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2009

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偏狭と偏見
2009/03/01  寒い冬空と体温を奪う風に吹かれる度に思います。天王寺の路上小屋に住んでいた人々はどうしているんだろう?なんとか生きていてくれればいいなと思いを馳せます。缶集めやダンボール集め、日雇いの仕事に精を出していた人、細々と包丁やハサミを安い値段で研いで生計を立てていた人。缶ビールや缶詰を手みやげに訪れると恥ずかしそうにに笑って迎え入れてくれた人々。誰にも迷惑をかけずに慎ましやかに生きていた人々を大阪市は追い払ってしまいました。

交流すればすぐに分かることですが彼らの多くは教養も優しさもある感じのいい人々です。敢えて問題を探すなら彼らは束縛をされるのが嫌いで人と争うのが嫌いな人が多いようで、でもそれは欠点とは言えないでしょう。飽く事もなく振込詐欺を続ける人間、偽装や汚職など当たり前だと言わんばかりの人間が闊歩する時代において路上にダンボールやベニヤの家を作って小さなコミュニティーを作っていた人々はどう考えてもまともな人です。そんな彼らを襲撃したりいたぶったりする人間もいます。人間ではありません。おもしろ半分に白鳥や猫をボーガンの矢で射抜くような輩です。人間ではありません。無知故の偏狭と偏見。それが恐ろしいのは暴力と直結する危険性があるからです。


 

自然療法
2009/03/02  一年前に糖尿病を心配した友人がくれた一冊の本。病院の薬による治療に疑問を感じて一切の薬は飲まないと公言していた僕を案じての参考書ですが読んでみて大いに感じ入る事がありました。東城百合子さんの著書、昭和53年初版の「自然療法」と言う本ですがあらゆる病気に対する自然食の効能が事細かに書かれています。著者は昭和24年に重症の肺結核を玄米自然食によって克服し自身の体験をもとに自然療法の研究を深められたのですが読んでいてなるほどと思わせられる記述が随所にありました。

以来一年、この本を参考に自分なりにアレンジしてなるだけの実践をした結果明らかに体調は良くなっています。週に2回ほどの外での会食でお酒や料理をあまりセーブせずにこれだからもっと厳密に食事療法を実践すれば確実に治るだろうと言う思いです。でも少しよくなれば気が緩むのが悪い癖で下手すれば一年の節制が水の泡。そんな思いもあって「自然療法」をも一度最初から最後まで読み通しました。そしてあらためて思ったのです。病気は本人の治そうとする自主的な意志と自然の持つ治癒力を利用する事が一番大事ではないかと。多くの病気はストレスから来ていると日頃から思っている僕ですがストレスの多くは「不自然」な日常から派生するのも確かで食に限らず「自然」はやはり心身双方のキーワードに違いありません。


 

定額給付金
2009/03/03  何でもかんでもお金の世の中、無償でくれるなら例え1万でもありがたいと思うのは個人的エゴで考えればそれは税金。2兆円+給付を決定するまでの無駄な時間と経費+給付を実施するための膨大な事務費用。しかも100円のお金さえ本当に助かると言う思いの路上生活者などには手渡されないと言う理不尽。税金を使う前にお金が潤沢にあるさもしい政治家はまず自分のお金を使えと言いたいです。

2兆円あまりのお金をほとんど無目的にばらまく事の無意味さは誰が考えても分かる事だし国民の多くが首を傾げてるのに実行されてしまうこの国の政治。2兆円あれば、本当に急を要する幾つかの問題に処置を施す事が出来ます。失業者のための側面援助、職業訓練や住居の問題など解決出来ます。介護の現場も改善するには支援のいる事ばかり、医療だって、教育だって資金を必要とし急を要する事は幾らでもあります。あなたがもし2兆円を自由に使えるとして最も能のない無駄な使い方は?と聞かれたら「定額給付金の実施」と応えるでしょう。それぐらい馬鹿げた税金の使い方です。能がないならせめて使い道は地方に任せればいいじゃないかと思います。


