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グランブルーなひとたちへ

2006年

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2006/9月30日 なんてきれいなおつきさんなんでしょう

ふと空を見ればきれいな三日月。きれいだな、やさしいなと月に思いを馳せます。輝く満月の君とは印象は違うけど、いつも変わらず笑顔を見せてくれるお月さん。このところずっと重たい事ばかり考えて鉛のような言葉しか書けないけど、それはいけない事ですね。事実は事実、でも真実ははるか彼方、銀河の向こうにあるのかも知れません。

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2006/9月28日 言葉と思い

言葉にならない思いがあります。書いてはいけない言葉があります。相手への気遣いゆえ、煮詰まらない考えゆえ、思いは回転木馬のようにぐるぐる回ってぼやけた風景になってしまいます。沈殿する思い。掴みだそうとすると湖底のどろのようにもくもくとわき上がって何も見えなくなります。

歯に衣を着せず思いはなるだけちゃんと伝えようと心がけていても、やっぱり言葉にならない思いがあります。それでもやっぱり思いは伝えなければなりません。本当に相手への気遣いゆえなのか、本当に思いやりなのか、もしかして自分への気遣いじゃないのか、自分を守ってるだけじゃないのか・・・思いはごとごと煮詰めなければなりません。煮詰まった思いは自然と形になるはずです。

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2006/9月28日 神それよりかけがえのない命

また一人友人をなくしました。仏教でもキリスト教でも、何でもいいけどかけがえのない命です。壮麗な教会の中、荘厳なお寺の中、司祭や住職は言います。神がいて、仏がいて、云々と。今日僕ははっきりと分かりました、一つの命を苦しんで、それを少しでも和らげようと思った人。愛と言う言葉はとてつもなく難しいけれど、愛すると言うことは実践あるのみです。きれいな教会の荘厳な雰囲気の中で僕は感じました。人を天国に導くのは人です。人と人の愛です。神などどこにもありません。もし神と言う概念があるならば、それは人間の中でも心の美しい人の中にあります。人を殺してなんのカトリックですか。人を殺してなんのイスラムですか。宗教は科学が未発達な圧政の世に人々を救うために現れたものです。

権力者に利用されてなんの宗教ですか。宗教とは「とうとい教え」と書くのです。尊いとはどんな命をも大事にし、よしんば悩む弱者を助けよと言う意味です。そんな人が死んで、葬儀代は・・・万、教会やお寺の費用は・・・万、献花は一本・・・円、定かではないですけど、あなた達は連れ込みの暴力バーですか?と言いたいです。神父さん、貧しい人、そして懸命に生きた人ならただでいいじゃないですか。

天国が心の中にあるというならば、それこそ形式張った教会も、お寺もいらないじゃないですか。心の中でしょ?僕は百回問いたいです。それが分かってて、「バースさん形式を守るにはお金いるし、ほとんどの人は形式にしか意味を認めないから、教会の形式を維持するにはお金がいるのです」「本当にごめんなさい、あなた方のような人ばかりだったら、こんな形式はいらないんですけどごめんなさい」「結局私だってサラリーマン見たいなものです」とちゃんと打ちあけてくれればいいじゃないですか。とにかくこれからの時代をいかに殺し合いやしょうむない衝突をなくすのは宗教を少しずつあらためる事です。

あなた達、命は全て主とともにあるとか、御仏のもとにあるとか言ってしまったら、悪い連中に取ってはそれは単なる免罪符です。神なんかどこにもないです。御仏もないです。あるのは人として考える事が出きる生物として、この青い地球を守る代表的な生き物として頑張るしかないのです。何が神ですか。いい加減にしてください。十字架を片手に原爆を落とせますか。イスラムの教典を片手になんで自爆テロなんてできるのです。一体どんな神なのですか。神があるとすればそれは人間の心の中にあるのです。神を決して免罪符にしてはいけません。それは人間の心を売り払うことと同じだからです。

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2006/9月27日 

縁のある人、縁のある日、縁のある場所。人生の中で偶然なんだけど結果必然みたいに重なってしまう出来事があります。自分の意識が呼び寄せるのかそれとも何かに自分が呼び寄せられるのか分からないけど、縁のある地や人は確かにあるのです。今日は惜しくも亡くなった友人の告別式。場所は六甲の教会です。この友人との縁、それは大阪の新世界に始まります。子供の頃、毎週のように父に連れられて行った天王寺美術館。芸術家と日雇い労働者と遊び人が混在する街。通天閣と動物園のあるこの街はまさしく混沌の街です。時は流れ5年ぐらい前でしょうか、美術館前の通りで路上詩人と出会い仲良くなりました。ある日その詩人の住む路上小屋の前での宴会。同じ路上生活をする人達の座談会のようなものです。話題は文学の話や哲学、政治の話が多く、高尚なもの。持ち寄ったたこ焼きや缶ビールにふさわしいものです。そんな宴会も忘れかけていた時、その中にいた1人の男性から電話がかかってきました。「あの僕のこと覚えてらっしゃいますか」「一度会ってお話がしたいのですけど」「僕は高島屋の前でスケートボードを持って立っていますから」

