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2024

神無月/十月/OCTOBER

矛盾や理不尽を是正するための突破口
2012/10/31  現在十分に栄養の取れない飢餓人口は9億6300万人おり、その数は毎年増加傾向にある。毎年約1500万人、4秒に1人の割合で飢餓が原因で死亡している。(Wikipedia)
その一方で例えば国際連合食糧農業機関FAOは2007年の時点で世界は全人類60億を養うに十分な食料を既に生産しており、120億でさえ食料を供給しうる生産力があるとの主張しています。とても恥ずかしい事だけど日本は食料廃棄率世界一。年間2000万トンにもなる廃棄食料だけで飢餓に苦しむ5000万人の1年分になるといいます。

米環境保護団体「天然資源保護協会」が発表した報告書で米国人が廃棄する食べ物が年間1650億ドル(約13兆1千億円)に上ると発表しました。飢えで苦しむ人の事を考えれば呆れる数字です。そしてその米国を凌ぐ日本の食料廃棄率。年間5800万トンの食料輸入に対して1940万トンの廃棄ですからひどすぎる話です。

大量生産、大量消費のアメリカ型資本主義は環境や食料問題を考えても、人道的な側面を考えてもこの先持続可能な形態だとは思えません。アメリカに追随して来た日本はアメリカほどの底力はありませんから、これ以上追随すれば日本が再生できなくなる可能性もあります。持続可能な生産力、持続可能なエネルギー、持続可能な社会を目指す事を国是として再出発する時期が来ていると思います。

偏狭なナショナリズムも、短絡的なグローバリズムもそれとは逆行します。相手を認めるためのナショナリズム、そして自身を深く認識するためのグローバリズムを身につけて、国内外の諸問題に向き合わなければ持続不可能な国への進路をまっしぐらと言う事態にもなりかねない現状だと思うのです。何故原発を廃絶しなければいけないのかと言う一人一人の認識は、持続可能な社会への第一歩ですし、現代日本のさまざまな矛盾や理不尽を是正するための突破口になる事は間違いないと思うのです。


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電気料金値上げの怪
2012/10/30  原発ありきの方針に思考停止してしまったあげくの果ての無策や失敗を棚上げにして化石燃料費の増加から来る赤字の穴埋めを国民に押し付けると言うのはどう考えても異常です。火力発電のため天然ガスひとつ取ってもアメリカと日本ではなんと9倍もの価格差があるといいますし、世界的に比較しても日本の化石燃料の調達費は群を抜いて高い現実があります。

原発ありきの国策と電力会社がエネルギー政策に対してバランスを欠いて来た結果がもたらした失敗です。ヨーロッパでも韓国でも天然ガスを経済的に供給するパイプライン網が整備されているのに対して日本では主要である東海道でさえももパイプラインが通じでいないという国際社会からの遅れ。

シェールガス革命というNHKの番組を見ましたが、劇的に変化する世界のエネルギー資源の状況にも日本は対応できていません。もし燃料の買付を初め、さまざまなエネルギー情勢に普通に対応できていれば、化石燃料に依存しても赤字などという事態すら生まれなかったのではないかと思います。

値上げを強調する裏にはまたしても、原発を動かさなければ値上げは避けられないと言う脅しも含まれているのでしょうが、本当にいい加減にして欲しいものです。原発を基盤に据えて出来上がってしまった今の電力会社は一度全て解体して、電力社会を再編するぐらいの事をしなければと思うぐらいこの病気とも狂気とも言える原子力集団を構成する人々の心の闇は深いように感じます。でもその闇がどれだけ深かろうが、人々の命がまともに係った問題ですから、その闇が消えてしまうまで一人一人がそれぞれの光を発し続けなければならないと思います。

 


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馬鹿げた言動、しかも都知事選に費用50億もかかるという理不尽。
2012/10/28  石原氏の傲慢な発言にはうんざりさせられますが、今回の都知事の辞職と原発に関する発言には怒りを通り越して人間として恥ずかしくなります。原発問題が些細な事と言う神経。福島原発の事故後の多くの人の苦しみ、未来への不安、絶望の中で自死した人の無念。

今なお汚染地域から子供たちを避難させれない親の苦しみ、事故収束のために被爆覚悟で作業にあたる数千人に上る作業員の人々の現状。原発事故を引き起こした無責任な政府や東電に対する怒り。原発問題は国全体と国民の命に関わる最重要問題です。

中途で投げ出した都知事選の費用、50億円があれば福島で苦難を強いられている人を助ける事もできます。石原氏のような保守的、反動的な空気を煽る発言に流されるような国民は少ないと思いますが、停滞する政治への不満の中で極端な言動をする政治家に対しては注意深く見極める必要はあると思います。

いたずらにナショナリズムをあおり、その流れで憲法改正や原発問題、核武装の問題など日本の国益に反する状態へとなし崩しに進む危険性がないとは言えないからです。原発問題は最重要な問題です。政治家を判断する指針。政党ではなく原発の廃止をはっきりと明言しない政治家には投票しない、油断しない心がけが大切な時代だと思います。

 


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いにしえの京都、奈良に思う事
2012/10/26  人の少ない奈良駅から奈良線に乗って一時間足らずの京都駅に降りるとそこは人、人、人。週末ともあってすごい人の波です。1950年11月に大正3年に建てられたルネッサンス様式の駅舎が火事で全焼し、52年に3代目の駅舎が完成。そして1997年に現在の巨大な駅ビルが完成。この新しい駅舎が出来た当時、京都には似合わないなと思いましたが、それは今見ても同じ思いです。

