bars60

メモトップへ


皐月/5/May


TOP PAGE

bluedot

少数派の思い
2011/05/30  学生時代、社会に出てからの友人、ネットで知り合った友人、どちらも数少ない人たちだけれど、人生観や価値観が似ていると話をしていてもメールでやり取りしても気持ちがいいし、面白いし、何より勇気をもらえます。職業も年齢も違うけど人間としての思いは同じで結果それぞれの職域、生活域で苦戦をしいられる事も同じです。思いや考え方は、どうしても生き様に反映して社会的な摩擦は大小の差はあっても避けられないからです。日常起こる雑多な出来事、自分の生活圏外の大きな出来事。どちらにせよ自分に直接関係ない事や自分の得にならない事に対して「見ざる聞かざる言わざる」の態度を取る人は多くて、自らの個人的考えや姿勢で物事に対峙するような人は残念ながらごく少数だと感じます。数少ない友人たちもそれぞれの分野で人一倍頑張っているけれど、正しい事、自分の信念に忠実であろうとすればするほど生活は苦しくなって、そう言う友人たちと連携して何か相互に助け合う方法がないものかと考えたりします。

不正を嫌い、平和を愛し、環境や人や動物に優しい人たちがどうして少数派なのか?そもそもそれが問題なのだけどそれが現実で、自分だけがよかったらいいとしか見えないような人が多くて、そう言う人は当然知識や体験の面でも自分のエリア以外には無関心ですから、結局、無責任でエゴイスティックな風潮が蔓延してしまいます。でもそんな他者に無関心で無情な風潮は回り回っていつ自分自身に降り掛かって来るか分かりませんからその不安がますます自己防御を強くしてしまう。まさに悪循環です。友人の1人の言葉を借りれば「無知無関心無責任」のスパイラルです。「知的情的博愛的」な人間を目指す少数だけれどかけがえのない人たち。それぞれの生き方、生き様は多様であっても、人間はこうあるべきではないかなと言う理想だけは消えないよう終生持ち続けなければならないと思うのです。そして1人でも2人でも少数派が増えて、せめて全体の半分ぐらいになれば、どんなに素敵で楽しい社会になるだろうと夢見てしまいます。


 

 

次のシーンを想像する
2011/05/26  個人的にも社会的にも次のシーンを想像する事はとても大切な事です。しかしともすれば人は近視眼的になったり、短絡的になったりして次のシーンどころか周りさえ見渡せなくなることもあります。知識や情報をいくら取り入れても想像力が働かないと次のシーンは現れてこないものです。過去を見れば未来が見えるとはよく言われますが、現在を見れば過去からのいきさつと未来への道筋が見えるのも明らかです。「この道はどっちに行こう」「あの山の向こうにどんな村や町があるのだろう」旅をしていてよく思う事ですがどちらにせよ一歩踏み出す時には次のシーンへの期待と不安がよぎりますが、何かしら直感と経験から来る想像力が判断や行動のエネルギーになります。それは日常生活にだって無数にあって、どんな些細な事に対しても想像力が働けば判断が変わることもあります。「こんな事をしていていいのだろうか」日常の小さな時空に思う疑問。次のシーンを想像すればおのずから答えが出る事もあります。


 


声なきものたちの悲劇
2011/05/23  今月12日に福島原発から半径20キロ圏内に残る家畜について安楽死させる指示が政府から出されましたが、大事に育てて来た農家の人々の無念、殺される牛や豚もあまりに理不尽であらためて原発の存在の怖さを思い知ります。放射能汚染で近づく事すら出来ない状況で動物は餓死するしかない悲しさ。すでに圏内の牛3500頭、豚3万頭、鶏68万羽、馬100頭の多くが餌や水を得られずに餓死していると見られ、生存が確認されているのは牛3500頭と豚200頭と言う事です。避難されている人々の苦しみだけでも想像もつきませんが、あらゆる動物と農作物、あらゆる命が声をあげる事も出来ずに死んで行くと言う悲劇が原発事故と言う「人災」によるものである事を考えると、こんな事を繰り返す可能性のある原発をこれ以上放置、存続させることはどう考えても間違っていると、誰でも思うのではないでしょうか。まるで決死隊のように原子力施設に入り作業をしている人々。想像しただけで胸が痛みます。声も上げれず避難する事も出来ず放射能にさらされる家畜や小動物たち。彼らがもし、話す事が出来たなら「これはいくら何でも酷すぎます、もうこんな危険がある施設は作らないで下さい」と全員が言うに違いありません。ですから原発に依存しない未来にむけて1人1人が思いをつなげて行くのは現代人の義務だと思うのです。


