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グランブルーなひとたちへ

 

2002年

 

2002/07/22 魔法のいるか

ここに そこに あちこちに君がいる

君は空飛ぶいるかかい?

どうしてだい?

なぜそんなに君はあちこちにいるんだい

僕は不思議でならないよ

そしてちょっぴりさびしい

こんなにたくさんの君がいるのに

君にふれることができないんだもの

ほんとは うんと悲しいんだ

それでも いつでも どこでも君がいる

すべてがきみだらけなんだ

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2002/07/03 科学って?

人間の一方向的な幸せのために発達してきた科学。それは一見歴史の必然見たいな感もあるけれど、本当にそうでしょうか?僕にはヨーロッパの一部の国がその先行した科学を利用して、世界中の多くの文明を破壊した罪の方が大きく感じるのです。アフリカや北米のインディオ、中南米の優れた文化、洋上の多くの島の特異な文化そしてアジアの国も、ヨーロッパの侵略主義からは逃れることが出来ませんでした。

僕自身現代の文明を享受して生きてるのだから、批判的なことばかりは言えないのですが、少なくてもこれは言えると思うのです。この人間の歴史、科学の歴史、宗教の歴史を見ても、先進国は必ず自らの欲望のためにその力を過った方向に使う可能性があるということです。全く環境も違うし伝統も文化も違う人々が同じ人間として融合してこそ、人間は価値があるし、何時の時代も、先進国こそがその橋渡しにならなければいけないと思うのです。

何故なら先進国の今の豊かさは、決して自ら作り上げたものではなく、今なお飢えに苦しみ、民族紛争に明け暮れる、悲しい国々を犠牲にし、利用してきた側面があるからです。

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2002/06/26 水の色

水の色はどうしてあんなに変化するのだろう?それは光の波長や反射の問題かもしれないけど、あまりにもあの青は美し過ぎると思いませんか?湖や海のあの豊かな青さは、湖底や海底の様相に合わせて微妙に変化して、見ていて飽きる事がない色です。

そして反射して見えない水中には、信じられないような光景が広がっています。陸上の生態系をはるかに凌ぐ、様々な生き物たち。きれいな海は竜宮城そのままに、生命の神秘と、その美しさを抱いています。

いるかはきっとその価値をわかっているんだ。あの賢いいるかは海の尊さを一生懸命私達人類に伝えようとしてる。彼等の表情や仕草を見てるとそうとしか思えないのです。

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2002/06/19 明日は晴れるよ

誰かが言ってたじゃない 「きっと明日は晴れるって」

どんないいお天気も いつかは崩れるし

どんな激しい雨も いつかは止むよ

そうしたら きっと今まで以上の空が見える

吸い込まれそうな 凛とした空だ

さあ 襟を正して 迎える準備をしようじゃないか

気持ちのいい 「お天気さん」をね

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2002/06/16 やさしい風

青い空をみていますか

潮騒の声は聞こえていますか

山からの風は届いていますか

 

手を繋いでニューヨークの街を駆ける二人のように

一緒に緑の牧場を走ってみたい

風が君の回りにまとわりついて

一瞬君は宙に浮かぶ

そんなシーンを見てみたいんだ

 

風は地面にそっと君を降ろして

今度は花の香りを運んでくるんだ

ほら、もう風は戻ってきた

なんていい匂いなんだろう

君はうっとりと目を閉じて、

柔らかな草の上で眠ってしまう

 

空はいつも君を見ているよ

海もいつも君を見ているよ

鳥になって、魚になって見ているんだ

 

決してやまないやさしい風が

いつも君のそばを流れているでしょう

風はいつも君を守っているよ

 

 

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2002/06/14 それは、簡単なこと

 どうしようもない自分 うずくまる自分 かがやける自分

 伸び上る自分 軽やかな自分 はいつくばる自分

 愛いっぱいの自分 夢見る自分 泣き濡れる自分

 微笑む自分 息も出来ない自分 走り去る自分

 膝を抱える自分 手を差し伸べる自分 凍りつく自分 考え込む自分

 でも全部自分なんだから、全部愛せばいい。 

全部自分なんだから、全部大切にすればいい。

 そして気に入った自分がよく出るように、

自分になにか印でもつけておくといい

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2002/05/30 スロウ スタンダード

ゆっくりと歩かないとまわりはなにもみえないよ

ゆっくりと歩かないと風は何も語ってくれない

そう、急がなくていいんだ

あの月のようにゆっくりと満ちていけばいいんだ

 光はちゃんと君の歩く速度で足元を照らしてくれる

だからいそがなくていい、君の速度で歩けばいいんだ

 みてごらん あの雲を

ゆっくり動いて風の言葉をきいてるだろう

そうだよ 潮の満ち引きのようにゆっくりと歩けばいい

 

ゆっくりと歩かないと人の心は見えないよ

ゆっくり歩かないとやさしい言葉もとどかないんだ

 