 

ブロークンウィンドウ理論
2009/03/03  随分前にアメリカのある街で治安の悪さをいかにしたら改善出来るだろうと考えた末、とにかくガラスの割れた空きビルを修復し落書きやゴミ等をなるだけ放置しないようにしようと言う試みがあって結果犯罪が激減したと言う話がありました。自分には関係ないからと小さなゴミ一つ拾おうとしない人間が集まれば社会は荒廃するのは当然で公園に吸い殻や弁当のゴミを平気で捨てる信じられないような無神経人間が増えます。公園のみならずアルプスや富士山にさえゴミを残してくるような人間はどのようにしたら生まれるのか不思議にさえ思いますが結局は自分さえよかったらいいと言う子供の頃からの小さなエゴイズムの積み重ねがそのような悲しい人間を生み出すのでしょう。

寺の仏像を盗んで売り飛ばす人間、電線やガードレール、とにかくお金のためなら何でもやるような人間が増えて、その最たるものが政治家と言うのではブロークンウィンドウどころかブロークンジャパンです。今話題の東京中央郵便局の立て替えに関して鳩山大臣は「お金のために文化財を壊していいのか」と語気荒く言ってましたが、まさにそれこそが戦後自民党政治がやって来た現実です。民営化、規制緩和、自由競争と言えば聞こえがいいですが、小泉政権が強引に押し進めた行政は日本の国、日本人の心を破壊しつつあるのは確かです。


 

海と船とオムライス
2009/03/06  久しぶりの神戸の港。小さな船が仲良さそうに肩を並べる様子は子供の頃から慣れ親しんだ風景です。老朽化して味のある船はないけれど木造の小型船を見るとノスタルジックな気持ちになります。さてポートタワーに上ったのは何年前だろう?と考えながら施設に入ると深閑としています。シャッターの閉まったお店も多く数件の喫茶店と土産物屋が開いてるだけです。対岸に新しく出来た集合施設に根こそぎ客を奪われたのでしょうか。どこでもなんでも弱肉強食、新しいものが古いものを殺して行く世相です。さてお腹がへったので何か食べようと見渡すと喫茶店の陳列ケースのオムライスに目がとまりました。

美味しそうです。中に入って注文するともっと美味しそうなオムライスが出て来ました。一口食べるともっと美味しくて幸せな気分になりました。足の悪いおばあさんがよたよたと運んでくれるオムライス。帰りに厨房をのぞくと作っているのもおばあさんです。美味しいはずです。どんな一流の料理店で腕を磨こうがこの味は無理。おばあさんの中にある経験、家庭でもお店でも黙々とオムライスを作り続けて来た人間性の味なのですから。海と船とオムライス、青い海、白い船、黄色いオムライスに赤いケチャップ。絵になります。


政治家よ大志を抱け
2009/03/08  政治家よ大志を抱けとでも言いたくなるような堕落三昧。破廉恥としか言いようのない無責任な言動。我が身を削ってでも人々を助けより人間的な社会を創造するのが政治家の本分のはずなのにあまりにも姑息な政治家が多すぎます。口先で何を言ってもその人の生き様を見れば人間性は明らかです。それは人相や言動に露骨に現れているのだけどそれを看過する国民の意識も問題です。自分の保身と貪欲しかないような人間が選挙で選ばれるからです。政治家になってお金を儲けたい人間、自分の名誉や権力目当ての人間、自分は賢いのだぞと言わんばかりの馬鹿な人間。どれもこれも政治家だけにはなっては行けないと思うのです。人のためを常に考えてこそ政治家です。小賢しい算術や要領等は不必要な職業、唯一心が必要な職業。それが政治家だと思うのです。


 

