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水無月/6/June


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偏見と文学性
2011/06/30  ノーベル文学賞作家マリオ・バルガスリョサ氏が東大で「文学への情熱ともう一つの現実」と言うテーマで講演し、「・・・文学は私たちに現実の世界がうまくつくられていないことを教えてくれる。批判的な精神を養い、権力にしたがうだけではない人をつくるから、いろいろな体制のもとで支配したい人たちは文学に不信感を持つのです」と語り「文学は人間に共通のものがある事を示し、時間や空間を超えた連帯感を生み、肌の色や言語、宗教などの壁を超越できる視点をもたらす」とも語っています。

過去から現在にいたる欠点の多い人間社会を前進後退を繰り返しながら踏みとどまらせて来たのは、偏見のない人たちの時々の社会に対する批判精神と人間哲学であった事は歴史的事実です。絵画であっても音楽であっても科学であっても宗教であっても実業であっても、文学性の欠落は人間性、社会性の欠落につながる場合が多いですし、それは逆に言えば文学の中にあらゆる芸術的要素と社会的要素が含まれているからだと思います。文学の世界は現実の世界ではないもう一つの世界、その世界がたとえ現実とかけ離れていても極めて酷似していても、やはり作者が作り出したもう一つの世界を知ることによって疑問や理解の幅が広がるのだと思います。マリオさんのもう一つの言葉「文学は偏見への最大の防御になる」もまさしくその通りだと思うのです。


 

スペインの電力風景
2011/06/29  「再生可能エネルギー中央情報センター」聞き慣れない言葉ですが、これはスペイン全土の自然エネルギーによる発電状況が一目で分かるシステムだそうです。天候に左右される自然エネルギーならば天気予報などの情報を先取りして24時間後の発電量を予測するシステムを作ろうとして出来たシステムですが、予測と実際の発電量の違いは15%以内に収まるといいます。しかもその誤差はこれから縮まるとのこと。自然エネルギーを普及させるスペインの政策により、風や太陽から生まれる電力は最優先に使われ、石炭やガス、水力発電はこれらを補うと言う「スタンス」で稼働しているとの事です。現在スペインの水力を含む自然エネルギーは全体の35%を占め、火力が32%、原子力が22%。

日本の自然エネルギーは1%で、水力を含めても9%にすぎないと言うのだから情けなくなります。スペインの自然エネルギー開発が本格化したのは1990年代で、2004年に政府が太陽光の買い取り価格を高く設定すると予想をはるかに上回る施設が出来たのだそうです。もちろん自然エネルギー導入の紆余曲折はあるでしょうが、恐ろしい原発事故があって今やっと目覚めた日本の意識に比べれば(まだ目覚めていない人はいますが)政府も国民も正しい見識の基に動いていると感じます。日本の科学技術力をもってすればスペインがやれる事以上は絶対出来ると思いますが、問題は技術能力ではなく、「考え方」の能力ですから、ある意味困難な要素はあるかも知れませんが、多くの人が目覚めつつある今の状況ならヨーロッパ諸国に遅れをとってしまった自然エネルギーの主体化は早い時期に取りかえせるのではないでしょうか。


 

ヒューマニズム
2011/06/26  ヒューマニズムと言う響きが子供の頃から気持ちよくて、意味も分からず「お父さん、僕ヒューマニズムになるよ」なんて言って大人たちの笑いを買っていたけど、ずいぶん年月が経った今でも「ヒューマニズム」と言う響きは好きです。自分がイメージするヒューマニズムは一つの生命体としての固有の魅力で決して「イズム」ではないのだけれど、それは人間の中にも、猫の中にも、イルカの中にも感じるある種の優しさ、面白さ、感受性のようなものです。生きている中で数えきれないほどの人と出会って来たけれど、他者に対する自分の判断、印象の中の基準は子供の頃から漠然と持っている「ヒューマニズム」に他ならないと気づきました。初対面でも、数回あっても、何十年もつき合ってても、相手からその都度受ける「この人はヒューマニズムだ」と言うような感覚が全てのような気がします。

