・オルテガ・イ・ガセットOrtega y Gsett 1833-1955(スペインの哲学者)
「大衆の反逆」(1930)より

 生きるとは、何かに向かって放たれているていること、ひとつの目標に向かって歩くことだ。
そしてその目標は、私の道程でもなければ私の生でもない。それは私の生を賭けるもの、
したがって私の生の外に、彼方にある何物かである。
(神吉敬三 訳)

・ドストエフスキー「カラマーゾフの兄弟」(1879)『作者の言葉』より

 奇人とは「必ずしも」個々の特殊な現象とは限らぬばかりか、むしろ反対に、奇人が時として全体の核心を
内にいだいており、同時代のほかの人たちはみな、突風か何かで、なぜか一時その奇人から引き離された、
という場合がままある。
(原卓也 訳)

・ビクトル・エリセ(スペインの映画監督―「ミツバチのささやき」「エル・スール」「マルメロの陽光」)
東日本大震災を受けて制作された短編映画作品「3.11 A sense of home films」に原発依存への異議を唱えるメッセ
ージ性の強い作品で参加。そのインタビューで「映画に出来ることはあるのか」の問いに答えて

 1960年代、映画が社会を変革できると信じた人が大勢いた。でも、結局社会は変わらなかった。
ただし、一人ひと りの感受性を高めることは出来る。映画に限らず、藝術の持つ意味はやはり大きい。
(2011.9.21朝日新聞掲載)

・武満 徹 1930-1996
「音楽を呼びさますもの」〜『二つのもの―作家の生活』より
                                                                       
『レクイエム』を書いた頃の私は、それが音になって他人に聴かれようなどとは思いもしなかった。私には、私が表現することだけで
充分だった。そして、それは生きることと純粋に一致していた。やがて作曲を職業とするようになる。だがその日から、私は音楽を
職業とすることの屈辱に耐えなければならなかった。これはけっして芸術家の特権的な甘えなどではない。誰しもがひとりの個として
この全体を生きるときに感ずるはずの屈辱であり、齟齬なのだ。そして実は、そのことに人間としての生のほんとうの意味があるように
思う。


アンディムジーク

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