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グランブルーなひとたちへ

2006年

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2006/10月18日 天は二物を与えすぎ

昔から天は二物を与えずと言いますが、それは違うと思う人が実際にいます。きれいでスタイルもよくて笑顔が魅力的で、センスもよく、せめて性格ぐらいは変だろうと思うと、性格が素敵で、ならば頭はおかしいだろうと思うと、また聡明。そこまで揃ってるなら情緒ややさしさには欠けるに違いない。いえいえ、情緒とやさしさこそ真骨頂、もううんざりして、絵を描いたり、書をたしなんだりの才能はないだろうと安心したら、それこそ得意中の得意。神様仏様に聞きます。天は二物を与えすぎではありませんか。

 

嘘みたいな人。ファンタージェンの中に出てくるような素敵な人が現実にもいます。

 

でもそれを補って余りあるような非人間的な言わば「天は汚物を与える」ような人もいるからショックです。結構多数派かも知れないそんな人たちはファンタージェンと相対する「虚無」の中へ消えてくれないかなと思うけど、あの強力な「虚無」ですら彼らを受け入れない。ならばもうどうしようもないけれど素敵な人もいる。しかも素敵な人はなかなか手強い人ばかり。

すればやっぱり世の中捨てたものではないと僕は思います。

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2006/10月16日 前と後ろ

「私は男性の後姿が好きになれないと、その人を愛せない」ちょっと言い方は違うかも知れないけどそんな意味の事を言った女性がいました。「背中で何かがわかるの?」と聞くと「自分自身ではあまり見ない背中にはその人の無意識が全部乗っかってるから、内面まで全て分かるよ」との答え。確かに一理あるなと僕も思ったけど同時にドキッとしたのを覚えています。

暖かい背中、悲しげな背中、情けなさそうな背中、強そうな背中、いろいろあるんだろうなと思って「どんな背中が一番嫌いなの?」の質問に「やっぱり嫌なのは貧相な背中だな、でもお金があっても恰幅がよくても貧相な背中の人はいるし、いやだよ」・・・答えを聞いてまたまたドキッとした僕はおそるおそる「僕の背中はどう見えるの」、「ぜんぜん大丈夫だよ、私の好きな背中だよ」ほんとかなあと思ったけど、お世辞でもいいや。

前と後ろ。裏と表。物でも生き物でもそれは全く違って見えます。そう言えば昔リートフェルトの木組みの椅子を見上げた状態で描ける人はそういないと言った建築家がいましたが、僕なんか見下ろした状態でも描けないから、椅子の裏側の構造なんて無理。確かに見慣れているものでも反対側はほとんど無知なんてことは多いはずです。

背中の彼女は今も背中を見続けてるんだろうか。「僕のどこがいけないんだい?」と彼女に好意をもつ彼が聞いて「背中よ」と言われたら結構ショックかもしれない。それに女性だって感じのいい人は後姿に現れるような気もするし、とにかく背中は大事なものに違いはありません。

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2006/10月13日 惑星直列

人生にはいろんな事が重なる時があります。ややこしい仕事、避けれない用事、交錯する思い・・・病気や事件が親しい人のまわりで起こったり、かと思えば逆にラッキーな事が起こったり。一つ一つ別々に起こってくれないかと思うけれどそれらに対応出きるのは今しかない。後でと言うわけにはいきません。悩みながら、あせりながら、どっと疲れても関わって出きることはする。

 

いつか振り返れば一つ一つが鮮明に見える時が来る事を知ってるからです。10年前、20年前、当時思ったこと、「これは何かの陰謀じゃないかと思うぐらい物事が重なって、友人に「まるで惑星直列だよ」と言って笑った事がありますが、それも一つ一つがちゃんと見えるまで3年ぐらいかかりました。

 

バイオリズムか何か分かりませんけど、人それぞれそんな事があるのではないでしょうか。僕の場合10年に一度それが起こるようです。ああ、正念場、トンネルの出口はもうすぐそこだとあちこち頭をぶつけて進む感覚。10年ごとに積み上げる大きめの石です。

