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如月/2/February


 

bluedot

光りあるところ
2010/02/03  阪急雲雀丘のとある料亭。夜景がきれいです。知人の招待で訪れたお店は高台にあって阪神間に広がる無数の灯が展望出来る場所です。懐石料理も久しぶりだけど夜景を見ながらの食事も久しぶりの事。ゆっくりと出される料理と窓からの夜景を交互に見ながら箸が進みます。それにしてもなんと言う灯の数でしょう。ビル、家屋、高速道路、さまざまな施設。眼下に広がる光の海にしばし圧倒されてしまいます。無数の光と無数の人間。光あるところに人は集まり人の数に応じた光が山と海の間を被い尽くしています。以前闇深い山里で農家のぽつんとした光を見つけてほっとした事もあったけど灯は人の心をほっとさせます。灯あるところ暖もあれば人の心もあって水や食べ物もあります。今夜の素敵な夜景と豪華な食事にちょっと贅沢過ぎるなとは思うけど知人の心遣いに感謝、感激。風邪気味の体調もあってお酒は控えたけれど光と人の心に酔った夜でした。

 

時代と気概
2010/02/06  京都工芸繊維大学の美術工芸資料館。建築家本野精吾(明治15年〜昭和19年)の展覧会を見ようと始めて訪れた場所だけどなかなかいい場所です。地下鉄松ヶ崎駅から少し歩くと学校はあります。雪まじりの雨が降る寒い天候もあってか資料館の中は他に人もいず深閑としています。小さめの展示室は5つに分かれていて第一展示室には大学の卒業制作である建築プランが展示されています。立面、平面、断面、詳細図。インクで丁寧に書込まれた図面は繊細で感覚ゆたかな表現です。

一本の線、一つの文字に感性が読み取れます。やっぱり手描きの図面はいいなと思いました。展示されたポートレートの中に当時の学校の授業風景がありましたが教師からも生徒からもその時代の気概が伝わって来ます。自らヴァイオリンを演奏し、グラフィック、舞台、船体デザインから洋画、南画など多岐にわたった創作活動を見ていると人間の好奇心こそ創造の原点だと言うことがあらためて分かります。あらゆるジャンルが特化され限定された世界の中でしかモノを考えられない人間が増えつつある昨今。それは結局創造のみならず自然や人間に対する関心を弱めるし偏狭で冷たい人間を作ってしまうのではないかと日頃感じている危惧がいっそう大きくなりました。

 

自然と老人
2010/02/09  飲み屋のカウンターで横に座った老人がつぶやいていました。「人間は自分に拘泥しすぎるとどんどん馬鹿になってしまうよ」ちょっと頑迷そうな顔をしたおじいさんは続けて「馬鹿になると周りが見えなくなる。人は遠のいてしまう。それでますます自分に拘泥してしまう」「自然は偉い。自然は自分を知っとる」おじいさんは自身に語りかけているのでしょうか。

自己への反省か哲学か分からないけどおじいさんのつぶやきは真実です。「あの、自然は自分を知っとると言うのはどう言うことでしょうか?」思わず問いかけるとおじいさんはこっちを見ようともせず「光がないと死んでしまう。水がないと枯れてしまう」「当たり前のことを自然はちゃんとわかっとる」「兄ちゃんはわかっとるか」逆に問いかけられて「はい」と言ったものの考え込んでしまいました。その後の話でおじいさんは88才。奥さんに先立たれ1人で暮らしておられるそうです。一杯のビールと一本のどて焼きはおじいさんにとっての光と水のような気がしました。



学校と立地
2010/02/11  学校の帰りに空き地で基地を作ったり空き家をこわごわ探検した小学校時代。クラブの練習帰りに川土手に座って友人とあれこれ話した中学時代。授業をさぼって映画を観たり帰りに繁華街を探索した高校時代。振り返ると学校で学んだことよりも行き帰りに見聞したことの方が印象も強くて勉強にもなっているなと思うことがあります。学生が学ぶべきもの、特に高校や大学生にとっては学校の授業以外から学ぶことの意義は大きなものです。大学のキャンパスが次々と市街地から歴史や文化の香りのしない郊外へ移設されてきた現実には悲しむべきものがあります。

校舎がたつ立地、周辺環境が学生の精神に与える影響の大切さをまるで分かっていないかのような教育現状。キャンパスがいくら広くて整備されていてもそれはごく小さな環境です。周辺に暮らす人達との出会い、その土地の歴史や街並が語りかけてくるものから生まれる好奇心の発露があってこその学びです。公園があり美術館があり映画館や面白そうなお店が近くにあるような場所でなければキャンパスそのものが萎縮してしまうのではないかと思ってしまいます。

 

船と橋
2010/02/15  川の向こう岸へ行くために渡し船しかなかった時代。手の届くような距離なのにどこか対岸の町は遠くに感じられました。こちら側と向こう側。船は次元を飛び越える格別な乗り物と言う感がありました。でも小さな橋、大掛かりな橋が次々と造られ渡し船も連絡船も姿を消し、車を運ぶフェリーでさえ存続の危機が迫っています。船便が少ない離島や陸の孤島のような場所なら橋は必要ですが瀬戸内の風景を見ていると橋が多過ぎるような気もします。全てが車優先の社会にあっては可能な場所に橋を架けるのは分かるけど船会社を救う手だてを考えに入れなければそのうち船旅は出来なくなります。淡路島と明石を結ぶたこフェリーも乗客はまばら。船体に描かれたタコの絵がどこか寂しそうです。箱庭のような瀬戸内海には大型の貨物船やタンカーより客船や小さな漁船が良く似合います。

 

マイカーと短絡
2010/02/20  自宅の前から車に乗せられて遊園地などの行楽地へ出かける子供達は可哀想だなと思う時があります。目的地までのプロセスに欠けるからです。歩いて電車に乗ってバスに乗って時にタクシーに乗って知らない町、知らない人との出会いがためになるし面白いものです。歩いていてしか目に入らないもの、電車の駅、車内での出来事。バスに乗ればその土地の人の郷土の匂いがいいものです。

自宅から目的地のとんぼ返り。ガソリンスタンドかドライブインに寄るだけではあまりにも短絡的でもの足りません。車社会がもたらした利便性は言うまでもないけれどそれがどこか短絡的な社会風潮の一因であるのも事実です。目的ではないけれど思わぬ発見や出会いは「道中」に多く潜んでいて遊びとはそこにこそあるのではないかと思うのです。マイカーで大人が楽をして小さな心になるのは自業自得だけれど好奇心おう盛な子供を道連れにするのは考えなくてはいけません。

 

過剰と均一
2010/02/24  過剰競争、過剰生産、過剰広告、過剰包装・・・過剰だと感じるものが多すぎます。利潤があげやすいとなると同じような商品、同じような業種が乱立乱造されてあの手この手の競争合戦。テレビでは似たような商品のコマーシャル、街では似たような店舗がはびこってうんざりします。薄利多売ならまだいいけれど暴利多売ではないかと疑うような店も多々あって金儲けに取り憑かれた経営者を呪いたくなります。そんな店で懸命に働かされる従業員も災難なら入った客も災難。均一で安価な材料を大量に仕入れて調理経験のあまりない人間が均一に作れる料理が美味しいはずもありません。しかも質を考えれば決して安くもないのにそれなりに流行っているのには不思議な感さえします。

 

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