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2024

5月2007

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科学の進化とともに

2007/05/30  深遠なる夜空を仰ぎ、遠く尊大なる山を望み、圧倒的な大海原に感嘆した事が誰にでもあるはずです。夢見る心、憧れる心、畏怖する心。ごく小さなこの銀河系の中でも芥子粒にも満たない太陽系というポジションの中の小さな惑星地球。

その地上に生きる数多の生物の一種に過ぎない人類だと言う事が分かっているのに謙虚さや賢さはいっこうに培われません。まるで地球は宇宙の中心であると信じ込んだ中世の人々の意識がそのまま支配しているかのような傲慢な心根は環境を破壊し、争いを繰り返し、科学の進化とともに人類を導くであろうはずの豊かで心やさしい世界とは逆の方向へと進んでいます。夢見たり憧れたり尊敬したりする心を忘れた大人達。そんな大人達が作ってしまった世界の中では本来子供達の誰でもが抱く夢や希望さえ消え失せていきます。

「見てごらん、空には星がいっぱいあるだろう。あの小さな星の1つ1つが太陽のように大きくてその回りにはこの地球と同じような星がいっぱいあるんだよ」「あまりにも遠すぎて今の科学では行く事ができないけど君が大きくなる頃には行けるかも知れない」「そしたらもっと友達が増えるかも知れないよ、だから会った時に恥ずかしくないように賢くて優しくて素敵な人間にならないとね」子供に教える事はそれだけで十分ではないかと僕は思うのです。


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コストの競争

2007/05/29  メイドインジャパン。中国から来た観光客が日本のお土産を買おうとぬいぐるみや家電を手にしてよく見たら全てメイドインチャイナでがっかりしたとかの話しがありましたが、確かにメイドインジャパンは少なくなりました。

経済のグローバル化でコストの競争力を保つためには賃金の安い国での製品生産は致し方ない事かも知れませんが、切磋琢磨して培って来た日本の工業技術がコスト競争に負け消えて行くのは悲しい事です。自由化とか自由競争と言えば聞こえはいいですが国策として守らなければならないものは数多くあると思うのです。

悲惨なJRの事故も先日のエキスポランドの事故も自由競争の結果起こった人災です。命を乗せる鉄道や航空産業などの過度な営利競争は必ず事故を誘発しますし、遊園地や動物園など子供の夢を育む施設は国策によって守らないと夢のない国になってしまいます。

ディズニーランドやUSJもいいけれど、小さくても身近な遊園地には独自の価値があります。地域の味わいや匂いのある施設はそれだけで子供の夢を育てます。自由とはそれぞれの個性がのびのびと羽ばたく事です。弱肉強食の自然界ではあり得ない世界を実現するのが人間の叡智ではないでしょうか。



一人一人の人間の意識

2007/05/28  現職大臣の自殺。清廉潔白で生きて来た人ならともかく、利権金権で生きて来た人間が言われているような水道代や談合の事件ぐらいで自殺するとはとても思えません。

何か巨額の不正利害が背後にあるのだとは誰でも推測できるのだけど、真実は松岡大臣の死とともにまた闇に葬られるかも知れません。過去の政界疑惑の犠牲者もいつも中核か末端の人間で本当に悪い人間はいつも闇の中です。

亡くなった松岡大臣の背後にあるものに大いなる責任と罪があると思うのだけど巨悪はいつもトカゲのように尻尾を切り捨てて逃れて行きます。あまりにもずさんな年金問題、とめどなく噴出する政治家や役人の不正と談合、癒着。

日本の国を人間の体に例えたらもう末期がんだと言ってた学者がいましたが、政治や経済の専門家でなくともこの国が質の悪い病に冒されていることは普通の人なら感じるはずです。

どうしようもない政治家を選ぶのも国民。民主国家である以上この国の現実を作り上げているのも一人一人の人間の意識と意思表示である事は間違いないのですから、この国がおかしいのは国民がおかしいと言う事だと思うのです。


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未知なるものに対する好奇心と挑戦

2007/05/27  コルビジェの展覧会へ行きました。建築作品ではなく画家コルビジェとしての作品展です。日曜日だしなんばパークスにある会場はきっと人でごった返しているのだろうと思いながら足を踏み入れると数人がいるだけで「何故だろう?」とその意外さに驚きました。

