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2006
 

 ■お月さんとお正月 ■まあるいもの ■若気のいたり ■それぞれの転機 ■阪神淡路大震災 ■ハイチでの大地震 ■自己と他者 ■たとえばそばにいるだけで ■自然と老人 ■船と橋 ■過剰と均一 ■やさしさは外から ■運命の横顔 ■大人と子供 ■雲の上と下 ■孤立と絶望 ■地方の孤立と個人の孤立 ■職業と視点 ■貧困ビジネス ■長所と短所 ■しずかなる配慮 ■対エゴイズム ■直感とヒューマニズム ■人間としての土壌づくり ■脱原発、明治公園での5万人集会 ■見失ってはいけないもの ■今この時期にF2戦闘6機の修理に800億 ■同時多発テロから10年 ■政治家の人相 ■自衛隊をレスキュー隊に ■ブラックジャックの怒り ■無限大と無限小 ■失敗からしか学べない事 


 

 


お月さんとお正月


2010/01/02  少しお酒を飲み過ぎたのでしょうか、オレンジを帯びた大きなお月さんが夕空にぼやんと浮かんでいます。この寒空の下、高齢で病身にも関わらず岡山の田舎で気丈に一人暮らしをしているおばさん、癌と戦ってる親友、去年再度の腰痛で倒れた弟、長年肝炎で苦しんでる後輩、みんな無事にお正月を迎えているだろうかとお月さんを見ながら考えます。

年末に電話して状態は分かっているのだけれど年が変わるとそれが随分前の事のように思われて不安が募ります。こうやって公園のベンチで数十分座っているだけでも我慢出来ないほど寒いのに路上生活を余儀なくされている人たち。高齢でもなく病気や怪我もしていないのに仕事が見つからないと言う理不尽。年始の神社やお寺は暖かく着飾った人で溢れていますが、それぞれの願掛けの中に、ぎりぎりの逆境に追い込まれてしまっている人たちが窮地を脱する事ができるよう願いを含めて欲しいなと思います。社会全体が暖かくならなければ本当の「暖」は誰も取れないと思うからです。

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まあるいもの


2010/01/04  よちよち歩きの女の子が歩いたりこけたり。お母さんはにこにこしてでも不安そうに見守っています。ピンク色の暖かそうな羽毛のジャケットを着せられた女の子は縦横同じぐらいの格好でまんまる。何とも可愛いものです。すれ違う時に手を振ると恥ずかしそうにしてまた尻餅をつきました。お母さんはニコニコ。公園に出てベンチに座っているとすずめが一羽二羽、どんどん集まって来ます。

寒さに負けないよう羽を膨らませているのでしょうか、まるで小さなボールのようにみんなまんまるです。小さくてまるいものは理屈抜きで愛らしく見えます。ころころして安定感があってつい手を差し伸べたくなります。弱者に対する勝手な思い入れかも知れませんが人間の赤ちゃんでも、子犬でも子猫でもアザラシの赤ちゃんでもたいていは太っている方が可愛いものです。三角、四角、丸。三角野郎とか四角四面な奴とかあいつは人間が丸くなったとか幾何学的な言いようはあるけれど、丸に内接する三角や四角はいつまでも持っていたいものです。

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若気のいたり


2010/01/06  自己の確立。それは遠く曲がりくねって長い道のりです。20才の意識、行動を若気の至りだと言えるほどに真摯に年齢を重ねた人が一体どれだけいるのでしょう。同級生を見ても20才の時にあった正義感やいろいろな事に対する問題意識はほんの10年余りで失ってしまいみな同じような人間になってしまいます。自分と言う一個の個性を確立する事は簡単ではないけれどその遥か前に自己を見失い、自己から逃避してしまえば若気のいたり云々ではありません。20才の自分はそれなりに真実だと思うからです。

ある者は社会のせいにします。ある者は家庭のせいにします。仕事、親、子供、夫婦、兄弟の問題。病気や怪我の問題もあります。それでも僕が知る限り状況の厳しい人ほど自分を見失わずに生きている人が多いのには皮肉な感がするほどです。生きるためにはどうしようもない妥協も、やるせない我慢も多々あるけれどかと言ってそれは若き日の純情や情熱、夢を無くする言い訳にはなりません。

若気のいたりの中の真実。積年のいたりの中の虚偽。年齢だけ重ねて中身が積み重なるどころか空っぽになって行くような生き方だけは避けなければなりません。

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それぞれの転機


2010/01/10  入学と卒業、入社と退社、独立と倒産、入院と退院、結婚と離婚。いろいろあります。旅行での人との出会い景色との出会い食べ物との出会いもあります。一冊の本、一枚の絵、一曲の音楽、愛すべき猫や犬との出会い、つらすぎる別れもあります。生を受けて死に至るまでいったいどれぐらいの出会いや別れがあるのだろう?その一つ一つが人生の転機になっているかも知れません。意識的であれ無意識であれそこで何らかのチェンジが起こっているのは間違いないのだけれどしっかり捉える事は難しい事です。

のど元過ぎればではありませんが多くの体験は流れる水のごとしです。それでも幾つかの体験はしっかりと記憶に刻まれ人格の一部を形成して行きます。考え方と行動、意識と表現は織物の縦糸と横糸のように交差してそれぞれの絵柄を織り込んで行きます。くっきりした部分もあればぼやけた部分もあって全体がどう言う構図になるのかは分からないけどきっと読み解く鍵は用意されている事でしょう。人それぞれの転機、その時々の転機、連続する日常の中に点在する不連続な部分と部分、時と時の積み重ねこそが自己変革の歴史、その人の個性とか人格と呼ばれるものではないでしょうか。

