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弥生/3月/MARCH


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あまりの対応、あまりの落差
2012/03/01  あの震災からもうすぐ1年。福島県内で避難生活を余儀なくされている人は約9万7千人。県外への避難を含めるとその実数は16万人を超えるそうですが、辛苦を極める被災者の人たちへの援助や補償は歯がゆく遅く不足しているのは日々のニュースを見ていてもわかります。これだけの事故に対しての補償額は数兆、数十兆単位になるだろうとはちょっと考えてもわかりますが、事故後10ヶ月で東電が支払ったのはたった3300億円だと言う報道もあって、その対応の遅さ、責任感のなさに怒りが湧きます。実生活と精神的負担の補償。除染だけでもどれだけの費用がかかるのだろうか、それより本当に広大な土地を除染しきれるのだろうか、きちっとした効果と除染土の処理はできるのだろうか、など疑問はいくつも浮かびます。

そしてこの1年間に明らかになった原発産業の実態。とても民主国家だとは思えないお金の流れと独断そして閉鎖性。操業の見通しもたたない青森県六ヶ所村の「再処理工場」は2兆2000億の建設費、福井県の「高速増殖炉もんじゅ」は1兆810億円も投入したにもかかわらず稼働の見通しもたっていません。あきらかに無駄で危険な原発施設に費やされる巨額のお金が税金と電気料金に付加された国民の負担だと思うと、誰でもこれはおかしいと思うはずです。過去の政府と電力会社が国民を騙して暴走してきた原発にまつわる負の遺産を減らすためには直ちに全原発を廃炉にしても長い年月がかかります。それでも少なくとも同じ過ちを繰り返さない事だけは未来に向けてできることです。原発にまつわる理不尽で巨額のお金。そして当然補償されなければならない被災者のためのお金。実現性の少ない核燃料サイクルで使用するための核燃料の再処理にかかるコストは43兆円(04年10月、原子力委員会発表)だと言います。そしてまさにその原発所以の避難生活で困り果てている人がいるのに10ヶ月も経ってたった3300億円の補償しかしていないとしたら、それはあまりの落差、あまりの理不尽です。 


思う心は同じはず
2012/03/02  沖縄の限りなく透明な海に身を委ねていると「美しい自然」がいかに生物にとって大切で人間の命と精神にとって不可欠なものであるかがわかります。沖縄ほどではないけれどぐるりと日本列島、美しい海と砂浜があちこちにあって何と恵まれた島だろうと思います。いかに科学が発達しても作れないもの、無尽蔵な命を育む透明の海。汚したり埋め立てたり罰当たりな事を人間はずいぶんやってきたけど、自然の再生力はそれを超え、ずっと耐えてきました。今までは。愛媛の海、佐賀の海、島根の海、福井の海、石川の海、新潟の海、静岡の海、福島の海、青森の海、北海道の海。みんなきれいな海です。泳いだり海岸でぼーっとしたり魚を取ったりキャンプをしたり、たくさんの思い出があります。

そんな素敵な海辺に危険な原発を54基もつくるなんて、自然環境に恵まれない国の人々が見れば「なんておろかな」と思うに違いありません。福島の事故で2号機から放出された高濃度汚染水が含む放射性物質の量は東京電力発表の水量と濃度に基づけば330京ベクレルであるとウィキペディアに記されていますが、そのうちの数京ベクレルは海に放出されました。フランス放射線防護原子力安全研究所の報告書によれば東京電力福島第1原発事故で海洋に流出した放射性物質セシウム137の総量を約2・7京ベクレル(2万7千テラベクレル。京は兆の1万倍)報告書によると、これほどの量の放射性物質が海洋に流れ出たのは、過去に例がないと言っています。将来にわたって人間を含め自然界がどれだけの影響を受けるのかもわからない恐ろしさ。海や山や生き物が好きな人間なら思う心は同じだと思います。


 

感謝と価値観
2012/03/03  深遠の森。孤高の山。見ているだけで、癒される風景があります。森の中に佇むと心も体も癒されます。目にやさしい緑と、草木の匂い。そして土の感触。自然はとても厳しいけれど無数の生き物が共存し、恵みを享受し、まさに「自然体」で生きている世界。いかなる科学でも再現できない想像を絶する無限の輪廻で構築された命の神秘。山があり川があり森があり平野があり日本国中どこを旅していてもこの国の自然のゆたかさには目をみはります。「もっと大切にしなければいけないな」と思うのは当然の心理です。

