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皐月/五月/MAY/ユーモアとセンス


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法治国家であるために
2012/05/30  放射能で土地を追われた人、ばらばらになってしまった家族。丹精込めて育ててきた家畜や土地を奪われた人、絶望から自殺する人まで出した未曾有の大惨事だと言うのに、そしてそれが人災だと言うのに誰も責任を取らないなんてとても法治国家とは思えない震災後の有様です。事故後の政府や東電の対応がまともであれば防げていた被曝もあったことは周知の事実ですが、今なお避難しなければならない地域の人を援助、保護もせず自主避難とはひど過ぎる話です。原発推進の首謀者たちは刑事告訴される前に自首するのが人間としての最後の証だと思いますが罪を悔いるどころかまだ原発に固執するという驚くべき人非性を発揮して、電力が足りないなどという聞き飽きたプロパガンダを続けています。

足りないのは電気ではなくてあなた達の脳みそと心だろうと思わずにはいられません。すべての国民がもっと真実に目を向けて怒らなければならないと思うのですが、悲しいかなテレビや新聞の大手メディアはとても正確に情報を伝えているとは言えません。全国で多くの意識ある人たちが根気づよく原発を廃止しようと頑張っていますが、1人でも多くの人の連携を祈るばかりです。原発は政治経済よりヒューマニズムが大きくかかわる問題です。心地よい未来社会を構築するためにも遅きに失したけれど、原発はすみやかに廃止するしかありません。そしてこれだけの犯罪に手を染めた人たちには刑事罰が課されなければならないと思うのです。


社会人と会社人
2012/05/29  小さな守られた環境ではあるけれど学生時代には多かれ少なかれ社会のことは考えます。友人が3人集まればああでもないこうでもないと時に社会を飛び越えて銀河系のことまで論じ合います。心もとない歴史や地理的知識と映画でかいま見たシーンや文学で得た想像力をつなげながら諸外国の歴史と現在における文化的ニュアンスを汲み取ろうとします。自分の親、友人の親、それぞれの家庭の空気、考え方、価値観。分かり合えないこともあるけれど、そこは若さ故の柔軟さで調和もします。話したり、一緒に旅行したり、アルバイトをする中で理解したり、自分を反省したり、相手に意見したりして「人間はこうあるべきだ」「こう生きなきゃいけないね」などと海辺のキャンプ地で星を観ながら共感もします。

他者のことを考えたり環境のことを考えたり、それは勉学以上に大きな人間としての土壌づくりだと思います。学生という限られた世界での社会認識。そして自己判断で漕ぎだす実社会。社会での実体験や視点の増加はいやがおうでも社会的意識につながります。自分と自分以外の世界との対比。企業に勤めようが自営しようが失業していようが社会人としての意識は増幅されつづけるはずなのです。けれど、おかしいなと思うのは学生時代の小さな社会人であったはずの人間が、社会に出てから社会人ではなく「会社人」になってしまうことです。仕事とその周辺の出来事にしか関心がなくなる人が多いのにはちょっと不安と寂しさを感じます。まるで思考停止の薬でも飲まされたように好奇心や探究心をなくする会社人。砂浜に寝転がって見た満天の星に感動した心は一体どこに行ってしまったのでしょうか。


マリ・キュリーの指紋と心
2012/05/27  1897年にアンリ・ベクレルによって発見されたウラン鉱物の放射線。その後ピエールとマリーのキュリー夫妻によって自然に放射性壊変を起こす元素の存在が世界で初めて証明されました。1900年にドイツの医学者ヴァルクホッフとギーゼルによって放射線が生物組織に影響を与えるとの報告があり、研究の結果皮膚疾患や悪性腫瘍治療にラジウムを使うキュリー療法が開発されました。ほぼ同時期にヴィルヘルム・レントゲンによって発見されたX線も医療への貢献が可能となり放射線の応用は現実のものとなりました。と同時に放射能が健康へ与える悪影響も次第に明らかになり悲惨な原爆やチェルノブイリなどの原発事故後の研究によってさらに検証が進んでいます。

