新国立競技場建設計画案白紙撤回の姑息なタイミング それにしても安倍政権の面々、菅義偉、麻生太郎などのマスコミに対する傲慢な応対を見ていると憲法も国民もその頭にはないと感じます。単なる一政治家がここまで「傲慢なるもの」になる心理的背景には一体何があるのだろうと思うと気味が悪いですが、民主主義の否定とも思える態度、行為にたいして国民1人1人が立ちはだからなければならない時です。世界に名だたる平和憲法。その憲法を堅守することが、世界に対する最高の平和へのメッセージだと思うのです。 関連報道記事抜粋 民意くむ姿勢 感じられぬ 報道部長・下山克彦 安保法案 衆院通過(2015/07/17ヒロシマ平和メディアセンター) 集団的自衛権の行使が可能になれば、戦後の防衛政策の大転換だ。海外からの視線も変わるだろう。ある意味、国の在り方を左右する局面である。 それに値するほどの審議であり、説明だっただろうか。憲法学者や法の番人である内閣法制局長官経験者の多くが、口をそろえて「違憲」とした。それなのになぜ事を急ぐのか。違憲立法の懸念は強まるばかりだ。そう考えたとき、永田町に漂う「安倍なるもの」に思いを致さざるを得ない。
論戦の中で首相自らやじを飛ばし、党首討論では具体論に深入りせず、「全く正しいと思いますよ。私は総理大臣なんですから」と言い放つ。自民党幹部は「失言」がないように若手議員のテレビ出演を禁じ、「決めるときは決める」と力を込める。 元来「ハト派」「護憲派」とされてきた派閥は、何を恐れてか声を潜めるばかりだ。 ・・・選挙で信任を与えたとしても、全てを白紙委任したわけではない。国の在り方を決める主権者として、無関心はまた許されまい。未来に大きく影響するとすればなおさらである。法案は、私たちにそれを突きつけている。 (声)日本は愛せない国になっていく(2015/07/17朝日新聞)大学院生 若松郁(埼玉県 22) 私たちは、平成の時代に生まれた。生まれた時、すでにバブルははじけていた。小学校の時、突然、「ゆとり世代」にさせられ、イラク戦争が起きた。中学生の時、リーマン・ショックがやってきた。高校生の時、東日本大震災に遭った。大学生の時、2度目の安倍内閣ができた。そして、大学院生の今、自分の国が70年前の教訓と民主主義に別れを告げようとしている。 私たちは「捨て駒」としてこの世に生まれたのか。少子高齢化の今、私たちは増え続ける高齢者と傾き続ける経済を「ゆとり世代は駄目だ」と言われながら支えなければならない。若者たちの生活は保障されていないのに、たくさん子どもを産み育てろ、という。
権力者は、庶民の生活も、戦場の実情も知らないのではないか。そのような人たちに支配された国を、なぜ私たちは愛さなければならないのか。そもそも何から日本を守るのか。日本は何に狙われているのか。 狙われているのなら、権力者は武力ではなく外交で国民を守るべきであろう。愛することもはばかられるこの国を守るために、命を差し出せというのだろうか。 自民党安倍政権の横暴政治。
関連報道記事抜粋 安保法案審議 国民置き去りで採決するな(2015/07/15京都新聞)
戦後の平和国家の歩みを大きく変えかねず、多くの憲法学者から「憲法違反」の疑いが指摘されている。そんな法案の強行採決を国民の理解が広がらないまま認めるわけにいかない。
共同通信が先月下旬に実施した世論調査では、法案に「反対」は58・7%、今国会での成立に「反対」が63・1%、安倍政権が「十分に説明しているとは思わない」が84%にのぼる。安倍晋三首相は「相当(国民の)理解が深まった」と述べたが、この数字をみれば、認識が誤っていることは明らかだ。 首相は法案への理解が広がらない理由をよく考えてほしい。政府の説明不足だけではない。納得しにくい無理筋な内容をあまりにも多く含んでいるからだ。・・・だが、相互依存が深化する現代では、軍事力を背景にした抑止力が必ずしも機能しないと言われる。 とりわけ発展途上国での武力行使はかえって内戦と貧困、テロの連鎖を生む原因となっている。安全保障は防衛力だけでなく、外交や政治、経済、社会など総合的な関係の中で、いかに安定した秩序を作るかが重要だ。 その際に、憲法9条を掲げる日本の平和主義は、信頼に基づく安保環境を構築していく有効な道具になる可能性がある。