自分なりの定義、例えば話していて面白かったり、反応が自然であったり、相手に対しての興味や好奇心、いたわりの心がある人を「ヒューマニズム」と言う代名詞に置き換えているのだけれど、それは結局自分が思い描いている人間像、「人間はもともとこんな生き物なんだ」と言う夢と言うか願いと言うか、望みなんだと思います。自己本位で無機質な人間も増えているけど、久しぶりにヒューマニズムと会ったと言える人もいて、笑ったり泣いたりしてエネルギーを貰う事もあります。父親は遠い昔にいないけど、もし生きていればやはり「お父さん、僕ヒューマニズムになるよ」と言うけれどそれはまだ「ヒューマニズム」になっていない証明でもあります。



苦悩と優しさの関係
2011/06/25  人間のやさしさ、他者の気持ちがわかったり、自分自身の事のように悩んだり、傷ついたり出来る人。生まれ持った素質や育った環境、生きて来た道筋も違うのに同意したり同感したり共感したり出来る人と人は「苦悩」したと言う心の葛藤が共通しているのではないかと考えてしまいます。苦悩の原因には自身の事、家族の事、社会の事などがありますが、悲しみや怒りに昇華できない悶々とした思いと葛藤。それは明らかに心の鍛錬で哲学的な模索と言ってもいいかも知れません。自分と言う1個の人間が相対する人や事象にどう向き合い、関係をつくり、あるいは背き、壊しそれでも生きる道を模索する。その中で心は広がったり縮んだり、柔らかくなったり硬くなったりしながら強度と包容の力を増して行きます。葛藤の振幅が大きいほど心は強くなりそして柔らかみを帯びて来るのではないだろうか、そしてその「柔らかみ」こそが「優しさ」で、他者に対する理解力と他者が発する悲しみや怒りを受け止める基盤になるのだと思います。他者に対する無関心、無理解、無反応。1人1人が苦悩と言う自己探求(自問自答)を止めた時、人と人の関係も稀薄になり、思考停止のような空気が社会を覆ってしまいます。


 

日本のメディアの姿勢
2011/06/24  これは原発事故に限った事ではありませんが、NHKを始めとする日本のテレビ、新聞などのマスコミにおいては過去から政府や大企業に都合の悪い事はあえて報道せず時間の中でうやむやに葬ってしまうような姿勢があって、それは消極的ではあっても情報操作と呼ばれても仕方がないと思います。真実がきちっと大きく知らされなければ多くの国民は事態の判断のしようがなく、ましてテレビのように脳天気な番組が次から次へと放送されれば、思考は停止してしまいます。今回の原発事故の放射能問題のような誰であっても看過出来ない事実を正確に伝えないのはあまりにも人間の命を軽視した犯罪的姿勢で、知らされていないがゆえに危険な場所で遊んでいる子供たちがいるかと思うと誰でも怒りが湧くのではないでしょうか。マスコミの構造を考えると原発のような巨大な権力と政治がらみの問題はかなりの部分抑制されてしまうのは当然でしょうがそれでも事は多くの命の問題、しかも1番に影響を受けるのは未来における子供たちだと言うような問題に関しては利権や圧力に負けない勇気ある報道姿勢が必要なのは言う迄もありません。

