卯月/4月/APRIL
1万人の「がってぃんならん」。 1952年4月28日は日米間で交わされた「対日平和条約」が発効された日で、アメリカの沖縄支配の決定、その後の沖縄の苦痛の始まりの日だからです。沖縄の現状を回復する事もなく、「屈辱の日」に「主権回復の日」の式典をする安倍政権。厚顔では済まされないものがあります。 原発ありきの自民党、平和憲法をも変えようとする自民党、アメリカと財界の意志が至上の自民党。弱者切り捨ての自民党。安倍首相が「美しい国」などとよく言えるなと思います。沖縄に対する行為はまさに「非情の国」ですし、原発再稼働に関しては「無知な国」、改憲にいたっては「危険な国」です。 何故こんな首相が代表する自民党などに票を入れるのか、不思議です。お金をばらまき、目先の景気優先も明らかに短絡で必ず反動が来ます。しかもその間利潤を受けるのが大企業や投資家。一人一人が事実を認識することしかありません。「1000万人のがってぃんならん」にならなければと思うのです。 今は昔 それでもちょっと昔、1950年代、60年代の日本は子供たちも学生も、町も、地方も、たぶん大人たちも今よりはのびやかだった気がします。池袋、新宿、上野、原宿、六本木・・・それぞれの街はそれぞれの雰囲気があったあの頃。大阪も北と南、天王寺に新世界、大げさかも知れないけれど固有の文化がありました。もちろん地方はそれぞれ言わずもがなです。駅舎、言葉、食べ物、風景・・・「この土地を訪れてよかった」とよく思ったものです。 考えてみれば当時も強欲な政治家や企業家がいて、お金儲けのための画策はあったのだけれど、今と違ってテクノロジーの未熟が幸いした部分がありました。あれからほんの数十年。テクノロジーは飛躍的に進化して、悪用されれば致命的になる段階にまで達しました。郊外の広大な土地につくられる大型店。地域の個人店はどう考えてもかないっこありません。 市場も商店街も映画館もまるで地上から消え失せたようです。田んぼの真ん中にぽっかりと現れた巨大施設。超高層ビルに詰め込まれた商店街や映画館。集約すれば合理的で儲かるのは分かりますが、短絡さゆえの弊害はとてつもなく大きく、情緒やコミュニケーションの喪失を考えれば、それは結局大損ではないかとも思えます。今は昔。数十年後の今はどうなっていて、その時、今はどう映るのでしょう。 核を廃絶する意志表示を先に 究極的には核を廃絶したいが、そのためにステップを踏んでいこうという考え方だ」と説明。原発問題で段階的に廃止すると曖昧な姿勢に終始するのと同じで、核を究極的に廃止するなどと言う姿勢はあまりにも薄志で、世界に対して恥ずかしくなります。原発も核もまず廃絶の意志をはっきりと表明し、目標を立て、それに向かって努力するのでなければ、全ては口先、実現などできるはずもありません。段階的でも究極的でもなく、今すぐ決意を固めても、段階的にしかできないのは当然の事なのですから。 自民党のやりたい放題、一人一人が目覚めなければ取り返しのつかない社会に 僕はとんでもないと思います。主権を握る政治家や政党は国民の選択だからいたしかたありませんが、「そうじゃない」と思っている人も少なからずいるはずで、やはり一人一人が沈黙の姿勢から脱しないと日本は大変な事になるような気がします。若者にとっては自分たち未来がその先にある重大な事です。 大人にとっては愛すべき子供たちが置かれる環境の善し悪しの問題です。新聞やネットでの発言を見て思います。正しく過去と今を認識し未来に危惧を持っている多くが年配の方です。若者こそ自分たちの問題だと思うのですが、危機感、緊張感を持っている若者は少数に感じます。社会問題は基本的に政治ではなくヒューマニズムの問題です。人間性の問題である限り、関心のない人はいないはずで、核や戦争や原発など近未来かも知れない、自分たちの命や自由に確実に関係する問題に関して無関心はありえないと思います。 