特集ワイド:この国はどこへ行こうとしているのか 「平和」の名の下に 作家・島田雅彦さん(毎日新聞 2015年07月14日 東京夕刊)
安倍政権について「憲法を軽んじている」「憲法尊重擁護義務を定めた99条違反だ」などの論評は今や至る所で聞く。それでも「憎んでいる」という表現は初めて聞いた気がした。・・・「安倍首相は最初、改憲のハードルを下げるために96条に手を付けようとした。 だが、現行憲法の規定に従わなければならないので、今度は解釈変更で乗り切ろうとした。それが今回の『戦争法案』です。つまり安倍政権のやりたいことをことごとく邪魔するのが現行憲法、という構図です。しかし1票の格差が是正されない状態で成立した政権も違憲だが、この法案も違憲。政権の意向に憲法を従わせようなんて本末転倒です」・・・続けて言う。
「『小説』は『小さい説』、つまり個人の生活と意見のこと。対になるのは『大説』『大きい説』。政治経済、国家を論じることです。大説が多様性を失い、単純化し、多くの矛盾を抱えている現状では、大説に異論を唱えることが小説の役割となる。書きたいことを書けなくなれば小説家は終わりです。職業上の自由を保障してくれているのが憲法です」 だから批判的精神を失わず異論を唱えていくことが、小説家の役目、というわけだ。 憲法への思いは深い。「今一度、現行憲法を読んでみると、時代遅れどころか、日本が目指すべき今後の安全保障のあり方を示唆してもいます。日本を戦前に回帰させたがっている人は現行憲法の前文の規定を『ユートピア的』と批判するが、憲法が国民の自由と権利を保障し、平和を希求しているからこそ、戦争に行けといわれても、断ることができ、政府を批判することもできるのです。今春、戦没者慰霊のためにパラオを訪問し話題になった天皇陛下も、憲法を守り、二度と戦争をしないことを述べておられます」 安保法案の採決強行は秒読み段階だ。しかし島田さんは悲観していない。「国会の場では数の力に任せて強行採決もできるでしょうが、支持率低下と引き換えになる。ゴリ押しすることで逆に改憲の野望は遠のくのではないでしょうか」
そう考えるのは、安保法案に反対する学生グループ「自由と民主主義のための学生緊急行動(SEALDs=シールズ)」が国会前で抗議行動を行うなどの動きに大きな希望を感じているからだ。・・・では今、できることは何なのか。島田さんの言葉は強く、真っすぐだった。 「一人一人が反対の意を唱え続けること。政治を動かすのは国会だけではないですから」。デモで、ソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)で、メディアでの発言で−−。「異議を唱え続ければ、政権の支持率低下につながります。 ネトウヨの罵詈雑言(ばりぞうごん)よりも政権批判の正論の方が強いし、説得力があるのです」 そして最後に言い添えた。「ベトナム戦争で米国から参戦を要請された時、集団的自衛権の行使が禁じられているから、日本は断ることができた。 一方、あの時参戦した韓国は、今もベトナムとわだかまりを残す。戦争は負の遺産しか残しません。集団的自衛権の行使は、国の『自殺行為』です。それを私たち国民が放置するなら、私たちだって『自殺ほう助』の罪を問われると同じことではないですか」 http://mainichi.jp/shimen/news/20150714dde012010002000c.html 社説 安保法案の強行可決 国民の声 無視した暴挙(2015/07/16ヒロシマ平和メディアセンター) さらに看過できないのは、安倍晋三首相の姿勢である。安保法案について「まだ国民の理解は進んでいない」ときのうの採決前に自ら認めた。前日には、石破茂地方創生担当相も同様の見解を示していた。首相は「国民に丁寧に説明していく」とも述べたが、数の力で可決した今となっては説得力を欠く。 