キュリー夫妻やベクレルなどの放射能研究者が生きていたら医療以外の放射能使用は断じて許さなかっただろうと思います。いったん巻き散らかされた放射能がいかに不可抗力なものであるかは福島原発事故の現状を見れば思い知らされますが、放射能の人体への影響はまだ認識されていない不安要素があります。パリにあるキュリー博物館に保管されている当時の実験器具に残されたマリ・キュリーの指紋からはいまだ放射能が検知されるといいます。放射能研究に命をかけた多くの科学者の心。核兵器や原発がその心にかなっていないことだけは確かです。


教育の本質とこれからの社会が目指さなければならないもの
2012/05/26  教育の本質について、産業社会の進展に基づく「制度化」を批判したオーストリアの哲学者イヴァン・イリイチは学校について語っています。『学校という制度の「教えられ、学ばされる」という関係から、「自ら学ぶ」という行為、すなわち学習者が内発的に動機づけられて独学する行動を取り戻すために、学校という制度的な教育機関を超越すること、つまり、教えてもらう制度、機構である学校から離れて、自分の学び、自分育てとしての学びすなわち独学を取り戻すことである』・・・自分の学び、自分を育てるための学びという観点からすれば戦後日本の教育のありかたは経済成長とともに逆行している感があります。それぞれ固有の人間にあって、人間形成に必要な基本的土壌を育てなければいけないはずの教育が産業社会のための養成教育のようになってしまってはどう考えても人間的な社会が構築できるとは思えません。

学校を卒業する時点で、1人1人が自分の頭でものを考え、自分の正しいとする価値観を持って社会に飛び込んで行く若者を養成することが教育の使命だと思いますし、そのような固有の考えを持った人間が調和できる社会を目指すことこそが民主社会であり近代社会であるはずです。今起こっている原発問題にしても、それは明らかに社会悪です。人道的にも科学的にも悪は明らかですが、原発擁護者がとなえる経済的必要性すらその嘘が露見しています。そんな中でそれに加担する政治家や学者などはまさに経済のための養成学校の中で、法律や科学の知識を学んだゆえに「それが正しいかどうか」という簡単な人間的判断すらできないロボトミーのような状態にあるとしか思えないのです。学校や学生は決して経済などという次元に組み込まれてはいけないはずです。


夢の原点、情熱の土壌
2012/05/24  1902年の夜、イタリア、アーゾロの小さな部屋で9才になったフレアは目を輝かせていました。誕生日のプレゼントに叔母さんからいただいた「千夜一夜物語」が目の前にあるからです。表紙の絵を観ているだけで東洋の摩訶不思議な世界に引き込まれるようで、ちょっと恐ろしくもありましたが本には千倍の引力がありました。イギリスの女性探検家フレア・スタークの心に東洋への夢が芽生えた夜でした。その後病気で数ヶ月も動けない時期にフレアは大デュマなどのフランス文学を読んで土壌は栄養に満ちました。大学でアラビア語とペルシア語を学び第一次世界大戦中はイタリアで看護師として勤務。

1931年からは当時ヨーロッパ人がほとんどいっていないイラン辺境を踏査し、アラビア半島南部への危険な旅も1人で敢行したというのですからその情熱が伝わってきます。彼女は90才まで西アジアの旅行を続け、多くの著作を残しました。彼女がもしあの夜に「千夜一夜物語」と出会わなかったら運命は随分変わったものになっていただろうなと思う反面、本に魅せられると言う精神的土壌が幼児期に育っていたからこその、その後なんだろうなとも思います。世界中の子供たちに読まれている無数の絵本や文学。それが心に根付いて枝葉をのばすことは多かれ少なかれあるとは思いますが、それが人生の最後まで育ち続けることはめったにないし、だからこそ素晴らしいことなんだとあらためて思います。


やっぱり騙す方が悪い
2012/05/22  新幹線の狭い喫煙ルームで見知らぬおばさんとの短い会話。「こんにちは、煙草を吸える場所が少なくて困りますね」と話しかけると「ほんとうですよ、煙草の税金をこれだけ払ってるのにね」「こんな独房のような椅子もない場所が喫煙ルームとは腹立つ」とぼやく割にはくったくのない笑顔です。「そうですね、これは狭すぎますね・・それはそうと福島の原発事故はえらい事になりましたね」「千葉や東京にいる知人でさえもいろいろ苦慮しているようですから原発周辺の人の苦悩はどれだけかと・・」「私は九州なんです」「九州でもあの玄海」「魚もよく獲れるしきれいなところなんですよ」「原発への危惧は持っていたけれど、はっきりした知識がないから地元はほとんど騙されたようなもんです」