幸いと言っていいのか分かりませんが、良識ある一部学者やNPOなどがネットや書籍などで真実を発し続けていますが、テレビや大新聞の影響力を考えると不安は否めません。5月23日に行われた参議院の行政監視委員会での模様もテレビでは放送されず新聞でも一部の概要が紹介されただけでした。この委員会の様子がテレビで放送されれば小出裕章さん(京都大学原子炉実験助教授)を始め参考人として招致された見識ある人の貴重で重要な意見を多くの国民が見聞出来たはずなのです。ロシアの放射線生物学者ナタリア・マンズロヴァ(Natalia Manzurova)さんが日本の人たちに送ったメッセージの中で「日本政府の人たちは汚染地域の住民と直接会い、彼らの目を見ながら話をするべきだ。そして放射能の影響を受けた子供や妊娠中の女性がこれからどうなるかを真剣に考え、対策を講じることだ」と語り、「国民にとって大切なのは政府発表を鵜呑みにするのではなく、自ら学び、考え、主体的に判断をして行動することである」とも述べています。おそらくマスコミの中でも権力と戦って、追い込まれている人たちもいるに違いないと想像しますが、インドの偉人ガンジーの言葉「信じる事があるのに、そのように生きないのは不誠実なことです」を胸に抱いて真実のために戦って欲しいと思います。To believe in something, and not live it, is dishonest.


 

 

スーパーコンピューターの能力と人間
2011/06/21  日本のスーパーコンピューター「京」が計算速度で世界一になったそうです。スパコンの世界ランキングを見れば日本とアメリカと中国のおいかけごっこの様相が見て取れますが、ヨーロッパ諸国に置いては巨額の費用がかかる先鋭的なスーパーコンピューターの開発より、汎用アプリケーションを中心とするスーパーコンピューター導入が積極的であるとのこと。神戸市の理研神戸研究所にある「京」は06年から開発が始まった総事業費1120億円の巨額を投じたもので、毎秒8千兆回の計算を実現させ世界一になりましたが、その巨大な能力を「何に使うか」が問われます。世界一のハードを活かす想像力は果たして世界何位なのか?地震や津波や未来環境などのシュミレーションに大きな威力を発揮するだろう事は分かりますが、日本の未来と幸せのために幅広い応用をもたらすには「人間的な視点とユニークな発想」もまた必要だろうと思います。それがなければ蓮舫さんの「2位じゃダメなんでしょうか」と言う問いに答えた事にはなりません。計算科学の最先端はあらゆる可能性を秘めてはいますが、インプットする人間の想像力が乏しければ世界一の巨大な頭脳も偏った人間の頭脳のようにその可能性は小さくなってしまいます。


 

切実な問いかけ
2011/06/20  「放射能を海に流したらどんな影響がでるか、誰もわからんでしょ。科学者は海の事は知らんでしょうが」朝日の夕刊から目に飛び込んで来た一文にはっとしました。記事を読むと熊本県の81才になる諌山茂(いさやま)さんと言う元漁師の男性の言葉でした。東電が放射能を含んだ水を海に流したと言うニュースを聞いての憤りの言葉です。1950年代からチッソが海に流した工場排水に含まれていた水銀が食物連鎖で魚に蓄積し、その魚を食べた多くの人が今も水俣病に苦しんでいると言う事実。水俣病に冒された諌山さんの娘さんとお父さんの苦しみは想像を絶するものでそれは今も続いています。

水俣病の認定患者は現在2271人ですが、未認定患者は5万人以上、その他に潜在患者がさらに相当数いると見られています。新聞に紹介されていたもう1人の水俣病患者の南アユコさんの言葉、お父さんは水俣病で激しい痙攣の末亡くなったとありますが、南さんも20代から手の指が硬直する水俣病特有の症状で悩まされ続けていると言います。その南さんの言葉「天草の山の上から不知火海を見た時、海は全部つながっているし、魚は仕切りのないところを泳いでいるんだなあと思った。水銀はころころ転げ回っていたんです」諌山さんの言葉と南さんの言葉。この2つの言葉の中に水俣病のみならず今回の原発事故に関しても人間としての強い啓示と警告が含まれているのではないでしょうか。


 