ゴミと青年
2009/03/09  小鳥がさえずり野良猫が気持ち良さそうに日だまりで暖をとっています。ここは水のきれいな川沿いの公園です。古びたベンチに腰を下ろしてリュックから缶コーヒーを取り出してごっくん。美しい景色に見入りながら飲むコーヒーは格別です。空も木々も川も絵になるなと思いながら足下を見るとタバコの吸い殻が散乱しています。横を見るとビニール袋に入った弁当の空き箱が転がっています。最悪です。「一体どんな人間がこんな無神経な事をするのだろう!」と腹立ちながらビニール袋を拾ったついでに吸い殻も片付けました。ベンチの横に拾ったゴミをおいてコーヒーを飲んでいると一人の青年がゴミを拾いながらこっちへ来ます。すぐ近くまで来て飲んでいる缶コーヒーと横のゴミ袋をちらっと見るので声をかけました。「僕もゴミを拾っている側ですから」そう言うと青年は「ありがとうございます」とおじぎをしました。恐縮して思わず「こちらこそありがとう」と言葉を返しました。自分のゴミを捨てる人間と他人のゴミを拾う人間。人間なんでこんなにも違うのだろうか。エチケットとかマナーとか以前の問題だと思うけど悲しいほど無神経な人間が増えているような気がします。


 

 

オブラートのような月
2009/03/10  夕暮れの空に風に揺れそうなほど薄い満月が出ています。形も大きさも日々それぞれでいつ見ても飽きる事がありません。今日のお月さんは大きくて淡くてまるで向こうが透けて見えるようです。月の実像を知らなければ摩訶不思議な神秘の天体です。話し好きだったおばあちゃんは火鉢で大好物の酒粕をあぶりながら高校生にもなった僕に言いました。「知ってるかい?月ではウサギが餅をついてるんだよ」話を合わせて「そうなの?」と言うと「お前は何も知らないんだねえ」「お前は目が悪いのかい」白内障で目の前の酒粕さえ手探り状態のおばあちゃんは呆れたように僕を見つめます。小学校も出ていないおばあちゃんは自然に対して夢一杯の持論を持っていて何かにつけて教えてくれます。お陰で知識は若干混乱したけれど何よりも思う事、夢を持つ事の素晴らしさを教えてくれたおばあちゃん。満月を見るたびにウサギではなくおばあちゃんが火鉢の前に座っているようにも見えます。


笑顔とデザイン
2009/03/11  人に声をかけたり会釈をした時に笑顔を返されると気持ちのいいものです。とりわけ老人の笑顔には深い味わいがあって苦労や喜びに刻まれた無数のしわから来るのかも知れません。人の顔も背中も歩き方も話し方もその人が作り出したデザインです。生まれつきの容姿や環境ではなくまさにその人の生き様が姿形に現れます。それが教育や知識によるものではない事は多くの政治家の顔や姿勢を見れば明らかです。経済的に恵まれ教育も十分に受けているのに何故にあんなに貧しそうであったり、無教養であるかのような人相になるのだろう?それは言動にも現れて人間とは何かを考えさせてくれます。

貧しさや障害の中でまともな教育さえ受ける事が出来なかった人の中にも賢くて心豊かな人がいます。むしろ優れた人が多いのではないかと思うぐらいです。人間とは?生きる事とは?賢さとは?豊かさとは?幸せとは?いつか四国の山中で出会った農家のおばあさんは腰が地面につくほど曲がっていました。長年の畑仕事のせいでしょうか、でもその姿は美しく日に焼けたしわくちゃの顔からは素敵な笑顔があふれていました。自然がおばあさんをデザインしたのでしょうか。

いややっぱりおばあさんの生き様が笑顔をデザインしたのだと思います。時々笑い方を忘れてしまったのではないかと思うほど頑迷な顔をした人にも出会います。いやらしい薄笑いを浮かべる人、大声で周囲を顧みない馬鹿笑いを発する人もいます。いい笑顔は上品です。上品さは謙虚さだし謙虚さは賢さそして賢さは人への思いやりだと思うのです。


 

