だろうと思います。深刻化するドメスティックバイオレンス問題も社会が内蔵する男女差別意識が末端で暴発しているのであって、社会の歪みとストレスの増大に比例するのは必然です。結局、男女平等意識が確立されている社会であれば先述したようなワースト問題は解決されるでしょうし、日本社会の風潮は劇的に変わるのだろうとも思います。その意味でも女性の社会進出をいかにして進めるかは重要な問題ですが、家庭、学校で、男女よりもまず人間であるという根本的な意識改革が必要ではないでしょうか。 |
冒険者たちは絵になるけど傍観者たちは悲しすぎる もう一つ、少々変わり者でも勇気がある人がいいなと思います。他者や社会のいろいろな出来事を対岸の火事の用に見る人はあなたのことも対岸の火事です。当たり前のことですけど。男とか女とか言うのはおかしいけれど、まず男は冒険者たちのようであって、決して傍観者のようではあってはいけないと思います。人を守り愛することは最大の冒険だと思うからです。愛し愛されたいのなら、お互いに冒険者にならなくてはいけないのだと・・・追加で言えば、面白くない人もしんどいし、偉そう感のある人間は最悪、そして抽象的だけれど透明感のない人は問題だと思います。 再生可能エネルギーの割合がたった1.6%とはあまりに少ない ちなみにデンマークは30%。国と電力会社が意図的に普及を妨害しているとしか思えません。どちらにせよ脱原発の世界的動向は明らかなので、原発に固執して再生可能エネルギーの普及を遅らせることはあまりにも愚かなことです。しかもそれが核への思惑と長く続いた利権構造を崩せないという理由であるとしたら情けない限りだと思うのです。 50年後に見えるもの 数千年、数万年を読み解こうとする考古学にとって50年、100年は時計が止まってしまうことがあるのはいたしかたないことだろうと思います。中米のジャングルの奥深くにはマヤの遺跡がまだ多数あることが分かっています。いつの日かランダの焚書によって失われてしまったマヤの書物が未知のピラミッドとともに発見される日が来るかも知れません。飛行技術がなければナスカの地上絵を見渡せなかったように、過去を見通す目は科学力の進化に比例します。科学技術の加速を考えればおそらく50年後には、幾つかの大発見があるはずです。ただし戦争などという愚かな行為に決して科学技術を使わないという条件がつくことは当然のことですが・・・ 不安がつのる記録更新の連続 過去最高濃度という文字を繰り返し目にしていると、放射性物質の濃度はいったいどこまで上がるのだろう、現場の作業員の方達は大丈夫なのだろうかと心配になります。汚染水漏れの原因が装置的な欠陥であるのか人為的ミスなのかは判りませんが、保管のコントロールが不安定なことだけは分かります。地下水や海への流出は東電の発表通り大丈夫なのだろうか?不安がつのります。 可愛すぎる生き物 見ていると二人は足場の悪そうな場所にさしかかったので大丈夫だろうかと近寄ると、不機嫌な兄ちゃんが弟を気遣ってつなぐ手に力が入ったのが分かりました。安心しました。でも、兄ちゃんはなんであんなに不機嫌な顔をしているのだろう。なんで弟はあんなに上機嫌なんだろうと考えてしまいます。年の離れた兄弟。僕にも7つ下の弟がいるけれど、お互い昔はあんなことがあったような気がします。子供でも大人でも年長者には得体の知れないプレッシャーがかかるものです。それにしても小さな長靴でぽこぽこ歩く笑顔に満ちた小さな生き物、本当に可愛いものです。 決して美化してはいけないもの、それが戦争。 恐ろしいほどの数の命が奪われ、心身とも傷ついた人の数は計り知れない戦争。特に弱者が徹底的に理不尽な運命にさらされる戦争は人間であるならば二度と起こしてはならないものです。近年になって今まで語らなかった戦争体験者の方々が、死ぬ前にこれだけは言っておこうと、戦争の悲惨さを語りはじめてくださったのはとてもありがたいことです。一つでも多くの事実証言こそが忌まわしい戦争に対する大きな抑止力になると思うからです。戦争を美化するような話をする人、小説や映画で生半可な戦争を描く人は、人間への愛が欠落しています。想像力が無さ過ぎます。決して誤魔化したり美化してはいけないもの、それが戦争です。 何故悪がはびこるのか 科学が進めば進むほどその危険性も大きくなります。科学力と相対する人間力が同様に進化しなければ科学は人間を滅ぼすでしょう。強力な農薬、不気味な遺伝子組み換え食物。そして半永久的に消えない放射能の脅威。