女性議員率が象徴する日本の男女同権のまだまだと目を疑う事実 クオータ制とは社会に残る男女の性差別による弊害を解消していくために、積極的に格差を是正して、政策決定の場の男女の比率に偏りが無いようにする仕組みで北欧など民主主義の先進国では、1970年代から各政党が次々と綱領に取り入れて、選挙候補者などで実施。韓国も2004年に採用後日本を追い抜きました。日本と言う国。男女格差が縮まっているように錯覚する事もありますが、会社や家庭などの日常を見渡しただけでもまだまだ格差はあります。後進国です。 他の先進国と比べれば低すぎる最低賃金、異常な自殺者数、多すぎる動物の殺処分、135カ国中101位の日本の男女平等(ジェンダー・ギャップ)指数、地震多発国に54基もの原発。先進国、法治国家であるなら目を疑うような事実が他にもいくつもあります。これが男性が主体となってつくって来た社会、国家です。呆れます。先進国のバロメーターは経済ではなく、男女平等にある事は間違いありません。 <クオータ制を採用している国/Wikipedia> 経済協力開発機構(OECD)加盟30か国のうちでは、スウェーデン、フィンランド、ノルウェー、デンマーク、オランダ、スペイン、ベルギー、オーストリア、アイスランド、ドイツ、スイス、オーストラリア、ルクセンブルク、メキシコ、ポルトガル、カナダ、ポーランド、イギリス、フランス、ハンガリー、イタリア、スロバキア、チェコ、韓国、アイルランド、ギリシャの26か国の政党が採用している。
自然や命に対する謙虚さを持ち、いたわりの心を持つには十分すぎる大きさ 人類は地域や人種、民族、宗教などの摩擦をなくし、世界の人々が手を取り合ってこの地球環境を維持し、自然災害から命を守らなければならない時期に来ているのだと思います。でも現実は紛争や戦争が絶えず、環境への配慮どころか経済至上主義から生まれた多国籍企業と言う怪物が世界を飲み込みかねません。 巨大化するだけ巨大化すれば最後は自分自身を飲み込んで消滅するしかないと思うのだけれど、邪な計り知れない何かが企業を動かし国を操作しようとしています。18日、NASAなどの研究チームが宇宙望遠鏡「ケプラー」の探査で新たに3個見つかったと発表しました。ケプラー62fと呼ばれる惑星の大きさは地球の1.4倍。地球に似た環境を持つ可能性は3個の中で最も高く267.3日間かけて恒星の周りを公転しており、大陸や水が存在する可能性があるそうです。 ケプラー研究者の1人、トーマス・バークレイ氏は「こうした発見を重ねるほど、ますます地球が特別な場所とは思えなくなり、地球のような場所は至る所にあるのではないかと思えてくる」と話している。(CNN) 宇宙の片隅の小さな銀河系のそのまた片隅の小さな太陽系の中の小さな惑星、地球。自然や命に対する謙虚さを持ち、いたわりの心を持つには十分すぎる大きさ(小ささ)だと思うのですが。・・・ 3本の矢は背中に向けて放たれた圧力の矢 かってアメリカがくしゃみをすれば日本が風邪を引くと言う揶揄がありましたが、それは今も変わっていません。そんな関係の中でのTPP参加で何が起こるかは想像がつきます。アベノミクスの三本の矢。1.大胆な金融政策は大企業や一部投資家を潤わすのは確かです。2.機動的な財政政策が公共事業の利権を守る事も確かです。3.成長戦略とはなんだろう?よく分かりません。 原発利権、公共事業の利権、どう考えてもアベノミクスの3本の矢は未来に向けて放つ矢ではなく、建設業界や電力業界、軍需産業などが放った圧力の矢ではないかと思えるのです。 投機をあおりミニバブルのような目先の演出の後に来るのはまたしても国家の疲弊、多くの社会的弱者へのしわ寄せです。福島第一原発事故の検証もなされず、現在進行形の原発事故から目をそらして、あるいは目をそらすために打つ手などでいつまでも国民を欺けるでしょうか。 ピエロの赤い鼻 それを見かねた父の友人が、何故お父さんがピエロを演ずるのか、その理由を少年に語ります。そこには深くて悲しい、どうしようもなく重い理由があったのです。戦争の中で起こったたとえようもない悲劇。父の友人からその話を聞かされて父の演技を見つめる少年の目から一筋の涙がこぼれます。