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阪神淡路大震災


2010/01/13  阪神淡路大震災からもうすぐ15年。当時住んでいた大阪の家の屋根瓦が全部落ちた事や翌日被災地へ水を運んだ時の光景は今も鮮明です。線路が飴のようにぐにゃぐにゃに曲がり、高速道路が横倒しになり、多くの家が土の山と化していました。自然の力の恐ろしさの前には人工のものなどひとたまりもありません。悲しい傷跡を阪神間に無数に残した大震災ですが15年たった今、その痕跡はもうほとんど見当たりません。復興、再開発で街の見た目は以前よりきれいになりましたが、肉親を亡くした人、家を失った人、不本意な引っ越しを余儀なくされた人にとって心の傷は道路や建物のように元に戻るものではありません。神戸の街を歩いていて思わぬところで出会う倒壊を免れた古い家屋やビルを見るごとに複雑な気持ちになります。一新された周りに1人取り残されたように見える建物は仲間を失った人間そのものに見えます。

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ハイチでの大地震


2010/01/14  テレビのニュースを見ただけでもぞっとするような惨状です。日本のように国情が安定しないハイチでは救助の遅れや手当の遅れでどれだけの人が命を落とすか想像するだけで胸が痛みます。世界中で壊滅的な自然災害が多発する時代、もっと実動的で大規模な国際的な救助組織が何で生まれないのかと切に思います。世界は危機的な環境問題を抱え異常気象はもとより地震もまた多発するでしょう。地球が一つの生命体である以上当然の事です。大国のエゴに翻弄される民族紛争や不平等から来るテロリズムなどで人為的な殺人などをやっている場合ではありません。

今そこまで迫っている天変地異の脅威は現代の人間のエゴが自ら招いたものです。ですからせめてハイチに日本の救助隊が空母と艦船に5000人のスペシャリストを乗せてすでに出航したとか、航空機20機がすでに現地に到着して隊員は仮設の病院をすでに設置し始めています。とかの話に何故ならないのでしょうか。日本の自衛隊員だってそれが国際救助隊のような任務ならもっと生き甲斐を感じるでしょう。国民の尊敬だって集まります。「ハイチで大地震発生」国際救助隊はすでに現地に20000人以上入り、千人以上の人を瓦礫の下から救い出しました。なお各国の救助隊はそれぞれ最新鋭の医療機器を携えハイチに向かっています。そんな報道がなされる現実が単なる絵空事ではないだけの必要性と具体性が少なくとも先進国と呼ばれる国にはあると思うのです。

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自己と他者


2010/01/21  自分を愛せない人間に人は愛せない、とは時々に耳にする言葉ですが他者を愛せない人間もまた自分を愛せないのではないだろうかとも思います。大好きなロックグループのイーグルスのデスペラード(ならず者)と言う曲を聞くたびになんか自分もまたならず者のような気がする時があります。ならず者から脱しようとじたばたしている自分を感じる時があります。<歌詞>デスペラード目を醒したらどうだ。お前は随分と長い間人を寄せつけなかった。困った奴だけど理由があったんだろう。今はそれでもいいかも知れない。だけどきっと辛くなる・・・・・・冬には足が冷たくならないか?空からは雪も降らず陽も照らない。・・・・・気持ちが去って行くのは笑い事じゃないよ。・・・・・デスペラード目を醒したらどうだ。こっちに戻ってくるんだ。心を開いて。今は雨が降るかも知れない。けれど頭上には虹がかかるさ。おまえには誰かに愛されることが必要さ。誰かに愛してもらうんだ。手遅れになる前に。<訳、加納一実>

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たとえばそばにいるだけで


2010/01/25  街角で耳にする歌ではないけれどただそばにいるだけで安らげる人がいます。初対面であっても古い友人であっても話していてほっとする人はいるものです。同調、共感、共鳴、調和、よく分からないけど心が元気になる人。ある種の波長のようなものかも知れません。それよりもきっとその人が自分自身の事で心をいっぱいにせずに人が分け入るスペースを空けてくれているからでしょう。この世にはいろんな人がいます。相手の言葉に耳を貸さない人、イライラをぶつける人、説教くさい人、揚げ足取りに馬耳東風。たとえばそばにいるだけで疲れきってしまう人もいます。

何が彼らをそこまで偏狭にしてしまったのか、などと考えても虚しい事ではありますが別れて帰る道々それぞれの生い立ちや環境に思いを巡らす事もあります。もっとおおらかに、せめてユーモアと笑いぐらいは会話に挿めないものだろうか。高度な学歴や社会的地位があっても経済力があっても心の寛さとは別問題である事を最近特に思い知らされます。心のみならず知識や智慧もまた同じくです。「たとえばそばにいるだけで心が強くなれる人」「たとえばそばにいるだけで笑顔が取り戻せる人」「たとえばそばにいるだけで心がやさしくなれる人」そして『たとえばそばにいなくとも心が温かくなれる人』。そんな人を目指したいものです。

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自然と老人
2010/02/09  飲み屋のカウンターで横に座った老人がつぶやいていました。「人間は自分に拘泥しすぎるとどんどん馬鹿になってしまうよ」ちょっと頑迷そうな顔をしたおじいさんは続けて「馬鹿になると周りが見えなくなる。人は遠のいてしまう。それでますます自分に拘泥してしまう」「自然は偉い。自然は自分を知っとる」おじいさんは自身に語りかけているのでしょうか。

自己への反省か哲学か分からないけどおじいさんのつぶやきは真実です。「あの、自然は自分を知っとると言うのはどう言うことでしょうか?」思わず問いかけるとおじいさんはこっちを見ようともせず「光がないと死んでしまう。水がないと枯れてしまう」「当たり前のことを自然はちゃんとわかっとる」「兄ちゃんはわかっとるか」逆に問いかけられて「はい」と言ったものの考え込んでしまいました。その後の話でおじいさんは88才。奥さんに先立たれ1人で暮らしておられるそうです。一杯のビールと一本のどて焼きはおじいさんにとっての光と水のような気がしました。

