皐月/5/May
少数派の思い 日常起こる雑多な出来事、自分の生活圏外の大きな出来事。どちらにせよ自分に直接関係ない事や自分の得にならない事に対して「見ざる聞かざる言わざる」の態度を取る人は多くて、自らの個人的考えや姿勢で物事に対峙するような人は残念ながらごく少数だと感じます。数少ない友人たちもそれぞれの分野で人一倍頑張っているけれど、正しい事、自分の信念に忠実であろうとすればするほど生活は苦しくなって、そう言う友人たちと連携して何か相互に助け合う方法がないものかと考えたりします。 不正を嫌い、平和を愛し、環境や人や動物に優しい人たちがどうして少数派なのか?そもそもそれが問題なのだけどそれが現実で、自分だけがよかったらいいとしか見えないような人が多くて、そう言う人は当然知識や体験の面でも自分のエリア以外には無関心ですから、結局、無責任でエゴイスティックな風潮が蔓延してしまいます。でもそんな他者に無関心で無情な風潮は回り回っていつ自分自身に降り掛かって来るか分かりませんからその不安がますます自己防御を強くしてしまう。 まさに悪循環です。友人の1人の言葉を借りれば「無知無関心無責任」のスパイラルです。「知的情的博愛的」な人間を目指す少数だけれどかけがえのない人たち。それぞれの生き方、生き様は多様であっても、人間はこうあるべきではないかなと言う理想だけは消えないよう終生持ち続けなければならないと思うのです。そして1人でも2人でも少数派が増えて、せめて全体の半分ぐらいになれば、どんなに素敵で楽しい社会になるだろうと夢見てしまいます。
次のシーンを想像する 「あの山の向こうにどんな村や町があるのだろう」旅をしていてよく思う事ですがどちらにせよ一歩踏み出す時には次のシーンへの期待と不安がよぎりますが、何かしら直感と経験から来る想像力が判断や行動のエネルギーになります。それは日常生活にだって無数にあって、どんな些細な事に対しても想像力が働けば判断が変わることもあります。「こんな事をしていていいのだろうか」日常の小さな時空に思う疑問。次のシーンを想像すればおのずから答えが出る事もあります。
声なきものたちの悲劇 避難されている人々の苦しみだけでも想像もつきませんが、あらゆる動物と農作物、あらゆる命が声をあげる事も出来ずに死んで行くと言う悲劇が原発事故と言う「人災」によるものである事を考えると、こんな事を繰り返す可能性のある原発をこれ以上放置、存続させることはどう考えても間違っていると、誰でも思うのではないでしょうか。 まるで決死隊のように原子力施設に入り作業をしている人々。想像しただけで胸が痛みます。声も上げれず避難する事も出来ず放射能にさらされる家畜や小動物たち。彼らがもし、話す事が出来たなら「これはいくら何でも酷すぎます、もうこんな危険がある施設は作らないで下さい」と全員が言うに違いありません。ですから原発に依存しない未来にむけて1人1人が思いをつなげて行くのは現代人の義務だと思うのです。
赤い風船が町に浮かび いつも神経質なホームズも今日はご機嫌でワトソンも意外な表情をしているけど虹をつかむ男がダニーケイを連れてくれば全ては一件落着でポアロとルパンが将棋だってしてしまう。101匹のわんちゃんは踊る箒とじゃれあって、ロックベイダーはヤシの木と何やら相談。ファンタージェンよりファンタジックでビートルズよりメロディアックなシーンが世界中を覆えば、戦争どころかいじめだって無くなってしまう。四面体の不思議な太陽電池。螺旋形の奇妙な風車。 そう言えば原発とか言う原始的で危険なエネルギーを使っていた時代があったんだよと、ワニのゲーナがささやくけどチェブラーシカには意味も分からない。科学とはなんだろう?ロマンとは何だろう?そして幸せとは何だろう?海を見ればイルカとネモ船長が銀河系の話をしていてダルタニアンはもっと勉強しなくてはと思ったりする。赤い風船がゆらゆらと道案内。そう人間には確かな道案内が必要なんだと誰もが空を見上げる。 人を育てるいい映画やいい本がこれだけたくさんあって、シューベルトからビートルズまで心を優しくする音楽だって無数にあってもし人間が植物だったら生き生きと葉を伸ばしまっすぐに育つだけの土壌は十分にあるのだけど、土壌汚染と同じような汚染が人間世界には蔓延していていい養分が吸収出来ない、そんな現実があります。 