グランブルーな人たちへ |
2013年
世界中の人に惜しまれて亡くなったマンデラ氏と対極の安倍晋三 国民の不自由と戦争にさえつながりかねない秘密保護法案を成立させた自公の議員と世論を気にしながら自民党のお先棒を担ぐ維新、みんなの党の議員。そのような人間を選んだ国民の責任ではありますが、国民を無視する、まるで白紙委任のような政治家の態度には腹がたちます。次回の選挙まで「反秘密保護法」をねばりづよく続けて、選挙で逆転し、日本を平和で自由な道へと戻すことはまだできます。自由のために戦ったマンデラ氏はこう言うでしょう「平和憲法がある日本で何故?」これを機にノーベル平和賞に値するような人物が日本のリーダーになるような国を1人1人が目指さなければいけないと思います。 |
沈黙の春と沈黙の街 「ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウィズ・ダイアモンズ」 近年、アフリカ大陸中部で600万年前から700万年前にかけての地層より出土したサヘラントロプス・チャデンシスが最古の人類となっていますが、まだまだ過去へ遡るだろうと思われます。700万年に及ぶ人類の歴史と5000年という文明の時間軸のアンバランスにはどんな謎があるのだろうと考えてしまいます。びっくり仰天の未知のピースがどこかに埋もれているのかも知れません。同じくウィキペディアにこんな記述もありました。「2004年2月13日に、ハーバード大学の天文学者は白色矮星BPM 37093の発見を発表した。BPM 37093は炭素で構成され、最大で1034カラット (2×1030kg、太陽質量程度) のが結晶化していると考えられた。彼らはその星をルーシーと名付けた。」化石人骨も星もどちらもユーモアと夢のあるネーミングです。 核のゴミどうすんの!? 山本太郎と広瀬隆のドイツ取材3000kmの旅 「核のゴミどおすんの?」このDVDを観て原発の核廃棄物が人間の手に負えないものであるかを実感すると同時に原発というエネルギーを使ってしまった人類の愚かさを今後払拭できるのだろうかという不安がよぎります。2010年の国際環境映画祭でグランプリを取ったデンマーク映画「Into Eternity」(10万年後の安全)を観た時にも思ったのですが、強固な岩盤を掘り下げた地層処分でさえ、何万年と言う時間軸の中ではどうなるか分からず、放射性物質の底知れない恐ろしさを感じます。DVDを観てよく分かりましたが原発に対する意識が高いドイツでさえ核廃棄物の処分には困り果てているのが実態で、一度地下深くに貯蔵した核廃棄物を地下の状態の不安定さゆえに取り出すシーンには「安定した保存など不可能ではないか?」との不安さえよぎりました。 世界の科学力を結集し、核廃棄物の安全な処理方法を見いだすだけでも至難だと言うのに、まだ原発を動かして核廃棄物を増やすなどは気違い沙汰です。福島原発事故から2年半たった今の福島の現状を見るだけでも「2度と原発を動かしてはいけない」と思うのが人間として当然の感覚だと思うのですが、そうでない人間の頭の中には何が巣くっているのだろうと背筋が寒くなります。とにかく、圧倒的多数の人が、事実を認識して当たり前の判断をするまで、1人1人の働きかけと、ジャーナリズムの力を緩めることがあってはいけないと思います。「すでにつくってしまった核のゴミをどうするか」たとえ全原発の廃炉を決定したとしても、未来に向けて最大の問題が残ることには変わりがないのですから。 昔なつかしい卵の味。 昔なら自然に育った鶏が普通に卵を産んだ結果の味。それが今や神経を使い研究と手数をかけなければできない味になったのかも知れません。普段スーパーなどの安価な卵を食べていますが、余りにも安いので、これで農家は儲かるのだろうかと思うこともしばしばです。そして、いったいどのようにしてこの安価な卵はつくられているのだろうと、不安にもなります。この卵の蓋の裏に書かれた説明書きの反対を考えれば、考え込んでしまいます。卵に限らず大量に安く食品をつくろうとすれば、陥ってしまう危険性。家畜や作物に課した過酷な環境は結局まわりまわって、人間に戻って来ます。農薬、遺伝子組み換え、放射能・・・一つ一つの影響だけでも案じられる要素が複合的ですから、不安にもなります。昔なつかしい味は、昔なつかしい心であり、昔なつかしい社会であるような気がします。
ジョルダーノ・ブルーノの信念