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船と橋


2010/02/15  川の向こう岸へ行くために渡し船しかなかった時代。手の届くような距離なのにどこか対岸の町は遠くに感じられました。こちら側と向こう側。船は次元を飛び越える格別な乗り物と言う感がありました。でも小さな橋、大掛かりな橋が次々と造られ渡し船も連絡船も姿を消し、車を運ぶフェリーでさえ存続の危機が迫っています。船便が少ない離島や陸の孤島のような場所なら橋は必要ですが瀬戸内の風景を見ていると橋が多過ぎるような気もします。全てが車優先の社会にあっては可能な場所に橋を架けるのは分かるけど船会社を救う手だてを考えに入れなければそのうち船旅は出来なくなります。淡路島と明石を結ぶたこフェリーも乗客はまばら。船体に描かれたタコの絵がどこか寂しそうです。箱庭のような瀬戸内海には大型の貨物船やタンカーより客船や小さな漁船が良く似合います。

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過剰と均一


2010/02/24  過剰競争、過剰生産、過剰広告、過剰包装・・・過剰だと感じるものが多すぎます。利潤があげやすいとなると同じような商品、同じような業種が乱立乱造されてあの手この手の競争合戦。テレビでは似たような商品のコマーシャル、街では似たような店舗がはびこってうんざりします。薄利多売ならまだいいけれど暴利多売ではないかと疑うような店も多々あって金儲けに取り憑かれた経営者を呪いたくなります。そんな店で懸命に働かされる従業員も災難なら入った客も災難。均一で安価な材料を大量に仕入れて調理経験のあまりない人間が均一に作れる料理が美味しいはずもありません。しかも質を考えれば決して安くもないのにそれなりに流行っているのには不思議な感さえします。

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やさしさは外から


2010/03/03  防戦一方苦戦一方であっと言う間に月は変わったけどチリの大地震や日々報道される悲惨な事件の被害者と家族友人の無念を思うと僕の悩みなど口にも出せません。どこを見ても理不尽にぶつかるような歪んだ社会の中で安穏と暮らしている人はごく少数だろうしもしいたとしたらよほど無神経な人に違いないとは思うけれど自分の日常以外に無関心なのは怖い事です。

社会的関心や感情はそのままその人の性格や行動に反映されると思うからです。自然、動物、他人を思いやるのは当たり前の事だけどそれが教えられていない人間がいるから陰惨な事件が起こります。本当に家族を思う心があるなら他者をも思うはずですし、本当に自分の事を大事に考えるなら他者を大事にするはずです。

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運命の横顔


2010/03/05  「運命と言うものは好んでこうしたいということにあるのではなく、むしろ、したくないことをしなければならないという自覚において、その厳しい横顔をはっきりとあらわすものなのである」とスペインの哲学者オルテガは言っているけど人生を重ねるにつれて同感の意を強くします。そしてまさしくその意味において運命を受け入れる事は自意識に忠実であると言う事だと思います。自分はこうあらねばならない、こうありたいと望む姿勢が真摯なものなら「したくないことをしなければならない」事への葛藤は避けられないでしょうし逃げる事は自己否定に等しい事かも知れません。自分自身まだまだ自覚が足りないけれどその「厳しい横顔」をしっかりと見つめる訓練を続けなければいけない。再自覚です。

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大人と子供
2010/03/11  人の言葉をよく聞いて相手の立場や状況を推測して話すのが大人だと思うけれどそれは年齢には関係ないなとつくづく感じます。高校や中学生、小学生の中にだってそう言うことが出来る人間もいるし、年齢を重ね社会的地位もあるのに人の言葉に耳をかさずに自分の事ばかり喋る人もいます。子供です。せめて天真爛漫で純粋さも残っていればいいのですが、それは無理で自己保身と妙な理屈で固まっているから問題です。こんな人が部下や学生をよい方向に指導出来るとは到底思えないような人が社会の上層部にけっこういるのが不思議です。人間性を高めるための原点となるやさしさがなければ体験や経験は何ももたらさないのではないだろうか。大人なら当然であるべき事。子供を守りいたわる心。

後輩を指導する心。年齢は一律に経て行くけれど精神年齢は平行しないからやっかいです。子供を虐待する親、子供の心に鈍感な親や教師。幼い子供を放置してパチンコする親が一体大人でしょうか。子供が子供をつくるのは恐るべき事です。

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雲の上と下


2010/03/13  近景がないからスピード感はないけれど雲海の上を高速で飛んであっという間に東京上空。時間の都合でやむなく飛行機に乗ったけど高所恐怖症の僕には過酷な乗り物です。それでも雲の上に出ると下界は見えないし青空と真っ白な雲にしばし怖さは薄らぎます。小学4年の時、悪友達とキャンプに出かけて砂防ダムの上を歩いている時にいたずらで後ろから押された時の恐怖。もともと高いところは苦手だったけどあれ以来「落ちる」事への恐怖感は治りません。重力をコントロール出来る方法が早く発明されないかなと期待するのも落ちる事への恐怖故の事。ピーターパンやスーパーマンに憧れるのも当然の事です。曇天の日でも雨の日でも雲の上はいつも青空、超高層ビルも巨大なタンカーも高空からは小さなおもちゃのよう。そんな小さな世界を支配する人間が山を削り海を埋め立て環境を破壊し続けている現実。雲の下、高度を下げた飛行機の小窓から見える風景には疑問符が幾つも浮かびます。

