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october

笑顔に勝る妙薬はなし
2006/10/29  好きな人の笑顔を見たり声を聞くと、元気が出ます。アドレナリンというかフェロモンというか何かが体内で湧き上がってくるのです。くよくよする事があったり、徹夜して体力が弱っていても元気が戻ります。薬局へ行くとたくさんの薬があって、スーパーへ行くと栄養のある食べ物がいっぱいあるけど、元気のために一つ選ぶとしたら、それはアリナミンでもサロンパスでもうなぎの蒲焼きでもキャベツでもなく好きな人の笑顔です。可愛い猫を見た時の気持ち、いるかの賢い仕種を見た時の気持ち、美しい風景や素敵な芸術に接した時と同じようなものでしょうか。いや、好きな人の笑顔は僕にとっては最上級です。


空き地の重要性
2006/10/28  道路で子供達がキャッチボールをしています。車や人が通るたびに中断しながらのんびりとしたキャッチボール。「君たち公園へ行ってすればいいじゃない」こんな場所でやっても面白くないだろうと思って声をかけると「公園は野球禁止でできないよ」と言う返事。そう言えば近くの公園には球技禁止の立て札がありました。考えて見ると子供達が自由に遊べる場所なんてほとんどありません。

僕の子供時代には大阪市内にも空き地があちこちにあって、「今日はあそこで野球、明日は別の空き地で陣地合戦」などと遊ぶ目的によって空き地を選択していたほど。空き地のがらくたを積み上げて秘密基地を作ったり、空き地に住んでる犬や猫に家を作ってあげたり、「空き地」はある意味学校にもまして勉強やコミュニケーションの場でした。

それにしても今の子供達がコンピューターゲームばかりしても仕方ないなと思います。外で遊ぶと言っても自由にはね回る空間がありません。都市空間の中にも、それから人間の心の中にも無目的な「空き地」のような空間が必要だと思うのです。

 

感性があれば分かる事
2006/10/27  日本列島が新庄で沸き返った2日間でした。阪神時代から大好きな選手なので日本シリーズは涙が出るほどうれしいシーンの連続でしたが、相変わらずスポーツでしか盛り上がらない日本です。新庄選手の爽やかな笑顔の後に阿部総理のニュースが流れると同じ人間なのに違いすぎると思う人は多いのではないでしょうか。

政治家と言う職業につく人の不思議なほどの質の悪さ。これほど魅力的な人が少ない職業は他に類を見ません。前の小泉さんのあの形相。僕には背筋が凍るほど嫌な人間に見えるけど、それを男前だとか男らしいだとかびっくりするような賛辞で応援する人達がこの日本にはいっぱいいるのだと思うと、荒廃するモラルや教育の不毛などが進行しても不思議ではありません。

もっと普通の感性を持った人を育てる国にしないと、芸術の香りがまったくしない国になります。日本ハムの野球。素敵でした。森本、新庄、稲葉の3人の選手が外野でグラブを頭に乗せひざまづいて談笑する光景は大好きな「三銃士」に見えました。


いつも愛していたい
2006/10/25  友がいて愛する人がいてどんどん回復する自分がいる。何度も勇気をなくして何度も立ちすくんだけど、やっぱり進まないといけない。愛はこの上ない癒しではあるけれど、熾烈な戦いでもある。常識との戦い、安穏との戦い、人に対して、社会に対して、自分に対しての戦い。やさしさは激しさの上澄みだし、思いやりは葛藤の局地です。自分の小さな器からあふれ出るぐらい、いつも人を愛していたい。秋の夜長に思う事です。

 

切り取りたいような空
2006/10/24  心癒される空の青さです。見つめているといいイメージしか湧いてこないこの青さ。しみじみと青にもいろんな色合いがあるなと感心です。風もいい、光もいい、小さな空間を切りとって保管しておきたいような気持ちになります。あのうだるように暑かった夏の日々の記憶が薄れかけた頃、今度は指先に息を吹きかけなければならない季節がやってきます。春夏秋冬、季節は移り変わり、人の心もまた変化を繰り返します。

 

誕生日と命日
2006/10/22  母が亡くなって二年。母の命日は娘の誕生日と同じです。お祖母ちゃんを慕っていた娘だけれど、不思議な縁だと思います。「誕生日おめでとう、元気にしてますか?」のメールを送信してお参りに出かけました。日曜日のせいか人が多く境内におかれたベンチには故人を偲ぶ人達がきれいな秋空を眺めています。この地球と言う営みの中では限りなく小さな一つの命だけれど、人によってはその一つの命はとてつもなく大きく、重いものでもあります。夕方携帯にメールが入りました「お父さん、私も夕方からお祖母ちゃんに会いに行って来るよ」何故だか分からないけど短いメールの文字を見て目頭が熱くなりました。