彼の事をよく覚えていないけれど高島屋へ向かいました。「あ、あなたでしたか」見れば思い出します。初老の男性がバミューダをはいてスケボーを持っていたら目立ちます。聞けばスケボーはどこかで拾って来たとのこと。「やあ〜、とにかく僕の知ってる店へ行きましょう」と彼が言うので、「今日は僕お金ないですよ」と言うと「大丈夫、大丈夫」。「それじゃ」と言うことでその店へ向かいました。店について横に並んで話し出すと、初対面に近いにもかかわらず、何か旧知の間柄のようで、今や過去を自在に話し合いました。そんな流れでその店を気に入った僕は彼とは別に何度か店を訪ねる中で出会い親しくなったのが、前述の亡くなった彼なのです。

場所は六甲。そして癌治療のため大阪の病院で入院していた彼がある縁で神戸の病院へ転院しました。そして他界。葬儀は大阪でするものと思っていたのですが、またまた不思議な縁で六甲の教会となりました。昨日教会へ行きましたが、教会のある場所は、ある縁で僕が数年に渡って仕事をしていた場所の近くなのです。おそらく故人には縁もゆかりもない場所。でも僕には新世界に次いで思いで深い場所。あの阪神大震災の前と後を知っている場所なのです。数年ぶりに偶然来ることになったこの街。教会を出て懐かしい場所を訪ね歩く中でふと「縁」と言う言葉が浮かんだのです。

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2006/9月26日 ことわざ婆ちゃん

大好きな婆ちゃんがいました。母の母、サカエ婆ちゃんです。ある時台所でとら猫のトラとほたえていて醤油の一升瓶を倒したのです。栓がはずれてどばーっと醤油が床へ。「わあ、どうしよう」「トラが醤油をこぼした」と不始末を猫のせいにしたとき、おばあちゃんの声がしました。「正樹、ここへ来て座りなさい」おまえこんな言葉をしってるかい?「風雲矢のごとし、騙すより騙されよ」「はぁ??」トラは知らん顔して毛繕いをしています。おばあちゃん意味わかれへん。「よく考えてごらん」なぞなぞのような諺を投げつけて、後は火鉢で酒粕を焼いて食べています。サカエ婆ちゃんは小学校も出てなくて読み書きができません。全ての情報は耳から聞いたこと、後は絵でしょうか。ありとあらゆる諺がかなりとんちんかんにインプットされています。

「おばあちゃん、今日のコロッケいつもより小さいことない?」「正樹、おまえは小は大をかねると言うのを知らないのかい」「・・・」「おばあちゃん、ね、ね、キャラメルのあてもん一等当たったよ!」「そうかい、瓢箪から孫が生まれたね」「・・・」時は流れ中学の時、クラブ活動で大失敗した僕は思いっきりふさぎ込んで、学校へ行こうとしませんでした。その時、「正樹、ここへ来て座りなさい」またとんちんかんな諺かと仏頂面で座ると「正樹、おまえ山よりでっかい獅子は出ぬ、と言うのを知らないのかい」「おまえの失敗なんて小さなことだよ」いまいち意味は分からないけどなんか妙に勇気がでる言葉でした。やまよりでっかいししはでぬか・・中学への道々、やまよりでっかいししはでぬ、やまよりでっかいししはでぬ、とつぶやきながら歩いて、学校に着くと、昨日の大失敗の恥ずかしさは何でもないことのように思われました。で、実際みんな何とも思ってなかったのです。独りよがり。

学校へは行かなかったサカエばあちゃんだけれど、朝から晩まで何か手を動かしているおばあちゃんは永久電池の入った人形のようで見ているだけで楽しくなったものです。編み物、はさみの手入れ、野菜の皮むき、梅干しづくりにあらゆる漬け物。干し柿、干しイモ、干しブドウ。にたにたしながら変なお酒も造っていました。山盛りの洗濯物が入ったかごをひょいと持ち上げて、二階の物干しまでとんとんとん、、「おばあちゃんは忍者か」と思ったこともあります。壁にぶつかると戻ってくる玩具みたいに止まることを知らない人でした。