もし砂漠だったら、もし川がなかったら、もし平野がなかったら、もし極寒だったら、もし灼熱だったら。世界には作物もできず漁も困難な国があります。侵略に苦しみ内戦が今なお続いている国もあります。厳しい自然環境に暮らす人々と比べれば感謝してもしきれない幸運が日本にはあります。たまたまそんな場所に生まれただけだけれど、そんな環境だからこそ持たなければ行けない感謝、持たなければ行けない価値観があると思うのです。1人1人がもっと人間的に、他者を思い他国をも考える、日本はそれだけのゆとりが生まれる条件が揃っている国だと思うのです。過剰なエゴイズムや短絡的な精神とはほど遠い恵まれた環境があると思うのです。


韓国にも「緑の党」誕生
2012/03/04  福島第一原発事故以来、世界の多くの人々が原発に疑問を持ち、各国それぞれの状況の中で「脱原発」の動きが広がっています。1970年代に欧米諸国で始まった環境と平和への問題意識。社会運動として掲げるのはヒューマニズムの原点とも言えるテーマばかりです。反核、反原発、反戦、脱物質主義、エコロジー、社会的弱者の人権、フェミニズム・・・「グリーン」に象徴される自然保護と環境破壊への警鐘は1972年にオーストラリアから始まりフィンランド、ベルギー、オランダ、フランス、スウェーデン、イタリア、オーストリア、ドイツなど世界各国に「緑の党」が存在し隣国韓国にも4日誕生しました。

2001年にオーストラリアのキャンベラで設立されたグローバルグリーンズ (Global Greens)は国際的な「緑の連帯」でその憲章には、「エコロジカルな知恵」「社会正義」「参加型デモクラシー」「非暴力」「持続可能性」「多様性に対する敬意」とあります。人類の未来にとって極めて重要なテーマのほとんどがこの中にあるのではないでしょうか。脱原発以外にもあらためていかなければならない大切な問題。「緑の風」が世界中をかけめぐり、「緑の人々」が1人でも増えれば世界は少しずつ正しい方向へと向かうに違いありません。


自然エネルギーへの小さな光
2012/03/05  世界に遅れをとっている日本の自然エネルギー政策。ソフトバンク傘下のSBエナジーがメガソーラーを4カ所につくり7月にも稼働させるとのニュースに小さな光を感じました。群馬県榛東村、京都市伏見区、徳島県小松島市と松茂町の4カ所に大規模太陽光発電の施設を作るとの発表です。ソフトバンクは全国に合計200メガワット規模の太陽光や風力など自然エネルギー発電施設を設置する計画を明らかにしていますが、今回の4カ所はその第一歩との事です。京都市の場合では発電出力4.2メガワットで年間発電量は一般家庭約1千世帯分の420万キロワット時となるそうですが、全国に数多くの設備を分散して安全なエネルギーをどんどんつくり出して欲しいものです。

ソーラーシステムを始めとする自然エネルギーのシステムはまだまだ進化、合理化できる可能性が大いにあるので、効率化が加速的に進むのは見えています。10年前、20年前に国策としてやっていれば今頃は原発どころか火力さえ随分と減らせたのではないかと悔しい思いがしますが、とにかく日本の国情はいい方に随分と変わっていたに違いありません。そんな遅ればせの日本にあってソフトバンクの動きは光明です。どこを歩いても休閑地が目立つ日本。あふれるほどの地熱、海流もあれば、風もあります。まだまだ未知の再生可能エネルギーも見つかるはずです。まずメガソーラーが先陣を切って小さな光を放つ事がとても大きな第一歩になるだろうと期待が膨らみます。


 

包装紙と夢
2012/03/06  不二家のハートチョコが贅沢だった子供の頃。森永や明治の板チョコもちょっと高価で「準チョコ」なるものがベーシック。当時お菓子屋の店先には「かち割りチョコ」と言って大きくて分厚いチョコの塊がランダムに割られ、それぞれセロファンで包まれた大小のかけらが並んでいました。1つ1つ重さによって値段のシールが貼ってあるのだけど、子供の目にはどう見ても同じ重さに見えない形のものがあって選ぶのに悩んだものです。そんな時代ですから時おりもらう外国のチョコレートはまるで宝物のようで、眺めたり触ったりの夢の時間が延々と続きます。「明日になったら食べよう」と引出しにしまって、布団の中で包装紙のデザインを思い浮かべます。フランス、ベルギー、ドイツ、スイス、イタリア、デンマーク・・・読めない文字を勝手に解釈して映画や絵本などで知ってる限りのヨーロッパの風景を思い浮かべます。

