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2024

神無月/10月/OCTOBER

箱いっぱいの野菜に感謝!
2013/10/31  北海道の知人から、段ボール一杯の野菜が送られてきました。玉ねぎやジャガイモやカボチャなどぎっしりです。ありがたいことです。いろいろな悩み、不安、葛藤のある中で他者を思う心。感謝の気持ちは新鮮な野菜が滋養になるようにまさに心の滋養となってしみわたります。

乾いた世相。自分だけしか見えない、他者が入らない精神構造はどこからくるのだろうと考えることがよくあります。家庭環境、遺伝的素因、社会環境、国家の構造的な歪みなどすべてが絡み合った結果だから答えはでないのですが、一つ思うのは、人間としての根源的な問いかけである「人間とは何か」とか「人生とは何か」あるいは「人はどうあるべきか」などと言う自己への基本的な問いかけの希薄さにあるような気がします。

そしてその問いかけの原点になるのが自己と他者との関係の認識だと思うのです。感謝と思い遣り。人間は1人では生きて行けないとほとんどの人は思っているはずです。でも、経済の保護の下、あるいは経済の鎧の中で、自分一人で生きているような錯覚、そして奢りが知らず知らずのうちに精神を閉鎖しているのではないでしょうか。

行き過ぎた資本主義社会ですから、お金さえあれば生きて行けると思ったり、実際生きて行けるかも知れませんが、それこそ「生きる意味」を考えれば、生命は維持しているけれど生きているのではないのだと思います。人間もまた土のついた玉ねぎのように、大地との関係、光や水を連想させるような生き物でなければいけないのだとつくづく思います。

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また1人ヒューマニストの死
2013/10/22  やなせたかしさんにつづいて天野祐吉さん。いつまでも生きていて欲しいと思う人がまた1人亡くなって、残念でなりません。天野さんの軽妙な言葉と世相を見つめる目はやさしさの中にするどさがあって、多くの人をさりげなく啓蒙したのではないでしょうか。真の正義とは何であるかを考え続けたやなせたかしさん。真のゆたかさとは何かを見つめ続けた天野祐吉さん。

10月9日の朝日新聞のコラム「別品」の国へ・・の最後はこう締めくくられていました。「・・・別品。いいねえ。世界で1位とか2位とか、何かにつけてそんな順位を競い合う野暮(やぼ)な国よりも、戦争も原発もない「別品」の国がいいし、この国にはそれだけの社会的・文化的資産もある。そうそう、別品の国に8万人の競技場はいらない。え? いつ国の路線を切り替えるかって? そりゃあんた、いまでしょ。」

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揺れ続ける日本列島
2013/10/20  日本周辺の地震記録(2012年USGS発表、M4以上 計666回)アメリカ地質調査所の発表による地震の記録です。666回!いつ大地震が来てもおかしくない地震の頻度ですが、その危機感は希薄です。ちなみに10月1日から今日までのM4以上の地震は28回記録されています。ほぼ毎日です。USGSの世界地図に記された地震発生ポイントの印を見ると日本列島は丸い印で覆われています。

http://japonyol.net/editor/earthquake2012.html 

地震だけでなく台風もあります。大雨もあります。近年では竜巻も起こります。原発の再稼働など脳裏に浮かぶことがそもそも異常です。軍隊どころか自衛隊を改変してせめて半分は救助隊にするべきです。国内と海外、国際救助隊なら世界と国民の支持は得られます。隊員ももっと誇りとやりがいをもって職務にあたるでしょう。

中国や北朝鮮との関係は誠意と叡智を絞った外交努力しかありません。圧力や武力で関係が好転することなどあり得ないのは誰でも分かります。自然災害への対処、自然エネルギーへの転換、格差社会の是正。福島原発事故すら収束にはほど遠いのですから、施政者は揺れるこの日本の足元を見なければなりません。

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やなせたかしさんの正義、手塚治虫さんの信念
2013/10/19  「唯一ある正義はひもじい者に食わせることだ」とはやなせたかしさんの言葉です。それは紀元前の昔から聖者と呼ばれるような人や哲学者、科学者、芸術家などの人道的な人々の理想と信念でもあります。弱者へのいたわりの心こそがヒューマニズムの原点だとあらためて認識させられる言葉です。

人種、宗教、民族そして社会的弱者が人間としてあたりまえの生活ができるよう、理不尽な差別や偏見に対して「そうじゃない」「人間はこうあるべきだ」という姿勢です。「ひもじいものに食わせること」は1人1人が個人の環境において実行できる唯一の正義かも知れません。