おかげで静かにゆっくりと作品を見る事が出来て大満足。リトグラフによる作品は建築のイメージとはかけ離れているように見えましたが、時間の経過とともにその根底にある感性の共通性を感じる事が出来ました。

建築と絵画、絵画と音楽、音楽と文学。もともと芸術には境界線はないのだと言う事をコルビジェの絵をとおしてあらためて知りました。全ての芸術の基盤となるのは「知性」ですしその源流となるのは「情熱」です。何かを知ろうとする事、何かを表現しようとする事、未知なるものに対する好奇心と挑戦こそが「人間性」の本質ではないでしょうか。


あまりもの短絡さ

2007/05/26  素敵な人と出会うと「人間ってなんと素晴らしい生き物なんだろう」と思ってしまいます。アフガニスタンやイラクでの悲しい現実や日本でのぞっとするような事件の連続は何故の事なんだろうと考え込まずにはいられません。残忍で不可解な昨今の事件。

親殺し子殺しが日常的に報じられる世の中なんて狂ってるのは間違いないのですがその「狂い」に気づかずあるいは目を背けて生きる人が増えれば増えるほど狂いは確実に蔓延していきます。最近の多くの犯罪や凶行の原因はかっての要因であった生活や教養の貧しさや行き詰まりでない事は誰の目にも明らかです。比較的裕福な人間や安定した仕事を持つ人間の犯罪も多く動機の不可解さ、あまりもの短絡さに言葉を失います。


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のんびりとした作業場

2007/05/25  雨の京都。写真スタジオと喫茶店が一体となったちょっと奇妙な空間でコーヒーを飲んでいるとふっと懐かしいシーンが浮かんできました。小さな写真現像所で働いていた時の作業場の風景です。何もかもがアナログの時代、カシャカシャと言う焼き付け機のシャッター音と長いロールの印画紙が現像液と定着液をくぐり抜けて乾燥され巻き取られていく一連の作業が懐かしく思い出されます。

慣れない暗室での手探り作業。焼き付け機への印画紙の設置が上手く行かず思わず明かりをつけて高価なロールの印画紙を感光させてしまったバイトの女の子がいました。「あぁ〜」と言う暗室からの叫びを何度か聞いたけど今から思えばのんびりした作業場でした。

「印画紙の一本ぐらい感光させてもどうってことないよ」と僕が言ったのを所長が聞きつけて「君!何を言っとるんだね!その一本は君の4日分の給料より高いんだぞ」と言いながらにこっと笑って「実は私も何度かやった事がある」。やっぱりのんびりとした作業場でした。


多くの芸術作品が欧米に

2007/05/24  子供の頃から父に連れられてよく来た天王寺美術館。同じようによく行った中之島公園もそうですが小さな頃に染み付いた印象が残っているせいかその場所に立つだけでやすらぎと安心感があります。跡形もなくなった場所が多い中、天王寺美術館の一角と中之島の中央公会堂の一角は当時の匂いが少し残っていて来る度にほっとします。

今日の天王寺美術館はフランスのギメ美術館の所蔵浮世絵名品展が開催されています。北斎に写楽に歌麿。江戸時代のすばらしい名作を天王寺や京都美術館ではなくフランスの美術館が所蔵していると言うのも妙な気がしますが多くの芸術作品が欧米にあるのは事実です。それにしても気持ちのいい空と緑。秋の美術館もいいけれど春風なびく美術館もいいものです。


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地方の特色がどんどん無くなり

2007/05/23  懐かしいアナログのカメラを持って新世界の街へ。確たる理由は分かりませんがデジカメでは撮る気にならなかった平凡な風景が違って感じられます。カメラの重さ、シャッターの音、巻き取りの感触、絞り、露出の勘による設定などもろもろの要素が写真を撮る気を起こさせてくれます。

レコードとCDの比較もそうですが、似て非なるものの微妙な差には考えさせられるものがあります。そう言えばここ天王寺美術館を正面に見る陸橋の上には路上生活者の暮らす小屋がありました。つい数ヶ月前の事です。1つ減り2つ減り、最後まで暮らし続けていた路上詩人の小屋も無くなりました。

