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2009

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シューベルトの胸像
2009/05/04  小学4年生の時に級友からもらった誕生日プレゼント。かれこれ50年近くになるのにこれだけは今も手元にあって不思議な気さえします。卓上における小さな胸像。赤塗りのシューベルトは少し黒ずんで所々白い石膏が見えていますが聡明でやさしそうな顔はそのままです。5年の時に級友は転校してしまってそれっきり。消息は分からないけど元気にしているんだろうかとふと思います。

科学好きだった級友の誕生日に僕は何をプレゼントしたんだろう。きっと科学図鑑のようなものだったと思うけど定かではありません。いいかげんなものです。時は流れ齢を重ねいろいろな事があったけどこの胸像と対峙した時にはしばし時がとまったように感じるのはあの時の時空がしみ込んでいるからでしょうか。偉大な作曲家、素晴らしい名曲は数々あるけど今もシューベルトの曲はことのほか胸に響きます。あらためて前田君、素敵な胸像をありがとう。

 

そんなに急いでどこへ行くの
2009/05/05  高速バスの名のとおりハイスピードで走るバス。それでも軽自動車がすいすい追い抜いて行きます。車の性能はすごくなったなと昔の軽自動車を思い出しながら、そう言えば友人のスバル360が坂道でパワーダウンして4人で押して上がった事もあったなどと笑いがよみがえります。「リヤカーの方がましじゃないか」などと冗談をいいながらうんうんと押した当時は中古のスバルでも高見の花でした。その後仕事でもプライベートでも車は何台も乗ったけれど危ない目にも幾度か遭いました。

崖から落ちかけたり暴走族に鉄パイプで車をぼこぼこにされたり命からがら。幸い無事だったけど全ては紙一重でした。思う事あって車どころか自転車さえ乗らないようになって15年余り。エコも意識にあるけど歩く事、電車で旅する楽しさに気づいた事もあります。車が絶対条件になってしまった現在の田舎なら致し方ないけど都会なら車なしで過ごせる人は少なからずいると思うのだけど車は減りません。それよりもそんなに急いでどこへ行くのでしょう。


頭と心そして体
2009/05/07  あの人は頭がいいなとか鍛えあげられたいい体してるなあとの言葉はよく聞かれます。それに比べてあの人は心がいいなとか鍛え上げられたいい心をしてるなとはあまり聞きません。実体は定かではないけど「心」の存在は大きく「心」と言う言葉は日常会話にでも飛び交っています。「それは心の問題だね」とか「あの人は心が冷たいね」とか頻繁です。心とは自分以外の存在に対する配慮と尊敬と思いやりの深さに対する指標みたいなものだと僕は思っていますがそれは結果自身を映す鏡の役割をはたすものかも知れません。頭の問題も曖昧です。頭のよさが知識や学歴に由来するだけのものではない事は政治家を見渡すだけでも明らかです。経済的にも恵まれ高度な教育を受けた人間が何故にあんなに思慮のない発言や行動をとるのか?と呆れ果てている人も多いのではないかと思います。

「知識ではなく智慧が大切です」とどこかのお寺の掲示板に書かれていましたが知識は記憶力、智慧は思考力だと言える部分はあると思います。たしかに思考するためには知識が要ります。でも大切な知識は教科書や参考書の中にではなく小説や詩などの文藝の中にあります。音楽もしかり、美術もしかり、いっぱいあります。日本の受験制度に大きな問題がありますが試験に受かるために無数にあるそれらの多くに学ぶ機会を失うとしたら恐ろしい事です。何故なら試験のための知識は智慧にはなりにくいと思うからです。

旅先で見知らぬ人に励まされたりごちそうになったりして人のやさしさを感じるのも大いなる知識です。実体験ほど役に立つ知識はないと思うけれどいいも悪いも体験は偶然性によるところもあってリスクも少なくありません。暴走族に襲われて恐怖した事や暴漢に怪我させられた事は消えない記憶の一部ですがそんな悪い体験でも役には立ちます。どんな暴力もいけないと体感させてくれたからです。痛すぎましたが。環境汚染は地球の存続の問題で最重要課題ですが「心の汚染」もまた人間にとって最重要課題である事は間違いありません。

