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弥生/3/March


 

bluedot

やさしさは外から
2010/03/03  防戦一方苦戦一方であっと言う間に月は変わったけどチリの大地震や日々報道される悲惨な事件の被害者と家族友人の無念を思うと僕の悩みなど口にも出せません。どこを見ても理不尽にぶつかるような歪んだ社会の中で安穏と暮らしている人はごく少数だろうしもしいたとしたらよほど無神経な人に違いないとは思うけれど自分の日常以外に無関心なのは怖い事です。

社会的関心や感情はそのままその人の性格や行動に反映されると思うからです。自然、動物、他人を思いやるのは当たり前の事だけどそれが教えられていない人間がいるから陰惨な事件が起こります。本当に家族を思う心があるなら他者をも思うはずですし、本当に自分の事を大事に考えるなら他者を大事にするはずです。

 

運命の横顔
2010/03/05  「運命と言うものは好んでこうしたいということにあるのではなく、むしろ、したくないことをしなければならないという自覚において、その厳しい横顔をはっきりとあらわすものなのである」とスペインの哲学者オルテガは言っているけど人生を重ねるにつれて同感の意を強くします。そしてまさしくその意味において運命を受け入れる事は自意識に忠実であると言う事だと思います。自分はこうあらねばならない、こうありたいと望む姿勢が真摯なものなら「したくないことをしなければならない」事への葛藤は避けられないでしょうし逃げる事は自己否定に等しい事かも知れません。自分自身まだまだ自覚が足りないけれどその「厳しい横顔」をしっかりと見つめる訓練を続けなければいけない。再自覚です。

 

 

親友というもの
2010/03/09  20代の頃。やっと就職した会社で理不尽に耐えきれず喧嘩して退社。落ち込んで「ちょっと話があるんだけど」と電話すると「僕も話があるんだ」と返答。居酒屋で彼の方から「実はやっと就職した会社なんだけど今日やめちゃったよ」まさかこんな偶然があるものかと思いながら「ほんとか、実は僕も今日やめて来たんだ」とお互いの落ち込みは笑いに変わってしまいました。

そんな嘘のような偶然がその後何度もあって自分に何かあるとあいつも同じ事が起こっているのではないかと思うようになったけどさすがに近年はまちまち。2人でよく「自由とはなんだ?」「結婚とはなんだ?」「子供とはなんだ?」「愛するとはなんだ?」などと議論してお互い離婚してしまったけれどそれぞれの子供はもうすっかり大人で僕たちはずっと子供のまま。僕の娘が「おとうさん、ちょっとは大人にならんとあかんよ」と言えば彼の息子は「親父、ちょっとは現実的になれよ」と説教されるしまつ。

それでも僕たちは何も変わらない。不変の信念などと言えばかっこいいけど20才から成長していないだけ。でも同じ土俵でずっと生きている友がいるから自分を変えずに生きて来れたのかも知れません。そんな、そんな、大切な友が死んでしまいました。癌です。ひと月前にちょっと体調がましになったら美味しいもの食べに行こうと約束していたのに。小さな時から彼をよく知る娘に悲しい知らせを告げると「おとうさん、悲しみはよく分かるけど、きっとお父さんが悲しむ事なんか望んでないよ」娘に言われてやっぱり僕は子供なんだと涙します。


大人と子供
2010/03/11  人の言葉をよく聞いて相手の立場や状況を推測して話すのが大人だと思うけれどそれは年齢には関係ないなとつくづく感じます。高校や中学生、小学生の中にだってそう言うことが出来る人間もいるし、年齢を重ね社会的地位もあるのに人の言葉に耳をかさずに自分の事ばかり喋る人もいます。子供です。せめて天真爛漫で純粋さも残っていればいいのですが、それは無理で自己保身と妙な理屈で固まっているから問題です。こんな人が部下や学生をよい方向に指導出来るとは到底思えないような人が社会の上層部にけっこういるのが不思議です。人間性を高めるための原点となるやさしさがなければ体験や経験は何ももたらさないのではないだろうか。大人なら当然であるべき事。子供を守りいたわる心。

後輩を指導する心。年齢は一律に経て行くけれど精神年齢は平行しないからやっかいです。子供を虐待する親、子供の心に鈍感な親や教師。幼い子供を放置してパチンコする親が一体大人でしょうか。子供が子供をつくるのは恐るべき事です。

