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グランブルーなひとたちへ

 

2002年

 

2002/03/26 不思議な生き物

多くの悲しみと不幸、そして不条理を君は乗り越えてきた。

人を信じ自然を愛し、生きてきた君も、

度重なる悲劇に全てを呪った時もあった・・・

でもその度に君は杖をつき勇気を振り絞って歩き出して来たんだ。

君の行く先にはいつも希望の虹がかかり、

悲しみの過去は全て君の背後に残して、君は歩き続けてきた。

いつしか悲しみは記憶の彼方に沈み、

憎しみは時の風にかき消されて、大地へと帰っていった。

君は今度こそ悲しみを喜びに、

憎しみを愛に変えようと、希望の虹に誓ったんだ。

そう 君こそ「永遠の旅人」またの名を『人類』と呼ばれ

夢に向かって歩き続ける不思議な生き物なんだ・・・

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2002/03/19 むずかしいことはいらない

青いきれいな海を見て、この海を守ろうと思うこころ。澄みきった空を見てありがとうと感じる感性。日常の身近な小動物を見て、いたわりの心が湧いてくるような意識。そして自分の出来る小さなことを、自分との関わりの中で少しでも実践していく・・・それでいいんじゃないかな。

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2002/03/15 仕事の垣根をこえて。

考えてみれば不思議なものです.若いときにそれぞれ自分の個性というものの中で考えたり意見をいってた人達が、ふと気がついたら殆どの人達がその職業の中でものを考え意見を言うようになってしまっている・・・

そしてその結果違う職業の人と人が上手くコミュニケーション取れなくなってるようです。話してもどうせ分からないだろうとか、この仕事やってるものにしかわからないだろうとかどこか垣根を作ってしまってる人が多いのではないでしょうか。

もちろん仕事における専門的なことは部外者には分からないことも多いでしょうが、考えたり、人に話したりしたいことは、仕事の話ばかりじゃ無いはずです。そして仕事や職場の話以外ならどんな人でも共通に話せると思うのです。ただ各々が長い時間の中で、仕事やそれにまつわる出来事に呪縛されてしまってるのではないでしょうか?

以前から思っていたことですが、職業はあくまで職業であって、あくまでその人の生き方の一部の話だと思うのです。時間的にも、肉体的にも多くの束縛はあるにしても、やはり一部の事だと思うのです。ライフワークとして生き方そのものを仕事に重ねられるのはほんの一握りのラッキーな人だけだと思います。

ですから仕事は別として、一人の個性ある人間として相手がどんな職業の人であっても、人間として同じ土俵で話すことが自然に出来るようになればいいなって、思うのです。

プライベートな関心事や趣味への情熱が職業そのものを上回っている人達は別ですが、もともと持ってる個性や考え方を忘れてしまってるのではないでしょうか?その事を思い出せば、職業的な呪縛や垣根は取り払えると思うのです。

そしてその中からもっと柔軟な考え方が生まれて、ギスギスした今の社会をほんの少しでも、和らげられると思うのです。

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2002/03/14 人は変わらない?

自分を少しでもいいように変えようとしても人はなかなか変わるものではありません。もちろんまれには一つのきっかけで、何かにチャレンジして、すっかり自分を変えてしまう人もいます。でも、そういう前向きの意識があれば少なくとも今の自分は維持出来ます。

反対に自分を変えようと努力しない人、意識を持たない人は周りの環境や人によって変わってしまうものです。それがいい方向に変われば言うこともないですが、多くは流されて、自分を見失って、その人の個性や良さまでも無くしてしまうのです。

数学的な表現でいうなら人は常に前向きのベクトルを与えていなければ、後退するベクトルの力に引っ張られて、ゼロ地点にも定置出来ない生き物なのです。

自然界は人間がバランスを破壊しない限り、宇宙のリサイクル法によって、現状は維持していきます。でも人間という生き物は自身をいい方向にコントロールしていかないとケセラセラだけでは後退してしまうのです

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2002/03/12 君の瞳に乾杯!

君の瞳に乾杯って言う有名なセリフがありましたが、心地よい風にやさしく包まれたり、美しく輝く海の青さを見ていると素晴らしい自然に乾杯したくなることがあります。

きっと 鳥はそよ風に、魚達は その青い海に、そして地上の動物達は 豊かな緑に いつも乾杯してるのですね。

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2002/02/27 人は自然に対して謝らないと!