警察官とフランス料理人
2009/03/16  友情っていいなとあらためて思いました。これを読んでくれたらいいなと思いつつ。やっぱり友情はいいものです。どんな音楽よりもどんなお酒よりも時間と空間をいとおしくさせます。初対面だけど警察官の彼はいい奴です。彼よりちょっと後輩のフランス料理人はやっぱりいい奴です。いい奴でなければ2人でお酒を飲んでいないだろうと思うけどいろいろ病んだ現代で心清らかな若者と会うと救われた気持ちになります。あまりに仲が良さそうなので君たちは幼なじみか同級生なの?と聞いたらとあるバイト先で知り合った友達だとの事。でも友情第一で生きて来た僕には表面的な付き合いではなく結構気のあった友だと言う事が伝わって来ます。あれこれ語らなくても友達。言葉に絹を着せずに言い合っても友達。警察とか国家権力は大嫌いな僕だけど今日出会った彼みたいな人間が警察官だったら大賛成。

フランス料理はちょっと苦手だったけど今日の彼が作るんだったら食べようと思います。「ねえ、警察官だったらいいお酒といい音楽を聞いて下さいね」「ねえ、フランス料理が大好きならベートーヴェンは聞いてね」と言ったら感じのいい2人は「はい」と言ってくれました。素敵な若者です。兵庫県警とフランス料理店セラヴィ。缶コーヒーでももって訪ねようと思います。


 

進歩と秩序?
2009/03/17  親友から手渡された一冊の本。音楽家メニューインの著書「音楽、人間、文明」と題された本の中にこんな文章があります。「……人間の偉大な宿命は、無限に多様な生命を調和させることであるが、これを画一性といつわりの秩序にまとめることでないのは明らかである」「たぶん現在において最も誤用されている言葉は<進歩>と<秩序>であろう。つまり『どこへ向かう進歩なのか?』また『だれの秩序なのか?』と問いたくなるのだ。これらの言葉はちょうど最近まで民主主義、社会主義、そしてきわめて遺憾な自由の概念(なんのための自由なのか?)がそうであったように、いまもなおロマンチックな反響を伝えている」これを読んであらためて思います。

はたして人間は何をめざしているのだろう?当時メニューインが感じた世界観はそれから50年の経過においてますます大きな疑問符となっているのは確かです。戦争、紛争が止む事はなく各国の軍隊はますます強化され、経済至上の誤った価値観、まさになんのための経済なのか?そして現在は本当に自由なのか?と自問すれば多くの人はそこに「?」を感じるに違いありません。

一人一人の小さな日々、一人一人の小さな良心、一人一人の小さな意識の変革なくしては世界は人間的な方向(あらゆる生命の調和)からどんどんかけ離れて行くでしょう。洗脳、扇動、自らの貪欲によって人間は計り知れないほど凶暴にも無慈悲にもなりますが、中には逆境の中でさえ計り知れないほどの品性を備え、発揮する人もいます。おそらくは誰もが持っているであろう良心や品性は自らが愛情と知性と言う名のスコップで掘り起こさなければならないものかも知れません。


 

光と風と心の時代へ
2009/03/18  オバマ大統領が進めるグリーンディール政策。雇用対策、エネルギー対策、環境対策の一つとして選択した方法は夢のあるものです。憎むべき戦争の一面が限られた資源の奪い合いにある事を考えれば世界平和にもつながる賢者の政策です。姑息な定額給付金や目先の利権、自己保身に明け暮れる政治家も多い中、一国のリーダーたる発想です。

資本家のエゴから京都議定書を一方的に脱退した前ブッシュ政権と比べれば大きな光明です。グリーンディール政策の補助を受け自分の土地に風車を設置したアメリカ人は「私には風の音がお金の音に聞こえます」と本音を漏らしましたが風力発電で利潤が上がるなら喜ばしい事です。化石燃料や原子力に変わるだけのグリーンエネルギーは無理だと言う関係者や学者もいますがそれはあまりにも想像力がなさすぎると言うものです。光と風は無限ですから。でもどう考えてもパチンコやスロットマシンの音がお金の音に聞こえる人間より、風の音がお金の音に聞こえる人間の方が人間らしいでしょう。グリーンディール政策が、光と風と心の時代への幕開けになりますよう。