通行人に迷惑をかけることもなく慎ましやかに暮らしていた人達。彼らを追い出す理由は僕には見当たりません。地方の特色がどんどん無くなりつつある今の日本。大阪の街にもかっては場所によって固有の味がありました。東西南北、それぞれの区域に異なった雰囲気があって良くも悪くもそれはその場所へ行こうと言う動機になったものです。

店や施設などの有無とは別のその場所の味です。そんな事を考えているとシャッターを押す気持ちも鈍るのですが、変わらないもの、春の風、春の空にレンズを向けて「カシャッ」。シャッターを押すと同時に空を横切った鳩達は今のこの街をどう思っているのでしょうか。


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深い心の傷と強い信念

2007/05/22  初夏を思わせる晴天が続いています。徹夜明けに乗る人もまばらな早朝の電車。車窓から見える景色はクリアー過ぎてどこか知らない国のような気がします。外を見たりうとうとしたり眠りそうで眠れない状態を繰り返していたらお遍路さんのような格好をしたおばあさんが隣に座りました。80才はゆうに越していると思われる顔には柔和な皺が無数に走り夢見るような目つきをしています。

「あのお、この電車はどこへ行くんかえ?」突然の奇妙な質問に「えっ、おばあさんはどこへ行かれるのですか?」と思わず聞き返しました。「わしは高野山へ行くんだよ、行けるところまで行くんだよ」「50年間働き続けて来たわしなら高野山にも行けるはずだよ」「行けるところまで行ければいいんだよ」真意を察する事はできませんがおばあさんはどこか遠くから来て、見知らぬ高野山へ向かう事だけは分かりました。

「おばあさん、高野山ならこの電車で大阪まで行ってまた乗り換えなくてはならないから改札口で駅の人にまた聞いて下さい」そう言うと「大丈夫、大丈夫わしは50年間一人で歩き続けて来たから大丈夫だよ」あまり大丈夫そうには見えないけど高野山にはたどり着くだろうとは思いました。50年。30才ぐらいの時に何か大きな出来事があったのでしょうか。何か深い心の傷と強い信念みたいなものを感じるおばあさんです。

徹夜明けでふらふらでなければ高野山まで連れてってあげるのだけど、僕がへたばってしまう可能性の方が大だし、せめておばあさんの旅の無事を祈って手を振りました。


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自分の目、自分の耳、自分の感性

2007/05/21  目のさめるような青空が広がっています。目にも涼しいタンクトップの女性や目にも暑苦しいスーツ姿の男性が入り乱れてまさに季節のない大阪の街らしい様相です。Tシャツ一枚の僕には絶好の日和ですが、余儀なく背広を着用しなければならない人にとっては呪わしい暑さだと思います。けれど人間は慣性の動物でずっと同じ格好をしていたら案外苦にはなっていないのかも知れません。

思い出せば年中スーツを着ていた頃もありましたが本人は見た目ほど暑苦しく感じてなかった記憶があります。考えて見れば真冬にランニング一丁で歩こうが、真夏にコートを着て歩こうが人の勝ってですし個人差はあって当たり前です。逆に季節感もはっきりしない最近の環境で、春だから夏だからと皆が同じ格好をする方が馬鹿げている事かも知れません。

服装の事はいざ知らずなんでもかんでも同じ行動をとってしまうのは日本人の悪い習性です。何事もマスコミや社会の趨勢に踊らされることなく、自分の目、自分の耳、自分の感性全てを使って判断しなければ人は知らぬ間にどこかへ流されてしまいます。正しい意見を取り入れるためには自分なりの批判精神を磨かなくてはなりません。


海に生きる生命の多様さ

2007/05/20  普通に生きていたら「無くて七癖」ではないけれど「無くて七用事」と言う言葉を作りたいほどなんやかんやがあるものです。何をして何をしないかの判断の連続でその優先順位を決める事こそが明日へと続く道の阿弥陀籤みたいなものです。