写真でしか見た事はありませんが、ルネッサンス様式のすてきな駅舎を再現していたら京都のイメージはずいぶん違っただろうなと思います。古いものを残したり、再生したりする意識はその国の伝統に対する愛着と美意識の強さだと思いますが、経済的理由だけで取り壊される古い建物や町並みが後を絶ちません。

日本文化の中心的な場所である京都でさえその感は拭えず、他の街はそれこそ問答無用で次から次へと古き良きもの、日本的な情緒は消えて行きます。空きビルが目立つ奈良。活況を呈する京都。2つの古都の現状は大きく違いますが、古いものが知らぬ間に消えて行く現実は共通しています。政治や行政が知的なもの、伝統や芸術に対する保護意識を高めなければ守れないもの。

ヨーロッパの国々が古い建築や町並みを死守するのは、景観が人間の心理に大きく影響するという事実を知っているからです。人間の五感の中にあって視覚から培う感性はとても大きいものですし、それは避けられないものでもあります。美しい街、美しい自然の大切さ。毎日暮らし、眺めるものが無造作であれば心が影響を受けない訳がありません。

 

 


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世界屈指の変動帯に形成された火山列島に原発をつくるのは愚行である
2012/10/25  高知大学で教鞭をとる地震地質学者の岡村真さんは高知大の講師だった1982年に同僚や学生らと2万以上の微化石を分析し四万十帯という地層の成立過程を実証した。日本列島は沈み込む海洋プレートが大陸の底に次々押し付けていく「付加帯」を骨格にして生まれたという理解が受け入れられ、プレートテクトニクスの日本での定説化に貢献した人です。・・・四つのプレートがひしめく世界屈指の変動帯に形成された火山列島に、原発や放射性廃棄物処分場を築く計画は愚行ではないかと研究を通して問い続けている。(朝日新聞10/24夕刊/フロンティア列伝)より。

核物理の科学者、原発施設の技術者、ジャーナリスト、環境学者、医者、そして核の恐ろしさを誰よりも知る広島や長崎の被爆者の人たち。地道に研究を重ねる人たちの警告や経験をなぜ聞き入れないのか、理解に苦しみます。

石原都知事に至っては今日の福島第一原発視察後の会見で「原発事故をもって、人間が開発した現代的な新しい技術体系を放りだすのは愚かだと思う」と述べ、原子力発電の必要性をあらためて強調したと言いますから空いた口が塞がりません。原発を止める事がどうして新しい技術体系を放り出す事になるのか論旨がむちゃくちゃです。

むしろ原発の廃絶と核廃棄物の安全な処理技術に対してますます技術力を上げて行かなければならないのは当然の事ですし、核と放射能への研究はまさにこれからです。電力会社や経団連そしてアメリカの顔色ばかり見ている人間らしい言葉ですが、福島の事故で苦しむ人や国民の未来を思えば、口に出せない言葉ではないでしょうか。次から次へとおかしな政治家が出てくる日本。国民一人一人が政治家の善し悪しを見抜く力がなければ、日本はますます不穏な方向へと流れて行く気がします。

 


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民意とはなんだろう?
2012/10/24  普通に生きる圧倒的多数の人たちの願いは、真面目にあるいはちょっと不真面目にそこそこ頑張ってのんびりと生きることでしょう。あくせくしたり、格差を気にしたりすることなく、平和に自然体で生きたいと願う気持ちが民意ではないでしょうか?争いを仕掛けたり、競争を煽ったりするのは能のない権力者が自らの慢心のために民衆を操る手法であって、多くの人は争いは嫌いです。

世界的にも勤勉な国民として名を馳せた日本人がそれなりに頑張って来て、それなりの経済を生み出しているにも関わらず社会に閉塞感が漂うのは明らかに政治に問題があります。格差や貧困をあえて作り出さなければ、成り立たないような社会にしてしまったのはアメリカ型の経済至上主義を盲目的に取り入れてしまったからです。

日本には長い歴史と伝統があって、アメリカのように新しい国ではないと言う事を、国民に忘れさせるような政策を取って来たが故です。それぞれの国にある良さ、そして欠点。一人の人間の場合と同じように国家としての欠点をどれだけ是正するかを考え模索しつづけることこそが国策です。でも戦後の日本は自らの本質を考える事なく、アメリカに追随しつづけて今に至っています。

世界情勢が大きく変わって、アメリカの威光はかなり鈍くなり、混迷の中でアメリカ自体が極右勢力に操られている現状はイラク戦争のいきさつと結果一つを見ても分かる事です。オバマ大統領ですら、自由に身動きできないように見えます。あの自由を尊ぶアメリカの民意はどうなってしまったのだろうと思います。

アメリカに頼らざる得なかった敗戦後の日本。アメリカの恩恵と同時に米軍基地や原発という恐ろしい押しつけもあります。昨日の朝日新聞にアメリカの高官が「日本に原発をやめるという選択肢はない」とまるで命令のように言ってましたが、それは彼らの国益、というよりアメリカを牛耳る一部権力者の思惑であることが感じ取れるものの言い方です。