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孤立と絶望


2010/03/16  年齢、時代を問わず生きていれば様々な問題が降り掛かります。病気、事件、事故、挫折、いろいろ起こります。病床でふだん考えなかった事を考えたり、自身の事故や怪我の体験で他者の痛みが分かる事もあります。何か問題にぶつかったときそれが自努力や忍耐で対処できるならばいいですがどうしても解決策を見いだせないとき人は孤独になります。誰かに相談したいと思って、親兄弟、親戚、知人友人を頼って救われる時もあれば問題の真意を分かってもらえず孤独感が深まる場合もあります。それでも話せる人がいるだけでも救いになります。脳裏に話せる人すら浮かばないような状況におかれたなら多くの人は絶望するでしょう。問題の解決策は見いだせなくとも親身になって話を聞いてくれるだけで、ただそれだけで救われる事もあります。「人は1人では生きいけない」。当たり前の事だけどそれは人間としての根源的な真実であって、だからこそ人は出来る限り他者を理解し愛する努力をしつづけないといけないのだと思うのです。

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地方の孤立と個人の孤立


2010/04/05  地方の衰退は目に余るものがありますが地元には仕事もなく都会に活路を見出そうとして孤立してしまう人も増え続けています。40年前、18才の頃、仕事の都合で東京で暮らしていた時の事です。一時住むところが無くなってたまたま東京で就職していた友人のアパートに泊めてもらったり、やむなく公園で一夜を明かした事もありますが2度ほど新宿のオールナイト喫茶で夜を明かした事があります。広いスペースの店内には僕と同じような若者がいっぱいいて中には年配の人も疲れ果てた顔をして宙を見つめていました。コーヒーの他にホットドックか何か食べ物を取るのがその店で夜を明かせる条件でしたが、疲れ果ててテーブルの上には手をつけていないホットドックがそのまま残っている席も多くありました。若くて怖さ知らずの時代だったけどその時の店内の憂鬱な雰囲気をよく覚えています。

50人は裕に入れる店だったけど店は一杯でその一人一人が発する孤独感が店内に満ちて逆に自分の孤独感が消えてしまう気がしました。もちろんその時の僕の孤独なんて大したものではなかったのですが。あれから時は流れて新宿も原宿もすっかり変わってしまったけど、どんどん無機質な街になっているのは間違いありません。哀愁みたいなものが全くないのです。この感は地方も同じであの時の喫茶店の若者は挫折しても故郷に帰る事が出来たけれどこれだけ衰退してしまった地方へはもう帰れないのが今の若者の当時とは違う孤独感ではないでしょうか。哀愁とか郷愁とか風景を含め情的なものが消えうせれば孤立や絶望から人が立ち直る事はますます難しくなります。

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職業と視点


2010/04/07  たくさん会社を辞めました。たくさん仕事を変えました。まともに履歴書に綴れば一瞥しただけで入社は拒否されるのが分かっていたので多くは割愛して記しましたがそれでも面接官に君は根気がないねとか真剣に働く気があるのかね、とかわがままな性格ではないのかね、とか言われる始末。「真実は違うのです、辞めて来た会社はあまりに理不尽で気が弱くて虐げられた同僚や上司のために経営者に意見したら解雇されたのです」と言うと面接官は僕が左翼とでも思ったのでしょうか、丁重に入社を断られた事もありました。喫茶店のボーイに始まって建設現場、漁師の手伝い、写真の現像所、本のセールス、廃材運び、不動産屋、インテリア会社、いろいろな職種を転々としたけれどそれがその後生きるために大いに役立ちました。それは自分のいるポジションによって社会が違って見えると言う事です。

ある職業によっては全く気付かない風景がある職業では見える。社会や人間に対して多角的な視点を持てると言う事です。そしてもう一つ、これはますます実感する事ですが、どんな職業においても人間性と言う大切な視点で捉えれば偏りはないと言う事です。どうしようもない人間はどんな世界にも同じだけいます。人間的な人間もまた少数だけれどどんな世界にも同じだけいます。そこには職業や学歴の隔壁はないように思います。若い後輩にはいつも言います。どんな仕事をしてもそれは決して無駄ではないしむしろ本望だと思う仕事に埋没するよりは敢えて転々と仕事を変えるぐらいの気概がなければ人生面白くないよ。若さとはそう言うもの、そしてその若さゆえの体験が人間性に大きく関与すると思うからです。

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貧困ビジネス


2010/04/11  嫌な言葉です。窮地に陥った人の弱みにつけ込んでお金を儲けるなんて考えがあまりに非人間的で同じ人間として恥ずかしくなります。でも考えてみれば経済至上主義の社会にあっては多かれ少なかれそう言う要素はあります。人々の無知や不安につけ込んだ商法。あるいはそれぞれのエゴイズムを逆手に取った商法。阪神大震災の時に非常用のブルーシートが不足しているのにつけ込んで高値で売りつけている人間がいましたがひどい話です。少しでも役に立とうとボランティアの人が頑張っているのに人間として差がありすぎます。生活保護のお金をピンハネする人間、孤独な老人をだます人間、わらをもつかみたいほど追いつめられた人に高利でお金を貸し付けて追いつめる人間。彼らを人間と呼んでいいのかさえ疑問を感じるけどそんな人間は後を絶たないのは社会の根幹に「人はどうあるべきか」「人はどうあらねばならないか」と言った人間として最重要な要素が、もともとたっぷりと含まれていた要素が消え失せてしまったのだと考えるしかありません。

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長所と短所


2010/05/15  十人十色、千差万別。人間には生まれついての長所、欠点が誰にでもあるけど環境や体験によって培われる長所もありますし不本意な短所を身につけてしまう事もあります。長所を伸ばせば結果的に短所が希釈される事もありますし、逆に短所を是正しなければせっかくの長所が暗雲に覆われてしまう事だってあります。長所を維持してのばす事も短所を消し去る事も難しい事ではありますが、どちらかと言うと人間形成には長所を伸ばすより短所を是正する方がいいのではないかと思うときがあります。人それぞれの個性と個性が尊重し合うためにはそれぞれの個性故の欠陥をどれだけ埋めれるかが鍵ではないでしょうか。 