それでも汚染に負けず生きている人は少なからずいて何とか人間はこうあるべきだと言う体裁は保っているけれど、時代が進むにつれ心持たない部分も確かにあります。原子力は科学が進んだゆえに人類が扱えるようになったけど、それが安全に扱えるためにはまだまだ科学力は未熟でそれ以上に人間としてのモラルが先行しなければ悲惨な結果を招く事だけは多くの人が想像出来るはずです。 環境破壊や環境汚染を付随するダムや化石燃料による発電には限界があるのは分かりますが、だからと言って原発ありきではあまりに短絡的で危険な選択だと言うしかありません。永続可能なしかも地球環境に優しい自然エネルギーの利用はこれから加速するのは間違いありませんし、日本が原発開発に投じて来た巨額な資金の半分でも太陽光や風力発電の開発費にまわして来ていたら、おそらく日本はその方面で世界の先陣を切っていただろうと思います。 過去20年、未来に向けて遅れをとってしまったけれどこれからは日本が世界の模範となるような自然エネルギー国とならなければ、核や放射能の危険はもとより、日本人としての心の汚染まで進んで行くような気がしてなりません。
人それぞれと言うけれど 先日京都の町を散策していて道で出会ったイタリア人と思われる家族とすれ違いましたが、こちらが笑顔を投げかけると何ともうれしい笑顔が返って来て、家族の後ろ姿をしばらく見送りました。日本人でも外国人でも出会うタイミングによってはあいさつは当然のマナーだと思うのだけど、時に怒ったような顔を返されるとこの人は一体どうしたんだろうと考えてしまいます。十人十色、人それぞれと言うけれど笑顔には笑顔で答えるぐらいの心持ちがどうして出来ないんだろうかと情けなくなります。たとえ見ず知らずであっても人間同士なんですから。
自販機のエネルギー 調べれば飲料の自販機だけで260万台、消費電力量は総発電量の0.7%、これだけで原子力発電所のほぼ一基分の電力に相当するそうですが、他に食品やら煙草など全ての自販機を入れると500万台とまさに自販機大国です。外国から来た観光客が自販機の多さに驚くのも無理はありません。確かに便利なものではありますが、駅には売店があり町にはそこここにコンビニがあって現状の半分もあれば十分ではないかと思ったりします。 日本には自販機のみならずここまでする必要があるのかと思うような設備や器機が満ちあふれていて国家レベルと国民1人1人のレベルで暮らしを見直せば原発を段階的に無理なく廃止することはそんなに難しい事ではないはずです。原発関連に代わる雇用の問題も、ドイツやデンマークなどヨーロッパの先進国が行っている自然エネルギー関連の事業を拡大すれば原発を上回る雇用が生まれるのは明らかですし、それらの事業には拡大して行く未来もあります。飲料の自販機一台が一般家庭平均の消費電力の7割に当たると言う事実を知れば便利な自販機も設置できるだけ設置すればいいとはとても思えないのではないでしょうか。
合い言葉 友人達とは生き方、考え方など意見が合わない事もいくつかありますが、全員意見が一致するのは原子力に頼らなくとも真剣に取り組めば必ず自然エネルギーに移行出来ると言う意見、これだけは同じ考えです。収束しない福島の現実、放射能汚染の範囲も10年20年後に予測される健康被害などの情報も発表機関によってばらつきがあって、つかみ所がない部分がありますが、どれだけ楽天的に考えてもあれだけの放射性物質が空中や海中に飛散し続ければ深刻の一語につきます。 中国を始めとする発展めざましい国々がエネルギー源を原子力に求めたら世界は誰が考えたって危うすぎます。日本が自然エネルギーの開発をすすめ、世界の先導役となればいいなと心から思いますが、もしそのような国になれば、日本社会は活力(夢)と人間力(やさしさ)も同時に取り戻せるのではないだろうかとの想像も浮かんできます。