 

昔懐かしい洋食屋さん
2009/05/09  炎天下の街。電車を使わず靴擦れが出来るほど歩いて歩いてギブアップ。ここからはバスに乗ろうと停留所を探すと懐かしい看板が目に入りました。古い洋食屋さんです。のどはからから、「名代とんかつ」と言う文字にもひかれて店に入ると絵に描いたようなコック帽をかぶったおじさんがいました。とんかつ定食をお願いします、注文すると同時に電気の消えていた厨房は活気を取り戻します。かなり年配のようだけど動きはシャープ。長い帽子が空間を勝手に動いているようです。

「あのう、ビールの小瓶か中瓶はありませんか」冷蔵庫の横に置かれた大瓶を見ながらたずねると、「暇だから大瓶がちょっとあるだけで何もないんですよ」しばし間があって「私が飲んでる缶ビールならありますけど」そう聞いて「ではすいませんがその缶ビールを一つ分けて下さい」と言うと素早く缶ビールが出てきました。ごくん。美味しい。昼間だし、まだ用事もあるからこれぐらいにしておこうと考えているとトンカツが出てきました。見た目にも美味しそうです。みそ汁の味もばっちりでぱくぱく食べているとおじさんは店の隅の客席に座りました。そして読書。よく見れば文庫本がテーブルの上に数冊置かれています。

「よほど本がお好きなんですね」「はい昔から読書が大好きで暇な時はここで読んでるんです」「長い帽子をかぶったソクラテスですね」と会話がはずんで缶ビールもトンカツもなくなりました。「一本ビールを抜いてこちらへ来て一緒にやりませんか」と言うと「いえいえ私は飲まないんです」「それは残念」。「私は飲むと一杯ではすまないのです」と真顔で言うから笑ってしまって「じゃあコップ2杯だけ飲んで下さい。

後は僕が飲みますから」結局大瓶が一本空く間あれこれ話しました。昔と今、本、映画、生活、政治。「料理とお話をごちそうさまでした」と店を出て思いました。こんな素敵なお店が一つまた一つと消えて行く世の中はどこか間違ってるな。料理もビールも情が通ってこそ美味しいものではないでしょうか。


片目のジャック
2009/05/11  買い物帰りの公園のベンチ。一息つこうと袋から缶コーヒーを出して飲んでいると何か視線を感じます。はて、周りには人気もないし気のせいかと思ってコーヒーをゴクリ。夕暮れの空はきれいでそばを流れる川の音も爽やかです。このままこの季節が続けばいいなと思いながら袋からお菓子を取り出そうとしたら草薮から野良猫が一匹出て来ました。袋のカサカサとした音につられたのでしょう。ではさっきからの視線はこの猫に違いありません。やせ細った黒猫です。可哀想に片目が塞がっています。怪我をしたのでしょうかそれとも病気でしょうか。舌打ちして呼んでみると逆に薮の中へ入ってしまいました。

きっと人にいじめられたのでしょう警戒心の強さが食べ物への欲求を抑えています。野良猫へ食べ物を与える事には賛否両論考える部分はありますがこの猫には何かあげたいなと袋の中のちくわを出して食べやすい大きさにちぎりました。隠れた薮のあたりまで行って様子を見ても気配はありません。どこかへ行ってしまったのかと残念に思って座っていたベンチを振り返るとベンチの後ろにちょこんと座っています。さっきの片目のジャックです。後ろから回り込んでいたのです。逃げないようにそろっとちくわを投げてやると一つくわえては薮の中へ。また投げるとまた薮の中へ。

ちくわ一本瞬く間でしたがこれ以上食べてお腹を壊してはいけないのでさよならを言って立ち去りました。見渡せば周りは大きな家がずらり。野良猫一匹誰か面倒見てくれればいいのにと思うけれど考えれば路上で生きる人間でさえ面倒見ない世情だから致し方ありません。

 

