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2009

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政治家の心
2009/07/01  たとえ私財をなげうってでもこの国を良くしよう、社会的弱者を少しでも助けよう、私利私欲に走る虚しい風潮を体を張って是正しよう、夢を持てる未来のためにも子供と老人が安心出来る社会をつくろう、質の高い教育と医療が誰にでもどこにでも行き渡るようなシステムを作ろう・・・などなど政治家を目指す人達が当然持つべきこころざしは幾つもあると思います。

でも現実は貧相な想像力とあさましい心根のおおよそ政治家にだけはなってはいけないような人間が多々いて、彼らが選挙で当選するのだから恐ろしい国です。権力やお金のために政治家を目指すなど罰当たりもいいとこです。利権、癒着、不正などで懐に入れるお金は国民の血税なのですから。政治家や官僚の中にもまともな人が少なからずいると思いたいですが、現状を見る限りごく少数でしょう。もし相当数いるならばあまりにも勇気がないか自己保身に固まっているか、国の中枢にいるという自覚を忘れ去っているかです。

5年前に、ちょうど今と同じように政権の腐敗と無能力が露見して政権交代が起こりそうになりましたが、小泉前首相の厚顔無恥な言動に扇動されぶっ壊すはずの自民党は延命しました。あれから5年、規制緩和と民営化と言う聞こえのいい政策がもたらした現状には多くの人が憤りを感じているはずです。もし民主党政権が実現したとしても一人一人の政治家の質が上がらない限り大差はないと思うけれど政権交代は必要です。政治に変動を与えれば積年の癒着や腐敗はもっと露呈するでしょうし、少しでも不正が減ると思うからです。

 

豪雨と鴨の親子
2009/07/02  小雨の中、鴨の親子が仲良く川面に浮かんでいます。つい先日、親ガモをちょこちょこ追いかけていた5羽の子供達はすっかり大きくなって親と見分けがつきません。雨で水かさのました川だけど気持ちよさそうに泳いでいます。買い物の帰り雨は土砂降りとなって川べりにさしかかるとさっきの鴨たちが土手の上から濁流を眺めています。泳ぎ上手な彼らも危険を感じて避難したのでしょう。きれいに横に並んでそれぞれが心配そうに覗き込んでいます。

肩を寄せ合う後ろ姿がなんとも可愛くてそしてちょっと不思議な感じに見えました。避難するカモの様子を見た事がなかったからでしょうか。動物はかしこいものです。それにしてもいつも泳いでる魚達は大丈夫なんだろうか。ごうごうと流れる川、人間なら溺れてひとたまりもありません。あれこれ考えながら帰ってニュースを見ると豪雨で大きな被害が出た九州地方の映像が流れていました。川の氾濫で大変な事になっています。自然の猛威に対して人間は無力です。これ以上豪雨がつづかなければいいなと思いながら見ていると民家の納屋にカモの親子が避難している様子が映し出されました。九州でもここ兵庫でもカモの親子は避難上手です。


時代と時間
2009/07/03  父の日記が出て来ました。50才で他界した時僕はまだ14才、父の過去とか人生観を理解できる年齢ではありませんでした。同級生や友人とお酒を酌み交わしてあれこれ人生観を語るようになって、もし父が生きていればいろいろ話したかったなと思う事がしばしばでそれは父も同じだったろうと思います。

日記は太平洋戦争前後の不穏な時代の断片ですが僕の知らなかった父の過去が綴られていて興味ぶかく読みました。母や父の友人、知人から聞いたもろもろの記憶を寄せ集めながら読んでもつながらない部分が多く謎解きのような期待があります。食べるための仕事の合間をぬって絵の修練を続けていた父のやるせない心境、戦争への理不尽な思い。

言論の自由がない時代ですから直接的な批判は避けているけれど文脈の背景にそれは読み取れます。軍国主義の怒濤の中で心深く苦しんでいた人がどれだけいたかと想像するだけで心が痛くなります。日記の随所に出てくる「友人とビールを飲む」のひとときどんな話題を話していたのでしょうか。全体に深刻なトーンの日常ではありますがそれでも仕事、スケッチ旅行、京都、大阪、神戸での友人との邂逅など密度が濃く時間がゆっくり流れているように思えて不思議な感があります。平穏であらゆるものが便利になって何かする時間は当時より多くつくり出せるはずなのに何故かせかせか。日記を読んで自分の日常を考え直さないといけないなといけないと思う次第です。

 

ヨーロピアンジャズ
2009/07/08  ヨーロピアンジャズとはどんなものだろう?知人にビルボードライブのチケットをもらったので出かけました。会場はほぼ満席で雰囲気も上々。バーボンのロックを一杯注文して待っていると3人の白人が静かに現れてさりげなく演奏が始まりました。ジャズ=黒人のイメージがある僕にはちょっと奇異な感じがしましたが日本の童謡から演歌、ビートルズのナンバーまで洗練された気持ちのいい演奏でした。ピアノ、ベース、ドラム。それぞれの感性が連動して流れて一つになって心地よい調和が生まれます。

ジャズには虐げられた黒人の歴史と人間性回復への魂の叫びのような側面があってそれは現在もまだ続いているのだけれど、いつの日か完全に人種が融和すればいいな、などと考えながら聴いていたらあっと言う間にラスト曲になりました。白人、黒人、黄人。キリスト、イスラム、仏教。ジャズ、クラシック、ロック。区別する事は悪い事ではないけれど、ともすればそれが差別になってしまうから気をつけなくてはいけないと思います。要は人間性、要は音楽性、要は一人一人の心の問題です。


