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如月/2/February


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一つ選ぶならば
2011/02/01  人間として嫌な部分を一つあげるなら?そんな質問に対していろいろな答えが返ってきます。友人、知人の中ではまず、「偉そうにする人間」次に「面白くない人間」。それから無神経な人間とか行儀の悪い人間とか話題の少ない人間とか偏った人間とか下品とか口先だけとか暑苦しい人間とかねとっとした人間とか頭人間とか気が利かない人間とか次から次です。僕の感覚でもいちばん嫌なのは偉そうな人間。この人なんでこんなに偉そうにしているのだろうと思うような人間が少なからずいてうんざりします。人間の程度が低いから偉そうにしているのは分かっているのですが、実際に遭遇すると情けなくなります。職業、社会的地位に関係なく偉そうにしている人間は混在していて、大体は頭が悪いか、心が貧しいか、エゴイストかのどれかです。僕も友人も自分を棚に上げての言いたい放題ですが、人のふり見てなんとやら、心しなければなりません。


エジプト
2011/02/02  エジプトで起こっているムバラク政権に対する大規模な抗議運動。ニュースを知るまでムバラク政権が30年にも渡って強権政治を行って来たことすら知りませんでした。アメリカから多額の軍事援助を受け、米国中東政策の協力的な役割を担って来たことぐらいは知っていましたが、秘密警察などの独裁的な色合いは知らず、あらためて他国に対する無知を思い知ります。エジプトについて知っていること、考古学的な若干の知識以外うつろで実際エジプト関連の言葉を思い浮かべるとごく僅かです。

ファラオ、ツタンカーメン、クレオパトラ、ナイル川、スエズ運河、ナセル大統領、ムバラク大統領、サハラ砂漠、シナイ山、アスワンハイダム、カイロ、ギザ、ピラミッド、ロゼッタ、テーベ、メンフィス、イスラム・・・続きません。移動手段や通信手段の飛躍的な進歩で世界は身近になったと言うけれど、先日のチュニジアの民主化運動といい意識はいまだ遠い国の出来事で実際、そう言う話題を日常に持ち出す日本人は少数ではないかと思います。環境、政治、経済。どれをとってももう他国や地域的な問題ではなく確実に日本や世界のどの国にも影響する時代ですから自国、他国と言うような線引きは少しづつでも無くしていきたいものです。


その時しかないもの
2011/02/04  その時々の体験。子供の時だからこそ強い印象が残る絵本や映画。3、4才時の環境や体験の重要性があらためて注目されていますが、昔の人は経験から「三つ子の魂百までも」を分かっていたのだと思います。三つ子の魂は大いにあり得る事だと思いますが、人格形成における体験の影響は「その時」にタイムリーであることが不可欠のような気がします。同じ本を読んでも、同じ旅行、場所へ行っても感じ入る年齢と言うものがあって、「その時」を逃せば後になって同様の行動をしても意味はずいぶんと弱くなります。

若さゆえとか、気持ちが迷っている時に決断する事、無分別とも言える行動があってこそ、なにかしら印象的な出来事に遭遇して、それが精神に刺激を与えるのではないかなと思ったりします。用意周到、準備万端の心は危険な登山や探検でもする場合は必要ですが、命を左右するほどの行動はそうそうあるものではありませんし、たいていは「思い切ってやってみよう」の心意気でできるものです。学校、会社、家庭などでの様々な問題や疑問。思考停止したり解決不可能と考えずにたとえリスクが大きくとも感じた方向へ向かう勇気あるいは無分別があれば「その時」はまた新たな次のシーンを演出してくれると思うのです。


それぞれの流儀と調和
2011/02/06  所変われば品変わる、そんな観念も違う場所に同じような建物施設ができて日々稀薄になってきました。それでも人は地域的な風土や家庭環境の影響でそれぞれの流儀があります。学生時代に何人か集まるとよく鍋をやりましたが、寄せ鍋にしてもすき焼きにしても材料や作り方の違いに驚いたものです。みんなまだあちこち旅行もしていなくて九州であったり大阪であったり四国であったり育った環境の色が濃く残っていたからです。まるで「文明の衝突」だなと笑ったこともありましたが、違う環境に育った人間が一緒に鍋をつついたり一つ屋根で暮らしたりすると思わぬ常識の差が随所にあって、時にはそれが不和のもとにもなりかねません。相手を思いやると言う観点さえあれば流儀の差なんて何の問題もないのですが、ちょっと思いやりを忘れると形式や常識の違いは衝突の元です。寒い場所、暖かい場所、山間と海辺、都会と田舎、団地と長屋、立地環境によって気質も流儀も違いはありますが、人と人は全て対等です。お互いの欠点は直していいところは認め合う、そんな調和精神があればまた一つ気持ちのいい流儀が生まれます。


あの人はいま
2011/02/08  たくさんの出会いと記憶。あの人はいまどうしているのだろうと思う事は常々ですが、再会をはたせることはめったにないものです。高校時代ひと夏を世話になった北海道の漁師家族。あの時の純朴なよく笑っていた小さな女の子はもう40才をこえた女性になっているのだと思うと不思議な気がします。よくしてくれたお父さんやお母さんはまだ健在なのだろうか、手紙は数回書いたけれど結局まだ会いに行けずにいる自分。遠い旅先で意気投合して朝まで一緒に飲んだ名前も定かでない人たち。言葉通り一期一会の人たちはただ記憶の中にだけ存在しています。そんな記憶の引出しが頭の中や心の中に無数にあって思わぬ時に忘れていた箱がぽこっと引出されます。しばし物思いにふけってまた引出しは元に戻すのだけれど、引出しの中から出て来たその時の心境や場所や会話などがしばらくぐるぐる回って時空が不安定になります。あの人はいまどうしているのだろう。テレパシーは時空を超えます。

 

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