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師走/12月/DECEMBER
どうして無関心は広がっていくのだろう (寄稿 今こそ政治を話そう)「宗教国家」日本 作家・星野智幸(2013/12/25朝日新聞) 文化を大切にしない国に人間らしい人間が育つだろうか? 大阪の橋下市長が天王寺動物園をテーマパークにと言っていますが、なんでも金ありきの貧困な着想です。動物園は多様な動物とのふれあい、楽しみの中で命という概念を学ぶ場所です。できる限り自然体で、ちょっとした仕掛けと趣が凝らされていれば十分だと思います。そしてそれが天王寺動物園には揃っています。動物園は美術館と同じく感性を育む文化施設です。学校も遊園地もそうですが金もうけを企む場所ではありません。文化を育む場所、それは金銭とは次元の違う空間でなければならないと思います。フランスの映画女優、アニエス・ジャウィさんの言葉に集約されています。「文化はぜいたく品ではなく、生活必需品です。経済的に貧しくても、美しい音楽や映像に触れる機会は平等に保障されるべきです。自分とは違う他者を理解することで、人種差別や戦争、自身の孤独と闘うすべを培うことができるからです。」動物園もまさに同じだと思うのです。 主権在民は何処へ この季節になると聞こえてくる歌たち クロスビーのホワイトクリスマス。ジョンレノンのハッピークリスマス。ワムのラストクリスマス。ポールマッカートニーのワンダフルクリスマス。ダリルホールのジングルベルロック、そして山下達郎のクリスマスイブ。どの曲ももいつも新鮮です。クリスマスをテーマにした曲はいっぱいあってどれも名作ぞろいですが、雪や灯り、夜空の星と人と人の温もりが想像力をかきたてるからでしょうか。きな臭い政治、殺伐とした風潮が人の心にかげりを落とす2013年の師走ですが、美しいクリスマスソングのように日本も世界の国も平和で自由で暖かくあって欲しいと思います。 目先の景気対策にかき消される真実の声 そんなものを選択する人間はいないはずです。「そんな事にはならないだろう」と思う人がいるならそれはあまりにも無知です。過去「そんなことにならなかった」のは今回のような暴挙を阻止して来たからです。世界に誇る平和憲法を堅守してきたからです。監視や暴力に恐怖を感じる社会になってしまったら、その時はもう手遅れでぞっとします。徴兵制、思想統制、言論弾圧、どれも忌まわしい言葉です。そんなものが現実になりかねないと考えれば、経済どころではないのが分かります。戦争や独裁に向かう足音がどんなに小さな音であっても、1人1人が聞き耳をたて用心し、連帯し予防する。それが自由で平和な未来を望む人間すべての義務ではないでしょうか。 わいわいがやがや、もってけどろぼう! 「え〜い、もってけどろぼう!」魚屋を見ると大きなタイを安く売ってもらったようでおばさんが得意満面、うれしそう。売ったおっちゃんもうれしそう。そこここに笑顔がありました。ふれあいがありました。市場には多種多様なものがあふれ、ゆたかでした。多くの人は貧しかったのだけれど、あの活気と笑顔は何だったのだろうかと考えます。今から50年ちょっと前の大阪下町の風景です。転じて今は、打ち捨てられた公設市場がまるで幽霊船のようです。商店街ともども難破船のようで下町の心臓部は停止。下町の風情も人情もまぼろしです。経済発展とか開発だとかいうけれど、現状の日本、いったい何が豊かなのか再考すべきです。食の質は落ち、人情は薄れ、人間の質だって向上しているとはとても思えません。感性がない知性がない想像力がないと言えば、どこかの首相のようですが、ほんの一昔前の世相に学ぶべきものはいっぱいあるのではないでしょうか。 先進国を自認するならやらなければならない幾多のこと 病院や施設に行くたびに思うことがもう1つあります。それは介護にたずさわる人の数が少なすぎるということです。世話をする人たちの過重労働が目に余ります。もっと親切に細やかな介護をしようと思ってもこれでは無理だと客観的に分かります。医療制度、福祉制度、どちらも早急に改善しなければならない部分は幾つもあって、国策として最優先されるべきものです。原発や軍事費に使われてきた桁違いのお金。不正な公共事業を正すだけでも福祉施設の環境を充実させれるはずです。教育、医療、福祉環境の充実。