爽やかな風の吹く日曜日、大阪港にあるサントリーミュージアムへ3Dの映像を見に出かけました。巨大なスクリーンに映し出される立体映像の迫力と鮮明さに一瞬たじろぎましたが、映像のテーマである海に生きる生命の多様さと不思議さにはそれ以上の驚きがありました。

水中を漂うクラゲの集団は未知なる宇宙船の飛来を彷彿とさせますし、美しい海の象徴でもあるサンゴの奇跡的な産卵。タコもイカも貝もあらゆる魚も、容赦ない食物連鎖の中でそれぞれの種を存続させるための営みはまさに神秘としか言いようがありません。

海も陸も空も人間の勝手で汚すなんてとんでもない事だなとこの映像を見れば誰でも感じるはずなのに現実はそうでなく環境汚染の速度はそれを食い止める努力をはるかにこえて進行しています。人間がイカやタコより賢いと自認するならそれこそ一人一人が「無くて七責任」ぐらいは肝に銘じて生きなければなりません。


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ヒューマニズムの基盤

2007/05/19  一ヶ月にわたる禁酒を始め今迄の人生で始めての事ばかり連続して起こるめまぐるしい日々。過去においてもいい事、悪い事が重なることが多く自嘲気味に惑星直列だと称した事もありますが、今回のハードさに比べたら過去は水星と金星と地球の整列ぐらいのものに思えます。少々の経験を重ねても複雑な要素が満ちている人生では遭遇する事はいつも初体験。似た経験があるように感じても全ての出来事はいつも似て非なるものです。

苦しいけどもう一歩踏み出そうと思ったり、楽しいけど躊躇したりするのは未来には既知の要素より未知の要素が多い事が本能的に分かっているからです。世の中には何かを知って勇気をなくす事もありますし、知ったからこそ勇気が湧いて来る事もあります。

どちらにしても無知ゆえの暴走や無知ゆえの無関心よりはずっと人間的です。出来る限り理想とする自分に誠実であろうとし、勇気と臆病の葛藤から生まれる決断こそヒューマニズムの基盤ではないでしょうか。土曜の夜、さて今夜はどんな未知との遭遇があるのでしょう。


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日本人独特の情緒と能力

2007/05/18  胸の悪くなるような残虐な事件が連日報道されます。人間としての精神的基盤が壊れてしまったかのようなあまりの不可解さにえも言われぬ不安と危機感を感じます。最近の凶悪事件は狂人や犯罪にいたる特殊な生活環境から引き起こされるものではなく個人のエゴイズムの膨張と短絡的なものの考え方から安易に引き起こされると言う点できわめて危機的です。

残虐な事件とそれを引き起こす幼稚な精神があまりにも怖い対比をなしています。物質にたいする強い欲求と本来それと対峙するべき精神的欲求が脆弱で希薄すぎる現状。そんな現状を作り出している大きな要因にテレビの存在があると思います。

強力な影響力を持つテレビの低俗化は一国の文化や精神性を根こそぎ荒廃させてしまうだけの破壊力があります。低俗な次元では何を表現してもかなり自由度が高い日本のマスメディアですが、正しい事や政治の核心部分に触れるような事にはかなりの規制がかかっているのも事実です。

国民が賢くなれば売れなくなる商品がかなり出てくるのは当然でスポンサーとしてはそれは避けたいでしょうし、施政者も嘘や悪事がばれる確率が高くなるので国民を賢くするような番組をできるだけ作りたくないと言うのは分かるけど、その方針が精神性を低下させ昨今のおぞましい日本の現実を作り出しているのも事実です。世界に誇るべき伝統と技術、わびさびの感性など日本人独特の情緒と能力を失ってしまっては「みにくい日本」にしかならないのではないでしょうか。

不可能な事かも知れませんが政治家や役人が心を持ち直し、資本家が日本人たる真の目的を再認識して、教育を始め、メディア環境を作り替えなければ「美しい日本」どころか日本そのものが亡くなってしまいます。大切なのは日の丸や国歌などの形式ではなく、日本の心、日本人本来の情愛の心ではないでしょうか。