民意とはなんだろう?日本のみならず世界の民意は「戦争のない世界」「平和な世界」「争いのない世界」「個人が尊重される世界」「みんなが共に穏やかに暮らせる世界」であることは共通だと思うのです。そして今日本の切実な民意は間髪入れず原発を止める事です。原発の怖さ、放射能汚染の怖さは、どんな学者よりも実際に被害を受け、苦しみ続けている福島の人々、そして愛する子供を持つ親たち、そして日本の未来を少しでもよくしたい人々には分かっているからです。

何事もなかったかのように原発を再稼働させる政治家、曖昧な脱原発政策を打出す政治家、どちらも民意を汲み取れない権力に組する政治家です。

 


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イタリアの学者や政府担当者7人に禁錮6年の有罪判決
2012/10/23  いったいどんな事件だろうと記事を読むと、2009年のラクイラの地震で「直前の安全宣言」が被害を広げたとして過失致死罪に問われたものでした。検察の求刑4年を上回る重い判決で執行猶予もつかないとか。地震のような予知に限界のある事に対して、その判決の是非は分かりませんが、科学者として、行政を司るものとして、自然の力を甘く見た結果が被害拡大を引き起こした事実は否定できないだろうと思います。

考えてみれば日本の原発事故などの責任問題はこのイタリアの問題に比べてもっと重大でその罪も明らかなのですが、政府、学者、企業の考えられないほどの無責任体質と横暴に加えて奇妙な法律が彼らを守っています。ただ原発を造りたいがために、安全でクリーンだと言う根拠のないプロパガンダを巨費を投じて宣伝して来た責任はイタリアの地震学者の比ではないと思うのですが、現実は誰も責任を取ろうともせず、国民の追求も甘すぎる感があります。

原発問題に限らず日本では巨悪に対しての訴追がマスコミ、世論を含めてとても希薄で、知らぬ間にうやむやと言う事件が後をたちません。重大な事故責任を問われなければならない人たちが自己の良心に照らして反省、自首するなんて言う事は原発事故後の推進派の人たちの態度を見ればかけらも見受けられません。そんな人たちがこの国の上層にいる以上、更なる無謀、更なる人災が繰り返される可能性があります。そして被害を受けるのはいつも一般の人たちです。

いじめの問題、若者の自殺、老人と子供への虐待、格差社会の広がり・・・過失に対して責任も取らないような国家のあり方がまかり通ればその歪みは増幅して弱き者へと流れて行きます。決して原発問題と無縁ではありません。そして恐ろしいのは実際は権力側に立ちながら、社会的弱者のたまりたまった既成権力への不満を逆手に取るような言動で人気を集めるような政治家が台頭してくる事です。

「自民党をぶっこわす」とか「聖域なき改革」だとかさも既成権力への挑戦めいた言動で国民を欺いた小泉政権がもたらしたもの、それは自民党の延命と大企業やアメリカと言うまさに「彼にとっての聖域」を守り、代わりに弱肉強食の社会システムを強化しただけの事です。あれから日本社会の歪みはますます深刻になっているのは現実を見れば誰にでも分かる事です。まるで自民党のような野田政権もひどいですが、阿部氏にしても何かと話題に上る橋下氏にしても小泉氏と同じ穴のむじなです。

この国を少しでもいい方向へ導いてくれそうなリーダーが出るような国にするためには、国民一人一人の意識の向上は不可欠だと思います。さもなければ多くの国民が決して望まない方向へと日本はまたしても流れて行くような気がします。経済力、技術力、教育水準、どれを取ってもアジアの先進的な国家として、民主的な国家として国民がゆったりとした気持ちで生きて行けるような国でなければ本来おかしいのですが、現実がそうではない以上、この国の矛盾と病巣に目を向けて行くのが一人一人に課せられた義務ではないかと思うのです。

 


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父と母が眠る場所
2012/10/22  徳川家康の重臣・本多忠勝の次男、本多忠朝の墓所ある一心寺は大阪天王寺にある浄土宗のお寺です。本田忠朝の事を書いたのは有能な武将として知られる忠朝が戦いに破れ死の間際に「戒むべきは酒なり、今後わが墓に詣でる者は、必ず酒嫌いとなるべし」と無念の言葉を残したといわれ、死後「酒封じの神」として知られるようになり禁酒を誓う人がその墓に詣でる事を知ったからです。酒好きだった父がこの寺で骨仏となって48年、酒封じの神が埋葬されているこの寺は窮屈かも知れないなと思ったりします。

今日22日は母の祥月命日。あれからもう8年もの歳月が流れた事が信じられません。線香の煙が舞う中で母の姿を思い出しながらしばらく目をつむって手を合わせていると、生前の母の顔がはっきりと浮かんできます。癌の末期にヨーグルトを一口食べて笑った顔、父が事故死した時の放心した顔、小学校の入学式の時のうれしそうな顔。悲しい事、つらい事の方が多かったはずなのに過去をさかのぼる記憶の中に出てくる母はほとんどが笑顔です。それは自分の身勝手な選択だからです。悲しみと喜び。どちらが無くても人生は味気ないものだと思うけれど、やはり悲しみが少ないに越した事はありません。合掌。

 


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盗人猛々しい面々
2012/10/20  そんな言葉が浮かんでくる原発推進派の面々。土地を奪われ故郷を離れざる得なかった多くの人々の無念と苦悩。放射能汚染に絶望して自殺する人まで出してしまった、未曾有の事故を引き起こした張本人たちが、罪を償うどころかきちんとした謝罪や反省もなく事故前と変わらず生きているのは図々しいにもほどがあります。