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しずかなる配慮


2010/06/15  人間は他者からの配慮と他者への配慮によって生かされているのだけれど両親の配慮が過剰であったり無さ過ぎたりすると子供は時として他者との関係を作れなくなります。配慮とは教えられるものです。学びはその上に成り立ちます。他者への配慮が欠落すると無意味な争いで自他ともに傷ついたり孤立する事にもつながって悲しい事件に至る事すらあります。

どんな育ち環境であろうとある年齢になれば自ら人としてのあり方は学べると思うのだけれど現実はそうではないようです。人とので会い、自然を含めいろいろな書籍や芸術に触れる事が出来るしいつでもどこにでも自己再生の触媒はあるのだけれど「第一歩の学び」がなされていなければ人はなかなか変わらないものだと言う事を最近つくづく思います。でも気持ちのいい関係には静かなる配慮が必ず行き交っているのは確かです。

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対エゴイズム


2010/08/22  自分だけがよかったらいい、と言うような人間は学校でも社会でも嫌と言うほど出会って来たけど意見したり喧嘩したりして歩み寄れた人も少なからずいます。人間の性格はそうそう変わるものではないけれど、エゴイズムは基本的に自意識の欠如だから話したり注意したりして直る事はあります。それでも単刀直入に言えるのは学生時代の友人関係が一番。お互い欠点を忌憚なく指摘し合える貴重な時代です。社会に出ればあえて意見してくれる人は希少。最近つくづく思うのは年齢を重ねて、もちろん若い人でもですが、うんざりするような振る舞いをする人は心の通う友人がいなかったんだろうと言う事です。たとえ家庭や教育者に恵まれなくてもいい友人がいたらエゴイズムはかなり是正されるし、それは人間関係のいい連鎖になるに違いありません。

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直感とヒューマニズム


2011/09/25  人間にしても出来事にしてもそれぞれ幾つもの側面があって多面的に捉えないと判断を誤る事がありますが、分析や理屈では推し量れなくとも「直感」で真実を捉えれる場合も時にはあります。「何か嫌な予感がする」「何か嘘くさい感じがする」「何か冷たい感じがする」などさしたる根拠はないのだけれどそう感じてしまう何かが心に働きかけて対処や意思決定に繋がる事は誰でも経験した事があると思います。それが案外的を外さないのも経験上あるのではないでしょうか。おそらく潜在意識の中にある知識や体験がその直感をもたらすのでしょうが、その多くはヒューマニズムと言う引出しに入っているような気がします。児童文学作家の松谷みよこさん。60年に渡って人間味あふれる作品を書き続けておられる松谷さんが朝日新聞紙上で福島原発事故について話された言葉はまさにそれだと思いました。

松谷さんは原発について「原発ができ始めた頃から、私は怖い怖いと言い続けてきたんですよ。何がどうなるからと言うんじゃなくて、原発の存在自体が怖いと。今回のように一度何かあったら何十年も取りかえしのつかない事になるわけでしょ。特に日本は小さいですからね。海に流れればどんどん広がっていくし。今すぐ目の前で子供たちが倒れるわけじゃないところが怖いのよ。「大丈夫」「いや大丈夫じゃない」なんて言ってるうちに時間がたって汚染されちゃう」松谷さんの言葉はまさに日本の現状そのままではありませんか。実際にチェルノブイリに行き被曝した子供たちを訪ねて感じた思いをこう語っています。「何年たっても行き場がない。子供たちの悲しい目や病院の風景が今も浮かんできます。本当につらかった」ヒューマニズムがあれば理屈抜きで分かる事、理屈抜きで判断出来ることはあると思うのです。

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人間としての土壌づくり


2011/09/23  人間性の形成にとって社会でのポジションの取り方、行動の軌跡は大きな影響があります。人間の精神的なゆたかさや暖かさは生き方の軌跡が自由な曲線を描けば描くほど大きくなるように思えます。しかし現実は平面上の自由曲線を描く事すら難しく、下手すれば小さな範囲を直線的に動くだけになってしまいます。偏見や偏狭な精神が生まれるのはそれが原因の1つだろうと僕は考えます。社会構造は水平に広がっていてどこへ行くのも自由に思えますが実際は見えない境界線のようなものが無数にあります。物理的な移動はたしかに自由かも知れませんが、例えば職業、経済、宗教的なものであったり、家庭的な価値観、地域的な土壌、人種や文化、歴史的な背景など見えない壁、境界線はそこここにあって、気もつかずに突破できる境界と意識してあえて踏み越えなければ入れない世界も多々あります。そんな事はあえてしなくてもいいではないかと思う人もいるでしょうが、人間性を少しでも高めようと思う人にとってはとても大切な事だと思います。

何かを創造したい、人に愛されたい、人を愛したい、幸せになりたい・・・だれであっても根源的な思いはそう変わらないと思います。もしそうであるならば受動的な生き方ではなく社会と言う広野を出来る限り動き回って体得する事は不可欠な要素です。文学を読んだり映画を観たりして想像力や知識を培う事はできますしそれも大切な行為ですが、自らが動いてそのポジションに立たなければ分からない事、見えない事は明らかにあってそれが人間としての考え方、行動力に大きな影響を与えます。相手の生きて来た軌跡や今のポジションを理解出来なければ深いコミュニケーションは作れませんし、それがなければその上に人間的なものは何も積み重なりませんから、創造とか愛とか幸せとほど遠い生き方になります。積み重なるのは年齢と偏狭さなんて事になれば回りにいる人間にとってはあんまりと言うものです。