白き旅人
2011/06/18  小雨に煙る町中をひらひらと舞う紋白蝶。1人ぽっちでけなげに飛ぶ姿を目で追いかけると民家の塀の中で消えてしまいました。庭先で羽を休めているのでしょうか。初夏なのに冷たい雨。蝶はどこへ向かっているのか、行き先があるのか分かりませんが、せめて晴れる迄庭先の葉の下に休んで欲しいものです。動物でも人間でも孤立した姿は切ないものです。誰かいれば、仲間がいれば少し安心するのは見る側の勝手な心情かも知れませんが、やっぱり1人は切ないものです。「結局最後は1人だから」などと言う人もいるけれどならば最後の手前迄は共に歩める仲間がいた方がいいと思ってしまいます。空が少し明るくなってきました。蝶はまた飛び立つでしょうが、旅の無事を祈りたいと思います。

そう言えば原水爆の核実験が行われていた頃、雨の日は放射能が混じっているからとみんな神経質になっていた時代もありました。恵みの雨は人間のせいで不幸の雨になってしまいます。核実験の暴挙がやっと止まりつつある時代に、平和利用の原発がまた雨を気にしなくてはならない状況を作り出しています。放射能から逃れられない植物や動物たち。結局循環して人間に返って来る事は明らかだけど、白き旅人は人間の事をどう思っているのでしょう。紋白蝶に頼まれたわけではないけど<a href="http://www.bians.jp/bians_next/bians_next01.html" target="_blank">別サイトに</a>原発と核廃棄物の事を少し調べて書きました。見ていただければうれしいです。


 

原発はエネルギー消費を助長する
2011/06/17  ドイツシュレーダー政権で環境相として脱原発政策づくりに携わったユルゲン・トリティーンさんの日本記者クラブでの会見の中で(17日)、発電時に二酸化炭素を出さない原発は温暖化対策に役立つのでは?と言う記者の問いに対して「世界の原発の1/4がある米国の一人当たりの二酸化炭素排出量は、日本の2倍でむしろエネルギーを無駄に消費する構造を助長する」と持論を述べました。10年前に4%だった再生可能エネルギーの割合が現在17%以上になっているドイツの環境相らしい言葉だと思います。実際アメリカ型の大量消費経済に追従して来た日本は電力不足とか電力需要ばかりを社会発展の基盤に置いて政策を取って来ましたが、それがもたらして来た大きな弊害、「エネルギーそのものを大切に考えない」と言う風潮が生まれて来たのも事実です。

「ものを大切にしない」、企業は消費をあおり、国民は本当にその「モノ」が必要かどうか考えずに購買してしまう。過剰広告、過剰包装、過剰生産、大量にものを消費しなければ社会の経済や景気が潤わないと言う構図はどう考えても大量のエネルギーを消費しなければ成り立たないと言う事です。しかも大量消費社会で潤うのは結局一部の資本家などの人間で多くの人は働けども働けどもゆったりした心持ちで生きれないと言うのが現実の日本です。膨大なエネルギーを消費して大量の消費社会がもたらしているはずの「冨」の多くが一体どこに消えているのだろうと考えてしまいます・・・



どちらでもない!?
2011/06/16  原発の是非に関する47都道府県の知事に対してのアンケート結果を見てちょっと残念な気がしました。朝日新聞のアンケートによると「止める」とはっきり考えを示した知事はたった2人で、後は「減らす」9人、「現状維持」4人、「現状維持もしくは減らす」1人、「無回答」5人、「どれでもない」26人、との結果です。福島原発事故から3ヶ月もの検証時間があって、各県の長として、1人の人間として十分考える時間はあったと思うのだけどアンケートの結果はあまりにも意識がぼけています。知事全員が「止める」とはっきり意思表示してそれから「どうやって止めて行くか」を考えるのが、それぞれの地方を代表する人間としての当然のあり方ではないかと思います。

「止める」とはっきり意思表示をした2人の知事。山形県の吉村美栄子知事は「想定を超えた危険性が内在する限り、将来的にはやめるべきだ」とコメントし、滋賀県の嘉田由紀子知事は「原発から再生エネルギーへのカジを切るような、孫子のために歴史的な判断を国や電力会社に求めて行きたい」とコメントしました。2人の知事の言葉が原発問題の多くを言い表していますが、知事と言う立場だからこそまずきちんと意思表示して議論を重ねて欲しいものです。「どちらでもない」と「無回答」の31人の知事には失望しますが、原発の是非は「どちらでもないような問題ではない」事だけは確かです。