複雑で不条理なことがあまりにも多過ぎてともすれば無関心の波に流されてしまう社会ですが、ただ一つ弱者を思う心、弱者に対する視点さえ忘れなければ私欲に明け暮れる施政者や権力者の謀略も見えてくるような気がします。小さなエゴイズムは大きなエゴイズムに飲み込まれ流されてしまいますが、小さなヒューマニズムは違います。アンパンマンの正義、手塚治虫のブラックジャックの信念。

どちらも弱者に対するいたわりの心が胸に響きます。誰もがヒーローにはなれないけど、誰でもヒューマニストにはなれます。「ミミズだって、オケラだって」みんな生きているんだ友だちなんだという感性。身の回りの植物だって野良猫だってネズミだってみんな生きているんだという認識。格差やホームレスなどという状態が人間社会としていかに馬鹿げているかは問うまでもありません。

「手のひらを太陽に」
作詞:やなせたかし 作曲:いずみたく

ぼくらはみんな 生きている
生きているから 歌うんだ
ぼくらはみんな 生きている
生きているから かなしいんだ
手のひらを太陽に すかしてみれば
まっかに流れる ぼくの血潮(ちしお)
ミミズだって オケラだって
アメンボだって
みんな みんな生きているんだ
友だちなんだ

ぼくらはみんな 生きている
生きているから 笑うんだ
ぼくらはみんな 生きている
生きているから うれしいんだ
手のひらを太陽に すかしてみれば
まっかに流れる ぼくの血潮
トンボだって カエルだって
ミツバチだって
みんな みんな生きているんだ
友だちなんだ

ぼくらはみんな 生きている
生きているから おどるんだ
ぼくらはみんな 生きている
生きているから 愛するんだ
手のひらを太陽に すかしてみれば
まっかに流れる ぼくの血潮
スズメだって イナゴだって
カゲロウだって
みんな みんな生きているんだ
友だちなんだ

 

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電気をどうつくるかも大事だけれど、電気をいかに使わないかはもっと大事
2013/10/17  原発事故が起こってから電気に対しての関心が高まったのは確かです。電気を何によってつくるか。危険な事が分かってしまった原発を止めて自然エネルギーに移行するのに異論がある人は原発利権でがんじがらめになって来た人以外にはいないでしょう。舵を切る時間のずれはあっても未来を考えたら世界はその方向へ動くしかないのも分かっています。

そして同時に電力消費の現状にも目が向くのは当然の流れです。地球という閉じられた環境でしか生きて行けない命を存続させるためには地球資源と地球環境を維持するしかないのですから資源の浪費、環境の汚染は大問題です。日本の現状を見ても電気を始め無駄な消費は目に余ります。企業と個人が意識改革をすればどれだけのエネルギーが節約できるだろうと想像します。

食肉1キログラムを生産するためには16キロの穀物と1万5000リットルの水が消費されると言われています。そしてそれは電力の消費でもあります。自分自身を考えても今まで無意識にエネルギーを使って来たと反省、再考しました。原発事故の後、生活スタイルをかなり変えましたが、よく考えてみれば必要の無いもの、使い方を加減できるものがたくさんある事にも気づきました。モノを大切にすることはエネルギーの節約であり環境や命を守る事につながることも再認識しました。

昼間から煌煌と電気がついている大型店舗。電気だらけの夜の都会。あふれる車。食べられる食品、着られる衣料、使える道具の大量廃棄。すべてエネルギーの浪費です。そして恐ろしい事ですが、それはそのまま精神の荒廃にもつながっています。人間が人間らしくあるための大切な要素、万物に対する「感謝の心」が希薄になるからです。電気を無駄に使わない事は、頭を有効に使う事、人間的な心を育てる事でもありますから、実行しない手はないでしょう。

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地震、台風、自然災害の脅威
2013/10/16  フィリピン中部の地震で多くの犠牲者が出たとニュースで知って、地震への不安を感じていたら、台風26号による豪雨で伊豆大島で土石流が起こり多くの犠牲がでました。大島に長く暮らす人も行方不明者を探しながらこんな光景は見たことがないと絶句されていました。想定はおろか予想もできない自然災害。事が起こってから「想定外」だったでは遅いのだけれど、万全が尽くされない中での被害はあまりにも無念です。

自然の力に対してはどう準備しても防ぎきる事などできないのは分かっていますが、かと言って防げる部分があるのに対処しておかない結果の災害は人災です。地震多発国の日本。台風被害も多い日本。マグニチュード5以下の地震は毎日と言っていいほど起こり続けています。