「ブラボー、お父さんの気持ちがわかったよ。」少年は父の演技に拍手し、輝かしい顔をします。 素晴らしい映画です。僕も少年と同じく涙が出て来ました。映画に込められた反戦への思い。勇気とか友情とか正直とか、人間として持たなければならない要素が込められた映画です。何よりも重い命や愛が、恐怖と狂気の中でいとも簡単に奪われて行く世界。戦争の恐ろしさは人間であるならば誰にでも分かる事です。 小さな自由の剥奪から生まれる強制。どんな些細な事でも、無意識に放置すれば取り返しのつかない事になります。こんな時代にそんな事はないだろう、、とは言えないのが戦争です。過去のドイツも日本もその初期に置いてまさかあんな恐ろしい事になるだろうとは多くの国民は思っていなかったのですから。 思慮のない、ヒューマニズムを忘れた施政者はいつの時代にも出て来ます。経済しか頭にない人間はどうしても短絡的になります。もっとも大切な命や心などを忘れてしまうからです。命も心もお金に換算できないものだからです。豊かさとは命や心を大切にできる社会の事です。 美しい国とは自然が守られヒューマニズムが行き届いた国の事です。勘違いも甚だしい馬鹿げた政治家を選ぶ事だけは絶対にしてはいけないと思います。映画「ピエロの赤い鼻」に込められたメッセージ。愛、友情、勇気、正直。そして反戦の信念だけは誰もが常に意識していなければいけないと思うのです。 アイスマンとナスカの地上絵 逆三角形と円に縁取られた顔のような図形です。紀元前400年〜紀元前200年頃ののものだということですが、考古学の世界は科学技術が進歩したこれからが楽しみです。20年前にイタリアとオーストリアの国境付近の氷河で発見された5300年前のミイラ、愛称「アイスマン」は慎重に冷凍保管されていましたが、2012年イタリアで解凍、解剖され現代科学の粋をあつめて分析されています。 科学力と過去の透視。現代文明が崩壊する事なく続けば過去はまだまだ遡れるし、現代の常識を覆す事実はいくつも明らかになるだろうと思います。エジプト、マヤ、シュメール・・・未発見の遺跡は砂漠の下に、密林の中に、氷河の下にまだまだ眠っているに違いありません。発見と解読。現代の人類が核や環境破壊によって自ら滅んでしまわなければ、ロマンあふれる過去、未来へとつながる確かな階段を過去の文明に見いだせるのではないでしょうか。 マクドに象徴される食の変化と精神の変化 作家のモブ・ノリオさんが日本マクドナルドの創業者、故藤田田氏のテレビでの発言「人間は十二才までに食べたものの味を一生追い求める。よって我々は、十二才以下のお子さんをターゲットにしています」を聞いてぞっとし、私は、「自分に子供が出来ても、絶対にマクドは喰わしたらアカンわ」と溜息をついたそうです。 そんな思いの親は少なからずいるでしょうが時代はファーストフードと外食レストラン、回転寿しに居酒屋チェーンと蔓延し「本来の食は」絶滅の危機。個人の肉屋さん、魚屋さん、八百屋さん。食堂や寿司屋で店の人と会話したり、食の知識を学んだり・・・食といわず何の世界でも合理化と巨大化は人間として必要で大切なエッセンスを取り払ってしまいます。 料理人の目利きで選んだ食材を料理人が調理する。そこには一人一人の客においしいものを食べてもらいたいという心があります。お母さんが子供のために工夫する料理。そこには元気に育って欲しいという愛情があります。五感の中でも体と心にまともに影響を与える食の世界。 マクドがなかった1970年以前より果たして今はゆたかなのでしょうか。自分ならばたとえ一年に一回であっても、ちゃんとした板前が握る寿司を子供には食べさせたい、他者とのふれあいがある居酒屋に学生は連れて行きたいと思うのです。が、そんな当たり前の店が次々と消えてなくなって行きます。 時代は闇雲に経済オンリーで進んできたけれど、まだたかが数十年、進路変更は一人一人が「大切なもの」に気づけばきっとできると信じます。個人がそれぞれ存在感を持つ、そんな時代のエポックがまた起こるに違いありません。