人間としての哲学
太陽のごとく輝く無数の星
地球のように小さな天体もまた無数で
もっと小さな月のような天体もまた無数
このごくごく小さな太陽系あたりでも
遥か昔から存在していて
ただ人類が認識できていない天体も
きっと幾つもあるだろうとは思うけど
それすら分かるまでには後数百年かかるかも知れない
宇宙の片隅の小さな生き物である人間が
どう考えても奢り高ぶる理由はないのだけれど
どれだけ謙虚であっても
ありすぎる理由もないのだけれど
まるで自分が全権を得た存在であるかのごとき
他者を顧みない野蛮人のごとく振る舞ってしまう
とても恥ずかしい事だけれど
とても痛ましい事だけど
そんな人間が後を絶たない
科学が進んで少しは人間の未熟さを
自覚しなければならないこの時代に
悲しいほど無知な人間が
厚顔と想像力の無さを武器に
このかけがえの無い地球をも危うくする
人類だけでなく
地球上すべての命あるもののために
配慮するだけの科学的知識と
それを実践するだけの技術が確立されている時代に
それがなし得ないのは
決定的な欠陥
おそらくそれは
人間一人一人が持っていなければならない
「人間とはいかなるものか」
あるいは
「人間とはいかにあるべきなのか」
と言う哲学の欠如以外には考えられません
3.11の原発事故は教訓にするには
痛まし過ぎる悲惨な事故ですが
「人間にとって何が大切かを」
問答無用で突きつけました
これで目が覚めないなら
これでも一度生き方、考え方を正さないならば
それは人間として悲しすぎると思うのです