先進国を自認するなら環境の物理的な面だけではなく精神的なゆたかさを感じとれるような現場にしなくてはならないと思うのです。介護する側の肉体的、精神的ゆとりは介護される側にそのまま反映されるのですから。 何故こんな政党、こんな人物を選んでしまうのか 一般市民ならいざ知らず、それが政治の重職についているのですから、恐ろしい限りです。民主主義の破壊をはらむ特定秘密保護法と国家安全保障戦略(NSS)。人道主義のかけらもない武器輸出三原則の見直しに原発の輸出そして格差社会の拡張。自身の明日、そして子供たちの未来を大切に思うなら、少なくとも自由と平和を脅かす人間だけは政治の舞台から退場させねばなりません。1人1人が政治家の言動、表情、そして生き様をチェックしなければ同じ過ちが繰り返されて、この国は行き着く所まで行ってしまいます。 人が生きる上で大切なもの でも本当にそうでしょうか。ぎりぎりの生活の中で反原発のデモに行く人もいます。やりたいことが山ほどある中で、平和運動に参加している人もいます。睡眠を削ってでも環境問題に一石を投じ続けている人もいます。会社の理不尽と戦って職を失う人もいます。それでもみんな生きています。いきいきと生きています。愛があるから、いや生きる上でもっとも大切なもの「愛」を守るためです。笑顔はいいものです。信頼もいいものです。この世の至上のものはお金では得られないものばかりです。人が生きる上で大切なものは1つしかありません。「愛」だけです。人が生きる上で大切なものが幾つもあるように思うのは「愛」にたどり着く道が幾つもあるということ、あるいは「愛」を守るための方法が幾つもあるということだと思います。
無関心という病気が確かにあります。原因はなんだろうと考えます。お金と物を偏重しすぎる価値観、専門分化した頭、想像力の欠如、愛情の希薄、その日ぐらしの圧力、単調な日常がもたらす短絡性、マイホームという奇妙なくくり、自然とのかかわりが激減しているのもその一因だろうと思います。隔離社会、断絶社会もあります。老人は老人の場所へ、子供は子供の部屋へ。かっての社会はあらゆるものが混在し同居していました。学者の家の隣は大工さんでその隣はお坊さん。そしてその隣には画家が住んでいました。異種格闘技戦ではないけれどそれぞれの世界の価値観を酒の肴に結構和気あいあいとしていたのを覚えています。 自分の知らない世界を教え合う中から生まれる他者への好奇心。頭も心もゆたかになります。人間が好きになります。無関心という病気がはびこる隙はありません。無関心の罪、知らないことの怖さ。事実を知れば原発がいかに危険性が高いものかがわかります。漏れ出た放射能がもたらす危険性もわかります。誰にでも降りかかる命の問題です。事実を知れば秘密保護法案の暗雲は誰にでも分かります。自由の束縛、そして真実の隠蔽です。二度と繰り返してはいけない戦争はそのような前兆があって引き起こされてきたのだからこれもまた誰にでもふりかかる命の問題です。 ですから命の問題に無関心であることは自己放棄であり、社会放棄です。そして加えて未来の放棄です。いくらなんでも無責任に過ぎます。誰にでも愛するものはあるはずです。子供の笑顔、愛くるしい仔猫や子犬のじゃれる姿。戦争や放射能汚染で奪われてたまるかと思うのは誰でも同じはずです。命や自由の問題において誰1人無関係なことなど決してないのだということだけは知って欲しいと思います。 美しいと感じさせるもの、美しいと感じる心 命在ることへの感謝、光、水、空気、大地、そして相対する命と命。科学も芸術も哲学も命の尊厳と自然への畏敬抜きにしては意味をなしません。そして人としての美しさ、それは他者へのおもいやりの心があるかないかだろうと思います。人をほっとさせる笑顔であったり、人を守る勇気であったり、あたりまえのマナーであったり、いろいろあります。美しい人とは他者への思いが強い人のことなんだろうと思います。経済や我欲、保身のために、命を軽視し、環境を壊し、あろうことか人々の自由を奪い、戦争にすら導きかねない政治家や資本家たち。全体から見ればほんの一握りの醜い人たちが美しいものを壊すことを絶対に許してはならないと思います。美しいと感じるものを守ること。美しいと感じる心を育てること。それは平和と自由を守ることに他なりません。 日本が輸出するのは武器や原発ではなく憲法9条 世界は急変しました。18世紀半ばに起こった産業革命から2世紀あまり。