・武満 徹 1930-1996
《音楽を呼びさますもの》〜「『個』への志向が先決」より



 (前略)
 核兵器のもつ恐ろしさは、他の兵器と比べ、その恐怖を、具体的な痛覚として
自分の内に培養できないことにある。恐ろしいという感覚を、具体的な痛覚として、
どう位置づけ、どう捉えるべきか。
 深くそのことを、考える必要がある。・・・・・
 (中略)
 科学技術と人間の「個」の対峙は、これまでも歴史上に何度となく見られたが、
技術はつねに文化や芸術にリードされコントロールされてきたのだった。
 核もまた、人間が自らの手で生んだ技術の結果にほかならない。しかし、その
「核」は、もはや人間の手によって、コントロールできぬほどの巨大なモンスターに
育ってしまった。
 そうした時に、「ジャパネスク」に代表されるような、口あたりのいい表現で、国家
主義的な思潮が、潜在的にジワジワと大国のなかに生じつつある。その足音が
聞こえてくるようで、空恐ろしい気がする。

 先日、ガンジーが書いた手紙を読んだ私が新鮮な感動を覚えたのは、無抵抗、
丸腰がいかに勇気を必要とするかを知ったからである。低次元のリベラリストたちは、
核による抑止力に期待をもっているようだが、人類を破滅へと追いやる甘い理想は
忘れて、もっと勇気をもつべきであろう。核シェルターを作り、しかもそれを販売する
ような人、また、それを欲しがる人たちが気づいていないのは、そうしたエゴイズムが、
国家的エゴイズムと結びついた時の恐怖だ。それがどれほどに人々を苦しめたか、
三十数年前の戦争で、私たちは思い知らされた筈ではないか。そうした流れだけは、
どうしてもくい止めなければならない。今回の反核アピールがどれほどの効果をもつ
ものであるかは、前述したとおりだが、一時のブームのようなその場限りの形でなく、
私たちの中に生まれた反核の意識をゆっくりと培養しふくらませていかなければならない。

 私の専門とする音楽は、私たち専門家だけの専有物では決してない。音楽は、私に
とって、人間的な「個」を確かめるための一手段であって、あらゆる分野で人間が「個」
への志向を明確にする時、科学技術は、再び本来の健全な姿で人間の手にもどって
くるにちがいない。その時、核の問題も、新しい展開をみせ、廃絶への道は開ける
だろう
と思う。その願いをこめて、私は、反核へのアピールに署名した。


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