事実を知っている人は地震が起こるたびに頭をかすめると思いますが、破損した福島第一原発の4号機のプールには1535体の使用済み核燃料が冷やされています。プールの破損や倒壊で400トンもある核燃料が放射性物質をまき散らす事態になったら恐ろしい事になると世界中の人が心配しています。

11月からプールからの取り出しが始まるという事ですが、背筋が寒くなる状況です。地震、台風などの自然災害、そして人為的ミス、装置の故障。今はなりふり構わず世界の叡智に助けを求め、汚染水処理と燃料プールからの核燃料を取り出す事に全力をあげて欲しいものです。それが解決してもさらなる難問である溶け落ちた核燃料が未だどのような状態にあるのかさえ分からないのですから。

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井伏鱒二の「黒い雨」から発散する戦争、核兵器、放射能への怒りと悲しみ
2013/10/14  戦争の悲惨さ原爆の残忍さ、そして被爆の恐ろしさ。井伏鱒二があとがきで「この作品は小説ではなくドキュメントである」と語っている通り、原爆投下によってもたらされた真実の描写は生々しく想像力が壊れてしまうほど悲惨なものです。寝る前に少しずつ読み進めて2週間、逃げ出したくなるような夢も見ました。幾人もの貴重な被爆の日記や手記を「熊手をもって掻き集めるようにして書いた」・・・「空前の出来事であり二度と繰り返してはならないことだから、もっと広い範囲にわたって、もっと大勢の者で手分けして記録すべきではないかと思う」とも井伏は書いています。

福島原発事故で関心を持たざる得なかった核物質や放射能の知識が少しあるので被ばく者の描写にはぞっとさせられるものがあります。この本を読めば世界中の誰だって反核を叫ぶでしょう。反戦を誓うでしょう。文中にこんな箇所があります。・・・町中に死体が散乱。蛆の這い回る死体のそばで「戦争はいやだ。勝敗はどちらでもいい。早く済みさえすればいい。いわゆる正義の戦争より不正義の平和の方がいい。」・・・究極の叫びです。

先日発表された国連の「核兵器の非人道性を訴える共同声明」に「いかなる状況でも核兵器が二度と使われないことが人類存続の利益になる」との表現があります。当然のことだと思います。「いかなる状況でも武力、暴力を持って問題の解決を図らないこと、外交努力によってのみ問題解決することを人類の掟とすることをここに宣言する」いつか地球がそのような憲章に守られ輝く日がくると信じたいものです。

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親は選べないけれど、教師は選べる時代に
2013/10/12  小さな子どもにとっても、大学生であっても、教師との出会いはその後の人生に大きな影響を与える可能性があることです。だから教師は聖職と呼ばれます。でもしかしどの学校にも人間的で優秀な教師はいますが、残念ながらサラリーマン化した日本の教育現場ではそんな教師に巡り会えることはかなりの幸運がいります。教科書の内容をただ淡々と進める授業。人間としての基盤や想像力を高めるような授業を行なえる能力を備えた教師そのものが育っていません。教育や学問のめざすものが何であるのか?その基本的な目的さえ失われてしまっているようです。

世界中にあらためて教育の大切さを訴えたマララ・ユスフザイさんは「貧困や差別を無くするには教育の普及しかないと」信念を語っていますが、それは人間が自由であるために、そして権力の横暴に対して批判、対抗できる正しい知識と教養を身につける事が教育の真髄であるということだと思います。先日NHKテレビでオックスフォード大学の数学教授がバイオリン片手に最大難問の一つである素数の振る舞いを講義していました。素敵な授業でした。インターネットの時代、世界中のすぐれた教師の授業がテレビであれネットであれどんどん流れればいいと思います。

これからの時代、諸外国の教育の香りにふれることは偏りのない精神をつくるために必須ではないかと思います。海外の教育を伝えるための膨大な翻訳の量をこなせる組織を作って欲しいものです。想像力の無い政治家がグローバル社会だから英語が必要だ、などと恥ずかしくなる発言をしていましたが、必要なのは人間の中身です。人間性をいかに大きくやさしく育てるかこそが教育の絶対命題であって、科学であれ芸術であれ個々の学問はその上に育つものだと思うのです。

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グローバル・ヴィレッジ
2013/10/10  文明批評、メディア論で知られる文学者マクルーハンが著書「グーテンベルグの銀河系」で地球村という言葉を使ったのはもう半世紀も前のこと。電子メディアによって地球規模のコミュニケーションが可能となり地球が一つの村になるという趣旨です。確かにマクルーハンの言う通り時間と空間の障害は取り払われました。ただ村の住民のコミュニケーションが取れているかというと残念ながらそうではありません。