職業1つとっても仕事によって視点や考え方は随分と違います。若い頃20ほどの会社や職種を転々として分かった事ですが、職種や会社によって労働や人間に対しての評価がまるで違っていて悩みもしましたが、あまりの違いに笑ってしまった事もあります。こんな会社にずっと入れば人間性そのものが無くなってしまうと言う会社もありましたし、短期間で自然のすばらしさや労働の厳しさと同時に働く事の意味を学んだ仕事もあります。立つ位置によってこんなに社会は違った風に見えるんだと言う事は幾度か実感しました。現実の社会だけではなく同じ音楽を聴いても絵を見ても本を読んでも映画を観ても感じ方や受け取り方が人によって違うのは同じような事が言えるのではないだろうかと思います。

その人がどれだけ多くの視点を持っているかが感受性そのものの中核をなすと思うからです。そしてその感受性を培うのが体験、もっと正確に言えば体験と本や音楽などから得られる知的エッセンスとの相互作用だと思うのです。少なくともセールスマンを体験すればセールスをやってる人の気持ちやその背景が分かります。居酒屋で働けば何がしんどくてどんな客が嫌なのかが分かります。全ての職業にはそれぞれ独自の視点があって、その立場になってかいま見るだけでも少しは人の気持ちが分かるようになります。想像力の素が1つ得られます。

ちょっと見れば社会は平面上にあらゆる職業や会社や人間が垣根なく点在しているように見えます。でも少し目を凝らせば感じの悪い柵があちこちに見えて来ます。前述した職業的な柵、お金や地位による柵、年齢による柵、男女の柵、各家庭の柵・・・ありとあらゆる柵が見えて来ます。柵の向こうとこっちを行き来する人が増えれば必然的に柵など消え失せるのだろうけど、実際はこの感じの悪い柵は増え続けているように見えます。家庭の中身は空虚で崩壊しているような家族が増えているけど、家庭と言う体裁だけは取りつくって柵を作ります。学校ではグループと言う柵を作って人間を小さくする傾向が増えています。

社会では職業と言う柵を作って異業種の人間とはコミュニケーションも取れません。さらに同じ職業であってもより特化した狭い場所に柵を作ってしまいます。そして行き着くところは自分自身だけ入れる柵を作って身動きもできなくなります。柵の外に出られない入られたくないものだから柵ごと動こうとしますから、回りの人間は怪我をします。そんな笑い話のような事が現実に増えていて、その原因は体験の少なさ、視界の狭さ、視点の硬化にある事は明らかです。

社会に出ていろいろな職業を体験する事は簡単に出来る事ではありません。リスクが大きすぎますし、能力的にも出来る事は限られます。ですから、生活のリスクが少ない、若い頃、学生時代には出来る限りの場所を移動し、出来る限りの人と話をし、アルバイトでも手伝いでも出来る限りの職種に接する事が非常に重要な事だと僕は思うのです。その時、その時代にしか出来ない事は確かにあります。体力的、経済的、時間的・・・制約と抵抗はどんどん増えます。

逆に言えば年とともに増え続けるリスクや束縛への抵抗力をつけるためにも若い時代に生き方の軌跡を自由と言うキャンバスの中に思いっきり描かなくてはならないと思うのです。直線あり、曲線ありの変化に富んだ絵を描くためには思い切った行動しかありません。将来において縦社会、横社会を自由に行き来するためにも、無数の柵を自然に通り抜けるためにも、そして何よりも人を愛し、他者を理解し、創造的な生き方をするためにも1つ1つの小さな体験を積む事は大切な事だと思うのです。

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脱原発への小さな波、明治公園での5万人集会


2011/09/19  東京の明治公園で「さよなら原発5万人集会」が行われ、思いが重なる多くの人が集まり海外メディアはきちっと情報を伝えました。日本のメディアは相変わらずの姿勢でこれだけの民意をほとんど報道せず、本当に民主国家なのかとあらためて疑いを持ちます。東電や関連企業から多額のスポンサー料を受け取るメディアではありますが、お金で報道姿勢が変わるならそれはもう基本であるジャーナリズムとはかけ離れています。我が国で起こっている事を海外メディアを通して見なければならない国なら、報道規制が強制的に行われている独裁国家や強権国家とどこが違うのかと思ってしまいます。

それでも原発の問題は闇に葬れるようなものではありませんから、1人1人の小さな意志が必ず正しい道に民意を収束させていくだろうと思います。脱原発の集会を呼びかけた1人、大江健三郎さんの訴え「原子力によるエネルギーは必ず、荒廃と犠牲を伴う。私たちはそれに抵抗する意志を持っていることを、政党の幹部や経団連に、デモで思い知らさねばならない」と言う言葉はその通りだと思いますし、全国で意を同じくする多くの人があらためて意を強くしたのではないでしょうか。原発の問題は人道的な問題だけではなく、経済や社会構造そのものを歪めて来た超巨大な「悪」です。人間が命を大切に思うなら、幸せを望むなら、愛する人の事を思うなら、全ての人が自分の生き方の優先順位のまっ先に置かざる得ないような問題です。

これは政治の問題でも環境の問題でもエネルギーの問題でもなく、人間としてのヒューマニズムの問題です。生と死を見つめる宗教家も、心を説く哲学者も、子供たちを導く教育者も、病気と闘う医者も、子供を大切に思う親も、妻や恋人を愛する人も、芸術や動物を愛する人も、おもしろおかしく生きている人も、人間であるならば無関心でいれるような問題ではなく、傍観出来るような問題ではない事は分かるはずです。今意識ある人たちが懸命にやっている脱原発への思いが小さな波から静かな海のごとく共通の思いに満たされた時、日本は本当に豊かで人間らしい社会への道を歩みだした時だと思います。