星に祈りを
2009/03/19  汚れた空気の都会にいるとついつい空には星などなくて月と太陽とこの地球だけが宇宙ではないかと錯覚するけれどちょっと電車に乗って空気の澄んだ場所に行けば空には結構星があってその星の周りには我々の太陽系と同じような惑星が見えないけれど存在します。そしてもう少し電車に乗ってもっと空気がきれいな所へ行けば、それこそあふれるばかり、こぼれるばかりの星が輝いています

。無数の光のその周りに存在する見えない惑星や衛星の数を考えるとしばし言葉を失います。手の届くような太陽系の範囲さえままならぬ地球の科学。あのピカピカと肉眼で見えている一番近くの星にさえ近づくのはいまの所想像の中だけです。この小さな限られた地球。たまたまそれは極めて美しく住み良い惑星なのにその住民たる人間は感謝するどころか破壊しかねない暴挙を重ねています。

コンクリートジャングルに生まれた子供達は空に無数の星がある事や舗装された道路の下に無数の生き物がいる事を体感出来なくなっているだろうなと思うとちょっと怖い思いがします。知らず知らず心が偏狭になってしまうのではないかと恐れるからです。本や映画やテレビで知る事見る事と体感する事の間には大きな差があるような気がします。人間が汚した空気を自らの努力で払拭して都会の空に星の輝きが増え始めたとき現代人の心にも灯がぽつぽつ灯りだすのではないでしょうか。


 

HERITAGE
2009/03/21  遺産、伝統、伝承。大阪、神戸、京都。少年時代から歩き回った身近な3つの街はすっかり様変わりしてしまいました。中世の街並をきちっと再生、保存されたヨーロッパ諸国の現状を見るたびに日本人の文化に対する薄情さに悲しい思いが募ります。神戸の街をちょっと歩いてみれば数年前まで確かにあった古い木造家屋やビルが消えて駐車場やマンションに変わっています。

建築として価値のあるものぐらい国や県が何故保護出来ないのだろう?と開発と破壊を取り違えた土建国家を恨めしく思います。三宮の中華街の近くにれんが造りの味のある古いビルを見つけたので近寄るとなんと!舞台背景のように側壁だけが保存されています。側壁の一部に地下鉄の連絡口が設けられているのですがあさはか過ぎます。建築は空間があってこそ建築です。震災で傷んだからせめて外壁を残したような事が説明板に書かれていましたが今の建築技術ならそっくりそのまま補修する事は出来るはずなのにどうしようもありません。行政とゼネコンの欲と浅知恵には絶句します。

大阪はあらかた破壊し尽くされましたが京都、神戸も破壊は進んでいます。世界遺産とか文化遺産とか言葉は飛び交っていますが建築とは何か?景観とは何か?文化とは何かを考えればこのような事は出来ないはずです。そして環境とは何か?命とは何かを考えれば懲りずに続ける干潟の埋め立て工事等は犯罪だと言う事が分かるはずです。物はただ物ではなく多くの人々の思いが詰まった物です。景色はきれいなだけでなく多くの命が現実に生きている場所です。JRの三都物語と言うロマンチックなポスターを見るたびにその裏にある日本の文化意識にやるせなくなります。



未知なるもの
2009/03/23  とある歯科の待合所。不安そうに時間を待つおばあさんに「また寒くなりましたね」と声をかけると「暖かかったり寒かったり変な気候です」と笑顔が返って来ました。歯の治療の話は痛みが増幅するのでさけてあれこれと世間話。いろんな場所、電車の乗客やタクシーの運転手さん、お店の人やお店の客など日常の中で見知らぬ人と話す事は多々あります。