地動説が異端とみなされる時代に、ブルーノは宇宙の無限性と惑星の存在に思いを馳せていたというのですから、驚かされます。銀河系には現在2000億から4000億個もの恒星があるといわれていますが、地球と同じような条件で誕生し、同じような経過をたどった惑星の数も天文学的な数であり、生命が同じように進化した惑星の数も計り知れません。ただ至近の恒星でさえ4光年先ですから、今の科学では気の遠くなる距離です。1977年に打ち上げられたボイジャー探査機が1.6光年離れた地点へ到達するのに4万年を要すると言われています。現在の地球文明が破滅せずにこのまま4万年保てたとしたら、宇宙の何であるかがもう少し分かるかも知れません。核の脅威、環境破壊、地球温暖化、農薬汚染、遺伝子組み換え食物の不安、そして放射能汚染。過去2000年とこれからの2000年を考えただけでも存続において等比でないことは誰にでも分かることです。ある程度進化した文明が1万年を維持するためには、経済や科学を制御する高度な精神性がいるのは当然ですが、精神は進化しているでしょうか。ブルーノの火刑ではありませんが、正しい考えが抑圧され、真理が埋没させられるような低次元な精神社会は悲しいけれど継続していて、まさに「傲れる野獣の追放」がなさなければ4万年は夢のまた夢ではないでしょうか。 世界に点在するヒューマニズムこそ希望そのもの それから半世紀以上がたち科学技術は飛躍的に進化したけれど、強力な農薬、遺伝子組み換え食品、放射能などの複合汚染は深刻度をまし、環境そのものが「精神のない科学」によって壊されつづけています。しかも核の脅威はそのままに、あろうことか原発などという核廃棄物の処理さえできない不完全で危険な装置までつくってしまいました。1946年に悲観的な思いの中で亡くなったウェルズが今の世界を見れば、希望の光をどこに見いだすのだろうと考えてしまいます。おそらくそれは科学ではなく人間そのものなんだと思います。平和のために、環境のために、子どものために、愛するもののために、人類のたった一つの生存圏である地球のために・・・世界中にそんな人たちが少なからずいる事実こそが希望そのものなんだろうと思います。 |
揺れ続ける日本列島 地震だけでなく台風もあります。大雨もあります。近年では竜巻も起こります。原発の再稼働など脳裏に浮かぶことがそもそも異常です。軍隊どころか自衛隊を改変してせめて半分は救助隊にするべきです。国内と海外、国際救助隊なら世界と国民の支持は得られます。隊員ももっと誇りとやりがいをもって職務にあたるでしょう。中国や北朝鮮との関係は誠意と叡智を絞った外交努力しかありません。圧力や武力で関係が好転することなどあり得ないのは誰でも分かります。自然災害への対処、自然エネルギーへの転換、格差社会の是正。福島原発事故すら収束にはほど遠いのですから、施政者は揺れるこの日本の足元を見なければなりません。 電気をどうつくるかも大事だけれど、電気をいかに使わないかはもっと大事 食肉1キログラムを生産するためには16キロの穀物と1万5000リットルの水が消費されると言われています。そしてそれは電力の消費でもあります。自分自身を考えても今まで無意識にエネルギーを使って来たと反省、再考しました。原発事故の後、生活スタイルをかなり変えましたが、よく考えてみれば必要の無いもの、使い方を加減できるものがたくさんある事にも気づきました。モノを大切にすることはエネルギーの節約であり環境や命を守る事につながることも再認識しました。昼間から煌煌と電気がついている大型店舗。電気だらけの夜の都会。あふれる車。食べられる食品、着られる衣料、使える道具の大量廃棄。すべてエネルギーの浪費です。そして恐ろしい事ですが、それはそのまま精神の荒廃にもつながっています。人間が人間らしくあるための大切な要素、万物に対する「感謝の心」が希薄になるからです。電気を無駄に使わない事は、頭を有効に使う事、人間的な心を育てる事でもありますから、実行しない手はないでしょう。 グローバル・ヴィレッジ 村の中で一軒の家が煌煌と無駄な灯りをつけ、まだ食べられる大量の食べ物を捨ててしまう。村人は眉をひそめていますが無神経な家人はそれに気がつかない。その家の表札には「日本」と書かれています。この地球が村と化したのなら助け合いと協調の精神ぐらい持つのは村人としての義務だと想うのだけれど、この村の中の一軒に過ぎない日本という家以外顧みない偏狭な家族を変えるには家風に染まっていないヒューマニズムの若き担い手が1人、また1人と現れ増えていくしかないのだろうと思います。 風評被害への疑問 食品衛生法で暫定基準キロあたり100ベクレルを決めたのなら可能な限り数値表示するべきだと思います。基準値以下の表示ですませるなら99ベクレルの不安は誰にでも起こります。広範囲の国土が汚染されてしまった以上大人は甘んじて100ベクレル未満の食品を食べるのはしかたないですが、影響が強いと言われる子どもたちには限りなくゼロに近い食品を食べさせたいのは当然の気持ちでもありますし、大人としての責任だと思います。でも実際はその判断すらできない状況で不安はつづきます。風評被害を無くすためにも正確な測定と情報を流すべきだと1人1人が思わなければいけないと思うのです。