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2006/10月11日 新世界と旧世界

よくも悪くも一番大阪らしい街、それが新世界です。ドヴォルザークの新世界とはイメージが随分かけ離れていますが、古きよきものもたくさん残っている場所です。将棋や囲碁の道場、昔ながらの芝居小屋、串カツの屋台が軒を並べる雰囲気はまさに大阪。近くには動物園や美術館までありその気になれば一日中散策出来ます。デフレでものが安いのには驚かない時代になりましたが、バブルの時でもここには500円の靴や200円のズボンをなげやりに売っているお店があります。

そしてここは北は北海道から南は沖縄までいろいろな訳ありの人達が流れ着く場所でもあります。中には毅然としたポリシーを持って生きている人もいますし、詩を書いたりゴミや廃材で彫刻を作っている人もいます。酒場は午前中からにぎわい、不安や悲しみをお酒で紛らわす人もいます。そして何やら嬉しそうな表情で元気に飲んでいる人もいます。あのバルザックの小説「居酒屋」のイメージがこの街にはあります。どこか懐かしい「旧世界」の匂いが残るのです。

この街を見ているとふっと時代錯誤に陥ることがあります。悲しい人やさみしい人達が、あるときは肩をぶつけ合いそしてある時は肩を寄せあって生きる・・・大阪の唯一の取り柄である人情見たいなものが感じられるのです。でも、この街も急速にその色を失いつつあります。大きな社会の流れが、普通の街へと押し流そうとしているようです。全てが整理されきれいになり便利になっても、それは人の幸せとは無関係。逆に合理主義はある種のヒューマニズムの破壊です。大量にゴミを出し、選別しカラスよけネットで守るのが本当に近代化と呼べるでしょうか?大量に不必要にまでものを消費されなければ成り立たない社会。そして大量のゴミと共に多くの悲しい人達をも生み出している今の社会。

付近の貧しい人達に炊き出しをしている教会の壁に書かれた文字が白々しく映ります。「神は愛なり」

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2006/10月7日 お盆とお月さん

今日は中秋の名月、月の存在に様々な影響を受けている地球の現象、そして生物。僕も月には多くの思いで思い入れがあります。大好きな映画「ペーパームーン」あの可愛くてしっかり者の9才の少女アディーも今は43才。アディーを演じたテイタム・オニールの演技は最高でした。月。季節によって違って見える月。形を変え大きさを変え様々な表情を私達に見せてくれるけど、裏側は決して見せない月。月は今なお近くて遠い神秘の天体です。

ほとんど星の見えない大阪の空を見ていると、あのこぼれ落ちるような満天の星の存在を忘れそうになりますが月だけは空気の澄んだ田舎と同じようにその顔を見せてくれます。足元の危うい真っ暗な海岸を照らしてくれる月。孤独を癒してくれる月。2人の幸せを見守ってくれる月。そして何より相対する地球の存在を客観的に教えてくれる月。「あの人も今同じ月を見てるのかなあ」などと思わせてくれる月。

月にまつわる思い出は個人的にもたくさんあります。十数年前のこと、友人の設計事務所の若いデザイナーとの打ち合わせの帰り、空には見事な満月が輝いていました。「きれいな月だねえ」「ほんとにきれいですね」しばらく月に見とれて黙って歩いていると突然彼が「こんなにきれいでロマンチックな月を見ても何も感じない人もいますよ」とぽつり。「そうかな、そんな人は少ないんじゃないだろうか」そう言うとしばらく黙っていた彼は「あのね、うちの社長はあの月がお盆にしか見えないんです」「お金や仕事に関係ないことには全く何も感じないのですよ」「へえ〜^」ちょっと驚いた僕は「漫画みたいな奴だからね、でもいいところもあるから許してやってくれよ」「営業力はあるし図面だって上手く描くだろう」と友人をかばった発言をすると「僕が何故デザインの道を選んだか分かりますか」「それは何かを創造したり表現したりするのが好きだからだろ」「そうです、だからお月さんがお盆にしか見えないような社長の下では働きたくないんです」