個人はすなわち人で、人はすなわち心です。それが消え失せれば未来もまた闇の中なのですから。 地震の怖さ、消えない記憶 事故の収束もしていない福島で、稼働させてしまった大飯原発の付近で新たな地震が起こったら・・・とは誰でも想像します。地震の予知も事前対策も限りがあって、国や地方はできる限りの事後対策を取る事しかありません。どう考えても最大の事前対策は全原発を停止、廃炉にすることです。 この国が好きなら、大切に思うならまず明確な意思決定をしなければならないと思います。自然災害と原発事故が重なったらどうなるかは、日本人の誰もが認識した事です。たとえどんな理由、どんな思惑があっても、理性ある人間なら原発を存続させる事はできないはずです。我欲と無責任と想像力の欠如した人たちの誤った決断を阻止できるのは一人一人の意識とそれぞれができる範囲の行動しかありません。未来に向けてそう長い猶予はないと思うのです。 一回きりの人生、代わりのない人生だからこそ あきらめない心、夢を忘れない心。世の中には超人かと思えるような人を時に見かけますが、夢と信念をいつまでも持ち続けている人たちなんだろうと思います。おぎゃんと生まれて始まる人の一生。その人に代われる人は誰もなく、その人だけしかできないことが誰にでもあるはずです。 幼き日のあこがれ、若き日の夢。いくつもの後悔もあり、反省や再生を経たのちにある今。どうあがいてもどう達観しても人生は一回きりです。時に流されず、朱に染まらずいつまでも自分の色を無くさず「より人間的に」生きて行きたいものです。 咲き誇る桜、命への思い 日本でこれだけの被害が出ているのに、他国に輸出? 道義的にも技術的にも地質学的にも、経済的にも原発はつくってはいけないと多くの人が認知したはずです。そんな原発を仮に他国からの要請があったとしても断り、原発の危険性を教えるのが日本の努めだと思います。 原発建設を進めるベトナムは一党独裁でとても民意がくみ上げられている国とは思えませんし、ベトナムの人は原発をどう思っているのだろうと考えてしまいます。日本と同じく地震の多いトルコ、水源やテロの心配のあるヨルダンなど原発導入には大いに不安を感じます。 原発の危険性と非人間性を十分に分かったはずのドイツや日本などの先進国がそのリスクを十分に説明し、安全で明るい未来のための自然エネルギーなどの最新技術を伝授していくことが、先進国としての使命であるはずです。それにしても原発の輸出とは、ひどすぎるし、国家として破廉恥です。 自然は汚さない。街の景観を壊さない。先進国のあるべき姿勢 世界に向けて核や原発の廃絶は当然として、自然エネルギーの普及、国家格差の是正など先進国がリード、補助しなければ人類としての平和やゆたかさはほど遠いものとなります。どの国にあっても若者が夢を持てる社会、老人が生きて来てよかったと思える社会、人間が自然と調和する社会を目指すことに変わりはないはずです。 競争の中に個性を埋没させるのではなく、自由の中に個性を伸張させる社会でなければ人間として真の能力を引き出せませんし、愛は育ちません。愛のない社会は殺伐です。経済利益だけのために山を壊し海を汚し、街の景観を破壊するようなことはもう止めて、先進国としてのあるべき姿を取り戻す時だと思います。その契機が福島の原発事故だと思うのです。大きな犠牲、未来への大きな危惧、想像を絶する経済的負担・・・先進国であるなら馬鹿な事は繰り返してはいけないと思うのです。 維新の会は時代錯誤の会 お年寄りの話や、戦争のドキュメンタリーを見聞きしただけでもその恐ろしさおぞましさは誰にでも想像がつきます。それは今起こっているイラクやシリアの状況を見ても分かる事で、人の命が簡単に奪われてしまう戦争の恐ろしさが分からない人間などいないはずです。戦争だけは二度と起こさない。戦争になるようなきっかけや、流れは絶対につくらない。それこそが悲惨な戦争を経験した日本人全ての思いであり、誓いのはずです。 暴言のオンパレードのインタビューの中で石原氏は「・・・日本は強力な軍事国家、技術国家になるべきだ。