あまりの理不尽にいくつかの告訴も起こっていますが、訴えられる前に人間としての良心はないのだろうかと不思議な気がします。これだけ原発の嘘が露見し、事実を知った多くの人が原発の即時廃止を訴えているのに、「時間を稼げば国民は忘れるだろう」との常套手段をまだ使おうとしている政府と電力会社。福島原発事故の収束さえ見えず、事故の原因すら究明できていない現実。

福島の人たちの保証も不十分で、放射能汚染の全容も把握せず、食品などの検査体制もまだまだ不十分な中、まだ原発を動かそうとする厚顔さと、強欲には驚くばかりです。法治国家であり民主国家であるはずの日本でなぜこのような事がまかり通るのか理解に苦しみます。全国各地で多くの人が人間としての怒りの声を上げ続けている現実を見ようともしない人々。

原発推進派の狂ってしまったとしか言いようのない人々はともかく、国民全体に間違いなく関わる原発問題に対して未だ無関心な人も多くいる事が情けなくてなりません。「自分だけよかったらいい」とか「自分とは関係がない」とか「政治には興味がない」とかのエゴイズムで無視出来るような問題でしょうか。

対岸の火事ならば飛んでくる火の粉を払う事ですむでしょうが、匂いもなく目にも見えない放射能の粉を払う事は誰にも出来ない事です。江戸時代から使われた言葉だそうですが「盗人猛々しい」がまかり通るような国がいいと思う人などいないはずです。

 


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キッドの気持ち
2012/10/18  映画館の暗さが不安になって隣の席に座る父の手を探ってぎゅっと掴んだ事を覚えています。幼稚園の頃でした。映画が三度の飯より好きな父に連れられて週に何度も映画に行きました。当時の大阪の下町には小さな映画館が数件あって、映画は日常生活の中にとけ込んでいました。

洋画も邦画もそれぞれ専門の映画館があって2本だて3本だて、4本だてと言うのもありました。父は僕に映画を見せたかったのか自分が見たいがために僕を「だし」にしたのか分かりませんが、とにかく映画館によく通いました。西部劇のシェーンだけは僕がねだって三回も四回も観に行きました。そしてチャップリン。

あの時、ちょうど50年前の薄暗い映画館。銀幕の中の少年がチャップリンと引き離されそうになる場面になるとその感情が乗り移って不安になったのです。映画のストーリーはほとんど覚えていないのですが、チャップリンと少年がいつも一緒にいないといけないんだと子供心に強く思いました。キッドはあれから何度も観ようと思っていながら観れなかった映画です。

そして先日やっとキッドを観る機会があって、じっくり鑑賞しました。案の定ストーリーは全く覚えていなくて、まるで初めて見る映画のようでしたが、少年の不安だけは心に刻まれた印象そのままでした。やっぱりキッドはチャップリンと離れてはいけないと・・・血のつながりがなくとも親子は成立するものだとこの映画は教えてくれるけど、それは愛がなければ血のつながりがあっても親子の情は生まれ得ないものだと言う事も教えてくれます。

 


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卑劣すぎる犯行、大阪のホームレス襲撃
2012/10/15  大阪JR駅の周辺と阪急梅田駅周辺で5人のホームレスが相次いで襲われたと言う朝日新聞の記事。一人が死亡し一人が重傷という残忍な暴行でグループによる犯行だと書かれていましたが、世の中の片隅で自ら生きる事だけでも困難な弱りきった人をどんな神経、どんな動機で殴ったり蹴ったり出来るのだろうと、人間の低劣さに愕然となります。

同級生を自殺にまで追い込むいじめの問題も後を絶ちませんが少数のいじめる側のグループ、一人のいじめられる人間、そして多くの「関わりたくない側の人間」がいます。担任の教師や学校側の人間にも「関わりたくない」との意識が働いて見て見ぬ振りをしている場合があるように思える事件もあります。過度の競争社会から盲目的な保身主義に陥っている大人が子供たちの世界にもたらしている影響もあるはずです。親の背中、大人の背中を見て子供は成長します。

教育環境や教育方針の見直しも大切ですが、まず社会を構成する大人の姿勢を正さなければ、どんな方策も台無しになるのではと思ってしまいます。人間一人一人の個性を尊重し、生き方の多様性を認めることから他者に対する理解やおもいやりは生まれます。人間の価値は一律に計れるような単純なものではありません。その人の笑顔が周りの人をほっとさせるだけでもその人の存在価値はおおいにあります。

学校の勉強が苦手で成績が悪くても体が弱くてみんなについて行けなくても、それは人間としての要素のほんの一部の弱点です。要素の中でも重要な部分「想像力」とか「感性」とかが弱い人間をいかにして無くすかが教育の基本にならなければいけないと思います。知識とか技術とかの多くはやる気になれば後付けする事も可能ですが、感性や想像力を培う事は魂の柔らかな時でなければ難しいものです。

そのためにすばらしい絵本や本があり、遊園地があり、面白い映画、悲しい映画があり、音楽があります。動物の虐待やホームレスへの暴行、いじめの問題など弱者へと向かう暴力性は、多様な人間を一律の価値観に当てはめようとしてきた教育とそんな個性のない人間が求められる社会が生み出した歪みではないでしょうか。