 

 

赤い風船が町に浮かび
2011/05/21  赤い風船がゆらゆらと道案内。僕のおじさんが買ってくれたドーナツをパクつきながら海の見える場所へと向かうと途中一人二人と仲間が増えて見ればそれは三銃士。道には愉快なピエロが球に乗りマンオンワイアーが綱渡りの練習。街には笑いが、みんなのいい表情には太陽がいっぱい。真っ白なヨット、グランブルーな海にはイルカがはしゃぎ、ノーチラス号もぷかぷかと浮かんでいる。ネモ船長は甲板でパイプをくゆらせダヴィンチのグライダーを面白そうに眺めているけど飛ぶ人は必死でちょっと心配。いつも神経質なホームズも今日はご機嫌でワトソンも意外な表情をしているけど虹をつかむ男がダニーケイを連れてくれば全ては一件落着でポアロとルパンが将棋だってしてしまう。101匹のわんちゃんは踊る箒とじゃれあって、ロックベイダーはヤシの木と何やら相談。ファンタージェンよりファンタジックでビートルズよりメロディアックなシーンが世界中を覆えば、戦争どころかいじめだって無くなってしまう。四面体の不思議な太陽電池。螺旋形の奇妙な風車。そう言えば原発とか言う原始的で危険なエネルギーを使っていた時代があったんだよと、ワニのゲーナがささやくけどチェブラーシカには意味も分からない。科学とはなんだろう?ロマンとは何だろう?そして幸せとは何だろう?海を見ればイルカとネモ船長が銀河系の話をしていてダルタニアンはもっと勉強しなくてはと思ったりする。赤い風船がゆらゆらと道案内。そう人間には確かな道案内が必要なんだと誰もが空を見上げる。


人を育てるいい映画やいい本がこれだけたくさんあって、シューベルトからビートルズまで心を優しくする音楽だって無数にあってもし人間が植物だったら生き生きと葉を伸ばしまっすぐに育つだけの土壌は十分にあるのだけど、土壌汚染と同じような汚染が人間世界には蔓延していていい養分が吸収出来ない、そんな現実があります。それでも汚染に負けず生きている人は少なからずいて何とか人間はこうあるべきだと言う体裁は保っているけれど、時代が進むにつれ心持たない部分も確かにあります。原子力は科学が進んだゆえに人類が扱えるようになったけど、それが安全に扱えるためにはまだまだ科学力は未熟でそれ以上に人間としてのモラルが先行しなければ悲惨な結果を招く事だけは多くの人が想像出来るはずです。環境破壊や環境汚染を付随するダムや化石燃料による発電には限界があるのは分かりますが、だからと言って原発ありきではあまりに短絡的で危険な選択だと言うしかありません。永続可能なしかも地球環境に優しい自然エネルギーの利用はこれから加速するのは間違いありませんし、日本が原発開発に投じて来た巨額な資金の半分でも太陽光や風力発電の開発費にまわして来ていたら、おそらく日本はその方面で世界の先陣を切っていただろうと思います。過去20年、未来に向けて遅れをとってしまったけれどこれからは日本が世界の模範となるような自然エネルギー国とならなければ、核や放射能の危険はもとより、日本人としての心の汚染まで進んで行くような気がしてなりません。


 