人類史から見れば一瞬のような時間の中での激変です。科学技術がもたらした大量生産は物質的なゆたかさをもたらしましたが、それまでの歴史上ではありえない大量破壊兵器による世界的な戦争、日本に投下された原爆が象徴するように科学技術の危険性はその範囲を広げ続けています。経済効率の名の下に科学がその本質を見失ってしまったらその影響は悲惨です。原発事故が再び悲しい証明をしました。流出が止まらない放射能の影響は不気味な未知的要素があります。その他に強力な農薬、遺伝子組み換え食物の脅威もあります。強大な多国籍企業が途上国相手に現代のプランテーションともいえる事業を展開しています。 科学力が経済力に屈した結果の事態ですが、インド、南米、アフリカなどの発展途上国では多くの農民や作業労働者の命が軽視されています。しかも先進国を自認するこの日本でも原発を動かすために多くの作業員が働いています。被爆量の多少はあっても確実に被爆するのが分かっていて働きたい人などいるでしょうか?そのような犠牲を条件になりたつ施設は人道的に許されるはずがありません。人命や人権の軽視は戦争と言う最悪の状況をつくりだすことは歴史を見れば明らかです。今日自民党が強引に成立させた秘密保護法案は権力に都合であらゆる分野における危惧や真実を封殺させる可能性のある悪法です。 すでに原発などの重要な問題では情報の隠蔽や捏造が行なわれて来た事実があります。勇気ある科学者とジャーナリストや原発関係者の内部告発によってたどり着いた今があります。国民の生活にかかわる多くの闇の部分に光が当たらなくなれば、社会も国も病んで行くのは当然の帰結で、その末路が戦争という悲惨な行為なのだと思います。関心を持とうが持つまいが、農薬や放射能による汚染食物は誰の口にも入ります。唯一の安全は国が国民を守るという姿勢と厳格な検査対応だけです。そして国民はそれがなされているという情報を知って判断するしかありません。現状の日本政府が国民を守る気がないのは福島原発事故で今なお続く被災者のつらい現状を見れば分かります。 今の日本で必要なのは秘密保護法ではなく「秘密公開法」だと思います。公人、民間人を問わず国民に不利益を与える隠蔽行為を行なわせないための法律こそ必要だと思います。すでにそのような秘密は保護されてきたのですから。今回の秘密保護法案は闇の世界への出入り口を完全封鎖するようなもので、そこに出入りできる人間はこんな恐ろしい法案を考えた人間だけというのですから、その結果は想像するだけで背筋が寒くなります。とにかく誰1人無関係ではいられない問題なのですから、1人1人が意識を持って戦いつづけるしかありません。子供たちの未来のために、この国の未来のために。 世界中の人に惜しまれて亡くなったマンデラ氏と対極の安倍晋三 国民の不自由と戦争にさえつながりかねない秘密保護法案を成立させた自公の議員と世論を気にしながら自民党のお先棒を担ぐ維新、みんなの党の議員。そのような人間を選んだ国民の責任ではありますが、国民を無視する、まるで白紙委任のような政治家の態度には腹がたちます。次回の選挙まで「反秘密保護法」をねばりづよく続けて、選挙で逆転し、日本を平和で自由な道へと戻すことはまだできます。自由のために戦ったマンデラ氏はこう言うでしょう「平和憲法がある日本で何故?」これを機にノーベル平和賞に値するような人物が日本のリーダーになるような国を1人1人が目指さなければいけないと思います。 あってはならない暴挙に国民1人1人が怒りを! 日本中で多くの声があがっています。「勝手に秘密を決めるな」「何が秘密かわからんぞ」「日本の自由そのものの死刑か」「秘密は戦争への道だ」・・・どの声もその通りです。教育研究者・大田堯さんは語ります。「知る権利は人間が自分の頭で考える権利です。食事や呼吸と同様に生きるために欠かせません。その権利を危うくする法案を、与党は強行採決してまで通そうとしています。私たちの社会の民主主義の質が試されています」・・・民主主義の質、そして悲惨な戦争から立ち直り平和を構築して来た日本人の魂が試されているのだと思います。 |
今や自然エネルギーを有効に使えるだけの科学力があります。原発を完全に無くし、
化石燃料をなるだけ減らして行くことが未来に対する人類共通の責任です。
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