 

たまの暴投は許すけど
2006/10/21  言葉のキャッチボール。人間関係の基本見たいな事だけど、できない人もいます。僕の投げたボールはどこへいってしまったんだろう?と思えるような反応のなさ、あるいはずれ。機関銃のように一方的にしゃべる人。キャッチボールどころかバットで打ち返すしかないような人もいます。でも、自分の構えたミットにピシッと返球してくれるような人との会話は楽しいものです。そんな人と共にする食事は全てが美味しく感じられます。大切な時間と空間を共有する人と人の関係。ボールはお互い気持ちよく受けたり投げたりしたいものです。まあたまの暴投ぐらいはお互い許し合いましょう。

 

土台から壊してもそれは同じ1からではない
2006/10/19  長い間かかって作り上げたものを再構築するのは難しいことです。仕事でも人間関係でも修正するのがやっとの事で再構築するとなると根本の部分を壊さねばならないこともあって、躊躇してしまいます。それでもそれをしないと前に進めない事もあります。同じ事を繰り返すのは嫌だけれど簡単です。困難なのは同じように見えてもニュアンスの違うことをもう一度1からやり直して積み上げる事です。

その場その場のちょっとしたニュアンスの違いが積み重なって、今あるものが出来上がっています。絶対に取り戻せない過去もあるけど、再構築できるものもあります。それはごく限られた事ですが、あることはあると思いますし、少なくともものづくりに関しては、勇気を持って壊してしまわなければ、前に進まない時があるのではないでしょうか。


迷走的な日々
2006/10/18  ある人に最近はなんか哲学的ですねと言われたけれど、それは哲学的なんてかっこいいものじゃなくて瞑想的いや迷走的なのです。ぎりぎりの睡眠時間と最大限の動き。充実感と喪失感の狭間である種パニックを起こしているのが今の自分です。めざしている「夢と調和」に近づいているのか遠ざかっているのかすらも分からない今、この時。とにかく自分をもっと追いつめて絞り込んでいかなくてはいけない。淡々と遊々とそれができたならいい感じなんだけど、それはまだまだ先になりそう。

 

世界はとてつもなく広く深い
2006/10/17  ひとたび気を入れれば1日はとてつもなく長い。きらきらなびく風、はねまわる光。歩いて歩いて、語って語って、しばしの時が千年を刻む。何だろう、永遠とはこんなものかも知れない。見慣れた風景は謎を秘め、聞き慣れた音は背中をくすぐる。まるで何も知らない子供のように世界は不思議でいっぱいになる。僕は君が好きだ。君は夕陽を追いかける。黒猫とカラスがほほえみをかわす。信じられないだろうけど世界は不思議でいっぱいになる。そう、ひとたび気を入れれば世界はとてつもなく広い。見えないのは見ようとしないから、感じないのは感じようとしないだけのこと。


こそこそ、せかせかは平和な国には似合わない
2006/10/16  「我が人生に悔いはなし」・・・・人生晩年に入ってそう思える人がどれだけいるのだろう、とふと思いました。誰にとっても一回きりの人生。人それぞれいろんな環境や束縛があると言うものの本当に望むならば自分の舟は自分で進路を決めれるのが今の日本だと思います。戦時中の恐怖と悲惨の中に身を置いた人達の話を聞くたびに、そして戦争の記録や実態を目にするたびにそれは強く思います。

今現在でも、紛争が絶えず難民と飢餓に苦しむアフリカの国々、パレスチナやイラクの現実を見るたびに「もし自分があそこにいたらどうしてるだろう」と考えます。どうしてるも何もただ命を守るために必死でそれ以外は考えられないでしょう。そしてこの日本。何か変だなあと思います。多くの人が食べるにはことかかないはずなのに、命の危険にもさらされてはいないのに、なんかこそこそしています。

なんか面白くなさそうな顔をしています。一回きりの人生だと分かっているのになんで躊躇ばかりするのだろう?と思わせるような人が多すぎます。「我が人生に悔いはなし」と思えるかどうか分かりませんが、そう思えるように生きたいし、そのための勇気と夢、なるだけ努力もしていきます。