国家の発言力をバックアップするのは軍事力であり経済力だ。・・・」などと言っていますが、なんとも無責任で空恐ろしい考えです。国家の発言力をバックアップするのは非戦への強固な信念と他国とのたゆまぬ外交努力です。経済力も技術力も平和の中に組み込まれた力であればこそ世界に影響力を与える国力となるはずです。 それが軍事や軍事技術でないのはちょっと考えれば分かる事です。時代錯誤、未来へのイマジネーションの欠如。これでは今現実に福島原発事故のために苦難を強いられている人の事など、脳裏にかすりもしないでしょう。維新であれ変革であれ、より人間らしい社会を求めるためでなければ、止めて欲しい。核保有や軍国主義など誰も望んではいないのですから。 日本、このゆたかさと同時にある閉塞感はなんだろう 友人と語らい、勉学に励み、自由を謳歌しないで何のための大学だろうと思います。政治を見ればどう考えてもゆたかな未来に逆行する危険な原発に固執する輩がいたり、なんとか日本を守って来た平和憲法さえ変えようとする輩もいる今の日本。 何かが大いに間違っています。その原因を真剣につきとめ軌道修正しなければ経済と教育と言う幸せの2大要素とも言える状況をつくり出しながら、不幸感漂う奇妙な社会はますます深刻度を深めていくだろうと予感します。不幸の根となる様々な要因。格差、競争、派遣、グローバル、金権、デジタル、・・・社会。先進国である日本だからこそ、もう物質的追求は止め、日本独自の精神性優先の社会構築と意識改革を目指すべきです。そうでなければそれこそグローバル世界をリードするどころか通用しない国に成り下がってしまうのではないかと危惧するのです。 止まらない戦争、紛争、内戦。日本が固守しなければならないもの。 アフガニスタン、イラクの情勢も平穏にはほど遠く、科学や教育が進歩した現代の世界でこれだけ争いが絶えないのは何故だろうと考えてしまいます。現状は平和な日本。日本だけで軍人、民間人合わせて300万人とも言われる犠牲者を出した第二次世界大戦の重すぎる教訓。「平和」だけは何があっても守らなければならないと誓った日本人です。 そんな日本人が3.11の原発事故を起こし今度は「原発」だけは絶対に造ってはいけない、動かしてはいけないと多くの人が思ったはずです。平和な日本だからこそ平和を固持し、平和を危うくするいかに些細な兆候でも見逃してはいけないのが日本人の努めです。内戦や紛争にあけくれつかの間の平和さえ望めない国の人たちを思えば原発事故や戦争を自ら起こすような事は絶対に絶対にやってはならない事です。 30日に決定した日本維新の会の綱領の中に憲法改正をうたって「日本を孤立と軽蔑の対象におとしめ、絶対平和という非現実的な共同幻想を押し付けた元凶である占領憲法を大幅に改正し、国家、民族を真の自立に導き、国家を蘇生させる」とありますが、なんと悲しく、なんとおぞましい文面なんだろうと思います。誰が考えたのか知らないけどこれはひどすぎます。むちゃくちゃです。こんな政党がある事自体問題です。世界の過去と今、そして福島の現実を考えた事があるのだろうかと、その人間性のなさに空恐ろしくなります。 メディアの海に漂うもの 朝日新聞や毎日新聞にのる関連記事を読んでいると、これはどう考えても犯罪だとつくづく思います。多くの識者が原発の真実をを丹念に調べ上げ、明示する事実の数々。知れば知るほどひどすぎる実態があります。これだけの事があって、多くの人が苦しんでいる現実があって、加害者の誰一人として責任を取らないと言う奇異。なおかつまだ動かそうと言う怪異。メディアと言う混沌の海に浮かぶ真実のかけらに一人一人が注意を向けなければ、真実とともに多くの悲しみ、そして命が飲み込まれていってしまいます。
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今や自然エネルギーを有効に使えるだけの科学力があります。原発を完全に無くし、
化石燃料をなるだけ減らして行くことが未来に対する人類共通の責任です。