人それぞれと言うけれど
2011/05/20  車一台がやっと通れる道を歩いていると前方から大型のトラックがやって来ます。民家の塀にへばりつくように車を避けると、運転手がわざわざ窓を開けて「すいません」の一言。こちらも手をふって笑顔で「なんでもないですよ」と互いに気持ちのいい応対をしてしばらく歩くとまた同じようなトラックが来ました。先ほどの事もあるしニコッとしながらまた塀にへばりつくと今度の運転手はちらっとこちらを見ただけで当然のごとく通り過ぎて行きます。眼と眼があったにも関わらず知らん顔です。同じような事は町中でも仕事場でもありますが、人間はどうしてこう違いがあるのでしょうか。先日京都の町を散策していて道で出会ったイタリア人と思われる家族とすれ違いましたが、こちらが笑顔を投げかけると何ともうれしい笑顔が返って来て、家族の後ろ姿をしばらく見送りました。日本人でも外国人でも出会うタイミングによってはあいさつは当然のマナーだと思うのだけど、時に怒ったような顔を返されるとこの人は一体どうしたんだろうと考えてしまいます。十人十色、人それぞれと言うけれど笑顔には笑顔で答えるぐらいの心持ちがどうして出来ないんだろうかと情けなくなります。たとえ見ず知らずであっても人間同士なんですから。 


 

 

自販機のエネルギー
2011/05/17  1962年に瓶入コーラ自販機が姿を現してから50年。最初は珍しかった自販機も町であれ山であれ見かけない場所はないぐらいに普及しました。今ほど普及していなかった頃は田舎道で自販機を見つけてラッキーと喜んだ事も幾度かあります。思い出せば自販機にはその時々、いろいろな場所でお世話になりました。それでも最近これはあまりにも多すぎるのではないかと思う事があります。調べれば飲料の自販機だけで260万台、消費電力量は総発電量の0.7%、これだけで原子力発電所のほぼ一基分の電力に相当するそうですが、他に食品やら煙草など全ての自販機を入れると500万台とまさに自販機大国です。外国から来た観光客が自販機の多さに驚くのも無理はありません。確かに便利なものではありますが、駅には売店があり町にはそこここにコンビニがあって現状の半分もあれば十分ではないかと思ったりします。

日本には自販機のみならずここまでする必要があるのかと思うような設備や器機が満ちあふれていて国家レベルと国民1人1人のレベルで暮らしを見直せば原発を段階的に無理なく廃止することはそんなに難しい事ではないはずです。原発関連に代わる雇用の問題も、ドイツやデンマークなどヨーロッパの先進国が行っている自然エネルギー関連の事業を拡大すれば原発を上回る雇用が生まれるのは明らかですし、それらの事業には拡大して行く未来もあります。飲料の自販機一台が一般家庭平均の消費電力の7割に当たると言う事実を知れば便利な自販機も設置できるだけ設置すればいいとはとても思えないのではないでしょうか。


 

 

合い言葉
2011/05/16  「原発を無くそう!」友人と会えばすっかり合い言葉のようになってしまいましたが、昨日一年ぶりに電話がかかって来た友人も「やあ久しぶり」「元気か?」の後に「原発は怖いね」の言葉が続いてみんな同じ思いなんだと再認識しましたが、政府や東電が歪曲、隠蔽して来た事実がこれだけ明るみに出てもこの重大な問題に関心を示さない人もいて、この国の未来はどうなるのだろうかと考え込んでしまいます。友人達とは生き方、考え方など意見が合わない事もいくつかありますが、全員意見が一致するのは原子力に頼らなくとも真剣に取り組めば必ず自然エネルギーに移行出来ると言う意見、これだけは同じ考えです。収束しない福島の現実、放射能汚染の範囲も10年20年後に予測される健康被害などの情報も発表機関によってばらつきがあって、つかみ所がない部分がありますが、どれだけ楽天的に考えてもあれだけの放射性物質が空中や海中に飛散し続ければ深刻の一語につきます。中国を始めとする発展めざましい国々がエネルギー源を原子力に求めたら世界は誰が考えたって危うすぎます。日本が自然エネルギーの開発をすすめ、世界の先導役となればいいなと心から思いますが、もしそのような国になれば、日本社会は活力(夢)と人間力(やさしさ)も同時に取り戻せるのではないだろうかとの想像も浮かんできます。