今日癌とたたかっていた友人が亡くなったと言う悲報が入りました。急いで病院に向かいましたが、悲しくて怖くて友人の死に顔を見るのが嫌だったのです。病院へ向かう電車の中、やまよりでっかいししはでぬ、と言う懐かしいフレーズがふと湧いて来ました。やまよりでっかいししはでぬ、病院へ着くと友人は眠るような穏やかな顔をしていました。臨終の苦しみは言葉にはできないほどのものだったそうですが、薄く目を閉じて眠るようなその表情は安らかなものでした。昨日見舞った時は死ぬような気配はなかったのに残念です。10月の9日に病院で音楽会をするから、できたら来てくださいと昨日言ったのは、僕に安心させようとするフェイントだったのでしょうか。この悲しみ、サカエ婆ちゃんが生きていたらどんな諺を投げかけてくれるのでしょう。「正樹、ちょっとここへ座りなさい」「おまえ、友よさらばと言う映画を観てないのかい」「えっ今度は映画なの?」

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2006/9月25日 命と死

命あるものには必ず死が訪れます。誰もがそれを分かってはいるものの死の必然を認知することはなかなかむずかしいものです。あたかも永遠の命があるがごとく人は生きがちです。身近な人の死を目の当たりにしたときに感ずる得体の知れない思い。悲しみ、寂しさ、無念さ、はかなさ・・・いくつかの情念に加えて得体のしれない何かが心に巣くうのです。この3年間、相次いで2人の友人と母を失って感じたことです。

人は様々です。いかなる原因が人をそうさせるのか分かりませんが命への対し方は絶句するほどの個人差があります。可愛がっていた猫の死の悲しみから何年も抜け出せない人。ウサギや鴨を矢で射たり平気で殺す人。愛する子供の死にショックで立ち直れない人。我が子を床にたたきつけて殺す人。「命」、言葉になりません。

この4月に知人が入院しました。3年ぐらいの知り合いなのですが、すぐ退院できるとの事で、軽い気持ちで見舞いに行きました。1ヶ月が過ぎても一向によくなる気配がないので、「もしかしたら難しい病気じゃないのか?」と訊くと「実は癌なんだよ」と打ちあけてくれました。かなり進行、転移していてもう手術もできないとのこと。「そうか、でも今は抗癌剤も進んでるし良くなる可能性はあるよ」と言いましたが、2年前母の癌との戦いをつぶさに見てきた僕には重たすぎる話でした。

見舞いを重ねて行く中で、彼の生い立ち、生き様を事細かく知ることになりました。少しでも明るくしようと楽しい話題を振り向けるのですが、死と向き合った彼との話はどうしてもシリアスなものになります。人それぞれに背負ったものがあるという事。当たり前のことだけどあらためて思いました。ある日病院へ行くと「松浦さん、実は入院してから僕をずっと世話してくれてる女性がいるんです」聞けば、知り合いの関係で一度見舞いに来てくれた女性が、何故だかずっと身の回りの世話をしてくれてるとか。独身で身よりの縁も薄い彼にとっては天使のような存在です。「よかったね」その後、病院で彼女と話をしましたが、自分の娘の関係で彼の病気を知り、見舞いに来たらほおっておけなくなったとのこと。心理はもっと複雑なものがあるのでしょうが、今の世の中身内でさえめんどう見ない人もいる中、情の厚い人もいるものだとうれしくなりました。

そして4ヶ月、彼女の懸命の介抱と励ましも、抗癌治療も効を通さず、少しでも苦しみが少なくて済むようにとの彼女の計らいでホスピスへ転院。昨日、もう長く持たないとの連絡を受けて見舞いに行きました。「いろんな治療あれだけ頑張ったのにね」と僕が言うと彼は少し笑みを浮かべて「でもね、彼女やいろんな人の励ましがなかったら、もうとっくに死んでますよ」「これでも僕の覚悟を遙かにこえて生きることができました」「感謝してます」まるですぐにでも死ぬような事を言うから「来月に入ったら院内で彼女がバイオリンを弾いてくれるんだろ?だったらそれまでに体調を少しでもよくしておかないと」「そうですね」「頑張ります」帰り際握手をした手にまだ力があったので、まだまだ大丈夫だと自分に言い聞かせて病院を出ました。

なのに今朝、あまりの苦しさに本人が痛みをなくす睡眠注射をのぞんだとの連絡が入りました。睡眠剤を注射して点滴をはずしたら、それは死を意味すること。「命」、やっぱり言葉になりません。