暴力は絶対に許される事ではありません。しかし、暴力が横行する背景には「無関心という消極的な暴力」があるような気がします。まさに人間としての重要な要素である「想像力」と「感性」の欠如こそ無関心の原因でもありますし、それは社会悪の蔓延につながっていると思うのです。子供が楽しく外で遊び、モノや人に対する好奇心を高め、それぞれに与えられた固有の能力や感覚を伸ばすような教育環境と社会環境を作る事こそ未来の日本を考えるなら必要なことです。

 

 


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政治家である前に父親であり母親でなければならない、
親である前に一人の人間としての考えを持たなければならない

2012/10/14  親である前に人間でなければならない。人間とは生を受け、知識と体験を蓄積し時には誤った判断で間違いを犯し、それでも反省し、自己を改革し、自身の未来と子供たちの未来のためにその経験を生かして行く生き物だと思います。そしてその集積が人類だと思います。

親であるならば、大人であるならば子供たちの未来に無関心になれるわけはありません。放射能汚染の未来への影響が掴みきれないなら、核廃棄物の処理がきちんとできないなら、それらの危険性のあるものをあえて生み出す事はあまりの無責任です。

そしてその行為に反対の意思を示さない事も無責任だと思います。確かに政府や電力会社など権力側の圧力やプロパガンダが横行していますが、この情報社会ですべてを隠蔽できるはずはありませんし、真実を知ろうと思えばある程度までは誰にでも出来るはずです。興味がない関心がない、煩わしいなどと無視できる問題ではないはずです。

愛する子供を持つ親ならば、正しい心を持つ大人ならばあり得ない事です。1957年に日本初の原子炉である東海村の実験用原子炉JRR-1が運転開始し、日本における原子力発電が開始した時点で、自然エネルギーへの長期計画を立てていたなら、日本は経済発展とともに先進国としての国家的精神が大いに違っていただろうと思います。水力発電と火力発電のおかげで日本経済は発展しましたが、1957年の時点ならばその科学力と経済力でエネルギーに関しては原発以外の選択肢はいくつかあったはずです。

原発を選択したのは資源確保の不安定とかCO2問題とか一次的な理由はあるとしても、その本質は強力な利権構造の確立と日本憲法の神髄である非核三原則で表に出せない核兵器への画策であったことは現在の原発情勢を見れば明らかです。

何とも不純な動機です。そしてあまりに危険で未来を考えない盲目的で野蛮な計画です。原発問題に限らずマスメディアなどに巨費を投じあの手この手で情報を操作するものは、逆に言えば真実を悟られたらそれらは終わってしまうからです。

国や悪徳企業が一番恐れているのは国民一人一人の意識が高まる事です。偏った民主主義、不公平な資本主義であっても、主権在民の原理は生きています。故に必死のプロパガンダ、騙しのパフォーマンスが行われるのだと思います。国を少しでもよくするためには心ない政治家を選ばなければいいだけです。

企業の道徳性を少しでも正すためには金儲けしか頭にないような企業の商品を買わなければいいだけです。そして人間的で有能な子供を育てたいならば、親が何事に対しても正しい判断を心がけて生きれば、それに勝る教育はないと思うのです。

 


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箱を開けると「こんにちわ」の笑顔
2012/10/13  オレンジの箱を開けると正体不明の可愛い生き物が出て来ました。ロシアアニメーションの最高傑作「チェブラーシカ」の1シーンです。チェブラーシカではないけれど段ボールを開けると元気そうな玉ねぎやカボチャが「こんにちは」と笑顔を見せてくれました。北海道の知人が送ってくれた富良野の野菜たち。やんちゃな子供たちのように顔は泥で汚れていますが、その肌も表情もつやつやしています。大地の贈り物、作っている人の愛情が伝わって来ます。

過度の農薬散布、恐ろしい劇薬にも耐える遺伝子組み換え作物。そして放射能汚染。できる限り自然の状態に近づけようと必死の努力をしている農家の人々の心を無視するかのような行き過ぎた営利主義は結局自らの命に跳ね返って来ます。自然を大切にしない人間の精神はどこまで貧困で盲目的になるのだろうと悲しさと恐ろしさにとらわれます。

今日の朝日の夕刊に「野鳥の楽園、改革の波」と書かれた見出しがあって、記事を読んでみたら大阪南港の野鳥の楽園が廃止の危機にあるとのこと。園内では年間1千から2千羽のシギやチドリ類が飛来し、他に150種の野鳥が見られるそうです。大阪市立大の環境生態学の教授は「都会近くに干潟の自然環境を作り出した数少ない成功例」だと言います。大阪市は年間2300万円の予算の見直しを決定し今後園の廃止も含めて決定するとの事ですが、精神の貧困としか言いようがありません。

大地を耕し、少しでも安全で美味しい玉ねぎやカボチャを作ろうと努力する人の精神と、お金のためならかけがえのない生態系さえ犠牲にしてしまおうとする貧弱な精神。自然や弱者を大切にしない橋下市政は必ず破綻するに違いありませんが、原発と同じようにできる限り早く廃止するために市民一人一人がじっくりとその本質を見つめ、判断しなければならない時期に来ていると思うのです。話がそれてしまったけれど、美味しい玉ねぎを作ってくださった心、送ってくださった心、そして玉ねぎさん「ありがとう」

 