「違憲」立法は許さない 安保法案、採決強行(2015/07/16東京新聞) 政府自らが長年、違憲と解釈してきたものを、一内閣の判断で合憲に変えてしまえば、憲法が権力を律する立憲主義は土台から揺らぎ、最高法規である憲法の法的安定性、規範性を損なう。例えば政府は、徴兵制を憲法一八条が禁じる苦役に当たるとするが、集団的自衛権のように一内閣の判断で憲法解釈の変更が認められるのなら、徴兵制が将来導入される懸念は消えない、というのが国民の皮膚感覚ではなかろうか。・・・ 国民が暴走を止める 安保法案はきょう衆院を通過する見通しだが、今からでも遅くはない。政府には法案撤回の政治決断を、国権の最高機関である国会には廃案にする良識を求めたい。審議時間をいくら重ねても、論議が深まらないまま、採決に踏み切る愚を再び犯してはならない。国の在り方や進むべき方向を決める主権者は私たち国民だ。政府や国会の暴走を止めるため、安保法案反対の声を上げ続けたい。 大切なのは、見えないものを見る、知らない世界を知る、そして理解しようとする姿勢 命、幸福、人生、人間性などに対する考え方が短絡的になりつつあります。とても不安です。特に若者の無関心や情熱の喪失には大きな不安を覚えます。でもここに来てやっと非人間的な安倍政権の施策、体質に対して異議を唱える若者が増えてきたのは光明です。
そのうねりがもっともっと広がって、先ずこの間違った政治を変えなくてはいけないのだろうと思います。そうなれば当然1人1人の生き方、考え方も変化するはずです。以下に抜粋した文はジャーナリストの鈴木大介さんが執筆した「最貧困女子」という本のあとがきにあるものです。 非情でいびつな日本社会の現実が見えてきます。貧困女子の問題を筆頭にして可視化されていない見えない苦しみがどれだけあるのかと想像するだけで暗澹たる気持ちになります。それでも問題が見えれば、少しでも理不尽を是正する動きが増えるはずです。何事においても、知ろうとしないこと、そして理解しようとしないこと。それが一番いけないことだろうと思います。 「最貧困女子」(幻冬舎新書)あとがきより抜粋 だが、その女性が脂汗を拭きながらも平然を装っていたら?声をかけても「大丈夫ですから」と遮ってきたら?睨みかえしてきたら?その女性との間に一枚の壁があったら?人々は通り過ぎるだろう。 さらにその女性が何か意味不明なことを喚き散しでもしていたら、人は目を背けて足早に歩き去るかもしれない。助けてくださいと言える人と言えない人、助けたくなるような見た目の人とそうでない人、抱えている痛みは同じでも、後者の痛みは放置される。これが最大の残酷だと僕は思う。・・・
現代の日本ではこうした最悪の残酷が広がりつつある。格差社会、若者の所得の低さ、特に貧困が単身世帯の女性や、一人親(特にシングルマザー)に集中しているという報道は、昨今否応なく耳に入ってくる。・・・取材期間中、幼い娘を残して自殺してしまったシングルマザーもいた。 彼女は売春相手とホテルに向かう際、愛娘が児童養護施設で作ってくれた折鶴をお守りのように財布に入れていた。何も与えられず、何にも恵まれず、孤独と苦しさだけを抱えた彼女らは、社会からゴミ屑を見るような視線を投げかけられる。
もうこんな残酷には耐えられない。繰り返す。抱えた痛みは同じなのに、なぜ彼女らを救おうとするものがこれほどまでに少ないのか。彼女らを放置することは、例えば病院の待合室で同じ病気で苦しむ人々がいるとして、一方を診察室に入れ、一方を放置する状態と何ら変わりはない。果たしてこれが正しい社会とはとても思えないし、それを見過ごすことは絶対的に悪ではないのか・・・」 先進国家、近代国家、民主国家というけれど つぎつぎと施行される逆行する政策で世相に翳りが差します。GDPが世界3位なのに格差や貧困、不平等などという言葉が飛び交うような国をなんと呼べばいいのでしょうか。 |
今や自然エネルギーを有効に使えるだけの科学力があります。原発を完全に無くし、
化石燃料をなるだけ減らして行くことが未来に対する人類共通の責任です。