手紙とメール
2009/05/13  10年ぶりになります。古い古い友人に手紙を出しました。手紙以外に連絡のつかない友人です。今どき携帯もパソコンも使わないなんて奇特だと思うけど考えれば何もかもデジタルになったのはついこないだの事です。久しぶりに自筆の手紙を数枚書いただけでショックを受けました。字が下手なのはともかく漢字は思い出せないし文章も何か変。手で書くと言う事はキーボードを打つ事とは全く違う精神性がいるようです。何とか気合いを入れて書き終え投函しました。

それから数週間。郵便受けに返事が入ってました。わざわざお手紙ありがとう、何回も何回も読み返しました。と文面にあります。いろいろ書いたけどちゃんと心が伝わったのだろうかと心配になりました。メールのように送信済みのメールは手元にありません。控えは頭の中に残っていますが書いた文章そのものはその通り覚えているわけでなく不安が残ります。「手紙」とは字の形、字の力、文の形、文の流れ、心の温度、心のもつれ、などなどがぎっしりつまった贈り物なのだとあらためて思いました。次回からはもっと心して書こうと返信の熱き文章を見て誓いました。


煮昆布とごぼう
2009/05/15  糖尿病が発覚して2年余り。お医者さんには申し訳ないけれど処方されたたくさんの薬は数日飲んでこれでは根本的な治療にはならないばかりか副作用の弊害があるなと自覚してから食事療法に切り替えました。玄米、大豆、ごま、昆布、かぼちゃ、椎茸、山芋、キャベツ、ピーマン、ごぼう、こんにゃく・・・。糖尿病に良しとされる食物をなるべく採るように心がけ、菓子やジュース類等の甘いものは極力採らないように努めた結果体調は徐々に回復しましたが血糖値等危惧される数値には大きな変化は起こりません。

体調が良くなれば人と会ってお酒を飲んでしまうと言う習慣が根本的な治療の邪魔をしているのは間違いありませんが、これこそ一番操作しにくい問題です。それでも以前と比べれば1/3ぐらいにはなっているのですが1/5ぐらいにせねばならないと自戒する毎日です。

食事療法だけに切り替えてから食材の目利きや料理の心が少し分かるようになったのは大いなる収穫ですが、煮昆布やきんぴらなどが美味しく出来ると誰かに食べさせたいと思うのが人情で、いつの間にか人にあげるために料理を作ってる自分に気がつきました。自分はその余りをいただく。考えてみれば何事に限らず誰かのため、つきつめれば愛している人のためにしか人間は努力出来ない生き物だと僕は思います。市販の高価な塩昆布でも出せない味。個人的な、そして明確な思いがこもった味は体にも心にもいいはずです。

 

インフルエンザとマスク
2009/05/18  海辺で寝転んでいると一艘のカヌーがすいすい走っています。浜辺にも海にも動くものは他にないのでカヌーが際立ちます。「意外ととスピードが出るものだなあ」等と考えながら見ていると漕ぎ手がマスクをしています。近所の大学生でしょうか。

学校でマスクを義務づけられているのかも知れません。それにしても誰もいない海上でマスクの必要はないでしょう。歩いていても電車に乗ってもほとんどの人がマスクをしていて異様です。空気感染ではないのだから人と人の距離が接近していない場所では要らないと思うのですが何か右へならへ的で嫌な感じです。自分が風邪気味で人へうつしては行けないとの配慮からマスクはするもので自分だけはうつりたくないと思っての使用ならもっと考えてやるべきです。

そのせいでマスクはどこも品切れで本当に必要な人の手に渡らないかも知れません。喫煙にしてもそうですがみんなが止めるから止めますと言うのは主体性がなさ過ぎます。自分の意志で自分の考えで止めるべきものです。大体そんなに簡単に止めれるなら今まで何故吸っていたのか聞きたいものです。自動車が全く見当たらない細い道ですら信号が赤なら止まる人。

車が行き交う道路でさえ信号無視で横切る人。交通規則は命の安全に関わるものですが最終的には自分の判断が必要です。人がいつ飛び出してくるか分からないような路地でさえスピードを落とさない心ないドライバーなどは問題外ですが、信号無視のドライバーもいます。信号に頼って左右を見ないで渡る人を見ると怖くなる時があります。何事によらず個人の考えで判断する癖をつけなければ自由な社会は遠のくばかりです。

 

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