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今の社会の主流

2007/05/17  かっての知人の中に自分にとって都合悪い事が起こる度に「僕は何も悪い事してないのになんでこんな目にあうんだろ」と口癖のように言う人間がいました。確かに車のほとんど通らない見通しのいい狭い道路でも信号を守るような人間で家族と会社と貯金以外にまったく興味がないような、僕にとっては驚くべき人物でした。ある時またしても「僕は何も・・・」のフレーズを口走るので、「あの、それよりあなたは何かいい事したことあるのですか?」と訊くと「僕は誰にも迷惑かけずにまじめに仕事して家族を守っている」との回答にならない言葉が返ってきました。

「迷惑をかけているか家族を守っているかどうかはそれぞれの個人的判断にすぎないのではないですか?」「自分では気づかず迷惑をまき散らしているような人間に限って「自分は悪くない」と考えるのは道理ですけど」と言うと不機嫌な顔をして黙り込んでしまいました。

言葉のキャッチボールができない人。「それが最大の迷惑だ!」と心の中で思って席を立ちましたが、僕にとって驚くべき人物は今の社会の主流とでも言う存在で数が多すぎます。しょっちゅう出くわすタイプなのにいつも驚く僕は相当学習能力がないのだと自覚するけど、投げて返ってこないボールをしばらく待つ癖はなかなか治りません。


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気になる風潮

2007/05/16  ビートルズを聞いている時、キースジャレットのジャズピアノを聞いている時、ベートーヴェンの弦楽四重奏曲を聞いている時、シューベルトのピアノソナタを聞いている時、音楽はその時々の精神次元あるいは精神構造を変化させます。

逆に言えばその時の精神状況によって調和する音楽と拒絶する音楽もあります。視覚のように目を閉じたり対象から顔をそむければ見なくてすむ器官と違いむりやり耳を塞がないかぎり常に聴覚は開かれています。

それはあらゆる雑音、騒音にも耐えるタフな部分と小さなモーター音や秒針の音に神経をかき乱される繊細な部分もあってきわめて心理的で直情的です。いい音楽に出会って突然涙したり、好きな曲とともに過去の時間が蘇って来たり音楽の持つ力の大きさに驚く事は度々あります。

今の時代、街で、車内で、あらゆる場所で音楽を聞く人が増えていますがそれは一体人間の脳、心にどんな影響を及ぼすのでしょうか。音楽の影響力が大きいと思うだけに気になる風潮です。



現代の人間関係

2007/05/15  きらきらと輝く穏やかな海を見ていると「平和」とか「調和」とか「永遠」とかの言葉が浮かんできます。エゴイスティックな現代の風潮とは全く無縁の世界が水平線の向こうにあるのではないかと錯覚を抱きます。グローバル化が進みあたかも国境がないかのごとく世界は小さくなりました。ならば世界中の人々は今迄以上に歩み寄れるのではないかと思いますが現実はまさに逆行です。

国と国の間は経済と言う壁でますます強くしきられ、それは会社と会社、家庭と家庭、人と人の関係の中にまで無意味で冷たい壁を増殖させています。情報は溢れているのに身の回り以外の事に無関心な人々。家庭や会社に盲目的に埋没する人達。

現代の人間関係はグローバル化どころかどんどん矮小化しているようにさえ見えます。一人一人が個人としての意見や生き方を持てない社会が先にあるのかそう言う個人が社会を作り出しているのか、おそらく相乗の結果だと思いますが、民主主義国家である以上、個人が先だと考えるしかありません。


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「虚無」とでも形容するしかないもの

2007/05/13  どれだけ科学が発達しても人間は自力では鳥のように空を飛べないでしょうし、魚のように泳げないでしょう。重力に縛られ陸地に固定されているのは今も昔も同じです。むしろ海の向こうを信じて丸木舟で大洋を渡り、月や天空に近づこうとして高みを目指した古代人には勇気と夢がありました。高速で空を飛び地上を行き交う乗り物を手にした現代人は一体何を信じて何を目指しているのでしょうか。膨大なエネルギーを消費し、環境を破壊してまで手にしなければならないものは一体何でしょう。