想像力の大切さ
2011/05/14  「大人になったら宇宙パイロットになるんだ」子供の頃は誰でも好奇心が旺盛で想像力もよく働きます。空地のような小さな世界でも星空のような無限の世界でも何かを見つけ何かを感じ何かを想像します。知識や体験が加わって年齢とともに想像の対象は広がり、思いが自分の小さな器からこぼれ落ちてしまうけど、また拾い直して想像を続ける・・・子供時代の自由自在の想像にはかなわないけど、  知識や体験を経た分だけ想像力の深みも増して行きます。カエルなどの小動物が減ったのは農薬とか気候変動のせいだろうか?温暖化がもたらす結果は?あの人は元気そうに見えるけど何処か陰りがあってその原因は何だろう?人の表面に見えるもの、社会の表面に見えるものから想像力を働かせば見えにくい影や見えない裏の部分が見えてくる事もあります。体験が重なり経験となるのも想像力があってこそですし、知識が経験と結びついて推測や予測、判断が生まれるのも想像力があってこそだと思います。きちんとした判断が生まれれば行動の指針にもなりますし、想像力を培う事はとても大切なことに違いありません。学校でのいじめの問題、無関心と利己主義、短絡的な暴力。いじめも戦争も他者の痛み、気持ちや立場を考えない、考えれない、つまり想像力の欠如です。子供の想像力を奪ってしまうような環境がそのような社会風潮を作り出してきた大きな要因であるのは確かです。その事は自由で想像力の羽をのばせる子供時代をおくった人なら誰でも「想像」できるのではないでしょうか。



 

限界のないリスク
2011/05/13  朝日新聞で読んだ原発についての記事の見出しに「限界のないリスク、近代社会が生んだ不確実性の象徴」と書かれていました。ドイツミュンヘン大学の教授ウルリッヒ・ベックさんの言葉です。本当にその通りだと思います。記事にも触れられていましたが、原発は人間自身が作り出し、その被害の広がりは一定の場所、一定の時間ではなく、社会的にも地理的にも限界のない大災害です。積み重ねられた放射能と廃棄された放射性物質が未来において生命にどう作用するかを想像すれば誰でも危惧を持つのではないかと思います。しかもそれは未来でなく現実に、今そこにある危機だと言う事も分かって来ました。情報の少なかった原子力関連の詳細が少しずつ表面に顔を出すにつれ、これはもう人間として誰でも放置できない問題です。ベックさんが記事中で言っています。「チェルノブイリの原発事故の怖さはまだ生まれていない人が被害者になる事だってあるかも知れないことなのです」福島の原発事故の怖さも全く同じですが、時間的空間的に限定もできずリスクの全体を量れない、それが原子力(放射能汚染)の現実です。



風、爽やかな季節
2011/05/12  体調、体力、衰えははっきりと自覚できるけどこの季節、空が澄み緑が輝き、暖かい日射しと爽やかな風に出会うと10年ほど若返ったような錯覚に陥ります。気は心、病は気からとはいうものの生物学的な肉体の衰えもまた事実で運動と言うよりリハビリと言った方が正しいちょっとしたトレーニングをしただけでも数日体がだるくてままなりません。それでも自然のエネルギーは偉大で、風を感じ町を歩くだけで弱った心身を少し活性化してくれます。年々四季の変化が弱まって大好きな春と秋が短くなって行きますが、これも地球環境悪化の一端だと思うと1人の人間としてどんな些細な事でも表現、行動しなければと心あらたになります。春にはカエルが合唱し、秋にはコオロギが音楽を奏でる環境。日本中の多くの場所にそのような環境があった時代をまた取り戻せるかも知れない。大阪の真ん中に住んでいても路地に土があり、原っぱが点在し遊ぶ場所にも困らなかった子供たち。人が人であって人であるように育つには、環境もまた大切に守られなければなりません。


 

新しい雇用
2011/05/11  東北大震災以来、友人と会えば自然災害の事や原発の話がどうしても中心になります。まだ1万人近い行方不明者が見つからない現実。被災者の過酷な状況。1万5000人に及ぶなくなられた人の遺族の心痛。避難生活を余儀なくされている10万人をこえる人々。深刻さを増し続けている福島原発からの放射性物質の流出と拡散。震災のボランティア活動をしてる友人は「個人が少しでも努力する事は当然いいことなんだけど、もっと大切なのは1人1人の意識がつながって同じあやまちを繰り返さないような国にしないといけない」と静かに言ったけど本当に同感です。