大阪の町中を流れる川も、数十年前には子供達が泳いで遊んでいたのです。今では信じられないでしょうが、堤防から飛び込んだり、鮒をとってはしゃいだりしていたのです。

今は殆どの川が埋め立てられて道路になりました。残っている川は汚染されて、とても泳ぐどころではありません。確かに便利にはなりましたが、失った環境の大きさを考えると手放しで喜べる事ではありません。そして、思慮の足りない人達が、田舎のかけがえのない自然までダムや埋め立てで破壊しようとしています。

長い長い歴史を綿々と培ってきた木々や魚や無数の小動物の命が一瞬に奪われるのです。そして、その馬鹿さ加減が分かっても、もうその自然は回復できないのです。間違った公共事業、しかもそこにあるのは利権だけです。そんなモノのためにかけがえのない自然を破壊するなんて、それは完全に犯罪行為です。

自然は決して人間だけのものではないし、その自然を汚してるのは人間だけなのだから、その意味でも人間は常に自然に謝り、自然をいたわり、そして自然に感謝する意識を持ち続けなくてはなりません。

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2002/02/26 価値あるものって? 

人間の存在価値って何でしょう?
現代の科学をもってすれば、本当はもっと争いのない、社会の実現は可能だと思うのです。そして生物学的な自然淘汰を、ヒューマニズムのなかで、調整できるのが人類の使命ではないでしょうか?(バースはこの、自然淘汰という言葉が昔から嫌いです)

宇宙の片隅のこの小さな星で生きる生命の中でもし、1番進化した生き物が人間だとしたら、そう思うのです。でも、現実はまるで貨幣の一神教のようにお金崇拝主義で流れています。そうでない人もたくさんいるのでしょうが、何か大きな流れの中で、埋没しないように、一人一人が頑張りたいものです。

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2002/02/21 少年の手

少年は懸命に池に潜っていました。アフリカのある小さな村の出来事です。魚も住まないよどんだ池です。しばらくすると少年はざるにいっぱい泥を入れて浮き上がってきました。そして池のヘリに泥を積み上げてはまた潜って行きました。その柔らかな泥は、日干し煉瓦の材料となるのです。

繰り返し集めた泥を村まで持って帰った少年は、一生懸命に泥を型に入れて、煉瓦を作るのです。少年の手は泥と陽射しに繰り返しさらされてもうごわごわになっています。指先や手の甲はひび割れて痛々しいほどです。

一日に何百個も日干し煉瓦を作っても何十円にしかならないのです。でも少年は信じられないような努力を払って煉瓦を作り続けます。ある時、村を通りかかった旅行者が少年に訊ねました。「君はどうしていくらにもならないのにそんな厳しい作業をしてるのか?」少年は悲しそうな顔をしてこたえました。

「だって、土は食べれないんだもの」「僕はパンが食べたい、だからパンを食べるために土をこねてるんだ」そう言って黙々と仕事を続ける少年の手は、まるで、痛みを感じない道具のように見えました。

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2002/02/18 二つの道

子供の頃父によく言われた言葉があります。「もし二つの道があったら、お前がしんどいと思う方の道をえらびなさい」当時、言葉の意味がよく分からなかった僕です。でも今までの人生を振り返ってみたら意外なほど父の言葉が僕の行動に影響してるんだと、不思議の念にかられます。父は僕が反抗期のさなか、中学二年の時に他界しました。

ですから幼い頃の思い出しかないのですが、言葉というのは心のどこかに宿っていて、案外自分の性格を決定してるのかも知れません。もちろん、楽な方の道を選んだことも度々ですが、どこかで父の言葉が引っかかってUターンしてしまうのです。

今、父が他界した時と同じ年齢になって、少し父が考えていたであろう意味が分かりかけています。それは、しんどい方の道は、障害や、不安要素が多いから、緊張もあるし自分の知らないことに遭遇する可能性の多い道だと言うことです。そして、その不安定な道を歩くことで、自分が少し成長すると言うことなんだと思います。

そして一つの道を辿り詰めたら、また岐路があって、どんどん選択しながら進んでいくのが人生なんだなって、今、思います。まるで、あみだくじのようです。そして出来るだけ後戻りしないようにと気を配って歩いてはいるのですが、結局後戻りを余儀なくされることも多いです。そうなんだ・・・後戻りの道もまたしんどい方の選択だからいいのかも・・・

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2002/02/14 見えない流れ星 

時が駆け足で過ぎていく・・

僕は君のしっぽにつかまるだけで、目がまわりそう

そんなに急がなくてもいいと思うけど、

君はどんどん先へ行ってしまう・・・

きっと君にはたどり着かなければならない場所があるのかな?