声をかけたりかけられたりたまにはしかめっ面を返されたりしますがほとんどは気さくな笑顔が返って来ます。1日に見知らぬ人2人と会話したとしたら1年で700人余り。10年だったら7000人。日常での見知らぬ人は次に出会ったらもう知った人です。旅先ではもっと多くの見知らぬ人と出会いますしまるで旧知の間柄のように意気投合する事もあります。見知らぬ場所で思わぬ発見をするように見知らぬ人との会話ではっとさせられる事。職業によって、年齢によって、郷里によって、食べ物によって、病気やケガの体験によって僕にとっては未知なるものが飛び出て来ます。知らない事を知る事。短時間のごく表面的な会話の中でさえおや?と思うのだから人間はそれぞれ未知なるものの固まりだなとあらためて思います。


便りがないのは元気の印?
2009/03/24  元気でやってるだろうなと思いつつも会えなくて半年ぶりに訪ねると癌の手術で一大事。もう大丈夫と笑顔で言うけれど精神と肉体の消耗は見れば分かります。いらぬ心配をさせまいと連絡しないのも人情だけど今の時代それぞれが忙しすぎるような気がします。拝金主義の人達は勝手に自分を束縛しているし、生きるためにお金はいるけど人生はお金じゃないと精神性を優先して生きてる人は必然的に苦難が多い世の中。友人知人のほとんどは後者のタイプですが自分がそうだから相手の気持ちや状況もよく分かります。

人間的な行為、当然の発言をしただけで眉をひそめる人達の神経は全く分からないけれど電車内などで行儀の悪い迷惑な人間に注意するのも命がけの恐ろしい時代になった事は事実です。病気や不慮のケガだけではなく精神を病んだ人間の暴力に巻き込まれる可能性もある何とも言いがたい現状。凪ぎる事のない海のように催されるスポーツイベントの熱狂の背後で人間の心を蝕む病魔がどんどん進行しているような気がします。いつでもどこでも連絡出来る携帯電話の普及に反比例するかのような人間関係の希薄さ。「便りがないのは元気な印だよ」と言って子供から2.3年連絡がなくとも泰然としていたおばあちゃんも今生きていたら携帯で毎日無事を確認しているかも知れません。


 

グローバル化と意識の矮小化
2009/03/25  地球上の大まかな情報は居ながらにして知る事が出来るほど世界は身近になったけれども意識は世界どころか他県での出来事さえ、他県どころかすぐそばの出来事さえ関心を持てない人が増えているように感じます。通信網や交通網の発達につれて人の意識や行動も拡大するかと思いきやどうやら反比例するようです。米国や中東まで行って応援する野球やサッカーファンは一昔前なら(経済的にも時間的にも)考えられないけどそれは近所のおばちゃん、毎年ハワイへ行って同じチョコレートをお土産に買ってくる行動と大差ないのではと思ったりします。

CNNのニュースを読めばアフリカのスーダン西部のダルフール地方の紛争で今後数ヶ月内に100万人にも及ぶ人が食料や飲料水、避難施設の不足に直面する危機に襲われると国連が警告しています。日本でも世界でも悲惨な事件は日常的に起きています。知った所でどうこう出来るわけではありませんが、グローバル世界に生きるならせめて現実は心の片隅ぐらいには置くべきです。飛行機に乗って飽きもせずハワイに出かけるおばちゃんはおそらくスーダンと言う名前すら知らないでしょう。海外に出かけるならせめて世界中を意識に絡めて欲しいし帰国したらこの小さな日本の事ぐらい意識に収めて欲しいと思うのだけどナッツ入りのハワイのチョコレートが象徴するような現状が多々あります。一体何のための科学でしょう。


 


2009/03/26  正夢、悪夢、夢中、夢想、夢幻。夢とは一体なんだろうか?と考える事があります。明日を夢見る「夢」と眠っている時に見る「夢」と関連性はあるのだろうか?などと考えながら眠りこむとまた意味不明の夢を見ます。心理学者のユングは空間と時間は心理的には伸縮自在だと言ってますが、夢の中では自由自在の事が起こります。あまりにもユニークな夢なのでこれは覚えておこうと思ってもごく断片しか思い出せない夢が多いですが時には細部まではっきりと覚えている場合もあります。起きている時に強く思っていても関連した事柄が夢に現れるとは限らないし、自分でもこれは潜在意識から来ているなと思える夢もあります。顕在意識と潜在意識は自分ともう1人の自分かも知れません。宇宙には人間の能力では及びもつかない事が満ち満ちているのだろうけど、こと人間自身に目を向けても未知な部分はまだまだあって「ゆめ」と言う現象もその一つである事は間違いありません。