小さな車窓に写る景色を見やりながらおばさんはふーっと煙草を一服。「なんかね、地元経済を衰退させておいて、札ビラで顔を叩くみたいなやり方だよね。」おばさんの顔がちょっと曇りました。「そうですね、日本の原発立地はほとんど同じ構図だから・・」と言うと「とにかく子供や孫のためにも、原発稼働には反対しますよ」「同感です。1人1人が意識改革していかなくてはなりませんね」「僕も頑張ります、じゃあさよなら」数分の会話だったけれど、おばさんを通して美しい玄界灘の風景や、原発にまつわる地元の人間模様が垣間見えるようでした。


あらゆる命の思い、願い、怒り
2012/05/20  半年以上の長い眠りから覚めたのにたった1日しか経っていないような顔でちょこんと石の上に座っています。小指のさきほどの小さなカエル。狭い庭の片隅でどう冬を越したのか生命とはなんとも不思議なものです。十数匹いた庭の住人はまだ2匹しか復活していません。残りはうまく越せなかったのだろうかと心配になりますが、自然とは、命とは、おぼろげであったり、強靭であったり不思議なものです。地球上に生きる無数の命。計り知れない歴史と奇蹟と言うしかない摂理の中で連綿と絶える事なく生を主張している生き物たちにとって、この地球の環境はかけがえのないものです。

決して人類だけの環境ではなくましてや一部のエゴイストが環境を破壊するなんてことは許される事ではありません。人類の叡智をはるか超えた自然の摂理。原子力と言う今の科学が制御できない力。しかもその危険性が明らかに分かっているのにもかかわらず原発を存続させようとする人間の愚かさと野蛮性に対して怒っているのは決して人間だけではありません。あらゆる生命が馬鹿な事はやめなさいと反対し、念じているのです。冬眠からさめた小さなカエルもその中の1人なのです。


空と海、夢と探求、情熱と勇気
2012/05/19  1931年、自ら設計した気球に乗りドイツのアウクスブルク上空1万6000メートルの成層圏に達したオーギュスト・ピカールはスイスの物理学者であり気象学を学び宇宙と深海に関心があった冒険家でもあります。宇宙線やオゾンの研究のためといえ、当時の自作機器で成層圏到達はよほどの勇気だと思うけれどそんな事はものともしない科学者の情熱はすごいものです。1954年には自らが発明したバチスカーフで4,000 mの深海に到達。探究心、アイデア、情熱、そして夢。

ピカールはブリュッセル自由大学で物理学を教えていたのですが、授業はさぞかし面白かったに違いありません。授業で情熱や夢が学生に伝播するようすが目に浮かびます。1960年には彼の息子ジャック・ピカールはアメリカ海軍のバチスカーフ・トリエステ号に搭乗しマリアナ海溝チャレンジャー海淵に達し、1999年には孫のベルトラン・ピカールが気球ブライトリング オービター 3による無着陸世界一周を達成。子供や孫にとって変わり者だけど、愛すべき父親、あこがれのおじいさんだったのでしょう。夢の伝播、愛情の伝播、勇気の伝播・・・芸術であっても科学であっても普通の生き方であっても愛さえあれば伝播するものはあります。


ダートムーア動物学公園に感じる、生きる形
2012/05/17  2006年、南仏で不自由のない作家暮らしをしていたペンジャミン・ミーさんは全財産をつぎ込んで英国の片田舎にある廃園寸前の動物園を買い取り、再生させました。買い手が現れなければ飼育されている動物220匹の半数が殺処分になると知り、心が動いたそうです。借金で改修費をまかなう挑戦を認めてくれた闘病中の奥さんが園の再開前に亡くなり、ショックで何日も動けなかったペンジャミンさんを立ち直らせたのは助けたはずの動物達。「人間も哺乳類の一種、死も生も自然の摂理だと感じる事ができた」とペンジャミンさんは語ります。