あのじっとして動かない星があるだろう

ああして 君を見守ってるんだ

君をかけがえのないものへと導くためにね

 

ほらだんだん見えて来ただろう

ほらだんだん聞こえてきただろう

君が大切にしなくてはならないものが

こんなにたくさんあるんだよ

 

だからゆっくりと歩くんだ

流れが見えない川のようにね

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2002/05/26 喜びと悲しみと

最近よく考えるんです。喜びと悲しみは、対立するものだけど、二つは、皮肉な比例で結ばれている。喜びに浸っていると、必ず悲しみが襲ってくる。そして、悲しみに打ちひしがれてると、どこかから喜びが訪れてくれる。正比例でも、反比例でもないけど、二つは見えない糸で結ばれて、常に同時に存在してるんじゃないかって、思うときがあるんです。

もちろん偏りはあります。「私の人生は何でこんなに不幸が重なるの」とか、「私は運が悪いんです」とか、言う人に出会ったときに思うのです。それは不幸と不幸の間に起こっている、幸運や、喜びに気付いてないだけではないかなって。

悲しみにとらわれ過ぎて、何も見えなくなる。これは仕方ない事だと思います。でも、どんな悲しみも、痛みも、息も出来ないほどの苦しみも、「時間という薬」が、必ず少しづつ癒してくれるのです。そしてその苦しみが薄らいだ時、すでに喜びが始まっているのです。ただ、それに気がつくか気がつかないかの、問題ではないでしょうか?

よく世間で使われる言葉があるでしょう。「ピンチの後にはチャンスあり」この言葉は、ほとんどの人がある程度実感してる言葉だと思います。人生でもスポーツの世界でも、かなりの確率でこの事が起こります。この事もまた、ピンチとチャンスが、実は同時存在してるってことの、一例ではないでしょうか。多くの小さなピンチには小さなチャンスが対応していて、そうじゃない場合は、一つの大きなチャンスが、対応する。僕にはそう思えてならないんです。

だから悲しみに出会ってしまったら、「この悲しみに対応する、喜びとまた出会えるんだ」と、考える事が出来たなら、気分もずっと楽になりますし、必ず、対応する喜びにも出会う事ができるはずです。じゃあ、先に喜びに出会ってしまったなら、どうする?それは、対応する悲しみになるべく出会わないように、謙虚に生きるしかないです。

悲しみには気付かないようにするって、方法もあります。でも、幸せなときはどうとでもなるでしょう。問題は悲しいとき、苦しい時に、どう乗りきるかですから、このような事を書いて見たんです。

そして多くの賢明な方々は、このようなことを感じていらっしゃるからこそ「人生は、何事もなく生きれればいい」と思われてるのではないでしょうか。

でももし、悲しみに出会ってしまったら、「この悲しみに対応する喜びに、もうすぐ出会えるんだ」と考えて見て下さい。

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2002/05/16 もう一つのグランブルー

僕は時々大阪の天王寺や西成という場所へ出かけます。この街の一角にグランブルーとはほど遠い暗くて灰色の世界があります。そしてこの小さな場所には全国からドロップアウトした人達が大勢暮らしています。住む場所がなく仕方なく路上で暮らす人もたくさんいます。

物が有り余り繁栄する日本の陰の場所だと思います。大阪で育った人間でもこの場所を訪れる人は少なく、現状を知らない人のほうが多いと思います。それよりも見たくもなく関わりあいたくないと言うのが事実かも知れません。僕自身たまたま子供の頃からこの場所に土地勘があり、今友人がそこに住んでると言うのも度々訪れる要因かも知れません。

そんなわけで僕はその場所に出かけるのです。そして、そこに暮らす人々と話してみて、こう思うのです。この人達がここに追いやられたのはこの人達の個人の責任ではなくて、社会のほうに責任があるんじゃないかなって。これは僕の率直な感想です。もちろんぐーたらでエゴイストでどうしょうもない人達もいると思います。しかし、多くの人はどちらかというとまじめで気のやさしい人のような印象を受けます。

社会で人にだまされたり、争いが出来ずに逃げてしまったりした結果、いき場所をなくしてしまったように思えるのです。もちろんその事自体が弱肉強食の世界から見れば落伍者なのかも知れません。でも待てよ、「真面目(要領が悪い)」「気の弱い」「へんこつ」などの性格は人の個性だからそれはそれで受け入れられるような社会でないといけないんじゃないかって。何故なら「不真面目(要領がいい)「気が強い」「ありきたり」に比べて全然劣ってるように思われないからです。

ある時こんな光景を見ました。舗道脇に段ボールを敷いておじさんが丸まって寝ています。何かを大事そうに抱えてるのです。近寄ってみるとそれは中ぐらいの大きさの犬で、おじさんはその犬をいたわるようにやさしく抱いてるのです。そして犬も何とも言えない安らいだ顔をしておじさんにしがみついてるのです。「野良犬」と「野良人」そんな言葉がふと浮かびました。自分自身食べる物も確保されてないのに野良犬や野良猫のために食べ物を分け与えてあげる、この街にはそんな気持ちのやさしい人がそこここにいるのです。

そして、この心は「グランブルー」とおなじでしょう?