 

ベルサイユの子
2009/07/11  神戸新開地、大阪新世界と同じく名前とは裏腹にどこか古さとボロさが残る好きな町です。先月この町の神戸アートビレッジセンターで演劇を見た帰り一枚のポスターが目にとまりました。大きなリュックを背負った青年が小さな子供の手をひいている写真です。とてもいい絵でしばらく突っ立って見ていました。映画のタイトルは「ベルサイユの子」。来月公開されたら見に行こうと思っていた映画です。やっと今日。会場はこじんまりした空間で今日からだと言うのに7分の入り、混雑を覚悟していたのでほっとしたけれどさみしい思いもします。

昨年急逝した主演のギョーム・ドパルデュー演ずる青年ダミアンと少年エンゾの人間関係はあのポスターで見た時に感じたものと同じで飾らない、べたべたしない、でも心が通った暖かいそして厳しくも寂しくもありました。こんないい映画をなんで大きな劇場で封切らないのかとつい思ってしまいますが、今の日本ではいい映画はドロップアウトです。ハリウッドの娯楽映画もいいけれどこのフランス映画のように社会や生き方や人間のあり方を考えさせるような映画を優先して公開して欲しいなと思います。大劇場で公開しても興行的になりたたないのは分かりますが、こんな映画が流行るような国にならなければとても文化国とは呼べません。ベートーヴェンの第九を歌う人達、ゴッホの展覧会に列をなす人達、みんなどんな映画を観て、どんな生き方をしているのでしょうか。

 

右往左往
2009/07/13  自民党の混迷ぶりには呆れ果てます。国民不在はもともとですがここに至っての醜態ぶりを見るとよくぞこんな連中が公正な選挙で選ばれたものだと思うと同時に選挙民の眼力にも不安が募ります。我欲、保身、権勢欲。横着と無神経だけで生きているのではないか?と思うほど節度とやさしさに欠ける人達。一国の民を導くにはあまりにも薄弱な智慧と精神です。

まともな政治家を選ぶための装置、エゴイズムや醜悪な心を察知するとガーガーなる装置でもあればいいのですが現実は耳ざわりのいい口先だけの演説にだまされる事が多々あってそれが今をつくっています。5年前方向の誤った小泉丸に意気揚々、我先にと乗り込んだ自民党議員の人達。阿部、福田、麻生と船長は変わっても船の針路と構造が歪んでいるのですから自沈は避けようがないでしょう。麻生降ろしの問題ではありません。もっと大きな日本と言う船、さらに大きな地球と言う船が危ぶまれる時代に今の自民党議員の行動は姑息に過ぎるのではないでしょうか。何党うんぬんより、政治家一人一人の人格を見抜かなくてはいけませんが、どちらにせよ長く続きすぎた政権を交代させるのは国民の義務でしょう。


 

友犬
2009/07/16  炎天下の昼下がり、動物園のフェンスの外側にもたれるように建てかけられたベニヤの陰でおじさんが眠っています。寄り添うように眠る犬も何かを夢見るようです。路上生活のおじさんと犬。ダンボールなどの廃材を集めるリヤカーも生き物のように眠っています。京都三条の橋の下、神戸の堤防の一角。同じような光景を見た事があります。人と犬。人が犬を守っているのか犬が人を守っているのか、人が犬を慕っているのか犬が人を慕っているのか、全く同等の関係が何とも微笑ましく見えます。痛々しい現実の中でお互いの存在感、お互いの価値を認め合ってる友人のようです。

人と犬との友情。人と人でも人と亀でも人と猫でも人と鳥でも命あるものは対等です。友情とはその対等感の象徴のような感情だとおじさんと犬との寝顔を見ながら考えます。必然性もなく深い情もなくペットショップで生き物を買って、あげくの果てに放置する人がいる一方で可哀想な野良犬を友人のように大切にするおじさんもいます。空き缶やダンボールを懸命に集め働いた数百円の対価で得た食べ物をおじさんと犬とは分かち合って生きています。友犬、やっぱりこの関係は友人です。

 

高野山
2009/07/19  夕刻から高野山に登る人は少ないけれど平坦な山間の聖地を散策するにはこの時間が一番です。瞬時、平衡感覚を失いそうになるケーブルに乗り込むと大きな荷物を持った人達、宿坊に泊まるのでしょうか、が数人いるだけで軽装は僕たち2人だけ。

観光客のほとんどいない静かな道を女人堂から奥の院までゆっくり歩きます。土産物屋さんなどのお店はそろそろ店じまいの様子。小学生の頃に来てから今まで何回ここに来ただろう?などと考えながら古木と寺院が密集する不思議な空間を辿ります。山頂によくぞこんな平坦な空間を開き百幾つもの寺院を建てたものだと感心しますが山頂と言うのは間違いで高野山とは1000m前後の山々の峰に囲まれた盆地状の平地の地域を指すと言う事です。高野山とはそれら山々の総称と言うのですがややこしい話です。

とにかく僕の中では一個のぼこんとした高野山です。ユネスコの世界文化遺産に登録された事もあって外国からの訪問客も増えました。そう言えば先ほどからすれ違う数少ない観光客はみな外国人です。宿坊での夕食前の散歩、いいものです。樹齢1000年以上の樹々が林立する幽玄な雰囲気はまさに聖地。杉の巨木を仰ぎ見るだけで謙虚な心持ちにならざる得ません。空、風、火、水、土。奥の院の林間に無数に立ち並ぶ大小の五輪塔もまた時空の年輪を感じさせます。

 

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