 

イタリアの国民投票
2011/06/14  電力の15%弱をスイス、フランスから輸入しているイタリアで原発再開の是非を問う国民投票が行われ「脱原発」が確実となりました。スイス、ドイツに続いての国民の判断で原発にストップがかかったことは未来に向けての小さな灯です。アメリカ、ロシア、フランス、中国など世界の原発事情を見渡せば暗澹たる気持ちにはなりますが、それでも大きな前進だと思います。広島、長崎の消えない過去と福島の恐ろしい現実を見れば、ドイツやイタリアより日本がまず率先して脱原発への舵を切らなければいけないと思いますが、とにかく今は被災地の救済を第一に考えなければならないのは当然の事です。原子力に関しては朝日新聞に掲載された作家の池澤夏樹さんの言葉「核エネルギーはどこか原理的なところで人間の手に負えないのだ。それを無理に使おうとするから嘘で固めなければならなくなる」の一文に原子力の怖さの本質が言い表されているように思えます。


 

長く重い3ヶ月
2011/06/11  大津波と原発事故から3ヶ月。放射能漏れと言う恐ろしい事態もあって被災地の深刻さは増すばかりです。今だ8000人をこえる行方不明者があって、現実の見通しも立たない中で、避難先で暮らさざる得ない人たちの心境は想像を超えます。放射能汚染で長年暮らして来た愛着の強い土地や海を失うかもしれない不安といらだち。原子力エネルギーの負の部分を隠蔽し国と東電が強引に進めて来た原子力政策の結果は明らかに防げた「人災」として国民1人1人が真摯に見つめなければならない時だと思います。巨額の利権に群がった政治家、原発関連企業、学閥。彼らには被災者1人1人を救う責任と義務があります。原子力発電の現状と未来に渡る放射能の怖さなど僕自身もあまりにも無知であった事を反省しますが、今回の取りかえしのつかない事故で日ごと明らかになる原発の真実を知れば知るほど脱原発への思いを強くするのは人間として当然の感情ではないでしょうか。被災地の人たちへの経済のみならず精神的援助、救済は国や東電や関連企業の明らかな責務ですが、その責任と義務をうやむやにしないためにも国民1人1人が原子力被害とその危険性の全容を見つづける事が必要だと思うのです。



京都の町
2011/06/09  子供の頃から数えて京都に来たのは何度目だろう?などと考えながらのぶらぶら歩き。地元大阪の町は別として京都は馴染みの深い町です。それでもちょっと脇道に入ったり路地を覗いたりすると見知らぬ風景があって飽きる事のない町、それが京都の町です。古いものと新しいものが混在してそれでも何とか調和している町。景観が損なわれてしまった場所もあるけど古の匂いだけはそこここに漂っていて心が安らぎます。今日は映画「神々と男たち」を観るために京都に来たけれど映画館に続く道、帰る道に楽しさを見いだせるのが京都の良さでもあります。


 

新世界のおばあちゃん
2011/06/07  通天閣のある新世界の喫茶店。気骨のあるおばあちゃんと気丈な娘さんが営業している小さなお店。暑い午後のアイスコーヒー、寒い夕暮れのホットコーヒー。90近いおばあちゃんはなかなかの博学で談笑の中でいろいろ学ぶ事がありました。ある時、「ねえおばあちゃん、日本はどんどん変な国になりますね」と問いかけると「それは兄ちゃん、敗戦からの復興のために経済を優先したからね」「同じ敗戦国のドイツは復興のために教育を優先したからそれは差がでるよ」そう言われてその通りだと納得しました。遠く離れた日本の原発事故で素早く反応したドイツの政治家と国民の判断。ヨーロッパの複雑なエネルギー事情を考えればすごいなと思わざる得ません。それにひきかえ原発事故の当事国である日本の反応は政治家も国民も何処かにぶくて、未来に対しての最大の問題であるに関わらず真摯に問題を見つめている人の数が少な過ぎるような気がします。今はもうお店を閉めてしまったけど新世界のおばあちゃんならどう言うだろうと考えてしまいます。代わりに言葉を想像すれば「そりゃね、兄ちゃん、教育(精神)を優先すれば経済(物質)はついてくるけど、その逆はないからね」