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札幌の脱原発デモ・反原発アクション情報/北海道札幌市民運動【Shut泊(シャットとまり)】
2012/10/11  東京で始まった金曜日の反原発デモは徐々に各地に広まり北海道から沖縄まで各地で定着しつつあります。原発は日本中どこに暮らす人にとっても大きな脅威ですし、無関係な人など存在しない問題です。日本の明日を考えるなら、子供たちの未来を考えるなら圧倒的多数の人が何らかの形で脱原発の意思表示をする事が必要です。

原発にまつわる巨大な権力に対する一人一人の意思の集積。北海道札幌市民運動【Shut泊(シャットとまり)】のサイトに大間原発と戦うあさこはうすレポートがあります。「130haの原発用地の中央に1haの飛び地、熊谷あさ子所有の農地がある。炉心からたった300メートルのところに個人の農地が存在しながら2008年に工事許可が下りた。原発用地内ほぼ中央に個人の土地が存在し、そこに毎日人が通い、郵便が日に100通届き、全国から週に何組か人が訪れる。そこがあさこはうすである。このような状況での原発着工は世界に例がない。

たった一人の女性が農地売却に応じず、想像を絶するような圧力に屈することなく戦い、事業者である電源開発は計画変更を余儀なくすることになり、少なくとも着工を4年間遅らせた。そしてこの孤独な戦いは娘に継がれながら今も続いている」一人の人間の環境と命を守りたいという願いと意思が圧倒的な巨大権力と今も対峙している現実があります。人ごとでも遠い地の問題でもないのが原発です。

政府や電力会社の原発維持への異様とも思える執着が、決して国民のためではなく、利権と核への画策である事が福島原発事故以降の様々な報道で明らかになった今、そして原発の危険性が決して回避できないものである事も分かった今、無関心でいることなど誰もできないはずです。

【Shut泊(シャットとまり)】あさこはうすレポート

 


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川の流れと人の心
2012/10/10 岡山の繁華街を南北に流れる西川。川幅の狭いこじんまりした川ですがいつ来ても水量が多く澄んだ水がなんとも言えず心地いいのです。都会の真ん中を小さな川が流れているだけで街の印象がずいぶんと和むものだと川沿いのベンチに座りながら流れを見つめます。

手を伸ばせば届く水面がきらきらと光って小指ほどの魚が流れの弱い場所で休息しています。川と人がふれあえる距離感。数えきれないぐらい出向いた京都の鴨川も大きいけれど人と川の距離が近い川です。同じく木屋通りをひたひたと流れる高瀬川もずいぶんと環境に圧迫されながらも素知らぬ顔で流れ続けています。

古い家屋や情緒ある町並みが次々と壊され、景観も空気も汚れ続ける都市部にあって川の水が澄んでいる事が奇跡のような気がします。人との距離が近い川、繁華街を流れる川、そして美しい川。

そのような川がどれだけあるのか分かりませんが、きっとそれぞれの川が都会に疲れた多くの人たちにひと時の安らぎと、を与えつづけているのだと思います。こぎれいなビルや華やかな店は移り変っていくけれど変わらない流れ・・・人の心もそのようにありたいなと西川に手を浸します。

レイチェル・カーソンの思い
2012/10/09  自然科学者レイチェル・カーソンが1962年に農薬の危険性を告発した「沈黙の春」は当時のアメリカでわずか半年で50万部も売れたと言います。以後環境問題に対する意識は世界中に広まり、化学物質の生態系への影響と怖さは徐々に認識が進み、農薬類の使用は無くなるかと思われたのですが、現実には農薬は使い続けられています。

そして単なる品種改良とは違い危険性が指摘される遺伝子組み換え作物は増え続け、日常の食生活からそれらをシャットアウトする事は困難な状態です。「遺伝子組み換えでない」と言う表示はあっても「遺伝子組み換えです」と言う表示はなく安全性審査のずさんさも指摘されています。原子力発電と同じく「人間が制御できない」遺伝子組み換え技術ですが、止めれば増えない原発と違い、遺伝子を組み換えられた生物はいったん環境に放たれれば自力で増殖し続ける可能性があります。

その先がどうなるか分からないのがとても不気味です。強力な除草剤の影響を受けない大豆、害虫に強いじゃがいもやトウモロコシ。確かに便利ではありますが、それらが苦労して作られた無農薬栽培の作物と同じように安全なものとは思われません。遺伝子組み換え作物の「種」のシェアの90%を独占する巨大企業モンサントの2008年の売り上げは110億ドル(8910億円)だそうです。フランス人ジャーナリストのマリー=モニク・ロバンさんが作ったドキュメンタリー映画「モンサントの不自然な食べ物」でその恐るべき実態を告発しています。

原発の安全性や放射能問題と同じで巨大権力のプロパガンダと圧力は想像を絶するものがありますが、命がけで真実を告発する人々が世界中にいて共鳴する人々が声を上げてきての現状ですから、もしそんな人たちがいなくて歯止めが全く効かなかったら人類の破滅というような言葉が真実みを増します。無関心は本当に罪な事です。農薬、放射能、遺伝子組み換え・・・レイチェル・カーソンが生きていたら現状に絶句はするでしょうが、それでもまた真実を告発し続けるでしょう。未来のために・・・

http://ja.wikipedia.org/wiki/モンサント_(企業)

 