それとものんびりやの僕に、見せたい場所でもあるのだろうか・・・

広大な星と星の間を縫って、時はどんどん駆けていく・・

しっぽにつかまってる僕は、見えない流れ星

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2002/02/02 海の色

海の色は不思議なぐらい変化に富んでいます。同じ透明なきれいな水でも青い色の海、灰色の海、緑色の海、濃紺の海とその表情は様々です。北海道の襟裳岬で見た悲しくて荒々しい海、高知の海岸で見たどこか楽しそうな海、鳥取で見た日本海のひっそりとして奥深い海、沖縄のまるで絵の具を流したような明るい海。

春夏秋冬、季節によっても色は変わるし、色のバリエーションは青の世界の中で無限にあります。マリンブルー・コバルトブルー・セルリアンブルー・ブルーグレイ・ありとあらゆる青の色がそのときどきの表情を見せてくれます。

そしてあまりにきれいな色なので手で掬ってみると、どこの海の水も透明なのです。人間の視覚って、不思議なものだなあって、つくづく思います。海は人間に、同じものがその時々で、いろいろ違って見えることを教えてくれているような気がします。

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2002/01/20 大きな事と小さな事

僕は悲しいことがあったり、悩んだりしたとき、よく海や山に行きます。
それはきっと、本能的に自然のもつ癒しの力にひかれるからだろうと思います。
自分自身の心の持ち方や、気分をどうコントロールしようと思っても、出来ないときがあります。


生理的に息苦しくなったり、閉鎖的な神経の中で恐怖すら覚えたこともあります。
きっと誰でも、人生の中で何回もそう言うことを体験してるんだと思います。
そして、現実的な出来事の中で、そういう悩みを忘れたり解決してる人もいるし、
それが出来なくて、苦しんでる人もいるはずです。


僕は後者の方で、現実の忙しさとか事件の中では悩みを解決することが出来ないタイプです。
何かに気分を紛らわそうとすると、よけいに大きな悩みの波が襲いかかってきて、
どうしようもなくなってきます。
過去に何度かありました。
そんなとき僕は山や海へ出かけました。


一人で人気の無い場所へ行くのは、より寂しさもまし、心も暗くなるのですが
静かな山中で風の音や鳥や虫達の音を聞いてると、不思議と自分の心が遊離していくのです。
よくはわかりませんが、きっと自分がこの地球の一つの生命体として自然界に同調してしまうのでしょうか。

そして、ふと見上げると樹齢数百年の大きな木がまっすぐと空に向かって伸びています。
「この木は、ひょっとしたらここに来る僕のような悩んだ人間をずっと見続けているんだ」
「明治、江戸時代、ひょっとしたら平安時代の人達もこの木を見ていたかも知れない」
そんな思いに駆られて、その太い幹をそっとなでてみます。


すると、ごわごわした樹皮をとおして、やさしい木の心が伝わってきます。
「君が悩んでるのは、結局君自身が、君自身のことしか考えてないからじゃないか?」
「君が今私のことを考えたり触れたりしているとき、君の悩みは本当にそこにあるの?」
そう言われて、はっとしたら、確かに悩みと言う存在は実在しないのです。


でも何週間も眠れず、不安に駆られて食事も出来ず、うろたえていた自分は
決して自分の事を考えていたわけではない。けれど、そうなのかも知れない。
そんな自問自答を繰り返していると、一体誰のために、何によって悩んでいるのか
分からなくなる自分があるのです。
(中略)

 

何処までも拡がる大きな海。その水面に空を写し様々に色合いを変える海は、まさに宇宙を写す鏡です。海を眺めてると幸せな気分になったり、不安な気持ちになったり、自分のその時々の心境で全く違う印象を受けます。大きな鏡はちっぽけな自分を写してくれることもあるし、いくら自分の姿を求めても見つけられないときもあります。