実際どのチョコの包装紙も垢抜けしていて、視覚的な楽しみだけでも値打ちがありました。もちろん中身も美味しくて日本との差を子供心に感じたものです。あれから半世紀の時が流れ、輸入食品の専門店も珍しくなくなりました。欧米のみならず世界各国の食品がところ狭しと並ぶ光景は楽しいものです。そして思うのです。包装紙も瓶もラベルもデザインがきれいです。各国の歴史に根ざしたものなのでしょうか、チョコもワインも缶詰も「さりげなくにじみ出たデザイン」と言ったらいいのでしょうか、センスがあります。全体的に日本に比べれば簡易包装なのですが、なんか気が利いて味があります。日本と外国とのデザインの差は果たして縮まったのだろうか? 想像力、創造性、ユーモア、伝統、哲学、夢・・・ヨーロッパのチョコレートが並ぶ棚を見ながらふと子供の頃のチョコレート事情を思い出しました。


 

それぞれの愛国心
2012/03/08  愛国心と言う言葉は好きではないけれど、生まれ育った土地や家に愛着があるように祖国に対する愛情は特別な事情がない限り誰にでもあるものだと思います。その思いは自分のルーツを理解するためにも心の原点を認識するためにもとても大切なものだと思います。国を愛する心、それは統一や強制されたものではく1人1人の多様な思いから湧いてくるもの。日本固有の四季、風習、言葉、たべもの、建築、造形、伝統、情愛などありとあらゆる要素に対して「私は日本のこれが好き、ここが好き」逆に「私は日本のこんなところが嫌い」など様々な思いはあっても総体として「やっぱり日本が好き」と言うような感じが健全なる愛国心だと思うのです。

グローバル社会の混沌から国によってはナショナリズムが台頭し、内紛や戦争の激化をもたらしている現状もあります。民族主義や国家主義の怖さは世界の歴史が数限りなく物語っていますが、油断すると日本だってそうなってしまいます。歴史学者のアーネスト・ゲルナーはナショナリズムを「政治的な単位と文化的あるいは民族的な単位を一致させようとする思想や運動」と言っていますがそれは「政治的意図のために国民の価値観を強制、一致させる手法」にも通じてとても怖い事です。1人1人の価値観と感性の中で「私はこの国のここが好きだ」「ここが嫌いだ」と自由に思える国であってこそ国への愛は生まれ、そして好きな部分がより広がり深まるような国づくりこそ大切だと1人1人が思う心が健全な愛国心だと思うのです。


スモールリセット
2012/03/11  恐ろしい津波の映像が今なお記憶に鮮明です。あの大震災と原発事故から1年。1万5854人もの人が亡くなり、3155人もの人の行方がいまだ知れない悲劇。政府の復興への対策は明らかに遅く不十分です。原発事故がもたらした未曾有の被害と損失に対しての東電の責任感のなさには不気味ささえ感じます。納屋の壁に「原発さえなければ」と書き残して自殺した農家の人の絶望。被曝に対する確たる指導や知識も与えられず働かされてきた原発作業員の人たちへの冷酷。多くの事実が隠蔽され知らされてなかったとは言え、次々と明るみに出る事実に「これはいけない」と自らの無関心を反省し自分をリセットしなおした人もたくさんいらっしゃいます。僕もその1人ですが、まわりの人たちも原発事故が引き金となって今まで見過ごしてきた色々な社会問題に対して意識する人が増え、1人の人間として何ができるかを話し合う機会が持てるようになりました。以前なら「僕は政治的な問題には関心がない、関わりたくない」と言っていた友人が「これは政治ではなくヒューマニズムの問題だ」と僕がまさに思っている事を口に出した時にはうれしくなりましたが、社会の歪みや悪の問題は全てヒューマニズムへの意識があれば無関心ではいられないはずです。

何故あらゆる面から考えて理不尽で非人間的な原発を54基も作ってきた、作らせてきたのか。戦後なされてきた効率主義と物質主義への偏重。その結果必然的に生まれる競争主義。そして連鎖的に起こる他者への無関心、薄情。原発事故から学ぶ事、反省しなければならない事。未来に向けて大切なのは1人1人がいかにヒューマニズムを強くするかです。そのためには競争ではなく個人の多様性をお互いに敬い活かせる社会を目指す事です。そしてそのためには教育が重要なのは言うまでもありません。画一的でない人間をいかに育てるか、競争ではなく個人がそれぞれより高い目標に向かって歩める環境。強制や規則や監視などと言う雰囲気が一切なく、お互いの個性を認め合い調和するために必要な心のやわらかさと偏らない知識を与える場とならなければヒューマニズムは育ちません。震災で多くの命が奪われ、原発事故で放射能の危険性を認識した今、防災への対策と全原発の廃炉に向けて1人1人が生き方考え方を「スモールリセット」そして未来に向けていちばん大切な教育のあり方もリセットしなくてはなりません。