原発に関わる人達のあまりにも巨額なお金にまみれた現状。それがどれだけ恐ろしく悲しい結果をもたらしているかを考えると原発の全廃に向けてできるだけ声を上げて行こう、と言うのが友人達の共通した結論です。地域に原発がなければ経済が成り立たないのであればもっと雇用を生みだせる太陽光や風力発電の企業や工場をその地域に作る事は可能です。国策として自然エネルギーにシフトを取れば技術力のある日本ならば絶対にできますし、その産業で大きな雇用を生み出せるのは間違いありません。脱原発はこれからの世界共通の問題意識ですから、自然エネルギー利用のアイデアと技術は世界中に輸出できる日本最大の産業にできる可能性だってあると思うのです。


 

 

トムソーヤの傍観
2011/05/09  近所に誰も住んでいない小屋があります。柵越しに覗くと小屋の周りは雑草や木々が伸び放題荒れ放題で、ちょっとしたジャングル状態。まるでトムソーヤの小屋のようで夢膨らみます。小屋はかなり傷んではいるけれど少し手を入れれば十分住めそうでこんなところに住めば毎日が楽しいだろうなと思いながら幾度も前を通り過ぎます。もし、僕が子供時代なら友人と秘密基地を作るだろうけど、今の子供たちには単なるボロ屋でしかないのでしょうか、遊びで侵入している姿を見かけた事はありません。考えてみれば公園ですら遊ぶ子供が減っている時代、さもありなんです。お金ができれば小屋とジャングルごと買うか借りるかしたいなと思っていた矢先、夢の小屋はジャングルごと一気に壊され整地されてしまいました。あっと言う間の事です。後には味気ないアパートが建つようですが、トムソーヤとしては残念の一言。大阪も神戸も京都も奈良もこれぐらいは残しておけばいいじゃないかと思うような環境が次々と消えて行きます。


 

 

連休に思う事
2011/05/07  日常のリズムが変化する長い連休。不自然な自粛ムードには反対だけれど、やはり被災地の事、被災者の事を考えてしまいます。3月11日の大震災から2ヶ月が過ぎようとしていますが、被災地の復興はこの先どれだけかかるのかと言う思いと、人災としか言いようのない原子力発電所の実態を知れば知るほど将来的な不安が湧いて来ます。それにしても今の世の中、報道されていない事実やあえて隠蔽しているとしか思えない真実が見え隠れして悩ましい思いをしている方も多いのではないかと思いますが、1人1人の意識、特にこれから羽ばたいて行く若者の意識が変化しないと社会はますますあらぬ方向へ行ってしまいます。5月の空の下、山々の緑は日ごと色づき、風は爽やかに流れて季節は何事もなかったように移行していきますが、流れても流してもいけない事は止めなくてはいけません。


 

 

人間に与えられた能力
2011/05/01  CNNのニュースサイトでノルウェーの写真家が撮った神秘的な空の映像を見ました。地球から見る宇宙。気の遠くなるような広大さと目眩がするような星の美しさに圧倒されます。いつでも満天の星がそこにあるのは分かっているけれど都会の環境で見える星はごく僅か。見えないけれど無限に存在する星星の事を忘れがちになります。人間はともすれば日常に見えるものだけで自分の世界を構築してしまいがちです。見えないけれど確かにそこにあるもの、直接係れないけど意識すれば、想像力を働かせば理解できるし見えて来るものもたくさんあります。自他を客観視出来る意識と想像力が人間に与えられた能力であるならば、それを活かし伸ばす事がそれぞれの責務だし、それがいろいろな社会問題を解決して行くもっとも確実な方法だと思うのです。  

TOP PAGE



birth100

バースデザインビアンスアンディムジークプロニティヘキサグラムアロットユニバーソーリドメモランダムラナコルラブソンググランブルーな人々へ
デザイン寺子屋リンク・県別リンク・世界の国リンク・世界のインテリジェンスリンク・ニュースリンク・サイトリンク・ヒューマニスト

サイトポリシーサイトマップリンクについて著作権お問い合わせ