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なんと言う顔ぶれ
2012/10/08  一見三者三様だけれど根っこは同じの顔ぶれ。野田首相、阿部党首、橋下市長の指向性はよく似ています。目先の政策と言葉の変化はあっても結局は大企業優先、アメリカ優先の権力追随主義です。軍需産業とモンサントをはじめとする巨大な多国籍企業が国を動かすアメリカの動向と圧力に盲従すれば日本は民主主義から遠ざかってしまうのではないかと恐ろしくなります。

原発問題、沖縄の基地問題、TPP問題などすべての国民の命と生活がかかった問題に対して、大企業の思惑、アメリカの算段が見えすぎて、日本国家を代表する政治家が単に操り人形のように見える事もあります。

理念ある政治家ならばまず企業、個人をとわず社会的弱者を好転させる政策を考えるでしょう。人間性ある政治家ならまず原発を即時止めるでしょう。

大企業や背景にある権力に対して波風を立てなければ自身攻撃される事がないのは分かりますが、それでは結局どう目先をごまかしても弱いものいじめの結果にしかならないのは当然です。大企業に対して歯止めをかける政治家。原発を止める政治家。社会的弱者を優先する政治家。そんな政治家が顔を揃えるような国になるように国民一人一人が、政党や表面的な政策ではなく、政治家一人一人の人間性を見つめ、偏らない知性を持つ人を選んでいかなければならないと思います。

 


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せめて、50年前のことを振り返り50年後のことぐらいには思いを馳せなければ
2012年10/07  現代人を自認するなら自分の生きる今を起点にしてせめて50年の過去と50年の未来ぐらいは復習し想像したいものです。今と直結した過去と未来。それぐらいの過去なら自身の歴史で振り返る事もできますし、両親や祖父母に聞けばその時々の生きた話も聞けると思います。

そして50年後の未来ならば想像力を働かせばおおよその予測はつくだろうと思うのです。昨日今日明日も大切だけれど、50年前の社会、50年後の社会を考える事は今を考える上で重要な座標になるはずです。悲惨な戦争が終わってのこの50年間の日本社会の流れ。それが今をつくっています。50歳以上の人はその流れを自身の歴史と重ねる事ができると思いますし、若い人はその至近な史実から未来に向けての多くのヒントを得れるかも知れません。

もしあなたが20歳なら自分で認識できる10数年に経験のない30数年を加えて欲しいと思います。そうすればこれから関わる50年後の世界に対して「こうなっているだろう」と言う予測と「こうなっていて欲しい」という願望が生まれるはずです。過去からの学びと未来への願望は、今を生きる意味でもあり行動するためのエネルギーに他ならないと思うのです。

去年今年来年も大切だけれど、想像力を培うためにも息の長いエネルギーを得るためにも50年ぐらいの過去と未来からのメッセージを読み取る習慣ができれば今を生きる意識や視点が変わってくるのではないでしょうか。

 


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米国が真の友人であるならば
2012/10/06  アメリカが日本の友人ならば、日本が民主化したロシアや中国と外交努力を通じて、信頼関係を深めることに反対はしないはずです。例えば僕が他の人間と信頼関係を深める事をよく思わないならそれは友人ではなく支配者とでも呼ぶべき存在です。

友人ならば当然相手の意思を尊重するし、相手が有利に生きる事を喜ぶはずだからです。ロシアや隣国である中国、韓国などのアジア諸国と信頼関係を深めれば、国家防衛の引き合いに出される北朝鮮の脅威は多いに軽減されるだろうし、深い悲しみが続く拉致問題の解決の可能性も高まるだろうと思えます。

アメリカが友人ならばたとえ日本が血迷って原発を造ったとしても、どこかでアドバイスがあったはずです。「お前ところはエネルギーも十分足りているし、地震の多い地質なんだから原発を造るのはもうよしたほうがいい」と。そして「隣国と仲良くすれば日本にある米軍基地だって減らせるじゃないか」と。「これ以上沖縄の人たちを苦しめるのは俺だっていやだよ」と。日本もアメリカにこう言うはずです「お前ところは太平洋の向こうでいいかも知れないけど、こっちはすぐそばなんだから隣国を刺激するようなことはよせよ」「オスプレイなど攻撃的な軍備はやめてくれ」と。友人であるならば片方に一方的にリスクをかぶせるような事はしないはずだし、お互いに相手のいいところをもっと引き出すだろうし、相手の欠点はもっと指摘し合うだろうと思うのです。


本当に必要なものと絶対に不必要なもの
2012/10/05  考えてみれば、空気とか水とか光とか生存に絶対必要なもの、重要なものはみな「タダ」です。人間は「火」の利用を発明し生存はより有利になったけれど同時に「武器」を発明し殺戮は大幅にエスカレートしました。そして電気を発明しまたしても武器も進化しました。

そして今度は原子力が核兵器として実用化され不幸にも広島、長崎に投下されました。核兵器が大量に保有される現代においてもし戦争で双方が使用すれば人類そのものが滅亡する事が分かっているのに廃絶される事もなく未来に暗雲を投げかけています。

しかも原子力は原発というまやかしのエネルギーを生みました。まやかしの訳は原発システムそのものが不完全で、原発を稼働させる限り、作業員などの被ばくが避けられないこと、事故が起こらないなどという事が絶対にないこと、そして核廃棄物の安全な処理さえ確保できないからです。