スターナビゲーション
2012/03/13  「スター・ナビゲーション」なんとも響きのいい言葉です。海図や羅針盤などの機器を用いないで大海原を行き来する(Traditional Navigation)「伝統的航海術」の俗称ですが、人間の夢と叡智を感じます。ミクロネシアにある美しい珊瑚礁の島、サタワル島に生まれた「スターナビゲーションの達人」マウ・ピアイルックさんが1976年にアメリカ合衆国建国200周年記念事業の一環として行われた、航海カヌーによるハワイ・タヒチ間往復航海に参加し、近代的航法器具を一切使用せずに、船をタヒチまで導くことに成功。古来カロリン諸島に代々伝わる航法術の素晴らしさを世界にあらためて知らしめました。

星を観察し風を読み、波や生物相を読み取って遠洋航海を行う古代からの叡智。人工的に作られ目印だらけの町中でさえ迷ってしまう僕にとっては魔法のような術です。「ウィンド・コンパス」「スター・コンパス」、航路上で必要となる知識の概要を歌のように記憶する「スター・ソング」。ミクロネシアやポリネシアの年老いた「航法師」が船にゆられ、不安そうな若者に星を指差しながら「まずあの星と友達になるんだよ」などと教える光景が目に浮かびます。GPS、無線、クロノメータ、海図、羅針盤、などがなくとも大海原を正確に行き来できるなんて「航法師」こそまさに「スター」だと思うのです。


「風を操った少年」のすがすがしさ
2012/03/14  アフリカマラウイのウィリアム・カムクワンバは14才の時にユーカリの木と自転車の部品、身近な廃品を利用して風車をつくり風力発電によって自宅の電気製品を使えるようにした事で世界的に有名になりました。1987年生まれのカムクワンバはプライマリーからセカンダリースクールに進学するも2002年にマラウイで数千人規模の餓死者を出した大干ばつにより農業を営む両親が学費を払えなくなり学校を中退。その後村の図書館に通い独学に励んだそうです。そしてある時エネルギー利用と言う本を見つけ風車による発電に興味を持ちました。2002年当時のマラウイで電気の供給を受けていたのは僅か2%に過ぎず「このような状態を変えたい」と独力で風車を作り始めました。家業のトウモロコシ畑を手伝いながらゴミ捨て場を漁る姿を見て村人のみならず家族までもが「カムクワンバは頭がおかしくなった」と思ったそうです。

そして3ヶ月後ゴミ捨て場から拾ったパイプやトラクターのプロペラ、タービンなどで作り上げた高さ5メートルの風車が完成しました。接続していた自動車用のライトが点滅すると村人は驚愕し、熱狂したそうです。そして2009年までに5基の風車をつくりました。2006年にマラウイの新聞がこの話を掲載したのがきっかけで世界中に広まり感心した支援者からの奨学金で現在は南アフリカの大学に通っているとの事です。2010年にジャーナリストのブライアン・ミーラーによってこの話が「風を操った少年」と言う題で出版されました。学校へ行けず図書館で見た風力発電の説明と写真を見て「誰かがこれをつくったのなら自分にもできる」と思ったカムクワンバ少年の純粋な思いが形となって村を超え国を超え世界に伝わったのですが、恵まれ過ぎた日本人が忘れている、考え方やものづくりの原点のような話です。


開いたスペースが閉じないように
2012/03/15  コラムニストの天野祐吉さんが歴史家のジョン・ダウアーさんの言葉を紹介していました。「大きな災害や事故が起きると、すべてを新しく創造的な方法で考え直すことのできるスペースが生まれる。いま日本はまさにその時だが、もたもたしていると、そのスペースはまた閉じてしまう」東日本大震災のあと語られたこの言葉は1年たった今、痛切に感じます。被災地の復旧に全力を注ぎ、なしとげ、原発の罪と危険を完全に払拭させるまでは「スペース」を閉じさせてはいけません。1人1人が開いたスペースに目を向け、スペースを広げ中身をオープンにさせてその病巣を取り除くことができなければ、近い将来致命的な人災が起こることは予想がつきます。原発の問題は無関心とか、のど元過ぎればでやり過ごすことができない問題です。