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2006/9月21日 古きもの

窓の外は見事な秋晴れ。室内にいるのはもったいない気がして、ぶらり散歩へ。すがすがしい秋の風が何とも気持ちよく気がつけば四天王寺の門が見えます。近づくと門の向こうに大勢の人、静かな境内で缶コーヒーを飲みながら本を読むと言うもくろみは消えました。門を入るとまるで心斎橋のような人混み。時々開かれる骨董、がらくた市です。様々な露天商が所狭しと店を出しています。何でもあります。洋服、和服、火鉢、ギター、レコード、カメラ、ジーンズ、ブリキの玩具に古い牛乳瓶。あらゆる生活雑貨が山積みです。ほとんどの品物は誰かがどこかで使わなくなって放棄したもの。一つ一つのものにはそれぞれの歴史が傷となって色あせとなってしみ込んでいます。どこか暖かそうな感じ、でもどこか寂しそうな感じ。お金と保管場所があれば、買い取りたいものがいっぱいあります。並んでいるものの多くは僕の子供の頃の文化そのものだからです。

懐かしい手巻きのカメラ。フィルムがぐるんと引っ張られるあの感触はデジタルでは絶対味わえないもの。「写るんです」じゃないけれど、写るだけならデジタルでもいいけど・・・、そう言えば友人のカメラマンもぼやきながら結局仕事はデジタルでとるようになっちゃったし、時代の流れと言うしかありません。古きもの。別に欠陥があるわけではなく、不便とか汚いとかに全て「古い」と言う代名詞をつけて不要にされたもの。考え方によっては決して不便ではないし、ちゃんと手入れすれば決して汚くないものもあるのに「古い」で終わり。両脇に並べられた「古い」ものの中を歩いていると、一つ一つの「古いもの」が発する声が聞こえて来るようです。「ねえ、私達のどこが気に入らないの」「一緒に連れていってよ、僕はもう二度とこの世に生まれないよ」・・・・僕には彼らのほとんどが古き良きものに思えるのです。

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2006/9月20日 心と命

癌で闘病中の知人がだんだんと体力を蝕まれていきます。最初の頃は「しんどいけど心だけはしっかりもって、頑張れ」と励ましていた僕もあまりの痛みに苦しむ姿を見ると、とても頑張れとは言えません。母の時もそうだったけど、ただ黙って母の手を握り、苦しむ母の目を呆然と見る事しかできないのです。心の中では「頑張って」いや「もう頑張らなくていいよ」の二つの言葉がぶつかります。ただ生きていてほしいと思う気持ち。こんな苦しみは消してあげたいと思う気持ち。どちらも本当の心だけれど命は最後の最後まで天命です。

数ヶ月の余命を宣告された彼の命だけれど、最後の瞬間まで、僕は心の中で「もっと頑張れ」と「もう頑張らなくてもいいよ」の二つの言葉を繰り返し続けます。

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2006/9月19日 近くて遠い思いを馳せて

ぐるぐるぐるっと意識が戻る

遠いな 近いな

 

ふぁーっと心が揺れる

激しいな 静かだな

 

ぴゅーんと体が動く

熱いな 冷たいな

 

時が来て 鐘が鳴って

何かが消えて 何かが残って

 

ぐるぐるっと意識が戻る

近くて遠い あの月のように

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2006/9月18日 いのししの悲しみ

ニュースで神戸六甲あたりの住宅街のおじさんがいのししに餌付けをしている理由で苦情を訴えられていました。おじさんいわく「人間のエゴで山の環境を壊し、食べるものがないから街中へ降りてくるんじゃないか」「私は彼らを街に降ろしたくないから、山まで餌を運んでるだけです」アナウンサーの一方的な問いに切れたおじさんは「一体いのししが何をしたと言うんだ?」と声を荒げていましたが、自分たちは何の努力もせず、いのししが街に出たと言って大騒ぎする住民の姿勢には僕も反感を覚えます。

以前六甲で仕事をしていた時、僕も街中で幾度かいのししに遭遇した事があります。夕暮れ時目の前に突然いのししが現れた時は、びっくりしましたし怖くもありました。日頃犬より大きな動物と出合うことのない僕にいのししは驚くほど巨大に見えたのです。棲家の山を開発で切り崩されて、食べる木の実がなくてふもとの住宅街にゴミをあさりに来ているのです。

ある夕、ゴミ袋を必死でかき回して食べ物を探すいのししと出合いました。見ると横に小さないのししがいます。子供を連れて山から下りてきたのです。子連れのいのししは危険と聞いていましたので、あまり近くには寄れませんでしたが、見ていて可哀想になりました。「彼らには何の罪もありません」森を破壊してどんぐりの実を奪った人間のエゴです。