いったん事故が起これば放射能汚染という人間が対処できない事態を長きにわたって引き起こす事もチェルノブイリや福島の事故が厳然と物語っています。原発が動く限り、もっと大きな事故が起こらないとは誰も言えないはずです。日本を見ても世界を見てもたった数十年の間に危うい事故は数多く引き起こされています。

日本のマスコミは非常に消極的にしか報道しないけれど、それもまた厳然たる事実です。地震などの自然災害がなくとも原発事故は起こりうると言うのに、世界屈指の地震多発国である日本で原発が安全などというのは気が狂っているとしか思えません。原発事故だけは他の事故とその性質が全く違います。

それは放射能汚染が未来へと長く続くからです。自然環境や人体への影響は徐々に解明されつつありますが、内部被ばくの影響、遺伝子や細胞に対する影響についてはまだ未解明の部分が多く、被ばくに関してはできる限り浴びないことしか今はありません。

発病や発症に至る時間軸があまりにも長く、研究途上だからです。何ベクレルなら安全とか何シーベルトなら心配ないなどとは決めれないし言えないはずです。それはいたしかたのない最低限の目安でしかありません。科学がこれだけ進んで、しかも人類をずっと守ってきた最も重要な要素である空気も水も光もあるのだから、火力、水力で補いながら自然エネルギーの研究開発、そして実用化に向けて官民全力を投じなければならないのは文明国としての義務だと思うのです。そして全原発のすみやかな廃炉もまた国家としての責務だと思うのです。

 


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路上で遊ぶ子供たち
2012/10/05  「遊ぶ子がいたら道が空くまで待つ」・・・そんな記事が目に入ってインドでの牛にまつわる話を思い出しました。道路上に寝そべる牛を避けて通行する荷車や自動車は牛を敬うインドならではの光景ですが、子供はどこの国でも敬われるのは当然のことですから、クラクションで子供を追い払うような神経の持ち主は野蛮です。

欧州では「静穏化」が浸透しているそうですが、日本の道路では爆音や大音量の音楽を鳴らしながら走行する無神経族が少なからずいてはずかしいかぎり。欧州で広まるボンエルフ(生活の庭)と呼ばれる道路は歩道と車道が区別されていなくて歩行者の優先権が決められています。日本でも歩道と車道の区別がなされていない道路はそこここにありますが、人が自動車の恐怖にさらされて歩かなければならないような道も多々あります。

「こんな狭い道を何故にスピードを落としもせず走行するのだろう?」と運転者の無神経に空恐ろしくなった経験が何度もありますが、ボンエルフのような仕組みとドライバーの意識が向上するまでには日本は時間がかかりそうです。時間や生活に対する強迫観念、自分だけよかったらいいという歪んだ教育と社会風潮。人間の命より車の方が大切なのかと思わせるほどの車優先社会。70年代にオランダで始まったボンエルフと言う概念が遅ればせでも定着するような国にならなければ子供から大人まで人間の心はますます殺伐としていくような気がします。

思い出せばほんの半世紀前、日本の道路は子供たちにとって世界一長いキャンバスでした。「ロー石」と言う道具で思い思いの絵を描いて、道路上を面白い絵や文字が長く続いていました。子供たちを避けて車は遠慮がちに走っていたものです。当時と今とでは車の数は比較にならないけど、人間の心持ちはそれ以上に変わってしまいました。

放射能汚染の時代を生きる〜京大原子炉実験所《異端の研究者たち》
2012/10/03  科学者としての香り、人間としての香りが伝わってきます。MBSのドキュメンタリー映像21。原発の実態と原発事故の恐ろしさを伝え続けてきた京大原子炉実験所の科学者たちの素顔がよく分かるドキュメンタリーです。原子力の世界で異端視されてきた科学者の生き様から感じ取れるヒューマニズム。

科学者である前に人間であるという当たり前の信条を守り続ける姿は学問とは何かという根本的問題の答でもあります。小出さん、今中さんたちの研究グループの友情や人間性をかいま見るだけで、彼らの原子力に対する姿勢と、造詣の深さが分かります。そんな科学者の意見を無視して、心を失った御用学者を利用し恐ろしい原発事故を起こしてしまった日本政府の施策と電力会社の無謀に対して心ある国民は怒り心頭に達しています。

それでも厚顔無恥な権力者たちは事故の責任を取るどころか開き直って相変わらずのプロパガンダを続け原発を動かし続けようとしています。背後にある核への間違った執着とアメリカのアジア戦略に対する思惑からの圧力は分かりますが、二度の原爆、そして福島という三度目の核被害に遭った国民ならば、その怖さは分かりすぎるほど分かったはずです。どう考えてもすべての国民が原発に関してはノーを突きつけなければ日本は立ち行かなくなるのではないか、そう思えてなりません。

もう一度事故が起こればどうなるか、想像力を働かせなくても分かることです。しかもその可能性は大きくあります。数十年にわたって原子力を研究し、それが分かっているから原発に反対し続けてきた科学者たち。この国の巨大な腐敗権力の前にある時は無力感に襲われながらも、それでも人間としての姿勢を崩さず原発を止めようとする京大原子炉実験所の科学者たちの穏やかではあるけれど凛とした心根を国民一人一人が学ばなければならないと痛感します。

MBSのドキュメンタリー映像21

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自然エネルギーへ
今や自然エネルギーを有効に使えるだけの科学力があります。原発を完全に無くし、
化石燃料をなるだけ減らして行くことが未来に対する人類共通の責任です。

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