汚染された大量のがれき、大気に海に、放出され続ける放射能。福島原発事故後の実態を見ても、「原発さえなければ」と思うことはあまりにも多すぎます。考えたくはないですが、もし他の原発で次に事故が起こったらと想像すれば人間であるならば誰だって恐怖するはずです。事故から1年が過ぎた今、1人1人がもう一度、原発の嘘と理不尽を今一度きちんと見極め、多くのかけがえのない命と辛苦を伴って開いた「スペース」を広げる必要があると思うのです。テレビや新聞などのメディアも日本の未来のために勇気を持って真実を報道しつづけて欲しいものです。


人間としていちばん大切な事
2012/03/17  欧州で開かれている「パリ書籍見本市」に参加した作家の大江健三郎さんが原発再稼働へと動く日本政府の姿勢を厳しく批判しました。これだけの事故が起こって、原発にまつわる悪事が次々と露見し、科学的にも経済的にもそして何よりも人道的に許されない原発の廃止を今だ決定できない日本政府の姿勢は脱原発に舵を切る国が多い欧州の人たちから見れば奇異に映るだろうと思います。チェルノブイリやスリーマイル島の事故後の深刻な経緯を知り、福島の現実にさらされているこの日本、しかも地震の頻度はヨーロッパの比ではない日本で「何故ドイツのようにまず原発を廃止する決議」を採択しないのだろうと思う人は多いはずです。段階的廃止にしてもまずそれを決定しなければおかしいと思うのです。大江氏が「人間が行動するうえで最も大切な倫理は次の世代が生きるための条件を壊さないことだ」と訴えていますが、ほんとうにその通りだと思います。人間としての心があり想像力がある人間なら思いは1つのはずではないでしょうか。


全く同感
2012/03/24  何かと話題の多い橋下市長の言動には僕の身の回りにも不安を感じる人が多く、僕自身もそれは同じで彼の攻撃的な言動の裏に潜む「打算」とか「作戦」のようなものを感じていやなのですが、朝日新聞の「声欄」に共通する思いの投稿があったので抜粋して紹介させていただきます。大阪市に住む藤田駒代さんの「橋下氏、自己実現は別の場で」と題された意見です。『私は橋下徹大阪市長の政治手法に大きな疑問を持つ者です。橋下氏は、行政と言わず、「統治」と言う言葉を好んで使いますが、その言葉に政治姿勢が如実に現れていると私は思います。「統治」とは「統べ治めること」つまり権力者が民衆を支配することであり、これは「国民主権」という日本国憲法の最も重要な精神に反しています。

氏は選挙で民意を得たといい、市政について白紙委任状を得た、と主張しています。しかしこれはとんでもない思い違いです。市長選挙の投票率は約6割で、橋下氏は約6割の得票率で当選しましたが、それは有権者の36%の支持を得たに過ぎません。<中略>政治は個人の自己実現の場ではありません。厳しい状況に置かれ、自力では生きかねている弱い立場の人々に光を当てて、援助の手をさしのべることが政治の役割りです。我が身を捨てて、その役割りを担おうという高い志を持った人に、私は政治を委ねたい。それでこそ「国民主権」の精神が生かされるものと考えます』この藤田さんの文を読んで、全くその通りだと思いました。


人間として当然の思い
2012/03/25  これだけの被害と欠点が露出し、今なお福島第一原発の安定処理もままならない中、他国に原発を輸出するのはどう考えても無責任だと考えるのは当然のことです。国際協力機構(JICA)の緒方貞子理事長が朝日新聞のインタビューに訪問先のエジプトで応じ、個人的な見解として「日本ほど技術が進んだ国で、しかも広島、長崎に原爆を投下された経験があり、原子力に慎重なはずのにこんなことになった。うまく行かなかったといわざるを得ない」と原発の安全を疑問視し、「太陽光、風、地熱など発電方法が進歩するなかで、いろんな形を考えるべきだ」と脱原発の取り組みを求めました。世界の安定と平和に尽力し各国の情勢を長年見つづけてきた緒方さんの言葉には重みがあります。世界に対して脱原発を強く意思表示し、総力をあげて自然エネルギーの開発に取組み、その成果をベトナムを始めこれからエネルギーを必要とする国に対して提供すること。そして各国に対し原発に頼る未来社会の暗雲を示し、自然エネルギーの実用モデルを伝播していくことこそ日本の役割りだと思うのです。