 

音と感性
2011/06/06  田舎のあぜ道を歩いているとカエルの声が聞こえて来て思わず耳を立てます。懐かしい声。農薬と水田の減少でカエルの運命も心配です。旅行であちこち泊まった思い出の中でもカエルの大合唱の印象はとても強くてのどかな田舎暮らしの風景が自然とよみがえってきます。裸電球、井戸に吊るしたスイカ、風車に風鈴、メダカやザリガニ。昔懐かしい風景。大阪のど真ん中でもモンシロチョウや赤とんぼが飛んでいた時代。道を歩いていてブンブンがおでこに衝突した事もありました。犬や猫の鳴き声はあちこちから聞こえ、鈴虫やコオロギの声も都会にいても聞けた時代。長唄や三味線の音もどこからか聞こえて来ました。ちょっと珍しい野生の小鳥などが窓から舞い込んで来た事もあったなと回想しながら現実を見れば、車のぞわーっとする騒音が音の主役で脇役は奇妙な電子音。これじゃ人間の感性が鈍化するのは仕方ないなと思うけど、これからの子供たちのためにもこれ以上環境を破壊するのは止めて、壊してしまった環境を再生するのが現代人としての義務だろうなと思うのです。


 

進化とは、政治家とは
2011/06/04  人間は進化しているのだろうか?そう思ってしまうような事が余りにも多すぎます。新聞をちょっと見れば気分の悪くなるような記事が幾つも眼に入ってこんな事はいい加減無くならないものかと思ってしまいます。「アサド政権に対する反政府デモと当局による弾圧が続く中東シリア情勢、これまでのデモ参加者の死亡は1000人以上に達する・・・」「内戦状態にあるリビアやチュニジアを脱出して欧州に向かおうとする避難民が大量に押し寄せてチュニジアとイタリアの間にある人口6000人の島に2月以降3万人を超えた・・・」「ナイジェリアでは少女を監禁して子供を産ませ、売り払おうとした「赤ちゃん工場」が摘発された・・・」どの記事も現地の実態を想像すると何とも言えない気持ちになります。日本に目を向ければ悲惨な被災地を忘れたかのような政治家のふるまい。不信任案うんぬんを言ってるような時間は一秒だってないはずです。大阪維新の会の君が代起立条例案も強行即断できるような安易な問題ではなく国民の見解がそれぞれ深くある問題ですからまず国全体としての議論をしつくさなければいけないと思います。とにかく東北の人々の苦難、原発の深刻さを抱えるこの時期にそこに目が向かない政治家はあまりにも矮小だと思うのです。


 

糖尿病あれこれ
2011/06/03  糖尿病、数値的にはかなり重度な状態が分かってなんとかしなければと思って2年あまり。病院で医師の話を聞いたり新旧の関係本を読んで自分なりの改善法を考え実行して来たけれど、どんな方法も継続する事はかなりの意志が要る事で容易ではありません。と言っても命がかかっている問題ですから何とかコントロールして悪化だけは防ぐ事が出来ています。糖尿病患者の数は年々増え続け250万人にも達する現状ですが、今だ理を得た治療方法はなく、一般病院では血糖値を下げる薬、いわゆる対処療法と食事療法(カロリー制限食)ですし、書店やネット上ではありとあらゆる本と情報が流れていますが、結局は様々な情報データを基にして自分なりに自分にあった方法をアレンジしてつくるしかないな、と言うのが結論です。