2006年からの動物園再生の軌跡は「幸せへのキセキ」と言う映画になり日本でも6月から公開されるそうです。古いものや採算の取れないものが次々と切り捨てられる今の日本に、ほんとうに必要なものは何かを教えてくれる1つのエピソードだと思います。2007年に生まれ変わった「ダートムーア動物学公園」。利益優先しか考えられないような貧弱な頭と心を持っている人が、1人でも減る事が日本の明るい未来には不可欠な要素ではないかと思うのです。


エゴイズムは迷路のようなもの
2012/05/16  スペインの哲学者オルテガは書いています。「生は自己とだけ対座するようになればもう終わりである。エゴイズムはいわば迷路なのだ。自己を閉じ込めてしまう迷路なのである。生きるとは何かに向かって放たれていること、1つの目標に向かって歩くことだ。そしてその目標は、わたしの道程でもなければわたしの生でもない。それはわたしがわたしの生を賭けるもの、したがってわたしの生の外に、彼方にある何物かである」。彼方にある何物か、僕にはそれがヒューマニズムの到達点だと感じます。

人生の目標は1人1人が決めるものですが、それこそが何かに向かって放たれている心境が必要で、自然との対話、他者との交流、圧力への抵抗そして真実への模索と葛藤がなければ生まれ出ないものかも知れません。どんな仕事でも、どんな研究でも、どんな立場でも自己の底流に小さなヒューマニズムを持ちつづけ、生の彼方により高度で純粋なヒューマニズムがある世界をイメージできなければ、人はエゴイズムと言う迷宮に取り込まれてしまいます。それは同じ世界を堂々巡りするとても虚しい生のような気がするのです。


自然エネルギーの未来、原発の過去
2012/0515  太陽パネルの低コスト化や効率化はまだまだ進むでしょうし、今オーストラリアで開発中のソーラーチムニー(太陽熱の上昇気流を利用したタワー型発電)のような新しいアイデアはいくつも生まれるでしょう。それは風力にしても、地熱にしてもその他潮力にしても同じで、原発に投じた巨額の資金の一部でも開発にまわせば、近い将来もっと実用的な自然利用システムが出来るのは明らかです。日本が20年、せめて10年前にでも賢い決断をしていれば、取りかえしのつかない原発事故を起こさないですんだことはもちろん、自然エネルギーの分野でも世界をリードしていたはずです。世界でも屈指の自然環境に包まれた日本です。

そして経済と技術。原発と言うコストがかかり、環境を汚し、生命まで危険にさらす、最悪のエネルギーを増設してきた政府や電力会社の判断はあまりの浅慮、あまりの強欲としか言いようがありません。過ちの責任は当然究明されなければいけませんが、とにかくもう同じ過ちは繰り返さないと言う決意がまず先決です。事が起これば取りかえしがつかない。事が起これば人間の力の及ばない災厄が延々と続くと言う実態を福島原発事故がはっきりと示したのですから。


閉店セールと記憶と未知との遭遇
2012/05/14  とあるレンタルビデオやさんに閉店セールの貼り紙。どんなビデオがあるのだろうと入ると、観たいと思っていた映画や、もう一度ゆっくり観たいと思っていた映画がいくつもあります。聞けば1本100円との事。ジャック・ドワイヨン監督の「小さな赤いビー玉」1975年、ルイ・マル監督の「地下鉄のザジ」1960年、ホセ・ルイス・クエルダ監督の「蝶の舌」2001年、ヤン・スヴィエラーク監督の「コーリャ、愛のプラハ」1997年、そして「スティング」1973年と「007ドクターノオ」1963年。ラーメン1杯分でこれだけの名作が買えるなんてなんか不思議な気がしました。

古い名作が揃った小さなビデオ屋さん。飲食店を始め大手大資本に押されて次々と閉店する個人店。店主の人となりが生きる個人店は大型チェーン店にはない良さがいくつもあって、普段から買い物も飲食も出来る限り個人店を選んでいるのですが、ちょっと馴染みになったと思ったら閉店してしまって、寂しい思いをする事がここ数年特に多い気がします。今日から1日1本、素敵な映画を観てその時代と今の時代のどこがどう変わってしまったのか、再考してみようと思います。