日本と世界
2012/03/26  日本をあちこち旅していて地方の風景や地元の人の言葉に惹かれて方言とか郷土料理とか地方特有のニュアンスを持ったリンク集を作ろうと思い始めた「県別リンク集」ですが(しばらく更新を怠っています)北海道から沖縄まで随分旅行したつもりだけれど知らないことばかりで勉強になりました。それなら少し外国も知ろうと思い、おまけに外国はほとんど行ってないので、せめてネット上で世界の国を見て考えようと作り始めた「知らない国を知るために」は国内とはまた違った発見と奥行きがあり各国の歴史文化をかいま見ただけで圧倒されました。ずっと住んでる国のことも見たこともない国のことも、知らないことだらけと言う意味では同じで、好奇心はつきませんが、いろいろな国の過去や事情や現状を知れば、日本のことがより見えてくることを実感します。

世界は身近になったと言われますが、アフリカや南米はもとよりそれこそ身近なアジアや先進国の集まるヨーロッパの現状さえテレビを始め日本のマスメディアはあまり報じません。たとえば映画の現状を考えても世界各国素晴らしい映画はいっぱい製作されているのにアメリカのハリウッド製映画以外はかなりアンテナをはっていてかつ小さな映画館で見れるぐらいの、偏った国情があります。素敵なもの、素敵な考え方、素敵な感性は世界中にあふれるぐらいあって、異質であってもそれらのエッセンスがもっと日本に入るような環境ならば、この国はもっとやわらかくいい方向に変われるのではないかと思うのです。


球春、空も海も見た目には変わらないけれど
2012/03/28 高校球児が無心にグランドを駆け巡り、プロ野球も開幕間近で心躍る季節ですが、原発事故のせいで福島から東京へ避難している女性の言葉を新聞で読んで考え込みます。「放射線にせめて色がついていたなら」原発事故後、色々な場所で聞こえてくる言葉です。色もなく匂いもなくただ放射能測定器の数値を頼るしかない不安。測定器も測定方法もどこか心もたなくて「いったい何をどう指針にして身を守ったらいいのか分からない」そんな気にもなります。汚染地域の人たちも「除染」と言う作業だけで安心感を持てるわけもなく複雑で不安な心境は察してあまりあります。

原発と言う非人間的なシステムが起こした事故。1年経ってまだ大きな不安を抱える福島第一原発の現状を見れば再稼働などと言う発想そのものがあまりの認識不足、あまりの想像力のなさ、あまりの無責任です。ストレステストで稼働の是非を決めるような次元のものではないことがどうして分からないのかと心寂しくなります。青い空、青い海。事故が起こったら「想定外」では済まない原発事故。これ以上の汚染が起こったら空も海の見た目の変化はなくとも、命あるものは今から未来に向けてどれだけのダメージを受けるか、想像するだけで恐ろしくなります。


心に残る映画、「運動靴と赤い金魚」
2012/03/30  1997年のイラン映画です。モントリオール映画祭でグランプリを受賞し、アカデミー賞にもノミネートされた作品ですから、見た人も多いと思いますが、ほんとうに見てよかったと思える作品です。映画はくたびれた小さなピンク色の靴を修繕するシーンから始まります。テヘランの下町に暮らすアリは貧しいけれど心やさしく暮らしています。ある日アリは修繕に預けてあった妹の靴を受け取った帰り、やむえない事情から靴を無くしてしまいます。新しい靴を買えない貧しい両親に言えば無理をさせてしまうし、靴が無ければ妹は学校へ行けないし。アリと妹のザーラは考えたあげくアリの運動靴を共有して、午前中はザーラが学校へ、午後は兄が履き替えて学校へと2人の奮闘が始まります。

学校が終わるとザーラは兄に運動靴を返すために懸命に走り、アリは学校へ遅れまいと懸命に走ります。テヘランの迷路のような細い路地を駆け巡る2人の姿に心打たれます。貧しいけれど他者にやさしく、ものはないけど心ゆたかで、輝く目を持った子供達を見ていると社会とか文化のあり方はこうでなくてはいけないとあらためて思います。映画は演出も映像も演技も素晴らしく、イラン映画の芸術性に感動します。映画はヨーロッパのみならず中米や中近東、アジアの各国で芸術性の高い映画が数多く製作されています。ただ日本での配給は限られていて、とても残念な気がします。娯楽映画もいいけれど、精神性を培いヒューマニズムを育むためには芸術的な映画ほど有効な媒体はないと「運動靴と赤い金魚」が教えてくれます。

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