 

偶然
2009/03/28  久しぶりに大阪ミナミへ。買い物を終えて古くから知るジャズバーがこの辺りに移転したとの噂を思い出し随分久しぶりだし寄って見ようと電話をかけるとすぐ近くとのこと。前は2回にお店があったけど今度は地階です。何となくジャズバーは地下が似合うなと思いながらドアを開けると店内は活気づいていてほぼ満席。ちょうど1回目のライブが終わったところのようでグッドタイミングでした。聞けば今日はママの誕生日だそうで意外な偶然に驚きました。

味のあるヴォーカル、抑え気味で感じのいいトリオに感受性ゆたかなヴァイオリンが加わった素敵なライブでした。お酒があってタバコの煙が揺らいで会話があってジャズライブならではの空間。クラシック音楽の美しさと内面性はすごいけれどこの感覚はジャズならではです。バーボンのロックを飲みながら手の届く距離の演奏者の表情や指使いを見ているとやっぱり音楽は生きているもの、空間そのものが欠かせないものだと思い知らされます。それにしても今日がママの誕生日だとは偶然!寄ってよかったミナミの夜です。


 

破壊と再生ではなく
2009/03/29  海へと続く散歩道の一角に素敵な住宅群がありました。あまり好きではないコンクリート造ですが何ともいい感じなのです。2階建ての格好のいい集合住宅が20棟あまり上手に配置されていました。企業の社宅だったようですがなんで空き家にしてるのだろうと不思議に思うと同時にこんなデザインの家なら住んでみたいなといつもしばらく見入っていました。老朽化と言えば言えますが高層マンションと違い少し手を入れれば完璧に住めそうな家。ガラス越しに覗いたら内部もきれいな状態です。

ある日また目の保養をしようと一角を見ると住宅群は巨大なフェンスに覆われています。ああ、また一ついい物が壊されるんだと悲しい気持ちになりました。経済的な理由、ただその一点だけで破壊される建築や自然環境。開発途上の国ならいざ知らずこれだけ経済発展した日本で何故に破壊が繰り返されるのだろうと義憤が沸き起こります。そして今日、つい最近までそこにあった素敵な住宅群は幻のように消えぽっかりとまさに穴の開いたような整地が広がっています。広大な敷地に「これから建つであろうもの」を想像すると背筋が寒くなりました。これは破壊と再生ではなく破壊につぐ破壊だと思わずにはいられません。


 

カモメと鴨たち
2009/03/30  きらきらと輝く水面に鴨の親子がすいすいと浮かんでいます。信頼と愛情に包まれているように見えます。すいすいとどこへ向かうのでしょう。見上げると青空の中を一羽のカモメが羽ばたきと滑空を繰り返して気持ち良さそうに飛んでいます。気持ち良さそうに見えるのは僕の主観で本当は必死に飛んでいるのかも知れません。一直線に飛んでいます。

どこへ向かってるのでしょうか。自力で空を飛べるなんて素敵な能力だなと思わずダヴィンチの飛行器械を思い浮かべます。プロペラ、ジェット、ロケットと推進装置が進化しても自力では飛べない人間。遠くに目をやれば高空に白い筋を残しながらジェット機が飛んでいます。金属の機体に身をあずけて推進装置に故障がない事を祈りながら乗る飛行機は不安そのものです。何時の日か反重力装置が完成して無理なく飛翔出来るまでは二度と乗らないぞと思うのは僕だけではないでしょうがそれを言うと嘲笑を買います。彼方へと消え去るカモメを目で追いながらよっこらしょと歩き出します。

 

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