環境の悪化も恐怖ですが、食品を通してもたらされる健康への問題も重大です。資本の拡大だけが存続を淘汰するような経済至上主義がもたらす不幸と破綻は目に見えています。一人一人が生きる価値観を変えなくてはいけないと思います。悠長なことのようですが、それがこの国の構造を変えるもっとも早くて効果的な方法だと思うのです。 みどりの1kWh/ドイツから風にのって( http://midori1kwh.de/ ) 以下はみどりの1kWhのコンセプトです。「私たちが住むベルリンでは、脱原発をどう達成するかと、様々な議論が交されている。情報の多様性と独自の主張に富むドイツのメディアに触れられることのありがたさ。この特権をどうすれば分かち合えるか。身の回りにもアイディアが溢れている。インターネットを使えば簡単に声が届くかもしれない。こちらの状況を書いて伝えたい。そんな思いから、私たちは集まった。ジャーナリスト、物書き、建築家など、何十年もドイツで生活している者が多い。話題はあちこち飛ぶ。・・・」 ちょっと古き大阪の記憶01<映画館> 「元町映画館」http://www.motoei.com/ は一昔前に大阪の下町にあったいくつもの映画館を思いださせてくれます。1960年頃までは大抵の町には一軒ぐらい映画館があって、映画は身近なものでした。僕の町には4つの映画館があって、暇な大人は邦画と洋画の映画館をはしごなどしていました。しかも2本だて3本だてが当たり前の時代でしたから、映画館で暮らしているような人もいたはずです。身近だけれど映画館は非日常の空間。そんな映画館に浸りきっていた人の日常は逆に非日常だったに違いありません。映画は感性と知識をゆたかにします。世界中の優れた映画が身近な映画館で観れる。今の環境を見ればあの頃は本当にゆたかな時代だったのだとあらためて思います。 男女平等度ランキング105位、報道の自由度ランキング53位だけれど (世界経済のネタ帳よりhttp://ecodb.net/ranking/ggap.html)男女平等と報道の自由指数が低いのは先進国としては恥ずかしい評価です。世界平和度指数が6位なのは誇らしいですが、それも世界に誇る平和憲法があってのことであらためて感謝です。考えてみれば女性の自由度と報道の自由度の向上は民主国家の基本で、GDPと国情の不均衡はその辺にも理由がありそうです。それにしてもせっかくの平和度指数を秘密保護法や集団的自衛権などの施策がもとで評価を下げるようなことがあってはたまりません。理不尽や不条理が多々あるとしてもそれは少しずつであっても是正してゆけますが、言論の自由さえ脅かされる強権国家になってしまえば、戦争への流れすら抗議できなくなります。今こそ、自由と平等の精神をいまいちど1人1人が意識しなければならない時代だと思います。 当たり前のことを当たり前に語り合える国に 個人が避けようが避けまいが同じように関係する逃げようもない大問題なのにです。とても不思議な気がします。この風潮はいったい何なんだろう?自分の意見を言わない、個人的な問題以外考えない、正しいことをすると損をする・・・まるで見ざる、聞かざる、言わざるが処世術だった封建時代のようです。資本主義社会だから損得が幅を利かせる部分は分かりますが、同時に民主主義社会であり自由主義社会でもあるのですから、平和と自由をおびやかす絶対的な悪に対しては1人1人が自ら考え、そして協調し、声を発しなければあまりにも情けないと思うのです。 人類は後どれぐらい文明を存続させることができるのだろう? 突進する科学力、機械力に人間の精神が追いつかない、というより知力と感性がそれらによって鈍化させられている気がするからです。メキシコ湾に落ちた隕石の破壊力は原爆1億発に相当するそうですが、もし原爆であったなら放射能汚染で地球は死の星となってあらゆる生命はそこで終わっていたはずです。福島原発の事故で放射能の恐ろしさを多くの人が認識したと思いますが、事故から3年が経とうとする今も多くの作業員の方が被爆しながら事故の収束を担っています。自然が起こす天変地異ならば避けようもありませんが、人間が起こす災厄は未然に防ぐ事ができます。核兵器しかり、原発しかり、戦争しかりです。危険な農薬、遺伝子組み換え作物も止める事ができます。1億5千万年はともかく、人間が作り出してしまった危険な核廃棄物の安全管理のためせめて10万年はこの文明が続く事を願うばかりです。
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