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2003年

2003/10/18 「ゴミ、時代、デザイン、環境」

市場を歩くおばあさんもお母さんもみんな腕に買い物かごを下げています。「市場かご」です。かごからは長ネギやキャベツがのぞいています。「絹さん、今日はよそで買ったんかい」八百屋の大将が気楽に声をかけます。「あんたとこ高いやんか」「まあまあ・・そう言わんとうちでもこうてや」笑いながら大将は大根を一本かごにつっこみます。「サービス、サービス」今から40年前の大阪の市場での当たり前の風景です。商品は大抵は裸か新聞紙一枚でくるまれていて、家でかごからだしてもゴミはほとんどありません。環境先進国のドイツ人が当時の日本を見れば絶賛するはずです。過剰包装はゴミを量産するだけでなく人の心も包んでしまいます。

当時の町にはデザイン的な要素が乏しくチョコレートのきれいな包装やクッキーの缶の豪華さは子供心にとてもうれしいものでした。包装紙や缶があまりにきれいなので開けて食べることさえ躊躇するような時代でした。デザインには夢を運ぶ使命と値打ちがありました。そしてそんな時代は包装紙はきれいにたたんで大切にしましたし、缶などは何十年も大切に使いました。だから結果的にゴミはあまり出なかったのです。

時代は進み街は華やかです。目にする物はきれいにデザインされた物ばかりで、デザインの夢を包装紙や缶に頼る事はありません。そこで思うのですがこんな時代だからこそもう商品の過剰包装は要らないのではないかと。クッキーやチョコレートも光や空気に対して防げる工夫だけがしてある袋に入れて売ればいいと思うのです。どうしても中身を表現したいのなら袋の横に小さなポップをおくだけで充分でしょう。結局食べて美味しければいいのですから。箱を開けて中からまた袋が出てきて袋を開けるとまた小さな袋に小分けされていて・・・・変です。

どんな小さなゴミでもそれを作るためにはエネルギーを使います。そして処理するためにもまたエネルギーを使います。エネルギーの消費はそのまま環境の悪化につながります。一人一人の出すゴミは集まればとてつもない量です。それは無意味と無神経の集積のようなものです。そしてそれらは確実に地球を蝕みます。見た目は悪くても中身の商品が良かったらそれでいいこと、そんな賢い消費者が増えて、逆に環境を考えないような企業の商品は買わないよって言うようになれば世の中かなりすっきりします。買い物かごに裸の野菜を入れてさっそうと歩く女性。僕はスーパーの袋を下げて歩くより恰好いいと思うのですがどうでしょうか?

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