その後その青年と居酒屋を梯子していろいろ話をしたけれど彼の言うことはもっともで、反論する理由は見当たりませんでした。数ヶ月してそこを退社した彼は月を岩と土の無機質な塊としか考えない社長のいる次の会社も辞め、結局独立したとのこと。僕がいっぱい会社を辞めて事務所を開いたのは案外彼と同じ理由かも知れません。「月はお盆じゃない〜〜」

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2006/10月6日 悲しすぎる自殺

報道はめっきり減りましたがイラクやアフガニスタン、そしてアフリカでは今現在も理不尽な死が続いています。戦争や飢餓と言う現実は日本にはありませんが、命と言う意味では悲しすぎる事件が連日のように起こる日本です。自殺者の多さ、先日の小学六年生の女の子のいじめによる自殺はあまりにも酷いものです。可哀想すぎます。やりきれません。遺書の文面が報道されたとき僕は拳を握りしめました。悲しさを通り越した怒りです。

今の日本の無関心主義、談合主義、短絡主義の全てがか弱い女の子1人に襲いかかったようなものです。学校、教育委員会、父兄、生徒、校長、教頭、生活指導、担任、同級生・・・全てが自分は悪くない、知らなかった、そんなつもりじゃない、と言うけれど許せません。あの遺書を読めば人間なら心がぐちゃぐちゃになるほどショックを受けるはずです。「わたしはそんなにキモイの?」そんなことは一切ありません。

「キモイ」のは君以外全員です。ノーと言えずいじめに加わった子供達、首謀の子供達。それでも僕は子供が悪いとは思いません。まだ知恵浅い子供達は時にとても残酷な事をします。でも、それを最悪にならないよう感知し誘導するのが大人の仕事です。最悪の事態が起こるまで誰も彼女のメッセージを感じないなんてあり得ません。まわりの大人が見て見ぬふりをしたのです。それとももうそんな感性すらなくしてしまった大人達なのでしょうか。こんなのは自殺じゃありません。殺人です。悔しすぎる。

後を絶たない自殺。しかしその一部は殺人と呼ぶ方が真実に近い自殺が含まれるのではないでしょうか。

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2006/10月5日 実践歴

ああしよう、こうしよう、これだけはやろう、これだけはすまい。

思う事は星の数ほどあるけれどできる事はほんのわずか

一体思って実践できてることって?自問自答。

 

*なるべく嘘をつかない(実践歴30年) ある苦い思いをしてからこれはかなり実践

*なるべくゴミを出さない(実践歴5年) これも常に意識してるからかなり

*なるだけ歩く(実践歴15年) この一年あまり実践できず

*なるべく本を読む(実践歴20年) 歩く事と連動してるのか本もこの一年読めてない

*なるだけ多くの人に声をかける(実践歴3年) これは完璧だけど、ちょっとげっぷ気味

*なるべく若芽を食べる(実践歴数ヶ月) これでもって一発に痛風完治。以後継続中

*なるべく車を運転しない(実践歴12年) あるきっかけからどうしても必要な時はレンタカーを実践。

*メールが来たら必ず返信(実践歴3年) 完璧

*いつも誰かに恋すること(実践歴5年) ほとんど妄想に近くてもこれも実践。

*体が疲れたら海を見に行く(実践暦20年) これも好きだから実践してる

*心が疲れたら高野山へ登る(実践歴25年) 年に一回行くか行かぬかだけど、樹齢数百年の杉は素敵

*なるだけワリカンはしない(実践歴30年) お酒飲むのにワリカンはない、ある時は必ず出す

 

などなど思いつくまま書いたけど、
一度それこそ海でも見ながらゆっくりこのことを考えて見たいもの。

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2006/10月5日 ジャンと黄金色の海

「海にでもいってるのかな?」一通のメールでちょっと元気をもらいました。今は慌ただしくて海には行けないけれど、落ち着いたら必ず海を見に行こうと思います。だいだい色の大きな夕陽が沈む海。青い海も素敵だけど黄金色に輝く海もいいものです。