未来のために今があります
2012/05/13  原発事故から5ヶ月も経ってから文部科学省が原発周辺の積算放射線量を発表した時には驚きました。その数値は最高で508.1ミリシーベルトで法律で定められた一般人の年間許容量は1ミリシーベルトですから、508年分?いくらパニックを起こしたくないとは言え、事は将来の健康に関わる事ですからあんまりです。事故後の政府の対応を見ていると「即座に結果が現れない」低線量被曝特有の性質を悪用して事を運んでいるのではないかと思わざる得ない部分があって、恐ろしくなります。

科学が進んで将来放射線と後遺症の因果関係はもっとはっきりするでしょうが、その時にはもう手遅れで、一体誰が責任をとるのでしょうか。とにかく国民を出来る限り被曝から守らなくてはならないのは当たり前で、少しでも危ない地域の人々は国や東電がせめて経済的に全面補償して避難させるべきです。精神的なものはお金ではどうしようもないですが、子供たちの未来を考えたら答えは明らかだと思います。福島原発からは今も2号機を主に毎時750万ベクレルの放射性物質が大気中に放出されていると昨日の新聞にありましたが、大気中にも海にも放射性物質が放出されているのは周知の事です。

事故の収束どころか大量の汚染水の処理法やメルトダウンした核燃料の状態さえ把握できていないのですから、他の原発を動かすどころではないはずなのですが、国民1人1人がもっと声を上げなければ何をやらかすかわからないのが今の日本です。1人1人がヒューマニズムと想像力を持って粘り強く原発稼働を阻止しなければ、後悔ではすまない未来があります。


函館高専に放射性物質の測定器設置。
212/05/12  国や東電が責任として全国に設置しなければいけない事だと思うのだけれど函館高専の岩熊校長が測定器を導入、利用を始めた事はうれしいニュースです。北海道新聞によると岩熊校長は「東京電力福島第1原発事故で放射能汚染が広がり、食品産業が盛んな函館に必要と判断した」とありますが、学生の放射線教育と企業や市民にも開放し、食品などの測定に役立ててもらうとの事です。スウェーデン製の測定器は500万円で、1キロあたり2ベクレルの少量まで検出できるこのクラスでは世界最高水準。

広範囲の食品汚染と、流通がなされていると考えるしかない状況で、汚染食品を食べる事は仕方のない現実ですが、不必要な、特に子供たちへの内部被曝を最小限にとどめるためにもキメの細かな放射能測定は絶対必要だと思うのです。後手後手に回るこの国の施策は「能力がないのか」それとも「わざと」なのかどちらにしてもあまりに非人道的で情けないことだと思います。


人が人を支えてこそ人
2012/05/10  風に当たるとまだ肌寒い鴨川の土手。それでも京都三条、四条辺りでは多くの若者が土手に腰掛けて何やら語り合っているはずです。下ってここは七条当辺り。時おり川べりの散歩者はいるけど、土手で談笑する人は誰もいません。黙々と流れる鴨川があるだけです。鴨川には数えきれないほど来ているけれど、この場所には来た事がないかもしれないなと思いながら、鴨川の上流下流を見渡していると一組の老夫婦が目に入りました。リハビリでしょうか、体の不自由な奥さんにつかず離れず寄り添っている夫。

数メートル歩くだけでも数分かかるような歩みに根気づよく寄り添っている姿を見ていると、ご夫婦の長い歴史が垣間見えるようです。人と人。夫と妻、友と友、親と子・・・人間には色々な関係があって色々な歴史があるけれど、根本的には愛情や、尊敬や、感謝などが双方に行き交って、お互いが支え合ってこそ人は一個の人間たる存在になるような気がしました。川面を眺めている間に老夫婦の姿は消えてしまい、「あんなにゆっくりとしか動けないのにどこへ行ったのだろう」と当たりを見回しましたが、2人の姿はどこにも無く、つい先ほどの記憶だけが刻まれてしまいました。