もしそんなものがあるとしたらそれはきっと「虚無」とでも形容するしかないものです。科学が人間の叡智の証明だとしたらそれは人の「心」を高めるべき役割を担わなければなりません。自然を守るべき側に位置しないといけないものです。数量や時間経過に基づくお金儲けだけを主眼とする今の社会に科学が隷属してしまったら自然環境のみならず「人の心」まで破壊されるのは明らかです。

科学と芸術は元来人間の暮らしや心を豊かにするものであると言う意味では同じ次元のものです。科学が歪んだ道を歩み、芸術が衰退する今の社会が危機的状況にある事を人ごとでなく一人一人が少しでも認識しなければならない時代、それが現代だと思うのです。


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一本の樹は大きな家

2007/05/12  土曜日の昼下がりぶらぶらと郊外の道を歩いていると座り心地の良さそうなベンチが目にとまりました。風雨にさらされながら幾人もの体重を支えて来た木製のベンチです。座ってみると見た目どおりの頑丈さが伝わってきます。「やっぱり木の感触はやさしいな」と思いながらまわりの木立を見渡すと一本一本の樹がみんなやさしい人間のように見えて、なにやら話し声さえ聞こえてくるようです。

疲れた羽根を休める鳥たちや小さな昆虫たちにとって一本の樹は大きな家です。切り倒されて今はこの場所にあるベンチはかってどんな場所でどんな住人と暮らしていたのでしょう。この椅子に座って泣いたり笑ったり、本を読んだり眠ったりして来た人達はかってこの樹の枝にとまって羽根を休めていた鳥達と同じかも知れません。背もたれに体重を預けて思いっきり反り返ると気持ちのいい青空が広がっています。



正しい戦争?

2007/05/10  ほとんど毎日のように報じられるイラクでの死者。何十人、何百人の人が「日常的」に殺され傷ついている現実なのに世界はただ傍観者のようになっています。今さらどんな言い訳もできない間違ったイラク戦争ですが、今なお間違いを認めずかたくなに正しい戦争だったと言張るブッシュ大統領の頭の中はどうなっているのでしょう。イラク人同士が殺しあいする現状も計算の内だったのでしょうか。自爆テロと狙撃に恐怖する市民の表情をニュースでかいま見るだけでも胸がつまります。

いかにシーア派とスンニ派の対立の根が深いとしても、アメリカの間違った、あるいはそれが分かっていての介入がなければ同じ民族同士こんな殺し合いが続くのは不自然すぎます。そんな間違ったアメリカのイラク政策を正しもせず、ただ盲目的にアメリカに従う日本政府の姿勢は悲しすぎるけどそれを考えもせず傍観する国民の意識も怖くなります。

先日のエキスポランドの悲しい事故も家族にとって、友人にとっては一生消えない心の傷です。ましてや意味も分からない状況で目の前で子供が撃たれ、家が爆破されるのですから。しかもそれが日常なんですから言葉もありません。


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感性の合う人

2007/05/09  言葉を尽くしても何も伝わらない相手もいるし、たった一言で分かりあえる相手もいます。仕事やプライベートを含めて日頃会う人たちと話していてよく耳にするのは「ネット上の顔も見えない相手とメールで話しても意味がない」と言う意見です。直に会って相手の顔を見て声を聞いてコミュニケーションを取るのとメールだけのやり取りでは深みが違うのは致し方ない事ですが僕はこう思います。

実際会おうが会うまいが感性の合う人はすぐに分かるし、感性の合う人であればたとえ月に一回のメールのやり取りでも意味がないどころか、大いに有意義だと。少なくとも僕はそう感じていますし、その意味では会った事もない人でも大切に思っています。

一人の人間が出会える数は一生を通じても知れています。異性同性を問わず共感して抱き合ったり、朝迄語り合ったり、お互いを高めあったりできる人との出会いはほんの数人ではないでしょうか。

10人10色だから口先だけ、その場だけの刹那的な関係が多いのは致し方ないけれど、それならば遠くはなれていても感性の合う人とメールで意見交換した方がどれほど気持ちがいいか分かりません。もちろん感性の合う人と同じ時、同じ空間を共に過ごせるのはこの上ない事ではあります。当たり前の事ですが。