血糖降下剤やインスリンは医師の強いすすめがありましたが、それは選択せず、食事療法だけでスタートしましたが、ある程度の効果は実感出来ました。ただし何を食べて何を食べてはいけないかの自分なりに決めた論拠がアバウトで、少し体調が良くなると以前のように無理や無茶をしてしまって再び悪化。これはいけないと2週間前から今度は以前より厳格なルールを自分で決めて実行しています。実行しているのは以前効果があった食事療法と糖質制限法をアレンジしたものですが、効果が自分で確認できたなら、治療方法の一つとしてネット上で紹介しようと思っています。糖尿病、その他多くの病気に言える事ですが、生活習慣など物理的な要素は当然として精神的ストレスが病気の原因に大きく関与している事も間違いなさそうです。


10年後の安全と10万年後の安全
2011/06/02  友人に誘われて久しぶりに映画館へ。映画館のある梅田ロフト界隈には平日にも関わらず人があふれ、大阪の繁華街の人の多さにあらためて驚きます。映画は「10万年後の安全」フィンランドのオルキルト地方で建設されている世界初の高レベル廃棄物の永久地層処分の現実と放射能の未来への影響を描いた作品です。科学者と施設関係者が原子力と未来社会での核廃棄物の危険性について語る様子と静かで淡々と進行する地下施設工事の映像を交互に絡ませた作品です。原子力発電所が動く限り高レベル廃棄物が生まれ続けそれを管理する事がどれだけ難しい事なのかがよく分かります。放射性物質を高濃度に含む廃液をガラスで固めた「ガラス固化体」に人が触れれば僅か20秒で致死量の放射線を浴びる事になるといいます。

この放射能がウラン鉱石と同程度に減るまでには数万年かかると言いますからその間を管理し続けるのは不可能な事です。天災、人災、何が起こるか分からない地上で安全に管理などと言うのは無理ですから、この映画のように深い地中に埋めて何万年もの時を待つしかありません。しかし現実にフィンランドのような地層処分の予定地さえまだどこの国でも決まっていません。原発が稼働する限り増えつづける世界中の高レベル廃棄物は今「暫定的」な集積所に蓄えられているのが現状です。想像するだけで恐ろしい話です。映画の中での言葉「放射能は無味無臭無色で人間の五感で捉える事ができないもの」に不気味な怖さを感じました。10万年後と言う気の遠くなる時間の前に、通過する1年後10年後があります。映画を観て既に作り出された高レベル廃棄物だけでももう手遅れではないかと言う思いがありますが、せめてもう原発を増やすなどと言う馬鹿げた行為だけは止めて欲しいものです。


 

 

見つづけなければいけない事
2011/06/01  食の安全、住の安全、環境問題、自然対策、そして放射能の脅威。現在と未来を不安にする材料は幾つもあって一瞬、不可抗力かとも思う時があるけれど考えてみればその多くは人災でしかもその原因の大きな部分は全て同じで繋がっています。それは利益拡大のためには手段を選ばないと言う事です。食品偽装、農薬や添加物の過剰使用、プランテーションによる森林の伐採、電力の浪費、自家用車の氾濫、建築の手抜き工事・・・数限りなくありますが、全て健康や命に関わる重要な問題で今回の取りかえしのつかない原発事故で発覚した「原発村」の巨大利権にまつわる構図はまさに諸悪の象徴だと言っても過言ではないでしょう。企業でも個人でも生きるためには金銭が必要なのは資本主義社会では当然ですが、何もそこまでやらなくてもいいだろうと思うような事が多すぎます。社会としてのモラル、人間としてのモラルが崩壊しているのではないかと思えるほど盲目的で、思考停止とでも呼びたいような人たちが社会の上層部に君臨していて空恐ろしくなります。国や企業や学校が個人を啓蒙して少しでも人間的な社会を作り上げるのが各国共通の目標であるはずですが、啓蒙する側が退廃してしまってはどうしようもありません。この先、国民1人1人が賢くなって真偽を見分ける知識と感性を身につけて正しい判断で世論を作って行く事が未来へ向けての個人としての責任だと思うのです。

 

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