本当に解決する気があるのだろうか?
拉致被害家族の人たちを観ているだけで苦しくなります。

2006/10/15  空がこんなにきれいなのに部屋で仕事をしてるなんて変な自分。まあでも、10年に一度だ、と言い聞かせてがんばるもののなかなか思うようにはかどらない仕事。気分転換にラジオをつけると国連の北朝鮮への制裁が採決されたニュースが流れてきました。核は重大な問題だけれど、それよりずっと前に国際社会が拉致の問題を深刻な人道問題だと受け止めてくれていたらよかったのに。日本外交の弱さと拉致問題に対する薄情さをずっと見続けてきた拉致家族の方々の気持ち。政府に対して歯ぎしりするほどの思いがあるのにじっと我慢して地道な活動を続けておられる家族の方々。高齢なお父さんお母さんが元気なうちに解決するのでしょうか。

バイオリズムの神秘
2006/10/13  思いがぐるぐる回って大きな渦を作ります。いろんな事が重なって、いろんな思いが交錯してぐるぐると回る渦。こんなに一時に重ならなくてもいいじゃないかとへばり気味の心は音をあげるけど、事は終えるまで終わりません。プライベートの事でめいっぱいなのに北朝鮮の行為、動向は巨大な暗雲。昨夜札幌から全国を感動させたファイターズの野球は素晴らしかったけど、スポーツの世界以外で素敵な事が起こるような世界になんでならないのでしょうか。正念場、土壇場、崖っぷち。10年に一度のバースの惑星直列バイオリズムは周期を重ねるごとに大きくなるような気がします。

 

ただの弱いものいじめとしか思えない
2006/10/12  路上小屋に住む友人から昨日メールで知らせが入りました。度重なる立ち退き命令や嫌がらせにも耐えてきたけれど、いよいよ自分一人となり立ち退く決心をしたとの内容。気になって今日彼の小屋へ行ってみましたがあいにく留守でした。1ヶ月ぶりに訪れた美術館前の陸橋上には黄色いフェンスが立ち並び、唯一フェンスの間に彼の小屋がぽつんと鎮座しています。

「ああ、これではもう無理」ここにはいられないなと実感しました。数年前から1人去り2人去りの連続でとうとう最後。公金の無駄使いに汚職、談合などを繰り返してきた大阪市政に彼らを追い払う権利があるだろうか?彼らに嫌がらせや暴行を加えた人間はいるけど、彼らが何か乱暴を働いたと言うような事は聞いたことがありませんし、彼らが生きるために懸命に働いていたことも僕は知ってます。僕には小屋の撤去そのものが、ただただ弱いものいじめにしか思えないのです。<グランブルーに続きを書いています>


 

時はまさに命なり
2006/10/10  ちょっと手をこまねいていると時間がするするっと指の間からこぼれ落ちていきます。時間とは不思議なものです。噛みしめると止まったように感じたり、下手にとどめようとすると早回しの映画のようにもなります。怠惰を決め込めば時は消えてしまうし、自然体が一番なんだろうけどそれがもっとも難しいからやっかいです。延びたり縮んだり、消えたりのしかかってきたり、変幻自在の「時」に翻弄されながら生きているのだけれど、人はあたかも時計と言う簡単な道具で時を制御しているかのような錯覚に陥ります。バイオリズムの海とも言える自然界は均一な時を刻まず、それぞれオリジナルに流れています。そして無数の時と時との交点がこの地球上のあらゆるドラマを生み出していると思うのです。「時は金なり」ではなく「時は命」なのです。

 

どうすれば隣国の独裁国家と向き合えるのか
2006/10/09  抜けるような青空に夜はくっきりと満月。気持ちのいい秋日がつづいています。理屈抜きで軽やかな気分。心が軽くなると体まで軽く感じるから不思議です。秋は素敵だなと思いながら帰宅するとラジオからの不吉なニュースで気分は暗転です。北朝鮮が地下核実験を行ったらしい、と言うニュースです。前々から話題に上っていて北朝鮮ならやりかねないと思っていたから驚きはありませんが、何ともきな臭い隣国の動向にやりきれない気持ちがつのります。

明らかに非人間的な独裁国家が存在していて、国際世界はそれをどうしようもないと言う現実。経済制裁やエネルギー封鎖をしても苦しむのは罪もない人達ですからほんとに悔しい。 長い苦しみが続く拉致被害者の問題にしても、果たしてもっと決定的な外交手段、必死でねばり強い交渉はできないものなんでしょうか。

 

セノーテが消えないうちに
2006/10/06  気流のいたずらか風の魔法か知らないけれど、一面の暗雲にぽっかりと開いた穴からきれいな青空がでています。「なんてきれいなんだろ」まるで摩周湖、いやマヤの泉セノーテのような丸い形。一点集中の透き通るブルーを見ているだけでくたびれた体にエネルギーが注がれます。なんかとてもラッキーな感じがします。昔から自然現象の不思議を見つけてはラッキーの印とする僕には極めつけの現象。この幸運の効力が消えないうちに停滞してる壁を破って前進しなければ行けません。