1人1人の民主主義、1人1人の政治意識
2012/05/08  6日の決選投票で社会党のフランソワ・オランド氏が現職のニコラ・サルコジ大統領を破り当選。パリのシャンゼリゼ通りでは行き交う車がクラクションを鳴らして祝う風景。オランド氏がどうとかサルコジ氏がどうとかフランスの国情はよく分からないけれど政治に対しての国民の意識は伝わってきます。政治家に対してこれだけの目配りが国民にあれば、口先三寸で国民を騙すような事は出来ないだろうとは思います。政治家の暴走を止めるだけの抑止力が働く気がします。フランスにしてもドイツにして政治に対する関心の年齢層の幅の広さ、特に学生を含めた若者の意思表示が強く感じられるのは頼もしい限りです。フランスは市民の力で民主主義を勝ち取ってきた歴史があり、ドイツはナチスと敗戦に対する猛反省から民主主義を構築してきた経緯があります。それに比べて日本の民主主義はどうなんだろうと考えた時一抹の不安を感じます。

世界に誇れるすぐれた平和憲法のおかげで、平和国家としての意識を維持できてきました。日本国憲法の前文にある「・・・われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する・・・」第9条の「戦争の放棄」や第25条の「生存権・国の社会的使命」などヒューマニズムに満ちた素晴らしい条文です。改憲どころかこの憲法にうたわれている文言をもっと忠実に誠意を持って国は実行しなければならないと思うのです。「すべての国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」第25条の中にあるこの一文すら福島原発事故の対処を見ていてとても守られているとは思えません。国民1人1人が政治家や施政に対して関心を持ち、1人1人の考えで判断する風土を原発事故を機につくって行かなくてはならないと思うのです。


防ぎようのない自然の力と防げる人災
2012/05/07  4月4日のCNNニュースで米テキサス州で多数の竜巻が発生し4万7000軒を超える世帯が停電に陥ってると言う映像を見ました。トレーラーがマッチ棒のように空中に舞い上がる様子がビデオに撮影されていましたが、目を疑うような自然の力です。東北大震災の津波で船が家屋の上に打ち上げられた映像を思い出しました。アメリカでの竜巻は映画やニュースで幾度か見ていますが、近年、日本でも竜巻の被害が出るようになりました。6日に起こった茨城・栃木の竜巻で粉々になった家屋や散乱した瓦礫の写真を見ただけでその恐ろしい破壊力がわかります。現地の人はどれだけ恐ろしかったでしょう。

地震、津波、台風、洪水、竜巻、噴火、、昔から繰り返し被害をもたらしてきた自然現象ですが、科学技術が格段に進んだ現代でも予測さえ出来ず、完璧な防災も不可能です。それでも想像力を働かせて出来る限りの備えをする事は出来ます。被害を受けた後の迅速な対応を整えておく事は出来ます。それを考えれば原発の放射能汚染は放射能を消し去ったり無害化する事ができない以上「人間が対処できない問題」ですから早急に全基廃炉にして事故の可能性を無くすしかありません。世界中で大きな自然災害が多発する現代ですが、原発による「人災」は自然災害の比ではない事が、今は実感として分かっています。そして「人災」だけは人間の意志で防げるものです。


「あの日から変わったね」と思い出せる未来へ
2012/05/06  6日午前2時頃に北海道の泊原発の原子炉が停止し、全原発が止まりました。原発の再稼働を急ぐ政府ですが、大飯原発のみならず全ての原発の再稼働に対して国民がここまえで真剣に目を注ぐとは思っていなかったのではないかと思います。原発事故が一過性でない事を明らかな事実として多くの国民が認識してしまった以上、当然の事です。夏場の電力不足やストレステストによる安全性を言われてもどこか空々しく感じます。福島原発事故の検証は厳しく追求されなければいけませんし、そもそも1970年時点で2基しか存在しなかった原発がどうして54基も次々とこの地震多発につくられてきたのか、その動機と正体も検証されなければいけません。欧米が15年も前に行った発送電分離にもとづく電力の自由化もなされていない日本。