アメリカがアフリカや中東のピンポイントの場所を軍事衛星を使って本国からまるで近所の家でも狙うかのように遠隔操作で攻撃する。グローバル・ヴィレッジの悲劇です。村の中で一軒の家が煌煌と無駄な灯りをつけ、まだ食べられる大量の食べ物を捨ててしまう。村人は眉をひそめていますが無神経な家人はそれに気がつかない。その家の表札には「日本」と書かれています。

この地球が村と化したのなら助け合いと協調の精神ぐらい持つのは村人としての義務だと想うのだけれど、この村の中の一軒に過ぎない日本という家以外顧みない偏狭な家族を変えるには家風に染まっていないヒューマニズムの若き担い手が1人、また1人と現れ増えていくしかないのだろうと思います。

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映画「ポチの告白」を観て思うこと
2013/10/09  2005年に製作された高橋玄監督映画「ポチの告白」は実直な交番勤務の1人の警官を通して警察社会の閉鎖性と不正を描いた映画です。警察犯罪が題材ゆえ全国公開は2009年となった映画ですがレンタルDVDも出ています。映画を見て、さもありなんと思えるシーンがいくつかありました。閉鎖社会、階級社会、権力社会が個人の思考を奪い、精神の鈍化と腐敗を生む構造がよく分かります。

警察に限らずタテ社会はいやだなあとつくづく思いました。個人の自由を権力によって束縛すれば必ず思考停止が生まれます。増え続けるブラック企業も同じで非人間的なニュースは後を絶ちません。日本の国そのものが経済という魔物、経済という権力に束縛されて本来根拠の無いタテ社会になってしまっているようです。

人間の命は等価であると言う基本、個人はそれぞれの自由な意志で生きれると言う基本。社会だから努力とか協調とかいくつかのルールはあるけれど、よこしまな権力者、経営者のために人間が「ポチ」になる理由などどこにもないと思うのです。

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原発事故に対する避難訓練の愚かさ
2013/10/07  原発周辺の住民の避難訓練が各地で行われています。どう考えてもおかしい話です。原発事故が起こればどれだけ深刻で悲惨な状況になるかは、2年半経った今も収束どころか深刻度を増す福島原発の現状を見れば明らかです。そんな危険な原発に対して事故を想定した避難訓練など頭が狂っているとしか思えません。事故が起こればそれこそコントロールできない放射能汚染の問題があります。再び事故が起これば避難訓練などの次元の問題ではないことは誰にでも分かります。

地震や津波などの自然災害に対する予備訓練なら意味はありますし、自然災害は人間の力では防げないものですから当然のことです。でも原発はこの先動かさなければいいだけです。取り返しのつかない人災である原発事故を想定した防災訓練とは一体どのような発想、神経で行われるのか。原発再稼働が既成事実のごとく扱うための演出以外の動機は見当たりません。何故にこれほどまでに危険で非人間的な原発に固執するのだろう。多くの国民の意想を無視した原発ありきの体質こそ地中深く埋めてしまいたいものです。

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風評被害への疑問
2013/10/05  マスコミにしばしば登場する風評被害という表現を聞くたびに思います。風評被害を起こすのは正確な情報を公表しなかったり隠蔽されたりした結果起こるものですから、責任は国や自治体、関連企業やマスコミなど関係組織にあることは明白です。消費者は情報に関して受け身ですから、曖昧な情報しか得る事ができない場合は盲目的になるか、過分に慎重になるかどちらかしかありません。

産地や生産国などのおぼろげな印象で買う買わないの判断をしている消費者も多いのではないかと思われます。原発事故の後、食品の放射能汚染に関しては注意せざる得ないのですが、防ぎようがないのが現実です。食品衛生法で暫定基準キロあたり100ベクレルを決めたのなら可能な限り数値表示するべきだと思います。基準値以下の表示ですませるなら99ベクレルの不安は誰にでも起こります。

広範囲の国土が汚染されてしまった以上大人は甘んじて100ベクレル未満の食品を食べるのはしかたないですが、影響が強いと言われる子どもたちには限りなくゼロに近い食品を食べさせたいのは当然の気持ちでもありますし、大人としての責任だと思います。でも実際はその判断すらできない状況で不安はつづきます。風評被害を無くすためにも正確な測定と情報を流すべきだと1人1人が思わなければいけないと思うのです。

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海洋汚染を調査した50年以上前の学者たちのヒューマニズムと今の落差
2013/10/03  小さな突破口から真実の奥行きが見えて来ることもあります。大きな大事件から真実の細部が見えてくることもあります。原発事故はまさにそういうものではないかと思います。見えてしまった不正、知ってしまった理不尽を訴求するのは国民としての当然の義務です。

これだけ多くの人が犠牲になり今なお救済措置は不十分で、日に3000人と言われる作業員の人たちが被ばく覚悟で働いている現実。海の汚染、食品の汚染、特に子どもたちそして国民の健康。事故の検証もされず進行する汚染水の問題も透明な報告がなされているとは思えません。流通している食品はきちんと検査されているのだろうか?

