私は音楽家だから政治には関わらない、私は画家だから絵のことだけを考えている、
私は建築家だから、私は教師だから・・・・こういう言葉を何度聞いたでしょうか。

 音楽家は音楽の話ししかできず、画家は絵の話しだけ、建築家は建築の、教師は学校の、
会社勤めの人は会社の・・・。これは日本だけの特異現象かもしれません。
 「まず人間であること」を放棄して、一体何ができるというのでしょうか。

 沖縄に米軍基地がいくらあろうが、原爆症や水俣病で苦しんできた人がいようが、
環境破壊で生物が絶滅しようが、原発で被曝する人がいようが、放射能が撒き散らされていようが、
自分の今の小さな世界以外で何が起こっていても無関心であることは、倒れている人の横を素通りし、
弱っている虫を踏み潰していく行為と、私の眼には同じに映ります。

 そういう人間は少なくとも、藝術や教育には関われない、「関わってはならない」人間だと思います。

 藝術や教育に本当に向き合えば、自分の世界以外のこと、他者のことを考えざるを得なくなり、
社会の悪に対して怒りを覚えずにはいられなくなるはずです。我々が今、その作品を奏し、鑑賞し、
師として学んでいる過去の藝術家の中に、権力や体制と戦わず、自分の世界だけに安穏と生きた人間が
いたでしょうか。その作品のみならず、近寄り難いほどの苦悩に満ち満ちた彼らのポートレートが、
それを物語っているではありませんか。

 

 戦後67年。一億「総白痴化」、「総イエスマン化」の国家戦略にもう言いなりになっていては駄目です。
一人ひとりが世界を見、この国を見、一人ひとりが「哲学」を持たなければ。藝術家、そして教師は
その先頭に立たなければ。私は強くそう思います。


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