砂の上にぺたんと座って沖合を眺めていると、とことこと犬が近寄って来ます。「君は野良犬かい?」と訊ねると「ううん、違うよ、おじさんは野良人間かい?」と逆に訊ねられて「違うよ、海を見に来たんだ。それと夕陽をね」「おじさん変わってるね」「なんで?」「だってこんな季節にここに来る人なんていないから」確かに誰もいない浜辺。「君がいるじゃないか」「僕はこの近くに住んでるから、毎日来るんだ」「ねえ、ここに来て一緒に夕陽を見ないかい」野良犬じゃない犬は横へ来てちょこんと座ります。肩に手をまわせないから頭をなでながら「こうやって2人で見る海は素敵だね」

「おじさんどこから来たの?」「大阪さ」「そこには海はないの?」「あるよ、ネオンの海、ビルの海、人の海、悲しみの海」「変な海だね」「そう、人がいっぱい集まるところにはいろんな海ができるんだよ、ほんとうの海じゃないけど」「ふ〜ん、僕は他の海は知らないけどこの海が好きなんだ」「毎日変わる波の音、砂の模様だって変わるんだよ」「おじさんの好きな夕陽だって色も大きさも変わるよ」「そうなんだ」「うん、明日も来てごらん、違いが分かるから」賢い犬だ、ナイーブな犬だ。「君の名前は?」「ジャンだよ」「ジャン?」「ジャンクリストフのジャンだよ」「ああ知ってるよ」「ほんとは家の人が太郎ってつけたんだけど、気に入らないから人にはジャンって名乗ってるんだ」主張のある犬だ。

「君と話していると人間と話してるようだ」「そう、僕もおじさんと話してると犬と話してるようだよ」僕と感性の似た犬だ。突然ジャンは立ち上がって大きな伸びをして「おじさん僕もう行くよ。家の人が心配するから」「明日また会おうね」そう言うとさっさと駆けて行きました。気遣いのできた犬だ。夕陽は頭を少し残して海の中。あたりは急に暗くなりました。「さあ、僕も行かなくちゃ」秋の海はロマンチックです。

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2006/10月3日 あの時

「胃潰瘍でもう飲めないから」と手渡された焼酎
「僕は家では飲まないからいいよ」
「誰かと一緒なら飲むでしょ」
「そりゃあ飲むけど」
「じゃあ持って帰ってください」
「うん、じゃあ」

妙に強引だなと思いながら受け取った焼酎

時間が経って分かったけれど彼はあの時もう自分が助からないことを知っていた
胃潰瘍じゃなくて胃ガン
まだ封も切ってない瓶を見ていると

こみ上げてくるもの
逝ってしまった友の最後の顔、最後の会話

「もう長くないです」
「そんなこと言うなよ」
「でも来月ここで彼女が演奏会を開いてくれますから、それまでは頑張ります」
「時間あったら来てください」
「来るよ」「じゃあまた」「演奏会まで体調整えておくように」

握手をしたら思いがけず力強く、「これならまだ大丈夫だ」と一人ごちて帰ったあの日

 

あくる日、突然の悲報に言葉を失った

本格いも焼酎、さつま木挽

「今夜は一人で飲むよ」

思い出せばちょうどこれぐらいの時間、君の店でべろんべろんに飲んだこともあったね

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2006/10月2日 ユーモア父ちゃん

僕が中学の時、摂津峡の崖っぷちで絵を描いていた父は谷に転落して亡くなりました。早春の川辺で遺体を発見してくれた登山者の話によると霜で覆われた遺体はどこにも外傷はなく、顔はうっすらと笑みが浮かんでいたので寝ているのかと思ったそうです。

僕が5才の時よく行く中之島の貸しボート屋でモーターボートを借りた父は僕をのせ走り出しました。舟は波を切り風を切り怖がる僕をものともせず進んで行きます。最初ぐるぐると付近を廻っていたボートは突然、下流に向かって直進しだしました。「どこへいくんだろ?」ボートはどんどんスピードを上げて父は得意そうな顔で運転しています。「正樹、気持ちいいだろう」気持ちいいより怖いが本音。「お父ちゃん、どこへ行くの?」「家に帰るんだよ、電車やバスより速いからね」「家・・・」子供の僕にも何か嫌な予感がします。ボートは安治川を疾走して見慣れた景色の場所へやって来ました。エンジンをゆるめた父は岸壁に近づけます。堤防の上を見上げると人だかりがしてます。「なんだろ」中には警察官もいます。僕を担いで階段を上がった父は警察官と何やら話をしています。笑ってるぐらいだから何事もないんだと思ったら、父は近くの交番へ連れていかれました。母が来て謝ります。「あんた何考えてるの」きつい口調。父は僕にウインクして「正樹、気持ちよかっただろ」「今度はお母さんも乗せよう」警官は笑い、母は半泣き。結局ボート屋のおじさんが来て何とか一件落着。そのおじさんと父は友人だったのです。