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2002/04/23 銀河の彼方へ

すばる天文台では人々が寝食を惜しんで何億光年彼方の銀河に熱い思いを馳せています。望遠鏡をのぞき込むその姿は人が如何に未知なるものへの好奇心が強いかを知らせてくれます。この小さな太陽系でさえまだ到達出来ない今の科学でも、研究者の情熱は何百光年、何億光年の距離を飛んでいきます。もしかしてその思いは科学に先行して他の天体の生命体に届いてるのかも知れません。

 

青い海でイルカや海洋生物を守るために生きている人々もいます。森林を守ったり、絶滅しかかってる生物を保護するために生涯をかけてる人もいます。また、過去の人類が残した素晴らしい遺跡を修復しつづけてる人もいます。彼らのような人間らしい人々を揺り動かしてる原動力は一体何でしょう?

 

僕は思うのです。彼らに共通するのは神秘的なものへの尊敬と愛情じゃないかなって。決して詰め込みの知識や教育からは生まれてこない感性をみんな持ってるんじゃないかなって。その素晴らしい感性を身につける方法、それが分かれば教育はもっと素晴らしい人材を作り出せるのではないでしょうか?

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2002/04/20 そこは居心地のいい場所

そこは僕にとってとても居心地のいい場所です。

じっと目を閉じて耳を澄ますと小さな命がさわさわと動く音が聞こえてきます。
小さな生き物達が自分なりの主張と確固たる自信の中で躍動する音です。


それはまるでそよ風や清水が湧き出るようなかすかな音です。
この宇宙のあらゆる法則に調和した音です。
スケールの違いはあっても、星が誕生するときの音や流れ星の流れる音とも共通のハーモニーを持った音です。

そして、じっとその音を聞いていると、自分の心臓の鼓動や息をする音と同じだと分かってきます。自分がこの宇宙の細胞の一部だと言う認識が芽生えてくるのです。

広大な空間を疾走する地球の背中につかまって、みんな存在してるんだという実感が湧いてくるのです。

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2002/04/14 心と体

心と体って鶏と卵じゃないですけど、とても不思議な関係だと思うんです。少々滅入っていても体調がよければ「ええい、くよくよすまい!」「また新しい道が開けるさ」とか切り替えが出来るんですが、体調がよくないといつまでもその事から逃れられなくてどんどん深みにはまってしまう・・・

逆に充実してるときでも怪我や病気になると、今までの満ち足りた毎日は何だったんだろう?って思うほど不安になって考え方が後ろ向きになったりする・・・

体が健康でないと、人はなかなか前向きな考え方にはなれないものです。でも辛い持病に苦しめられ、不治の病と闘いながら前向きに生きてる人もたくさんいらっしゃるのも事実です。

きっとそんな生き方が出来る人は心が先行しているんでしょうか?そして命や健康の大切さがいやというほどわかるから、どんなに辛くても命ある限り目一杯生きようとされてるのでしょうか?

そう考えると体より心の持ち方、考え方の方が何かをなしうるためには重要なのかなって思います。もちろん両方揃えばいうことなしですが、たとえ二つが揃ったとしても前向きに生きて行くのはなかなか難しいものです。

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2002/04/02 教育の素晴らしさと学歴の無意味

テレビニュースで見たのですが、アフガンの難民の子供達へのインタビューで、平和になったら何をしたいっていう質問に対して、子供達は目を輝かせて、学校へ行きたい、そして将来、病人が多くて医者の少ないこの国を助けたい、とか、学校の先生になってみんなに文字を教えたいとか、勉強して、いっぱい作物の獲れる方法を考えるんだとか、それは素晴らしい答えが返ってきていました。

ああ、これが教育の魅力で、本来日本の子供達も教育に対して同じ思いと憧れをもっていたんじゃないかなって、思いました。

何かをしたい、そしてそのために学びたい、誰かを助けたい、そしてそのために教養を身につけたい。

これが本来の教育の意義じゃないでしょうか?

教育と学歴を置き換えてしまった、近年の日本の社会があらためて考えなおさなくてはならないのは、教育って何ですか?というこのもっとも最初の言葉ではないでしょうか。

学歴のためだけだったら、その目的にたいして魅力を感じない子供達が、勉強する気がなくなるのも当たり前のことではないでしょうか?
だって、教育の現場もそのような風潮に準ずるシステムになってるのだから、もともと魅力的な学問が、すっかり色あせたものになってると思うんです。

?みなさんは教育と学歴に関してどう思われますか?

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