どちらの場合も自分が信じられないぐらい小さな存在で、その存在の中でうごめく意識は問題にならないぐらい小さなものだということです。美しく光る海面の下にはこの陸上より多くの生き物が住んでいます。でも、海面しか見えない僕には海中の多様な生き物の世界を想像することも出来ないのです。


いつも思うのですが、海を見たり山で大きな木を見たりすると、自分を客観的に見れる状態になれます。だから落ち込んだときやいいアイデアが浮かばないときに山や海にでかけます。
もっと大きな空、宇宙はいつも頭上にあるのにどうしても出かけてしまうのです。
きっと宇宙は僕にとって大きすぎるのだと思います。等身大の自分を見るには大きな木や小さな生き物を見る方がよく分かるのかも知れません。

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2002/01/28 いたわりの心

またしても中学生が集団で、可哀想なホームレスの人を襲って殺してしまう事件がありました。過去に起こった同じような事件が一つも教訓になっていないと思うと悲しくてなりません。社会的な弱者を集団で襲う情けない心理は何処から来るのでしょう?野良猫や野良犬を見ても心を痛める子供達もいます。

自分自身難病と闘いながらもボランティアをしている若者もいます。集団で弱っている人を襲うような神経はきっと普段から病んでいるのに違いないですが、それなら両親や学校の先生が確実に気づいてるはずです。
大きな事件が起こっていつも学校の担任の先生や校長先生は全然気がつかなかったような発言をしますが、家庭や教育の現場で毎日彼らと接していたら、そんなはずは無いと思うのです。

僕には何か事勿れ主義が根付いてるようにおもわれます。弱者を見たら反射的にいたわるようなそんな教育が出来ないものでしょうか。僕たちの世代が子供の頃には弱気を助け強きを挫く見たいな文化がありました。それは漫画でも小説でも主流であったように思います。当時の大人も弱いものいじめする子供には厳しく注意してました。

でもそうして育った僕たちの世代が今親となって、こんな社会を作り上げてしまったのだから、言葉を失います。きっとどこかにいたわりの心を置き忘れて来たのでしょうか。もう一度社会全体がいたわりの心を取り戻さないと、古い言い方だけれども天罰が下るような気がしてなりません。

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2002/01/30 <衣><食><住>について/ものを作らなくなった大人達

人間にとって原点とも言える衣・食・住。考えてみれば人類の歴史はこの三つの要素の確保と向上を目指してきたものです。そしてそれを実現するための熱意と努力と知恵が様々な技術や創造をもたらしました。そして人は生きるために生きる!から、何のために生きる!へとその精神も向上させてきたのです。

自分への防御が確保されて他人への思いやりややさしさもうまれてきました。そして、人間以外への生物や自然環境への関心や思いやりも生まれてきたのです。ですから衣・食・住が確保されている国、少なくても日本ではもっと他人へのいたわりややさしさが芽生えてきてもいいはずです。ところが現実はまるで逆行してるかのごとくです。何故でしょうか?

一つの原因は、ものがありすぎてものへのありがたさを忘れてしまったからではないでしょうか。一つのものを大事に使いそのありがたさを子供に伝えてきた先人の心が失われてしまったからではないでしょうか。僕の親の世代、大正の時代ぐらいまでは、大抵のお父さんやお母さんは自分でものを作っていました。ちょっとした大工仕事や着物を縫ったり漬け物をつけたりぐらいは何処の家庭でも見かけた風景でした。

子供達はそれを見て、大人はえらいなと、思っていたものです。社会的地位や経済力じゃなく、総じて大人はえらいなって思ったのです。そして大人がものを作る姿を見て真似たものです。ものづくりはむづかしいけど、面白いものだって。どんなものでもつくるのは大変なものだなって分かったときに、ものに対する愛着とものを大切にする心が生まれました。

そしてこの事が、大きくなってものがこんなに大切ならば人や動物はもっと大切なんだと考える心に成長していったのです。現在のようにものが作られている意識がなくなって、まるで与えられているような錯覚、お金さえ出せばものは買えるという安直な意識が、人間に対しても愛ややさしさをもてない心を作り上げているのではないでしょうか?

最近僕自身手作りのものという意識がどれだけ大切なものかを再認識しています。料理や大工仕事や絵や彫刻や音楽など人間が自分の手でものを作るということからやさしさは生まれるように思います。

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