国内に石油やガスなどの化石資源を有しないのが原発依存の1つの理由なら何故、原発と平行して自然エネルギーの開発を進めて来なかったのか。海に囲まれ、陽がふりそそぎ、山があり川があり風があり地熱があり、経済力があり科学力もあり人材もあるこの日本で、国外のエネルギー資源に依存する怖さ不安定さを危惧するなら、どうしてやってこなかったのか。むしろコストなどあれこれ難癖をつけて自然エネルギー開発の足を引っ張ってきた感さえある過去です。電力の自由化にしても、再生可能エネルギー利用にしても大きく遅れを取ってしまった日本ですが、原発の放射能汚染と言う怖さ。100%安全でない限り動かせないのが原発だと言う事実。100%安全など現実にあり得ませんから、100%動かしては行けないと言うのが結論だと思うのです。


全ての原発が止まった日。明日への起点となる日。
2012/05/05  1970年、当時あった東海原発と敦賀原発1号機の2基の原発が点検で同時に停止して以来42年ぶりの全原発停止です。それにしても42年間で52基もの原発をつくり続けてきた国と電力会社。時代背景が変わり科学技術が進歩する中で未来を考える事もなく盲目的に危険な原発をつくり続けてきた浅慮に情けなくなります。原発の危険性と不合理性を隠蔽し、メディアを始めあらゆる手を使って国民を騙してきた歴史。安くてクリーンでで安全だと言う大嘘のプロパガンダに騙されつづけた国民にも責任はありますが、気がついた以上もう2度と騙されてはいけないと思います。福島の原発事故が起こるまで僕もその1人でした。

でももう騙されません。停止したと言っても燃料プールで冷やし続けなければならない大量の使用済み核燃料は地震や津波に対して原子炉と同じ危険をはらみます。つくり出してしまった放射性廃棄物は向こう何万年にも渡って安全に保管しなくてはなりません。作家の池澤夏樹さんが廃棄物を「長期絶対隔離保管猛毒危険物」と言い換えていますがまさにその通りの恐ろしい物質です。そして原発が稼働する限りこの「長期絶対隔離保管猛毒危険物」は増え続け、しかもまだ最終的な保管方法さえ見いだせてないのは周知の事です。福島原発事故で全国にばらまかれてしまった放射能汚染とどう向き合うのか、長期にわたる内部被曝の問題、特に子供達に対する徹底した防護対策はどうするのか、福島の多くの人の暮らしを窮地に追い込み、人間が住めない土地を作ってしまった責任はあまりにも大きく深いものです。全ての原発が止まった今日。明日に向けて国民1人1人が心すべき日でもあります。


1人の人間として思うこと
2012/05/04  俳優の山本太郎さんが「必要なのは世の中や人を変えるのではなく、自分自身が変わる勇気です」「ものを言う人が増えればいいやすくなる」そして「みんなが言うまで待つのではなく、まず自分が言う1人になれよ」とも。原発反対を訴えるだけでテレビなどのメディアの仕事に支障が出るのもおかしい話ですが、それが今までの、そして日本の現状でもあります。原発の問題はイデオロギーでも宗教でもなくてヒューマニズムの問題ですから心ある人間ならば誰でも反対せずにはいられないのですが、人間の命の問題、日本の未来の問題をまともに考える人がテレビに出られないと言うこと自体が言論の自由と民主主義に反していると思います。福島原発の事故後のテレビにはお金で雇われたような御用学者ばかりが無責任な意見を喋っていました。

芸能人も「その事」にふれないようにしているのも見え見えで、番組のかなりの部分が言論統制と言っていい状態。電力不足のプロパガンダもいまだに流れています。もしテレビしか見ない人がいるなら原発の真実はずいぶんぼやけるだろうと思います。歌手の沢田研二さんが「ひそかにやるのが今の自分にあっている。たとえ届かなくても祈りはそれだけで悪いことじゃない」と語り被災地への思いを歌った新譜の中で「死の街がいとしい」「何を護るのだ国は」「BYE BYE 原発」とメッセージを送っています。1人の人間として思うこと。1人の人間として語ること。立場はそれぞれ違えども1人の人間としての表現の仕方は1つぐらいあると思うのです。