 

雲の上と下
2010/03/13  近景がないからスピード感はないけれど雲海の上を高速で飛んであっという間に東京上空。時間の都合でやむなく飛行機に乗ったけど高所恐怖症の僕には過酷な乗り物です。それでも雲の上に出ると下界は見えないし青空と真っ白な雲にしばし怖さは薄らぎます。小学4年の時、悪友達とキャンプに出かけて砂防ダムの上を歩いている時にいたずらで後ろから押された時の恐怖。もともと高いところは苦手だったけどあれ以来「落ちる」事への恐怖感は治りません。重力をコントロール出来る方法が早く発明されないかなと期待するのも落ちる事への恐怖故の事。ピーターパンやスーパーマンに憧れるのも当然の事です。曇天の日でも雨の日でも雲の上はいつも青空、超高層ビルも巨大なタンカーも高空からは小さなおもちゃのよう。そんな小さな世界を支配する人間が山を削り海を埋め立て環境を破壊し続けている現実。雲の下、高度を下げた飛行機の小窓から見える風景には疑問符が幾つも浮かびます。


 

孤立と絶望
2010/03/16  年齢、時代を問わず生きていれば様々な問題が降り掛かります。病気、事件、事故、挫折、いろいろ起こります。病床でふだん考えなかった事を考えたり、自身の事故や怪我の体験で他者の痛みが分かる事もあります。何か問題にぶつかったときそれが自努力や忍耐で対処できるならばいいですがどうしても解決策を見いだせないとき人は孤独になります。誰かに相談したいと思って、親兄弟、親戚、知人友人を頼って救われる時もあれば問題の真意を分かってもらえず孤独感が深まる場合もあります。それでも話せる人がいるだけでも救いになります。脳裏に話せる人すら浮かばないような状況におかれたなら多くの人は絶望するでしょう。問題の解決策は見いだせなくとも親身になって話を聞いてくれるだけで、ただそれだけで救われる事もあります。「人は1人では生きいけない」。当たり前の事だけどそれは人間としての根源的な真実であって、だからこそ人は出来る限り他者を理解し愛する努力をしつづけないといけないのだと思うのです。

 

頭と心と感情と行為
2010/03/19  政治の問題、環境の問題、身近な問題。頭がよくて理解力もあって分析力もあるけれどそれが行為に結びつかないのは何故だろう?僕自身は出来る限り思いを行動に結びつけようと努力はしているけれど実行出来ない事も多々あります。実行出来ないのは本当に思っていないから?と自問自答しますが、行動すれば思わぬトラブルに巻き込まれる事も多く、経験からの躊躇と言うのもあります。昔チャップリンの映画を観てやさしさに涙した観客が映画館から出たとたん路上生活者に暴言を吐く現場を目撃してショックを受けた事があります。これは極端だけど信じられないような人間は少なからずいます。思うだけで何もしない人間、短絡的な感情で人を傷つける人間。どちらも今の社会の風潮、心の孤立にその一因があるのは間違いないけど社会は人間が集まって作っているもの。不気味な川の流れを一人一人が意識して方向を変えて行かないとやばいことになるとは多くの人が「思っている」はずです。

 

球春
2010/03/22  春高バレーに選抜高校野球。サッカーもそうだけど団体球技は高校生の試合がいちばん面白く感じます。ひたむきさと結束力が個人の能力を超えて「あっ」と思わせるようなプレーが起こるからです。彼らを見ていると心からスポーツはいいなと思います。毎年、甲子園で躍動する高校生の姿を目にするたびに思い出す事があります。第50回大会でサイドスローの丸山投手が三振の山を築いて優勝した事。速球派ではないピッチャーが三振を奪うのは痛快そのものでその球筋が今でも脳裏に残っています。彼は小中時代の友人で僕たちが草野球をやってた小学時代から1人黙々と安治川の堤防上をランニングしていた努力家でした。中学の野球部ではフォームに悩んで2番手投手だったけど高校でのあの快刀乱麻。僕と同級生で当時から野球好きの人ならたいてい今でも覚えているほどの快投です。スポーツにまつわる思い出はいつになっても鮮明なものです。

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