想像力の大切さ 人の表面に見えるもの、社会の表面に見えるものから想像力を働かせば見えにくい影や見えない裏の部分が見えてくる事もあります。体験が重なり経験となるのも想像力があってこそですし、知識が経験と結びついて推測や予測、判断が生まれるのも想像力があってこそだと思います。きちんとした判断が生まれれば行動の指針にもなりますし、想像力を培う事はとても大切なことに違いありません。 学校でのいじめの問題、無関心と利己主義、短絡的な暴力。いじめも戦争も他者の痛み、気持ちや立場を考えない、考えれない、つまり想像力の欠如です。子供の想像力を奪ってしまうような環境がそのような社会風潮を作り出してきた大きな要因であるのは確かです。その事は自由で想像力の羽をのばせる子供時代をおくった人なら誰でも「想像」できるのではないでしょうか。
限界のないリスク しかもそれは未来でなく現実に、今そこにある危機だと言う事も分かって来ました。情報の少なかった原子力関連の詳細が少しずつ表面に顔を出すにつれ、これはもう人間として誰でも放置できない問題です。ベックさんが記事中で言っています。「チェルノブイリの原発事故の怖さはまだ生まれていない人が被害者になる事だってあるかも知れないことなのです」福島の原発事故の怖さも全く同じですが、時間的空間的に限定もできずリスクの全体を量れない、それが原子力(放射能汚染)の現実です。
風、爽やかな季節 年々四季の変化が弱まって大好きな春と秋が短くなって行きますが、これも地球環境悪化の一端だと思うと1人の人間としてどんな些細な事でも表現、行動しなければと心あらたになります。春にはカエルが合唱し、秋にはコオロギが音楽を奏でる環境。日本中の多くの場所にそのような環境があった時代をまた取り戻せるかも知れない。大阪の真ん中に住んでいても路地に土があり、原っぱが点在し遊ぶ場所にも困らなかった子供たち。人が人であって人であるように育つには、環境もまた大切に守られなければなりません。
新しい雇用 深刻さを増し続けている福島原発からの放射性物質の流出と拡散。震災のボランティア活動をしてる友人は「個人が少しでも努力する事は当然いいことなんだけど、もっと大切なのは1人1人の意識がつながって同じあやまちを繰り返さないような国にしないといけない」と静かに言ったけど本当に同感です。 原発に関わる人達のあまりにも巨額なお金にまみれた現状。それがどれだけ恐ろしく悲しい結果をもたらしているかを考えると原発の全廃に向けてできるだけ声を上げて行こう、と言うのが友人達の共通した結論です。地域に原発がなければ経済が成り立たないのであればもっと雇用を生みだせる太陽光や風力発電の企業や工場をその地域に作る事は可能です。 国策として自然エネルギーにシフトを取れば技術力のある日本ならば絶対にできますし、その産業で大きな雇用を生み出せるのは間違いありません。脱原発はこれからの世界共通の問題意識ですから、自然エネルギー利用のアイデアと技術は世界中に輸出できる日本最大の産業にできる可能性だってあると思うのです。
トムソーヤの傍観 もし、僕が子供時代なら友人と秘密基地を作るだろうけど、今の子供たちには単なるボロ屋でしかないのでしょうか、遊びで侵入している姿を見かけた事はありません。考えてみれば公園ですら遊ぶ子供が減っている時代、さもありなんです。お金ができれば小屋とジャングルごと買うか借りるかしたいなと思っていた矢先、夢の小屋はジャングルごと一気に壊され整地されてしまいました。あっと言う間の事です。後には味気ないアパートが建つようですが、トムソーヤとしては残念の一言。大阪も神戸も京都も奈良もこれぐらいは残しておけばいいじゃないかと思うような環境が次々と消えて行きます。
連休に思う事 それにしても今の世の中、報道されていない事実やあえて隠蔽しているとしか思えない真実が見え隠れして悩ましい思いをしている方も多いのではないかと思いますが、1人1人の意識、特にこれから羽ばたいて行く若者の意識が変化しないと社会はますますあらぬ方向へ行ってしまいます。5月の空の下、山々の緑は日ごと色づき、風は爽やかに流れて季節は何事もなかったように移行していきますが、流れても流してもいけない事は止めなくてはいけません。
人間に与えられた能力
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今や自然エネルギーを有効に使えるだけの科学力があります。原発を完全に無くし、
化石燃料をなるだけ減らして行くことが未来に対する人類共通の責任です。