すべての人が念じ続けなければならない「イマジン」
2012/05/03  朝日新聞神戸支局の記者が理不尽極まる凶弾に倒れて25年。事件は未解決で同僚のジャーナリストのみならず多くの国民が暴力に対する怒りと悲しみに胸を痛めました。撃たれて亡くなった小尻知博記者は当時29才。言葉も出ない凶行です。事件は無念にも10年前に時効となりましたが、絶対に風化させてはいけない記憶です。残虐で無慈悲な犯行が後を絶たない世の中ですが、事実を追求するためにも悲しい事件を少しでもなくす抑止力のためにもジャーナリズムはいつでも強く正しくあって欲しいと願います。25年の空白。もし存命ならば小尻さんの取材や記事で勇気づけられたり、癒されたりした人が多くいただろうにと思うと怒りが新たになります。ジョンレノンが撃たれた時にも「なんてことするんだ」と絶句したけど、人の命を勝手に奪う人間として最悪の行為を一体どうしたら永遠に無くす事が出来るのだろうと、考えてしまいます。


語れない動物達の悲しみ
2012/05/02  昨年の原発事故後、立ち入り禁止区域内に打ち捨てられた動物達の映像が数回ニュースで流れました。あの牛や馬は一体どうなったのだろうと思っていたら先日朝日新聞の記者による短時間の取材記事と写真が出ていました。写真には数頭の牛が餌を求めてでしょうか、人のいない町を徘徊している様子が写されていました。取材に同行した農家の人が「汚染された草などを食べる牛たちの糞は高濃度の放射能を帯びていて、禁止区域内に入る車のタイヤについて区域外へ持ち出される危険性があるので、牛を殺さなければいけない・・・けれど・・」と声を詰まらせていましたが、何の責任もない牛や猫や犬、そして無数の生き物がもし話す事が出来たなら、きっとこう言うに違いありません。「人間はなんてことをしでかしたんだ。

あなたたちは知恵もあるし、言葉も喋れるし、想像力もあるはずじゃないか?」「原発が危険で事故が起こったら取りかえしがつかないことは、分かっていたはずじゃないか」「情報を知らされない多くの人が被曝し、自殺者も出て、人間も大きな傷を負ったけど、無数の生き物たちは悔しさの声さえ上げれない事を分かっているのか、こんなこと悲し過ぎるじゃないか」・・・事故にかかる費用は2兆や3兆どころではなく天文学的数字になるだろうことは誰でも察しがつきます。放射能汚染が日本全土に行き渡る事も察しがつきます。空間に壁や膜はないのですから近辺で汚染が止まる道理がありません。もっと徹底的に食品検査を行い、せめて子供たちには出来る限り安全に近いものを食べさせないとあまりにも非人道的です。正確な情報が得れないと子供を思う親も、食品産業に関わる心ある人たちも手の打ちようがありません。とにかく原発再稼働どころではない現状が今ある事だけは確かです。


人間がまず学ばなければならないもの
2012/05/01  多様な視点、豊かで柔らかい感性がなければ音楽も絵画も科学も哲学もその表現や発想は薄っぺらで固いものになります。知識や思考の偏りは人間性を硬化させてしまうからです。1つの視点、1つの概念にとらわれれば表情も表現も貧しくなるのはあたりまえです。ましてその1つが損得勘定や競争原理のような次元なら危険性もあり最悪です。何故ならそのような人間は心そのものが育っていない、もしくは汚染されているからです。ヒューマニズムに根ざさない学識や権威がいかに愚かで醜いものかは、福島の原発事故で如実に示されました。人の命、動物の命、大地の汚染、海の汚染・・・犯罪的な行為の結果に反省すらしない人間がいるのはあまりにも悲しい事です。受験戦争を勝ち抜き、エリートと称される人間が強欲と偏った思考にまみれて引き起こした取りかえしのつかない原発事故。彼らは一体幼稚園から大学までの長い時間、何を学んできたのだろうかとショックを受けます。教育のありかた、ものの考え方で大きく変わってしまう社会。自由で多様で面白くてやさしい心を備えた若者が1人でも多く育つような環境をつくらないと、日本の未来は暗雲に押しつぶされそうな気がします。

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