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「いかにしてこの地球とそこに寄生する命を守るか」

2007/05/08  気持ちのいい季節を通り越して夏のような暑さです。好んで日向を歩く僕も思わず影を探してしまいます。冬らしくない冬と短い春。日本の四季のバランスは年々おかしくなっていますが、地球規模での異変は深刻です。アメリカの異常なほどの竜巻の多発を昨日ニュースで知りましたが今日もシチリア島の火山が噴火した映像が流れていました。

テクノロジー万能の感のある現代ですがそれは錯覚で大自然の猛威に対しては今も昔も人間は無力です。その無力な人間が自らの手で環境を破壊し人為的な災害を引き起こすのは浅はかにもほどがあります。地球上に生息する無数とも言える生命も「同じ地球の住人」ですし、闇雲に人間の都合で彼らを殺すような事態を作る事は、結局自らの存亡にはね返って来るのは明らかです。

もし人間が良く進化した生命体と自認するなら、「いかにしてこの地球とそこに寄生する命を守るか」と言う命題を第一義に全てを営まねばなりません。当たり前の事ですが。


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モラルも品性も知性も感じられない政治家

2007/05/07  JRの悲惨な事故があって人命に直接関わる乗り物や建築物を運営する企業は全て姿勢を正したはずなのにまたしてもエキスポランドで事故が起こりました。先日僕自身楽しい一日を過ごして来た遊園地だけに何とも言えない気持ちになります。

尊い人命が失われる度に「このような事故が二度と起こらないように全力をつくします」と言うような反省の弁を聞きますが、事前に全力で安全確保をしても起こる可能性があるのが事故で、最近の事故は企業ぐるみの殺人だと言っても差し支えないほど無責任、無意識極まりないものです。

どんな事件も事故も対岸の火事としてしかとらえられないエゴイスティックな風潮は近年目に余ります。モラルも品性も知性も感じられない政治家にとってはエキスポランドの事故で亡くなった命の尊さも、悶絶するような遺族の嘆きも関係ないのでしょうが、悲しすぎる現実を作り出してる責任の一端どころか営利優先社会を先導しているのは政治家のあなた達ではないですか。

営利優先ならば必然的に命は軽んじられます。心も切り捨てられます。僕にはJRやエキスポランドの当事者の責任はもちろんですが、そう言う社会を良しとする政治家やそれを選出する国民にこそ責任があると思いますし、それが変わらない限り非情極まりない事故や事件は増え続けると思います。厳しい点検をしなければならないのは機械や部品だけではなく、日本人の心のあり方ではないでしょうか。



世間と逆行するパターン

2007/05/05  Tシャツ一枚でちょうどいい気温です。木陰に入ればちょっとひやっとしますが、日向では汗ばむほどの陽気です。ゴールデンウィークも終盤の今日は明後日からの仕事が気になる人もいるでしょうし、仕事なんていやだなあとうんざりしている人もいるかと思います。昔から世間と逆行するパターンにはまる僕は何とも忙しい連休です。日本画の展覧会を見に行ったのが唯一の保養で後は仕事と日頃できない整理や掃除などの雑用で時間はあっという間に過ぎてしまいます。

頭の整理も心の整理もいざやろうとするといかに日頃混沌として生きているかがわかるほど雑然としていて順を追って認識するだけでも骨が折れます。何年もうっちゃっておいた事が一週間や十日で片付くわけも無いけれど完全にお手上げになる前に布石だけは敷いておかねばなりません。雑音の少ない休日はやり残した何かをするにはもってこいの空白。よりよい未来のためには時に立ち止まって過去の更なる認識は不可欠なのです。


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群集心理で動く傾向の強い日本人

2007/05/04  連休のさなか主要駅の構内は人で溢れています。どこかへ行く人なのか、それともどこかから来た人なのでしょうか。空気の悪い混沌とした大阪の街へ他府県から来る人は何を求めているのでしょう。やはり食い倒れのイメージが強いから「食」を楽しみに来る人が多いのでしょうが、大阪人の僕でさえ美味しい店に出会うのは数少ない事です。グルメ雑誌やテレビ番組で紹介されたお店の中に行った事のある店も多々ありますが、紹介されている内容には首をかしげたくなるものもあります。

