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num1

長月/9/September


 

bluedot

 

果てしない物語
2010/09/03  人は何で生きるかと言う設問について学生の頃から嫌と言うほど話し合って考えたけど今もって答えは見つからない。それでも人間である以上、生き続ける以上誰でも考えないわけにはいかないと思う。それが心の風化や衰退を防ぐ一番の方法ではないかと思ったりする。それを考え続ける事、悩み続ける事、探し続ける事が生きる理由かもしれないし、道標かも知れない。生と死が未知である以上それは当然の事でもあるけれど現状はまるで果てしない物語の中の「虚無」のような思考停止状態が蔓延しつつあるのではないかと思う時もあります。

 

無縁社会
2010/09/05  15年、もっと前かも知れないけれど久しぶりに実家のある大阪の下町に帰ると点在していた個人商店の多くが姿を消していました。数少ない生き残りの漬け物やさんに懐かしい顔を見つけたので話を聞くと「スーパーや量販店に押されて、次々と閉店ですよ」「ここも私が動けなくなったら終わりです」人なつっこい顔でおばあさんはしんみり話します。

「以前ならご近所の事はたいてい耳に入って来たもんですがもう誰がどうしているのかさっぱり分かりません」薬屋さん、駄菓子屋さん、文房具屋さん、金物屋さん、果物屋さん、みんな消えてしまいました。地域のコミュニケーションの中心だった公設市場や個人商店はモノを買うだけではなくて情報を仕入れたり悩み事の相談にさえ乗ってくれる場所でした。新しく町に移り住んだ人もまず懇意になった八百屋さんなどに生活のアドバイスなど受けながら町に馴染んだものです。

人情濃かった大阪の下町もすっかり無機質になってしまったけど、都会から始まった人間関係の希薄さが地方にまで広がってまさに「無縁社会」はどんどん進行中です。地方の巨大ショッピングモールは地域の商店を壊滅させるだけではなく、人と人との会話、他者への関心もすっかり奪い取ってしまったのは事実です。車社会の弊害、弱肉強食の罪は深いと思います。「おばあさん、そのたくあん一本下さい、それからなすの浅漬けも」「はいはい、これもおまけで入れとくよ」とキュウリの浅漬けを包むおばあさんを見て、利便や利益の為に無くしてはいけないもの、守らなければいけないものがあるということをあらためて痛感です。

 

対岸の火事
2010/09/06  重い荷物に四苦八苦している老人を見かけても助けない、助けてくれの悲鳴が聞こえても動かない、寂しそうな人だなと思っても声をかけない。見えていても見えない、聞こえていても聞こえない、思っていても言わない、まさに東照宮の三猿を連想してしまうような風潮が今の社会にはあります。三猿の真意は分からないけど見聞した事に対して無反応と言うのは情けない気がします。身近な事であっても遠く離れた事であっても知った以上は心と体が反応するような人間が増えないと社会は劣化してしまいます。と言っても個人が出来る事は限りなく小さいけれど、一人一人の反応が集積した力はどんな意図や計画より大きいのも事実です。人間は木彫りの猿ではないのですから火事が起こったら足元であろうが対岸であろうが消さねばなりません。見た事に感じて動き、聞いた事に思いを馳せ、自分の考えをちゃんと伝える事。現代に必要なのはそんな三猿ではないでしょうか。


猫と犬と子供たち
2010/09/07  暖かい日射しに包まれておばあさんがこっくりこっくり。かごに盛られたみかんの横には幸せそうに猫が寝そべっています。子供の頃、都会でも田舎でもよく見かけた光景です。あり合わせの板で作られた犬小屋もあちこちにありました。飼い猫も野良猫も同じように塀の上で日射しを浴び、同じように屋根の上で遊んでいます。犬も猫もペットなどではなく、同居人あるいは地域の住人で、路地や原っぱで遊ぶ子供たちもまた同居人あるいは地域の住人でした。

空き地や路地で出会う野良犬と子供は同じ目線で不思議な対等感があった時代です。当時可愛がっていた猫が車に轢かれたショックでしばらく立ち直れなかった事もあったけど僕が立ち直るまで家族のみならず近所の人も同じように悲しんでくれた事を思い出します。猫もまた人でした。大阪でも東京でも、地方の様々な町でも訪れるたびに猫や犬の姿を見かける事が少なくなって寂しい思いがしますが、同時に外で遊ぶ子供たちも随分少なくなりました。公園や空き地があっても子供の姿を見かけない、一体みんなどこで何をしてるのだろう?と瞬間思う事がありますが、塾だとかコンピューターゲームとかが原因なのでしょう。情緒ある風景には不可欠な猫と犬と子供たち。風と光と土の匂いの中で育まれる感性が子供にとってどれだけ大きいか、と僕は思うけれど猫も犬も子供たちも風景からどんどん消えて行きます。

 

やっとやっと秋の気配
2010/09/09  連日の異常な猛暑にぐったりするけれど朝夕の風にやっと秋の気配を感じます。夏を待ちかねて海へ出かけていた頃はあっと言う間の夏の終わりに寂しい思いもあったけれどそれでも今年のような暑さなら秋が待ち遠しかったかも知れません。春夏秋冬の歯車が狂いだして野山の草花も動物たちも困っているだろうけど人間の生体リズムもおかしくなります。

グリーンランドでは地球温暖化でマンハッタン島の数倍もある氷塊が氷河から崩落し海を南下していると言うし、2100万人に及ぶ被災者が出ているパキスタンの大洪水やモスクワの記録的猛暑など温暖化の影響は大きな暗雲です。自然災害の原因は複雑で人智の及ばないところもあるけれど、今進行しつつある温暖化現象は人的災害です。地球と言う巨大なメカニズムの小さな構成要素でしかない人類があまりにも力を持ち過ぎた歪み。科学万能の錯覚と驕り、経済に偏り過ぎた科学の乱用を修正して地球を癒すための科学にしないと近い将来、秋がやってこない夏になるかも知れません。

 

古代ポリネシアの海の歌
2010/09/13  古代ポリネシアの海の歌にこんな部分があります。「わたしたちの前に広がっている水平線に向かって、永久に逃げている水平線に向かって、永久に近づいている水平線に向かって、疑問を引き起こす水平線に向かって、恐怖心を起こさせる水平線に向かって」この文章をずっと見つめていると「水平線」の部分に「人生」とか「未来」とか「平和」とかの文字が重なって浮かんできます。Only to be alone,Only to be afraid、ビートルズのREAL LOVEと言う曲の中のフレーズも同時に浮かんできます。知らなければならないものはいつも遥か彼方にあって、知らなければならないものはいつもすぐそばにあって、遠ざかっても近づいても孤独と恐怖はつきまといます。

 

2つのコップ
2010/09/15  創作とか発案とかはなかなか出来ないけれど何かアイデアが出る時はその事をいやと言うほど考え続けて、もうコップがいっぱいになって溢れるぐらいの時に生まれるものです。それとは逆に他者の気持ちや立場になって考える時には自分のコップが空っぽぐらいでないとなかなか受け止めれないものです。自分の悩みや状態でいっぱいになってる時に他者の心を理解出来ないのは当たり前の事だけど、他者の事を考える気があるならばコップにたまった水を減らしておかなければいけません。コップの大小はそれぞれ違うでしょうが、満タンにしたり空っぽにしたり、それは急がしすぎるので2つのコップがいつもあればいいなと思うのです。

 



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