母いのししは子供にいいました。「お前、山にどんぐりがなくてこんなゴミの中の食べ物をあさるしか生きれないんだよ」「ごめんね」「お母さんいいんだよ、だってお母さんの責任じゃないんだもの」「それよりまた意地悪な人間に見つかって殺されてしまうかもしれないから、お母さん早く山へもどろ」

こんな会話を交わしてるいろいろな動物が日本中、世界中に増え続けています。環境破壊は命の破壊です。どうしても山を切り崩すなら、そこにすむ住民のことは考えてあげなくては人間じゃないでしょ。カラスが悪い、猿が悪い、熊が悪い、いのししが悪いなんて言うのなら、人間はどうなの?と自問自答しなければいけません。

動物だけじゃなく大阪の街にはゴミ箱をあさる人間もいます。彼らだって全て彼らの自己責任でそういう行為をしなければならないとはとても僕には思えません。彼らもまたただ自分たちのエゴのために動物を排他するような人々によって排他された人達だと僕には思えるのです。

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2006/9月17日 うさぎからのメール

信じられない事だけど、ウサギからメールが来ました。直接面識はないんだけど、飼い主が落とした僕の名刺を見てメールをしてくれたのです。「助けて」と言う書き出しでした。「僕の事知ってるでしょ、あのブログで踏まれてクラゲのようにべたんとしてた僕です」ああ、分かった君か、「いったいどうしたん?」「僕はウサギだから人間に対して何もいえないんだけど、今の飼い主は人間じゃないと思うのです。明日食べられてしまうかもしれない」「おいおい、そんなペットを食べる人間なんてめったにいないよ」「あのね、食べられると言うのはおおげさんだけど、虐待と言う言葉があるでしょ。」

「もう2日も何も食べてないんだから。」「えっ?***ちゃん、(名前を明かすと命に係わるのでふせます)ほんとか?」「だって、友達の結婚式とか子供生まれたとか、美味しい酒あるとか、分けわからんこと言って、僕の食べ物も置いてゆかず全然帰ってもけえへんし」「そんな事ないだろ、彼女はやさしい人で通ってるし、僕もそう思ってるよ。」「おっちゃんあほちゃうか?そんなレベルでウサギの僕がこんな命がけのメール打つと思うか?」「とにかく助けて?動物愛護団体でも何でもいいから助けて」「わかった。せやけど自分僕よりメール打つの上手いな」

「あのね、もともとウサギ族でもドワーフウサギは全部デジタル。声が出ないから会話はできないけど、今のアホの(ここだけの話やけど)奴の会話なんて聞いてるだけど倒れそうになってるで」「分かったそれ以上言うと、ほんま感ずかれたら、助けてもへちまもなく、明日は鍋の中」「とにかく僕は全力で救済作考えるから、気づかれへんようにな」「昼間にメールして、それから僕の返信は全部消去して」「気づかれたら僕も殺されるから」「絶対言葉わかれへんふりだけはつづけて、今のとこ私の言葉なんかウサギに分かってたまるか、ぐらいのおごりはあるからね」「くれぐれも感ずかれんように」「必ず助けるからね」

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2006/9月14日 公園にて

無謀なる徹夜明けのぼーっとした頭をリフレッシュしようと近くの公園へ旅行。誰もいない平日の公園では鳩が主人公です。ベンチに腰を下ろしポケットからタバコを取り出そうとすると、鳩たちはいっせいにこちらへ進軍。「ごめん、食べ物じゃないんだ」とライターで火をつけると、つまらなさそうな顔をして一気に後退。「何か持ってくればよかたな」と反省しながらぷかりぷかり。睡眠不足の目に公園の緑がにじみます。さて帰ろうかと思って立ち上がると初老の男性がひょこっと近づいてきて「あのう、北田辺へはどう行けばいいんでしょ?」あまりに不安げな様子なので「どうかなされましたか?」と訪ねると「実は女房と別れたのです」

「えっ、別れた?」「どちらからこの公園までこられたのですか?」「北田辺からです」「・・・・」不思議な回答。しばらく考えて、「もしかしたら奥さんと散歩に出て、あちこち歩きながらこの公園に着いて、気がついたら奥さんとはぐれてしまったという事ではないのですか?」おじさんは、「そうそう、そうなんです」だったら女房とはぐれてしまったと言わないと。別れたなどと言うから、考えてしまいました。「ここをまっすぐ行くと環状線の駅にでますから、駅員に住所を言えば地図を見て教えてくれますから」そう言って手を振りながら帰途につきました。徹夜明けのぼーっとした頭に、別れたなどと言う言葉をぶつけないでください。僕がパニックになりますから。

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