事故当初から起こっていたかも知れないの海への放射能の影響は統計的に調査、記録されているのだろうか?1954年にビキニ環礁で行われた核実験の結果起こった海の汚染。漁船が持ち帰った大量のマグロが汚染されていて廃棄され大問題となった事件がありました。社会的衝撃の大きさに日本政府は海洋学、気象学、水産学、物理学、医学などの専門家からなる調査団を海域に送り調査しました。科学者達の2ヶ月に渡る命をかけた調査結果は驚くべきもので、海の放射能汚染はそう簡単には薄まらないこと、放射性物質が食物連鎖を通じてマグロの体内に蓄積されることが世界で初めて明らかになりました。

*ETV特集(海の放射能に立ち向かった日本人〜ビキニ事件と俊鶻丸(しゅんこつまる)〜)http://www.nhk.or.jp/etv21c/file/2013/0928.html 当時アメリカは「放射性物質は海水で薄まるためすぐに無害になる」と主張したそうです。

信じられない無神経で今も御用学者は同じような事を言っています。大量のマグロを廃棄せざる得なかった漁師さんの無念がどれほどのものだったでしょう。それから50年以上経った日本での原発事故。放射能汚染に対する危機管理、姿勢は当時より劣っているのではないかと感じるのは僕だけでしょうか。当時と比べ格段に経済がゆたかになりやろうと思えばできる事がいくらでもあるのに何故でしょう?

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自然災害は再生の希望まで奪いはしない、でも原発は・・・
2013/10/02  2011年3月11日に起こった東北大震災。恐ろしい津波に家や車が木の葉のように流され破壊される映像は忘れることができません。あれから2年半が過ぎて思います。自然災害ではなく人災である原発事故がもたらした被害の甚大さ。福島をはじめ日本全土と海を汚染した放射能。しかも過去形で語れないのが放射能被害の実態であって、未来への不安を含めその影響は計り知れません。

原発に関する問題は知れば知るほど理不尽な思いが募ります。「こんなことが許されていいのか」と言う疑問が次々と湧いて来ます。政府、電力会社の圧力による情報操作がなされている中でこれだけの事実が明るみに出ているのですから、マスメディアが報道しない、できない部分を想像すれば背筋が寒くなります。心あるジャーナリストや学者、文化人が粘り強く反対運動をしているのは真実が分かった以上、「人間としてやらざるえない」ただそれだけの気持ちだと思います。

あらゆるジャンルの人がそれぞれの方法で真実を伝えて行く。強力な権力基盤の上に出来上がっている原発に対してはそれ以外に対抗手段はありません。権力の基盤は国民1人1人の集まりなんですから。地震、台風、火災など過去に大きな自然災害が幾度もありました。多くの命が奪われ、長く続く悲しみは残りましたが、それでも努力と時間が心と町や村を再生しました。でも、原発は現実のみならず未来をも奪います。

放射能がいつ誰にどのように影響するかも分からないですし、逆に被爆はできる限りしない方がいいことは分かっています。しかも原発に安全などないことも分かるのですから、廃止するしかありません。戦争を肯定する理由がないのと同じで原発もまた選択の余地がない問題の一つです。

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心の大法則、アントナン・アルトー
2013/10/01  フランスの詩人であり俳優であるアントナン・アルトーが1925年にシュルレアリズム革命第三号に書いている言葉です。

「今や心の大法則を見出さねばなりません。といってもそれは一個の牢獄にほかならぬ法則などではなくて、それ自身の迷宮に迷い込んでいる精神のための導きとしての法則です。科学をもってしては永久にとどかぬ彼方、理性の光の束も雲に遮られて折れ曲がってしまう境に、この迷宮は存在しており、これこそは存在のすべての力、精神のあらゆる葉脈の先端が結集している中心点なのです。」

1925年からの世界の推移を見れば物質科学は精神をすっかり置き去りにしてしまったようです。この先、心の大法則が認識される時代が来るのだろうかと思ってしまいますが、精神の葉脈が静かに伸び続けているような気もします。

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自然エネルギーへ
今や自然エネルギーを有効に使えるだけの科学力があります。原発を完全に無くし、
化石燃料をなるだけ減らして行くことが未来に対する人類共通の責任です。

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