僕が小学二年の時、学級参観がありました。「お母さん来てくれるの?」「ちょっと用事があって行けないからお父さんに行ってもらう」嫌な予感がしました。授業が始まって教室の後ろにはぞろぞろお母さん達が集まってきます。こわごわ振り返ると、父の姿はありません。「ふ〜っ」胸をなでおろして黒板を見つめます。授業が半分ぐらい過ぎた時、教室がざわざわしだしました。「なんだろ」教室の全員が一点を見つめています。胸騒ぎがします。みんなの視線の先。「ぎゃあ〜〜」廊下側の窓の正方形のガラスが一枚はずれていて、なんとその窓にぴたりと父の顔がはまっているではありませんか。まわりは磨りガラス、首だけが窓に乗っかってるように見えるのです。僕の視線をとらえた父は満面の笑み。あまりの恥ずかしさに僕は気絶しました。

僕が幼稚園の時、めずらしく父が迎えに来ました。「正樹、映画いこ」映画館への道すがら棒きれをひらった父はちゃんばらのような格好をします。「やあっ、とおっ〜」道行く人が笑ってます。僕は下を向いて歩きます。さて古びた映画館で上映されていたのは「怪傑ゾロ」最高に面白い映画でした。「お父さん、ゾロってかっこいいね」「あんな人ほんとうはいないんだ、映画の中だけでしょ?」「正樹、ほんとうにいるよ」「また嘘ばっかり」「絶対いる」強い口調でいい切るのです。またしても嫌な予感。家に帰って楽しい食事時「お母さん、ゾロってかっこいいよ」「ねえ、お父さん」あれっ「お母さんお父さんは?」「またどこかでお酒でも飲んでるよ」ま、時々そんな事があります。映画のかっこいいシーンを思い出しながらの楽しい夕食。映画って面白いな。最高。すっかり幸せな気分になって、絵本のおいてある二階へ上りました。薄暗い部屋。本を手に取ってごろんと横になります。「がたっ」物干しの方で音がします。目を凝らすと出たのです。「わああああ!!」全身黒づくめの怪傑ゾロが立っています。でも、なんか違う。帽子も変だし、黒いカーテンぐるぐる巻きのような服も変。「お父ちゃん!」と言った瞬間ゾロはヒラリ身を翻し、物干しから飛び降りました。

「ドスン」「ぎゃああ」と言う女性の悲鳴。ゾロは夕食の余り物を届けに来てくれた近所のおばちゃんの前に落ちました。おばちゃんは腰を抜かし、ゾロは大腿骨骨折。駆けつけた救急隊員はあまりの異様な光景に呆然としていたそうです(後で母から聞いた話)後日病院でギブスをはめた父の頭に母の鉄拳が飛んだのは言うまでもありません。

 

父は僕によくこういってました。「人生に一番必要なのはユーモアだよ」ユーモアって痛いものだなと心の中で思いつつ、父の言葉に妙な説得力を感じたのです。

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2006/10月1日 それぞれの色

今日から10月。神無月です。
たくさんの涙と複雑な人間模様に神経はかなりまいって、青い空に「お〜い」と叫びたい気持ち。

 

 

お〜い

呼んでみただけさ

声が聞きたくて呼んでみただけさ

言葉は星となって

夜空に輝き

笑顔は光となって

虹をかける

 

お〜い

呼んでみただけさ

笑顔が見たくて呼んでみただけさ

流れゆく雲も青い空も

君なしでは映らない

 

お〜い

呼んでみただけさ

元気かどうか確かめただけさ

やさしい風が木の葉をゆらし

気持ちのいい朝を感じたいだけさ

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