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見失ってはいけないもの、見つけなければならないもの


2011/09/17  学生時代に語り合った事、「戦争は絶対いけない」「弱者を助けなくては人間じゃないよ」「やっぱり自然は人間が守らなくては」「自分が思った事、好きな事をやらなくては生まれて来た意味がないよ」「とにかく冒険だ」「俺は一生絵を描き続けるぞ」「俺は絶対素敵な彼女を見つけるんだ」「とにかくまだまだ勉強するんだ」いろいろな事を語り合って、社会に対しても芸術や科学的な事に対してもそんなにかけ離れた生徒はいなかったけど、30代にふたたび会うと、かっての言葉は消え去ってあの時お互いにそう言って誓いまでとはいかないけど、まだ10年と経っていないじゃないか。何があったんだ?と聞けば結婚して子供が出来て、家を買って車を買って云々。でもなまさかそんな事で、自分の信念や夢や価値観が変わるなら、それはあの時ペラペラと喋っていたお前は明らかに話を合わせていただけじゃないか。人生、どうしようもない事もあるから自分を曲げてぐっとこらえて生きている友達もいるけど、本当に苦労をしてる人間は本質は全く変わらず、隙あらば現状さえ乗り切ればまた学生時代と同じようにやるぞと言う気概は持ち続けています。

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今この時期にF2戦闘6機の修理に800億


2011/09/15  「防衛省は東日本大震災で被災した航空自衛隊松島基地の戦闘機18機のうち12機については修理困難として処分する方針を決めた。残りの6機は購入費より高い800億円をかけて修理して使う」15日朝日夕刊。復興支援も避難補償もきちんとなされていないのにどこか間違ってやしないかと思ってしまいます。同じ記事の続きに「防衛省は修理出来るかどうか見極めるため、136億円の予算を投じて分解調査を進めていた」「防衛省は第三次補正予算に修理費800億円に加えてエンジンの修理、整備機材の購入などで計約1090億円を要求した」とあります。パイロットの訓練用のF2戦闘機6機の修理費1090億。復興のために尽力している人々の気持ち、経済的問題などで避難したいけど仕方なく放射能の危険をしいられてる人々の気持ちを思うと余りにもかけ離れた感覚です。いま国難とも言えるほど大きな問題を抱えている時期にそんなお金があれば全て復興にまわせと、誰でもが思うはずです。戦闘機6機の修理費でどれだけの人が助かるでしょう。まず防衛省は国民を防衛しなくては行けません。一体誰を防衛するためにその省があるのか、ほんと情けなくなります。パイロットの訓練は他の基地や米軍基地で行っているそうですが、それでいいではないですか。

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同時多発テロから10年、
人の命への尊厳は何時になったら回復されるのだろう


2011/09/12  世界貿易センターに旅客機が突っ込むと言う現実とは思えない恐ろしい光景から10年。世界に戦慄が走りテロと言う言葉が否応もなく人々の胸に刻まれました。問答無用の悪魔的行為を目の当たりにして、アメリカがイスラム世界のある種の人たちにとってこれほど憎悪の対象になる動機や背景は一体何だろうと当時考え込みました。大国アメリカもまた経済や軍事力で問答無用の政策を行って来た歴史。正義と言う名の下に確たる根拠もなくイラク戦争を始めたアメリカの体質。アフガニスタンとイラクでのアメリカ兵士の死者は6000人を超えたと今朝の新聞に載っていましたが、2006年に発表されたイギリスの医学誌ランセットは2003年3月から2006年6月までの戦争に起因する状況の変化、戦闘やテロ、治安悪化などで死んだイラク人は65万5000人だとするアメリカのジョンホプキンズ大学の推計を発表しました。テロとは無関係な人たちの死。その数は余りにも多く残酷です。

当時ブッシュ大統領が戦争の口実として何回も繰り返して使った「ジャスティス」。正義と言う言葉の意味さえ失われかねない、現実との差です。あまりにも多過ぎる犠牲者。そんな事を考えていたら日本の自殺者数が1998年以来、13年連続で3万人を上回り30数万人と言うものすごい数の人たちが自殺していると言う日本の現実もあまりにも異様です。欧米先進国と比較すれば突出して高い自殺率で、平和国家を自認する国とすればこれは明らかにおかしい事態が続いていると考えるしかありません。現在国民が脅かされている見えない放射能と同じように見えない社会の病巣が弱者を襲っているとしか思えませんが、その原因はもちろん国そのものにあります。そして結局国民1人1人のエゴイズム、他者、外部に対する無関心に起因する事も間違いありません。理不尽な暴力で殺されるのはあまりに非人間的で許しがたい行為ですが、見えない圧迫で人を追い込んで行くような状況を作り出す社会もまた非人間的な環境だと思うのです。

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政治家の人相


2011/09/11  「なあ、政治家の人相ってなんであんなに悪いんだ」友人のいきなりの問いかけに笑ってしまったけど「確かにね、高邁な理念はともかく誠実に生きていたらあんな人相にならないだろうと思える人間が多いね」笑ってしまったのは随分昔に同じ質問をされた事を思い出したからです。考えれば世に色々な職業があるけど日本の政治家の人相の悪さは職業の中でも突出しているかも知れません。顔立ちは致し方ないけど、「相」にはその人の心根とか生き様とかが反映されていてそれは隠しようもありません。他者への思いやり、高邁な思想を持っていたら友人が言うようにあんな人相にはならないだろうと僕も思います。他の職業と違って政治家とか教師とか医者や弁護士は人を思う気持ちが人一倍なくてはならないはずですが、聖職とも言える職業を目指す動機が不純で間違っているからこうなっているのだとも思います。

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自衛隊をレスキュー隊に


2011/09/05  紀伊半島で記録的豪雨「20人死亡55人不明」と大きな見出しの下に氾濫する河川の写真が載っていました。自然災害が起こるたびに思う事があります。強力な装備と優秀な隊員を持った自衛隊の一部をレスキュー隊に改編出来ないものかと。けが人を運ぶ隊員の姿が大きく新聞に載っていましたが、迷彩服を着た隊員がタンカーを運ぶ光景は戦場を連想させます。敵から見つかりにくい迷彩服ではなく被災者が遠くからでも見つけれる黄色やオレンジのレスキュー服であれば被災者はもっと安心するだろうにと思います。救助に特化したヘリコプターや上陸艇の開発、サンダーバードではないですが今の日本の技術力ならあらゆる救助機械や装置を作る事は可能です。