 

感性の一致は何よりもうれしいもの
2006/10/04  久しぶりに弟との会食。「相変わらずややこしい世の中やな」と僕が言うと「どんどん悪くなるよ、世界はともかくこの日本は目を覆いたいことが多すぎる」「ほんまやな」と僕も思う。7才離れている弟は、父が早くに他界したためほとんど母親に1人に育てられたようなもので父の影響を濃く受けた僕とはかなり性格が違います。

成人してからもお互い仕事も生き方もかなり違って疎遠の時期も長くありました。「兄弟やけど考え方も感性もかなり違うな」と長い間思っていたのです。でも最近会って話し込むことが時々ありそれは間違いだと確信しました。スポーツのこと、映画のこと、音楽のこと、社会のこと・・・話すテーマのほとんどのことが示し合わせたように一致、同感します。

「なあ、全然違う道を生きて来たのにこれだけ意見や好みが一致するってこれはやっぱり遺伝か?」と聞くと「案外似た道を歩いて来てるのかもわかれへんしな」「ただお父ちゃんのことはほとんど記憶にないしその差はあるような気がする」「それはあるやろな」サッカーの話題にしても好きな選手、嫌いな選手の好みがぴたっと一致するとうれしいもの。「サッカーは釜本や杉山がいた頃が世界に一番近かったね」と言うと「サッカーは精神的な土壌とイマジネーションのスポーツだから、日本がこれだけ精神的に荒廃してしまったら無理だよ、兄ちゃん」「そうやな」「でも日本にも素敵な人もいっぱいいるしまだ可能性はあるよ」

「うん、それは僕も認めるけど、かなり少数派だからな〜」弟の言う少数派がそれぞれもう少し意見を言いもう少し行動的に生きだしたら、案外早くフランスやドイツに追いつくかも知れない。アメリカと違って日本にはもともと古き良き土壌がありますから。


野良人間!!
2006/10/03  「海にでもいってるのかな?」メモランダムに反応してくれた一通のメールでちょっと元気をもらいました。今は慌ただしくて海には行けないけれど、落ち着いたら必ず海を見に行こうと思います。だいだい色の大きな夕陽が沈む海。黄金色に輝く海もいいものです。砂の上にぺたんと座って沖合を眺めていると、とことこと犬が近寄って来ます。「君は野良犬かい?」と訊ねると「ううん、違うよ、おじさんは野良人間かい?」と逆に訊ねられて「違うよ、海を見に来たんだ。それと夕陽をね」「おじさん変わってるね」「なんで?」「だってこんな季節にここに来る人なんていないから」確かに誰もいない浜辺。「君がいるじゃないか」「僕はこの近くに住んでるから、毎日来るんだ」「ねえ、ここに来て一緒に夕陽を見ないかい」野良犬じゃない犬は横へ来てちょこんと座ります。肩に手をまわせないから頭をなでながら「こうやって2人で見る海は素敵だね」想像は続きます。

 

水は命をつなぐだけではなく心を浄化するもの
2006/10/02  海が見たい。ふとそう思ったらたくさんの海が脳裏に浮かんできました。17才の夏、人生のまだ入り口で見た北海道の海。昆布取りのバイト休みに襟裳岬から見た海は力強くちょっとさみしい海でした。長い休みを古い旅館で過ごした九十九里浜の海。シーズンオフの宿、僕の他に泊まり客はなくまるで家族のように接してくれた宿のおばさん。始めてウミガメの卵を見た四国日和佐の海。ピンポン玉のようなまん丸で可愛い卵に命の不思議を感じました。海、つながってるのに様々な色や顔を持つ海。山口、広島、岡山、愛媛、香川・・いろんな場所から見た穏やかな瀬戸内。見るたびに神秘な気持ちになる島根、鳥取の海。沖縄やシンガポールのエメラルドグリーンの透明に驚いたこともありました。海、湖、そして川。人は美しい水辺に立つと気持ちが浄化されて想像の羽が生えるのかも知れません。

 

何かにしがみつかないと流されそう
2006/10/01  早すぎる風景。まるで動く歩道を歩いているような流される感覚。自分の歩調とは違う早すぎるリズムで時は進んでいきます。「もっとゆっくり歩きたい」今日から神無月。日本各地の神々が出雲へ集結して縁結びの相談をするなんてロマンチックでいい感じです。でも勝手に決められたらちょっとこまる。縁は自分でつくるものと言いたいけれどそうは問屋がおろさないから縁なのでしょうね。

 


 


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