夢と困難に満ちた二人の冒険への旅立ち(3)


 

キャザーウッドはピラミッド・階段・プラットフォームの輪郭を正確に見分け、さらに動物の形や人の姿や神聖文字で飾られた石の彫刻を探し当てたが、そのうちの幾つかは巨大で美しい彫刻のある石碑と祭壇で、それによりこの遺跡が今や有名なものになっている。スティーブンズはキリグアに関して「かつてこの地に大きな町があったことだ。その町の名は誰にもわからず、その町の歴史も誰も知らない。キャザーウッド氏の防備禄から報道されたヴァテマラのある新聞に掲載された記事が始めてその場所を明らかにしたものである。

■パレンケの遺跡へ・・

その報道により今まで全くこの町を知るすべを持たなかった合衆国やヨーロッパの人々もそれを知ることになったのだ・・・・イザハルからヴァテマラへ旅行するものなら誰でも3時間でそこへ行ける。だがその町は人の訪れもなく、人目につかずひっそりとそこにあるのだ」1840年の4月までに探検体がパレンヶの調査に乗り出した。一行は病気と餓えと疲れによる朦朧とした意識の中で前進した。やっとの思いで遺跡に近ずいたときの事を思い出してスティーブンズはこう語る「我々は急な石の登りを急いで登って行った。そこは大変険しく騾馬はほとんど登れなかった。階段台地まではほぼ道全体に木が生い茂っていて、どんな形か見極めるのは困難だった・・・第2の段状台地に立ったとき、インディオ達はエルパラシオ〔宮殿だ)と叫んだ。

密林の木々を切り開いていくと、その間から化粧漆喰の絵に豊かに飾られた柱のある大きな建物の前面が見えてきた。奇妙ではあるが優雅な感じで、生い茂った木がそれを覆い、その枝が入り口に入り込んでいた。その建物は様式と効果においてユニークで素晴らしく、しかも悲哀に満ちた美しさがある。我々は宮殿の中へと入っていった。高度に芸術的な階段台地の上にあるこの建物「大宮殿」と呼ぶ事にした。それは、筒型天井の部屋と狭い回廊と四つの中庭の周囲に配置された地下室などがあって、まるで巨大な迷宮だ。


■筆舌に尽くせない精神的雄大さ!

中心と思われるところに東洋諸国の塔を思わせる四角い塔が、台地からおよそ15メートルの高さに立っていた。素晴らしい出来映えの彫刻や浅浮き彫りや神聖文字の碑文などが、この宮殿の正面や壁や広場を飾り立てている。・・・大宮殿の南西の隅の近くに20メートルの高さのピラミッドが、厚い草木の茂みに覆われていた。かろうじて階段を上がって、その内部に入るとしっくいの浮き彫りと神聖文字の壁で飾られたづけ柱で区切られた5つの入り口があった。その正面上部にわけのわからぬ彫刻デザインがある。「この眺めの精神的雄大さは、まさに筆舌に尽くせない」とスティーブンズは語っている。・・・いたるところにパレンケのかっての栄光を示す数々の証拠がある。大宮殿の裏側にも現在では太陽の神殿・十字の神殿・美しい浮き彫りの神殿・葉形十字の神殿などという叙述的な名称を持っている一群の構造物がある。その全てが大理石としっくいの浮き彫りで装飾されている。そして「計算の神殿」という建物を支えている高い階段ピラミッドに付属する神殿群などの構造物がある。


■世界史のロマンスの中で
これほど強烈な印象を与えるものがあるだろうか?

「ここには文化的で洗練されたすぐれた人々のな残りがある。その人々は民族の興亡に付随する様々な段階を経てきた人であり、その黄金時代を築いてやがて完全に消滅してしまった人々だ。その民族と我々とを結ぶ絆は切り離されて、すでに失われてしまった。ただ彼らの足跡だけがこの台地にのこっているだけだ、・・・

これまで世界史のロマンスの中で、これほど強烈な印象を持つものはない。この町は世界の全てから遠く隔たっていて、世の移り変わりの悲哀を語る証人である」雨季の到来でパレンケを去らなくてはならなくなった一行はメリダの近くのウシュマルの古都を調査するつもりで、ユカタン行きの船に乗った。一行はウシュマル行の光景に当面すると再びあらゆる思惑がはずれてしまった。


■ウシュマルの遺跡の素晴らしさ!

ウシュマルの廃墟の真ん中に「支配者の宮殿」という素晴らしい建物が建っていた。スティーブンズは誇張なしにこう述べている。「そのデザインやプロポーションには粗野さや野蛮さは全く見られない。それとは逆に、調和がとれて壮麗に見える。現在でもこれをチュイルリー公園やハイドパークにある大人工台地に据えたとしても、新たな調和を保つ形態に映るだろう・・・

エジプト、ギリシャ、ローマの芸術と比べてもひけをとらない」支配者の宮殿のすぐそばには、高台・ピラミッド・プラットホームの一群がありその全貌は廃石や茂みで覆われて見えない。北方数百メートルのところに、広い中庭のある四個の四角い建物が建っている。矩形の 尼僧院として知られているもので、それぞれの建造物には独居室のような部屋が2列になっていて、幾何学模様のデザインや蛇や仮面で豊かに飾られている。この建物の東に高さ26メートルの先の切られた形のピラミッドがあり、その頂上にある壮大な神殿・・魔法使いの家・・へ通じる傾斜の急な2個の階段がついている。四方の見渡せる範囲には、別の高台や壊れかけた建物や露出した壁などがある。


■探検の成果の発表と波紋

ウシュマルはその昔重要都市であったことは間違いない。だが、ウシュマルの調査は短期間しか出来なかった。キャザーウッドは遺跡をスケッチしてる間に激しいマラリアの兆候が現れて倒れ、うわごとをいう状態となったため近くの農場へ運ばれていったからであった。

1840年7月31日に一行はニューヨークへ帰った。ニューヨークではその探検の結果を出版物にする準備が迅速に行われた。キャザーウッドの素晴らしい図版入りの「中央アメリカ・チアパス・ユカタンの旅の出来事」と題するスティーブンズの2巻本が、1841年の6月に出版された。その反響は驚くべきものだった。この長いこと無視されてきた遺跡に関する生々としたスティーブンズの本を、歴史家達は狼狽して読んだ。この遺跡を説明使用とする諸説に関して学会は大混乱だった。

 

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