心の大法則、アントナン・アルトー |
1人1人が人間としての意識を持つだけで世界は変わる 自分が関わる細部の世界には精通しているけどその他の事柄に対しては無関心であったり、無知であったり。日常と経済以外の問題に関して深く考えようとしなかったり。戦争の残酷さや放射能の脅威にたいして想像力が働かない人間。そのほとんどはあえて知ろうとしない「積極的無知」にあります。戦後長きに渡って真実を知るより目をそむけるほうが楽であるかのような洗脳ともいえるプロパガンダがそれこそ官民一体でなされて来た結果だと思います。煩わしい、難しい、関係ない、興味ない・・・とんでもないことです。重大なことほど実際は誰でも分かる簡単なことですし、しかも誰1人無関係ではすまされない問題ばかりです。しんどければ口に出したり行動に移したりしなくてもいいけれど、せめて1人1人が戦争と原発と環境問題の実態を知り、その真実を意識に入れておくだけでも世界はいい方向へ変わって行くと思うのです。 介護施設の現場に思うこと 逆にまともな経営者が運営に四苦八苦しているのも現実で理不尽です。しかもそのような介護保険が使える施設すら不足していて、特別擁護老人ホームは200人とか500人待ちの施設もあって明らかに国政に原因があります。不要な道路や危険な原発などに流用される税金の巨費を見れば、もっと人間的な介護の世界を構築するのはやろうと思えばできるはずですから、ひどい話です。安心した老後が保障されないような国が美しいはずもなく、未来を描けるはずもありません。教育、医療、福祉の質と充実は国の根幹で、先進国のバロメーターです。企業の利潤や我欲に支配される国を先進国とは呼べないでしょう。命と生活と未来に関わる問題に1人1人がもっと注意を向け、理不尽なことは少しでも減らしていかなければ、美しい国どころではないと思うのです。 山岳信仰の聖地、吉野へ 人間を生かしてくれている大自然。山も、海も、川も湖も、破壊や汚染から守るのが人間の使命だとつくづく思います。欲の絡んだ開発事業で環境を破壊するなど愚かすぎる行為ですが、想像力と愛をなくした近視眼的な人間は同じ過ちを繰り返します。でも、たとえ微力なブレーキだとしても1人1人が常に意識して踏み続ければ、大きな力にもなります。どん欲な政治家や企業を抑止、排除できるのは結局1+1を無限に続けて行くことしかないように思うのです。帰り道に小さなとのさまガエルが一匹いました。こんな山中に1人で大丈夫だろうかと心配しましたが、きっと1+1の一員なのでしょう。 国家としてのお手本がアメリカでなくフランスやドイツだったら こんな映像を見ていれば子供も大人も感性が育つだろうなと思うからです。スポンサーに迎合し、大衆受けを狙うようなものをつくらなければ成り立たないからと言うのでは創造的仕事に従事する意味がありません。弊害だけです。皮肉なことですが官民一体となって大衆受けを狙う反面、官民どちらも大衆のことなど考えていません。社会の大多数を占める大衆の思考力を弱めればものが売れ、政治がやりやすくなる。煽れば流行り、煽れば売れる。まさに経済絶対主義アメリカの方法そのものです。国民性が対照的とも言えるフランスとドイツ。共通するのは過去の過ちを繰り返さないという信念と1人1人の自由を尊ぶ理念です。そのためには過去の記憶を残すものを大切にし、国民1人1人が自らを啓蒙し続ける努力があるとおもうのです。GDP(国内総生産)がドイツやフランスの倍近くもある日本。でも、あくせく働き、心の余裕をなくし、他者を顧みないような社会がいいとはとても思えません。 サマータイムブルース リニア狂騒曲、狭い日本そんなに急いでどこへ行く まあるい月がくっきりと見える夜 生命の源、水の大切さ エコノミック・アニマルの彷彿 おばあさんと自転車 |
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