屈強な隊員が救助の専門的知識と訓練を受け、最新の装備で救助に当たればどれだけの命が助かるだろうと想像せずにはいられません。せめて5000人ぐらいでも特別チームを作れないものだろうか。国際救助隊のような組織ならばいろいろな分野の若者がもっと集まる事は確かです。科学者や機械メーカーも人命を助ける目的なら気持ちの入り方も違うはずです。原子力の平和利用は問題があり過ぎますが、ヘリコプターでも戦車でも上陸艇でも平和利用のために改造して使う事は大いにやるべきです。24万人の隊員を抱える自衛隊。せめて5000人だけでも特化して救助隊に出来ないものでしょうか。これだけ次から次へと災害が起これば同じように考える人もが少なくないような気がします。

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ブラックジャックの怒り


2011/09/03  手塚治虫がブラックジャックに託したもの、科学の進歩によって得た物質的ゆたかさとそれによって失われた自然と人間性。一冊のまんがの中の一編の物語に込められたメッセージには深いものがあります。人間は価値観の差、視点の違いで同じ現象から全く違う印象を受け、それぞれの心理に与える影響やインパクトには大きな差が出ます。同じ映画を観ても、同じ本を読んでも、同じ音楽を聴いても基盤となる価値観にヒューマニズムが根付いていなければ「何も見えず」「何も感ぜず」「何も聞こえず」と言う事はあり得ます。それを感性と言うのかどうかは分かりませんが、人間には感性を育むこころの土壌とでも言うべきものがあるように思います。ブラックジャックの怒り・・・

金儲け主義への怒り、権威主義への怒り、暴力への怒り、全体主義への怒り、勇気無きものへの怒り、事なかれ主義への怒り、えせ科学者への怒り・・・ブラックジャックの愛と苦悩・・・人間としてのプライド、人間としての悲しみ、弱者への慈しみ、科学力と自然力との葛藤・・・ブラックジャックが何故に高額な報酬を取るのかあるいは報酬を全く受け取らないのか、子供でも分かるこの真意を医学界のみならず全ての科学者、特に原発推進に組する御用学者と呼ばれる人たちはもう一度考えてちゃんとした科学者に立ち戻ってほしいものです。何よりも前にまずこころある人間である事、ヒューマニズムの習得はすべての人間の必須科目なのですから。

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無限大と無限小


2010/12/15  本土5島と6800余りの島々からなる日本列島。小さいと言えば小さな範囲だけれど広いと言えば広い世界です。この小さな日本にもまだ1度も訪れた事もない場所が山ほどあります。そう考えると本拠地である大阪ですら知らない場所はたくさんあって、長く住む家だって屋根裏や縁の下など未知の部分はあります。書物しかり、絵画しかり、音楽しかり、歴史的な作品と言われるものだけに限定しても見聞しているのはごく僅か。一冊の本の中にも一つの楽曲の中にも小宇宙と呼んでもいいような世界がある事を想定すると、知ると言う事に対してなんだか空恐ろしくなったり、無力感に襲われたりします。宇宙の果てが計り知れないように、無限小の世界も計り知れません。地球の母体である太陽系が属するこの銀河系をもし100kmぐらいだとすると太陽系は2mmにも満たない大きさ。その小さな太陽系の規模でさえ地球に比べれば恐ろしく大きなものです。しかも太陽のような恒星を何千億個と有する銀河系すら宇宙の小さな星集団に過ぎないなどと考えると地球は限りなく無限小に近いと考えるしかありません。そんな地球でさえ人類にとっては閉じられた空間で太陽系の範囲でさえ自由に航行出来るのはまだ先の話です。そんな小さな世界で、おぼつかない科学力に酔った人類がかけがえのない母体である地球環境を汚染、浸食していく現状を変えるには一人一人の意識改革しかないと思うけどそれは遠い道のりです。国や組織や家族等のグループ意識から抜けきれず争いごとを繰り返す現実。地球規模で考えれば、今の科学力と生産性があれば全人類がまんべんなく暮らせるだけの富は創出することは可能だと思うのだけど、そうさせない何か。そうできない何か。考えてしまいます。

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失敗からしか学べない事


2010/12/09  失敗は成功の母、失敗は成功のもと、などと古くから言われていますが、確かに失敗から学んだことは幾つもあります。失敗、あやまち、挫折。聞こえのいい言葉ではありませんが、あえて試みるから失敗もあやまちもありますし、あえて目指すから挫折もあります。「なんて馬鹿な事をしたんだろう」「何で予測出来なかったのだろう」と後悔はあるけれど、もしそのあやまちを犯さなければ、もっと大きなあやまちを犯していただろうと想像する事は過去に何回もありました。「あやまちは自分が認めない時に罪になる」と言っていた人がいますが、あやまちを自ら認識し、反省する事がなければ救いようがありません。安全に生きる、あやまたないように生きる。面白くもない塾に無理矢理行かされてる子供たちの多くは少しでも安全に生きるための親心がそうさせるのでしょうが、あやまたないあやまち、失敗しない失敗もあります。人間は自ら望み、自ら悟らなければ何事も身に付きませんし、個性的な人格は育たないと思うのですが、現状は狂信的と言ってもいいほどの一律教育です。このままだと安全をこえて卑屈になってしまうのではないかと思ったりします。自由度の少ない閉鎖的な教育は人間をひ弱にします。安全な人生どころか挫折や失敗に弱い人間になるのがいちばん危険な事だと思うのですが・・・・。

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