今やマスコミに紹介されないお店の方が少ないぐらいですが、「食」に限らず群集心理で動く傾向の強い日本人は先導しやすいと言う事でしょうか。大して美味しくも安くもないお店の前の行列に並ぶ人の気持ちは僕には全く分からないけれど、たとえ飛び切りの美味しさであるとしても何時間も並ぶなど考えられません。それよりも今や地方独特の食文化さえ消えようとしています。その土地にしかないもの、一体どれぐらい残っているのでしょう。


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意識あればこその価値観、人生観の相違

2007/05/03  まさに風薫る季節です。春風とともに心踊らせるにはほど遠い状況ですが、暗雲に心まで曇らせている場合でもありません。世間を見れば理不尽な犯罪や事故が後をたたず、経済優先の国策による国民の意識低下があからさまになってきました。

アメリカ式資本主義は敗戦後の混乱期はともかく、本来この日本には合わない風潮です。「ただ儲かればいい」と言う人間ではなく「儲からなくても意味があればいい」と考える人の比率が多くなくては日本らしくありません。

 

フランスでの大統領候補のテレビ討論を見ましたが、サルコジ氏とロワイヤル氏のやり取りも、それに聞き入るフランスの人々の表情も今のアメリカや日本とは明らかに違います。そこに「個人」「個性」を感じるのです。人はどうあれ自分はこう思うと言うそれぞれの意識。意識あればこその価値観、人生観の相違もあるし、間違った政治権力を是正する力ともなります。

自分らしさ、あなたらしさ、あの人らしさ・・・個人の人間もそうですが、国家の場合も「日本らしさ」、長い歴史の中で培われて来た、日本独特の感性。鮮やかな四季と自然から生まれる情緒や思考力。きめ細かな感覚を無くしてしまったら日本人の魅力も、日本国の存在意義もないではありませんか。

 

歴史上唯一恐るべき核兵器使用の残酷を体験した国として、戦争と言う「絶対悪」を世界の先頭に立って訴えつづけ、平和に対してはあらゆる努力を惜しまない国にならねば行けないし、そうなってこそ国民の一人一人が胸を張って生きれる国になると思うのです。テロや北朝鮮の脅威を声だかに言って軍備の正当性を唱える輩がいますが、その脅威を生み出したのも、今なお作り出しているのはアメリカやロシアの大国のエゴではないでしょうか。

間違った資本主義は個人や国を超え必ずこのかけがえのない地球をも破滅させてしまいます。それを防げるとしたら、どう考えても一人一人の意識の向上と小さな勇気の積み重ねしかないと思うのです。


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「もしあの時あの場所へ行かなかったなら」

2007/05/02  以心伝心と言う言葉がありますが、テレパシーとでも形容したくなるような出来事が人生には何度かあります。夢に見たり、相手と同時に同じ事を思ったり、信じられない偶然がいとも簡単に起こったりします。「もしあの時あの場所へ行かなかったなら」とか「もしあの時あの本に出会わなかったら」とか偶然か必然か分からないけれど人は幾度かその後の生き方に変化をもたらす出来事に遭遇します。縁、潜在意識、天命、運命、使命、宿命・・・人は自分の意志とは別に何か未知なる引力によって導かれている要素がかなり大きいのではないかとこのごろ強く思うのです。


感情や感動が心の深淵に層をなして

2007/05/01  今日から5月。朝からあいにくの雨です。それでも夕方の空、薄曇りの切れ目からぽっかりと満月が浮かんでいます。雲間からぽっかりと見える空もまだ明るく湖のように見えます。「学生の頃見た屈斜路湖の色はきれいだったな」とひょんな記憶が脳裏をよぎりました。

意識していなくとも突然わきあがって来る過去の体験。決して消える事のない感情や感動が心の深淵に層をなして積み重なっています。それらは時としてゆらゆらと意識上の世界へ現れてくるのです。

 


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自然エネルギーへ
今や自然エネルギーを有効に使えるだけの科学力があります。原発を完全に無くし、
化石燃料をなるだけ減らして行くことが未来に対する人類共通の責任です。

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